猫の手貸します

case6:ボディーガード

絆という名の諸刃の剣(2)




 その日の依頼内容は、「テレビとブルーレイレコーダーの配線を、誤ってすべて抜いてしまったので、直して欲しい」 というもので、環が絵梨のワンルームに到着して検分すると、本当に全部の配線が抜かれて、テレビはもちろんその周辺機器も、まるで使い物にならなくなっていた。
 この場合、何をどう間違うと、こんな風に線を全部引っこ抜いてしまえるんだか、などという疑問を感じるだけ無駄というものなのだろう。絵梨は絵梨で、その説明すらする気はないらしく、ただ、環が黙って順次線を繋いでいくのを、「わあー、すごーい」 とはしゃいだ声を上げながら見学しているだけである。臆面のなさも、ここまでいくとそれはそれで立派だ。
 仕事自体はすぐに終わって、テレビもレコーダーも問題なく作動することを確かめてから、環は立ち上がった。
「じゃあ、これで──」
「あ、待って、待ってください。今、コーヒー淹れましたから、飲んでいってください、ね?」
 終了を告げるのを遮るように、絵梨が両手を振って押し留める。いつの間に用意したのか、部屋の中の小さなテーブルには、上品な白いソーサーとカップが置かれていて、カップからは湯気が立ち昇っていた。
 環は表情を変えずにそれを見て、それから絵梨の方へ視線を移した。
「……せっかくですけど」
「あ、ダメですよう。また、『仕事中だから』 って言うんでしょう。私、電気屋さんにも、ガス屋さんにも、うちで作業してくれた人には、こうしてコーヒー淹れて、飲んでいってもらうんですから。お酒を勧めてるわけでもないんだし、お仕事が終わったあとの一杯くらい、いいじゃないですか」
 少し拗ねるように唇を尖らして、絵梨は訴えるように言い募った。
「それに、不破さんが飲んでくれなかったら、このコーヒー、捨てなきゃいけないですよ。私、不破さんのために、心を込めて淹れたのになー」
「…………」
 小さな溜め息をついて、環はその場に座り、カップの取っ手に手をかける。絵梨はその様子を、テーブルの上で頬杖しながら、にこにことして眺めた。
「不破さんって、本当になんでも出来るんですね。器用だし、手際もいいし、こんな難しい配線なんかも迷わずやっちゃうし。すごいですよね」
「……別に」
 言葉少なに返したのは、ちっとも謙遜ではなかった。テレビとレコーダーの配線くらい、専門知識がなくても、それなりに理屈を知っていれば誰にだってすぐ出来る。感心されるようなことではない。
「私、女の子だから、こういうのって苦手で。なーんにも判らないんですもん。触るのも駄目。だから、電気系統に強い男の人って、憧れちゃうんですよねー」
「…………」
 そう言って、媚を含んだ眼差しを向けられたが、それもピンとこない。誰にだって得手不得手はあるものだろうと思うが、「女の子だから」 という理由には違和感を覚えた。
 時子の祖母も、最近の家電製品の使い方にはどうにも疎いらしいが、それは、女だからという理由ではなく、高齢だからである。年齢を重ねて得た知識経験がある分、今まで彼女が扱ってきた道具類との違いなどに、戸惑ってしまうのだろう。
 ──だから時子は、新しい家電を入れたら、説明書を熟読するのだそうだ。誰よりも真っ先に、自分が完璧に使いこなすことが出来るように。祖母が判らなければ、すぐに自分が教えられるように。
 本人は、ちょっとした修理くらいなら出来る、とも豪語していて、それが実際どうなのかはともかく、時子だったらきっと、家の中の何かが壊れたら、まず自分で何とかしよう、とは思うだろう。
 時子には、何事につけ、あまり 「他人を頼る」 という発想がない。今までの家庭環境からそういう性格になった──ならざるを得なかった、ということもあるのだろうが、それよりも、いざという時、祖母を助け、手を貸すのは自分だという自覚が、強くあるからだ。また、そうでありたい、とも願っているからだ。
 料理全般は祖母がしているとはいえ、時子は祖母とのたった二人だけの生活を、そういう形で、お互いに支え合ってやっていこうとしている。足りないところを補い合って、相手が困ったらすぐに手を差し伸べて。
 その結果として、時子は掃除が得意で、金銭的にけっこうシビアなところがあり、そつのない人付き合いまで身に付けたのである。あの年齢で、どこでもやっていけるんじゃないかというくらいの要領のよさは、天性のものなんかじゃない。大事な祖母との生活を守るため、時子自身のこれまでの努力によって得たものだ。
