猫の手貸します

case1:ペット探し

報酬はラバーズトーク(3)




 「トキ」 は、グレーのアメリカンショートヘアーなのだそうだ。
 相田という名の依頼人は、一人暮らしの三十代女性。三年前から飼い始め、ずっと家族同様に一緒に暮らしてきた猫なので、どうしても見つけたい、と彼女は言って、ハンカチで目許の涙を拭った。
「今まで、トキちゃんが迷子になったことは?」
 と、依頼人が住む1LDKのマンションの部屋で、ローテーブルを挟んで彼女と向き合い、聞き取り調査をしながら時子が訊ねた。
 その声音には、たっぷりと 「同情」 というエッセンスが混ぜ込まれてあった。もちろんそれが仕事上のテクニックであることを、後ろに控えている環は承知済である。時子は性格が少々とっちらかっているが、基本的には現実主義者だ。
 実際、そういう親身な姿勢が功を奏し、最初、このマンションを訪れた時に、若すぎる時子の姿を見て落胆と不信を露わにしていた相田女史は、今ではもうすっかり打ち解けたように、時子に向かって飼い猫について滔々と語っている。環のほうは完全に、傍にある観葉植物と同様 「あるけど見えないもの」 扱いだった。
「ないんです。生まれた時から室内飼いで、たまに動物病院に行く時だって、キャリーケースに入れて連れて行ってたし……。ここは三階だし、油断してベランダの窓を開けておいた私が悪かったんです。あの子だけで外に出たことなんてないんだもの、今頃どんなに怯えているかと思うと可哀想で」
「ええ、そりゃあ、ご心配ですよねえ」
 深々と頷きながら、時子はちらりと環に視線をやった。環が了解したように、小さく頷く。
 今まで一回も外に出たことのない猫が迷子になると、普通は依頼人の言うように、怯えてこの近くに身を潜めているというケースがほとんどだ。しかしたまに、余所の猫や犬と遭遇してパニックになり、がむしゃらに逃げ出して、そのまま更に遠くへ行ってしまう、ということもある。後者だと、発見するのはかなり難しい。
「……ここに来る前に、一応、保健所や動物管理事務所なんかにも問い合わせてみたんですけど」
 と時子は堂々と言ったが、実質、問い合わせをしたのは環である。「行きたくない」 とゴネる時子を鈴鹿が説得している間に済ませておいた。
「今のところ、トキちゃんらしい猫は保護されていないとのことで」
「そうですか……」
 時子の報告に、相田女史は目に見えてがっかりした顔になって、肩を落とした。
 しかし実を言えば、環はその他に、清掃事務所や区役所にも、車に轢かれたりして死んだ猫の遺体はなかったか、との問い合わせもしているのだった。幸いにして (と言うべきだろう)、そちらにも該当はなかったのだが。
「トキちゃんの写真もお借りしましたし、私たちは、これから早速、この近辺の捜索にあたります。トキちゃんを見つけても、知らない人間を警戒してまた逃げてしまいそうな場合は、相田さんをお呼びして、その場所まで来ていただくこともあります。ですから、携帯を傍に置いて、いつでも出られる状態にしておいてくださいね。暗くなるまでは捜索を続けますが、それでも発見できなかったら、明日以降に持ち越しとなり、迷い猫チラシの作成と配布も行います。その場合、料金は……」
 てきぱきと説明をする時子の迷いない話し方に、相田女史はすっかり全幅の信頼を寄せた瞳を向けている。
 ここだけの話、時子は、鈴鹿なんかよりも、よっぽど商売上手なのだ。


