猫の手貸します

case4:代理恋人

嫉妬は恋の潤滑油(2)




 桂馬はそのまま、まったくなんの遠慮もなく事務所の中に入ってきて、時子の前に立った。悪びれない態度で、頭のてっぺんから足先まで、まるで品定めをするように視線を動かす。
「ふーん、時子ちゃんね。おじさんから、もう話は聞いた?」
「たった今聞いたところです」
 桂馬はきっと、こんな風に不躾に女の子を上から下まで眺めるという無礼なことをしても、自分が相手に嫌われることはない、という自信があるのだろう。彼はそういう、簡単に境界を踏み越える馴れ馴れしさで異性に接しても、不快に思われないすべを、ちゃんと心得ているようだった。
 いかにもタラシっぽい、というのが時子が抱いた感想で、それに対して特に好意や嫌悪は感じなかった。まあ有り体に言って、どうでもよかったのである。
 どうでもいい、なんて時子に思われていることを知らない桂馬は、嬉しそうに笑った。
「そりゃちょうどいいタイミングだったね。で、この依頼、受けてくれるんでしょ?」
「お断りします」
「……あんた、誰?」
 きっぱり言ったのは時子ではなくもちろん環で、桂馬はこの時になってようやく、彼の存在に気がついたらしかった。
「あ、あのね桂馬君。ここにいる不破君は、この事務所の所員でね、それでね」
 慌てたように説明する鈴鹿は、まだ少し環にビクついている。彼も甥 (正確に言うと妻) と、所員の板ばさみになって、いろいろと大変そうだ。今ひとつ、同情する気にはなれないのだが。
「……それで、時子君の恋人でもあるんだよね」
「へえっ」
 桂馬は軽く驚きの声をあげた。それから改めて環を見る瞳には、面白がる色がくっきりと浮かんでいた。片方の口角だけを上げる笑い方は、今までのものとはまるで違う。
「あんたがね。なーんか、時子ちゃんの彼氏ってイメージじゃないなあ〜。時子ちゃん、こういう男がタイプなわけ?」
「隅から隅までずずずいっとタイプそのものです」
 からかうような質問に、時子はコンマ一秒も迷わずに答えた。桂馬がさすがに少し閉口したような顔をする。
「……けど、これは純粋に仕事だろ? こんなことで独占欲丸出しなんてみっともないよ。そんな心の狭い男はどうかと思うけどな」
 楽しむような言い方だったが、桂馬の口許に浮かぶ笑みは、どこか醒めているように見える。彼の内面は、表に出る愛想のよさとはかなり違っているんじゃないか、と感じさせるものをちらりと覗かせていた。
「そういうことじゃない」
「へえ、じゃあどういうことさ」
 低い声で答える環と、挑発するように言い返す桂馬は、互いに睨み合って、段々と剣呑な雰囲気になってきた。
 時子は鈴鹿をちらっと見たが、案の定まったく頼りになりそうになかったので、しょうがなく口を開くことにした。
「私も質問があるんですが、緒方さん」
「桂馬って呼んでよ。なに? 時子ちゃん」
 くるっと振り返った桂馬の顔には、また最初のニコニコした笑いが貼り付けられている。すごい早業だわ、と時子は単純に感心した。
「緒方さんはわりと女性には不自由していないように見えるんですけど、他にこういうことを頼めるようなガールフレンドはいなかったんですか?」
