銀河の生きもの係

中学生編

12.夢という名の宝箱 (後編)



 なんだこりゃ、というのが、史緒が真っ先に抱いた感想だ。
「……なに、これ」
 それをついそのまま口に出してしまったところで、すぐさま高遠から馬鹿にしたような返答があった。
「君、こんなことも知らないのか。本来頭部を衝撃から保護するための防護帽を、事故など起こりようのないこの室内でこれ見よがしに被っているということは、他人または防犯ビデオ等に対して己の顔を隠すために使用しているとしか考えられないだろう。それに加えて、刃だけは目立つがいかにも研ぎの甘そうな安物っぽい刃物と、陳腐極まりない台詞。これらのことから導き出されるのは、強盗、という結論しかないじゃないか。ここはコンビニエンスストアだから、すなわちコンビニ強盗という名称に分類されるものだ。君はもう中学二年生なんだぞ、そろそろちゃんと新聞に目を通して世の中のことを勉強したほうがいい」
「ちょっと、長いよ! 一言、コンビニ強盗だ、で済む話じゃん! ていうかそんなの、わたしだって説明してもらわなくても知ってるし、見れば判るし! おまけにいちいち説教までするの、やめてくれる?!」
「なにを言ってるんだ、君が 『これは何だ』 と疑問を呈するから、こうして僕が親切にも教えを施してやって」
「施してもらわなくても結構だよ! 大体、これは何ですか、っていう意味で言ったわけじゃないもん!」
「うるせえ!」
 高遠の長々とした説明と、史緒の反論の応酬に苛立ったのか、強盗が怒鳴った。ヘルメットのせいで声がこもったようになっているが、とにかく興奮状態にあるのは判った。
 怒鳴るのと同時に、近くのカウンターを足で勢いよく蹴っ飛ばす。ガン! という大きな音にびっくりしたのだろう、史緒に抱っこされている卯月の身体がびくりとした。
「──……」
 自分の腕の中にある、その小さく温かく柔らかい存在を認識して、史緒はぴたりと口を閉ざす。ここに来て、ようやく現実感が湧き上がってきた。
 コンビニ強盗だ。刃物を持ってる。しかもやたらと興奮状態。
 これはかなりマズイんじゃないか、と察する程度の判断力は、史緒だって持っている。店内にいるのは子供が四人だけ、しかも内訳は中学生三人と、現在の状況を理解することも出来ない幼児だ。
 これ以上この強盗を興奮させると、全員無傷では済まないかもしれない──どころではなく、最悪の場合、冗談抜きで命の危険もある。
 卯月を抱いている手の力をぎゅっと強めた。幸いなことに、卯月は、いきなり大声や大きな音を出す、この突然の闖入者の存在に、驚いて見入っているものの、まだ怯えてはいない。わずかに揺すってあやしながら、お願いだから、と必死に心の中で願った。

