猫の手貸します

case1:ペット探し

報酬はラバーズトーク(1)




「……ヒマですねえ〜」
 と言った時子の声は、特に大きくもない、普段どおりの音量であったのだが、ただでさえ狭い事務所内には、それは必要以上に響き渡ってしまったらしい。
「あのね時子君。悪口を言うと、幸せが逃げていっちゃうって、知ってる?」
 自分のデスクで、なにやらせっせと手を動かしていた所長の鈴鹿が顔を上げて、嫌そうに時子をじろりと睨んだ。
 確か鈴鹿は四十代だったはずだが、もともと小柄で貧相な顔と体格が、ますます老け込んで見える。きっと、家賃の計算とか、借金返済の計画とかを考えていたに違いない。彼がそういう顔になるのは、大概がそんなことをしている時だ。
「別に悪口じゃなくて、厳然たる事実じゃないですかあ。こんな可愛いピチピチギャルがせっかくバイトしてんのに、客が一人も来ないなんて、これじゃ宝の持ち腐れですよ」
 モップを手に、ぶうぶう言ってみる。いくら綺麗好きな時子でも、こんな狭い事務所、掃除なんてあっという間に終わってしまう。そんなに大して給料をもらっているわけではないとはいえ、退屈はキライだ。
「本人が言うことじゃないよね。大体、『ピチピチギャル』 なんて死語、誰も使わないから」
「えっ、そうですか? じゃあ、私みたいに若くて気が利いて溌剌としていて顔もスタイルもバッチリ決まった女の子のことを、なんて呼ぶんです?」
「僕に聞かないでくれる? 君、現役の大学生でしょ」
 放り投げるように鈴鹿に言われて、首を傾げる。友人にも指摘されるのだが、時子は今も昔も筋金入りのババアっ子であるため、時々言葉遣いがやたらとレトロになってしまうのだ。
「ねえ、環君、こういうの、なんて呼べばいいの?」
 と、時子は、この事務所の唯一の正規所員であり、自分の恋人でもある不破環に顔を向けた。
 窓際に並べられた鉢植えの花に、慎重に水をやっていた環が、こちらを振り返り、同じように首を捻る。
「さあ……。別に、普通に、『可愛い女の子』 でいいんじゃないのか」
 返された答えに、時子は 「そう? そうよね」 とにっこり笑って納得し、改めて鈴鹿に向き直った。
「そーゆーわけで所長、こんな可愛い女の子がバイトしてるんだから、もうちょっと時給を上げてください」
 いきなりの、しかも理不尽に堂々とした賃上げ交渉に、また細々とみみっちい計算を再開していた鈴鹿が、度肝を抜かれたように目を見開く。
「君、『客が来ない』 と言っていた同じ口で、なに言ってんの? 無理無理無理、絶対無理だよ!」
 これ以上はないというくらいの断固とした拒絶であったが、時子はそんなものではへこたれない。そもそもが破格の低賃金なのである。いくら恋人と同じ職場だからって、労働者としての権利は主張したいではないか。ヒマだし。
「いくらなんでも安すぎですよ! 今どき、こんな時給でバイトしてくれる子、私以外にいませんよ! ファーストフードよりコンビニよりスーパーのレジより、うんと低い!」
 言葉遣いは古くても、世間の労働基準賃金についての知識は、ちゃんと時流に沿っているのである。
「それでなくてもこんなショボい、あ、失礼、こんなビンボったらしい便利屋なんかで働く物好きは、環君と、環君にメロメロの私くらいのもんじゃないですか。所長はそのことにもっと感謝すべきですよ」
「失礼って、あとの言葉のほうが、どっちかっていうと失礼なんだけど」
「すいません、所長。トキは、悪気はないんだけど、根が正直な性格なんで」
「いやいや不破君もね? それは全然フォローになってないからね?」
 さらっとひどいことを言う環のほうに視線をやって、鈴鹿はなんとなく恨めしげな顔をした。