 そこに、男か女か、なんてことはまったく関係ない。やる気があるかないか、自力で立とうという、意思があるかないかだ。
 そして一人暮らしであれば尚更、そういう意思や努力は、あって然るべきなのではないかと、環は思うのだが。
「私って、ホントに、一人ではなにも出来なくて」
 目を伏せながらではあるが、絵梨はその台詞を言う時、どこかしら誇らしげだった。皮肉な見方をするなら、まるで 「なにも出来ない自分」 を、大切に額に入れて飾り、精一杯アピールしているみたいだった。
「だから、不破さんみたいに頼りがいのありそうな男の人って、尊敬しちゃいます」
「尊敬……」
 思わず、呟いてしまう。
 ──鈴鹿がこれを聞いたら、死ぬほど笑い転げるか、絵梨を憐憫の目で見るか、どっちかなんだろうな、と心の中で思った。
「……ごちそうさま」
 残っていたコーヒーを一気に喉に流しこんで、カチン、と音を立ててカップをソーサーに戻すと、今度こそ、環は立ち上がった。
「不破さん」
 すたすたと玄関に向かう環を、絵梨が慌てて追いかける。
「あの、あの待ってください。もうちょっと、ここにいてください。私、怖いんです」
「怖い?」
 靴を履きながら顔だけ振り返って訊ねると、絵梨は一瞬ひるんだようだったが、すぐに眉を下げて悲しそうな顔になった。
「あの……彼が、また来るかもしれないので」
「…………。この一週間、ここに来た様子はないように思いましたが」
「けど、またいつ来るか判らないでしょう? 私、もう彼とは別れたいんですけど、そんなことを言ったら、何をされるかと思って、毎日、ずっとびくびくして過ごしてるんです。だから、不破さんに」
 そこで一旦言葉を切り、絵梨は両手を組み合わせ、上目遣いにじっと環を見つめてきた。
 頬が薄く染まり、恥じらいの混じった瞳が向けられる。時子がたまにこういうことを冗談でやるが、絵梨のそれはどうも本気でやっているらしかった。というか、本人は少なくとも 「本気」 であるらしいので、演技というのとは違うのだろう。
「──不破さんに、傍にいて欲しいんです」
「なんで、俺に?」
 当然のように問い返したら、ひどく驚いたように目を見開かれた。もしかしたら、今まで、こういう反応をする男は、彼女の周りにはいなかったのかもしれない。
「あの、だって、私を助けてくれたし」
「声をかけただけです。それに、あれは──」
「あの時、すっごくカッコよくて。ああいうの、見て見ぬフリをする人が多いのに、不破さんはそんなことしないで、私のところに来てくれたんですよね。勇気があって、毅然としてて、すごいなあって」
 うっとりと自分の世界に入ってしまった絵梨は、環の声なんて、もう耳に入っていないようだ。
 典型的な自己完結タイプだな、と環は思った。この台詞だけ聞いていると、誰のことを言っているのか、環自身でさえ判らない。
 絵梨は口を曲げ、さらに悲しげな顔をした。
「今の彼も、最初は優しくていい人だったんです。顔もまあまあで、ノリも良くて、口も上手だったし」
 誰かに似てる、と環は一人の男の顔を思い出す。思い出した途端、ちょっと胸糞が悪くなった。基本、滅多に時子以外の他人に感情の動かない環だが、あの男ははっきりとキライである。
「なのに付き合っていくうちに、自分勝手なところや子供っぽいところが出てきて。つまらないことで、すぐに怒るし。別れたいんですけど、そんなこと言ったら殴られるわ。けど、不破さんがいてくれたら安心だもの」
「……怖いんだったら、一人暮らしなんかやめて、実家に戻ったらどうですか?」
「え」
 環の言葉に、絵梨はきょとんとしたように目を瞬いた。
 絵梨の実家が、こことはそんなに離れた場所にないことは、今までの彼女の話に出てきて知っている。大体、このワンルームマンションだって、ほとんど絵梨の実家の部屋がそのまま引っ越してきたような、そんな感じだ。家具も家電も、狭い部屋にはあまりにもそぐわないほど立派なものばかりが揃っている。
「えー、でも……」
 絵梨は少し当惑したような、曖昧な笑みを顔に貼り付けた。
「でも、このトシで、親の傍にいるのって、鬱陶しいし、みっともないでしょう?」
「…………」
 環は小さな溜め息を落としたが、絵梨はそれには気づかないようだった。