 お願いだから、泣かないで。

「金だ! 金を出せ! 早く!」
 強盗が刃物をカウンター内にいる田中君に向けて、命令した。
 手に持っているのは、刃渡り二十センチくらいのナイフだ。果物ナイフや、ポケットナイフなどとは、大きさも形状もまったく違う。高遠は 「研ぎの甘そうな安物っぽい」 と形容したが、ちょっと振ったら簡単に人の肌なんて切り裂いてしまえそうな、凶暴な外観をしていた。
「あ……あ、わかった」
 茫然としていた田中君は、刃物を突きつけられ、ようやくはっとしたように反応した。
 ちらっと史緒と高遠のほうを一瞥し、すぐにレジを操作して開ける。反抗期ど真ん中の中学二年生とはいえ、ここで反骨精神を剥き出しにして強盗とやり合おうとするほど、田中君は浅はかでもなかったし、幼くもなかった。
 開いたレジから、中に入っている紙幣をすべて鷲掴みにして、カウンターの上に置く。一万円札と五千円札と千円札、合わせて十数枚あったが、それらのうちのほとんどが千円札だった。
「これだけか?! そんなわけないだろう! 隠すとぶっ殺すぞ!」
 史緒も正直、その紙幣を見て、これだけなのか、と思ったくらいだから、強盗はもっとそう思っただろう。どう見ても、全部合わせて三万もいかないくらいだ。犯罪行為を犯すリスクの見返りとしては少なすぎる、と思ったに違いない。
「これだけだよ。そもそも、店のレジには、そんなに金は入れておかないんだ。用心のために。それにおふくろがさっき銀行に入金しに行ったから」
 強盗に凄まれて、田中君はそれでも精一杯、冷静な顔と態度で返した。おふくろが、と付け加えたのは、「銀行に行ったけどもうすぐ戻ってくる」 という予防線を張ったのだと史緒にも判った。
「全部持っていっていいよ。だからもういいだろ」
 田中君が紙幣を前に押しやり、わずかに懇願の滲む口調で言った。レジの中のお金をすべて強盗に持っていかれるのは悔しいし腹立たしいが、こんな時は逆らわずに差し出すのが利口なやり方だと承知しているのだろう。コンビニの経営者である両親から、不測の事態に備えていろいろと教わっているのかもしれない。
「ざっけんな! これぽっちのはした金で引き下がれるか!」
 強盗は、店の中にいたのが子供ばかり、という状況に、安心した半面、気も大きくなったようだ。レジのお金をジーンズの後ろポケットに乱暴に突っ込むと、さらに刃物を田中君に向けて、要求の上乗せをしてきた。
「ここは家もくっついてんだろうが! そっち行って、有り金全部持ってこいよ! 現金も、通帳も、カードも、全部だ!」
 さすがに田中君の顔色が変わった。
「……俺、そんなのよく知らない」
 レジのお金くらいはともかく、家の中にあるお金までは差し出せない、ということだろう。低く抑えた声音にも、強盗に向ける目つきにも、隠しようのない怒りが強く現れていた。
「知らないわけねえだろが! てめえさっき、『おふくろ』 っつったよな! ここんちの息子なんだろ! 財布くらいどこにあるのか知ってるに決まってんじゃねえか!」
「……だったら」
 田中君の強張った顔が史緒と高遠のほうを向いた。いつもこんがりと日に焼けて、健康的な黒い肌が、今は灰色に近い。
「そいつら、外に出してやってくれよ。関係ねえじゃん。そんで奥に入って、勝手に家探しでもなんでもすればいいだろ」
 その言葉に、史緒はじんとした。
 強盗が田中君の家にまで入っていったら、きっと隅から隅まで荒らされてしまうだろう。両親がこつこつと溜めてきたお金まで、根こそぎ持っていかれてしまうかもしれない。田中君が大事にしているものも、平穏な日常も、土足で踏みにじられてしまう。その屈辱を味わうことになっても、田中君は史緒たちを逃がそうとしてくれている。

 ありがとう、田中君! 田中君みたいな子と友達で、ホントによかったよ!

 史緒とて理不尽な犯罪に対する怒りはあるが、今はとにかく卯月の安全を最優先にしたい。いざとなれば高遠も田中君も自力で逃げられるだろうが、卯月だけは史緒が守ってやらねばならないのだ。
「うるせえ! いいからてめえが持ってこい! ここにいるやつらは人質だからな! 警察に知らせたり、ちゃんと金を持ってこなかったりしたら、こいつらどうなるかわかんねえぞ!」
「…………」
 田中君がぎゅっと唇を噛みしめた。史緒もより強く卯月を抱きしめた。どんどんイヤな展開になってきているようで、背中に汗が滲んだ。
「早くしろ!」
 強盗が急かすように怒鳴って、くるりとこちらを向いた。思わずびくっと身じろぎした史緒に向かって、強盗の手が伸びてくる。
 掴まれて、刃物を突きつけられて、また怒鳴る──ということを予測して、心臓が冷える。史緒一人ならともかく、卯月がいるのに。
 卯月を抱いたまま、無意識に後ずさりをした史緒の前に、すいっと高遠が割り込んできた。
「人質にとるなら、僕のほうがいいんじゃないか? あちらは荷物を抱えていて、僕は身軽だ。しかも何かと迂闊なあちらと違って、僕は頭がいいから、ここで暴れるような愚は犯さない。そのほうが君も楽だと思うが。……田中君、とりあえず、家の中の現金を探してみたらどうだ? いつまでも長くここにいるほど、この強盗も愚かではないだろう。あと数万円ほど手渡したらここから出て行く可能性が高い」
 高遠はいつもと変わらず落ち着き払っていた。中学生に 「君」 などと呼ばれて、強盗は少しの間ぽかんとしたようだが、すぐに気を取り直して、高遠の腕を掴み、刃物をピタリと首に押し当てた。
「う、うるせえ、生意気なガキだな! いいか、大人しくしろよ!」
「だからそう言っている」
 高遠は眉を寄せて、すぐ近くにあるナイフの刃には頓着せずに、強盗に掴まれている自分の腕のほうに視線をやった。いかにも、「この手は清潔にしているんだろうな」 とでも言いたげだ。
「わ、わかった、金を持ってくる。だからそいつらには絶対に手を出すなよ!」
 高遠の首にナイフの刃が当てられて、動揺が激しくなったらしい田中君は、切羽詰まった調子でそう叫ぶと、くるりと身を翻し、カウンターの奥にあるドアを開けて、その向こうの階段をドタドタと足音も荒く駆け上がっていった。
「さっさとしろよ!」
 その足音に追い討ちをかけるように、強盗が大声を張り上げる。
 そして、また、ガン! と足でカウンターを蹴っ飛ばした──その時。
 卯月が泣き出した。


