空中散歩

34.贈り物



 晃星からの連絡がないまま、クリスマスイブがやって来た。
 カレンダー上はこの日から冬休みということになっているが、二十三日が祝日なので、すでにその前日には二学期の終業式も終えている。
 店主と話し合い、冬休み中のバイトは、昼の十一時から二時までと、夕方の五時から八時までの二部制となった。
 その合間のぽっかり空いた時間は何をしているかというと、アパートに帰って荷物の片づけをしたり、宿題をしたりしていることもあれば、店で仕込み作業を手伝ったり、賄いの惣菜を買ったり作ったりしていることもある。そのあたり、店主もマツもかなり大らかで、好きなようにすればいいという感じなので、うんと気楽だ。最近は、アパートの部屋にいるよりも、ここにいるほうがよっぽど寛いだ気分になるようになってきた。
 そういうことはすべて晃星にもメールで知らせているが、返事がないので読んでいるかどうかは判らない。


「今日はクリスマスだねえ。なるちゃんは何か予定でもあるの?」
 と訊ねてきたのは常連客の一人だ。
 はじめのうち、見知らぬ女の子の存在に驚いて、あれこれと店主には聞いても成海本人には話しかけてこなかった客たちは、次第に慣れてきたのか、近頃は直接口をきいてくれるようになった。「なるちゃん」 と呼んでいるのは、もちろんマツがそう呼んでいるからで、みんな成海の本名も知らなければ店主とは赤の他人だということも知らないままなのだが、親しげに笑いかけてくれるようになったのは素直に嬉しいことだと思う。
「えーと」
「野暮なこと言うんじゃないの、デートっすよ、デート! 決まってるでしょー」
 お冷やを差し出しながら、なんと言ったものか迷う成海よりも先に、麺の上に具を載せていたマツがあっさりと答えてしまった。
 問いかけてきた中年の男性客が、へえ、という顔で目を丸くする。
「なるちゃん、彼氏いるんだ?」
「いるんすよ、カッコイイ彼氏が。リア充っつーやつっすよ。知ってます? お客さん、リア充」
「りあじゅー? いや、銃には詳しくないから、知らないなあ。でもそーかー、残念だなー、おじさん単身赴任中だから、もし予定ないなら食事でも誘っちゃおうと思ってたのになー」
「なに言ってんすか。やだね、このスケベ親父は。なるちゃんは俺の大事な妹分なんで、変な真似したら永久にこの店に出入り禁止っすよ」
「そりゃ困るよ。まあ食事ってのは冗談だけど、なるちゃん可愛いから、客の中でも狙ってるやつがいるんじゃない? 掃き溜めに鶴、とはよく言ったもんでさ、こんな汚い店で見ると、余計に若い女の子が良く見えるからなー」
「ちょっとちょっと、否定はしないけど掃き溜めって失礼な。それより俺の予定を聞いてくださいよ、今日はクリスマスツーリングをね……」
「親父さーん、俺の注文まだー?」
 結局、成海が何かを言うまでもなく、マツと客の間だけでその話題は終了してしまった。
 もちろん、そんな会話は、他にも大勢客がいる中での、店員と常連とのちょっとした戯れ混じりのお喋りに過ぎない。周りにいる客も、それを聞いてちょっと笑ったり、あるいはまったく耳にも入らないようにラーメンを食べているかのどちらかだ。店主はずっと知らんぷりで麺の湯切りをしているし、成海は成海で仕事に追われていたので、笑みを浮かべて聞き流していればそれでよかった。
 だからその時、「ごちそうさま」 とガタンと席を立った若い男性客が、どこか強張ったような表情をしていることにも、まるで気づかなかった。


