銀河の生きもの係

小学生編

4.当番制度における矛盾と問題点



 その日の昼休み、校庭に出て行くため下駄箱のところで下足に履き替えていた史緒の前に、誰かが立ちはだかった。
 自分にかぶる影に気づき、ん? と足許に落としていた視線を上げてみれば、すぐ目の前に立っているのは、顔いっぱいで不機嫌を表明した、高遠少年である。
「なに? わたし、今、急いでるんだけど」
 早く行って、ウサギ小屋の掃除を終わらせないと、昼休みが終わってしまう。せっかくの休み時間を労働だけで済ませるのはイヤだ。ぱっと行ってぱっと終わらせてくるよ、と結衣ちゃんにも言ってきたことだし。
 ちらちらと校庭方面を気にしながらそう言った史緒に、高遠はますますむっとした顔になった。
「何が急いでる、だ。君はどんな用事よりも先に、まずしなければならないことがあるだろう」
「え、ないよ?」
 きょとんと首を傾げて否定した。今のところ、生きもの係の当番よりも優先してしなければいけないような用事は、史緒にはない。今日は給食当番でも、日直でもないし。
 しかし高遠は、それを聞いてさらに腹立たしそうに、今度は白い上靴に包まれた足で、とんとんと何度も下に敷いてある簀子板を蹴った。
「何をとぼけてる」
「とぼけてないもん」
 とぼけているのはアンタのSF妄想で満ち溢れた頭の中だ。面倒なので口には出さないが。
「その態度が、とぼけてるって言うんだ!」
 と、高遠は目元に険を入れて、きっと史緒を睨みつけた。

「君は!」
 史緒に人差し指を突きつけ、
「僕に!」
 親指でとんと自分の胸を叩き、
「謝罪を!」
 もう一回、人差し指をぴしりと喉元に突きつける。
「しなければならないだろう!」

