空中散歩

28.わるだくみ



 さて、バイトを辞め、征司との縁を切ってしまった今、成海には、早急にやらねばならないことがある。
 担任の上田に説明することである。
 なにしろあの担任は、現在もこれからも、征司を成海の保護者として扱うつもり満々なのだ。就職の話は未だほとんど進んでいない状態なのだが、それでもその件について話をしていると、彼の口からはすぐに征司の名前が出てくる。いっそ面接の時に同席してもらって直接事情を話してもらったらどうか、なんてことまで言いだす上田は、本当に征司に責任を丸投げしてしまうつもりであるらしい。
 そんな上田に、あの話はご破算になりました、もう決して連絡を取るつもりもありません、なんてことを言って、すんなり納得してもらえるものだろうか。逆ギレされて怒鳴られるくらいはともかく、勝手に征司に電話でもされてしまったら困る。そもそもあの三者面談だって、成海のことはほぼ透明人間にされていたし。

 うーん、どうしようかなあ。

 その日の昼休みまでずっと考えていたのだが、良策は浮かばない。それはそうだ。そんなにあっさりあの担任への対応が決まれば、今までだって苦労はしていない。こちらの話をてんから聞く気のない相手と、どうやったらちゃんと話し合いが出来るのだろう。
 かといって、グズグズしていたら、さっさと征司と次の面談の予定でも組まれてしまいそうで、それはそれでやっぱり困る。なにしろ、征司の連絡先は、すでに担任には把握されてしまっているのだ。
 ううーんと考えながらお弁当を食べ、空になったところで成海は決心した。
 箸を置いて、おもむろに、向かいの席に座る園加に切り出す。
「あのね園ちゃん、実はちょっと状況が変わってね」
 この台詞、晃星が言っていたのと似ているな。晃星も案外、就職関連のことで悩んでいるのかもしれない。無職だって言ってたし、もしかして、就職活動でもしているのかな。
「あん? 状況?」
 すでにとっくにお弁当を食べ終えていた園加は、ポリポリと食べていた菓子を成海にも差し出して、問い返した。食べながら眺めていた雑誌のページをめくる手を止める。
「私、バイトを辞めた」
「はあ?」
 目を丸くしたついでに、飲み込もうとした菓子が喉に詰まったらしい。ゴホゴホとむせ始めたので、成海は机の上にあった園加の飲みかけのペットボトルを手渡した。
「園ちゃん、お菓子はよく噛んで食べようね」
「あたしは幼児か! あんたのせいでしょうが!」
 ペットボトルのお茶を飲んで、ふうと一息つく。それをまた机の上に戻して、ぐっと身を乗り出した。
「バイトを辞めた?」
「常陸さんに、もう一切連絡は取りません、って伝えた」
「はああ?」
 素っ頓狂な大声を出した園加に、なんだなんだという感じで、教室にいる他の生徒からの視線が集まる。成海はちょっと恥ずかしくなったが、園加は相変わらずそんなことはまるで気にしていない。この堂々としたところ、非常に羨ましい。
「なによそれ。何があったの」
「あのね……」
 成海は、起こったことをかなりマイルドな表現にして、園加に話した。もちろん、駅での出来事や、無言電話のことや、笙子がアパートに来たことなどはすっ飛ばして。
 征司と、彼の恋人である女性が、成海のことが原因で少し揉めたようであること。女性のほうはそれが理由で体調まで崩してしまったこと。征司は責任感の強い性格なので、このままだとどんどん彼の負担になっていくであろうこと。
 園加は眉を寄せて黙って聞いていたが、成海の話がひと段落ついたところで、また菓子を取ってぱくっと口の中に放り込んだ。
