猫の手貸します

Last case:ひとだすけ

雪色ロマンス(10)





「──なんだよ、結局ヨリを戻しちゃったのかよ」
 桂馬がものすごく不満そうな表情になって言った。
 まだ夕方にもなっていない時刻に、普通のサラリーマンたるこの男が、どうしてこうも堂々とスズカ便利屋の事務所にいるのか、という疑問は、もはや誰の口にものぼらない。なんかもうどうでもいいや、と突っ込むのも面倒になってしまったのである。
「とどのつまり、一週間だか十日だか、そんな程度離れてた、ってだけの話じゃん。しょうもない、つまんない」
 ぶつぶつと愚痴の止まらない甥っ子のことはこの際無視することにして、鈴鹿は自分の前のソファに座る時子に目をやる。この姿が事務所にあるのは、かれこれ一カ月ぶりくらいだ。
「それで時子君、お祖母さんの具合はどうなんだい」
 訊ねると、時子はにっこりと笑った。ああ、この笑顔を見るのも久しぶりだなあ、と胸がじんとする。鈴鹿は最近トシのせいか、他愛ないことでも非常に感動しやすくなっているのだ。
「はい、もうすっかり。あと一週間ほどで退院できるんです。心臓に負担のかかるようなことをしなければ、日常生活を送るのに何も問題ないって、お医者さんが」
「そうかあー、それはよかったね」
 うんうんと頷きながら、鈴鹿はしみじみと言った。時子がにこやかな笑顔のまま、「所長、その仕草、すごく老人っぽいのでやめた方がいいですよ」 とダメ出しする。一カ月ぶりの時子は、少し痩せたせいか雰囲気が大人びたように見えるのだが、性格は全然まったく変わっていないらしい。
「……それで、時子君はこれからどうするつもりなのかな。いやその、プライベートなことを訊くようで悪いんだけど」
 なにしろ現在の時子は、もうこの事務所とは関わりのない人間である。鈴鹿にとってはすでに部下でもなんでもないのだから、余計な口出しと言われればそれまでだ。それでもどうしても気になって、遠慮しながら口にしてみると、時子はちっとも気分を害した様子もなく、うーん、と素直に首を傾けた。
「とりあえず休学届を出しちゃっていることだし、大学は三年生の前期だけ休もうと思ってるんです。その分、卒業は延びちゃうかもしれないんですけどね」
「そう」
 あまり長時間、家を空けたくないというのもあるのかもしれない、と思いながら相槌を打つ。でもとにかく、卒業しようという意思はあるんだな、と少し安心もした。
「久我君には、連絡したかい」
「しました。もうすっごく怒られちゃいました。純ちゃんて、以前は女の子だったから、怒る時は機関銃みたいな勢いで文句をまくし立てるんですよ」
 その時のことを思い出したのか、時子がちょっとうんざりしたような顔になる。「以前は女の子だったから」、というのもなんだかすごいが、時子にこんな顔をさせるとは、よっぽどだったのだろう。それだけ心配していたんだから無理もない。
「……『俺たちみんな待ってるから、早く戻っておいで』 って、言われました」
 ぽつんと付け加えて、時子の口許にほんのりと笑みが浮かぶ。鈴鹿は、うん、と頷いて、ちらりと環の机の方へと視線を移した。
 そうしたら環は、鈴鹿が今までお目にかかったこともないような優しい表情で時子を見ていたものだから、おやおやという気分にさせられた。なんか妙に暑くないか、この部屋。季節はまだ冬なのになあ。
 それに気がついたのは鈴鹿だけではなかったようで、桂馬が咳払いをしながら、わざわざ環のすぐ前に移動して視界を塞いだ。
「じゃ、しばらくは時子ちゃん、時間が余ってんだ? だったらおれとデートしようよ」
「緒方さんとデートをするような時間は一秒だってありません」
 甘い笑顔での誘いに、時子もいい笑顔でスパーンときつい返事をする。これでもメゲない桂馬の神経は、一体何で出来ているのだろう。鋼鉄か。
「でも、おれ、もう時子ちゃんのケー番知ってるもんね。ちゃんと保存もしたし」
 勝ち誇ったような桂馬の言葉を聞いて、鈴鹿はこの甥っ子に時子の個人情報を教えたことをつくづく後悔したが、時子はまったく動じなかった。
「環君の忠告もあったし、私もそろそろかなと思って、つい先日、スマホに替えたんですよ。ついでに番号も変わりましたから」
「じゃあいいよ、自宅にかける」
「昼間は病院に詰めているので、不在です」
「お誘いの電話を昼間にするなんて野暮なことはしやしないよ。夜の何時頃ならいい? 九時? 十時?」
 桂馬はどんどん畳み込んでくる。これが桂馬君流の口説き方なのかー、と鈴鹿はすっかり感心した。なるほどこのやり方なら、いずれ根負けするか、もっと徹底的に嫌われるか、どっちかだよなあ。普通は後者だろうが、桂馬の場合は顔がいいという資質のおかげで、女性は圧倒的に前者を選択するのだろう。
「まあ……その時間なら」
 まさか時子まで、「根負けする」 タイプだとは思わなかったので、えっ、と鈴鹿は驚いて目を見開いた。桂馬がはっきりと唇を上げる。
 が。
「……出るのは環君なので、いいですけど」
 ぼそっと続けられた言葉に、鈴鹿も桂馬も同時に 「え」 と間の抜けた声を上げた。
「え?」
 ぽかんとしながら、時子を見て、環を見る。時子は目を天井に向けて、環は窓の外に顔を向けて知らんぷりだ。

