猫の手貸します

case1:ペット探し

報酬はラバーズトーク(2)




「イヤですよ。絶対イヤ!」
 ぷんすかとヘソを曲げてそっぽを向く時子に、「そう言わないでさあ〜」 と、鈴鹿は弱りきった声で言った。
「別に、猫と自分の名前が被ったくらい、大したことじゃないでしょう」
 鈴鹿のその言葉に、時子が憤然と言い返す。
「なに言ってるんですか、そんなのは全然大したことじゃありません。『トキ』 っていう名前の猫がいようが、サルがいようが、カバがいようが、ナマケモノがいようが、ちっとも構いませんよ」
「じゃあなんで、依頼主の家に行くのをそう強硬に拒むわけさ」
 不思議そうに訊ねる鈴鹿に、時子は厳しい視線を投げつけた。普段からころころと表情が変わる時子だが、真顔で睨まれるとけっこう怖いので、鈴鹿は思わず後ずさる。
「なんでも何も、もともと私はこの事務所内の清掃、お茶汲み、電話番、および伝票整理としてバイトに入ったんですから、そんなことまでしないのは当然じゃないですか。お給料だって、その分しか貰ってないし」
「ええ〜、今になってそんなこと言うの?」
 鈴鹿はすっかり当惑した。
 ──確かに、時子がこのスズカ便利屋にアルバイトとして入った一年前、そういう仕事内容で働くことは双方の了承事項だった。
 しかし、持ち前の愛想よさで、事務所にやってくる客の話相手をしているうちに、彼女はいつの間にか、客から依頼内容を詳しく聞きだす役割を請け負うようになっていたのだ。鈴鹿や環とは違い、元気で明るくて、こまごまとしたことによく気がつく時子は、客からの評判も上々だった。だから鈴鹿も当然のように彼女に任せっきりになっていたのだし、時子の方だって最近では、環にくっついて仕事の助手としての役割までも、嬉々としてこなしていたはずだったのに。
 それがどうして今回に限り、「自分はこの件に一切ノータッチ」 なんてことを言い張るのか、鈴鹿にはさっぱり判らない。
「頼むよー。不破君はこの通りもっさりしていて口数も少ないしさ、お客さんがビビるんだよね。その点、時子君が付いていってくれると、客ウケがいいっていうかさ」
「何が 『この通りもっさりして』 ですか、失礼な。環君はめちゃめちゃカッコイイじゃないですか。お客さんが若い女の人だったりすると、環君に恋しちゃうんじゃないかって、私なんか心配で心配で、目が離せないくらいです」
 時子を持ち上げようとした鈴鹿の言葉は、却ってご不興を買ってしまったらしい。ますます眉を寄せて口をへの字にする時子に、困り果てた鈴鹿は、環へと視線を移す。
「不破君、君からもなんとか言ってよ」
 ひとり黙って仕事の準備をしていた環は、鈴鹿に言われて、ようやく二人のほうを振り向いた。
「別に、トキがいなくても、俺だけでなんとかなると思います」
 その素っ気ない言葉は、「そんなに本人がイヤがっているものをやらせなくてもいいんじゃないか」 という、多分に、思い遣りの意味が混じったものであったのだろう。少なくとも、鈴鹿はそう解釈した。もともと、時子の言うとおり、そこまではバイトの職分に含まれていないわけだし。
 しかし、それを聞いた時子はみるみる眉を下げて、泣きそうな顔になった。
「……環君は、私のこと、必要としてないんだ……」
「………………」
 置いてけぼりにされた子供のように寂しげな口調で呟かれて、環も鈴鹿も無言になるしかない。
「時子君て、めんどくさい子だよねー……」
 いっそ感嘆するかのような鈴鹿の独り言は、時子の耳にしっかりと届いてしまったらしい。ますます泣き出しそうになったのを見た環が、慌てて補足のために口を開いた。普段、客にも上司にも適当な態度しか取らない彼なのだが、それだけ、自分の彼女には弱いということなのかもしれない。
 しれないが、とはいえ残念なことに、環にはそちら方面の能力がかなり欠如していたようだ。
「いや、だから、イヤならイヤで、お前は来なくてもいいってことだから」
「…………。不破君、僕が言うのもなんだけど、フォロー下手だよね」
 鈴鹿が呆れてぼそりと言う。
 こんな時、いくらだって言いようはあるのに、よりにもよって、「お前は来なくてもいい」 である。そんな風に言われたら、それがどんな意図の下にあるものでも、相手は腹を立てるか傷つくか、どっちかに決まっている。
 ほーら、時子の口許がわななきはじめちゃったじゃないか。
「こ……来なくていい……」
「いやあのさ、時子君、話を元に戻そうか。なんで、今回の仕事はやりたくないわけ?」
 収拾がつかなくなってきたので、鈴鹿は軌道を修正することにした。三人しかいないこの狭い事務所内で、恋人同士の愁嘆場には立ち会いたくない。しかも、こんなくだらない内容で。
