猫の手貸します

case2:浮気調査

若者達に愛の手を(2)




「……で、その彼女っていうのは、いくつなわけ?」
 と、鈴鹿がうんざりしたような顔のまま訊ねると、伊藤少年は瞳を険しくさせた。中学生とはいえ、理知的な顔つきをしている分、けっこう迫力があって、そういう意味では、鈴鹿は完全に負けている。
「僕、電話で一通りお話したと思うんですけど。警察の尋問みたいに、同じ内容を何度も言わせようってことですか? 時間の無駄だと思うな。それに所長さんは、メモを取ろうっていう姿勢すらないじゃないですか。電話で一度聞いて記憶できない程度の頭なら、二度聞いたところで覚えられるとは思えませんから、きちんと文面として残しておくことをお勧めします。大体──」
 立て板に水のごとくまくし立てられて、鈴鹿は口を噤み、小柄な身体をますます縮めていった。環だって言いたいことはあるのだろうが、もとより口の廻る男ではないので、渋い顔で黙ってオモチャを直している。
(ははあ……)
 なるほど、「苦手」 っていうのはこういうことなのね、と時子は非常に納得した。確かに、この相手に説教するのも説得するのも、そりゃ難しいであろう。というか、口先勝負では二人がかりでも勝てないに決まっている。
 納得してから、むくむくと興味が湧いてきた。夫婦間の浮気騒動であるなら、首を突っ込むつもりなんかは毛頭なかったが、これはこれで、ちょっと放ってはおけないではないか。いろいろな意味で。
「で、彼女って、いくつ?」
 彼の前のソファにすとんと腰を下ろし、同じことを訊ねてみる。しかし少年は年若い時子を相手にするのが不快だったらしく、眉根を寄せて、じろりと自分の目の前のバイトを一瞥した。
「……僕は、この事務所の所長さんとお話したいのですが」
 むっとしたまま文句を言う少年に、時子はもちろん一歩も退いたりはしない。
「あら、残念でした、お客さんから依頼内容を聞き出して、調査票に記入し所長に提出するのは、この逢坂時子のお役目です。調査票を出さなきゃ、この依頼ははじめから無しも同然。いわば仕事を引き受けるも引き受けないも、私の胸先三寸ってことよ。つまり私がこの事務所の受付であり査定人であり最初の関門でもあるわけです。私に話を通さなきゃ、問答無用で依頼はお蔵入り。この事務所、および所長も環君も私も、君のためには指一本動かしたりしないわよ。それに賛同できないって言うんなら、さっさと帰ることね。他のどこでも中学生の話をちゃんと聞いてくれるかどうかは怪しいけどね」
「──……」
 伊藤少年に負けず劣らず、というか、完全に彼のよりも早いスピードでなおかつ滑らかに出てくる言葉は、さながら機関銃の如しであった。さすがの少年も、言い返すきっかけが掴めないらしい。
 え、いつの間にこの事務所はそんなシステムに……? と、あらゆる面で初耳な時子の台詞に、一応この事務所の責任者である筈の鈴鹿は、ただひたすら唖然とするしかない。
 唖然としすぎて反論も出来なかっただけなのだが、とにかく結果として、所長から否定の言葉がなかったことに、伊藤少年も、まず最初に時子に話をしなければならないことは認めたようで、渋々のように、口を開いた。
「──彼女は、僕と同い年で」
「ふんふん、中二ってことね。へえー、中学生同士でもう付き合ってたりするんだ。最近はアベックになるのが早いのね」
 時子は感心するように言ったが、その言葉に、唖然としていた鈴鹿は今度は仰天した。
「古い! 時子君、『アベック』 なんて、今はもう新聞記事とか警察の供述調書とかでしかお目にかかれないよ! 君、一体どういう言語センスしてんのさ!」
「えー、そうですか。じゃあなんて……あっ、わかった! 『ツーショット』 でしょ!」
「ふっる!!」
「ええー、それも古いんですかあ?! だったら、なんて言うんですか。環君、知ってる?」
「カップル、とかでいいんじゃないのか?」
「かっぷるう? えー、なんかそれって普通すぎじゃない? もっとなんていうか、流行の最先端をいくような呼び方はないの?」
「その理屈で言うと、『普通』 と 『流行り』 は同時に成立しないことになるんだが、お前の頭の中ではそうなのか?」
「ていうか時子君、君ホントに大学生? 友人同士で話しててツッコまれない?」
「よくヘンな顔されます」
「だろうね。不破君はなんとも思わないの?」
「トキは高校生の頃からこうだったから、いい加減慣れました」
「ねえねえ、それで本当に 『カップル』 でいいの?」
「関係ないところで延々と揉めないでください!!」
 わいわいと騒ぐ三人に、伊藤少年はガマンできなくなったように叫んで、ばんっと思いきり机を平手で叩いた。無理もない。
 それで一旦、ぴた、と三人組は喋るのを止めたのだが、
