猫の手貸します

case3:部屋掃除

捨てるもの・拾うもの(2)




「……ちょっと、そんなこと、本人に聞こえないように、もう少し遠慮して言ったらどうなのよ」
 と、時子の 「汚部屋」 発言に、むっとした表情を隠しもせず、美里が部屋の奥から現われた。
 しかしなにしろ床一面に、ゴミやらなんだか得体の知れない物やらがみっしりと充満して積み上げられているため、非常に進みづらそうだ。リビングから玄関まで移動するのに、ずぞぞぞ、という不気味な擬音が発せられる部屋、というのを、時子も環もはじめて見た。
「だって他になんて形容すればいいか、わからないじゃないですかー。『ゴミ屋敷』 って呼ぶほど、立派なおうちもでもないし」
 環が言うところの 「悪気はないが正直」 な時子は、どちらにしろ失礼な台詞を、あっけらかんとして言った。
「大きなお世話よ」
 美里はますます不愉快そうだ。その顔が、昨日と変わりなくきっちりと丁寧に化粧が施されていることに気づいて、時子がまた言わなきゃいいのに感心したような声を出す。
「わあ、こんなカオスから、よくお化粧道具を発掘できますね。お仕事は考古学者かなにかでしたっけ?」
「うるさいわね、普通のOLよ。イヤミばっかり言ってないで、さっさと入って。靴は脱がなくていいから」
 よくよく気づいてみれば、美里も足にスリッパではなく外用のサンダルのようなものを履いている。アメリカ式なのね、と呟き、時子もスニーカーのまま部屋に足を踏み入れた。まあ床は見えていないわけだから、土足で入っても、少なくともそのせいで床が汚れることはないだろう。というより、素足でこのゴミの海に分け入ると、間違いなく何かが刺さって怪我をしそうだ。
 美里の住まいは、玄関を入ってすぐに小さなキッチンのついたDKがあって、その奥にリビング兼寝室がある、一人暮らしにはそこそこ普通の部屋であった。もちろん、こんなにもゴミと物に溢れていなければの話だが。
「へー、要するに、ベッドの上で生活してるんですね、美里さん」
 下のものを足で適当にかき分けつつ奥の部屋までようやく到達し、そこを一瞥した時子が感嘆するように言った。この惨状を見ても平常心を失わない時子は偉い、と環は内心で思う。
 DKよりもさらに大変なことになっているその部屋は、ベッドの上だけが、靴なしでいられる唯一の場所であるらしかった。鏡やらブラシやら化粧ポーチやらが置いてあるところからして、この上で身支度も済ませるのだろう。ここであの清楚な顔が出来上がるのか、と思えば、環だって恐れ入るより他にない。
「そうよ。ご飯を食べるのも、ベッドの上」
 もうすっかり開き直っているらしい美里は、堂々とそう言って、がさがさとベッドまで近付くと、その上にどすんと腰を下ろした。
「ははあ。コンビニ弁当とかですね?」
 時子が視線を下に向け、周囲を見渡しながら確認する。コンビニ弁当のプラ容器や、おにぎりの包装紙が、あちこちで見え隠れしていた。
「だって何かを作ろうにも、台所が塞がってるんだから無理でしょ」
 つん、とそっぽを向きながら美里が答える。ちらっと流しのほうへ視線をやった環は、即座に納得した。
 うん、確かに無理だ。
「素朴な疑問なんですが、どうしてゴミ袋をゴミ収集に出さないんですか? ゴミだけでもなくせば、まだしも足の踏み場がありそうなんですけど。何も捨てない、っていう宗教上の理由かなんかですか」
 確かに、足許にあるのは、鞄や衣類などの物も多い (鞄は開きっぱなし、衣類は脱いだそのままだ) が、一見して 「ゴミ」 と判るもののほうがよっぽど多い。しかも、ゴミ袋に入ったまま放置されているものもある。このまま収集車に持っていってもらえば済むことなのに、とは、時子でなくても思うだろう。
「どんな宗教上の理由なのよ。収集場所に持って行こうと思うんだけど、ついつい忘れちゃうのよね。朝なんて、ただでさえ忙しいし。そのうち面倒になって、放っておくことになるの」
 さばさばと言う美里は、もう昨日事務所で見せていた淑やかな態度を完全に振り捨てていた。鈴鹿が現在の彼女を見たら、きっと泣く。
「じゃ、ゴミは捨てていいんですね」
 腕まくりをしながらそう言って、時子は早速、自分の靴の下にあったゴミ袋をよいしょと引っ張り出した。とりあえず、ゴミだけでも外に出してしまわないことにはどうしようもない。
「環君、持ってきたゴミ袋だけじゃ、全然足りないわ。近くのお店で、あるだけ買ってきてもらえる? 袋に詰め込んだら、玄関方面に積み上げて、どんどんトラックに乗せていこう」
 不要な家電や粗大ゴミがあるかなと思って運転してきた軽トラであるが、まったく大正解だった。
「ああ、判った」
 時子の指示に素直に頷いて、環が外に出て行く。ドアが閉じ、遠ざかっていく足音を聞きながら、美里ははあーと息を吐いて、ベッドの上で枕を抱えた。
「ゴミなのかどうなのか微妙なのがあったらお聞きしますから、判断してくださいねー」
 そんな美里に声を掛け、時子はまず明らかにゴミと判別できるものから、ぱっぱと袋に押し込んでいった。手伝う気はまったくないような依頼人だが、気にしたってはじまらない。
「……いいわよ。なんでも捨てちゃって」
 美里が、ぼそりと投げやりな言葉を吐く。時子はしかつめらしい顔で嗜めた。
「なに言ってんですか、使えるものは使わないと。もったいないオバケが出ますよ」
「もったいないオバケ……?」
 時子の独特な言葉遣いに慣れていない美里は怪訝な表情をしたが、もう一度深い溜め息をついた。
「……軽蔑してるでしょ」
 枕に顔を埋め、小さな声で訊ねる。
「はい?」
「私のこと、軽蔑してるでしょ。女のくせに、みっともない、だらしない、サイテーだって」
「…………」
