銀河の生きもの係

高校生編

2.カレカノの定義と定理



 中学生時代ずっと帰宅部だった史緒は、高校生の今もやっぱり帰宅部である。
 これについては、入学時、史緒も迷ったのだ、一応。いくら面倒くさがりとはいえ、高校生になっても家と学校の往復だけの毎日って、どうなのそれ。小さな妹は成長して育児にも手がかからなくなり、空いた時間もある。部活やってみようかなあ、と史緒にしては珍しく、心が揺れた。
 もちろん今さら陸上部に入ってインターハイを目指したいとか、野球部のマネージャーになって坊主頭の選手たちと一緒に甲子園に行きたいとか、そんなことは針の先ほども望みはしない。しかし、部室でお菓子を食べながらどうでもいいお喋りをまったりダラダラとしたりすることには、ちょっぴり憧れる。つまり運動部ではなく文化部方面だ。
 天漢高校にはけっこう多くの部活動があって、生徒は必ずどれかに所属しなければならない、なんていう堅苦しい決まりはない。ユルくて楽しくて活動は個人の自由を尊重する、っていう部活はないかなーと入る前からダレきった希望のもと、史緒も文化部のあれこれを見学してはみた、のだが。
 ……うーん。
 当然とでもいおうか、そんな甘っちょろい願いどおりの部活なんて、そうそうあるもんじゃないのだった。上下関係の厳しそうな茶華道部、規律がきっちりしている新聞部、「締切が……」 と苦しげに呻く文芸部、世のため人のために何かをしたいとキラキラした瞳で語られて思わず謝罪しそうになったボランティア部、どれもこれも、みんな真面目かつ熱心に、日々の活動に勤しんでいる。いやそれが普通で当たり前なのだが、史緒はどれも自分に合うとは思えなかった。
 人数が少なくて、正式に部活動として認定されてはいないけれど、同行の士が集まって活動している、というものもある。漫画研究会だとか鉄道研究会だとか写真研究会だとかがそれだ。それらは雰囲気的にはかなり史緒の希望に沿ったものだったのだが、なんだか漂ってくるものが濃密で、交わされる会話もけっこうディープだったりして、こちらも同様に尻込みしてしまった。
 オタクと関わるのがいやだ、というわけではないのである。そんなことを言ったら、史緒の身近には彼らより数十倍も濃ゆいオタクが二人もいる。正直言って、アニメ研究会を覗いてみた時は、そこにいる人たちの会話の内容がほとんど把握できて、我ながらちょっと怖いと思ったくらいだった。
 尻込みした理由はひとつ。

 それらの研究会を一通り廻ってみて、そうか、この人たちはみんな本当に、こういうのが好きなんだなあ──と気づいたからだ。

 感心、というか、感動、というか、とにかくなんだか改めて実感してしまった、というか。父親を見ているから、ちょっと感覚が麻痺しかけていたが、漫画でも鉄道でも写真でもアニメでも、共通しているのは、その対象への愛、なのだ。好きで好きで好きでたまらないから、研究したり考察したりずっと眺めたりせずにいられない、という魂の奥底から湧き上がる激しい情熱、なのである。言っていて恥ずかしいけど、そうとしか表現できないのだからしょうがない。
 好きだからどれだけ語り尽くしても飽きなくて、好きだからあんなにも生き生きとした顔で楽しそうに笑えるのだ。知識はあるが好きというわけじゃない、むしろ何かに興味を持ったりハマったりするのは極力避けてきました、という史緒なんかが立ち入れるような領域ではなかった。
 ……少し寂しく、少し羨ましい、けれど。
 結局、そういうことなのだ、と理解した。
 史緒のような人間には、学業以外のところで打ち込めるものを、という目的で作られている部活動の中で、自分に向いたものを見つけるのが、そもそも非常に困難なことなのだ。どこか適当なところがないかなあー、なんて軽く考えていた自分が浅はかだった。まず、好き、とか、やりたい、とかいう気持ちが底にしっかりとあってこそ、課外活動を含めた学校生活をエンジョイできる、というものなのだ。
 そんなわけで、現在の史緒は部活に入ることをすっぱりと諦め、毎日授業が終わるとさー今日もやるぞーと張り切る奈々子に手を振って、とっとと帰路につくことにしている。はじめは、オタクになるのを忌避するあまり、いろんなことを放棄してきたこれまでの自分に対してあれこれ思うこともあったのだが、例によってその反省は、一分を過ぎたところで自己解決がなされて闇に葬り去られた。だって仕方ないよ、わたしはこういう性格なんだしね!
 好きなもの、感情が揺さぶられるもの、周りのことが見えなくなるほどのめり込めるもの、そういうものが見つけられた人は、確かに幸せには違いない。けれどもじゃあ、そういうものがない人生は不幸か、と問われれば、史緒はそうは思わない。幸か不幸かは、人と比較して決めるようなものじゃないだろう。
 何事もなく平坦な道を穏やかに進んで、のんびり年を取っていく。これもひとつの幸福な形だよなあ──と、高校生になった今も、地味で平凡で堅実な将来を頭に描いて、史緒は思ったりするのだった。
 ……が、そこまで考えたところで、その思考は女の子の大声によって打ち破られた。



