猫の手貸します

case5:除草作業

毒を喰らわば皿まで(1)




「きんぴらごぼうがね」
 と、唐突に時子が言った。
 いや、それを 「唐突」 などという、ありきたりな表現で言っていいものか。なにしろこの時、スズカ便利屋の事務所内にいた誰も、きんぴらごぼうの話題なんて口にしていなかったのだし、食事や料理のことについて話し合ってもいなかったし、さらに言うなら、会話すらもしていなかったのだから。
 その時、鈴鹿は、例によって自分のデスクで何かのみみっちい計算を、環は煙草を咥えながら修繕などに使う道具の手入れを、時子本人も先月分の経費の振り分けをしていた、はずだった。BGMなんていうシャレたものとは縁のない事務所なので、誰も喋らなければ支配するのはひたすら静寂しかない。
 そのしーんとした空間に、いきなり時子が 「きんぴらごぼうがね」 と言い出したのである。あんまり出し抜けだったので、鈴鹿なんかは最初、言葉の意味が判らず、魔法の呪文かなにかとでも思ってしまったほどだった。
「……え? なに? 時子君、今なんて言った?」
 眉を寄せながら顔を上げて、鈴鹿が訊ねると、こちらを向いた時子は、どういうわけか同じように眉を寄せていた。
「だから、きんぴらごぼうですよ」
 だからって言われても。
「えーと、きんぴらごぼうって、あの、食べる 『きんぴらごぼう』?」
「他に何があるって言うんですか」
 時子は呆れたような口調で言った。どうしてこの状況で、自分が呆れられなきゃいけないのか、鈴鹿にはさっぱり判らない。
「きんぴらごぼうがどうかしたのか」
 と、環がちっともラチの明かない時子と鈴鹿の会話に割って入る。そちらに顔を向けた時子は、鈴鹿に対する時よりも、よっぽど柔らかい声を出した。
「あのね、きんぴらごぼうが、食べたいんだって」
「誰が?」
「川又のおじいちゃん」
「ああ、あの人ね……」
 と鈴鹿が頷いたのは、別にこのわけの判らない話の流れに納得したわけではない。川又のおじいちゃん、と呼ばれる人物がすぐに頭に浮かんだためだ。
 川又さんは、この事務所の近くに住む一人暮らしの老人である。
 数年前、「便利屋」 という物珍しさに惹かれて事務所を訪れ、仕事を依頼した。それが案外楽しかったらしく、以来、ちょくちょく来ては細々とした仕事を頼んでいくという、要するに事務所の常連なのであった。
 ちなみに、時々旅行をするからと言って鉢植えの花の世話を頼んでくるのも、この川又老人だ。大口の仕事はないが、貧乏事務所にとっては大変にありがたいお客さんではある。
「そういえば、さっき、電話を受けてたね。あれ、川又さんからだったのかい」
「そうです。仕事の依頼をしたいから、もうちょっとしたら行く、っていう予約のお電話で」
 予約なんてせずとも、この事務所は年がら年中ほとんど 「空き」 の状態なのだが、川又老人は、ここに来る時は、必ず事前に電話をかけてくる。
「相変わらず、律儀な人だよねえ〜。それで、その仕事の依頼っていうのが、きんぴらごぼうに関わるものなの?」
「きんぴらごぼうに関わる便利屋の仕事って、私、想像もつかないんですけど。そうじゃなくって、この間お話した時に、川又のおじいちゃんが 『旨いきんぴらごぼうが食べたくってなあ』 ってちらっと漏らしてたことを、今になって思い出したんですよ」
 そう言って、時子は少し考え込むような顔になった。この時点で、イヤな予感がするな、と思った環は、ダテに時子と恋人として付き合ってきていない。
「きんぴらごぼうねえ。けど、川又さんって、確か奥さんに先立たれて大分経つでしょ? 一人暮らしは長いから、自炊も慣れてるはずなんだけどな。それくらい作れるんじゃないのかな」
 鈴鹿はもちろん環ほど時子のことを判っているわけではないから、あくまで世間話をするようにのほほんとしている。
「きんぴらごぼう自体は作れるらしいですよ。でも、亡くなった奥さんが作ったものとは、どうやっても同じ味にはならないんですって。なにが違うのかねえ、って笑ってましたけど」
 川又老人は、時子がバイトに入ってからというもの、彼女のことがたいそう気に入ってしまったようで、事務所に来るたび、ずっと話し込んでいくのだ。
「ああ、亡くなった奥さんの味ね……」
 ちょっとしんみりとした口調になった鈴鹿にはお構いなしに、時子は口を少し曲げ、眉間に皺を寄せた。
「きんぴらごぼうって、そんなに難しいものなんでしょうか」
「え? いや、そんなことはないでしょう。要するにごぼうの炒め煮なんだし。まあ、味付けなんかは家庭によって少しずつ違うかもしれないけど」
 無責任に、というか、何も考えずに答える鈴鹿に、環は頭を抱えたくなってしまう。そんなこと言って、知らないぞ。
「所長でも作れますか」
「さあ……。僕もそんなに料理するわけじゃないからなあ。まあ、でも、大体の作り方くらいなら知ってるけど」
「じゃ、私に教えてください」
「は?」
 鈴鹿は目を丸くし、環はひそかに掌で顔を覆った。
 ──はっきり言って、時子にそんなことを教えるのは、サルに曲芸を仕込むよりも難しい。