「……で、あんたは二人に遠慮して身を引くってわけ?」
「その言い方は、なんだか微妙に違う気がする」
 それではまるで、征司と笙子と成海の三角関係のようではないか、と思ったのだが、俯瞰的に見ればそれも間違いではないのかもと思い直して口を閉じた。少なくとも、笙子の頭の中では、それに似た構図が出来ていたわけなのだろうから。
 そこに恋愛感情はない。でもそれは、かえって厄介なのかもしれない。同情心や親切心は、時に、その正しさ優しさで、反論を受け付けないからだ。浮気や心変わりなら簡単に責められても、純粋な善意や思いやりだったら責められない。向けた矢が自分へと返り、それが逆に人を追い込んでしまうこともある。
 ……笙子は、どんなに苦しかっただろう。
「常陸さんと私の考えが違う、っていうのは、前にも話したよね? その食い違いを上手に伝えられなかった。そういうことなんだと思う」
 征司はどこまでも、成海の保護者であろうとした。その気持ちには感謝しているし、ありがたいとも思うけれど、成海はそれを受けられなかった。それがはっきり判った時点ですぐに断ればよかったのに、どうすれば征司に嫌な思いをさせずに納得してもらえるだろうかと迷っているうち、笙子を傷つけることになった。
 結局、成海がフラフラと定まらないから、そういうことになる。
 あちらにもこちらにもいい顔をしようなんて、やっぱり無理だ。それは、どこかにひずみを生じさせる。
 自分の考えをしっかりと持って、ひとつひとつ、順番に片づけていかないと。
「ふーん……」
 園加はどこか面白くなさげに唸って、またひとつ菓子を口に入れた。
「園ちゃん、ダイエットするって言ってなかったっけ」
「うっさい。あんたも食べろ」
「ごめんね、心配して、わざわざ常陸さんに頼みに行ってくれたのに」
「……あのね」
 ものすごくイヤそうに、じろりと睨まれた。
「あんたそれ言うんなら、もっと皮肉に聞こえるように言いなさいよ。アンタが余計なことしてくれたせいで面倒なことになった、とかさ。本気で、悪かったなあ、ってな顔されると、そっちのほうがキツいのよ」
「ごめん」
 謝ったら、手の平でおでこをはたかれた。べちん! といういい音がして、また教室内の視線が集まる。
「痛いし、恥ずかしいよ、園ちゃん」
「ふん」
 園加はぷいっとそっぽを向いた。ペットボトルの蓋を開け、口をつける。
「……なんかいろいろあったんでしょ。あんた、最近、ずっと様子が変だったもんね」
 ぼそっと言われた言葉が、成海の胸を衝いた。
 そうか、やっぱり気づかれていたか。いつもと同じように振る舞っていたつもりだったし、園加も別に何も聞いてきたりはしなかったけれど。
 きっと、いろんなことに気づいていなかったのは、成海のほうだ。
「…………」
 口を閉じ、目の前の友人の顔を見た。ぶっきらぼうで、ちょっと短気で、けっこうすぐに手とか足とかが出る園加。ダイエット中だと言いながら、なぜかしら、しょっちゅうお菓子を持ってきては、太る時はあんたも道連れだと言って、やたらと成海にも食べさせようとする。
 ──ここにもまた、形の違う優しさがある。
 ありがとう、と言いかけて、やっぱりやめた。照れ隠しにまた殴られそうだ。
 代わりに、成海も机の上に肘を突き、園加のほうへと上半身を傾けて寄せた。
 あのね、と口元に手を添え、声を潜める。
「それでね、園ちゃんに相談に乗ってもらおうと思って。先生のことなんだけど」
 園加がにやりと笑った。