「む、無視しないでください!」
 前に立ちはだかった女の子に言われて、目を瞬いた。
「君、今ものすごく視線が遠いところに行っていたぞ。とうとうその頭の中の貧相な回路が、ショートでも起こして停止したのかと思った。そんな間の抜けた顔を周囲に晒すくらいなら、普段からしっかり物事を考える習慣をつけろとあれほど僕が言っているのに」
 隣にいる高遠にも、顔を覗き込まれて説教された。
「…………」
 そうそう、思い出した。どうして二年生になった今になって、入学時に部活に入ろうかどうしようか迷った、などという追憶に浸っていたのか。
 それは、学校帰りに道を歩いている時、いきなり目の前に飛び出してきた初対面の女の子に、とんでもないことを要求されたからなのだった。

「お願いだから、高遠君と別れてください!」
 と。

 いや待って。どこもかしこもツッコミどころ満載のその台詞だが、まず前提が間違っている。
 冷静に考えよう。なぜそんな誤解が生じたか。それは多分、学校から家へと向かう史緒の傍らに高遠がいて、方向が同じだから二人とも顔を同じ方角に向けていて、あれこれとくだらないことを問いかけてくる高遠に、いつもの通りうぜえなと思いつつ相手をして答えてやっていたから、なのだろうと推測される。たとえ実際に話している中身が、「地球人の好む味覚とはなんぞや」、というしょうもないテーマであっても、ハタ目には、二人でお喋りしながら一緒に帰っている、という風に見えるかもしれない。
 ではなぜそういう状況になっているかといえば、帰宅部の史緒と帰宅部の高遠はどうしても帰る時間が重なってしまうからだ、という結論に達するしかない。同じクラスなのだから、ホームルームが終わるのも、さよならの挨拶をして教室を出るのも、どうやったって同時になってしまうのである。高校生になっても二年間高遠と同じクラス、という確率論を無視した現実については、今は追及すまい。
 つまり、一年生時の史緒が、わたしはこういう性格だから部活には向いてない、などと諦観してしまったりせずに、バスケ部でもサッカー部でも柔道部でもいいからどこかに入部さえしていれば、こんなことを言われる 「今」 もなかったのではないか、という後悔が過去の記憶を呼び起こし、人生の分岐点というものに思いを馳せる契機となったわけだ。
 うん、一言で言うと、現実逃避というやつです。