「ええっ、同棲してんの?!」

 桂馬のあからさまな叫びに、時子が 「緒方さんやめてくださいよー、そんな大声で」 と口を尖らせた。でもまったく満更でもない顔つきである。というか明らかに、うふふと楽しそうである。時子君、もうちょっとね、恥じらいというものをね……
「なにそれ、保護者がいないからって、未成年の女の子の家に図々しく居座っちゃってんの? サイテー! 時子ちゃん、そんな男はサイテーだよ! そんな倫理観と道徳のない男は!」
「緒方さんにサイテーって言われると、まるで私の環君が人間のクズみたいじゃないですか。それに残念でした、私はもうハタチでーす。この間、誕生日を迎えたんでーす」
 自分のことをはるか空高くに作った棚に上げ、いきり立つ桂馬に、時子はぺろりと舌を出した。二十歳を迎えても、やっていることは中学生とそう大差ない。
「だって、私を一人にしておくと、どうせロクなものを食べないから、って環君が言うんですもん。だから、おばあちゃんが退院するまでっていう期限付きですよ。おばあちゃんも、私だけじゃ栄養失調になりかねなくて心配だった、って喜んで承認してくれました」
「見事に色気のカケラもない理由だね……」
 しかし鈴鹿は大いに納得した。時子はちょっと尋常ではないくらい、料理センスの欠落した人間なのである。祖母も環もいない状況で、一体何を食べているんだろうと不安になるのももっともだ。つまり環に言わせれば、それは同棲というより、おさんどんに行っている、と言ったほうが正しいのかもしれない。
 まあもちろん、一度別れて、よりを戻した恋人同士なんだし、そこには甘ったるい空気だってイヤになるほどあるに決まっているが。
 なにしろ、別れている間の不破君の抜け殻っぷりといったら、見ていられなかったくらいだからねえ。
 その点、本人はどうも、あまり自覚がなかったようなのだけど。
 バカだよねえ、本当に。
「不破君は、ちゃんと君を上手に口説いたかな、時子君」
 ガタッ、と誰かが椅子からずり落ちるような物音がしたが、鈴鹿は気にしない。時子も気にしなかった。
「やっだー、所長、聞きたいですかあ?」
「ううん、詳細は聞きたくない。イエスかノーかの答えだけでいいから」
 きゃっと頬を染める時子に、鈴鹿はばっさりと言い切ったが、相手はやっぱり全然聞いていなかった。
「それがもう、ハーレクイン小説ばりに、甘く切なく情熱的な愛の告白をですね」
「ウソだ」
「ウソだね」
 うっとりしながら言いかけたのを、速攻で鈴鹿と桂馬が突っ込む。時子はむっとしたように唇を突きだした。
「本当だもん!」
「不破がそんなこと言えるわけない」
「だよねー、不破君にはそういう才能はないよねー」
「失礼ですよ、二人とも! 環君はやれば出来る子です!」
 どっちかというと、時子の言い方のほうが失礼だ。
 ウソだね、と桂馬はまるで信じていなかった。しつこく食い下がる。
「好きだ、とか?」
「そうですよ」
「愛してる、とか?」
「そうですよ。そっちの言葉は、特定の状況下で、時々言ってくれます」