 八時になると、マツは 「お疲れー! いってきまーす!」 とはしゃいでステップを踏むように店を出て行った。
 クリスマスだからなのか、客はいつもと比べてずっと少ない。マツがいない分、ちょっと手伝っていこうかなと思っていた成海も、もういいからと早々に店から追い出された。
「早く行かないと間に合わんだろう」
 店主も、マツの 「デート」 という思い込みを真に受けているらしい。成海自身は、そんなことは一言も言っていないのだが。
「その、なんだ……あんまり遅くまでは……いや、余計なお節介かもしれんが、しかしまだ高校生のわけだしな。私が古いのかもしれんけども、やっぱり」
 そしてどうやら、いろいろと口には出しにくい心配もしているらしい。むっとしたような顔で真面目な忠告を受けては、今さら本当のことも言いだしにくくなってしまう。
「わかりました、早めに切り上げます。じゃあ、いってきますね」
 にこっと笑ってそう言うと、店主は半分憮然としたような、半分安心するような複雑な表情になって、「うん」 と唸るように返事をした。
 そうして駅に向かい歩き出したものの、本当のところ予定などというものはないので、歩調はゆっくりだ。誰かとの待ち合わせに向かう途中なのか、後ろから急ぎ足でやって来た若い女性が、ヒールの音を立てて成海の傍らを通り過ぎていった。
 今頃、マツもいそいそとサンタの衣装に着替えてバイクに跨っているのかもしれないなあ、と思う。街はあちこちがキラキラと華やかに煌めいて、ケーキの箱を手にした男性や女性が、弾んだ足取りで家路を辿っている。このウキウキした雰囲気の中を、サンタの集団がバイクで走っていたら、乗っている人たちばかりだけではなく、見ているほうもやっぱり楽しいのだろう。
 ……中学生の頃までは、成海もクリスマスが本当に好きだった。
 母と一緒にツリーを飾って、ご馳走の用意をして、大きなケーキを買って帰る父を、今か今かと楽しみにして待っていた。いつもは友達との付き合いを優先してあまり家には居着かない兄でさえ、この日はちゃんと早めに帰ってきて、まだまだ幼い妹の相手をしてくれたものだ。クラッカーを鳴らして、どこで買ってきたのかパーティーグッズまで揃えて、つけヒゲなんかをして大いに笑わせて──
 両親がいなくなってからは、誠との二人だけのクリスマスになってしまったけれど、それでもこの日は必ずケーキを買って来てくれたっけ。二人じゃどう考えても食べきれないのに、わざわざ大きなホールケーキを予約して、チキンも買って、誰かに誘われても断り、成海のために、成海のためだけに、クリスマスを祝ってくれた。
「…………」
 ああ、駄目だな。
 こういうイベントがあると、すぐにいろんな思い出が甦ってきてしまう。普段は胸の奥にしまい込んでいる記憶が、抑えようとしても次から次へと噴き出してくる。現在、自分の目の前にある景色が、過去の景色とダブって、心のあれこれを刺激する。
 きっとそれだけ、成海の過去が幸せなものだったからなのだろう。道行く人々の楽しそうな顔を見て、強く激しく気持ちが突き動かされるのは、それに似た笑顔をよく知っているからだ。それだけ、周りにいた人たちが、そういう笑顔を自分に向けてくれていたという証だ。
 イルミネーションの輝きがじわりと滲んだ。大急ぎでぱちぱちと瞬きして、肩から下げたバッグの持ち手を握りしめ、足を速める。そうだ、帰りにコンビニで何か甘いものでも買おうか。たまには、少しくらい無駄遣いをしたっていいだろう。家に着いたらテレビを点けて、お風呂を入れて、それから……
 そう考えていた時、突然、誰かが前に飛び出してきた。
「あの!」
 一瞬、ぱっと膨らんだ驚きと期待と喜びは、すぐ前にいる人物を改めて目に入れて、すうっと萎んだ。
 立ち並ぶ店の明かりと賑やかなクリスマスソングを背に、歩道に立っているのは、セーターにジーンズにダウンジャケットという格好をした、黒髪短髪の若者だ。
 晃星じゃない。
「あれ……えーと」
 失望と落胆を表情に出さないよう苦労しながら、その顔を見て、首を傾げた。見覚えがあるなと思ったら、二日か三日おきにラーメンを食べに店に訪れる、常連客の青年ではないか。確か、今日も来たはず。
 いつも一人で来て、注文だけすると、あとはずっと黙って待って、黙って食べて出て行くという静かなタイプで、年齢は二十前後くらいかと思うのだが、学生なのか、働いているのかも、成海は知らない。
「こんばんは」
 とりあえずそう挨拶をすると、青年も固い顔つきながら、少しだけ頭を下げた。あまり気にしたことはないのだが、こうして相対してみると、わずかにニキビ跡も見える顔は、まだ幼さも残っている。
 いつもありがとうございます、と言ったほうがいいのかと思って口を開く前に、青年が再度、「あの!」 と声を出した。その音量と思い詰めたような響きに戸惑って、はい、と引き気味に返事をする。
 なんだろう。あの店のラーメンの味の秘密について教えて欲しいと言われても、成海はそこまでまだ詳しくはないのだが。いや大体、そんなスパイみたいなことは出来ないから、きっぱりお断りしないといけないのか。それともこの人もあそこでバイトしたいと思っていて、口利きを頼みたい、とかそういうことだったりして。

