猫の手貸します

case2:浮気調査

若者達に愛の手を(4)




 電車を降りたら、周囲は薄っすらと夕暮れに染まり始めていた。
 朋香の家に向かって歩きながら、秀一は痛々しいほどに緊張していた。身長は時子と変わらないくらいなのだが、やっぱりまだ 「少年」 としか表現しようのない細い身体が、まるで針金でも入っているかのようにぴんぴんと張り詰めている。
「……後ろからどんって突き飛ばしたら、マネキン人形みたいにそのまま真っ直ぐ前に倒れそう」
「だからって本当に試すなよ」
 秀一の後ろについて歩いていた時子がぼそっと呟くと、すかさず隣の環が牽制した。やりかねない、と思っているらしい。
 そんな二人を振り返り、秀一がじろりと睨みつける。
「……二人とも、他人事だと思って、楽しんでませんか」
「そりゃまあ、他人事だし。別に楽しんではいないけど、正直言って、秀一君の恋の結末がどんなことになるかまでは、私たちにはカンケーないし」
「………………」
 平然とした態度で、ずけずけと言い切る時子に、秀一は心底からげんなりした顔になった。
「時子さんて、顔は可愛いのに、性格は最悪ですよね」
 断言されて、時子がぷっと膨れる。
「なによ、失礼ね! 可愛いのは確かだけど」
「そうだぞ、確かにトキは性格はよくないが、『最悪』 ってほどじゃないぞ」
「違うでしょ環君! そこは全面的に否定するところでしょ!」
 ぴしぴしと環を叱りつける時子を見て、秀一はつい、それまで自分の中に溜め込んだいろいろなものを忘れて、ぷっと噴き出してしまった。この二人を相手にキリキリすることが、馬鹿馬鹿しい、ということにようやく気づいたのかもしれない。
 ──はじめて見せた彼の笑顔は、それなりに可愛らしかった。
「ヘンな人たちだなあ」
「よく言われるわ」
「お前がな」
 秀一はそれを聞いて、また笑った。ぎこちなさのない、素直な笑い方だった。
 けれど、笑いを収めてから、また視線を前方に戻し、今度はすうっと真面目な顔になった。
 ──目をやる先には、「宇佐美」 という表札の出ている家がある。
「……僕」
 ぽつりと呟く声は静かだった。笑ったことでさっきまでの息苦しい緊張感が消えて、逆に、気が抜けたようだ。
「僕、探偵事務所に押しかけた時、ほとんど何も考えてないような状態だったんだ。冷静になってみれば、中学生の依頼なんか引き受けてくれるわけがないってこと、僕にだって判ってる。でもその時は、不安で、怖くて、とにかく誰かに何かをぶつけてやりたくて、無我夢中だった。けど──そこで、すごく笑われて。『子供がなに言ってんだ』 とか、『その年で別れるもへったくれもあるか』 とか、『中学生は大人しくベンキョーしてりゃいいんだ』 とかって、その場にいた人たち皆に、大笑い、されて。それで余計に、頭に血が昇った」
 秀一は無表情で淡々と話しているが、いかにもプライドの高そうな彼にとって、それは本当に屈辱的な出来事だったのだろう、ということは簡単に想像できた。スズカ便利屋にやって来た時点で、秀一はかなり正常とは言いがたい精神状態であったわけだ。可愛げのないところは、もとからの性質だとしても。
「……こんなんじゃ、もし本当に朋香に、他に好きな人が出来た、って言われたら、僕すごく取り乱すかもしれない」
「そりゃそーね。私なんか、環君にそんなこと言われたら、地球が壊れるくらい大暴れすると思う」
「泣いたり、怒ったり、縋ったり、たくさんみっともないことをしたりするかも」
「おう、思いきりやれ。若さの特権だ」
「………………」
 時子と環の言い草はどこまでも無責任、かつ能天気である。もうちょっと、励ますとか、力づけるとか、諌めるとか、普通のことをしたってよさそうなもんじゃないか、と秀一は脱力しそうになったが、不思議と腹は立たなかった。
 ヘンな人たちだなあ、ともう一度思う。
 ──「カンケーない」 と言いながら、そして実際、全然関係ないのに、こんな所までついてきて。
 秀一は、じっと朋香の家の玄関を見つめた。
 それから改めて、時子と環に真っ直ぐ向き直る。

「……『子供のくせに』 なんて言葉だけで片付けないでくれて、ありがとう」

 そう言って、きちんと頭を下げた。
「うん、いってらっしゃい、秀一君」
 にこりと笑って時子が言うと、秀一は頷いて、くるりと背を向けた。
 一歩一歩、目指す家に向かって、歩き出す。
 その足取りに、もう迷いはなかった。


