銀河の生きもの係

小学生編

1.運任せボーイミーツガール



 この春、天漢小学校の五年三組に進級した史緒は、一学期のはじめの係決めで、「生きもの係」 になった。
 学校では、ウサギが三羽飼育されていて、高学年の生きもの係は順番でその世話をすることと決められている。ウサギは確かに可愛いが、世話のためには始業前の朝早くに学校に来たり、本来なら友達と遊び回れる給食後の昼休みを犠牲にしなければならなかったりするので、ウサギ好きな児童が多いわりに、この係はどのクラスでも、今ひとつ不人気だった。
 もちろん史緒だって、生きもの係になんて、ちっともなりたくはなかったのだ。ウサギのような小動物が大好きというわけでもなく、生きとし生けるものはみな愛しいという博愛主義でもない子供にとって、ウサギ小屋の掃除をしたり、水や餌を替えたりするのは、ひたすら面倒なだけの仕事である。
 そんなわけで、その栄えある生きもの係の当番の初仕事をするために、早起きして学校にやって来た朝。
 あーあ、本当は落とし物係になりたかったのになあ、と、ウサギ小屋の掃除をする史緒は未練たらたらだった。つくづく、あそこでグーを出していれば、と悔やまれる。落とし物係は名前だけで実質的にやることはほとんどない、窓際に座る定年間近の役員のような仕事なので、競争率がハンパなく高いのだ。
 早い時間の学校には、当番仕事に従事する史緒以外、児童の姿は全くない。職員室にも早番らしい先生がほんの少しいるだけだ。いつもの騒々しさがない学校は、校舎も校庭も深閑としていて、まるで別の場所のようだった。
 こんな静かな学校の中、ぽつんと一人っきりでいるというのも、なかなか解放感が味わえて悪くない、と思いたいところだが、生憎と現在の史緒の心中はそんな穏やかなものではない。

 だって、「一人っきり」 というのが、そもそもおかしいのである。五年三組の生きもの係は、史緒の他にあともう一人いるはずなのに!

「田中君、サボったなあ〜。女の子にこんな仕事を押しつけて、どういうつもりなんだろ」
 生きもの係としての史緒の相方である田中少年は、当番の時間を十五分過ぎても姿を見せていなかった。寝坊をしたのか、忘れているのか、それともわざと史緒に仕事をさせて知らん顔でいるつもりなのか、どれにせよ、いい加減な性格であろうことは推測できる。いちばん最初の当番日からやって来ないとは、この先が思いやられるではないか。
 田中君が真面目な男の子だったら、面倒なことは任せて楽をしよう、と思っていた史緒の姑息な計算もアテが外れ、憤懣は溜まる一方である。
「不真面目なやつだよねえ」
 自分のことは高い棚の上に上げて、史緒はぷんぷんしながら箒を動かしつつ、ウサギに向かって文句を言った。臆病で気弱なウサギたちは、同意してくれるどころか、みんな寝床の箱の中に入り込んで、穴の向こうから小さな侵入者をびくびくと眺めている。
「学校に来たら、ウサギに謝らせてやる」
「自分じゃないんだ」
「一人で仕事の全部をするなんて、大変なのに」
「明らかに手際が悪いからね」
「…………」
 怒りながらぶつぶつと零していた独り言に、背後から返事があることに気づいて、史緒は掃除の手を止めた。
 んん? と怪訝な表情で振り返ると、いつの間にか、ウサギ小屋の金網の向こうに、一人の男の子が立っている。

