猫の手貸します

case6:ボディーガード

絆という名の諸刃の剣(4)




 絵梨は、納得できないままだった。

 ──最初は、照れているだけなのかと思っていたのだ。顔つきも口調も愛想がなかったけれど、手先の器用な環は、性格的にはいかにも不器用そうだったし、異性に好意を持たれて、どうしたらいいのか戸惑っているだけなのかと思っていた。
 女の子に迫られて、悪い気がする男なんていないはずだ。少なくとも、絵梨が今まで出会ってきた男たちの中では、一人もいなかった。絵梨は、自分の容姿が並の上に位置していることくらい、ちゃんと知っているし、メイクも服装も気を遣っている。素直で従順で、大人しく可愛らしく見えるように。
 はにかんだように笑って、なんでもないことでも 「すごいすごい」 と褒めれば、どんな男だって、嬉しそうにしていた。頼れば頼るほど喜ぶ、それが今までの経験で得た、絵梨にとっての 「男」 というものだった。実際、いつもはそれで、彼らの目をこちらに向けさせることに成功していたのだ。

 それなのに、どうして環には、あんな態度を取られたのか判らない。

 彼と出会った時に、一緒にいた女の子──時子とかいったか。あの女の子が、環の彼女だということには、気がついていた。はっきりと口に出されたわけではないが、そういうことは二人の様子からなんとなく感じ取れる。
 けれど、それは大した障害ではないだろうと思っていた。今までだって、彼女がいる男を途中から奪い取ったことは何度もある。というか以前から、絵梨は相手がいる男に、より惹かれるという傾向があった。誰にも見向きされないような男より、彼女を大事にしているような男ほど良く見えて、ああいいな、と羨ましくなってしまうのだ。
 今の彼氏だって、そうやって他の女の子から乗り換えさせて手に入れたのである。でも実際付き合うようになったら、思っていたほどいい男じゃなくてガッカリした。あんまり優しくないし、なにより幼稚だ。気に入らないことがあると、癇癪を起こした子供のように、手を上げはじめる。
 無闇に手足を振り回すだけだから怪我をするほどじゃないとはいえ、やっぱり痛いものは痛い。盛大に泣き真似をしてしおらしく謝っていると、そのうち我に返って手を引っ込め、その後しばらくはいつもよりもうんと優しくなったから、今まで我慢していたのだけれど、そろそろそれもウンザリだ。
 ──あの日も、彼がヒステリーを起こして暴れていて、そこに現われた環を、絵梨はいっぺんで気に入ってしまった。
 落ち着いた大人の男、という雰囲気は、今まで付き合ってきた相手にはないものだった。顔も背の高さも充分に合格点だ。便利屋、という一風変わった職業もいい。友達に言ったら、きっとみんな驚いて、きらきら光る好奇心丸出しの目で訊ねてきたりして、気分が良いだろう。
 あんまりお金はなさそうだけれど、その点は特に気にならなかった。絵梨は自身の家が裕福だから、自分の欲しいものは自分で買える。そういうところ、彼氏にあれ買ってこれ買ってなんてねだる下品な女の子たちと、私は違うのよね、と絵梨は思っていた。
 プレゼントはさほど高価なものじゃなくても、すごく喜んで見せるのは簡単だ。自尊心を満足させてあげるから、その分優しくしてくれればいい。甘やかしてくれて、大事にしてくれて、友人たちに自慢できれば、それでいい。
 絵梨にとって、「恋人」 というのは、ずっと、そういう存在だった。ある程度見た目が良くて、出かける時に一緒にいてくれて、楽しませてくれて、自分の代わりに面倒なことをいろいろとやってくれる人。そういうのを、彼氏、というのだと。
 一人でいることなんて耐えられない。周りに 「寂しい女」 と思われるのはもっと耐えられない。だから、彼氏は常にいて欲しい。
 今まで、絵梨はそれでうまくやってきたのである。男と別れる時に、いつも大体、次の相手が決まっていたのは、空白期間があるのがイヤだったからだ。だから今回だって、今の彼氏と完全に切れるまでに、環をしっかり捕まえておきたかったのに。