「…………」
 なに、このオーバーアクション。
 この指を掴んで逆向きにぐいっと曲げてやったらスッキリするかな、と思うことで、史緒はなんとか苛々を押し潰した。偉いぞ自分。つか、わたしまだ小学生なのに、家でも学校でもこんなに抑圧ばかりされていていいのだろうか。そのうちグレそうだ。
「謝罪って、わたしが、高遠君に? なんで」
「なんでって!」
 高遠は、本気で驚いたように目を見開いて叫んだ。
「君は僕を愚弄したじゃないか!」
「ぐろう……」
 意味が判らない。文字通り、言葉の意味が判らない。小学生相手に、難しい単語を使わないで欲しいなと思うが、ぐろうって何? と訊ねるのも面倒なので、史緒が口を閉ざすと、高遠は 「だから、とぼけるな」 とまたカリカリした。だから、とぼけていないというのに。
「昨日の帰り道、君は、僕になんて言った?!」
「昨日の帰り道?」
 ああ、あのストーカー未遂のことか、と史緒はようやく思いついた。
 なんて言った、って、わたし、こいつになに言ったっけ?
「──僕に対して、『最低』 という言葉を使ったじゃないか!」
「ああ、そういえば」
「忘れてたのか!」
 ぽんと手の平に拳を打ちつけると、高遠はショックを受けたように顔色を変えた。なんだかまるで、ガラガラドシャーンと雷にでも打たれたような衝撃の受けかただった。いちいち鬱陶しいな、もう。
「で、それが何か」
「それが何か、じゃない! 君はいつになったらその件について僕に謝罪をするつもりなんだ?! 朝からずっと、ずーっと待っててやったのに、もう限界だ! せっかく、君が真摯に謝罪をすれば、受け入れてやらなくもない、とこの僕が寛大に考えているというのに!」
「…………」
 なるほど、それで、朝からずっと、チラチラこっちを気にしてたのか、と史緒は納得した。ものすごく何かを言いたげな顔で、やたらと窺うように目線を送ってくるから、ウザいなと思いつつ無視していたのだが。それならそれで、あと一カ月や二カ月は待ち続けていれば静かでよかったのに。大体、「しばらく口をきかない」 とか、自分も言ってたじゃん。午前の時間だけで限界が来てしまう我慢って、どんだけ容量がちっちゃいんだよ。
「そんなに、傷ついた?」
 ぽりぽりと指で顎を掻きながら言うと、「傷ついてなどいない!」 と、ソッコーで怒鳴るような返事が返ってきた。頬が紅潮し、唇はへの字に強く結ばれ、瞳はぎらぎらと尖がっている。小さな子供が、「泣いてなんかない!」 と泣くのを我慢して虚勢を張る時と、まったく同じ顔つきだった。
「…………」
 めんどくさいな。
 史緒ははあっと溜め息をついた。謝る気なんてさらさらなかった、というか、今の今まで自分が言ったこともすっかり忘れ果てていたくらいどうでもよかったのだが、ここで自分が謝らない限り、これからもこんな風に絡まれ続けるのかと思えば、そっちのほうがよっぽど面倒だ。
「うんわかった、ごめん」
「ちっとも誠意のない謝り方だな! 最低、と言ったのをきちんと取り消せ!」
 せっかく謝ってやったのに、高遠はぷんぷん怒ったままだった。言わせてもらえば、こんなもんにいちいち誠意なんて込めていたら、十年も経たずに史緒の中にある 「誠意」 のストックが尽きる。
「言ったことに嘘はないけど、あんたサイテー、っていうのは確かに言い過ぎだった、かもしれない」
「取り消したことになってないぞ! しかも微妙に言い方が異なってるぞ! 気のせいかなんだか昨日より馬鹿にしたような感じになってるぞ!」
「そんなに傷つくとは思わなかったし」
「傷ついてなどいないと言ってるだろう! 君のような、しがない地球生命体が、僕のような高次元の存在に対して、身の程知らずにも愚弄したことについての正式な謝罪を要求しているだけだ!」
「あっ、田中君!」
「僕は高遠だ!」
 やかましい高遠をその場にあっさりと放置して、クラスメートの男子を見つけた史緒は、ダッシュでそちらに走り寄った。
「つかまえた!」
 サッカーボールを手に、校庭に出ようとしていたらしい田中少年は、史緒にがしっと腕を掴まれ、驚いた顔をした。
「な、なんだよ」
「なんだよじゃないよ! 生きもの係の当番! 今日こそはサボらせないからね!」
「げ」
 史緒の言葉に、田中君は顔を歪ませ短い声を漏らした。げ、じゃないんだよ! と、史緒は眉を上げる。春からこちら、一体、何度当番が廻ってきたと思っているのだ。毎回毎回サボリやがって!
「田中君が来ないから、いつもわたしが一人で掃除も餌やりもしてるんだからね! 朝当番も昼当番も!」
「なんだよ、それで問題なかったんだろ? じゃあ、当番は一人で十分、ってことじゃん!」
「よく言った! じゃあ今までの分、田中君が一人だけで当番をやりなよね! 朝と昼、合計四回分、利子つけてあと一回、負債はきっちりと払ってもらうよ!」
「お前、細かいな!」
「当然でしょ! わたしはそれだけ朝の睡眠と、友達と遊ぶ時間を犠牲にしたんだから!」
「だって、掃除とか、俺、面倒なのキライなんだもん!」
「わたしだって大キライだよ! ほら、ウサギが待ってるから、今から行ってきて!」
「やだ! 俺、今からサッカーの約束してるし!」
「そんな約束、空の彼方に葬り去れ! 可愛いウサギの相手をしてるほうが、よっぽど心が癒される!」
「じゃあずっと塚原がやれよ! ウサギ可愛いんだろ!」
「いやだよ、めんどくさい!」
 田中君とぎゃんぎゃん情けない言い争いをしているところに、後ろから新たな声が割って入った。