 相変わらず、環は淡々と花に水をやっている。ちなみに花を育てるのが彼の趣味というわけではない。「留守中、丹精込めて育てている花の面倒を見て欲しい」 という旨の依頼があったからである。
 そんな日常のこまごまとしたことを、わずかなお金と笑顔で引き受ける、それがこの、「スズカ便利屋」 だ。
 もちろん、まったく儲かっていない。


         ***


「……そもそもさあ、不破君と時子君って、どういう馴れ初めで付き合いだしたの? 二人に共通するものって、ほとんどないよね。時子君は今年十九で、不破君はもう二十五だから、学生の時期が重なるってわけでもないし。時子君、ここの客になったこともないし」
 鈴鹿はかなり露骨に話題を逸らすため、そんなことを訊ねてみたのだが、彼自身がびっくりするほど簡単に、時子はころりとその話題に乗っかった。
「やっだー、所長。私たちの馴れ初めが聞きたいんですかあ?」
 頬を染め、見るからにウキウキと弾んだ口調になった時子に、これはどうも墓穴を掘ったらしい、ということは、多分、鈴鹿でなくても考える。
「いや、ごめん、やっぱり聞きたくない」
「あれは私が高校二年の冬のことでした」
「聞きたくないって言ってるからね? 人の話くらい耳に入れようね、時子君」
「トキ、枯れた花は取ったほうがいいのか?」
 うっとりとした顔で、今にも長時間に及ぶ馴れ初め話をはじめようとしていた時子は、鈴鹿の声は完全に無視したが、環の声には我に返って反応した。
「あ、うん、そうよ。そっちに余分な栄養がいかないようにね……」
 と説明しながら環の方へと移動する時子を見て、鈴鹿はほっと安堵の息を漏らす。よくよく見れば、環の表情にも自分と同じようなものがあるのが見て取れた。そりゃあ、正常な思考を持った人間なら、自分の目の前で、自分に関するノロケ話なんか、聞きたくはないだろう。
 二人は、花の鉢を前に、あれこれと会話を交わしている。とはいえ、もっぱら喋っているのは時子のほうで、環は生徒のように大人しく説明を受けているだけなのだが。
 鈴鹿は、彼らを眺めて、少しだけ首を傾けた。
 時子は、まあ自分自身が言うように、結構可愛くて、(見た目だけは) 今風の女の子だ。軽くウエーブの掛かった焦げ茶色の髪が元気に肩の上で跳ねていて、さほど背は高くないけれどすらっとした身体にミニスカートとブーツがよく似合っている。
 対して環の方は、顔だけはなかなかの男前なのだが、なんというか、雰囲気が、もさっとしている、というか、だらっとしている、というか、全体的に 「やる気がない」 という感じがありありなのだった。間違っても面白いことを言って女の子を笑わせたり楽しませたりするタイプではなく、どちらかといえば、一日中でも黙っているのが苦にならないような男だ。
 しかし、そんな環にベタ惚れなのは、どう見ても時子のほうなのである。世の中は不可解だ、と思わずにいられない。
「馴れ初めはともかく、時子君は、不破君のどこがそんなに好きなのかな」
 ずっと疑問に思っていたことを口にすると、こちらを振り向いた時子は、きょとんとした顔をしていた。
「どこがって……え、逆に聞きたいんですけど、環君に惹かれない要素って、何かありますか」
 どうも、本気で言っているらしい。
「そりゃもう、山のようにあるんじゃないのかな。愛想がいいわけでもないし、いつも似たような服ばっかり着てるし、お世辞にも颯爽とした感じじゃないし、見るからに金もなさそうだし」
 職業も冴えないし……と言いかけ、慌てて口を噤む。いかんいかん、危うく自爆してしまうところだった。
 時子は鈴鹿の散々な部下評を聞いて、ぷうっと頬っぺたを膨らませた。
「なに言ってるんですか。こういうのを、『クール』 っていうんじゃないですか」
「絶対違うと思う」