          ***


 放課後、教室にやって来た上田は、大人しく一人で席に座っている成海を見て、せかせかとした早足で近寄ってきた。
「話ってなんだ、天野。就職のことならまだ伝えるような内容は何もないぞ。こっちだってあれこれ手を尽くしているんだからな、いちいち時間を取らせるようなことはしないでくれないか。何かあったら常陸さんに連絡を入れるから──」
「はい、そのことなんですけど」
 成海は静かに頷いた。
「常陸さんには、私のほうからはっきりお断りしました」
「なに?」
 上田の目が見開かれる。
 征司が保護者代理の名乗りを上げてから、成海を相手に話す時は、まだしも普通の対応をとっていたが、それがここに来てまた以前のものにくるりと戻った。こちらに向けられる視線が、反抗的な生徒を見る、苛立たしそうなそれになる。
 はあっと大きなため息をつかれた。
「お前は、この期に及んで、まだそんなことを言ってるのか。この話は先生と常陸さんの方ですでについている。いちいち首を突っ込んで余計なことをしなくていい」
「首を突っ込むもなにも、これは私の問題ですから。当事者は私です。違いますか?」
 成海の言葉に、上田の怒りが隠しようもなく露わになった。
 彼にとって、成海は、何もわかっていないくせに、大人同士の話にあれこれと口を出しては場をかき回す子供のようにしか見えないのだろう。
「偉そうにものを言うな。大体、誰のおかげでこっちが苦労していると──」
「すみませんでした。いろいろと就職先も当たってくださったんですよね? ひとつも私のところには具体的な話が届きませんでしたけど」
 バン、と上田が机を叩いた。
「なんだその言い方は。それはお前に問題があるからだろう。そもそも、こんな時期に就職なんてことを突然言い出すほうが悪い。こっちだって忙しいのに、お前のことばかりにかかずらっていられないんだ」
 実際、どこまで上田が成海の就職先を探そうとしていたのかは、定かではない。時期が遅すぎる、というのはもちろんあるだろうし、成海の家庭環境が少々特殊だというのも、もちろんあるだろう。
 しかしとにかく、今に至るまで、成海の元には一件もそういう話は来ていない。必要書類は上田に提出してあるが、面接どころか、会社案内さえもらったこともない。
 ……上田のところで書類も話も止まっているとしても、成海は今さら驚かない。
「お前と話していてもラチが明かない。今度また時間を取るから、その時に常陸さんを連れてきなさい。何も無理に就職することはない、とあの人も言っていただろう」
 たとえばそういう場を設けて、一生懸命探してはみたけれどやっぱり無理だった、と征司に話せば、ああそうですか、だったら仕方ありませんね、ということになっただろう。
 それで終わり。上田はとにかく 「保護者」 との面談を経て、その了承も得たのだから、担任としての体面を保てる。学校には、進路未定者として報告すればよいだけのことだ。成海が卒業してしまえば、あとは何の関係もなくなる。
 上田の頭の中では、そういう予定がすでに出来上がっていたんじゃないかと思うのは、あまりにも嫌な考え方だろうか。
 臭いものには蓋。根本的な解決はしなくても、悪臭が外に漏れないよう、他人には知られないように、ただ蓋をして隠してしまえばそれでいいと。
 ……けれど、その蓋の役割を他人に求めるのは違うと、成海は思う。
 成海はそれを、了承できない。
「先生、常陸さんは、兄の先輩というだけの人です。私、何度もそう言いました」
「だからそんなことは」
「関係ありませんか? 赤の他人で、完全な第三者なのに? 常陸さんは、いきなり学校に来て、私の保護者になると宣言した、それだけの人です。どういう人なのかも判らないのに、私の責任者という立場を押しつけてしまっていいんでしょうか」
 上田の眉が吊り上がる。成海の指摘は、確実に、痛点を突いたらしい。
「──いい加減にしろ!」
 怒鳴られた。
 そろそろ来るかなと予想はしていたが、やっぱりその剣幕に、びくっとしてしまう。
「生意気を言うにもほどがある! 誰のせいでこんな面倒なことになってると思ってるんだ! お前のせいだろうが! お前が厄介なことを持ち出してくるからだろうが! ああ?!」
 大きな声は耳がじんじん痺れるほどによく響いた。上田はもはや、教師という名の皮も脱ぎ捨てて、一人の人間としての顔を剥き出しにして怒っていた。
 気の毒なほどに小心で、自己保身のことしか考えない。生徒のことは、自分が扱う商品のようにしか思わない。毎日を何事もなく過ごすこと、それだけが彼の望みで、その平穏を乱すものは、彼には悪でしかないのだろう。
 上田にとっては、それが真実。
 しょうがないのだ。そういうものなのだ。どうしようもない、と晃星は言ったっけ。どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、そういう問題でもない。
 成海はただ、それを理解しても、あちら側に流されたり、何も考えずに同調してしまってはいけない、ということなのだ。

 他人の真実に引きずられて、目をつぶってしまってはいけない。
 何も見えなくなって、自分自身までが揺らいでしまうから。

 成海はひるまず、上田を真っ向から見返した。声の調子を変えずに続ける。よく聞き取れるようにゆっくりと。
「私の兄は、ずっと行方不明のままです」
「だからそれが──」
「私、それをちゃんと先生にもお話ししました」
「今言ってるのはそんなことじゃ」
「先生はそれを学校には報告していないんですよね? 面倒なことになったら困るから。知らん顔していればそのうちなんとかなるだろうと放り出すことにした。厄介事には関わりたくなかったんでしょう?」
 成海の言葉に、上田は激高した。
 バン! と、さっきよりも大きな音を立てて手で机を叩きつける。
「それがどうした! そんなの、俺の知ったことか! クラスに生徒が何人いると思ってる! いちいち一人一人の家庭の事情にまで踏み込んでいられるか!」
 大声を張り上げてそう言った時、ガラッと勢いよく教室の戸が開いた。


