猫の手貸します

case7:人物観察

汝、欺くことなかれ(2)




 ──午後四時過ぎ、少女が高校の門から出てきた。
 彼女は友人らしい女の子二人と一緒にいて、笑顔で何かを話しながら歩いている。制服のスカートは現代標準並の短さだが、他の二人ほど全体的に着崩してはいない。そういうポリシーなのか、好みの問題なのか、性格が真面目なのかまでは判断不能だ。
 ショートカットの髪は薄っすらと染めてあるらしく、日の光を浴びてキラキラと茶色く輝いていた。女の子にしてはきりっとした顔をして、背も高い。いかにも見た目的には運動神経が良さそうなのだが、こんな時間に下校するということは、部活動には所属していないのだろうか。
「テスト前、とかなのかもしれないわよ」
 と、声を潜めた時子に言われ、なるほどなと納得する。あまりにもそんなものとは遠ざかって久しいから、すぐには思いつかなかった。そもそも、環はあんまり真面目に試験勉強などに精を出すようなタイプでもなかったし。
「そういや、お前も高校生の時は 『テスト期間中はデート禁止』 なんて、まともなことを言ってたよな」
「なんで過去形なの? 私は今だって勉学にいそしむまともな学生なんですけど」
「へえ……じゃあ、大学っていうのは、試験がないのか」
「あるに決まってるじゃない」
「そのわりに、大学に入ってからのお前が試験勉強をしてるところを一度も見たことがない」
「環君、細かいことを気にしてたらハゲるわよ」
 という、どうでもいい会話を交わしつつ、二人の視線はなるべく不自然にならないように、目の前の高校にじっと据えられ続けている。
 校門から少し離れた歩道の木陰にバイクを停めて、そこに跨った環に、時子が寄り添うように立つという格好だから、通行人からは、普通の恋人同士がデートの休憩がてらお喋りを楽しんでいるようにしか見えないだろう。実際、そう間違ってもいない。
「大体、部活をしてたら、大変だったわよ。六時や七時まで、ずーっと、ここで終わるのを待ってなきゃいけなかったわけだもん。さすがにそれは怪しまれるでしょ」
「言えてるな。暗くなってたら見分けるのも大変だった」
 なにしろ手元にあるのは、非常に不鮮明な、明らかに隠し撮りと思われる写真が三枚なのである。これだけで、すぐに対象を見つけられたことこそ、かなり幸運だ。
 いや──まあ、正確に言うと、環と時子が彼女を見つけられたのは、なにも運があったためばかりでもないのだけれど。
 何を話しているのか、三人の女子高生たちは、きゃあきゃあと甲高い声を上げながら盛り上がっている。何がそう楽しいのかというくらい騒々しいが、周囲を歩く別の生徒達も、集団になって騒いでいるのは彼女らと大差なかった。
「俺は、夢と希望に満ちた明るく楽しい高校生活ってのは、本や映画にしか存在しない、架空のもんだとばっかり思ってた」
 ぼそりと独り言めいて環が零すと、わりとつい最近まで高校生という立場だった時子がちょっと噴き出した。
「それはそれでネガティブ発言よねー。……うん、あのね、でもあの子達も、何もそう楽しいことばっかりがあるわけでもないと思うのよ。いろいろと、悩んだりつらかったりすることもあるのよ、きっと。恋愛だったり、勉強だったり、人間関係だったり、それは人それぞれだろうとは思うけどね。ああやって楽しそうに笑っていて、それは別に嘘ではないんだろうけど、すべてが本当であるわけでもない」
「──……」
 お前もそうだったのか? と訊きかけて、環は口を噤んだ。そんな話をしていたら、多分仕事どころではなくなってしまう。
 環のジーンズのポケットに納まっている写真と同じ顔をした少女は、友人の肩に自分の手を置き、笑いながらぽんぽんと叩いている。叩かれた友人は、自分の失敗談でも話しているのか、大げさに身振り手振りをつけて、眉を寄せ、口を曲げながら、それでも面白おかしく説明してはウケをとっているようだ。話し終えた途端、またどっと笑い声が沸いた。
(ああ、そうだったかもな)
 と、少女を見つめながら、頭だけはぼんやりと見知らぬ過去に遡る。
 時子も、こうだったのかも。
 自分の両親が毎日毎日口汚く罵り合い、母が父の不実を責めて泣き叫ぶという、ドロドロの家庭環境を一年も続けている間、時子も友人の前ではこんな風に明るく笑っていたのかも。
 環が時子に出会ったのは、その揉め事が最悪の形で結末を迎えた後のことだったから、その頃の彼女のことは知らない。でも、表面上は何事もないように陽気に振舞う時子の姿を想像するのは、非常に容易だった。
 きっと、友人たちは時子の家庭のことなんて、何も知らなかったのではないか。近くに住んで、小さな頃から時子を可愛がっていた祖母でさえ、夫婦間の確執がどん詰まりまで逼迫していたことに気づかなかったというのだから。
 ──自分の娘、つまり時子の母が、もの言わぬ遺体となって目の前に現れるまで。