 ──彼女に、遠慮してるのかしら。

 そういうタイプも、数は多くないが、確かにいる。彼女に悪いから、なんて言って、誘いを断る男だ。そうすると、絵梨は俄然、やる気が出てしまうのだが。
 そんな男には、とにかく泣く。あんまり大げさにではなく、控えめに涙を見せて縋ると、情の厚い男ほど、ほだされやすい。手っ取り早く既成事実でも作れば確実だ。
 時に、彼女のほうが 「寝取った」 と騒ぎ出すこともあるが、そんな時は何も言い返さないでひたすら泣いて詫びればいい。髪を振り乱して怒鳴る元カノの姿を見て、男は完全に幻滅することを、彼女達は判っていない。
 絵梨は別に、他の女から男を 「寝取る」 ことを悪いことだとは思っていなかった。だって、結婚しているわけじゃないんだし、恋人同士なんてくっついたり別れたりを繰り返すのが普通だ。大体、誘ったのは自分でも、乗ってきたのは男のほうなんだから、絵梨だけが責められる筋合いでもない。
 環の場合、急ぎすぎたのが悪かったのかもしれない。早く今の彼氏と別れたくて、少し焦っていたから、それでちょっと引かれてしまったのかも。今の彼女に悪い、なんて思うような古風な男ほど、女の子から積極的に迫っていくのは好きではないだろうし。
 時間を置いた方がいいのかな、という判断はあったが、こうしている間にも、環と時子が仲良くしているのかと思うと、無性に面白くなかった。絵梨の中では、もうすっかり自分のものにするつもりだった男なのだ。あそこまでしたのに何も言わずに帰るなんて、プライドを踏みにじられたような気分もある。
 だから、絵梨はこれまでとは違う方向に行動することにした。本人は、ちょっとしたイタズラを思いついた、くらいの軽い気持ちでしかなかった。

 ……少しだけ、あの二人の間に、波風を立ててやろう。


          ***


 最初の夜、絵梨の部屋まで送ってもらった時に、時子が大学生だということや、スズカ便利屋のバイトは学校が終わってから、ということは聞いて知っていた。
 時間を見計らって家を出て、駅の改札前に立った絵梨は、時子がやってくるのを待って、声をかけた。
「こんにちは、時子さん」
 時子は、絵梨を見ると、大きな目をさらに見開いて驚いた。
「木下さん」
 通学用なのか、実用重視の大きなバッグを肩から提げた時子は、半袖パーカにミニスカートにサンダル、というラフな格好だった。似合っているし、可愛いが、高校生にも見える。
 絵梨はその姿を見て、内心でこっそりと笑ってしまった。
 ──こんな子供っぽい子と、環は、どう考えても似合わない。
「どうしたんですか?」
 絵梨のほうに寄ってきた時子は、きょとんとした顔で訊ねた。その表情から、環が時子に昨日のことを何も話していないんだな、ということが判った。言わなかったのは、後ろめたいからだろう。後ろめたいということは、やっぱりいくらかは心が動いたということだ。
「うん……あのね」
 目を伏せ、声の調子を弱くする。
 絵梨は人の男が欲しい時、いつでも本気でその男に恋している。その気持ちはすぐに醒めてしまったりするのだが、はじめに 「好き」 と思う情熱は本物だ。だから、自分ではこういう態度を、演技、だと考えたことは一度もなかった。
「ちょっと、時子さんにお話したいことがあって。少しだけ、時間をもらえる?」
「今から、ですか」
 時子が駅の中にちらっと視線をやったのは、電光掲示板の横にある時計を見たのだろう。
「構いませんけど、だったら、事務所に連絡──」
「あ、あのね、少しで済むから。ちょっと、話をしたいだけだから」
 慌てて時子の言葉を遮った。環に知られては、意味がない。
 時子は口を噤んで、絵梨をじっと見てから、
「……そうですか」
 と言うと、バッグの中の携帯に伸ばしかけた手を引っ込めた。