「……短気な子よねー。こういうところが彼女に浮気される原因なんじゃない?」
「まあまあ時子君。やっぱり若いとさあ、いろいろと溜まるもんがあるんだよ」
「所長、下ネタは禁止だって、さっき自分で言ってたじゃないですか」
 と、今度はぼそぼそとバカな内緒話を交わしだす。内緒話ったって、音量はまったく抑えられていないので、伊藤少年はもうキレる寸前だ。多分、「若いから」 とか関係なく。
「えーと、それで、どこまで進んだんだっけ?」
「話は最初のところからびたの一歩も進んでません……!」
「君、伊藤なんていうの?」
 アッサリと話を元に戻した時子の問いかけに、もう反発する気力も失せた少年はがっくりと肩を落とした。力なく、「……伊藤、秀一です」 と答える。まんまと術中に嵌まったのか、三人が本気で天然なのか、見極めがつかなくて腹立たしそうだった。
「秀一君ね。彼女の名前は?」
「宇佐美朋香……」
「ふーん。ニックネームは 『うさちゃん』? 『ともちゃん』?」
 大変にどうでもいいことまで聞いている。大体、「調査票を記入」 とか言っといて、ペンすら持ってないし。
「学校は、私立の南星中よね。あの偏差値が高いことで有名な」
 時子に言われて、一瞬、秀一はぎょっとしたような顔をしたが、すぐに自分の制服に校章が付いていることに気づいて、仕方なさそうに頷いた。
「うさちゃんも同じ中学に通ってるの?」
「……ちがいます。彼女は、地元の公立中学に行ったから」
「違うんだ? じゃあ付き合いっていうのは小学校から続いてるものなの? 習い事関係か何かで知り合ったの?」
「……小学校が、一緒で」
「同じクラスだったの? それとも家が近くとか?」
「………………」
 ついさっきまで散々話を逸らせていた人間と同一人物とは思えないほど、おっかぶせるような連弾の質問攻めだ。
 逆に、秀一の方は、徐々に言葉が少なくなっていった。目線が下降していき、終いには、ぐっと唇を噛み締め黙ってしまう。
 少しの間、彼は目の前のテーブルに視線を固定させていたが、ややあって、じろりと上目遣いに時子を睨みつけた。ふてぶてしい態度は変わらなかったが、瞳には、子供が我を張る時のような頑なな光が居座っていた。
「……そこまで突っ込んで訊いてくるってことは、依頼を引き受けてもらえるってことでいいんですよね?」
 時子はしれっとした顔をしている。
「私、さっき言わなかったっけ? まず聞き取りをして、調査票を記入してそれから」
「こんな質問、なんの意味があるっていうんですか! 僕はただ、調査を頼みたいだけなんだ! 引き受けてくれるかくれないか、どっちなんですか!」
 激昂して、秀一は制服のポケットから、白い封筒を掴み出し、乱暴に机の上に叩きつけた。
「十万あります。言っておくけど、親から盗んだ金とかじゃありません。僕の今までのお年玉やお小遣いを貯めてあったものです。これで足りないって言うなら、今すぐには無理だけど、時間をかけてでも不足分は払います。僕に雇われてくれるっていうなら、あなたたちは黙って、僕の言うとおりのことを調べてください!」
 時子が少しだけ目を眇めた。口許には笑みが浮かんでいるが、さっきまでの面白半分のそれではない。
「──調べるって?」
「朋香、最近、電話してもあんまり出てくれない。会っていても、話していても、どこか上の空だ。僕とも目を合わせないし、笑うこともなくなった。──絶対、他に好きなヤツが出来たに決まってる。その相手を見つけ出して、どんな男なのか調べてくれればいいんです!」
「………………」
 思い詰めたようなぎらぎらとした眼差しに、時子と環は無言だ。
 鈴鹿はおもむろに、はあーっと深い息を吐いて、言った。
「……あのさあ伊藤君。悪いけど、お金の問題じゃないんだよ」
「じゃあ何が問題なんですか。僕が子供だってことですか」
 そりゃそれが一番の理由に決まってるでしょ──と鈴鹿は心の中で呟く。いくらこのスズカ便利屋が 「なんでも引き受ける」 といったって、中学生から金を貰って、同じく中学生の浮気調査なんて、出来るわけがないではないか。
 しかしそれを、このませた子供にどう説明したら引き下がってくれるのか、と悩んでいると、
「そうよ、お金の問題じゃないわよ」
 と、時子が厳しい口調で言い切った。
 引き締まった表情で秀一に向き合うその姿に、鈴鹿はほっと安心した。なんだ、時子君、ちゃんと諭してくれる気があるんじゃないか。どこからどこまでが真面目でふざけているのかさっぱり判らない時子だが、やっぱり大人としての分別くらいはあるんだな、としたり顔でうんうんと頷く。
「そうそう、時子君の言うとお──」
「問題はねえ、誠意と愛情よ!」
 きっぱりとしたその言葉に、鈴鹿は椅子から転げ落ちた。