 時子はその質問に、むっと唇を結んだ。「……だって、イヤじゃないですか」 と、忌々しそうに低い声で答える。
「イヤって、なにが? 猫の名前がトキであるのは、別に構わないんでしょ?」
「構いませんよ。私は構わないけど、環君が構います」
「俺?」
 そこで自分の名前が出されるとは思ってもいなかった環が、驚いたように問い返した。俺だって別に、猫の名前がなんだろうと構わない……と言う前に、時子の声に遮られる。
「だって」
 と、時子はキッと自分の恋人に顔を向けた。
「だって、環君、呼ぶでしょう、『トキ』 って」
「……は?」
 意味が判らなかったのは、環だけでなく、鈴鹿もだ。
「だから、迷い猫を探す時に、名前を呼ぶでしょ、『トキ』 って! 環君の口から、甘い声で 『トキ』 って言葉が出るのに、それが私に向けられたものじゃないなんて、ガマンできません! そんなのを聞くのも見るのもイヤです! 不愉快です! だから一緒には行きません!」
「………………」
 想像以上に、しょうもない理由だった。
「いや、猫を呼ぶ時に、甘い声を出したりしないし」
 不破君不破君、ツッコむのはそこじゃない。
「嘘! そんなこと言って、実際に猫を見つけたら、『トキー、こっちおいでー、いいものあげるよー、抱っこしていい子いい子してあげるー』 とか、そんなこと言うに決まってる! わーん、環君のバカバカバカー! 浮気者ー!!」
 時子は恋人の不実を詰るように大真面目だったが、鈴鹿はそんなことを言っている環の姿を想像しただけで、その場に昏倒しそうになった。笑いをこらえすぎて、腹筋が痛い。
 肩を震わせている鈴鹿を、続けて時子がじろりと睨む。
「そんなに言うんなら、所長がひとりでお客さんのところに行って、猫を探してこればいいじゃないですか。それで万事解決です」
「僕、いろいろとやることがあって、忙しいんだよね」
「家賃の計算なんかいつだって出来るでしょ! 環君ばっかりコキ使わないでください!」
「だって、不破君はれっきとしたここの所員だもん」
「たまには所長が所員の前で率先して働く姿を見せるべきですよ」
「僕が 『トキちゃーん、こっちおいでー』 って猫なで声を出して呼ぶのはいいの?」
「微妙にムカつきますけど、環君のとは違う種類のものなんで、まあいいです」
「うーん、でも僕、この間から腰を痛めててさあ、長時間歩き回るのはちょっと」
「そんなやる気のなさだから、ここはいつまでも、こんなショボいままなんですよ!」
「ショボくない!」
 不毛な言い合いをしてから、鈴鹿はこほんと咳払いをした。
「よし、ではこうしよう」
 と、表情を引き締め、改まった声を出す。
「不破君と時子君、二人でお客さんのところに行って、すみやかに依頼内容を遂行させること。非効率だけれど、君たち二人組で行動を共にして猫探しをし、猫を見つけた際に名前を呼ぶのは、時子君の役割だということにすればよろしい」
 大体、環の声では、猫だって警戒して近寄らないに決まっている。
 それでもまだ、ぶう、とむくれている時子に、鈴鹿は顔を向けた。
「確かに、時子君にはバイトの範囲を逸脱した仕事をさせて申し訳ないとも思う。そこで今回に限り、特別ボーナスを与えよう。ジャーン、なんと! 仕事成功のあかつきには、不破君から 『愛の言葉』 が贈られます!」
「えっ……」
 その言葉に、時子が目を瞬いた。自分を無視したところで勝手に話を決められてしまった環の方は、当然だが、驚きのあまり声も出ない。
 ぽっと頬を染めた時子は、鮮やかなまでの変わり身の早さで、「花も恥らう乙女」 の風情になった。少女漫画のようにきらきらした視線を、ちらりと環に向け、自分のスカートの端を指でもじもじと摘みながら、可愛らしい声で訊ねる。
「環君……それ、ホント?」
「いや、『ホント?』 って、俺はなにも言ってないし」
 たじろぐ環の言い分はもっともだ。なのに、時子は聞こえないフリをし、鈴鹿はトドメの一言を放った。
「うん、所長命令だからね、不破君」
「せめて、もっと業務に関係のあるところで命令してくれませんか」
「逢坂時子、了解でっす! じゃあ行こ、環君!」
 打って変わって元気になった時子が、満面の笑顔になって環の手を引っ張る。鈴鹿はニコニコして、時子と、時子にずるずる引き摺られていく環を見送った。
「ちゃんと、愛の言葉を考えておきなさいね、不破君。ぴしっと決まった、渋くて適度に気障で、それなりに知性を窺わせる高度なヤツね」
「所長お〜……」
「やっだー、楽しみ! なんとしても猫のトキちゃん捜してみせます!」
「うんうん、頑張ってね、時子君」
「がってんしょーちのすけですよ!」
 また古臭いことを言って、時子は意気揚々と環を連れて事務所を出て行った。