 どこか喫茶店にでも入ろうかと言ってみたが、時子は首を横に振った。それでしょうがなく、駅前の自動販売機の横に据え付けてある木のベンチに二人並んで座ることになった。こういう話を隣同士でするのは、なんだか落ち着かない。
「それで、お話というのは何でしょう」
 時子の口調は落ち着き払っている。「ご依頼の内容は何でしょう」 と客に向かって言ってるみたいな言い方だった。時子は顔かたちはまだ学生っぽい幼さが残っているのに、そういう事務的な表情をすると、一気に年齢不詳な感じになる。
「えっと、ね」
 そんな風に聞かれると、非常にやりにくい。
 しかしここで引き下がるわけにもいかないので、絵梨は俯いて頬を染め、もじもじしながら、それでも決然と口を開く、という高等技術を駆使して言った。
「あの……あの私ね、実はね、はじめて会った時から、不破さんのことが好き、なのよね」
 環と時子が付き合っているのは感づいているが、二人から直接聞いたわけではない。ここはそれを逆手にとって、まったく知らないフリでいこうと決めていた。知らないから、時子に打ち明けて、協力を頼むのである。そのあとは、どういう反応が返ってくるかで、対処の仕方を変えようと思っていた。
 驚くか、怒るか、気まずい顔をするか。
「…………」
 と、思ったのに、時子からはなんの返事も返ってこない。驚きすぎて口も利けないのかしら、と怪訝に思って視線を上げると、そこにはさっきとまったく変わりない時子の顔があった。
「はい、知ってます」
 と、ものすごく当たり前みたいに受け流された。
「…………」
 この場合、恥ずかしいのは、あそこまで真剣な面持ちで告白してハズした絵梨の方である。今度は意図的にではなく、顔が赤くなった。
「あ……そ、そう、知ってたの。どうして? 不破さん、私のこと、なにか」
「環君は何も言ってませんが、普通、あそこまでロコツな攻勢をかければ誰でも判ると思います」
「…………」
 それはそうかもしれないが、そんな冷静に指摘しないで欲しい。
「じゃあ、話は早いわね」
 にっこりと笑ってみる。ここは年上の余裕というものを見せなければ。自分の口許がぴくぴくと引き攣っているような気がするが、気づかないことにした。
「だからね、私、不破さんとお付き合いしたいなあって思って。それで、同じ事務所にお勤めしてる時子さんに、協」
「無理です」
 絵梨の台詞は、途中でぶった切られた。まだ全然、「協力」 という単語ですら成立していない。
「だって、私も環君のことが好きですから。恋人として付き合ってもいますし、私の方から引く気は針の先ほどもありません。環君と付き合いたいのなら、自力で頑張ってください」
「…………」
 自力で頑張れ、ときた。
 時子の口調は、怒っているのでも、責めているのでもなかった。そうしてくれれば、まだしも絵梨のペースで進めやすいのに、時子の言い方は、まるで他人事のようだ。
「冷たいのね、時子さん」
 自然と、時子を見る目が睨むようなものになった。こんな言い方をされる環が、可哀想だと思った。
 こんな子より、私のほうが、ずっと優しくしてあげられる。
「自力で頑張れなんて、そんなことが言えるなら、不破さんのこと、大して好きじゃないんじゃないの? 普通は、絶対に許さないとか、死んでも別れないとか、言うものよ」
「そうですか。私、普通じゃないですか?」
 まともに正面から訊ねられて鼻白む。嫌味で言っているわけではなくて、本当に、不思議そうに問いかけていた。
「……こんな時、世間一般にはどうするものなのか、私よく判らないんです」
 ぽつりと呟くように続ける。どこの箱入り娘かという言葉だが、こんな図々しい箱入り娘はいないだろう。
「けど、環君のことは、好きですよ。本当に」
「私だって」