          ***


「──でも本当のところ、これはちょっと厄介よねえ」
 相田女史のマンションを出て、少し歩いたところで、呻くように時子が言った。部屋を一歩出た瞬間に、その顔からは、営業スマイルは取り払われている。
「そうだな」
 と、その点は同意して、環は頷いた。
 話している間にも、二人で塀の上や車の下などを丹念に調べまわる。環が一人でこれをやると、不審者扱いされて警察を呼ばれたりすることもあるのだが、時子が隣にいるとその点は安心だ。世間は若くて可愛い子に甘い、とつくづく思う。
「環君の勘として、怪しいのは何処だと思う?」
「まあ、あそこだな」
「そうよねえ……」
 そう答えて、苦々しく時子は道の先にある、「あそこ」 と環が示した方向を見やった。
「──なんでこんな住宅街に、お寺なんてあるのかしら」
 ぶつぶつと罰当たりなことを時子は言ったが、田舎だろうが都会だろうが住宅街だろうが、寺はあって不思議じゃない。
 そこは、そんなに広大というわけではないが、ちゃんとした墓地もある檀那寺だった。門に掛かった頑丈そうな木板には、黒々とした筆墨で、寺の名前が記してある。
 相田女史のマンションから近くて、あまりひと気がなく、身を隠す物陰にだって圧倒的に不自由していなさそうなその寺は、無鉄砲な迷い猫が、いかにも真っ先に飛び込んでいきそうな場所であった。
「こんなとこ、探すの大変よねー」
 溜め息混じりに言って、それでも時子はずんずんと寺の門をくぐり、境内へ入っていく。スニーカーが地面の玉石を踏みしめて立てる、じゃり、という音に、ちょっと顔を顰めた。迷い猫探しの注意点は、まず第一に、猫を驚かせないことだ。
「一応、寺の人に理由を話して、許可を貰ってくるから。そのあたり、適当に廻っておいてくれ」
「はあい」
 寺に隣接して建っているのは、おそらく住職の家なのだろう。そちらに向かって走っていく環に返事をして、時子はなるべく音を立てないように、注意深く歩き始めた。



 住職から許可を貰うと、時子と環は、寺の地所のあちこちを探して廻った。
 結構な時間を費やして歩き、墓地から木の上までひと通り調べたのだが、猫の姿はない。
「いないわねえ」
 軽く息を弾ませながら、残念そうに時子が言った。額から滴る汗を、無造作に手の甲で拭き取る。
「まあ、ここにいると決まったもんでもないんだけどな。……どっちにしろ、今日はもう打ち切ったほうがいい。相田さんにその旨連絡してくれ、トキ」
 周囲は夕闇が落ちてきて、薄暗くなってきていた。あと三十分もすれば、明かりなしで動くことは出来なくなってしまうだろう。そうなればもう、猫探しどころではない。
「相田さん、がっかりするだろうなー」
 少し心残りのように周囲を見渡してから、時子は諦めて溜め息をつき、携帯電話を取り出した。時子にだって、仕事とは別に、依頼人が可愛がっている飼い猫を見つけてあげたい、という気持ちは強くあるのだろう。時間が経てば経つほど、迷い猫を見つけるのは困難になる。
「仕方ない。明日はマンションの周囲を徹底的に探そう」
「所長も働かせなきゃダメよ、環君」
 時子は基本、大学生であるから、スズカ便利屋で働く時間は限られている。少なくとも午前中いっぱいは所長に手伝わせなさいね、と上から目線で言い放ちながら、ピ、と携帯のボタンを指で押した、その時。
 ──ぴた、と唐突にその動きを止めた。
「どうした?」
 訝しげに訊ねる環を、「しっ」 と鋭く制して、時子は目線を虚空に据え付けた。何かに耳を澄ませているようだ。
「環君、聞こえない?」
「…………」
 言われて、環も周囲に耳を澄ませてみる。薄暗い境内は他に人もおらず静まり返っていて、門の外から車の排気音が聞こえる程度だ。でも──
 その雑音に紛れて、ニャー、というか細い鳴き声が、耳に届いた。
「いるな」
 思わず言うと、時子が嬉しそうに笑った。
「そうよね、やっぱり! 間違いなくこのお寺のどこかにいるわ。もう一度探してみよう、環君!」
「猫はいても、それが探してるヤツとは限らないんだから、あんまり期待をしすぎるなよ」
「判ってる判ってる」
 本当に判っているのかどうか、頬を紅潮させた時子はあからさまに興奮で上擦っていて、環は苦笑してしまう。今まで散々歩き回って、疲れているんだろうに。
 心細そうな猫の鳴き声は、間を置いてだが何度か聞こえてきたので、その場所を特定するのはさほど難しいことではなかった。周りが暗くなってきて、猫の不安も増大してきたのかもしれない。
「ここだわ」
 と時子が断言したのは、本堂の建物の床下だった。床が高く造られていて、地面との間に空洞がある。鳴き声は、そこから聞こえてくるのだ。
「ここは、さっきも一応調べたんだがな」
 懐中電灯で照らしてみて、名前を呼んでみたのだが (もちろん呼んだのは時子)、その時はなにも見えなかったし反応もなかった。今も、地面に伏せるようにして覗いてみたが、猫の姿らしきものは見えない。
 声の遠さからして、どうやら猫は、ずっと奥のほうにいるらしい。
「こういうところに猫が入り込んで子供を産むとかって話、そういえば耳にするものね。いいわ、私が行くから懐中電灯貸して、環君」
「お前が?」
 驚いたように聞き返すと、時子はきょとんとした。
「当たり前じゃないの。環君のそのでかい図体じゃ、この狭い床下を移動するのは大変でしょ」
「でも、狭いし暗いぞ」
「うん、見れば判るわよ?」
「きっと、蜘蛛の巣なんかが張ってる」
「それくらい、別に気にしないもん」
「虫とか、猫の糞とか、何かの死骸とかがあったりするかもしれない」
「……環君、女の子を脅かして楽しい? 平気よ。もしかしたら平気じゃないこともあるかもしれないけど、悲鳴を出したりして猫を驚かせないようにするから大丈夫」
「………………」
 環が言いたいのはそういうことではないのだが、どうも時子には、うまく通じないらしかった。
「それに環君に、『トキ』 って呼ばせたくないって、言ったでしょ?」
 時子は笑いながら片目を瞑り、環の手から懐中電灯を取り上げた。こんな時、見事に決まる彼女のウインクは、非常に愛嬌があって、なおかつ反論を許さないほど魅力的だ。
 じゃ、行ってきまーす、と軽い調子で言って、時子は地面に這いつくばり、床下に潜っていった。
 環はしょうがなく溜め息をついて、その場にしゃがみ込み、後ろ姿を黙って見送るしかない。懐中電灯の小さな明かりとともに、彼女の身体が闇の中に消えていくのを見て、ひどく心許ない気分になる。