「…………。『ガールフレンド』 って言葉をホントに口にする人、はじめて見た。いや、まあ女友達は確かにいっぱいいるよ。でも、そういうのに恋人役を頼むと、それはそれで、あとあと面倒くさいじゃん。フリだけをして欲しいのに、その後で絶対彼女ヅラされたりしてさ。おれ、そういう図々しいの、腹が立つんだよね。だったら最初からビジネスライクに済ませたほうがいいかなって」
「はあ……」
 そう言い切る桂馬は、いっそ清々しいほどに臆面がなかった。これを女性の敵と見るか、憎めない可愛さととるかは、きっと受け取り手次第で、彼の周囲にいる女性は大半が後者なのだろう。「どうでもいい」 と思っている時子は、そのどちらでもないのだが。
「時子ちゃんもそう思うだろ? それでこの依頼、君は引き受けてくれる気があるの?」
「まあ……私は別に、構わないんですけど」
 依頼人の主義主張はともかく、仕事は仕事なんだし、と思ってそう答えた時子は多分、やっぱり少し子供で、ちょっとだけ浅はかだった。
 だから、その時、環がさらに怖い顔をしたことの意味も、よく判っていなかった。
「じゃあ、決まりだ」
 桂馬は強引に言い切ると、環をちらりと見て薄く笑った。
「明後日の日曜、午前十一時ね。迎えに来るから、ここの駐車場で待っててよ。じゃあね」
 早口でそれだけを告げて、返事も待たずにぱっと背中を向けると、来た時と同じようにさっさと事務所から出て行ってしまう。叔父さんに別れの挨拶くらいしようよ桂馬君……と呟く鈴鹿の声が物悲しかった。
 その後ろ姿を見送ってから、時子は環の方を向いた。
「──あの、環君」
「時子」
 呼びかけた時子の声は、環によって遮られた。睨み付けるような目つきや、抑えられた声音よりも、その呼び方のほうに、どきんとしてしまう。環がこうやって時子の名を呼ぶのは、本当に滅多にない。
「時子、お前、全然判ってないだろう」
「は?」
 時子は言われたことにきょとんとして、瞳を瞬いた。どうしよう、本気で判らない。
「えっと……何が? あの、そりゃ、勝手に依頼を引き受けるような形になっちゃったのは、悪かったかなと思うけど、でも」
「そういうことじゃない」
 環は、桂馬に向かって言ったのと、同じ言葉を口にした。というかあの時よりも、含まれる苛立ちは遥かに増しているように聞こえる。
「あのさあ、不破君、時子君を責めないでやってよ。もともと、僕が悪いんだからさ」
「まったくです」
 鈴鹿の一見殊勝な発言に力強く同意して、口許を引き結んだ環は、さっきの桂馬と同じように二人に対して背中を向けると、荒々しく事務所のドアを開けて、出て行った。
 かと思ったら、すぐにドアの向こうから、ガン、という金属音が響いた。どうやら、廊下の消火栓ボックスでも殴るか蹴るかしたらしい。ビルの大家に叱られそうだ。
「……いやー、けっこう意外だな。不破くんて、あれで案外ヤキモチやきなんだねえ〜」
 環の姿が見えなくなってホッとしたのか、鈴鹿が感心するような間延びした声を出す。
「ううーん……」
 と時子は不可解そうに首を捻った。
 ……ヤキモチ、なのだろうか。
 あの怒りは、そんな言葉で表現されるものなのだろうか。
 環がヤキモチを焼くところなんて今までにほとんど見たことがないし、冷静になって考えてみれば、たとえ嫉妬をしたにしろ、環はあんな風に素直にそれを外に出す人間でもない。
 つまり、違和感だ。環が怒っているのは、それとはまったく別のところに、理由があるような気がする。
 しかし、時子にはその理由が判らない。