「あのさ……別れてって」

 ようやく逃避していた場所から現実へと立ち戻り、史緒はのろのろと喉から言葉を引っ張り出した。
 別れてください、って、ねえ。これまで、「もしかして付き合ってんの?」 と言われたことはあるけど、一足飛びにそんなことを言われたのははじめてで、脳が受け入れられないあまり、つい一年以上も前にタイムスリップしてしまったよ。
 目の前の女の子は、相当思い詰めてからこの行動に出たのだろう、真剣な面持ちでこちらを凝視して、史緒の返事を一言も聞き漏らすまいと固唾を呑んでいる。しかしその空気を読まない隣のアホが、誤解を訂正しようとする史緒の邪魔をした。
「別れて、とはどういうことかな」
 高遠が真顔で問い返し、女の子がびくっとする。ちょっとちょっと、余計な質問をするのやめてくれない? ここは、「そもそも付き合ってないし」 という一言を出せば済むことなんだから。
「あ、あの、だから!」
 天漢高校はブレザーだが、その女の子はセーラーだった。これ、近くの私立の制服だな。高遠の顔は、他校の女子生徒まで引き寄せてしまうらしい。迷惑な。
 とはいえ彼女のほうも、かなり可愛らしい容姿をしていた。オシャレで、全体的にふわっとして、守ってあげたい美少女タイプ、という感じ。喋り方もどこか舌っ足らずで、顔は泣きそうで、別れて、なんてことを言っているのはあちらなのに、まるで被害者のように見える。無関係の他人がこの光景を眺めたら、たぶん史緒のほうが悪役に映ること請け合いだ。
「こっ、こんなこと言うの、非常識だってわかってるんですけど……! 私、高遠君のことがずっと好きで……どうしても諦められないんです! ひどい女だって思われてもいいんです、私にもチャンスをください! 私、本気なんです!」
 うん、これが地なのか演技なのかは判らないけど、とにかく本気であることはひしひしと伝わってくるよ。かあっと頬を赤く染めて、恥ずかしげに視線を逸らすその姿は、きっちりと絵になっている。こういう漫画かアニメ、よく見るよね。
 もしも本当に史緒と高遠が付き合っている者同士であったなら、突然現れた可愛いライバルキャラに驚いてヤキモキ、ショックのあまり突っ立って、蒼白になった顔のアップだけで五コマくらいは余裕で使う、という場面だ。もちろん事実はそうではないので、史緒はひたすら目の前の一人劇場にほえーと感嘆するだけだった。
 この子、度胸あるなあ。恥ずかしそうにしてるけど、言ってる内容は 「そんな女じゃなくて私を選べ」 ってことで、かなりすごいし。心臓がヘラクレスなみに強そう。まあこれだけ可愛いんだから、自信があって当然か。
 そして史緒は、こういうタイプがまったく嫌いではないのだった。今まで陰で悪口を言われたり嫌がらせをされたことは数あれど、こうして高遠もいる前で、堂々と対決しようとするのは稀である。ここまでされるといっそ清々しくて気持ちがいい。
「あのね、言っておくけど、わたしたち」
 だから、史緒は彼女に対して、きちんと向き合い丁寧に説明をしようとした。その上で、高遠に告白するなら改めて別の場所でどうぞ、とお勧めするつもりだった。のだが。
「その、チャンス、というのは何に対して?」
 と、またしても高遠に邪魔された。
 さっきから表情を崩さない高遠は、顎に手を当てながら何かを考えるように、自分の前の女の子をじっと見つめている。
 無表情になると、ますます美形が際立って、奇妙に迫力がある。女の子は頬を染めたまま少し涙ぐんで、愛らしく俯きかけたが、史緒は眉を寄せた。
 この顔、なんか、イヤな予感がするな。なに考えてんだ高遠。ていうか、絶対ロクなことじゃないに決まってるんだから、何も考えないで欲しいんですけど。
「だ、だから、高遠君と付き合う……」
「つまり君は、僕と史緒が今現在、『付き合っている』 状態にあると考えているわけか?」
「え」
 女の子と史緒が、同時に声を発した。女の子は驚きから、史緒は安心からだ。
 なんだ高遠、すごく稀有なことだが、この会話の流れをちゃんと理解してたのか!
「ち……違うんですか?」
 女の子は戸惑いと喜びと期待とを微妙に混ぜた視線を、史緒と高遠の間で行ったり来たりさせている。
「…………」
 その問いに、高遠が黙り込んでしまったので、史緒はたった今見直したのをすぐさま撤回した。ちょっと! ここは 「違う」 って即答するところでしょ! その美貌をシリアスぶった顔にしてるけど、どうせまた何か常識人の思考とは激しくズレた変なこと考えてるでしょ!

「──そもそも、『付き合う』 の定義を、君はどう考えているんだろうか」

「は……?」
 女の子の目が点になった。
 史緒はやっぱりねと深いため息をついた。
 高遠は真顔のままである。
「前々から疑問に思っていたんだ。女子というのはよく、『付き合ってください』 と僕に言ってくるが、それは具体的には、どういうことを求めているんだろう。もしも僕がそれを了承した場合、その一瞬後から関係性に変化が訪れるものなのか? 付き合う、という言葉は抽象的すぎてよく判らない。しかし君には、僕と史緒がまさに 『付き合っている』 状態に見えると言う。そう思うに至った理由を解明すれば、同時にその意味が判るはずだ。そこのところを、じっくりと聞きたい」
「…………」
 女の子はしばらく何も言わず、じっと高遠の顔を見返している。きっと、変な方向に話を逸らして誤魔化そうとしてるんだ、とか思ってるんだろう。うん違うよ、高遠のアホ発言は、いつだって心の底から本気だよ。
「つ……付き合うっていうのは」
 しかし女の子は思った通り、強かった。とぼけて逃げようとしている (と彼女は思っている) 相手に、屈辱でちょっと赤くなりながらも、その場でなんとか踏みこらえて口を開く。あのー、ところでわたし、もう帰ってもいいかな。