 ごめんね、と、時子は遺体安置所で、祖母に謝ったらしい。
 顔の判別もつけがたいほど損傷した遺体を前に、名前を呼んで泣くことしか出来なかった祖母に対して、時子は何を言うよりも前に、頭を下げて、謝った、のだそうだ。
 ごめんね、おばあちゃん。私、お母さんを救えなかった。止められなかったよ。おばあちゃんの大事な一人娘だったのにね、失わせちゃってごめんね。
 失ったのは 「自分の母」 でもあるのに、時子はそう言って祖母に謝り続けたのだという。涙も見せず、ほの暗い蝋燭の明かりに照らされた真っ白な顔色で、ここにはいない父親を責めることもなく、彼女の口から出るのは、ごめんね、ごめんねという祖母に対しての言葉ばかりだった。
 私が連絡を貰って駆けつけるまで、あの子はたった一人で、母の遺体の傍にいたんですよ、と、時子の祖母は涙ぐみながら、時子のいないところで、環に教えてくれた。
 事情を訊ねる警察にもてきぱきと対応し、その後の葬儀の手配まで、高校生だった時子が、ほぼ一人でやってしまいました。私は知らなかったんですけど、その頃の父親はもう、他の女性と暮らしていたそうでね。私はただ、泣きながらうろたえているだけでした──と言いながら、時子の祖母は恥じ入るような顔をしていた。
 時子はずっと、冷静でした。……いいえ、冷静に、見えました、と。
 環は時子本人からその当時のことを聞いたことはないから、時子がその時何を思っていたのかなんてことは判るはずもない。
 けれど。
 その時の時子の姿が、すべて 「本当」 だったわけではなかっただろうことくらいは、推測がつく。
 目の前を笑いさざめいて通り過ぎていく高校生達は、その頃の時子と大体同じ年齢だ。みんな楽しそうだけれど、抱えているものはそれぞれ何かしらあるのかもしれない。表面だけでは判らない何か、こうして見ているだけでは判らない何かが。
「……見ているだけじゃ、何も判らないのにね」
 ぽつりとした呟きが時子の口から漏れて、心臓が跳ねた。心の中でも読まれたのかと思うくらいのタイミングだった。
 しかし時子の瞳は、ずっと少女に固定されて動いていない。
 きゃあきゃあと賑やかに去っていく三人の女の子たちの背中を見送りながら、時子は 「馬鹿よね、純ちゃん」 と小さな声で言った。