「あのっ、今日、デートってホント?」
「…………」

 あ、違った。
 少し上擦ったような急いた口調で問いかけられて、自分の勘違いに気づいた。スパイをしなくてもいいようなのはよかったが……いやよくはないか、これはこれで困る。
 ちょっと赤くなった。
「えーとー……」
 はいそうです、と答えたほうがいいのかな。でもここまで真っ向からされている質問に対して、嘘をつくのはどうかな。真面目そうな人だし、ナンパというのとは違うのだろうし、お店の常連さんだし、ううーーん。
「あの、そういうわけではないんですけど」
「違うの? じゃ、彼氏がいるっていうのもウソ?」
「あ、いえ、それは本当です」
 彼氏というのは恥ずかしいが、今は恥ずかしがっている場合ではない。慌てて肯定すると、青年は少しだけ肩を落としたが、またすぐ気負ったように眉を上げて、ずいっと詰め寄ってきた。
「付き合ってる人がいるの?」
「え、と、そうですね、はい」
「けど、今日は会わないの?」
「……はい。でも、あの」
「なんで? クリスマスなのに? おかしくない? 本当は彼氏なんていないんでしょ?」
 どうも、「クリスマスに会わないのは恋人じゃない論」 を持っているのは、マツだけではないらしい。青年は畳み掛けるように問いを重ねてどんどん距離を縮めてくるので、成海は少しずつ後ずさりながら首を横に振った。
「本当にいます。私にとって大事な人です。でも、今は忙しくて」
「忙しくたって、クリスマスに彼女を一人ぼっちにさせるなんてこと、普通はしないんじゃない? 俺だったら絶対、どんなことがあっても時間を作って会いに来るよ。普通はそうだよ」
「…………」
 普通は、を連呼されて、ムッとした。

 ──そんな言い方、変じゃない?