「一緒に帰ったり」
「うん」
「時々寄り道して遊んだり」
「うん」
「お休みの日に会ったり」
「うん」
「手を繋いだりすることを言うんです!」
「…………」

 高遠は無言で考え込んでしまった。
 実を言えば横で聞いていた史緒も、疑問でいっぱいだ。
 ええー、そうなのか? そりゃ自分だって決してそのテのことに詳しいわけではないが、この女の子の言う 「付き合う」 の定義も、なんかちょっと薄っぺらじゃない?
 史緒はずっと、付き合うってことは、「お互いが好きだから一緒にいたいと思う」 っていうのが基本中の基本としてあるものだと思っていた。でも、この女の子の定義からは、それがすっぱり抜けているとしか思えない。
 その基本がなくても付き合うっていうの? と怪訝に思ってから気づく。
 あ、そうか。
 この子の場合、まずそこをすっ飛ばして、高遠と付き合いたいって言ってるんだもんな。顔を見て、気に入って、言葉も交わさないうちに、付き合ってほしいと申し込んだ。高遠に求めているのが、一緒に帰ったり寄り道したり休日にデートしたり手を繋いだり、という諸々で、だからそれが 「付き合う」 ということだと言い切れてしまうのか。この女の子にとっては、付き合ってからが、「恋愛のはじまり」 ってことなんだ。
「……?」
 史緒は首を捻る。
 そういうのもアリなのかなあ? わかんないなあ。それが普通なの?
 なるほど、この件に関しては、高遠が不思議に思うのも無理ないかもしれない。だって史緒にも、その理屈はよく判らない。
 付き合うって、どういうこと?
「史緒」
 考えている時に名前を呼ばれた。少々上の空のまま、「うん、なに」 と返事をしたら、手を取られた。
 は? と顔を上げると、高遠が史緒の手を握った状態で、女の子のほうを向いていた。
「つまり、こういうことか?」
「は?」
 と言ったのは女の子だが、史緒も同じことを思った。は?

「史緒とは一緒に帰り、時々寄り道をして、休みの日にも会っている。これで、こうして手を繋げば、君の言う、『付き合う』 の定義の条件を満たしている、ということだろう? うん、判った。それなら、君の言う通りで間違いはない。そして僕は、史緒以外の人間と、この条件に合致する行為をするつもりはない。なにしろここまでくるのに七年近くかかっているわけだからな。同じ手順を違う人間に対して踏襲するのは、いかにも面倒だ」