          ***


「……そんなわけで、ご依頼どおり、一週間、観察を続けました」
 と、時子は依頼人である純に淡々とした口調で報告した。
 本来なら、こういう報告は所長の鈴鹿がすべきなのかもしれないのだが、純本人が、「実際に見た人の口から聞きたい」 と言うので、こうなっている。説明役として、環は非常に不適任なのである。時子も大したもので、今ばかりは同級生としてではなく、完全に他人の顔と口調をしていた。
 今日もやっぱり女の子の格好で事務所にやってきた純は、ひどく真面目な表情でソファに座り、聞き入っている。
 時子が口にしているのは、何日何時、友人二人とお喋りしながら校門を出てきて……という、ひどく他愛のない内容だ。
 なにしろ純の依頼は、「この高校に通っている、ある人物の様子を観察して欲しい」 というもので、しかも場所が 「校門前から視界に入らなくなるまで」 という非常に限定されたエリアなのである。報告といったって、どうやっても大した中身にはなりようがない。
 ひと通り時子の報告が終わったところで、純は質問をした。これこそが重要なんだ、というような慎重な口ぶりだった。
「それで、その子、毎日どんな感じだった?」
「お友達とお喋りして笑ってましたよ。時々、携帯を見たり、教科書を持って広げて文句を言ってたり」
「楽しそうだった?」
「…………。そうですね、楽しそうに、見えました」
 いちいち区切って言う時子の真意は、純には伝わらなかったらしい。ほっとした表情になって口許を綻ばせている。
 環は、「冷静に、見えました」 と言っていた時子の祖母の言葉を思い出した。
「あのう、久我君さ」
 と、自分のデスクから、おずおずといった調子で、鈴鹿が声をかけてきた。
「呼びにくくないですか? 純でいいですよ」
「いや、そういうわけには……。その、プライベートな事情には立ち入るつもりはないんだけど、本当にこれでよかったの? 家まで尾行する、とか、この子の情報を集める、とか、しなくていいのかな。学校から帰宅する時のほんの一部分を 『見る』 だけ、しかも写真も何も撮らないって」
「やだなあ」
 純は不本意そうに顔を顰めた。
「尾行したり勝手に調べたり、理由もなく写真を収集したりするなんて、ただのストーカーじゃないですか。俺、あの子を怖がらせたくないんですよね」
「……うーん」
 だったら、便利屋にお金を払ってまで個人の 「観察」 を頼む、という行為は、一体何に当たるのだろう。
「そういうことをするんだったら、最初から興信所にでも行きますよ。逢坂さん達も、怪しまれたりしてないよね?」
「大丈夫と思いますけど」
 こういったことを専門的にやってはいない便利屋とはいえ、さすがに一週間毎日同じ場所で張り込む、という愚は犯していない。大体、肝心の少女は、いつもお喋りに夢中でほとんど周囲に目を向けることもしなかった。
「なら、いいよ。じゃあ、料金を──」
 よほど理由を訊かれたくないのか、鈴鹿がまた口を開く前に、純は手早く持っていた女物のバッグから、封筒を取り出した。
 その封筒を机に置く寸前に、
「──ただ、楽しそうには見えたけど、幸せかどうかまでは判りませんよ」
 という時子の言葉が降ってきて、ぎくりとしたように手を止める。
「え……」
「見るだけでは、結局、何も判らない、ということです。彼女が何を思って、何を考え、どんな悩みや迷いを持っているかなんて。……笑っているから、楽しそうだから、幸せだとは、限らない」
 強張った顔の純に、時子は冷淡に言い放った。こういう時子を見るのははじめてなのか、純は戸惑ってもいるように見えた。
「けど、俺は、別に」
「表面的に楽しそうに見えるのなら、それでいいってことですか」
 口ごもる純の言葉を遮るように言って、時子がふっと笑う。時子君、と鈴鹿が嗜めようとするのを、環がこっそりと目で制した。
「自分で彼女の前には出ないで、他人に見てもらって、『楽しそう』 ならそれでよかった、って満足するわけですか。あの子の心に立ち入ることもせず、そうやってこの先も無責任な傍観者の立場でい続けるんですね。そんなのは、却って迷惑なだけだと思いますけど?」
「…………」
 立て続けの厳しい言葉に、純は封筒を持つ手を中途半端に宙で浮かしたまま、目線を下に向けた。指先に力を込めたのか、封筒に皺が寄る。
 ──しばらくの無言の後、純はふっと身体から力を抜いて、再び顔を上げた。
「……逢坂さんは要するに、俺を怒らせたいんだ?」
 時子はそこでちろりと舌を出して、普段の幼さの残る顔に戻った。「当たりー」 とあっさり肯定して、悪びれもせず笑う。
「大きなお世話だよ、ほっといてくれ! って怒って事務所を飛び出してたかもよ?」
「そうよね、それで当分の間、イヤーな思いを抱き続けるのよね。私に対して悶々と根暗に怒り続けたり、夕陽に向かってバカヤローって叫んだりするんでしょ。少なくとも、満足して自己完結しちゃうことはないじゃない」
「……ふうん。逢坂さんて、意外とお節介なんだ。もっとドライな性格してると思ってた」
「見た目だけでは人を判別できない、っていういい実証例ね」
「ホントは相当変わってる、って噂も聞いてるけど」
「誰がそんなことを? 私ほど常識を弁えた大学生ってあんまりいないと思うわ」
「言うことが時々理解出来ないって」
「何それ。ちゃんちゃら可笑しくて、おヘソがお茶を沸かしそう」
「だからさ、そういうところがさ……」
 そこまで会話を交わして、純ははあーっと大きな溜め息をついた。最初は少し怒っているような顔つきだったのに、今ではすっかり諦めきったそれになっている。純でなくても、口で時子に勝つのは至難の技だ。
「──逢坂さん達はあの子の顔を見たから、薄々判ってるんだよね。だから、そんなことを言うんでしょ?」
 顔だけでなく、口調も諦めたようなものになって、純はぼそりと言った。
 時子と環は黙ったまま、否定しない。不明瞭な写真を見ただけの鈴鹿が一人、怪訝そうにしているが、きっと彼だって、実物を見れば一目ですぐに判っただろう。
 純と彼女が、驚くほどよく似ていることに。
 彼女は友人たちから 「真子」 と呼ばれていた。
 純、と、真子。二人並べて 「純真」。

「……あの子さ、俺の妹なんだよね」

 小学生の時に別れたっきり会うこともなかった妹なんだよ、と続けて、女装のおかげで余計に彼女そっくりな容姿の純は、途方に暮れたように笑った。



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