 動かしていた手を一旦止めて、時子はちょっときょとんとした顔で美里を見た。
「まあ、いろんな意味で感心はしますけど、別にケーベツなんかしませんよ。私、人を軽蔑できるほど大層な人間でもないし」
「うそ」
 そう言う美里の口調は、拗ねている子供みたいだった。枕から、顔を上げもしない。その様子を見て、時子ははじめて、この女性を可愛いなと思った。鈴鹿の意見はまた違うだろうが、時子にしてみれば、今の彼女のほうが昨日よりもよほど好感度大だ。
「自慢じゃないけど、私は自他共に認める正直者です。そんなことを言ったら私だって、掃除は好きですけど、料理は好きじゃないです。はっきり言って、上手でもありません。それだって、人によっては 『女のくせに』 って言われる類のものかもしれませんよね?」
「…………」
 今度は美里が無言になって、そろそろと顔を上げ時子を見た。
「……料理、ヘタなの?」
「そうはっきり言われると語弊がありますけど、環君のほうがよっぽど上手なのは本当です。だから、環君ちでご飯を食べたりする時、いつも作ってくれるのは環君です。美味しいですよ」
「あら」
 と、美里は驚いたように瞳を瞬いた。
「あなた、不破さんと付き合ってるの?」
 その質問に、時子は、はいラブラブです、と恥ずかしげもなく答えて頷いた。「だから、環君を好きになっちゃ駄目ですよ?」 とついでに釘を刺され、べ、別に好きにはならないけど……と美里は口ごもってしまう。あんな無愛想な男、全然タイプじゃない、と言わないだけオトナである。
 ふうん……と呟くように言ってから、美里は目を伏せた。左手の薬指に嵌まっている指輪を軽く撫でる。
「……私ねえ、もうすぐ結婚することになってるの」
「はあ、おめでとうございます」
「相手は一流大卒、一流企業に勤めるバリバリのエリートで、結構イケメン。実家だってお金持ちで、しかも次男なんだから」
「いい条件ですねー」
「結婚すれば、最初はマンション住まいだけど、そのうち大きな家を建てることになるわ。海外赴任だってあるだろうし、そうしたら、私もセレブの仲間入りよ」
「それはそれは」
「……あなたねえ、もうちょっと羨ましそうな顔と態度をしたらどうなのよ。それが礼儀ってもんでしょ」
 せっせと部屋の片付けを再開しながら、ものすごく適当な相槌をうつ時子にムッとして、文句を言ったら、「もう、ワガママなんだからー」 と呆れた顔をされた。
 そういえば、この縁談についてこんなにも誰かにあけすけに話すのははじめてだなあ、と美里は思う。
 同性の妬みや嫉みが怖いことを知り尽くしている美里だから、ずっと、自慢めいたことを言わないように、謙遜しながら注意深く、聞かれたことに答える程度に抑え続けていたのだ。どうもそれだって、自分にとってはかなりのストレスだったらしい、と今になって気づいた。
「彼はね、女っていうのは、あくまで控えめに、大人しく、慎ましく、いつも従順ににっこり笑っていればいい、っていう信念の持ち主なの。妻になる女は、家の中でもちゃんと化粧をして、きれいな格好して、仕事から帰った自分を迎えてくれるもので、テーブルにはいつでも栄養が行き届いて見栄えもいい夕食が出来上がってる。それが当たり前、ってなんの疑問もなく信じてる。きっと、彼のお母さんが、そういう人だったんでしょうね」
「へえー」
 時子の返事はやっぱりいい加減だ。なにしろ、あまりにも自分とはかけ離れていて、まあ、この広い世界にはそんな人も存在するのかもね、と御伽噺のように思うしかない。
「で、彼はそういう奥さんになる人として、美里さんを選んだと」
「そうよ」
「美里さんて、そういうタイプなんですか」
「違うに決まってるでしょ」
 きっぱりと言って、美里は手に持っていた枕に、拳を思いきり叩き込んだ。
「見た目だけはどこの大和撫子かってくらいおしとやかな美人だけど、本当の私はねえ、見栄っ張りだし、自分勝手だし、気が強いし、同じブラを三日続けて着けてもちっとも気にしないくらいの無精者なのよ!」
「………………」
 ここでもう、ガマンが出来なくなって、時子は威勢よく噴き出してしまった。ゴミ袋を持ったまま、あはは、と声を出して可笑しそうに笑い転げる時子を見て、美里もふっと口許を緩め、笑い出す。
「──でもね」
 と、笑いを収めてから、美里は静かな声を出した。
「でも、私だって努力して、見た目だけじゃなく中身も彼好みの女になるよう、頑張り続けたのよ。言葉遣いも、立ち居振る舞いも、服装も気をつけて、いつだって身綺麗にして、料理だって習って、一生懸命だったわ。もちろん、彼が好きだっていうのもあったけど、なによりこんな条件のいい相手、きっともう金輪際見つからないと思ったから。自分に引き止めておくには、彼の言うような理想の妻を目指すしかないじゃない。……私って、打算的な、嫌な女だと思う?」
 上目遣いに問いかけられて、時子は軽く首を傾げた。
「私の考えとは違いますけど、結婚相手に好条件を求めること自体は、特に打算だとは思いません。そんなこと言ったら、お見合い、なんてシステムは成り立たないことになっちゃうでしょ。結婚はイコール生活だから、金銭的に充実していれば、それに越したことはないとも思います」
「うん……」
 時子の現実的な言葉にほっとして頷いた美里は、けれど、またしょんぼりと肩を落とした。
「そうやって私なりに必死にやってたんだけど、ある時ね、彼が言ったの」
 二人でテレビのニュースを見ていた時のことだ。そこでは特集として、「片付けられない女達」 というのをやっていた。部屋はゴミだらけ、片付けようとするけど、どうしても出来ない──と画面の中で苦しげに訴えていた後ろ姿だけの女性を見て、美里の恋人は、露骨に顔を顰めて言った。