          ***


 環が事務所に戻ると、「はっきりとキライな男」 がちょうどビルから出てくるところと出喰わしてしまった。
「よお、不破ちゃん」
 どういうわけか上機嫌で手を上げられて、環の眉は中央に寄せられる。
「今、帰ってきたところなんだ? 二時間休憩コースにはちょっと短いんじゃないの。もっとゆっくりして、なんなら泊まってきたってよかったのに……ってえっ!」
「悪い、足が滑った」
「どう足が滑ると、人の向こう脛を蹴れるんだよ。ま、いいや。おれ、今日は大概のことでは怒らない」
「なにしに来たんだ、お前」
 へらへら笑いがどうにも癇に障る。余計なことを言ったのは、どうせ鈴鹿に決まっているが。
「そりゃー、時子ちゃんを誘いに。けどさあ、すげえ機嫌悪いみたいで、今日のところは退散することにした。どっちにしろ、もうちょっと待ってたら、面白いことになるかもしれないし」
「……楽しそうだな」
「そりゃーもう、楽しくて楽しくてしょうがない」
 そう言う桂馬は本当に心の底から楽しそうだった。口調はうきうきと弾んでいる。
「あの子がこれから、怒ったり泣いたりするのかなと思うと、もー本気でゾクゾクするね。こんな風に思うのってはじめてだよ。これが恋ってやつかなあ」
「一般的には違う」
「あー、早く時子ちゃんのそんな姿が見たいなあー」
 聞いちゃいねえ。
「……屈折してるよな、お前」
 ぼそりとそう言うと、
「そりゃお互いさま。屈折した似たもの同士だから、ムカつくんだろ」
 と、すぐに切り返された。反論できず、口を噤む。この男のこういうところも嫌いだ。
「で、どお? 相手の女は」
 けろりとした調子で問われ、腹を立てるのももう馬鹿馬鹿しくなり、環は息を吐いた。
「……どうもこうも」
「言い寄られてるんだろ? お前みたいな男に惚れるなんて、時子ちゃんといい、その女といい、物好きだよね」
「惚れるとか、そんな話じゃない。あれは別に、俺じゃなくてもいいんだ」
「へえ?」
 桂馬がやや興味深そうに首を傾げた。
「あの子が 『好き』 だと思ってるのは、何かの幻想だ。俺じゃない」
 環本人を見ているわけではない。上っ面だけの、ありもしない幻想の 「環」 を作り上げているだけだ。そこにはまったく、実体がない。
 いや、そもそも絵梨本人が、何かのイメージで出来上がっているんじゃないかと思えるほど、明確な意思も嗜好もなければ存在感もないのだが。大体、「傍にいて欲しい」 というその感情だって、どこまで中身が伴っているのやら、それさえもはっきりしない。
「ああ……なるほどね」
 そこまで聞いただけで、桂馬は口許に手を当てて目を細め、すぐに納得するような声を出した。ダテにいろいろな女の子と付き合ってきたわけではないのか、なんとなく、絵梨がどういう感じの女なのか、察しがついたらしい。
「それで、静観してるわけ?」
「あの調子なら、すぐに飽きるだろうからな。他の男に目が行けば、コロッとそっちに転向するさ」
 あるいは、今の男とまた何事もなかったように付き合っていくか。その可能性もかなり高いのではないか、と環は思っている。「別れたい」 と言うわりに、絵梨は何ひとつとして、それに向けた具体的な手段を取ってはいないからだ。
「ふーん……」
 桂馬は少し考えるような顔をした。
「ま、おれとしては、あんたにその女の誘惑に引っ掛かって欲しいところなんだけど……。でもさあ、あんまり油断しない方がいいかもよ。そういう女って、時々暴走したりすることがあるからね、わけのわかんない方向に」
「暴走?」
 問い返したが、桂馬は口許を歪めているだけだった。こういう顔をすると、この男は本当に冷淡に見える。
「時子ちゃんが泣いたりするところは見たいけど、全然関係のない女に出しゃばってこられるのも不愉快だ」
 呟くように言って、今度はビルの方へくるりと身体を反転させ、いきなり大声を出した。
「時子ちゃーん、おれ、帰るからねー。でもまた来るからねー。今度はちゃんとケー番教えてよねー」
 その言葉が終わらないうちに、事務所の窓がガラッと威勢よく開けられ、仏頂面の時子が顔を出す。
「まだいたんですか、緒方さん。近所迷惑だからさっさと──あ、環君」
 桂馬の傍らにいる環に気づいて、表情を和ませた。
 ……が、その顔は、少しだけ、ぎこちなかった。
「おかえりなさい、お疲れ様。コーヒー淹れようか?」
「ああ、頼む」
 環が言うと、うんと頷いて、背中を見せて窓から離れていった。いつもなら、その場で笑いながら陽気に冗談でも言って、環が入っていくのを見ているのに。
「…………」
 しばらくその場に立ったまま、誰もいなくなった窓を見ていた。

 環は、桂馬のように、時子の泣くところなんかは見たくない。
 見たいのは、いつも当たり前のように自分に向けられる、明るい笑顔だ。
 いつもどおり、普段どおりに。

 ──けど、それは案外、難しいことなのかもしれない。



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