「……田中君、君、そんなに生きもの係の仕事がイヤなの?」

 あ? と史緒と田中君の二人が一旦口を噤んで振り向くと、さっきまでの子供っぽい顔を完全に覆い隠して、優等生のにっこりした笑みを浮かべた高遠が、興味深そうにこちらを眺めていた。出たな、変換後の別人格。ていうか、あんた、まだいたのか。
「なんだよ、高遠。お前関係ないだろ」
 田中君はその時になってはじめて高遠の存在に気づいたらしい。ちょっとひるんだように一歩後ずさったが、顔と口調は史緒に対して向けていたのよりも、ずっと反抗的なものになった。女子と教師に絶大な人気を誇る、「何でも出来る」 転校生に、大体の男子はあまりいい感情を抱いていない。
 しかし言ってることは同感だ。関係ない厄介な奴は引っ込んでていただきたい。
「うん、そうだね、ごめんね。関係ないんだけどさ」
 高遠はにこにこして言った。この 「ごめんね」 、まったく中身がないな、と史緒は思う。どうしてこれで、史緒のことをあんなにもぎゃあぎゃあ怒れるのだろう。不思議だ。
「……いや、えっと」
 しかし、当番はサボるが善良なところもあるらしい普通の小学五年生の田中君は、高遠のその表の顔 (裏か?) にころりと騙され、ちょっと気が咎めたような表情になった。 チョロイな、田中君。
「少し気になってね。田中君がそうまでして頑固に当番を拒むのは、何か理由があるんじゃないのかなと思ったんだよ」
「だから理由は自分でさっき言ってたじゃん。面倒だし、遊びたいからって」
「塚原さん、ちょっと黙ってて」
 綺麗な微笑を向けて、高遠はすっぱりと史緒の言葉を遮った。柔らかいが断固とした言い方は、反論を許さない種類のもので、田中君は少し驚いたように高遠を見た。しかしもちろん史緒は判っている。一見、田中君を庇ってるっぼいが、これ、きっと単なる仕返しだ。心の狭いヤツめ。
「……理由……」
 田中君がもごもごと口の中で呟いて、俯きがちになった。あれ? と史緒は目を瞬く。もしかして本当に、他に理由があるのだろうか。
「言うべきことはちゃんと言ったほうがいいんじゃないかな、田中君。塚原さんだってこのままじゃ収まらないだろうし、問題があるのなら、逃げるよりも解決点を見出して、俊敏にそれに向けて行動するべきだ」
「や、なに言ってんのか、よくわかんないんだけど……」
 田中君は正直に言ってから、少しためらい、下に向けていた顔をようやく上げた。高遠の卵のような白い肌やサラサラの髪と違い、短く刈り上げた田中君は初夏だというのにこんがり焼けた小麦色をしている。真夏になったら、さぞかし炭のような真っ黒になるのだろう。
「あのさ……誰にも言わないで欲しいんだけど」
「約束するよ」
 と高遠はすぐさま言ったが、史緒は黙っていた。ヘタに約束なんかをして、不利益をこうむることになるかもしれないのは、この件にまったく関係ない高遠ではなく、生きもの係の相方である史緒のほうだ。場合によっては先生に言うぞ、絶対。
「……その、実は俺」
 田中君はしばらく口ごもって、やがて、小さな声でぽつりと言った。
「怖いんだ」
 は? と史緒は問い返す。
「怖いって?」
「だからその……ウサギが」
「ウサギ?」
「つーか、ああいうちっちゃい動物ぜんぶ。ハムスターとか、猫とか」
「ウソでしょ?」
「ウソじゃねえ」
 ぼそぼそと恥ずかしげに喋っていた田中君は、ここで少々開き直ったらしく、正面から史緒を見据えてきっぱり言った。
「だってさ、なんかぐにゃぐにゃして、気持ちわりいじゃん! 生あったかいし、踏んづけたらすぐに死んじゃいそうだしよ! 俺、駄目なんだよ、ああいうの! 可愛いとか、絶対無理! 絶対思えない! ウサギ小屋に近づくのだけでもイヤで、入学した時からずっと避けてたのに、ましてや世話なんて無理だし! 出来るわけない!」
「ええ〜……」
 と、史緒はつい、疑わしそうに田中君を見てしまった。田中君はクラスの中でもかなり活発な少年である。成績はイマイチだが運動神経はよく、女の子をからかったりするのも好きで、たくさんの友達と一緒にいつも外で遊びまわったりするガキ大将タイプの子だ。そんな彼が、あのつぶらな瞳のウサギを恐れるなんて、とても信じがたい。
「そんなウソついてまで、当番やりたくないの?」
「当番から逃げるためだけに、こんなウソつくか! 俺だって言いたくなかったんだよ! 今までずっとナイショにしてきたんだからな! 頼むから誰にも言うなよ?!」
「そうだよ、塚原さん。恥を忍んでこうして秘密を打ち明けている彼に対して、その言い方はないんじゃないかな。君はちょっと、デリカシーが足りないね」
「そうだ、塚原はデリなんとかが足りない」
「他人に酷いことを言って忘れていたりするし、それについて謝りもしないし」
「そうだぞ、よくわかんないけど」
 調子に乗ってしつこく蒸し返す高遠と、さらに調子に乗った田中君が尻馬に乗って史緒を責める。意味がわかんないなら黙ってろよ!
「じゃあなんで、生きもの係になんてなったわけ?」
「俺だってなりたくなかったんだ! けど、ジャンケンに負けて、しょうがなく……」
 しょんぼりと肩を落として、田中君は呻いた。ジャンケンに負けて生きもの係になったのは史緒も同様だが、だからって同情なんてしてやる気は微塵もない。
「だったらその場で、『ぼくウサギが怖いから生きもの係は出来ません、誰か代わってください』 って言えばよかったんだよ」
「言えるか!」
「だったらしょうがないでしょ、諦めなよ! この機会に苦手な小動物を克服する努力をすればいいじゃん!」
 史緒にとって、田中君のウサギ嫌いなんかはどうだっていいのである。この場合、最大の問題点は、こういう彼が相方である限り、これからも史緒は一人でウサギ小屋の掃除とウサギの世話をせねばならない羽目になりそうだ、ということなのである。そうはさせるか。
「ウサギ耳という萌えアイテムをつけた、可愛い女の子だと思えば?」
「思えるか! お前、言ってることがなんかちょっとおかしいぞ!」
 おかしくなどない。史緒の父は、猫もウサギも大好きだ。
「ホラ、さっさと行くよ! しょうがないから今日はわたしが手順を教えてあげるよ! 早くしないと昼休みが終わっちゃう!」
「イヤだああっ!!」
 今までのことをまるっと聞かなかったことにして、抵抗する田中君の腕を掴んで強引にずるずる引きずっていこうとしたら、「まあまあ」 と高遠に邪魔された。
「無理強いはよくないよ、塚原さん。君はどうも、人への思いやりに欠けている」
 あんたにだけは言われたくないんですけど?!
「大体、小動物が苦手だという田中君が、ジャンケンに負けたから、なんていう理由で生きもの係に任命されるというシステムに、そもそも不具合があるんだ。何にでも、まず、適材適所ということを考えなければならないのに、そこを無視して個々の係を決めるというのは、効率性という観点からも誤りがある。集団生活に義務を課せられるのは仕方ないとはいえ、生理的嫌悪感というものは努力ばかりで克服できるようなものではないからね。うん、そこに、この当番制度における、矛盾と問題点があるな。僕らはそこのところをよく考えて、合理的な結論を導き出す必要があるんじゃないか?」
「…………」
 額に人差し指を押し当て、高遠は滔々と述べたが、田中君はまるで意味のわからない顔でぽかんとしているだけだった。史緒は史緒で、大部分聞き流したその台詞の中で、一か所に非常にひっかかって眉を寄せた。
 ……「僕ら」 ってなんだ。
 はじめから思ってたけど、あんた、この話に全然関係ないじゃん!
「つまりだ」
 そんな史緒と田中君を置き去りに、高遠は一人で勝手に結論を導き出したらしく、晴れ晴れとした声を出した。

