猫の手貸します

case2:浮気調査

若者達に愛の手を(1)




「うわきちょうさあ〜?」
 その日、スズカ便利屋にバイトに入った時子は、所長の鈴鹿にそれを聞かされて、素っ頓狂な声を出した。
 まじまじと鈴鹿を見つめてから、へえー、と素直に感心する。
「私、そんなことまで便利屋の仕事に入ってるとは知りませんでした」
「入ってるわけないでしょ、そんなもの」
 時子のその台詞に、鈴鹿はひどく苦々しい表情だ。普段からあんまり客の来ない事務所なので、いつもだったら仕事の依頼が入ると、てきめんに機嫌が良くなる彼なのだが、今回は事情が違うらしい。
「そんな依頼は、普通だったら、探偵事務所や興信所に持ち込まれるべきもんなんだよ」
「ですよね。じゃあ、なんでまたこんな所に?」
「 『こんな所』 って、時子君、言葉に気をつけてね。いや依頼人もさ、最初、探偵事務所のほうに話を持ち込んだらしいんだよね。ホラ、駅前に大きな事務所があるでしょ、あそこに」
「ああ、ありますね」
 思い出して、時子は頷く。
 駅前という好立地で、しかも立派なビルの中にあるその探偵事務所は、けっこう規模も大きいらしい。「浮気調査ならプロにお任せ!」 なんて自信満々にビルの前に建てられている看板が、通るたびに目につくくらいだ。
 本当かどうかは判らないが、調査員も精鋭を十人以上揃えているとのことで、まあそれが多少誇張だとしても、どちらにしろ、所長一人所員一人バイト一人のこのスズカ便利屋とは、比較にならないところであった。
「けど、そこでけんもほろろに突っ撥ねられたらしくてさ。それだけならともかく、その探偵事務所のやつらが、『そんなことなら近所に小さな便利屋があるから、そっちに頼んでみたらどうか』 なんて、笑いながら言ったらしいんだよ。くそー、余計なこと言いやがって」
 鈴鹿はカンカンに怒っているが、時子はさっぱり話の筋が掴めないままである。せっかくの依頼を撥ねつけたという探偵事務所の意向も判らないが、それを便利屋なんかに押し付けるのは、もっと意味不明だ。
「で、受けるんですか?」
 時子の問いに、鈴鹿は頭を抱える。
「どうしようかなあ〜。さっき電話があってさ、その依頼人、もうすぐこっちに来るんだよなあ〜。どうやって断ればいいんだろ」
「あら、断るんですか。所長はもともと探偵希望だったんでしょ、憧れの仕事が出来るんだから、引き受ければいいのに」
 意外そうに言うと、鈴鹿は明らかにむっとした顔をした。
「僕はねえ、ハードボイルドに出てくるみたいな私立探偵になりたかったの! 浮気調査なんて、ハードボイルド探偵は間違ってもしたりしない!」
「所長ももういいトシなんだから、いい加減そんな夢見がちなこと言うのやめましょうよ。マフィアと関わったり、殺人事件の謎を解く私立探偵なんか、この日本には存在しませんから絶対」
 ばっさりと言い切って、時子は事務所の掃除をするために、さっさと道具一式が置いてある物置へと向かった。浮気調査にもハードボイルドにも興味がないから、要するにこの話題に飽きてしまったのだ。時子は若い女の子だけあって、そういうあたり、かなりシビアである。
「掃除が終わったらコーヒー淹れるからね、環君。ちょっと待ってて」
 自分の恋人であり所員でもある環に向かって、にっこり笑って言う。バイトにやってきたら、まず掃除をし、落ち着いたところで環 (と、ついでに所長) に淹れたてのコーヒーを愛情込めて差し出すのが、時子の日課だった。
「うん……」
 と生返事をする環は、さっきからずっと、自分の机で、壊れたオモチャを直している。
 アニメキャラの可愛い動物が、電池で動いたり喋ったりするというシロモノである。近所に住む子供が持ち込んできたらしいのだが、これだって正確に言うと便利屋の仕事であるかどうかは微妙なところだと、時子は思う。
 つまり、本来、「やれることはとりあえず引き受ける」 というのが、スズカ便利屋のモットーなのだ。今回の場合、鈴鹿は一体、何をそんなに困っているのだろう。
「別に、ゆっくりでいいぞ」
 口の端に、火の点いていない煙草をくわえながら、環は半分上の空だった。よっぽど集中しているらしい。目を眇め、ドライバーでゆっくりと小さなネジを廻す恋人の真剣な姿に、時子はもううっとりと見惚れてしまう。客観的に見れば、別にうっとりするほどのものでもないのだが。
「環君て、けっこう器用よね。こういうのって、直すのに専門的な知識が要るんじゃないの?」
「そうでもない。仕組み自体はわりと単純だから。ちょっと中の配線がおかしくなってるだけみたいだし」
