猫の手貸します

case6:ボディーガード

絆という名の諸刃の剣(1)




 いつものように、モップを手にスズカ便利屋の小さな事務所内を隅から隅まで忙しなく動き回っている時子だが、今日はその彼女の後ろを、カルガモの子供のようにちょろちょろとついて回る存在がある。
「もうっ! 緒方さん、本っ気で邪魔くさいですよ。ソファに大人しく座ってるか、今すぐ出て行くかしてください!」
 とうとう辛抱ならなくなって、くるっと振り向いた時子がぴしりと厳しく言い渡したものの、相手はまるでけろりとしている。
「だからさ、時子ちゃんのケータイ番号とメアドを教えて、って言ってるだけじゃん。教えてくれたら大人しくするよ。帰らないけど」
 スズカ便利屋の所長の甥っ子であり、結構な色男だがどうしようもなく軽い桂馬の台詞は、そこらのナンパ男と大差ない。何度も事務所にやってきては同じことを繰り返す分、どちらかといえば、それよりもタチが悪い。時子は深い溜め息をついた。
「だからこの前、教えてあげたじゃないですか」
「あの番号、かけたら、どっかのオッサンが出たんだけど」
「そうなんですか? それで、どうしたんです」
「すぐにたたっ切った」
 この会話を自分のデスクで聞いていた鈴鹿は、ついこの間、自分の携帯にかかってきて、もしもし? と出た途端、ブツッと乱暴に切られた発信者不明の電話のことを思い出した。
 携帯の番号をお互いに知らないのはともかく、叔父さんの声も判らないってどうなのかな、桂馬君。
「どうしてもケータイが駄目なら、自宅の電話番号でもいいよ」
「絶対いやです。そもそも、緒方さんにそんなものを教える義理も必要もありません」
 時子はどこまでも手厳しいが、桂馬にはちっともメゲた様子はない。きっと、これまでもずっとこんな調子で、ほとんど相手にされないのに果敢に攻勢をかけ続けているんだろうなあ、というのがイヤでも推測できるくらいだった。
 彼の今までの使い捨てのような女性関係のことを考えると、ついその努力を称賛したくなるくらいの、根気のよさである。それとも、異性に冷たくされることに慣れていないから、そうされると快感を覚えることに気づいちゃったとか。いや、でもそれはそれで、ちょっと問題だよな。
「時子ちゃんになくても、おれには必要なんだよね」
「なんでですか」
「おれがこうして必死に口説いてるのが見えないのかな。時子ちゃんを誘うのに、いちいちこの事務所に来なきゃいけないって、不便極まりないでしょ?」
「誘わなきゃいいだけの話です。どうせお断りするという結果に変わりはないわけですし。大体、仕事はどうしたんですか。今は夕方ですよ。普通の社会人は、まだ就業時間のはずですよ」
「得意先廻って、ついでに直帰、って言ってあるんだよねー。だから時子ちゃんと一緒に、ゆっくり夕飯でもと思って、こうしてここに来たんじゃない」
 それはどう考えてもスチャラカ社員の言い草なのだが、桂馬はこれで、意外に有能なセールスマンであるらしい。少し着崩した仕立てのいいスーツ姿はそれなりに色気があって、きっと女性客にはウケがいいのだろうと思われる。
「こんな胡散臭い人と食事なんて御免です」
 きっぱりと言い放つ時子の返事に、もっともだ、と鈴鹿は心から納得してしまった。かと言って、時子の恋人の環だって、お世辞にも明朗快活な好青年とは言いがたいのだけれど。