「普通かどうかは知りませんし、それはどうでもいいと思います」
「なんで? だって普通のカップルなら、クリスマスを一緒に過ごそうとするでしょ。それをしないのって普通じゃないよ。ねえ、それってホントに付き合ってるの? もしかして、ただの片思いってやつ? あのさ、俺、前々からあんたのこといいなって思っててさ、ちょっと話がしたいなって。予定がないなら、今から俺と」
「ごめんなさい、無理です」
 あまりにも一方的な態度がいささか腹に据えかねて、強引に遮って足を動かしたら、相手も一緒になってついてきた。
「だってこれから帰るだけなんでしょ? 俺さ、別に怪しいもんじゃないよ。この近くに住んでる大学生でさ、あの店にはよく顔を出してるし」
「お世話になっております」
 すたすたと歩きながら言ったが、同じペースで足を速める向こうも、まるで諦める気配がない。真面目そうなところがあるだけに、一度行動に出た以上、簡単に引き下がるつもりもないのかもしれない。もう、困ったな。
「ねえ、ちょっと話がしたいだけなんだってば」
「私、好きな人がいるんです」
「だから片思いなんでしょ? それともひょっとして遊ばれてんの? 好きなやつったって、クリスマスにも会わないなんて、彼氏でもなんでもないってことじゃない。そいつ、忙しいなんて言って、今頃どっかで他の女と会ってるのかもよ? それって最低だよね。俺ならそんなこと絶対にしないよ。呼ばれればどこでもすぐに行く。ねえ、それでも──」
 ぴたりと立ち止まり、くるっと振り向いた。
「それでもいいです」
 きっぱり言い切ると、同じように足を止めた青年が、言葉に詰まったように押し黙った。目を見張り、名前を知らない生物を見るように、成海のことを凝視する。
「もしも他の女の人と会っているんだとしても、私の気持ちはそれとは別ですから。あの人が今どこで何をしてるかということと、私があの人を好きだって思うのはまた違う話です。そうじゃないですか?」
 そう言ったら、相手は困惑したような顔をした。
「……意味がわからない。だって普通」
「あなたが思ってる普通が、私の思ってる普通と同じとは限りません」
「けど、それって所詮、都合のいい女ってやつじゃないか。そのこと、わかって」
「それでもいいです!」
 大きな声で言い返すと、ぱっと踵を返して、走り出した。
 青年はその場で立ち尽くし、成海のあとを追って来ることはなかった。


 ──電車の窓の外では、ネオンとイルミネーションの輝きに彩られた景色が流れている。
 扉近くに立った成海は、しかしそれに目をやることもなく、奥歯を噛みしめて、うな垂れた。
 こんなにも悔しくて、腹立たしくて、悲しいのは、なぜなんだろう。
 何も知らない人に、晃星を 「最低だ」 と決めつけられたことか。それとも、自分たちのことを、普通ではないからという理由だけで否定されたことか。それとも、自分の中の不安を、そのまま言葉にして直球でぶつけられてしまったことか。
 ……彼の言ったことに傷ついているのは、結局、成海が晃星のことを信じていないからなのだろうか。
 ぐいぐいと乱暴に拳で目元を拭ってから、顔を上げた。
 電車内にも、べったりくっつくカップルだけではなく、ケーキの箱を持った人や、オモチャの入った大きな袋を抱えている人が多くいた。きっと家では、彼らの帰りをわくわくしながら待っている家族がいるのだろう。
 この幸福な光景を見ながら、それでもただひたすら晃星の連絡を待つだけの成海は、そんなにも 「普通じゃない」 のか。
 電車がブレーキをかけた。車体が揺れて、足元がふらつく。すぐ近くにある銀色のポールをぐっと握って、傾きかけた重心を戻した。
 何にも掴まらず、一人でまっすぐ立っているのは、難しい。


          ***


 アパートの敷地の入口には、歩道との境界を示すように、膝くらいまでの高さのレンガで囲まれた、ささやかな植え込みがある。
 その植え込みに半分潜るようにして、狭いレンガの上に腰を下ろしている人物を見つけた。
 暗がりの中、街灯に照らされたその人は、ロダンの 「考える人」 よりもさらに上半身を傾斜させた格好で、深く頭を下げて身動きしない。顔は完全に下を向いて隠されていて、通行人からは、栗色の髪の毛で作られたつむじしか見えなかった。
 今度こそ、成海が知っているその人。