          ***


 環の移動手段は、もっぱら愛車のハーレーである。
 事務所を出て、外の駐車場にまで来てから、時子は今日の自分の格好が、バイクに同乗するのにそぐわないものであることに気がついた。
「あっ、ミニスカにブーツは駄目よね。どっちにしても、猫を探すなら狭いところにも潜り込んだりしなきゃいけないかもしれないし。環君、ちょっと待ってて、着替えてくるから」
 こんな時のために、事務所の物置兼時子専用更衣室には、動きやすいジーンズやスニーカーが常備してある。付け加えると、彼らはもともと恋人同士であるので、ヘルメットは環本人のとは別に、ちゃんと時子のものがある。
 くるりと踵を返し、急いで事務所に戻ろうとすると、背中から 「トキ」 と名前を呼ばれた。
 うん? と振り向くと、メットを手にバイクに跨ったまま、環がこちらを向いている。
「なあに? 環君」
「……お前さ、そんなに、『愛の言葉』 ってやつが、欲しいのか?」
「………………」
 環の表情は、彼にしては珍しいほど真面目なものだ。時子は少しの沈黙の後で、ゆっくりと微笑んだ。
「そうね、欲しいな」
「こんな状況で、言われるものでも?」
 こんな風に、「報酬」 として与えられるそれに、なんの意味があるのかということを、環は言っているのだろう。彼の声は、少しだけ尖っているようにも聞こえる。
 時子は口元の笑みを動かさなかった。
「──でも、こういう状況でもないと、環君はこれからも、私にそういうことを言ってはくれないんじゃない?」
「………………」
 今度、口を閉ざしたのは環の方だ。図星なのね……と内心で呟いて、時子はこっそりと嘆息を押し殺す。
 事務所ではあんなことを言ったものの、時子は、環の心が自分に向けられていることくらい、ちゃんと判っているつもりだ。そうでなければ、いくらなんでも今までずっと付き合ってきてはいない。
 環はきちんと時子のことを恋人として扱ってくれていて、大事にもしてくれている。寂しくなった時には手を差し伸べて、不安になった時には抱きしめて。環はそうやって、自分に対する愛情を、言葉の代わりに態度で示してくれていた。そこは、彼自身の言うとおり。だからこそ、時子だって、そんなことをほとんど気にせずにこられていた。
 けれど、時子は今になって気づいてしまったのだ。
 ……環は、今まで、だけではなく、この先も、それを言葉にするつもりはないのだということに。
 キスをしても、身体を重ねても、優しく笑ってくれても、「トキ」 と愛しそうに名を呼んでも、その気持ちは、決して言葉には変換されることはない。その点、環は確信犯だった。
 言葉にしてしまったら、それははっきりとした 「形」 になってしまうから──と、彼は多分、考えている。
 そのことに、気づいてしまった。
「──環君は、ずるいよね」
 表情を動かさないまま言った時子のその台詞を、環は否定しなかった。
「そうだな。……だから、いつでも切り捨てていいんだぞ、トキ」
「………………」
 静かに返されて、時子は目を伏せ、わずかに下唇を噛み締める。

 ……環君は、やっぱりずるい。
 自分からは、絶対に手を離そうとしないのに。

 時子は唇の両端をきゅっと上げて、瞳に力を込め、環を見返した。悪戯っぽく笑って、陽気な声音を出す。
「そんなこと、しませんよー。だって私は、環君のこと、大好きなんだから!」
 そう言って、身を翻し、事務所のほうへと駆けていく時子の後ろ姿を見つめて、環はちいさな溜め息を吐いた。



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