 言いながら、慎重に本体の中の線を引っ張り出す。環の骨ばった大きな指は、細かい作業には向いていなさそうに見えるのに、案外苦もなく動いて的確に修繕箇所を探り当てた。
「………………」
 それをぽうっと見つめて、
(環君たら、不器用そうに見えて、実は何に対しても扱いが繊細だったりするのよね……)
 なんていう時子の内心の呟きは、もちろんオモチャとはまったく無関係のことを念頭に置いている。
 無邪気な子供の世界とは完全にかけ離れたことを勝手に考えて、勝手にきゃっと恥じらい、そのままスキップのような足取りで、今度こそ物置に向かった。
 その背中に、鈴鹿の声が掛かる。
「ねえねえ時子君、話の続きだけどさ」
 ん? と振り返った時子は、さっきの会話のことなんて、もうけろりと忘れ果てていた。
「話の続きって? 環君の指の動きが繊細で、時子照れちゃう、ってところからの続きですか?」
「なんの話かな?! 妄想の続きを現実に混ぜ込まないでよね! それと言っておくけど、この事務所は下ネタ禁止だから!」
 鈴鹿の顔はちょっと赤い。この年齢で、そしてこの風体で、彼は意外と純情であるらしかった。
「そうじゃなくてさあ」
 と、眉を下げた困り顔になる。
「ほら、もうじきに依頼人が来るでしょ? 時子君は上っ面だけはいいから、なんとか上手いこと言って、断っ」
「やです」
 鈴鹿の懇願を、時子はすっぱりと切り捨てた。
「だって私、興味ないですもん。人の恋路のことなんか」
「僕だってそんなの興味ないけど、君は僕に対して、散々不破君のことノロケてるじゃないか。一方的にヤキモチ焼いて、僕に八つ当たりもしてるでしょ。自分のことには他人を巻き込んでおいて、その言い草ってどうなのかな」
「夫だか妻だか知りませんけど、相手の浮気について深刻に悩んでる人の相談相手なんて、間違っても大学生アルバイトの仕事じゃないですよ」
「いや、依頼人は、年齢的には僕より君のほうが近いんだ。恋に悩む人間として、通じるところも多いだろう?」
「でも私は、もし環君が浮気なんてしようものなら、ちゃんと自分で包丁持って問い詰めますよ? 第三者を使って調査をするような人とは、相通じるところなんてないと思います」
 ものすごくさりげなく物騒なことを言っているが、時子の場合本気でやりかねないところが一番怖い。
「じゃあ、もしも引き受けたら、時子君がこの仕事やってくれる?」
 鈴鹿に言われて、時子はびっくりした。そんなこと、猫探しや花の水やりなんかを押し付けられるのとは、次元が違う。
「なに言ってるんですか! もっとイヤですよ! カメラ持って、ラブホテルの前で張り込んだりするのなんて!」
 叫ぶように言うと、「いやいや」 と鈴鹿は慌てて手を振った。
「そんなのだったら、時子君には頼んだりしないよ。僕と不破君とでなんとかする。そもそもこんなに悩まない。そうじゃないから、困ってるんだ」
「…………?」
 わけが判らなくて、時子は環の方へ視線を向けた。手元のオモチャから顔を上げた環は、少し不愉快そうな表情を浮かべている。
「所長、あんまりこいつを巻き込まないでやってもらえませんか。そんなの、説教のひとつでもかましてやれば済むことでしょう」
「それが出来たら、僕だって電話でそうしてるよ。そんなこと言うなら、不破君やってよ」
「俺はただの所員なんで」
「あっ、逃げた! 逃げたよね、不破君! 不破君だってああいうタイプ、苦手なんでしょ?! だから説得するでも引き受けるでも、時子君が適任だろうって、僕言ってるんじゃないか」
「ああいうタイプ……?」
 と、時子としては首を傾げるしかない。鈴鹿や環が苦手というと、よっぽどハイソで美人、とかそういう人なのだろうかと思う。そういう相手であるなら、環に説得役をさせるのは時子だって確かに面白くはないが。
 でも、それならなんで探偵事務所がその依頼を蹴ったのか、という根本的な疑問も生じてしまう。
 その時、事務所のドアがノックされた。鈴鹿が軽く舌打ちする。
「ほら、来ちゃった」
「そりゃ来るでしょうよ。グダグダ言ってるだけで、結局、何ひとつとして物事は進んでないじゃないですか。私だってまだ掃除してないのにー」
 むくれながら、しょうがないので、時子はドアの方に寄っていった。来てしまったものは、とりあえず中に招き入れるより他にない。
「はーい、いらっしゃいませー」
 営業用の笑顔を浮かべて、時子は愛想のいい声を出し、ドアを開けた。
 そして、その場にいた人物を目にし、そのまま動きを止めた。
「こんにちは」
 と、礼儀正しく言ってお辞儀をしたのは、どう見ても中学生くらいの男の子だった。