 田中少年ではない。史緒の知らない顔だ。

 つるりとした卵形の整った顔、綺麗な眉、高い鼻、形のいい唇。くりっとした大きな目は大人のように醒めて、理知的な光がある。とにかくどこもかしこもくっきりとした顔立ちで、おまけに背が高くて手足も長い。遠目から見ても目立つのだろうなあ、と思わずにいられないほど、際立った輝きを持つ男の子だった。
 冷たく澄んだ雰囲気をまとい、どこか傲然とした態度で、彼はその場所にすらりと立っていた。
「……?」
 史緒はぱちぱちと瞬きして、箒を片手に持ったまま、首だけでなく身体を回転させてその男の子と金網越しに向かい合った。誰だろう、という疑問よりも、この子どうしてこんなところにいるんだろう、という不思議さだけが頭にのぼる。
 小学生はみんな通学班で登校してくる決まりだが、まだその時間には早すぎる。史緒のように、一人だけ何かの用事で早く来たにしても、校門からここに来るまでには、位置的に、史緒の視界を横切って通らねばならない。でも、史緒は今の今まで、男の子が通ったことにも、そこにいたことにも、ちっとも気がつかなかった。
「あの……何年生?」
 史緒は首を傾げ、とりあえず、最も自分にとって判りやすいところから質問をしてみることにした。
「五年生、ってことにした」
 男の子は、薄く微笑みながらそう答えた。静かで落ち着いた声だけれど、どことなく、相手を見下すような調子が混じっていて、ちょっと感じが悪い。
 なんかその言い方おかしくないかなあ、と史緒はますます首を深く傾けた。
 それに五年生だったら、史緒と同学年だ。学年は四クラスに分かれていて、大体誰も一通り見覚えのある子ばかりだが、こんな顔はちっとも記憶にない。こんな目立つタイプ、同じ学年にいたら知らないわけはないと思うのだが。
「何組?」
 さらに訊ねたら、男の子は少し首を捻った。
「何組がいいかな。君は何組?」
「……三組だけど……」
「じゃあ、僕も三組にしよう」
「???」
 ますます意味が判らない。
 ヘンな子だなあ、と思ったが、それ以上は訊ねるのはやめた。史緒はそもそも、物事をあまり深く考えない。そしてなおかつ、面倒事を極度に嫌う性質でもある。
「後でまた自己紹介すると思うけど、名乗っておこうか」
「え、ううん、いいよ別に」
「僕は高遠洸」
 史緒が辞退したにも関わらず、男の子は勝手に名乗った。
「…………。ふうん」
 史緒は別に彼の名前なんて知りたくはなかったので、返事は非常に曖昧なものになった。というかこの時点で、もう関わりたくない気分満々なくらいだった。
 だというのに、高遠という名の少年は、史緒のそのリアクションの少なさに、明らかに不機嫌そうになった。
「もっと感心したり憧れの目で見てもいいんだけど? 僕にピッタリな、いい名前じゃないか。高く遠く、水のように美しく澄んだ光──うん、字もいい。アキラって響きも簡潔なようで深遠だ。実に、僕に相応しい名前だ」
「地獄耳を持ってる緑色の肌の悪魔の人も、東京を壊して冷凍保存されちゃった超能力の人も、アキラって名前だよ」
 うっとりと自分の世界に入っている男の子に向かって、史緒は冷静な声で指摘してあげた。知識が少々偏っているのは、アニメオタクの父から教わったものだからである。
「それに、苗字は自分で選べるものじゃないし、下の名前は高遠君のお父さんかお母さんが付けたものでしょ」
 ちなみに、史緒の名前は母が付けたものだ。好きなアニメヒロインの名前を付けたがっていた父と大喧嘩の末に勝ち取ったものだということで、史緒はこの点、心から母親に感謝している。フミオをシオと読まれたり、女の子なのに 「オ」 が付くんだー、とからかわれたりすることはあるが、変身して悪の軍団と戦っちゃったりする女の子の名前を難読漢字で付けられるよりはよっぽどいい。
「僕の名前は、僕が付ける」
「そんなわけないじゃん」
「もとの名前は親から貰ったものだけど、この地球で生活する上での名前は僕が付けても構わない、ということになっている」
「……ふーん」
 という返事しか史緒がしなかったのは、すでに面倒くさくなってしまっていたからだ。オタクの父というものを持ち、夫婦喧嘩の原因の九十パーセントは家の中に大量にあるフィギュアを捨てるか捨てないか、という家庭で育つと、子供は世の中の大抵のことはどうでもよくなる。
「ところで、僕が名乗ったんだから、そちらも名前を告げるのが礼儀じゃないのかな。この星は、そんな最低限度のことも出来ないほど、発達が遅れているんだろうか」
 どうも、赤ん坊扱いされているのは、史緒ではなく何か別のものであるらしいが、そこを追及するつもりはなかった。そんなことをしたら、もっと面倒なことを言われそうだ、と史緒の直感が告げている。
「えっとね、あそこにいる白いのがミンミン、その後ろにいる灰色のがニンニン、白と黒のブチがワンワン」
「聞いているのは、ウサギの名前じゃないんだけど」
「耳が長いからミンミンで、ニンジンが好きだからニンニン、っていうのはいいとして、ワンワン、っていうのはどういうつもりで名前を付けたんだろうねえ。パパがね、そういう名前を付けると、ウサギのあいでんてぃてぃーか崩壊する、って」
「僕に名前を教える気がないってこと?」
 当たり前ではないか。
「なんてことだろう、僕が地球人に対して、こんなにも丁寧に話しかけているのに」
 丁寧だろうが、ウザいものはウザいのである。
「そういう失礼な態度はどうかと思うよ、つかはら・ふみおさん」
「知ってるんじゃん、わたしの名前」
「胸の名札に書いてある」
「じゃあ、最初から聞かなきゃいいのに」
「それとこれとは別じゃないか。この僕が、テレパシーという手段ではなく、わざわざ言葉というものを用いて会話を交わしているんだよ。その場合の礼儀とか礼節とかについてのことを語っているわけで」
 ああもう、面倒くさい。
 くどくどと説教をかましてくる高遠の声を聞き流して、史緒はまたウサギ小屋の掃除を再開することにした。グズグズしていると、みんなが登校してきてしまう。
「僕の話はこれからなんだ」
 放っておいたら立ち去るかなと期待したのに、高遠はまだその場に留まっている。背中にかかる、いかにもわざとらしく抑えられた声音に、史緒は溜め息をついた。
「わたし、特に興味ないし」
「実はね」
「聞きたくないよ」
 まだ十年ちょっとしか生きていない史緒だが、「実は」 なんて言葉ではじまる流れが、ほぼロクなものじゃない、ということくらいは知っている。父親の好きなアニメでも漫画でも、絶対厄介ごとに巻き込まれるパターンだ。史緒は波乱万丈な人生なんていうのは二次元の中だけで十分、と考える現実的で堅実な女の子であったため、心から、そんな言葉とその先の台詞は聞きたいとは思わなかった。