「どーもー」
 愛想のない声を出してすたすたと入ってきた園加に、上田がぎょっとしたような顔をした。
「な……なんだ、盛田、今頃」
「すんませーん、忘れ物」
 園加はそう言うと、迷いのない足取りで成海が座っている席までやって来て、上体を屈め、ごそごそと机の中を探った。
「スマホ忘れちゃってー」
 そう言いながら、ラインストーンでキラキラとデコレーションしてあるスマホを取り出す。画面に目をやり、指でささっと操作してから、ふっと鼻先で笑った。
「用が済んだらさっさと出て行け。今、面談中だ」
「へー、面談。あたしにはセンセーの怒鳴り声しか聞こえなかったけど」
 園加に冷たく言われて、上田は一瞬言葉に詰まったが、すぐに吐き捨てるように返した。
「天野が反抗的な態度を取るから注意していただけだ。怒鳴っていたわけじゃない。指導だよ」
「へー」
 もう一度気のない声で返事をしてから、園加は今まで自分が見ていたスマホの画面をくるっと廻して、上田に見せつけた。
「ところでセンセー、これ知ってる?」
「? なんだ」
 上田がぽかんとする。この担任は、そんなに若者文化に詳しい方でもない。その画面を見ても、それがどういう役割をするアプリであるか、ということまでは判らないのだろう。
「今どきのスマホって、意外とスグレモノだってこと。通話や写メや録画以外にも、こーんな風に」
 にやっと口の端を上げる。

「ボイスレコーダーとしても、ちゃんと使えたりして」

「なっ……」
 上田の顔から、さあっと色が失せた。
「まさか、お前ら」
 上擦った声を出して、うろうろと視線を動かし、成海と園加を見比べる。成海はさすがに明後日の方向を向いてしまったが、園加はにやにやと笑って、楽しそうに担任が慌てふためく様子を見学していた。
「わざとじゃないし。たまたま電源入れて録音の状態で机の中に入れてそのまま忘れてただけだし。別に盗聴しようとしたつもりもないけどおー、えっ、なに、聞かれちゃまずいことでも話してた?」
 ノリノリだ。成海はこっそり園加の制服の裾を指でちょんちょんと引っ張ったが、見事なまでに無視された。
「なに話してたのかなあー。気になるからここで聞いてみよっかなあー。あっ、それとも、職員室とか校長室とかのほうがいいかなあー」
「……お前ら、教師を脅迫するつもりか」
 強張った顔をした上田が、押し殺したような声を出す。その問いに、園加は目を剥いて驚いた表情を作った。やりすぎです。
「やだなに信じらんない、生徒を犯罪者扱いする気?」
 はっきりきっぱり、これは脅迫だよ、園ちゃん……。
「生徒の家族がいなくなったっていうのに、今まで素通りを決め込んできた教師のほうが悪質だと思うんだけど。学校に報告もせず、相談にも乗らず、ずっと放置してきたのはあんたでしょ。成海がどれだけ困っていても見て見ぬふり。そんで他人に全責任をおっかぶせて卒業まで傍観しようとしてたんでしょうが」
 成海のほうでもそれは望んでいたことであるので、その件について強く言える立場ではないのだが。そしてその他人を巻き込むきっかけを作ったのは、今ここでふんぞり返っている園加本人なのだが。
「何が、知ったことか、だっつーの。授業以外のことは何もしない、ってんなら、塾の講師にでもなりゃーいいのよ。どうせ、あとで成海の兄さんのことが表に出たとしたって、知らなかった聞いてなかったで押し通すつもりだったんでしょ。これで成海に手のひとつでも出してたら、新聞社にネタを売って社会的に抹殺してやるところだっ」
「あの、そういうわけなので先生」
 舌鋒鋭い園加の攻撃を遮って、慌てて口を挟む。放っておくと、本当に友人を犯罪者にしてしまいそうだ。
「お騒がせしましたが、常陸さんには私のほうから断りを入れておきましたので、これ以降は連絡はしないでください。就職のことも、見つからないのなら、このまま卒業して、その後で考えたいと思います。面談も、もうしてもらわなくて結構ですから。それを、ちゃんと言っておきたかったんです」
 園加はちょっと不満気だったが、それでも口を閉じて黙っていた。ただ、成海のすぐそばで立っていてくれる。何も言わなくても、それだけで本当に心強かった。
「…………」
 上田は、どす黒い顔色でじっと固まって黙り込んでいたが、しばらくして、
「……勝手にしろ」
 とだけ低く言うと、ぱっと踵を返して、戸のほうへと向かった。
「この会話は保存しておくからね! 今度成海にひどい態度を取ったりしたら、校内放送で流れたりするかもしれないよ!」
 止める間もなく追い討ちをかける園加の言葉に、廊下へと出て行こうとしていた背中がびくりと揺れる。逃げるように走っていく足音が聞こえて、すぐに消えた。
 ……あーあ。
「上田がこれからどんな顔して教室に来るのか、当分楽しいわね」
 園加が悪い顔でくくくくと笑っている。成海は大きく息をついて振り向いた。
「やりすぎだよ、園ちゃん……」
「自業自得っつーのよ。バラされて困るようなことをする上田が悪いんだから」
「そうかなあ……」
 あまり人のことを偉そうに言えないような気がする。スマホを使って会話を録音、というのはもちろん園加の発案だが、正直、ここまで担任を動揺させるとは思っていなかった。成海も立派な脅迫者である。
 しかし何にしろ、これで上田はもう征司を成海の保護者に仕立て上げようとすることはしないだろう。かなり強引な手段を使ってしまったが、今までの上田の態度を見ていて、他に方法が思いつかなかったというのも事実なのだ。
 多分もう、責任を押しつけるための誰かを連れてこいと言いだすこともない。というより、今後、成海に近づいても来ないかもしれない。
 よかった……の、かな?
「ちょっと複雑だけど」
「いいっていいって。あースッキリした」
 園加は晴れ晴れとした表情をしている。
 きっと、さっき見た上田の様子を思い返しているのだろう。成海もしばらく頭から離れていくことはなさそうだ。
 あたふたと逃げていく後ろ姿が。
「…………」
 上田には悪いことをしたと思っている。それは確かに。ちゃんと反省もしている。もうしませんごめんなさい。
 しかし。しかしだ。
 ……なにも、あんなにも泡を食ったように逃げなくてもいいんじゃないかな。
 ちゃんと録音されているかどうか、確かめもしないで。
 園加と顔を合わせ、ちらっとお互いの目を見交わした。
「先生には悪いけど」
「悪くないって」
「やっぱり、ちょっと」
「楽しかった、でしょ?」
「うん」
 それから同時に噴き出して、二人で大笑いした。
 ……うん。