 ──全然判ってないだろう。

 環の言葉を思い出し、私、なにを判ってないのかな、と時子はしょんぼりした。
 恋人を怒らせたことより、その理由がまったく判らないというのは、とても悲しいことだった。


          ***


 日曜日は大学もないので、朝から時子は事務所に出勤したのだが (スズカ便利屋の定休は水曜)、その時すでに環はいなかった。
「あのね、ホラ、ちょっとお得意さんに早くから呼び出されちゃってね」
 と鈴鹿は申し訳なさそうに時子に言った。しかし、またしても視線があらぬ方向を向いているのは何故なのか。そんな彼の様子を怪訝に思いながらも、「そうですか」 と、時子はとりあえず頷く。
 ……二日前、事務所を出て行った環が、しばらくしてから帰ってきた時、彼は普段どおりの環に戻っていた。外で頭でも冷やしてきたのか、怒りの残痕はもうどこにも見えなかったけれど、それきり二度と桂馬のことを口にすることもなかった。だから時子も、却ってその件を蒸し返すことは出来なくなってしまい、結局、環の怒りの原因は判らないままだ。
 昨日の夜にも電話をしたのだが、環は 「明日は、何かあったら俺を呼べ」 と言っただけだった。スーパーマンみたいだね、と時子が返したら、携帯の向こうで、環はちょっと笑っていたけども。
 「何か」 っていうのは、つまり、桂馬が別れようとしている彼女が刃物でも振り回したり、という事態でも想定しているのかなあ、と時子は思う。そんなことになったら確かに困るが、本当に環に空を飛んできてもらうわけにもいかないから、対策を考えておいたほうがいいのかもしれない。
 そんなことを考えているうち、約束の時間の十分遅れで、桂馬はやってきた。事務所の狭い駐車場にはどう見てもそぐわない高級そうな車の窓から顔を出した彼は、シンプルなワンピースを着た時子を見て目尻を下げた。
「可愛いね、時子ちゃん。おれのためにオシャレしてくれたんだ?」
「大学にもよく着ていく普段着です」
「またまた。……あれ、そういや、あの男の姿が見えないけど」
 時子の後ろに立っているのが鈴鹿だけであることに気づいて、桂馬は不思議そうに言った。
「いやあのね、彼は仕事でね」
 時子が答える前に、鈴鹿が口を挟む。妙に慌てた顔をしているので、桂馬も訝しく思ったのだろう、時子にこっそりと耳打ちした。
「……なんか、おじさん、ちょっと様子が変じゃない?」
「所長はわりといつも変です」
 時子の躊躇ない答えに、桂馬は口を噤んだ。どういう仕事場なんだろうなあ、と思ったのかもしれないし、今後の親戚付き合いについて色々と考えたのかもしれない。
 それから、にやりと笑った。
「──つまり、自分の彼女が他の男と出かけるのを、指くわえて見てんのが悔しいってことか。ほんっと、器の小さい男だよね」
「緒方さん、ひとつ言っておきますけど」
「桂馬って呼んでってば」
「今後、私の前で環君の悪口を言ったら、遠慮なくぶっ飛ばしますからそのつもりでいてくださいね、緒方さん」
「け、い、ま。やれやれ、あんな男の、どこがいいんだかなー」
「どこもかしこもですよ」
 ここに至って、桂馬も、環のことで時子と言い合っても虚しいだけだということには気づいたらしい。はあっと溜め息をつくと、「じゃ、行こうか。助手席乗ってよ」 と時子に向かって言った。
「桂馬君、時子君は余所から預かってる大事な娘さんなんだからね。くれぐれも、丁重に扱ってよね。相手を興奮させないように、穏便に、間違っても時子君にとばっちりが向かないように気をつけて。そして用事が終わったら、すぐに帰らせるんだよ、いいね?」
 心配そうにそんなことを言う鈴鹿は、まるで本当に娘のデートを見送る父親みたいである。
 はいはい、と桂馬はおざなりに返事をして、アクセルを踏んだ。