「実は僕、この地球上の生物ではないんだ」

 聞きたくない、ときっぱり言ったにも関わらず、またもや高遠は勝手に秘密を暴露した。いや、それが本当に秘密なのかどうなのかは知らないが。興味ないし。
「……ふーん」
 史緒としては、さっさとこの男の子と縁切りしたいのは山々なのだが、しかし何しろ、金網で囲まれたウサギ小屋の中にいるので、逃げるのもままならない。袋の中のネズミ、ではなく、小屋の中のウサギだ。
「原則、秘密厳守、ってことになってるけど、やっぱり地球人の味方が一人はいたほうが何かと都合がいいんじゃないかと思ってさ。どんな人間にしようかなと考えていたんだけど、膨大な数から計算して割り出すのも厄介だし、ここはもういっそ、運任せにして選んだ方がいいんじゃないかという結論を出したんだよ。どちらにしろ食う手間は同じだしね。それで、この場所に到着して、最初に出会った人間にしよう、って決めて──」
「結構です」
 史緒はソッコーで断った。
 断りの言葉は、母がよくセールス電話に強い口調で言ってガチャンと切る時に、その口から出るものを拝借した。しかし残念ながら、それはあまりよろしくない使用例であったらしい。
「うん、結構な話だろ? 光栄に思ってくれて構わないよ」
 高遠は、故意なのか天然なのかは不明だが、「結構」 の意味を逆手にとって、鼻高々である。
「…………」
 史緒は小学生にして、悪徳商法につけ込まれる主婦の気分を味わった。
「わたし、そういうの興味ないから」
「栄誉ある役目に選ばれることが?」
「そういう、SF妄想に付き合うのが」
 正直、そういうのは父だけで十分なのだ。
「妄想じゃなくて、現実だよ。塚原さん、君のような凡庸な思考の持ち主では信じられないだろうと思うけど、僕はね、この地球からはるか何万光年も離れたところから」
「だから、そういうのは好きじゃないんだってば。わたしもう、ごっこ遊びできるほど子供じゃないし。うちでパパの相手するだけでも疲れてんの。高遠君があんまり普通じゃないことだけは認めるけど」
「君はなにも判ってない。地球人はこれほどまでに頭の回転が悪いのか」
 高遠が嘆くように言って、大げさに額に手を当て天を仰いだ。芝居くさい表現にイライラして、史緒は 「わかってるよ」 と乱暴に遮った。
「大体わかるよ。高遠君は、地球人の恰好をしてるだけで、ホントは遠い遠いどこかの星からやってきた宇宙人なんでしょ?」
「え」
 高遠が、目を丸くしてきょとんとし、はじめて驚きの表情になった。
「なんだ、君、わかっ」
「その星はいずれこの地球を侵略しようと思ってて、高遠君は地球と地球人類の偵察のために、ここに派遣されてきたんだよね?」
「う、うん、でも、どうし」
「高遠君の報告次第で、この地球にはたくさんの宇宙人たちが大挙して押し寄せてきて、地球人を洗脳したり、とても地球の科学では太刀打ちできないようなものすごい武器とかを出したりして、あっという間にこの星を制圧したりするんじゃないの?」
「…………」
 高遠は口を噤んでまじまじと史緒を見つめた。
「……君を少し、見くびっていたみたいだ」
 しばらくしてから呟かれた言葉に、少しせいせいした気分になったが、あまり嬉しくはなかった。こんなことをすらすら淀みなく話せてしまうあたり、なんとなく父に似てきたようで、それはそれでイヤだ。
 別に、見直してもらうほどのものでもないし。

 ……だってこんなの、よくある 「設定」 じゃん。

「それだけ判っているのなら、僕の仕事も減って助かるよ。たまたま当たったのが君のような女の子だなんて、どうやら僕は、自分が思っていた以上に運がいいらしい」
「あのさ高遠君、わたしはね」
 断固としてそんな遊びに乗るつもりはないんだからね、と言おうとしたところで、高遠はくるりと踵を返した。
「これからも長い付き合いになるだろうから、せいぜいよろしく頼むよ。じゃあ、あとで」
 と、口を開いたままの史緒のことは無視して、さっさと校舎の方へと向かっていってしまう。
 高遠は、基本、人の話をまったく聞かない男の子だった。



 ──その日、五年三組にやってきた転校生の美少年は、「高遠洸です、よろしく」 と天使のようににっこりと笑って自己紹介をし、クラス中の女子 (机に突っ伏した一人を除く) と、担任の二十八歳独身女教師のハートを射止めることに成功した。
 天漢小学校では、五年生から卒業まで、クラスは持ち上がりである。
 高遠少年は、史緒にちらっと目をやって、ほんの一瞬、にやりと悪魔的に微笑した。



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