「じゃ、おれの誠意を判ってもらうためにも、お互いによく知り合わないと。それにはまず、会話が不可欠だよね。というわけで、ケータイ番号教えて」
「緒方さんの誠意なんて、どうせミジンコくらいしかないんだから、判ったってしょうがないです。よって、個人的な連絡先も教える必要はありません」
「なら、おじさんに聞いてもいい? 雇用主だから、それくらい知ってるでしょ」
 とうとう、こっちにお鉢が廻ってきてしまった。甥っ子の期待に満ちた眼差しと、「教えたら殺す」 という時子の剣呑な目つきを一身に受けて、鈴鹿は思わず隠れるように椅子に沈み込む。
「いやいや桂馬君、それはね、個人情報だからね、他人に教えると何かと問題がね」
「他人だなんて、いやだな。おじさんとおれの仲じゃん、固いこと言わないでよ」
「ただの親類関係だし。それに、僕と君とは昔からそう友好的じゃなかった気がする。電話の声も判らないくらい」
 そんなことをもごもごと言って、鈴鹿は縋るような目を、デスクの後ろの窓に向けた。不破君、早く帰ってきてよ、と祈るように心の中で念じる。彼に仕事を命じたのは、他ならぬ自分であるわけだが。
 その視線の意味に気づいたのか、桂馬が今になって、わざとらしくきょろきょろと事務所内を見回した。事務所に来た最初から、環が不在であるのは判っていたに決まっているのに。
「あれー、そういえば、今日はあの無愛想男がいないよね。なに、仕事?」
「他に何があるって言うんですか。私の環君は、緒方さんと違って真面目に働いてるんですから」
 そう答える時子は、いつものノロケとは程遠い、むっつりとした顔をしている。そういうところ敏感な桂馬は、そこでぴんときて、にやりと口角を上げた。
「はーん、時子ちゃん、どうもずっと機嫌が悪いと思ったら」
「私の機嫌が悪い原因の99パーセントは、私の掃除の邪魔ばっかりする緒方さんなんですけど」
「つまり、不破が今行ってる 『仕事』 ってのが、女に関わるものなんだろ」
「………………」
 いきなり図星を衝かれては、時子だって黙りこむより他にない。
 桂馬はますます楽しそうな顔になって、黙ってしまった時子から、鈴鹿へと矛先を変えた。
「どういう仕事なの? おじさん」
「うーん……」
 鈴鹿は曖昧に返事をする。仕事の内容を第三者に漏らしてもいいものか、という倫理以前に、非常に説明しがたい部分があるからだ。ちらっと時子を見てみたが、そちらは完全に口を固く結んでしまっている。
「要するにまあ、ボディーガードみたいなもん、かなあ」
「はあ?」
 その答えに、桂馬は素っ頓狂な声を上げた。そりゃあそうだろう。
「不破に、そんなこと出来るの? ていうかそれ以前に、便利屋って、そんなこともやるの?」
「しないよねえ、普通」
 しみじみと言う。ボディーガードというのもおかしい気がするが、とはいえ他にどう言えばいいのかも判らない。普通の仕事、といえばそうだし、ちっとも普通じゃない、といえばそうだ。つまり、ちょっとした事情が絡んでいるのである。
 その事情に、鈴鹿自身はまったく無関係なのだけれど。
「……そもそもの事の発端は、一週間前にね」
 と、鈴鹿は口を開いた。事情を訊ねた時に、環と時子からざっと説明された内容だから、彼にだって詳細までは知るはずもないが、話としてはそんな複雑なものでもない。