 ──こんなことまで、しなくたっていいのに。

 と、少しばかりの腹立たしさを込めて、心の中で呟いた。その腹立たしさは、時子に対するものというよりは、むしろ、自分に向けたものだった。名前を付ければ、「自己嫌悪」 というやつに近い。
 自分と同じ職場でくるくると働く時子を見るたび、環はいつも思う。こんなことまでしなくていい、と。
 そもそも時子は頭の回転も速いし、要領もいい。適応力だって抜群だ。あんな小さな便利屋なんかでアルバイトしなくたって、他にいくらでも条件のいい働き口は見つけられるに決まっているのに。
 低い時給で、オシャレとも華やかさとも無縁の場所で、汗をかきながら人のために働いて。
 性に合っているとか、動くのが好きだとか、そういうこともあるだろう。でも、もっとも根本的な理由は、「環」 だ。彼女があそこに毎日のように通ってくるのは、そこに環がいるからだ。完全に 「バイト」 の範囲からはみ出した仕事も喜んで引き受けるのは、環と一緒にいられるからだ。顔でも態度でも言葉でも、時子は自分の心を隠さない。
 環はそれを、時々どうしようもない居た堪れなさを感じながらも、何も言わないことで容認している。拒むことも、押し返すこともしない。彼女の心に報いる手段は判っているが、それを素直に差し出してやることが出来ないから、もどかしさが募っていくのを、他人事のように傍観することでやり過ごす。
 いっそ、今のうちに自分から突き放してしまうのが優しさだとは、判っているのだけれど。
 けれど、環はそれにさえも見ないフリを通してしまう。ただ、いつか時期が来て、時子から去っていくのを待っている。「その時」 に、彼女が傷つかないでいるようにと祈りながら、それでも傍にいれば抱き寄せずにはいられない。
 環は、本当に卑怯な大人だった。
「……トキ」
 時子の姿が見えなくなってから十分が経過した。小声で呼んでみるが、返事はない。
 猫を見つけて、逃げないように少しずつ近付いている最中なのかもしれない。そんな時に、第三者の声を聞かせることは禁物である。環は更に、五分ほどそのまま待った。
 物音も、猫の鳴き声も、まったくしてこない。周囲は暗くなる一方だ。
「トキ」
 我慢できなくなって、もう一度声を掛けてみたが、やっぱり返事はない。
 何かあったんじゃないだろうな、とひやりとしたものが心臓を撫でた。こんな床下で起こる 「何か」 ってなんなのか、具体的にはまったく思いつかないのだが、だからこそ、嫌な想像ばかりが膨らんでいってしまう。
「トキ、もういいから、出てこい」
 また五分が経ってから、今度はもう少し明確な声音を出した。やっぱり行かせるんじゃなかった、と舌打ちとともに後悔する。

