猫の手貸します

case7:人物観察

汝、欺くことなかれ(1)




 スズカ便利屋にやってきたその依頼人は、若くて可愛い女の子だった。
「えーと、この事務所は、一応未成年の方からの依頼はお断りしているんですが」
「あ、大丈夫、ハタチです」
 少々上擦った声で前置きする鈴鹿に、にっこりと笑って女の子は言った。
 それを見て、ううむ、と鈴鹿の鼻の下は伸びる一方だ。長い髪を後ろでポニーテールにした可愛らしい顔に、声はちょっと低めのハスキーボイス。このギャップがなんともよろしい。
 白いサマーセーターと短めのスカートからにょっきり出ている手足はあくまで細く長く、モデルみたいと表現するほど身長は高くないけれど全体的にスレンダーな体型。惜しむらくは、すらりとした細身すぎてセーターの胸の辺りの膨らみがかなり乏しいところか。いやいや、それはもちろん、世間的平均的な見地からそう言うだけのことであって、断じて鈴鹿の個人的感想ではない。
「そうですか。それじゃあまず、お名前を……」
 鈴鹿は外見に似合わずわりと紳士的な性格だが (と、本人は思っている)、それでもやっぱり四十を過ぎた一般的なオッサンとして、若くて可愛い女の子の相手をするのはそりゃ嬉しい。いそいそと名前や住所を記入するための用紙を取り出した。
 しかしいつもなら、こういったことは時子がパッパとやってくれているので、久し振りの鈴鹿の手順も手際も、お世辞にも良くはない。用紙を渡してから、「あ、どうぞお掛けください」 と、やっとソファを勧め、ええとボールペンボールペンと慌てて机をかき回す有様である。
 いや、若い女の子だからという理由で鈴鹿が率先して対応しているわけではなく、今日はまだ、その時子が事務所に到着していないのだ。正規所員の環は当然この場にいるのだが、そちらはそちらで鈴鹿よりもずっと客あしらいがヘタクソだから任せられないし。
 女の子は、鈴鹿の段取りの悪さに、別に機嫌を損ねる風もなく、にこにこしながら勧められたソファに腰掛けた。鈴鹿がモタモタしている間、もの珍しそうに、事務所内を見回したりしている。
 環は、鈴鹿のことにも客のことにも頓着せずに、一人黙々と自分の机で近所の子供に頼まれたオモチャの修理をしていたのだが、ふと顔を上げたら、たまたま事務所内を一周してこちらに戻ってきた、彼女のその視線と正面から合ってしまった。
 そうしたら、にこっと笑いかけられた。
「…………」
 なんの屈託もないその笑顔は、単なるお愛想以上でも以下でもないのだろう。その証拠に、彼女は環の反応を待つでもなく、すぐに視線をまた動かして、楽しそうに事務所見学を再開しはじめた。
 いや──別に、それはいいんだけど。
 なんか、今一瞬、微妙な違和感を覚えたように思ったのである。しかし、その違和感の正体が掴めない。なんとなくもやっとしたまま、環は再び目を下に向けて、作業に戻った。
「ではここに、お名前と、住所と」
 やっと見つけたボールペンを依頼人に差し出して、鈴鹿が用紙記入の説明をする。女の子は素直に頷きながら、ペンを手に持った。
 ……と、その時。
「おっはよーございまーす!」
 陽気な挨拶と共に、バターンと勢いよく事務所のドアが開けられ、時子が姿を見せた。
 元気がいいのは良いことだ、と普段なら鈴鹿も思うところだが、なにしろ今日のスズカ便利屋は珍しく来客中である。所長として、ちょっと嗜めるような顔を入り口に向けた。
「おはよう、時子君。けどもう少し控えめに入ってきてね。お客さんがびっくりしちゃうでしょう」
「えっ、お客様がいらしてたんですかー。めずら……いえ、じゃあすぐにお茶お淹れしますねー」
 たちどころに営業スマイルを顔に貼り付けた時子が、そう言いながら、さっさと事務所の給湯室 (室、というか、流しのある狭いスペース) へ向かう。だーれもそんな気の利いたことをする人間はこの場にいない、ということはお見通しらしい。
 そして歩きながら、ちらっとソファに座る依頼人を一瞥した。
 大人しく用紙に必要事項を書いていた依頼人の女の子も顔を上げて、賑やかに登場したバイトに、視線を向けた。
 そして二人同時に、「あ」 と丸く口を開けた。
「あれー、純ちゃんじゃない」
「なんだ、逢坂さん」
 突然笑い出した二人の女の子に、鈴鹿も環もきょとんとするしかない。
「え、時子君の知り合いかい?」
「知り合いっていうか、同級生ですよ。同じ大学の。何してるの? こんな所で」
 後半の言葉は鈴鹿に説明するためのものではなく、女の子に向けて言ったものだ。「こんな所」 でバイトしている自分のことはすっかり棚に上げて、心底意外そうな表情だった。
「ちょっと便利屋さんに仕事をお願いしようと思って。……いやー、でも、まさか逢坂さんのバイト先だとは知らなかった」
 純ちゃん、と時子に呼ばれた女の子は、照れ笑いのような、苦笑いのようなものを浮かべている。それはまあ、無理もないことだろうなと思うのだが、環はその顔を見て、わずかに首を捻った。なぜか、さっき抱いた違和感は、ますます大きくなる一方だ。
「……?」