「こ……晃星くん?」

 心臓が飛び出しそうになるのを手で押さえ、そろそろと近寄って声をかけると、彫像のように動かなかった身体がびくりと揺れた。
 のろりと頭が持ち上がり、前髪の間から覗く瞳がこちらに向けられる。ぼんやりと焦点の合わない視線が成海の顔に当てられて、固く結ばれていた口元がふわりと緩んだ。
「あー……なるちゃん」
 ひょっとして、今まで眠っていたのか。そう思ってしまうほど、晃星の口調はいつもの彼らしくもなく茫洋としている。手をちょいちょいと動かして、こっち来て、という合図をするので、内緒話でもするのかと思って身を屈ませ頭を近づけると、そのまま両腕で囲まれて引き寄せられ、べったりと抱きつかれた。
 わあ、と慌てた。
「こ、晃星くん、ここ路上! アパートのすぐ前!」
「うん知ってる。別に構わないよ。It's all right.」
「私は構うんです! ちょっと、ちょっと離してくだ」
「やだ。あー久しぶり、この柔らかい抱き心地。俺もうホント限界だった。疲れたし、眠いし、死にそう」
 ジタバタ暴れる成海には頓着せず、晃星の腕はまったく離れていこうとしない。
 首元にぎゅうぎゅう顔を押しつけられて、恥ずかしいし、それでなくても態勢が不自然だし、すぐ目の前にはアパートがあっていつ住人と出くわすか気が気じゃない。成海は顔を赤くして、なんとか張りつく晃星を引き剥がした。
 そして少し距離を取ってみて、気づいた。
 闇の中でも判るほど、彼の目の下にはくっきりとクマが出来ていた。頬のあたりも以前より肉が削げて、顎が尖っている。そうなると晃星の顔立ちは、親しみやすさよりも鋭さが前面に出てきて、容易に人を近づけさせないような印象を与えた。
「……忙しかったんですね」
 膝を曲げ、積まれたレンガの上に座る晃星と目を合わせてそう訊ねると、彼の唇から深くて大きな溜め息が漏れた。
「うん、忙しかったっていうか、ちょっと精神的に追い詰められてた。睡眠不足で余計にカリカリするし。仮眠を取ろうかなと思っても、俺、人がいるところじゃぐっすり眠れないんだよ。それに追い討ちかけるように、スマホが壊れて」
 がっくりと首を前に垂らして、ごそごそと上着のポケットを探り、取り出したスマホを成海に向かって突き出してくる。
 画面が真っ黒のその機械は、何をどうやっても、電源が入らなかった。
「なるちゃんの声も聞けないし、メールも読めないし、俺もうマジでヘコみそうになった。かといって携帯ショップなんてないから、新しく買い替えることも、修理に出すことも出来ないし。一応普通の電話くらいはあるけど、さすがになるちゃんの電話番号までは暗記してなくて」
 それはそうだろう。成海だって、ボタンを押すだけで呼び出せる携帯の番号なんて、そらで言えるものは一つもない。
「ぜんぜん状況は前進しないしさ。俺もけっこう意地になるでしょ。せめてもうちょっと収穫がなきゃ、なるちゃんと顔も合わせられない、と思って……たら、こんなに遅くなった」
 ごめん、と言いながらごとんと頭を倒す。
 すぐ前にあるそのさらりとした髪の毛にそっと触れて、成海は静かな声で問いかけた。
「……それで、収穫はあったんですか?」
「ない。ないけど、もう限界。なるちゃんのことも心配だったし、俺の神経も擦り切れそうだったから、帰ってきた」
 晃星はずっと頭を下げたままだった。顔も見せず、ぼそぼそとした話し方なのは、自分の不甲斐なさを恥じているようでもあった。
 相当、精神的にも肉体的にも疲れているのだろう。成海が見つけるまでこんな場所で顔を伏せじっとしていたのは、眠っていたためではなく、多分、動く気力もなかったためだ。
「晃星くん?」
 少し迷ってから、口を開く。
「もしかして、今日がクリスマスだから無理して帰ってきた……とかじゃ」
 と成海が言いかけると、驚くような勢いで、晃星ががばっと顔を上げた。
 クマで彩られた目を、真ん丸に見開いている。
「え、うそ、今日ってクリスマス?!」
「…………」
 忘れていたらしい。
「ええっ、嘘でしょ、そういや俺、今年があと何日かってことにばっかり気が向いてて、そんなことすっかり頭になかった! マジで?! そういやなんか賑やかだなって気がしたけど、久しぶりに都会に出たからそう感じるのかと思ってた!」
「…………」
 成海が住むこのあたりは、繁華街からも遠く、決して、「都会」 と呼ぶような場所ではない。いつもファッション誌にそのまま載ってもおかしくないような洗練された格好をしている晃星の口からそんなセリフが出ると、非常に違和感がある。
「うっわ、最悪! スマホさえ壊れてなきゃ俺もクリスマスだって気がついたのに! つーかあそこらへん、そういうことに無頓着すぎ! 今日だってぜんぜんいつもの日常と変化なかったじゃん!」
 あそこらへん?
「どうしよ、俺、プレゼントも何も用意してなかった……!」
 晃星は頭を抱えて呻いているが、そんなことを言うなら、成海だってプレゼントなんて用意していない。
 そう返す前に、ぱっとまた顔を上げた晃星が、思いついたように声を上げた。
「あ、じゃ、ケーキ! せめてケーキ買いに行こうか?!」
「ケーキ屋さんはどこももう閉まってると思いますけど。コンビニも残ってるかどうか……それに晃星くん、甘いものは好きじゃないでしょう?」
「そういう問題じゃないじゃん! だってクリスマスなのにさ!」
「とにかく落ち着きましょう。ね?」
 晃星の手を取って、もう片方の掌でとんとんと宥めるように軽く叩くと、さっきまでよりもさらにがくーっと上半身が前のめりになった。座っている膝よりも下に頭が沈んでいる。
「……すげえ落ち込む」
 地の底から湧いて出るように低い声を聞いて、成海は首を傾げた。
「そんなにクリスマスのお祝いがしたかったですか?」
「そうじゃなくて……」
 顔が持ち上がり、まっすぐな視線が成海を覗き込む。
「なるちゃん、寂しかったろ?」
「…………」
 一瞬、どう反応していいのか困ってから、曖昧な笑みを浮かべた。
「クリスマスには必ず会わなきゃいけない、なんてことは思ってないですよ」
「違う。……今までのクリスマスのこと思い出して、寂しかっただろ。ご両親や、誠と一緒に過ごしたこの日のことを考えて、さ」
 手の動きが止まった。晃星は目を逸らさずにじっと成海を見つめて、もう一度、謝った。
「一人にして、ごめん」
 しばらく黙ってその顔を見返して、成海はゆっくりと目を細め、微笑んだ。
 ──ああ、そうか、と心の底から思った。