 一週間前のその日、仕事を終えた時子と環は、一緒に駅に向かって夜道を歩いていた、のだそうだ。
 電車に乗って帰る時子を、環が見送るためである。
 時子はいつも大学が終わってから直接事務所に来るので、バイクに乗れる服装をしている時は環が家まで乗せていくのだが、そうでない時は電車で帰る。そしてそういう場合、環は必ず駅まで時子を送っていくのだという。鈴鹿は部下の私生活まで関与しない主義なので知らなかったのだが、環はあれで結構マメな彼氏であるらしい。驚きだ。
 ──しかしその途中、ちょっとした厄介ごとに巻き込まれた。

「厄介ごとって?」
「男が、女の子を殴ってるところに、遭遇したんだってさ」
 鈴鹿の答えに、桂馬は、うわ、という感じで顔を顰めた。
「路地の暗がりで、女の子は泣きながら謝ってるのに、男が怒鳴りつけながら、頭を殴ったり、足を蹴ったりしてたって。それでまあ──不破君が、止めに入って」
「へえ。そいつをぶん殴って?」
「殴るも何も、環君が声をかけただけで、逃げて行っちゃいましたよ」
 時子が肩を竦める。結局、そんな男は根本的に小心者なのだろう。
「つまり、DVってやつ? 女の子を殴るなんて、サイテーな男だね」
「そうですね、緒方さんとはまた別のタイプのサイテー男です」
「ちょっと時子ちゃん……」
 桂馬が苦々しく反論しかけたところを、「まあまあ」 と鈴鹿は慌てて割って入った。
「それで、その女の子が……女の子っていうか、二十代の娘さんなんだけどね」
 少し言葉を濁したのは、彼女が今回の仕事の依頼人であるからだ。


          ***


 女性は、木下絵梨と名乗った。
 周りは薄暗いのではっきりとは判らないのだが、見たところ、出血しているわけでも、緊急に手当てが必要な怪我をしているようでもない。近くのワンルームマンションに住んでいるということだったので、時子と環はそこまで彼女を送っていくことにした。
 というか正確には、送っていく、と主張したのは時子で、環はそれについてきただけなのだが、絵梨はずっと泣きながら環の腕を両手で抱き、ぴったりと寄りかかるようにして歩いていた。怖かったのだろうし、まだ不安もあるだろうし、助けに入った環を頼りたいという気分になるのは理解できたから、それに対して時子も何も言わなかった。
 歩きながらぽつぽつと語ったところによれば、絵梨を殴っていたのは彼女が現在付き合っている男で、普段は優しいのだが、時々かっとなると手がつけられなくなるらしい。この時も、デートの帰り道、絵梨が口にした些細な一言がもとで突然激昂し、暴力を振るい始めたのだという。
「余計なお世話かもしれませんが、そんな人は、さっさと見限っちゃったほうがいいんじゃないんでしょうか」
「うん……でも、別れたいって言えば、また殴られるし」
 時子の言葉に、絵梨はしゅんとうな垂れて言った。うーん、そうか……と、時子も困惑する。ここで、それでも強引に別れろとか、どこかに引っ越せばいい、とかの無責任な発言は出来ない。そんな男は、どういう風にキレるのか、想像が出来ないからだ。
「環君、どうすればいいのかな」
 時子が訊ねても、環は興味なさそうに 「さあ……」 と答えるだけだった。視線は前方に向けたまま、縋るように絵梨にしがみつかれている自分の腕をだらんとぶら下げ、本当にただ単に 「貸している」 状態である。
「……あの、この辺の方ですか?」
 と絵梨が問いかけたのは、はっきりと環に向かってだったが、環は無言を通している。無愛想と言っても、いつもはここまで露骨に無視したりはしないのに、どうしたのだろう。
 続く沈黙に耐えかねて、仕方なく、時子が代わりに答えることにした。
「私たち、この近くの便利屋で働いてるんです」
「便利屋?」
 そこではじめて、こちらを振り向いた絵梨は、なんとなく頼りなさげな、ふんわりとしたタイプの女性だった。ゆるくウエーブのついた背中まで伸びた髪とか、大人しそうな服装から、そう思ったのかもしれない。個性や主張はまるでなく、ただ全体的に、「清楚にまとめてみました」 という感じ、としか言いようがない印象を受けた。
 そして、今更になって、時子にも気づいたことがある。
 ……あれだけ泣いていたのに、ほとんど化粧が崩れてない。
「便利屋っていうと、ペットの散歩をしたり、代わりに買い物に行ったりする、あれ?」
「そういうこともしますけど、いろいろですね」
「そう……」
 絵梨は頷いて、腕を抱くその手に、ぎゅっと力を篭めた。また環の顔を見上げ、呟くように繰り返す。
「便利屋さんか……」