「えーと、けど、教えるって言っても、大したことは……。まず、ごぼうを炒めてさ」
 困惑しながらも説明を始めた鈴鹿に、時子はしょっぱなから大いに不満そうな顔になった。
「手順がいきなり飛んでる気がします。ごぼうって、あの真っ黒くて長ーい物体でしょ? アレをどうやって、マッチ棒くらいの大きさに揃えるんですか」
「は……?」
 鈴鹿はさらに困惑が深まったような顔をした。無理もない。
「えーと、そりゃ、包丁で切って」
「あの細長いものをどうやって切ったらあの形になるのか、まったく判りません。特殊な技術でも要るんですか?」
「だから、まず五、六センチに切ってさ……って、あの、つかぬことを聞くけど、時子君、ごぼうの皮の剥き方なんかは」
「えっ。ごぼうって、皮があるんですか」
「………………」
 本気で驚く時子に、鈴鹿は無言になって、おそるおそる環の方へと視線を移した。ちょっと顔色が悪い。
「……あのう、不破君、時子君って、もしかして、料理とか苦手?」
「苦手というか、壊滅的にダメですね」
「…………」
 きっぱりと環に言い切られて、鈴鹿は泣きそうになった。ここでやっと、自分が取り返しのつかない過ちを犯したことに気づいたのだ。
「……じゃ、どこからどうやって始めればいいのかな。まず、ごぼうを洗って、それから」
「なんだ、最初は、洗うところからなんですね? じゃあちゃんとそう言ってくれないと。そうですよねー、ごぼうって、土がいっぱいついてますもんね。私も、あのまま食べる物じゃないんじゃないかなー、とは薄々思ってました」
「…………」
 時子は大いばり、かつ、大真面目である。こんな相手に、アク抜き、とか、千六本、などの言葉の意味を教えることから始めなければならないという、この先の道のりの絶望的なまでの長さに思いを馳せて、鈴鹿はくらっとした。
 なので。
「うん、わかった」
 こっくりと頷き、
「この先の料理法については、不破君に教えてもらいなさい」
 と、さっさと逃げの一手を取ることに決めた。
「ちょ、所長」
 汚っ、と環は目を剥いたが、一旦逃走態勢に入った鈴鹿は、ちょっとやそっとじゃ動かない。
「君、時子君の恋人でしょ。それくらい責任とって面倒見てあげなよ」
「この場合、所長がどこまでも無責任だって話ですよね? 大体、俺だってきんぴらごぼうの作り方なんて知りません」
「それは僕が教えてあげるから。大丈夫、不破君なら出来るよ」
「そりゃ俺には出来るでしょうけど、問題はそれをトキに教えるってことじゃないですか」
「うん、頑張ってね」
 ぼそぼそと二人で言い合ったところで、鈴鹿はもはや、環にすべてを押し付ける気満々だ。環はさらに文句を続けようとしたが、時子がじっとこちらを見ていることに気づいて口を閉じた。
「──環君、教えてくれる?」
 少し上目遣いに見上げるその顔は、意図的なのかどうかは不明だが、とにかくやたらと可愛くて、鈴鹿とは別の意味でくらりとしてしまう。時子ほどストレートに表に出ないだけで、実は環だって、惚れた相手には相当弱かったりするのである。
「………………」
 少し黙ってから、はあ、と息を吐く。
「……じゃ、今日、仕事が終わってからな」
 結局、そんな約束をすることになった。
 時子は嬉しそうに 「うん!」 と返事をしたが、環はなんとなく敗北感でいっぱいだ。