 笑うなら、心配させないためではなく、大事な人を楽しませたり、元気にするために、笑いたいよね。


          ***


 それから、園加と一緒に帰るため、昇降口から外に出た。
 空は薄っすらと赤く染まりつつあるが、校庭では、まだ部活動に励んでいる生徒たちがたくさんいる。かけ声が元気よく聞こえてくる中をお喋りしながら歩いていたのだが、なんとなく、周囲の雰囲気がそわそわしているように思えて首を傾げた。
 ユニフォームを着た、おもに女子生徒たちが、そこかしこで立ち止まって、ひそひそと内緒話をしていたり、くすくす笑ったりしているのだ。
「何かあったのかな」
「さあ。……あっ、ちょっと!」
 園加が知り合いらしい女の子を呼び止めて、訊ねてみた。
「ざわついてるみたいだけど、何かあった?」
「それがさあ──」
 彼女が言うには、校門のところに、一人の男の人が立っているのだそうだ。
 どう見ても二十代。それだけでも人目を引くのに、容姿もなかなかカッコイイ。ちょっとふざけて手を振ったりしたら、ニコッと笑いながら気さくに手を振り返してくれるのだという。
「背も高くてね、足も長くて、栗色の髪の毛が遠目から見てもよく目立つんだー。あたしも覗いてみたけど、校門にもたれて片手でスマホいじってるのがやけにサマになってるっていうかね! あれ、誰かの彼氏かなあ?!」
 女の子はきゃっきゃとはしゃいでいる。園加は少し呆れたような顔をした。
「へえ。こんなところで待ってたら悪目立ちするに決まってんのに、図太いね。……ん? どしたの、成海。顔、赤くない?」
「……園ちゃん」
「うん」
「別の門から出ない?」
「は? なんで。絡まれそうだとか心配してんの? 別に今どき、髪の毛染めてたってヤンキーってわけでもないでしょ」
「そうだよ、ひどいなー。俺、ずっと待ってたのに」
 ぽんと後ろから肩を叩かれて、成海は思わず、きゃあっ、と悲鳴を上げてしまった。



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