          ***


 この時、時子が真っ先に思ったのは、ああ、この子が壊れたオモチャの持ち主ね、ということだ。
 なので、口許に浮かんだ笑みを、ちょっとだけ困ったものに変えた。環の修理は、まだ完了していない。
「あの、ごめんね。まだあれ、直ってないのよね。なんだったら、事務所で修理が終わるの待ってる? お菓子と飲み物くらいなら出してあげるから」
 言ってから、まずかったかなと思った。そういえば、もうすぐここに、浮気調査を依頼する人物がやってくるわけである。青少年の前で、そういう遣り取りを聞かせてはまずいだろう。
 ええっと、と口篭る時子に、少年はきびきびと言った。
「何か勘違いされているようですが、あなたの仰っていることと、僕の用件は多分違っています。僕がここを訪ねてくるのは今がはじめてで、何かの修理なども頼んでおりません。それから、お菓子だなんて子供扱いされるのも不本意なので、やめていただきたいのですが」
 少年の言葉遣いは非常に整って丁寧だったが、不遜で傲岸な響きがあった。そして幼い顔立ちにも、はっきりとした尊大さがあった。
「………………」
 時子は子供が好きだが、無条件な子供好きではない。有り体に言うと、可愛い子供は好きでも、生意気な子供はキライである。
 口許の笑みを薄っすらとしたものにまた変えて、すっと目を細める。それは、鈴鹿が見たら、多分間違いなく 「怖い」 と呟く種類のものだ。
「……ぼく、いくつ? 着てるのは、どう見ても学校の制服だから、童顔の成人、ってわけじゃないわよね? それともそれはコスプレ?」
「 『ぼく』 という人を小馬鹿にした呼びかけもやめてください。僕はもう中学の二年生です。見たところ、あなたも相当お若いようですが、どうせアルバイトか何かでしょう? そんな下っ端の人と話をするのも時間が勿体ないので、早くこの事務所の偉い人のところに案内してもらえませんか」
「………………」
 胸を反らしていかにも偉そうにそんなことを言う少年に、時子は、にっこりと笑った。その可愛い笑顔のまま、中指と親指を折った右手を、彼の目の前にかざすように持って行く。
「これ、なーんだ?」
「…………?」
 時子の問いに、少年が眉を寄せる。
 なんだも何も、ただの手でしょう──と言いかけた彼の額に、バッチーンという派手な音を立て、見事なデコピンが決まった。
「いった!」
 悲鳴を上げながら手で額を押さえる少年に、時子はふふんと笑って腰に両手を当てた。
「生意気言うんじゃないのよ、中学生。大人に対する態度がなってない子は、お姉さんからお仕置きです」
「これが大人のやることですか! もういいから、そこを通してください! あの探偵事務所といい、まったくどこもかしこも接客態度がなってないな!」
「あの探偵事務所?」
 驚いた時子が、少年に対してではなく、振り返って鈴鹿に対して聞き返す。鈴鹿はうんざりした顔で、頷いた。
「まあ、とにかくそこに掛けなさい。えっと、君、名前なんていったっけ」
「伊藤です」
「うん、伊藤君ね」
 事務所の中にある小さな応接セットのソファを勧められて、伊藤少年はちょっと顔を顰めたが、渋々のように腰掛けた。背もたれまで深く身を沈めずに、浅く尻を乗せるだけ、といった感じだった。その古いソファが不潔なものであるように思っているらしいのがありありで、掃除担当の時子は、ちゃんと綺麗にしてるのに失礼しちゃう、とぷんぷんだ。
「──で」
 嫌々、という雰囲気を隠しもせずに、鈴鹿が溜め息混じりに切り出す。伊藤少年の前のソファが空いているのに、自分のデスクから動こうともしないその態度は、最初から 「お断り」 の意思を明確に打ち出しているものだったが、少年は唇を一文字に結んだまま、鈴鹿のほうをじっと見据え続けていた。
「……君が、浮気調査を依頼したい相手、っていうのは」
 鈴鹿の質問に、彼は眉を上げ、
「僕の付き合っている彼女です」
 と、はっきりと答えた。



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