          ***


 秀一が朋香の家のインターホンを鳴らすところまで見届けてから、時子と環はその場を引き上げることにした。子供だろうが大人だろうが、この先のことは第三者が介入するようなことではない。
「ね、環君」
 駅までの道のりを並んで歩きながら、時子に名を呼ばれた。
「……ん?」
 内心で一瞬身構えてしまったのは、もちろん、電車の中での秀一との会話が頭にあったからだ。時子の声の調子は、普段とまるで変わらないものだったが。
「思ったんだけど、私って真ん中よね」
「真ん中って?」
「秀一君と環君の、ちょうど真ん中くらい、ってこと」
「ああ……年齢的にってことか」
 中学二年生っていうと十四歳くらいか、と環は頭の中で計算しながら答える。自分が二十五だから、十九の時子は確かにその真ん中だ。
「そ。だからねえ、秀一君の前ではけっこう偉そうなこと言っちゃったけど、私、秀一君の心情もすごく判る。──多分、環君よりも深いところで、あの子に共感できる」
「……ああ」
 共感できるから、放ってはおけなかったんだろう。
「けど、秀一君よりも少し余分に年を重ねてる分、『大人』 の言い分も判る。複雑なところも、ずるいところも……理解できる」
「………………」
 理解できるから、あの時の時子は、環から目を離して、窓の外を見ていたんだろう。今だって、蒸し返して、問い詰めたりしない。聞き流し、目を逸らし、笑顔を浮かべ、なにごともなかったように振舞って。
 本当は。

 ……本当は、時子に、そんなことを 「理解」 させてしまってはいけないのに。

 無言になって歩いていると、ふいに、手がぬくもりに包まれた。
 隣に目をやると、環の手をきゅっと握り締め、こちらに顔を向けた時子が、えへへ、と笑った。
「こうやって夕暮れの中、手を繋いで歩いていたりすると、いかにも恋人同士、って感じよねえ」
「恋人同士だろ」
 いろいろと問題はあるけれど。
 ……お互いに向けられている感情は、今のところ、同じものなのだから。
「仕事中なのにねえ」
「仕事かどうかはけっこう微妙だけどな」
「せっかくだから恋人繋ぎしよう、環君!」
 きゃっきゃっと無邪気に提案して、時子の細い指が、環のそれにいっぽんずつ絡んできた。ちょっと恥ずかしいが、時子があまり嬉しそうに笑っているので、少し苦笑しながら、ぎゅっと握り返す。
「やだー、照れるー」
 と言う時子の顔には、何の屈託もない──ように、見える。時に子供みたいになる時子の言動の底には、大人の思惑が潜んでいる、こともある。本気で子供の部分も、もちろんたくさんあるけれど。
 子供で、大人。その狭間にいる時子は、どちらの顔も同じくらいの比率で持っている。大人のしたたかさと柔軟さ、そして、秀一のような純粋さと危うさも。
(……「他に好きな人が出来た」、か……)
 先ほどの秀一の言葉を思い出す。
 時子はあれこれと言っていたが、環は多分、これから先も、自分はそんな台詞を言うことはないだろう、と思っている。良くも悪くも、時子ほど強烈に自分を惹きつける存在が、他に現れるとは思えないからだ。逆のパターンは起こり得るとは思っても、環自身にそれを想定するのは難しかった。
 じゃあ、時子にそんなことを言われた場合、自分がどんな行動に出るのかと考えてみれば、そっちのほうは答えが出るのが簡単だ。環はきっと、「大人」 としての分別でそれを受け入れる。秀一のように、取り乱すことも、泣くことも、怒ることもしないで。内心はどうあれ、少なくとも、表面上は。
 ──それはちっとも、「カッコイイ」 ことなんかではないのだが。
 再び隣に視線を移すと、時子が環と目を合わせ、ひとつ瞬きをしてから、ゆっくりと、淡く微笑んだ。
「…………」
 こういう大人びた表情をする時の時子は、何を考えているのか環にはまったく推し量ることが出来ない。いつもは非常に判りやすい彼女なのに、たまにそんなことがある。何を見て、何を思っているのか、判らない。判らないだけ距離を感じて、環はせめて、繋いだ手に力を込める。
 ぴったりとくっついた手の平の熱さが、妙に切なかった。
(……大人でも、子供でも、同じさ)
 どんな形であれ、一歩を踏み出した秀一は、同じ場所で立ち止まったままの環より、勇気があるに違いない。