「…………っ」
 女の子は顔を引き攣らせた。彼女には、それは、これ以上ないほど明確な 「お断り」 の言葉に聞こえたらしい。
 何かを言いかけ、ぎゅっと口を閉じる。眉を吊り上げて、一瞬ちらっと史緒を見ると、くるりと背中を向け、その場から走り去ってしまった。
 やれやれと息を吐き、肩を竦めた高遠が、史緒を振り向く。
「……史緒、僕と君は、『付き合っていた』 らしいぞ。初耳だ」
 もちろん史緒は、そのアホの足を思いきり蹴とばしてやった。
「付き合ってるわけないでしょーー!」
「しかし、今の定義に則って現状を照らし合わせてみた場合……」
「言葉だけをそのまま鵜呑みにするな! 言っておくけど、『一緒に帰る』 も 『寄り道する』 も 『休みの日に会う』 も、あの女の子が言ってる内容と高遠君の考えてる内容は、まったくの別物だからね!」
「そうなのか……? 何が違うのかよく判らない」
 ぶつぶつ言いながら、高遠が史緒に蹴られた脛を手でさすっている。
「そりゃあの子の言い方にもちょっと問題があるけど、高遠君はまず恋愛感情っていうものについて、じっくり考えてみたほうがいいよ!」
「考えても理解できないから、今まで君に何度も説明を要請したはずだが」
「知るかあっ!」
 ぷんぷんしながら史緒も身を翻し、高遠を放置して、ずかずかと大股で歩き出した。どうしてこう腹立たしいのか、高遠の顔を見ていられないのか、自分でも判らない。
「史緒」
 高遠が追いついて来て隣に並び、声をかけてきたが無視をした。なんだか今はこいつと喋りたくない。
「今日の君は、妙にぼーっとしたり、些細なことで怒りだしたりするな。少しカルシウムが足りないんじゃないか? 栄養はバランスよく摂取すべきだぞ」
 どうしよう、ますます腹が立ってきたんだけど。
「地球人の場合、情緒不安定な時には甘いものを食べると精神が落ち着くんだったか」
 そういえば、あの女の子が唐突に現れておかしなことを言いだす前まで、高遠と話していたのがそんな内容だったんだっけ。だから君はアイスなどという愚にもつかない食べ物を好むんだな、と納得されて、史緒はそれにも怒っていたのだった。
 高遠といると、腹立たしいことばっかりだ。
「ちょうどいい、あそこにドーナツ屋がある。行くぞ、史緒」
 そう言うや、再び手を取られて引っ張られた。ぐっと足を踏ん張って抵抗する。
「行かない」
 ぷい、と顔を背けた。それじゃホントの 「寄り道」 じゃん。あの女の子のよく判らない定義を聞いた後で、そんなことしたくない。
「なぜ? 君、ああいうものが好きだろう?」
「行かない」
「代金は僕が払うから心配しなくてもいい」
「行かない」
「新作ドーナツが今日から発売、とあるが」
「……行く」
 結局、二人で店に入った。
 どうせ高遠の奢りなんだしと、史緒は遠慮せず新作ドーナツ二個と紅茶を注文した。席についてパクパク食べる。何も頼まず食べもしない高遠は、向かいの席に座って、「君、カロリーという言葉を知ってるか?」 と呆れ顔だ。
 店内には、同じ年頃の子がたくさんいた。女の子同士できゃっきゃと賑やかに笑っているのもいれば、男女で顔を寄せてひそひそと話しているのもいる。ちょっとあの二人の間に割り入って、「付き合うってどういうことかこの男に教えてやって」 と頼みたい。そしてついでにわたしにも教えて。付き合うって、どういうこと?
 恋愛感情って、どういうもの?
 二個目のドーナツを胃袋に収め、紅茶をごくんと飲んでから、ため息を落とした。
「あーあ、やっぱり部活に入ろうかな」
「なるほど、摂取したカロリーを運動によって消費し、その無駄に蓄えた贅肉をそぎ落としたいと……」
「ちがーう! 無神経なことを真顔で言うな!」
 部活に入れば、帰る時間がズレて、下校時までこうして高遠と一緒にいなくていいからだ。見知らぬ女の子からあんな言いがかりをつけられることもなくなる。
 ──こんなにもイラついた気持ちを持て余さなくてもよくなる。
 もう一度息を吐いて、カップに口をつける。高遠は腕を組み、少し考えるように目線を天井付近に飛ばした後で、ふうん、と小さな声を出した。
「しかし部活動に従事すると、帰る時間が遅くなるだろう」
「まあね」
「そうすると、こういう時間も取れなくなるぞ」
「別にいいよ」
「僕はよくない」
「なんで。高遠君はいつも食べないじゃん。アイスもクレープもドーナツも」
 史緒が言うと、高遠はこちらに顔を戻し、テーブルの上の、空になったトレイを指差した。
「この手のものは、ただ甘いだけで、栄養にもならない上に、健康にいいとは言えない。こういう嗜好品をわざわざ食べることについて、僕はどちらかというと、否定的だ」
「? うん」
「でも、そういうものを、喜んで頬張る君の姿を見るのは、嫌いじゃない」
 史緒は紅茶でむせた。


 部活に入って青春を謳歌しているわけじゃない。夢中になれることがあるわけでもない。この年齢になっても恋愛については疎いまま。
 史緒の毎日は、家と学校とを往復し、妹の面倒を見たり、父親のオタク話に付き合ったりするような、そんな地味な日々で成り立っている。
 でも。
 ……考えてみたら、高遠と出会って以来、史緒の人生が平坦だったり穏やかだったりしたことは、一度もないんだよなあ。



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