 ──なんかヘンだよな、とは思うのだが、何がどう 「ヘン」 なのかが判らない。

「そうよね、便利屋への依頼なんて、大体がプライバシーに関わることだもん、知り合いがいたら嫌よね。他を当たったら?」
 考えている環を余所に、時子はあっさりと同級生に依頼先の鞍替えを推奨している。鈴鹿が非常に悲しそうな顔になったが、そちらには目もくれない。
「うーん……」
 女の子は当惑したような曖昧な笑みのまま、迷う素振りを見せていたが、やがて考える時間を少し置いて、吹っ切るように決心した。
「や、逢坂さんならいいよ。他の子だったらかなり困るけど、逢坂さんは案外、口が堅いでしょ? あんまりこっちの事情にずかずか踏み込んでくるようなところもないし」
「じゃあ、このまま話を進めてもいいということかな」
 依頼人の気が変わらないように、というつもりなのか、鈴鹿が素早く口を挟んできた。時子は、本人がいいと言うなら別にそれで構わない、という顔をして黙っている。こういうところが、「逢坂さんならいい」 と思われる理由の一つなのかもしれない。
「そうですね、お願いします」
 と言われて、鈴鹿は嬉しそうな顔で頷き、ちゃっかりと釘を刺した。
「時子君の同級生でも、割引はしないけど」
「所長、言ってることがセコすぎです」
 鈴鹿と時子のいつもの遣り取りに、女の子はぷっと噴き出した。仕事が受けられそうだと思ったためか、その顔が愛らしかったためか、時子に冷静に突っ込まれても鈴鹿は上機嫌だ。
「それにしても、時子君は 『純ちゃん』 なのに、君は 『逢坂さん』 なんだね。年齢で言えば、時子君のほうが年下でしょう? やっぱり時子君は無遠慮っていうか、厚かましい性格してるんだねー。ここでも、大学でも」
 あっはっはと笑って酷いことを言う鈴鹿に、時子はむっと頬を膨らませた。
「なに言ってるんですか、失礼しちゃう。確かに私は自分の呼びたいように人の名を呼びますけど、純ちゃんの場合は、姓で呼ぶのを、本人が嫌がるからですよ。だから大学の子達は、みんなそう呼んでるんです」
「へえ……。そんなに、変わった苗字なの?」
 言いながら、どれどれと机の上に置かれた用紙を手に取る。
 氏名の欄には、「久我純」 と書かれてあった。
「くが、さん? 確かに少し変わってるかも知れないけど、そんなに嫌がるようなものじゃ……」
「そうじゃなくて」
 と、時子は溜め息をつきながら、鈴鹿の手から、用紙をするりと抜き取った。
「久我君、って呼ぶのを嫌がるんです。響きがよくないって」
「…………」
 は……? とぽかんとする鈴鹿に、時子が無言で用紙の一点を指し示す。