 史緒の顔から血の気が引いた。
 背中を軽く叩いたり、揺すぶったりしてみるが、卯月の泣き声は収まるどころか音量が大きくなっていく一方だ。恐怖心、というものが幼児にもあるのかどうか判らないが、男が出す凶暴な波動に、とうとう耐えられなくなってしまったのかもしれない。普段、そんなに手のかかる子ではないのに、火がついたように声を張り上げ、涙を流して泣き続けた。
「うるせえ!」
 ただでさえ尋常ではない精神状態でいる人間にとって、子どもの泣き叫ぶ声というのは、マイナス方面にしか作用しない。強盗は卯月の声に負けないくらいの怒鳴り声を出したが、それは余計に泣き声を大きくする悪循環にしかならない、ということにも頭が廻らないらしかった。
「黙れ! 黙らせろ!」
 その怒号で、卯月が一瞬ひくっと身じろぎし、それから、ひときわ大きな声を出して泣き叫んだ。
 それが、強盗の最後の線をブチ切った。
「うるせえっつってんだろがああ!!」
 常軌を逸したような金切り声になった。顔の見えない黒いヘルメットが、まっすぐこちらを向く。史緒は身を固くした。
 刃物が高遠から離れる。
 それを手にしたまま、強盗がこちらに大きく足を踏み出してくるのが、まるでスローモーションのように見えた。
「塚原!」
 強盗の声で慌てて戻ってきた田中君の悲鳴のような声が聞こえた。高遠の綺麗な顔が、一瞬視界を掠めたが、それはすぐに間近に迫ってきた男の身体によって塞がれた。光を反射してきらりと不気味に輝きを放つ刃が頭上に振りかざされる。
 ダメだ。
 そう思った途端、いろんなことがいっぺんに頭を過ぎった。逃げたってすぐに追いつかれる。卯月を抱いたままでは反撃なんて出来ない。どうすれば──

 どうすれば、卯月を守れる?

 結論が言葉として出てくる前に、史緒はぱっと後ろを向いた。陳列棚にぴったりと前身を寄せ、卯月を腕の中に閉じ込めたまま、うずくまる。小さな頭を自分の肩に押しつけ、自分の身体で隠し切れない部分は掌で包んでガードした。
 背中越しに、ひゅっ、と刃物が空気を切るような音がした。
 その次に起こること、やって来る痛みを想像して、思いきり目を瞑った。耳のそばで卯月の泣き声がする。離すもんか、絶対に。この小さな身体に、傷ひとつでもつけさせるもんか。
 ぎゅうっと手に力を入れた瞬間、ものすごい大音響が響いた。