 ……こんな暗くて狭くて何があるか判らないようなところに、お前を行かせるのは心配だから。

 その一言を口に出来なかったばかりに、自分は今、こんな風に焦らなくてはならない羽目に陥っているわけである。まったくもって、自業自得だ。
「トキ」
 とうとう、大きな声を出して呼んだ途端。
 環のいる場所から少し離れた床下から、時子がぷはっと息を吐き出しながら顔を出した。
「環くーん! 見て見て! 捕獲成功でーす!!」
 満面の笑顔の彼女の腕の中には、灰色のアメリカンショートヘアーが、しっかりと抱え込まれている。
「随分奥に入り込んでて、見つけるのに手間取っちゃった。でも、捕まえるのは案外楽だったわよ。やっぱり、ひとりぼっちで寂しくて怖かったんだねー」
 にこにこしながら猫を抱いて戻ってきた時子は、環の顔を覗き込むと、ちょっとだけむくれたように、頬っぺたを膨らました。
「環君、何度か 『トキ』 って呼んだでしょう。もう、猫の名前を口に出しちゃ駄目って言ったのにー」
「………………」
 猫じゃない。
 と環は心の中だけで反論する。ひとりぼっちで寂しくて怖かったのが猫だけではなかったことを、時子にだけは気づかれたくない。
 頼りない懐中電灯の明かりで照らされた時子は、顔も手も、それどころか全身が真っ黒だった。いつもよく手入れされている髪の毛はボサボサで、その上やっぱり蜘蛛の巣が引っ掛かっている。
 それでも、そんなことをちっとも気にした素振りもなく、嬉しそうに目を細めて猫に頬ずりする時子は、とても綺麗に見えた。
 環は手を伸ばし、時子の腕の中にいる猫ごと、ふわりと彼女を抱き締める。
「……環君?」
 不思議そうに名を呼ぶ時子の唇を、自分のそれで塞いだ。鈴鹿は、時子が一方的に環にベタ惚れだと思っているようだが、それは正確ではない。実際は、環のほうだって相当なものだ。
 唇が離れてから、時子は静かに微笑んだ。
「──あのね、環君。私は別に、『約束』 が欲しいわけじゃないんだよ」
 ああ、そうだろうな、と環は声に出さないで返事をする。それは判っている。判っているけれど、環はやっぱり自分の中にあるその気持ちを、言葉にして口に乗せられない。
「けど、環君の言うとおり、報酬としてそういうのを望むのは、よくないのかも。ごめんね、環君」
「……謝るのは、トキじゃない」
 環は、それだけをなんとか言った。悪いのは、間違いなく環のほうだ。
 時子はそんな彼にまたちょっとだけ笑いかけ、それからくるりと表情を一転させた。
「だからねえ、別の方法を考えることにしたわ」
 そう言って、上機嫌でうふふふふーと笑う時子は、イタズラを思いついた子供そのものの顔をしている。
「………………」
 なんか絶対、ろくでもないことを考えてる、と環は思った。
 こういう時の彼の勘は、今までに外れたことがない。


          ***


 翌日、事務所にやって来た時子は、環に一冊の古びた本を手渡した。
「……なに、これ」
 と訊ねる環は、もうすでに腰が引けている。
「やーね、環君。これはね、ハーレクイン小説っていうのよ」
 そんなことは、表紙を見れば判る。
「おばあちゃんがハーレクイン好きで、うちの本棚にはたくさん並んでるのよねー。その中から、選り抜きのを探して持ってきたの。でね、環君、しおりが挟んであるところだから」
「挟んであるところ、って」
「特別ボーナスでしょ? ヒーローがヒロインに愛を囁いている部分を、私の前で朗読してください」
「………………」
 時子のきっぱりとした要求に、鈴鹿は無責任にも、手を叩いて大喜びをした。
「そりゃいいねえ。本に書いてあるものを読むだけなら、いくら不破君でも出来るだろうし。所長命令だからね、不破君」
「………………」
 ──と、そんなわけで。
 環はそれから、「君の瞳はダイヤモンドのような輝きで僕を魅了し……」 なんて台詞を、時子と鈴鹿の前でつっかえつっかえ朗読させられ、二人に遠慮会釈なくげらげら爆笑されることになった。
「いやあ、楽しいなあ。時子君、次はコレにしようよ! コレ!」
 と、鈴鹿が持ってきたのが、超有名な主人公の決めゼリフがあることで知られるハードボイルドの某名作であるのを見て、環はすぐさま事務所を飛び出して逃亡した。



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