 絵梨も声を上げて張り合うように言った。なんだか子供みたいだが、ここで黙ったら負けだ、という気がした。そして絵梨は、同性に負けるのが大嫌いである。
「私だって、好き。不破さん、優しいし、大人だし、それに私のこと助けてくれたし。……お願い、時子さん。私、今の彼氏がまたいつ来るかと思ってビクビクしながら暮らしてるの。不破さんはそんな私の心の支えなの。私だけじゃ、心細くてやっていけない。守ってくれる人が必要なの。時子さんは強そうだもの、一人でも大丈夫でしょう? けど、私は──」
 声が震え、手で目元を押さえる。指の隙間から時子をちらりと窺うと、まじまじとこっちを見ていた彼女は、唐突に、「ああ」 と納得するような声を出して手を叩いた。
「それはアレですね、『お前は一人でも大丈夫だけど、こいつは俺がいないとダメなんだ』 という、大昔からの黄金のパターンですね」
「…………」
 感心されるようにうんうんと頷かれ、絵梨は石になってしまう。そんなことを男に言わせた経験はもちろんあるし、それを言われた女がうんざりした顔をするのも見たことがあるが、こうもあからさまに口にされたことはない。
 時子は、ちょっと考えるように首を捻った。
「……でも、環君は、そういうことを言わないと思いますよ」
 そう言われて絵梨はムッとした。手を下ろし、ちっとも涙なんて出ていない瞳を向ける。
「どうしてそう思うの? そんなに自分に自信があるの? それとも、不破さんのことをそれだけ信じてるって言いたいの?」
「まあ、信じてます、ある程度は」
 時子はあっさりと言ったが、よくよく考えると、「ある程度は」 って酷い。
「けどそれ以前に、環君はそういうのが好きじゃないと思います。環君は確かに優しいし、大人ですが、弱い女性を守りたい、なんていう騎士道精神に溢れた心は持ってないですよ、絶対」
 言い切るってどうなの。
「でも、あの日、彼に殴られてた私を助けてくれたわ」
「あれは──」
 言いかけて、口ごもった。やっぱり言い返せないじゃない、と思った絵梨は、勝ち誇ったように笑う。
「時子さん、不破さんのこと、本当はそんなに判ってないんでしょ? 自分がいい気分になりたいから、判ったような気になってるだけなのよ。時子さんはまだ学生なんだし、そんなに年齢が離れてるんだもの、不破さんのことなんて、判ってあげられるわけないわよ」
 絵梨の中では、時子を子供だと見下す気持ちと、他人のオモチャを欲しがる子供のように環を欲しがる自分とが、何ひとつ矛盾なく同居しているのである。
 余裕を取り戻し、くすっと笑った。

「──不破さんが、私の部屋で何をしてたか、聞きたい?」

 声を潜めて訊ねると、時子が無言で見返してきた。
「……仕事を」
「それだけだと思う? 彼、毎日、私のところに来てたのよ。いくら仕事でも、本当に嫌なら、断るわよね。来れば会話だってするし、それ以外にもいろいろとね。不破さん、あなたにはなんて言ってた?」
 嘘をついているわけではない。少なくとも、コーヒーを飲んだりはした。
 時子が怒ってひっぱたいたりしてきたら、却って好都合だと思った。痛いのは一瞬、それを正直に環に伝えて泣きついたら、そのあとで起こる悶着のほうが興味ある。時子が真偽を環に問いただしても構わない。いくら環が本当のことを言ったところで、一度頭に植え付けられた疑念は、すぐに消えたりはしない。それがきっかけで言い争いにでもなれば、万々歳だ。
「…………」
 時子はしばらく沈黙したまま絵梨に視線を据えていたが、やがて、ふー、と溜め息をついた。
「木下さん、私はですね」
「なに?」
 問い返すと、時子は静かにこちらを見て、同じように静かな口調で言った。

「……この世でいちばん、『永遠の愛』 ってやつを、信じていません」



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