 ……だから、イヤな予感がしたんだよなあ。


          ***


「今回はね、庭の草むしりをしてもらおうと思って」
 しばらくしてから事務所にやって来た川又老人は、ソファに腰掛け、にこにこしながらそう言った。
 花を育てたり、盆栽の手入れをしたりするのが何より好きだという温和な川又老人の家には、そんなに広いわけではないのだけれど、それなりに整った庭がある。植木の入れ替えなどで、鈴鹿も環もそこには数回訪れたことがあるから、そう言われただけで、ああ、という顔をした。
「雑草を取り払えばいいんですね」
 鈴鹿が確認すると、老人は頷いた。
「うん、そう。草むしりくらい、今までは僕がやっていたんだけども、やっぱりトシかなあ、腰が痛くてつらく感じるようになってしまってね」
「お安い御用ですよ。ちゃんと綺麗にしますので、この不破君が」
 鈴鹿自身は、あまり肉体労働をする気はないのである。
「よろしく頼むね、不破君」
 了承の合図のように環が少しだけ頭を下げる。環の無愛想さは今に始まったことではないので、川又老人は特に気にした様子もなく、今度は時子に顔を向けた。
「その時は、時子ちゃんも来てくれるのかな」
 問われて、老人と向かい合って座った時子はにっこりした。
「はい、もちろん行きます。いつがいいですか?」
「そうだな……。特に急ぐわけではないけど」
「三日後くらいでもいいですか?」
「三日後? ああ、そりゃもちろん構わないけど。忙しいのかい?」
 いつもだと依頼をするとすぐに対応する暇な事務所なので、川又老人は少しだけ怪訝そうな表情になった。
「いえ、この事務所が忙しいわけでは全然ないんですけど、私にも、いろいろと準備があるじゃないですか。特訓の」
「特訓?」
「ところで川又さん、以前から不思議だったんですが、どうしていつも杖を持ってるんですか? そんなのがなくてもしっかり歩けるし、足だって丈夫ですよね?」
 非常に不自然な話題の逸らし方だったが、杖、と聞いて、川又老人は目を細めた。
 ソファに座る自分のすぐ横に立てたその杖を手に取り、愛しそうに撫でる。紫檀の、上等そうな杖だった。
「うん、これね。必要はないんだけれど、なんとなく格好いいだろう? それに、杖なんて持っていると、いかにも老人っぽくていいじゃないか」
 けっこうお茶目な人なのである。
「普通、老人っぽく見えないようにするもんですよー」
 時子が楽しそうに笑って言うと、川又老人もまた 「いやいや」 と笑った。
「年を取ったらそれなりに振舞った方が潔くていい。どうやったって、体力とかではナウいヤングには敵わないんだから」
「わあ、新しい言葉を知ってますね!」
 感心する時子の言葉に、新しくない新しくない、と自分のデスクにいる鈴鹿がこっそり手を振って突っ込んでいる。
「本当は、ポックリと逝ってしまったほうが、もっと潔くていいんだろうけどもねえ」
 老人は、はは、と笑いながらそう言った。冗談のような、それでも少しばかり本心も混じったような微妙な言い方で、鈴鹿はどう返事をしたものだか迷ってしまう。
 しかし、時子は迷わなかった。
「そんなことを言ったらダメです」
 素早く返した時子の口調は少し強すぎるくらいのもので、川又老人はちょっと驚いたように口を噤んで見返した。鈴鹿はきょとんとし、環は目を伏せる。
「ダメですよ」
「…………」
 もう一回同じことを繰り返す時子に、川又老人は一呼吸間を置いてから、「うん」 と素直に頷いた。
「そうだなあ」
 そうしてから、すまなかったね、と優しい声で謝った。



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