          ***


「誠意と愛情って……なんですか、それ」
 秀一は毒気を抜かれてぽかんとした。
 うん、ありがとう伊藤君。僕も今まさに、その質問がしたかったところだよ、と鈴鹿はデスクの下でひっそりと拍手する。
 時子はなぜか、とっても偉そうにふんぞり返っていた。
「私は、ここにいる環君と、人も羨む仲の良いアツアツカップルです」
 早速 「カップル」 という言葉を使っているのはいいとして、「アツアツ」 というのはどうなのか。
 いやいや問題はそこではない。まるでなんの脈絡もないことを堂々と言う時子に、秀一はもう目が点になっている。もちろん鈴鹿だってそうだ。唯一、環だけは、あんまり表情を変えていなかったけれど。
「でもたとえばこの先、万が一、万万が一、環君が私以外の女の子を好きになっちゃったとして、その時、私はちゃんと環君から話を聞くわよ」
 包丁持ってね、と鈴鹿は内心で付け加えた。
「喧嘩になっても、泣いちゃっても、大暴れしても、怒りのあまり手や足や場合によっては武器なんかが出ちゃったとしても、それでもまずは話を聞く。誰か別の人にそれをやらせたりしない」
「……結局、子供が生意気言うな、って話ですか」
 低く尖った言葉を、「はあ? なに言ってんの、あんた」 と時子は一蹴した。
「なんでって、そこには信頼があるからよ」
「信頼……? 裏切った相手に?」
 「裏切った」 と言った時の秀一の声は、まるでものすごく苦い何かを吐き出すようだった。強張った顔からは、それだけで、彼女に対する彼の心情が透けて見える。
 その幼い一途さも、やりきれない怒りも、鋭すぎる痛みも。
 朋香は、僕を裏切ったんだ──
「……環君が、私以外の誰かを好きになるのは、『裏切り』 とは違うよ。悲しいことだけど」
 時子の瞳は真っ直ぐに秀一を向いている。
「これから、環君が他の人を好きになっちゃったり、私のことを嫌いになっちゃったりすることは、あるのかも。人の心は、縛れないものだから。正直に言うと、それは怖いし、不安だし、とってもイヤ」
「………………」
 環は、何かを言いたそうに少しだけ唇を動かしかけたが、結局やめて、その代わりのように机の上に放ってあった紙箱から煙草を取り出し、口に咥えた。何かを言い出さないために、わざとそうしたようにも見えた。
「けど、それでも私は信じてるもん。──もし、そういうことになったとしても、その時環君は私のことを、吸い終わった煙草を道端にポイ投げするような、無責任な捨て方はしないって。『好き』 はなくなっても、誠意と愛情まで全部を放棄したりしないって。きっと、私が納得するまで話し合いもして、ちゃんと筋を通してくれる人だって。だから私は、怖くても不安でもイヤでたまらなくても、環君の話を自分で聞こうと思える。それが、信頼ってもんじゃないの? そして、恋と同様に、信頼って、一方通行では成り立たないと思うけど」
「………………」
 秀一は、無言で顔を俯かせた。
 しばらくしてから、僕……と、口から漏れてきたちいさな声は、少しだけ震えているようだ。
 ふいに環が動いたと思ったら、煙草を口許にぶら下げたまま、唐突に秀一の後ろ襟首を掴んで、強引にソファから引き立たせた。秀一がびっくりして目を見開く。
「な、何するんですか」
「なにって、行くんだろ。彼女の家に」
 当然のように言われて、秀一の視線が迷うように周囲を泳いだ。
「……けど」
「トキの言うとおりだ。順番を間違えるな。こんな所に来る前に、お前はまず自分の彼女と話をするべきだ。そうだろ?」
「………………」
 顔を歪ませて、秀一が時子のほうを向く。その隙に、環の手が素早く動いて、机の上にあった白い封筒を、さりげなく秀一のズボンのポケットに潜り込ませた。
「そーゆーこと。じゃあ、行こうか、秀一君。大丈夫、途中まで、私たちもついて行ってあげるから」
「…………」
 時子の明るい声に背中を押されるように、秀一はわずかに頷いた。
 ドアに身体を向けると、ゆっくりとだが足を前に踏み出す。
「──じゃ、行ってきます、所長」
 環の言葉に、鈴鹿はやれやれと苦笑した。
「……時子君は、なかなか大した子だよね、不破君」
 秀一と一緒に事務所を出て行く時子の後ろ姿を見送って、こっそりと環に向かって囁く。
「そうでしょう」
 環はやんわりと目を細めて、そう言った。



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