 好きなひとが去っていくのは、そりゃあ、怖いに決まってる。




          ***


 ──次の日、スズカ便利屋に現われた二人を見て、時子は相好を崩した。
「あらっ、ハリネズミ君。いらっしゃい」
「誰がハリネズミですか」
「ひょっとして、そっちの子がうさちゃん?」
 むっとした顔の秀一の文句は聞き流して、時子はにっこりと、彼の隣に立つ温和そうな少女に向かって笑いかける。
 突然 「うさちゃん」 などと親しげに呼ばれて、少女は少し戸惑っていたが、遠慮がちに笑いを返した。
「むさ苦しいところですけど、どーぞ」
 にこにこして時子は二人を招きいれたが、自分の大事な事務所を 「むさ苦しいところ」 呼ばわりされた鈴鹿は、後ろのデスクですっかりいじけている。
 ソファに案内された秀一は、やっぱり昨日と同じように浅くしか腰掛けようとしなかったが、朋香のほうはきちんと奥まで深く座って、行儀よく揃えた膝の上に両手を乗せた。いい子だわ〜と、時子の中で朋香の株は花丸急上昇である。
「一緒に来たってことは、仲直りしたのね」
 時子にあっけらかんと言われて、朋香はぽっと頬を赤く染めた。秀一はそこまで露骨に態度に出しはしなかったが、それでも視線を明後日の方向に向けているのは、やっぱり照れくさいかららしい。
「……わたしが、悪いんです」
 と、朋香が、もじもじと恥じらいながら切り出した。
「わたし、学校の成績があんまり良くないから、秀一君によく勉強を教えてもらってて。けど、そのせいで秀一君、この間の中間テストで随分順位を下げちゃって……。秀一君の足を引っ張ってどうしようって、泣きたくなるくらい、ずっと悩んでたんです」
「馬鹿だな、朋香。順位が下がったのは、朋香のせいなんかじゃないって、あれほど言ったのに」
「秀一君は優しいから、そう言うけど。わたしは自分が情けなくて。申し訳なくて合わせる顔もなくて、でも、そのせいで、なんだか秀一君に余計な心配させちゃって」
 見事なまでに文末が完結しない喋り方だな、と朋香の台詞を聞きながら、環は感心した。というか、そんなことでも考えていなければ、なかなかアホらしくて聞いていられない。二人の中学生達は、「僕、てっきり朋香に他に好きな奴が出来たんだと」 「やだ、そんなことあるわけないじゃない」 などとイチャイチャやっているからである。単純な鈴鹿は、「いやあー、朋香ちゃんは今時珍しい、いじらしい子だなあ」 と、涙ぐまんばかりに感動しているが。
「そうよ、うさちゃん。テストの点が悪くなる、なんてのは完全に自己責任の問題なんだから、ほっときゃいいのよ。彼女が出来て浮かれて自分の勉強が手につかなくなるなんて、まだまだ青いってこと」
 時子はさばさばとそう言って、それでも目元を和ませた。
「でも、誤解が解けてまた仲良くなれたなら、よかったね」
「はあ、まあ」
 秀一は仏頂面で返事をしたが、その隣で朋香はくすくすと笑っている。お互いに自分の中のものを曝け出して気持ちを確認しあった後、何より先に、「報告に行かなくちゃ」 と言い出したのは秀一だ。
 うんうんと頷いてから、時子はちいさな欠伸をした。
「私も環君も、昨日は秀一君のことが心配で心配で、よく眠れなかったのよね。だから今日は寝不足で」
「絶対ウソですよね」
「今日の君たちが二人揃って眠そうなのは、そんな理由じゃないよね、絶対」
 秀一と鈴鹿から入ったツッコミをすっぱり無視して、「そんなことより、うさちゃん、これ見てー」 と、ころっと話を変え、時子は朋香に机の上に載っていたオモチャを見せた。
 そのアニメキャラの丸っこい動物を見て、朋香が嬉しそうに目を細める。
「可愛い」
「でしょ? 壊れてたのを、環君が直したのよ。これねえ、自分の声を録音して、再生できる、っていうオモチャなの。いい? 見ててね」
 そう言って、時子が胴体の下にある小さなボタンを押した。
 ──と。
「タマキクン、ダイスキダイスキ」
 という機械の合成音がオモチャから聞こえた。同時に、パタパタと短い尻尾が動く。
 わあっ、と朋香は目を輝かせて喜んだが、鈴鹿はひっくり返りそうになった。
「ちょっとちょっと! 時子君、君、客の持ち物になに吹き込んでんのさ! もうすぐ依頼人が取りに来るんだからね、その前にさっさと消しなさい!」
「えっ、やですよ。せっかく入れたのに。ねー、環君」
「いや、俺も本心から消して欲しい。ていうか、お前、いつの間に」
 環の顔は少しばかり赤い。
 時子は陽気に笑って、「タマキクン、ダイスキダイスキ」 と繰り返すそのオモチャを、愛しげに抱き締めた。


「……本当に、楽しい人たちばかりだね、秀一君」
 朋香が笑いながら、こそっと秀一に囁いた。
「ただの変人の集まりだよ」
 呆れ返った秀一の言葉は容赦ないが、的を射ている。
「わたしも、大きくなったらここでバイトさせてもらおうかなあ」
 と朋香に言われて、
「お願いだから、それだけはやめてね、朋香」
 秀一は、非常に真面目くさった顔で返事をした。



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