「あんなのただの言い訳だよな。片付けられないなんて、自分の怠惰の結果だろ。女なんだから、部屋くらい綺麗にできて当然じゃないか。あんな女と結婚する男の顔が見てみたいよ」

 女のくせに、みっともない。だらしない。サイテーだ。
 まるで、吐き捨てるみたいに。部屋が片付けられない、とそれだけで、彼女たちのすべてを否定して。
「……確かに私も整理整頓は苦手な方だったけど、それまではね、部屋は少し散らかってる、っていう程度のものだったの。床のあれこれを押入れに突っ込んじゃえば、それなりに片付けられてるように見えるくらい。けど、彼のその言葉を聞いてから、なんだか突然、掃除することが出来なくなっちゃって」
 理由は判らない。でも、とにかく片付けられないのだ。ゴミをまとめることも、洋服をクローゼットにしまうことも、とにかく何もかもが億劫な気がして苦痛になった。たちまちゴミの山がうず高く堆積していったが、それに伴って気は塞いでいく一方で、さらに手がつけられないという悪循環。結局、自分ではどうしようもなくなるくらい事態が逼迫するまで。
「それでもういっそ、夜逃げでもしようかなと。実は、引っ越し業者を頼んであるなんてウソなのよね。あの事務所に行ったのは、必要な荷物だけこっそりとアパートから運び出してもらおうと思ったからなの」
 わりととんでもないことを、美里はさらりと言った。
「はあ。このゴミ溜めをそのままにしてですか」
「全部処分してもらって構いませんていう手紙と、それなりのお金は置いていくつもりだったのよ。私って結構律儀だから」
「律儀、って言葉を辞書で引いてみたほうがいいです」
「で、あの事務所まで行ってね、ノックしようとしたの。そうしたら中から──」
 あまりにも楽しそうに、ワックスがけへの熱意を語っている女の子の声が聞こえてきたものだから。
「ああ、彼が望む 『女性』 っていうのは、こういうのを指しているのかと思ったら、なんだかむくむくと意地の悪い気持ちが湧いてきて」
 お困りの方を力の限り手助けするのがこの事務所、という鈴鹿の言葉を聞いた途端、気が変わった。
「だったら、私の部屋だって片付けてもらおうじゃないの、なんて挑戦的な気分になっちゃったのよねー」
「ははあ……」
 子供のようにぺろりと舌を出す美里に、時子はまた感心するような声を出した。ここは怒って見せるべきなのかなとも思ったが、それよりも笑ってしまいたい気分の方が上回ったので、そうすることにした。
「じゃあその挑戦、受けて立ちますよ。ちゃんとこの部屋、綺麗にしてみせますからね!」
 元気よく胸を叩いてそう言うと、美里も目元を崩して笑った。おしとやかに微笑んでいるよりも、この笑顔の方が似合う気がするんだけどな、と時子は思ったが、口には出さなかった。