         ***


 続けざまに、何かが激しく衝突するような音、大きなものが倒れるような音、いろんなものが崩れるような音がした。
 それが収まって、次にやってきたのは、しん、とした静寂だった。
「……君は、何をしてるんだ?」
 そんな中、その声は、頭上から聞こえた。
「え……」
 おそるおそる目を開け、強張った頭を動かし、後ろを振り向く。
 まず視界に入ったのは、自分のすぐ後ろに、まるで覆い被さるような形で立っている高遠の姿だった。陳列棚に手をかけ、うずくまる史緒を覗き込んでいるその顔は、非常に不機嫌そうだ。
 強盗も、刃物もない。
 怒鳴り声もしない。気がついたら、いつの間にか卯月も泣きやんでいて、史緒と一緒に、きょとんとした顔で上にある高遠の顔を眺めている。
「な、なに……」
 なにが一体どうなった、と問いかけたいが、まだ頭が混乱しているのか、言葉がすらすらと続かない。
「どう、なって……」
 茫洋とした声で呟いて、ふらふらと立ち上がる。足が震えていた。卯月を抱く手も。
 視線を移して、また言葉を失った。
「……なに、これ」
 高遠の背後では、大変な惨状が広がっていた。
 棚に並べられていたパンやお菓子の類が、すべて軒並み床に落下して散乱している。大きな地震のあと、テレビのニュースなどで見る光景そのままだ。冷蔵ケースが斜めになり、中で整然と並べられていたアイスが、すべてバラバラになって外に飛び出しかけたものまであった。

 ──そして、強盗が倒れている。

 ヘルメットの上部がひしゃげ、手に持っていたはずの刃物がずっと離れた床に転がっていた。上半身が棚にもたれかかっているものの、首はくったりと垂れ下がっている。意識を失っているのか、ぴくりとも動かない。大きく足を広げた無様な体勢で、その身体の上には、落ちてきたらしいインスタント食品の容器がいくつも乗っかっていた。
 まるで、激しい衝撃で、吹っ飛ばされたかのように。
「ど、どうなってんの、これ」
 唖然として、高遠の顔を見る。このタイミングで、店の中に車でも突っ込んできたのか、と思ったが、そういうわけでもないようだ。どう見ても、被害は強盗の周囲にのみ集中している。
 疑問を提示していない時には余計なことをベラベラと解説してくる高遠は、しかし本当に答えが欲しい今のような時には、まったく説明をしてくれなかった。相変わらず機嫌の悪そうな顔つきで、史緒を見下ろしたままだ。
「僕の質問が先だ。君は一体何をしてるんだ」
「な、なに? なにって……いや、高遠君こそ、何してんの?」
 なんで現在の史緒の目の前に立っているのは、強盗ではなく、高遠なのだ?
 しかも、こんな風に──史緒と卯月を庇うような格好で。
「なにって……」
 高遠は訝しげな表情になって、史緒と同じ言葉を出した。それから、ふと何かに気づいたように目を瞬き、姿勢を真っ直ぐに正して、きょろきょろと周囲を見回す。
 おもむろに腕を組み、顔を顰めた。
「……僕は、何をしてるんだ?」
 いや、それをわたしが聞いてるんだけど?!
「君が、赤ん坊の盾になろうなんて愚かなことをするから」
「す、するから?」
「このままだと、間違いなく君は死ぬか、あるいはそれに近い状態になるなと思って」
「思って?」
「頭の傷も最近になって治ったところなのに本当に君は馬鹿だなと腹が立って」
「立って?」
「……よく判らない」
 真顔で首を捻っている。大丈夫か、高遠。いつものことだがいつもよりもさらに変なこと言ってるぞ!
 救いを求めるようにカウンターのほうに顔を向け、田中君を見たが、彼は史緒よりもずっと茫然自失したように、その場に棒立ちになっていた。半分以上、魂が抜けているような顔つきで、ひたすら高遠と倒れた強盗との間で視線を彷徨わせている。
「田中君、今、何があったの? なんであの人ひっくり返ってんの?」
「え……い、いや、高遠が……」
「高遠君が?」
「…………。いや、わかんねえ……高遠は何もしてねえ……ように思うけど、いきなり何かに弾かれるように吹っ飛んだっつーか……いや、はっきり見えたわけでもねえんだけど……でも……」
 混乱したようにぼそぼそと言っているが、意味が判らない。
「そこは問題ではないだろう、田中君」
 いや問題だよ?!
「この場合問題にすべきは、史緒の理解しがたい行動についてだ」
 いやそれこそ今問題にするところじゃないからね?!
「む……しかしそうすると、僕自身の行為にも疑問が生じるということか……なんてことだろう、自分のしたことが自分で理解できないなんて……地球人の思考に毒されているとしか……ひょっとして感染性なのか……? 汚染されつつあるのは、環境だけではないのか……?」
 こっちまでぶつぶつ意味の判らないこと言いはじめちゃったよ!
「もういい! そんなことより、とにかく、警察! 田中君、早く110番して!」
 史緒がぴしりと人差し指を突きつけて言うと、田中君は我に返り、急いで近くにあった電話の受話器を取り上げた。
「何はともあれ、卯月が無事でよかった……」
 ほー……と深い息を吐きだしながら、腕の中の小さなおでこに自分のおでこをくっつけると、卯月がきゃきゃきゃと嬉しそうな笑顔になった。