「所長の好きな、なんていうんでしたっけ、ああ、『ハードボイルド』 ですよ。その中に出てくる主人公みたいでしょ」
「や、聞き捨てならないな、時子君。僕の前でハードボイルドを愚弄するのは」
 鈴鹿は実は、ハードボイルド小説が大好きなのである。そのために、一時は本気で探偵になろうとしたくらいなのである。環のような男がハードボイルドだと表現されたら、世界中のハードボイルド愛好家が泣いてしまう、と思った鈴鹿は、すっかりムキになって、彼らのために敢然と立ち上がって異議を申し立てた。
「愚弄じゃないもん!」
 自分の恋人が世界一だと思っている時子は時子で、そう言って、鈴鹿と真っ向から対立して睨み合った。
「………………」
 環はただ黙って、枯れた花を摘んで取り除くという、地味な作業に没頭している。
「違うね。不破君は絶対違う。ハードボイルドはタフガイで、煙草で、バーボンなんだよ。暴力とセックスの世界なんだ」
 その端的過ぎる決め付けもどうなのかなあ……と、環は花の世話をしながら内心で呟いた。
「合ってるじゃないですか。環君は頑丈で風邪なんか滅多にひかないし、煙草も吸うし、お酒だって飲みますもん。暴力は振るわないけど、こう見えてけっこうエッチは好きだし上手です!」
 自分が何を言ってるのか判っているのか、トキ。
「大体ねえ、ハードボイルドの主人公は、ここぞという時に、女性を上手に口説くことが出来るもんなんだよ。不破君に、それが出来るかな」
「え」
「え」
 同じ言葉が、同時にふたつの口から飛び出した。
 ひとつは、思ってもみなかったことを言われて目を丸くした時子、もうひとつは、変なとばっちりが突然廻ってきて心底ぎょっとした環だ。
「いや所長、そういうのを 『ハードボイルド主人公』 の定義とするのは、どっかおかしいと」
 しかし、非常にまともなことを述べた環のその意見は、二人にあっさりとスルーされた。多分今頃、世界中のハードボイルド愛好家が涙を流している。
「出来ますよ、環君にだって、それくらい」
「ふふん、そうかな。じゃあ、時子君も不破君に、日常的に愛の言葉を囁かれてるわけだよね。ひとつふたつ、教えてくれるかな」
「……うぐ」
 咄嗟に言葉に詰まった時子に、ふはははは、と鈴鹿は勝ち誇った笑い声をあげた。そんな鈴鹿は四十代である、もう一回言うが。
「ないでしょう、だから不破君はハードボイルドじゃない!」
「俺は別にハードボイルドじゃなくていいです」
「そんなことないもん! えっと、えーとー、『好き』 とか、『愛してる』 とか、そういうことでしょ。ええっとおお〜〜……」
 どうやら時子は高校二年の冬の出会いの時点から遡って、記憶を辿っているらしいのだが、あいにく、これという答えに出会えないようだった。
「えーと、えーと、あれ? あれれ? でも……」
 しきりに同じ言葉を繰り返しながら、眉を寄せ、考え込んでいる。次第に、顔が泣きそうになり、疑問形が切羽詰ったものになってきて、さすがに鈴鹿は可哀想になってきた。
「いや、あの、時子君、もういいから」
「よくありませんよ! え、だって、恋人同士なんだから、そんな言葉のひとつやふたつ……あれれえ〜??」
 鈴鹿はとうとう時子に憐憫の目を向けはじめた。
 ぶつぶつ言っていた時子が、ふいに、ぴたりと黙る。黙ったと思ったら、次にじろりと厳しい目を向けたのは、自分の恋人に対してであった。当然ながら。
「…………環君」
 低い声に、環があとずさり、縋るような目を鈴鹿に向けたが、それはすげなく無視された。孤立無援に、絶望しそうになる。
「待てトキ、あのな」
「環君は、私のこと、好きじゃないんだあっ!」