          ***


 部屋に戻ってきた環は、自分の不在の間に、女二人の間にそれなりの親交が出来たらしいことに気づいたようだったが、特に何も訊ねてはこなかった。ただちょっと、口の端にわずかに笑みらしきものを浮かべただけだ。
 でも美里は目敏く、それを見て取った。
「不破さん」
 玄関に積まれたゴミ袋の山を今度は軽トラに詰め込むべく、時子が外に出て行ったのを見計らい、美里は環に話しかけた。考えてみたら、今日彼と言葉を交わすのは、これがはじめてだ。
「はい」
 と環は返事をしたが、ゴミの仕分けをしている手は止めず、顔もこちらに向けもしない。失礼だわ、と最初からずっとベッドに座り込んだまま何ひとつとして働こうとはしない自分のことは棚に上げ、美里は心の中で思う。
「……時子さんて、料理が上手じゃないんですってね」
 やっと、環がこちらに顔を向けた。話が時子に関わることだからだ、ということは美里にも判った。
「まあ、ヘタですね」
 わざわざ 「上手じゃない」 と言ってあげたのに、環はすっぱり 「ヘタ」 と言い切った。この男は愛想がないだけでなく、多分、デリカシーもない。時子はこんな彼のどこがいいのだろう。
「時子さんに美味しい手料理を振舞って欲しいな、って思ったことはない?」
 美里の問いかけに、環は少し口を噤み、それから首を捻った。言われていることの意味がよく判らない、というように。
「別に、ないですね。トキは、料理好きだけど下手、ってわけじゃなく、料理をするのがそもそも好きじゃないみたいなんで。それなら俺が作るか、二人で外に食いに行けばいいことですし」
「でも、やっぱり、女の子が男の人に作ってあげるのが、普通じゃない? 作ってもらったら嬉しいでしょ?」
「さあ……普通かどうかは知りませんけど」
 環はそう言って、窓の方に視線を向けた。
 窓の向こうでは、時子が両手に大きなゴミ袋を抱えて奮闘している。
「人には向き不向きがあるんで、それに沿ってやりゃいいんじゃないですか。トキは料理は下手だけど、コーヒーを淹れたりお茶を淹れたりするのは俺よりよっぽど上手です。だから旨いコーヒーが飲みたくなったら淹れてくれと頼みます。トキに 『お腹が空いた、なんか作って』 と言われたら俺が適当にメシを作ります。俺は、それでいいと思ってます」
「………………」
 環の言葉は淡々としていて素っ気なかったけれど、どこか温かかった。美里がぎゅっと口を結んで、俯く。
「……ねえ、じゃあ」
 しばらくの沈黙の後で、再び出された声は、何かを抑えるように少しだけ強張っていた。
「不破さんが、時子さんに望むことって、なに?」
「…………」
 環は窓の外に視線をやったままだ。外にいる時子は、両手にゴミ袋をぶら下げたまま軽トラの荷台によじ登ろうという無謀なことをしている。荷台の後方部分の掛け金を外して下に降ろしてしまえば簡単なのに、どうやらやり方を知らないらしい。タイヤに足を掛けようとしてじたばたし、やっぱり登れず、とうとう軽トラに向かって説教を始めた。
 美里のほうを向き直り、環は言った。
「──トキが、トキらしくあり続けてくれることですかね」



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