 ──氏名、久我純、の隣の性別欄には、しっかりと 「男」 の方が丸で囲まれていた。

「えええええ〜〜〜っ?!」
 驚愕の悲鳴をあげる鈴鹿の後ろで、ああそうか、違和感の理由はそれだったのか、と、環は心から納得して、うんうんと頷いた。


          ***


「こういうカッコしてますけど、俺、中身は普通の男なんですよ」
 と、純はにこやかにそう言った。
「…………」
 そういうカッコをしてる時点で、全然普通じゃない、と鈴鹿も環も思わずにいられない。「俺」 という一人称を使ってさえ、純はやっぱり可愛らしい女の子にしか見えないのだ。
 しかし純の前のソファに腰を下ろした時子は、その言葉にけろりとした顔で同意した。
「そうよね。純ちゃんて、中身は他の男の子と変わらないもんね」
「うん。別に、男が好きだってわけじゃなくて、フツーに女の子が好きだし。AVも見るしエロ本も好きだし、フツーに巨乳なんかにも興味あるし」
 いやいやいや、そんなことまでは言わなくていいから。
 鈴鹿は大いにそう言いたかったのだが、なにしろショックが大きすぎて、未だに完全に立ち直れてはいないため、思うように声が出ない。それをいいことに (か?)、時子はどんどん話を変な方向へと脱線させていってしまう。
「それは聞き捨てならないわ」
 きっぱりと言いきり、真面目な顔になった時子は、敢然と反論した。仕事とも、女装とも、まったく関係ない部分に。
「男の人が巨乳に興味あるっていうのは、別にフツーじゃないでしょ。それはごく一部の話でしょ」
 わあ、イヤな予感がする、と思ったのは、自分の机でこの会話を聞いていた環である。
「なに言ってんのさ、逢坂さん。男はすべからく全員が巨乳好きだよ。俺が思うに、ペッタンコの女がいい、なんていう奴は、却って何かにコンプレックスを持ってる人間だね。そもそも心理学的に言っても、女性の胸の大きさに対する男の興味深さの度合いってのは」
 お前も、そんなことを真顔で滔々と述べるんじゃない。
「だって」
 と、時子はちらりと、どう贔屓目に見ても 「巨乳」 とは言いがたい自分の胸に目をやってから、きっとばかりに環に顔を向けた。
 ほら来ちゃったじゃないか、と呻くように環は思う。
「環君は、特に巨乳好きじゃないわよね?」
「………………」
 ここで環が黙り込んだのは、いや巨乳云々はともかくとして、俺はお前ので満足してるから、という言葉を、二人きりの夜のベッドで言うならいざ知らず、こんな真っ昼間から上司と時子の同級生がいる前で堂々と口にしてもいいものか、という、社会人としてまったくもって常識的かつ真っ当なためらいがあったためだ。
 なのだが、やっぱり時子はその無言をまったく違う方向に解釈した。
「ええー、そうなの?!」
「……いや」
 何が 「そう」 なのか聞くのも怖い。けど、これはスルーしたらもっと厄介なことになりそうな気が、すごくする。
「だったら早く言ってくれればよかったのに」
「トキ、あのな」
「うん、ちょっと待ってね、環君。環君に関する私の脳内データを、一部書き換えるから」
「いや待て、何をどう書き換えるつもりなんだ。大体、お前のその脳内データとやらは、どこまで正確なのか一度俺に検証させてもらいたいんだが」
「で、環君、大きさはどのくらいが好みなの? ソフトボール? ハンドボール? 私、バストアップ体操とかに励んだ方がいい?」
「やだな逢坂さん、少年漫画とかじゃないんだからさあ、いくらなんでもハンドボールってことはないでしょ。それに、問題なのは大きさだけじゃなくて形も」
「ちょっとお前黙ってろ。トキ、いいか、違うからな? くれぐれも変な体操を始めたりするんじゃないぞ。俺は別に──」
「だーっ、もう、君たち!」
 収拾がつかなくなった会話に、とうとう我慢ならなくなって鈴鹿が叫ぶ。いつまでも呆然としていたのでは、このバカバカしい状況からは抜け出せない、という危機感から、ようやく我に返ったらしい。
「いい加減にしなさい! 不破君、君、もういい大人なんだから、いつまでも時子君に振り回されててどうするのさ! もっと毅然とした態度でいないと、このままじゃ、ずっと時子君の下にいることになっちゃうよ?!」
「やだー、所長ったら、昼間っからそんなセクハラ発言。そんなの、下になったり上になったり色々ですよ。ねえ、環君?」
「下ネタは禁止ーーっ!!」
 きゃっきゃと笑いながら下品なことを言う時子に怒鳴る鈴鹿の顔は赤かった。怒りなのか照れなのかは不明だが、振り回されているのは環だけではないのである。
 それを眺めて、たまらなくなったように、ぷはっと純が噴き出した。口を開けて、あははと笑うその快活さは、確かに男っぽく見えないこともない。
「変な人ばっかりだね、この便利屋さん」
「言っておくけど、今ここにいる中でいちばん変なのは君だから!」
 突っ込む鈴鹿の台詞は、まことにごもっともなのであった。


 ──で、その後しばらくして。
「……じゃ、肝心の依頼内容を聞かせてもらえるかな」
 ようやくのことで、鈴鹿は話を本来あるべき筋に戻すことが出来た。ふう、と息をつく。長い道のりだった。
 なんで純が日常的に (大学でもこういう格好なので、学内では有名人らしい) こんな女装をしているのか、ということは、もう追及しないことにした。個人的事情がどうこう、という問題ではなく、これ以上話が逸れていくのがイヤだったからだ、もちろん。
「はい、それなんですけど」
 幸いなことに、純という青年は、外見的にはかなり一般的ではないものの、それ以外は時子の言うとおり、普通の大学生だった。他人に対する礼儀も、話し方も、ちゃんと落ち着いたものだ。
 これならまあ、性別のことを気にしなければ、仕事としてはいつも通りでいいんだろう、と鈴鹿も安心した。
 が。
 ソファにきちんと姿勢を正して座った純は、表情を改めると、真っ直ぐに顔を上げ、
「──ある人を、観察して欲しいんです」
 と、あまり普通でないことを言った。



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