          ***


 やってきたお巡りさんが、気絶したままの強盗を捕まえ、事件は一件落着した。
 事情を聞かれるために史緒たちも警察に連れて行かれて、当たり前だが親も呼ばれた。父も母も、驚くやら泣くやら安心するやらで史緒と卯月をもみくちゃにして、しばらく大騒ぎだ。
 田中君は、両親ともども、お巡りさんに叱られたらしい。最近は物騒なんだから、中学生一人を店番にしたりしたらダメですよ、ってところか。田中君はかなり勇敢だったし、大人顔負けのしっかりとした対応をとってもいたのに、怒られるなんて、気の毒な話だと思う。
 そして、高遠の両親は来なかった。
 中学校の担任の先生や、教頭先生までが来たというのに。一人ずつに分かれて話をしたので、直接言葉を交わす機会もなかったが、両親にみっちりと挟まれている史緒と田中君とは対照的に、高遠はたった一人で淡々とお巡りさんを相手に話をしていた。
 どうして来ないんだろ?
 仕事なのかな。でも、普通、子供がこんな危険なことに巻き込まれたなら、何を置いても駆けつけてくるもんじゃないのかな。
 高遠はまったく平気そうだったけれど、史緒は一人でひそかに腹を立てていた。
 実を言うと、ちらっと先生に、「高遠君のお父さんとお母さんは?」 と訊ねてもみたのだが、答えてもらえなかった。というより、何度同じことを問いかけても、素通りされてしまった。耳に入らないように、なんとなくぽやんとした顔つきで一瞬黙ったかと思うと、すぐに別のことを話しだしてしまうのである。先生、よっぽど動転しているんだろうか。それとも、「子供には話せない事情」 ってやつが絡んでいるんだろうか。
「…………」
 むう、と口を結ぶ。
 それがどんな事情かは知らないけど。知らないから、史緒があれこれ言える立場じゃないけど。
 でも。
 怖い目に遭った後で、抱きしめて、無事でよかったと喜び、さあ一緒に帰ろうねと言ってくれる存在がいないのって。
 ……寂しい、よね。


 やっと警察から家に帰る段になって、ちょっとだけ高遠と顔を合わせて話せる時間があった。
「疲れたね」
 何度も同じことを言わされ、説明させられて、ぐったりだ。特に、強盗が倒れた経緯については、問い詰められたって答えようがない。それは史緒のほうが聞きたいくらいなのである。高遠は、「勝手に転んで、勝手に頭を打ち、勝手に倒れた」 と説明していて、最終的には警察もそれを信用するしかなかったようだが。
 強盗は二十三歳の自称フリーターで、本人も、どうして自分がそんなことになったのか、まるで覚えていないと言っているらしい。
 ちなみに犯行の理由は、「遊ぶ金が欲しかったから」、だそうだ。少し前に同じように強盗に入ったコンビニで簡単に金が手に入り、働くのがバカバカしくなったという。
「君はそもそも体力と根気が圧倒的に不足しているからな」
 高遠がしゃらっとムカつくことを言った。どうしてこいつは、普通に 「そうだな」 という一般的な返事ができないのか。
「あのさ」
「うん?」
 自分で言いかけておいて、どう続けていいか判らずに口を噤む。卯月を抱いた父と母が、少し離れた場所で史緒のことを待っているから、そんなに時間はかけられない。何を言おうとしているのかも、自分でよく判らない。
 結局、口から出たのは、
「あのさ……ありがとう」
 そんな、ありふれた言葉になった。
 高遠が黙ってこちらに視線を向ける。いつも言わなくていいことばかり言うくせに、こういう時に限って何も言わないのはどうしてなのだ。
「よくわかんないけど、高遠君も卯月を守ろうとしてくれたんでしょ?」
 どういう経路を辿って、あんな形で決着がついたのかは謎だが、多分、そこだけは確かなのだと思う。
 卯月を抱いてうずくまる史緒の前に立ちはだかっていた高遠。高遠がいなければ、そして、不思議な事故が起きなければ、間違いなく史緒も卯月も、あのナイフによって傷つけられていた。
 死んでいたかもしれない。死ななくても大ケガを負っていたかもしれない。どちらにしろ、身勝手な人間の身勝手な欲望のために、史緒と卯月の 「未来」 は、大きく歪むことになったはずだ。
 そうしたら、あの笑顔も見られない。