「どんな状況だよ」
「聞きたいですか?」
「死んでも聞きたくない」
 そりゃ現在、期限付きとはいえ一緒に暮らしているわけなのだから、いろいろとあるのであろう。夜とか、まあ、その。そういう 「いろいろ」 を想像したらしくて、桂馬はむっつりした顔で憤然と腕組みをした。
 鈴鹿が環を窺うと、彼はまだ窓の外を見たままだ。どうやら逃亡のタイミングを計っているものと見た。
「まあ何にしろ、時子君にとってはロマンス小説よりも心に響く言葉だったわけだね」
 多少、環が気の毒になって、話を収めるために鈴鹿はそう言ってみた。どんなものであれ、環の言葉は、時子にとってはあまたある物語よりもロマンスに満ちたものであったのだろう。
「そうですね」
 意外なことに、時子は珍しくふざけもせずに、真面目な顔で同意した。
 静かに微笑む。
「……環君は、私がひとつのものしか選べなくても、『そばにいる』 って、言ってくれましたから」
「え、それだけ?」
 桂馬が驚いたような声を上げた。ものすごく歯の浮くような気障なセリフでも思い描いていたらしい。普通に考えて、環にそんなことが言えるわけがないのだが、もしかしたらという不安はあったようだ。
 急に生き生きとした顔になって、図々しく時子のソファの肘掛部分に腰を下ろす。再び環のいる方角から椅子の軋む音がしたが、鈴鹿は今度も聞こえないフリをした。
「やだなあ、時子ちゃん、そんなことならおれが百回でも二百回でも言ってあげるのにー」
「緒方さんには一万回言われてもなんとも思いません。環君限定ですよ」
「だったらもっと蕩けそうな愛の言葉をさ……」
 言いながらちゃっかり時子の肩に手を廻した途端、手の甲を思いきり時子につねられ、もう一方の腕を、いつの間にか背後に回っていた環にねじりあげられて、「いでででで!」 と悲鳴を上げた。
「……そういえばお前、覚悟がないから止める権利がない、とか言ってたよな」
 やっと喋ったと思ったら、環の声は非常に冷ややかなものを含んでいる。でも顔はどこか薄っすらと楽しげだ。言っちゃなんだけど、かなり怖い。
「おれ、そんなこと言った?」
 ねじられた腕をさすりながら、桂馬がすっとぼける。さすがに何か感じるところがあるのか、少し引き攣った笑いを浮かべ、二、三歩あとずさった。
「言った」
 きっぱり言って、環が自分の手を組み合わせ、バキボキと不穏な音を立てて指を鳴らす。
「てことは、覚悟が出来たら遠慮なくお前を止めていいってことだな。……実は、ずっと前から我慢してたんだ」
「冗談でしょ」
「今回は手加減しないからな」
「おい、ちょ」
「歯を喰いしばれ」
「やだよ、暴力反対!」
 桂馬が狭い事務所内をドタバタと逃げ回る。桂馬を助ける気なんか全然ない時子は、無責任にも、「環君かっこいい!」 と歓声を上げて囃し立てた。
 それを聞きながら、こんなにもこの事務所が賑やかになったのは久しぶりだなあ……と、鈴鹿はちょっとしみじみした。
 不破君も元気になったことだし。
 ──救われたのは、果たしてどっちなのかなあ。