          ***


 いつも同乗するのは環のバイクか事務所の軽トラくらいなので、時子はあまりこういう車に乗るのは慣れていない。
 で、慣れない時子がじっと大人しくしていたかというと、もちろん全然そんなことはなく、散々ナビをいじり倒していちいち歓声を上げるという子供みたいなことをして、桂馬に呆れられていたのだった。
「ねえ、そんなことよりさ、もうちょっと会話を楽しむとかしない? せっかくこうしてドライブしてるんだし」
「ドライブじゃなくて、単なる目的地への移動ですよ。それに、私と緒方さんの共通の話題って言うと、所長のことくらいしかないんですけど。じゃあ、その話で盛り上がりましょうか?」
「……無理だね。いやそういうことじゃなくてさ。たとえばそうだな、時子ちゃんの好きなものって?」
「環君ですかねえ」
「やめてくれないかな、そういうの。もう少しお互いの理解を深め合うような会話をしない? おれたち、これから恋人同士になるんだから、ボロが出たら困るでしょ」
「緒方さんのパーソナルデータは、所長から聞いて一通り頭に入ってますよ。それ以上のことは別に覚える必要があるとは思わないし、興味もないし」
「なんでそういうひどいことあっさり言うかな。おれは、時子ちゃんに興味があるんだけど」
「なんでですか?」
「なんでって、気に入ったからに決まってるでしょ? ねえ、いっそこのまま、おれと本当に付き合わない?」
「いやです」
 ソッコーで返されて、桂馬は片方の眉をちょっと上げた。
「なんで?」
 と、今度は自分の方から訊ねる。時子は、ずっとナビに向けていた視線を、ここでやっと彼に移して、真面目な顔で三本指を突き出した。
「私が環君を好きだというのがひとつ。異性としての関心を、緒方さんに全然持ってないのがひとつ。そしてあとひとつ」
 一本一本、指を折り曲げ、数えるようにして言う。
「緒方さんは、私のことをまったく好きじゃありません。その三つで、付き合わない充分な理由になると思うんですけど」
「………………」
 桂馬は少し黙ってから、ゆっくりと口許を吊り上げた。
「……なんで? おれ、君のことが好きだよ。いくらおれだって、まったく好きじゃない子に、こんなことは言わないよ」
「まだ会ったばっかりなのに?」
「だって、そんなもんでしょ、普通。見た目とかが気に入ってさ、なんとなく話も合いそうかなあって思ったら、とりあえず付き合ってみればいいんじゃないの? それで上手くいけばよし、合わなきゃ別れればよしっていう、簡単なことじゃない」
 それとも、と桂馬は皮肉っぽく笑った。
「君は恋愛ってもんに過剰に夢みちゃうタイプ? あの環って男が、運命の相手だとでも思い込んでんの? 鬱陶しいくらい一途に思い詰めるのが恋だって? そりゃあ幻想ってもんだよ、時子ちゃん。男と女なんてのは、バカみたいに底の浅いものなんだ。それぞれの自己満足と優越感で成り立ってるだけのもんさ」
「…………」
 今度口を噤んだのは時子のほうだった。それが迷いによるものだと思った桂馬は、さらに言い募る。
「大体、君の彼氏だって、結局はこうして仕事の道具として君を使うことに同意したんじゃないか。嫉妬はしても、その状況からトンズラして、見ないフリでやり過ごそうとしてるんだろ? このままおれが君に手を出しても、あいつは文句なんか言えやしない。あの男は、金と引き換えに、自分の彼女を他の男に差し出したんだから──」
「ああっ!!」
 その瞬間、時子が思いっきりパーンと両手を打って叫び声を上げたので、その唐突さに慣れていない桂馬は度肝を抜かれた。あまり驚いたのでハンドルを持つ手を揺らしてしまい、車が大幅に車線をはみ出してしまったくらいである。
「なるほど、そういうこと!」
「は……なにが?」
 もうちょっとで事故を起こしていたことなんてまるで頓着しないで、時子はものすごく納得したように大声で言った。ぽかんとして聞き返す桂馬など目もくれず、一人で何度もうんうんと頷く。
「そっか……」
 ちいさく呟いた。

 お金と引き換えに、信頼関係も全くない誰かの恋人役を引き受ける。
 時子はその行為を、「仕事だから」 と軽く考えていたのだけれど。
 ──でもそれは、自分で、自分を道具扱いすることに肯い、認めてしまう、ということでもある。
 相手が時子を 「そういう目」 で軽んじて見たとしても否定できない、自らを貶めるも同然のことでもある。
 その自覚もないまま、簡単に受けてしまった時子の浅慮を、環は怒ったのだ。
 ……自分の嫉妬なんかじゃなく、他の誰のためでもなく、時子のために。
 環の言うとおり。確かに時子は、全然なにも、判っていなかった。

「……あーもう、どうしよ。私ったら、ほんっとに環君のこと好きすぎて困っちゃう。世界中に愛を叫びたい」
 時子が頬を染めてしみじみくだらないことを言うと、桂馬は 「はあ?」 と眉を寄せた。
「なんか、ちっとも話が噛み合ってないような気がするよ。おれの言ってること、ちゃんと理解してる? 時子ちゃん」
「してますよ。してるから感動してるんじゃないですか。緒方さんは今この時、はじめて良いことを言いました」
「え、おれ、他にももっといいこと言ってると思うんだけど。──で、考え直す気になった?」
「は? なにがですか」
 環のことで頭がいっぱいの時子は、もう完全に、今までの会話を忘却の彼方に追いやってしまっている。
「やだな、だから、おれと付き合わないかって──」
 言いながら、桂馬がハンドルから外した片手を伸ばし、さりげなく時子の肩に廻そうとした途端。
 ブオン! と、すぐ後ろから激しい排気音が聞こえ、びくっとして、その手を引っ込めた。
「な、なんだよ、ビックリした。ふかしすぎだろ、後ろのバイク」
 忌々しそうな桂馬の声に、時子は頭を動かして、サイドミラーを覗いてみた。
 ……と。
 すぐ後ろには、なんだか見覚えのあるハーレー、そして見覚えのあるフルフェイスヘルメットのライダーが。
「………………」
 ──けどやっぱり、ちょっとは嫉妬もしてるみたい、と時子は思って、楽しそうに噴き出した。



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