 晃星のこういうところが好きなのだ。

 恋人同士はクリスマスに会うのが 「普通」? そんなことはどうだっていい。
 晃星は、成海の気持ちを想像して、理解して、思い遣って、その上で、一人にしたことを申し訳ないと思ってくれている。ごめんと謝っているのは、この日は会うのが普通だから、という理由なんかじゃない。
 目の前に広がる楽しげな景色に、成海が何を重ね合わせて見ていたのか、ちゃんと考えて、大事にしようとしてくれている。成海が寂しいと思っていたことも、その寂しさがどこから来ているのかも、気づいてくれている。
 どこで何をしているのか判らなくても。たとえ実際には同じ時間を過ごせなくても。
 いつでも変わりなくこちらに向けられる、そういう晃星の心のありようが、成海は好きなのだ。
 だからやっぱり晃星がいい。呼んだ時にすぐに来てくれる誰かよりも、そばにいなかったことに落ち込む晃星のほうがいい。クリスマスだけでなく他のどんな時でも、声を聞いて、顔を見て、触れ合うのは、晃星であって欲しい。
 不安でも、怖くても、足が震えても、時々泣きたくなっても。
 やっぱり、晃星がいい。
 ぎゅっと強く彼の手を握って、立ち上がり、引っ張った。
「とにかく中に入りましょう。こんなに身体が冷えちゃったじゃないですか」
「そういや寒い。なるちゃん、あっためてくれる?」
「ストーブのほうが暖まるに決まってますよ、ほら早く」
「じゃあ、その前に買い物行かない? 好きなものプレゼントするから」
「クリスマスの贈り物なら、もう貰いました」
 たくさん貰いましたよ、と言って、成海は笑った。



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