 幸せは与えるものじゃなくて、一緒に作っていくものだって、君たちはもう、気がついたかな。

「……それで時子君、ここのバイトはどうするんだい?」
 馬鹿騒ぎがひと段落してから (桂馬は結局頭にゲンコツを喰らって、痛そうに呻いている)、鈴鹿は時子に向かって訊ねた。
「あ、それ」
 時子が思い出したように手を打つ。もともと、それを言うためにここに来たんでした、とでも言いたげだった。というより、本当に今の今まで本来の用件を忘れていたようだ。
「あの、おばあちゃんが退院して、様子が落ち着いてから、の話なんですけど」
 少し、照れくさそうな顔をした。
「……もう一度、私を雇ってもらえませんか、所長」
「うん、いいよ」
 鈴鹿の返事は早かった。ぱっと花が綻ぶみたいに時子が笑い、鈴鹿も目元を和らげた。
 はあー、と肩の荷を下ろしたように息をつく。
「もうさあ、君がいない間、川又さんにはしょんぼりされるし、江原さんには怒鳴られるし、僕も実際、困ってたんだよね。あ、でも時給は以前と同じだけどね」
 そこだけはしっかりと忘れないで言っておく。時子は 「わあー、ギャフン、って感じですねー」 と目を丸くして感嘆した。感嘆の仕方が古い。今さらだが。
「あんな低い時給でよくやれるよね」
 と桂馬は呆れている。環が不在の間働かされて、鈴鹿が純に支払った時給の金額も知り、あまりの低さに本気で驚いたらしい。
「もうさあ、時子ちゃん、いっそ自分で便利屋を開業したほうが儲かるんじゃないの」
 今度は鈴鹿が目を丸くした。え、なに言ってんのかな、と口にするよりも前に、
「そうだな。剣崎さんや、『m.m』 のオーナーや、資金を融通してくれそうな人材にも困らないしな」
 と環がさりげなく悪ノリして、鈴鹿はますます、ええー、と顔を引き攣らせた。
 時子も、なるほどー、と頷いている。鈴鹿の額に汗が滲んだ。ここは絶対に頷いてほしい場面ではない。
「便利屋の所長かあ。そうよね、大体ノウハウも判ったし、私って、わりと商才ありそうだし」
 ぐぬぬ、と口を噤んで唸ったのは、それが否定できないからだ。時子が便利屋なんて開業したら、間違いなくこの事務所の八割くらいの顧客を持って行かれる。
「あっ、そうしたら、おれもそこの所員になろうかな」
「なんでそんなウキウキしてんのさ! 桂馬君、僕の甥っていう立場を忘れてるよね!」
「俺は当然そっちに移りますから、後釜を今のうちに探しといたほうがいいですね、所長」
「当然て言った! 表情も変えずに当然って言った! 不破君の薄情者ー!」
「まあまあ、所長もバイトとして私が雇ってあげますから」
「絶対にいやだ!!」
 全員に寄ってたかって苛められ、鈴鹿はすでに泣きそうだ。
「冷たいよ君たち! 不破君も時子君も、このスズカ便利屋の所員でしょ! いわば僕の家族も同然じゃないか!」
 その言葉に、環はかなり露骨にイヤそうな顔をしたが、時子はぷっと明るく噴き出した。
「悪くないです、それ」
 ふふ、と目を細めて笑う顔は、ひどく幸せそうだった。

「──私、多分所長が思ってるよりもずっと、ここが大好きなんですよ」

 その時、事務所の電話が鳴った。
 電話のいちばん近くにいた時子が、訊ねるように鈴鹿の顔を見る。鈴鹿が頷くと、にっこりして受話器を取り上げた。
「はいもしもしー、リンリン参上、あなたの街のスズカ便利屋でーす!」
 時子の澄んだ声が、室内に響き渡る。



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猫の手貸します・完

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