「──僕が、田中君の代わりに、生きもの係になるよ」

「はあ?!」
 史緒は驚愕して叫び声を上げたが、高遠の理屈は理解できなくともその結論だけは理解できたらしい田中君が、「ええっ!」 と喜んで飛び上がった。
「ホント?! いいのかよ、高遠!」
「イヤだよ!」
「もちろんさ。僕は別に小動物は苦手ではないしね。係決めの後で転校してきた僕には、今のところこれといった仕事は与えられていない。合理的だろう?」
「わたしはイヤ!」
「やったー! あ、でも、先生にはなんて言おう? 俺たちだけで係を代わるなんて許してくれっかな」
「イヤだって!」
「田中君はそのまま生きもの係として名前だけ置いておけばいい。先生には、僕の方から、『動物の世話に興味があるから生きもの係の仕事を手伝いたい』 とでも申し出るさ。つまり、塚原さんと田中君の二人に、僕がプラスアルファとして加わるという形にするんだ。それくらいなら問題ないと思うね。もちろん、実質的な仕事は僕と塚原さんとでする」
「絶対イヤだ!」
「うわ、頭いいな! 高遠、お前ってすげえいいやつだな! ホント助かる! 今度、この借りは絶対返すからな!」
「ちょっと田中君!」
「気にしなくていいよ。クラスメートの役に立てて、僕も嬉しいと思ってるんだ。これを機に、仲良くしてくれるかい?」
「この偽善者!」
「おう、もちろん! 今日から俺とお前は友達だ! 他の連中にも、お前はいいやつだって言っておくからな! 今度一緒にサッカーしような! じゃあな!」
「ちょっとおっ!!」
 史緒の声を完全にスルーして二人で会話を続けた挙句、キラキラと目を輝かせた単純でウサギ嫌いの田中君は、勝手に高遠との友情を深めて、校庭へと走って行ってしまった。
 あああ……とうな垂れる史緒の肩に、ぽんと高遠の手が置かれる。
 にっこりと、笑った。
「さあ、当番の仕事をしに行こうか、塚原さん。ウサギ小屋の中で、じっくりと昨日の話の続きをしよう」
「ウザいっ!」
 史緒は今こそ、心の底から、当番制度というものを呪った。



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