          ***


「それで、その翌日から早速、その彼女から依頼が入ってさ。最初は、模様替えをしたいから、家具の移動を手伝って欲しい、ってことだったかな」
「最初、は?」
 鈴鹿が言うと、桂馬は軽く首を傾げた。話す二人を放って、時子はさっさと掃除を再開している。
「それから毎日、電話がかかってくるんだよねー。網戸が破れたから修理して欲しいとか、ベランダの排水溝が詰まってるみたいだから見て欲しいとか。で、依頼の際に必ず付け加えるわけ。『ちょっとしたことをお願いするだけなので、来て頂くのは不破さん一人でいいです』 って」
「へえ〜」
 桂馬は感心したように声を出して、薄っすらと皮肉な笑いを口許に貼り付けた。
「……そりゃまた、あからさまだね」
 ちらりと目を動かして、黙々と掃除をしている時子を窺い、ぷっと噴き出す。
 ──時子ちゃん、そんなに力を入れると、モップの柄が折れちゃうよ。
 鈴鹿も、妙なオーラが立ち昇っている時子の背中を見て、こっそりと溜め息をついた。
「僕もさりげなく注意してみたんだけど、『また彼氏が怒鳴り込んで来るかと思うと、怖くて怖くて、少しの間でも誰かにいてもらいたいんです』 って、電話の向こうでしくしく泣かれたら、それ以上強く言えなくてさ。とにかく依頼は依頼だし、料金もその都度きちんと払ってくれるし、断るわけにもいかないんだよね」
 少し言い訳じみたことを言っているのは、鈴鹿は鈴鹿で、それなりに時子に対して慮っているところがあるからなのだろう。
「なるほど、それで 『ボディーガード』 ね。けど、いくらここがヨソに比べて低料金だからって、菓子を買ったりするのとはわけが違うでしょ。よく金が続くよね。大体、今日だって平日だし。その子、仕事は何してんの?」
「うん、桂馬君は人のこと言えないと思うんだけどね。フリーターらしいけど、どうも実家がけっこう裕福のようなんだな。住んでるワンルームも、家賃は親が払ってて、生活費も貰ってるみたいだ」
 料金の滞りがあっては困るので、そのあたりの聞き込みは抜かりない鈴鹿なのである。
「脛かじりの分際で、便利屋を雇ってんのか」
「いや、桂馬君は人のこと言えないからね。二回言うけどね」
 叔父の念押しをさらっと無視して、桂馬は時子に顔を向けた。
「──で、どうすんの? 時子ちゃん」
 ようやく掃除を終えた時子が、物置のドアの手前で振り返る。
「どうするって、何がですか」
「この際、不破なんてその女にくれてやったら? あいつだって、断りもしないで毎回その女のところに行ってるんだろ? そりゃ、悪い気はしないだろうからな。据え膳食わぬは男の恥だし。ていうか、おれだったら、どんな女でも、差し出されたらとりあえず絶対食うし」
 にやにや笑いを浮かべてそんなことを言う桂馬を、時子は無言で見返した。いつもみたいにきいきいと賑やかに怒るかと思えば、いっそ無表情に近くて、鈴鹿は怖くなった。
「今頃、狭いワンルームの中で、二人っきりで何してるんだろうねえー」
「…………」
 桂馬君、とさすがに鈴鹿が嗜めようとして口を開きかけたところで、時子はくるっとまた背中を向けて、物置のドアを開け、その中に入っていってしまった。
 次の瞬間、バンッ! というけたたましい大音量と共にドアが叩きつけるように閉じられて、事務所内がびりびりと震える。
 ものすごく楽しそうに、喉の奥でくつくつと笑い続ける桂馬を見て、鈴鹿は再度溜め息をついた。



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