 すでに涙声になっている時子に詰め寄られて、環は疑問符でいっぱいだ。「ヒマだ」 と時子が言い出してからのこの時間、環自身は花の世話をしているだけで、なにひとつとして悪いことをしていないような気がするのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
「いや、好きじゃないなら、付き合ってないし」
「だって 『好き』 とも 『愛してる』 とも、言ってもらったことない!」
「え、言ったことなかったっけ?」
 環はとぼけたが、そんなもの、この状態の時子に通じるはずもない。
「ダメだなあー、不破君。女の子を泣かせるのは、男として最低だよ?」
 鈴鹿がもっともらしく環を非難する。あんたどっちの味方なんですか! と環は内心で毒づいた。そもそも言い合いをしていたのは、鈴鹿と時子ではなかったか。
「いや、けど、そういうのは別に言葉じゃなくても、態度で判るもんだと……」
 ぼそぼそと試みた反論は、しかし鈴鹿に一蹴された。
「なに言ってんの。何も言わなくても判るだろ、なんてのは、昔の大時代の男のセリフだよ。不破君は案外、オヤジくさいなあー」
「………………」
 正真正銘の 「オヤジ」 にオヤジくさいなどと言われて、環のショックは計り知れない。
「大体、態度って、どういうものを指してるわけさ」
「そりゃまあ、いろいろと……」
「環君は、私のカラダだけが目的だったんだあ〜っ!」
「いや待て、お前、今、『いろいろ』 っていうのを一直線にどこかに結びつけなかったか」
 形勢不利なまま二人に追い詰められて、じりじりと後退を続けていた環は、ついに事務所の壁際に背中をくっつける羽目になった。時子がじっと潤んだ瞳を真っ向からぶつけてくる。
「……そういうわけで環君、『トキ、愛してる』 って言って。今すぐ、ここで」
「………………」
 これじゃ脅迫である。
 絶体絶命の環のピンチを救ったのは、電話の呼び出し音だった。環はほっとしたが、時子は 「ちっ」 と舌打ちして、受話器を取り上げた。
 取り上げて、耳に当てた途端、
「はいっ、もしもしい〜! こちら、スズカ便利屋でっす!」
 今までの涙声はなんだったのかというくらいの晴れ晴れしい声を出す時子に、環はぐったりとその場に突っ伏した。時子のこういうところ、慣れてはいるのだが、慣れていたって、疲れるものは疲れる。
「時子君、『リンリン参上』 が抜けてるよ」
 と、鈴鹿が不満げに、時子に向かって小声で文句を言った。
 「リンリン参上、あなたの街のスズカ便利屋」 というのは、鈴鹿が考えたキャッチコピーだ。電話帳の広告欄にも、そう書いてある。電話の 「リンリン」 と、鈴鹿の 「鈴」 が掛け合った名作だと鈴鹿はご満悦なのだが、時子の友人は、このコピーを 「くそだっせえ」 と一言の許に切り捨てていた。今は、リンリン鳴るような電話はもうないし。
 なので、時子は知らんぷりで鈴鹿の注意を聞き流した。
「はい、ご依頼ですか?……ああ、ペットの猫ちゃんが迷子に。それはご心配ですねえ。はいもちろん、お探ししますよー」
 依頼内容は迷い猫探し、ということで、鈴鹿はいそいそと料金表を取り出し、環は捕獲用の網を取るため棚に手を伸ばした。あとは地図と、一応保健所にも連絡して……と段取りを考えながら、電話の応対を続けている時子の声に耳を澄ます。
「はい、じゃあ、詳しいことはお宅に伺って……。ああ、そうだ、その猫ちゃんの名前、なんていうんですか?」
 電話の向こうで、依頼主は飼い猫の名前を口にしたらしい。メモを取っていた時子の手が、ピタリと止まった。
「え?」
 時子の声が、営業用のものから二オクターブくらい下がって、環と鈴鹿は、ん? と顔を向ける。
「……トキ、ですか」
 呟くような時子の言葉に、鈴鹿がぶぶーっと噴き出した。



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