 果てしなく広がる可能性が詰まっている箱。
 その蓋が暴力的に閉じられるのを、高遠は少なくとも、阻止しようとしてくれた。

 無茶なことして、とか、あれで高遠が史緒たちの代わりに負傷していたりしたら、とか思う気持ちはもちろんあるが、それよりも、その行為に対する感謝の言葉を出すほうが先だ、と史緒は思ったのだ。
「卯月……あの赤ん坊をか?」
「うん」
「…………」
 高遠は口を閉じ、ふいっと視線を逸らした。
「……以前、話したことを覚えてるか」
 しばらくして、ぼそりと言う。
「うん?」
「自らを防衛する手立てを持たない存在が近くにいたらどうするか、ということだ」
「んーと……うん、話したね」
 意味がよく判らなかったけどね。
「君はその場合、自分が守ると言った。何かがあったら、自分が全力で守ると。それくらい大事なものなのだから、当然だ、と。僕はそれを、感情を基にした愚かな発想だと思った」
「そう言ったね」
「しかし君は今日、それを実践してみせたわけだ。君はバカだし時々感情的すぎるし嘘もつくし物事を真面目に考える能力に欠けているが、行動には一本芯が通っている」
「なにげにひどいこと言うのやめてくれる?」
「そして、その芯は、僕には理解できないもので支えられている……そう思っていたんだが」
「ん?」
「……少しだけ、理解した。いや、それは頭で理解するようなものではない、ということを、理解した、気がする」
「はあ?」
 史緒は首を傾げて間抜けな声を出したが、高遠は納得したようにうんうんと頷いている。自分から言い出しておいて、なんで一人で勝手に納得してるんだよ。
 うん、やっぱりこいつとは話が噛み合わない。今にはじまったことではないのだが。
 ふう、と小さなため息をつく。
 ……でも、まあ、しょうがないね。これが高遠というやつなんだから。
「じゃ、わたし、帰るね。このことはきっとニュースにもなるだろうし、学校に行ったら行ったで大変そうだから、瑠佳と結衣ちゃんにだけは、今日のうちに説明しておかないと」
 マスコミはちゃんと、店にいた三人の中学生の名前を伏せてくれるだろうか、気がかりはそれだけだ。
「史緒」
「ん?」
 背中を向けようとしたところで、声をかけられた。顔だけで振り返る。
「知ってるか」
「何を?」
「僕は君が泣くのを見るのは好きじゃないが、君にありがとうと言われるのは好きだ」
 そう言って、高遠が微笑んだ。
 それを見て、どきっとしたのは、かなり不覚だった。



          ***


 ──さて、後日、史緒と高遠の会話。

「史緒、君、天漢高校に行くのだったら、もう少し成績を伸ばしておく必要があるぞ」
「は?! なんでわたしの志望校知ってんの?! 誰に聞いた?!」
「眼鏡をかけた一年生に」
「メガネちゃん、どこ?! 今日こそ説教してやるーー!!」
「僕は今のままでも余裕で合格確実だが、君はそうではないだろう。これから他の人間も身を入れて勉強しはじめるだろうし、そうなるとだな」
「なに当然のように自分も天漢目指すような発言しちゃってんの?! 高遠君はもっとレベルの高いところに行けるでしょ!」
「何を言ってるんだ? 僕はようやく、この解せない部分の多々ある地球人の性質について、理解できるようになってきたんだぞ? これからより深く調査を進めていかなければならないというのに、君がいなくては話にならない」
「意味がわかんない! いつものことだけど!」
「君もそろそろ、愛情というものが何なのかを知って、僕に解答を差し出すべき頃だと思うね」
「うるさいよ!」


 ちなみに結局、中学三年間、史緒は高遠と同じクラスだった。
 おかしいだろ、教育機関!



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