銀河の生きもの係

小学生編

8.異生物間コミュニケーション



 待ちに待った夏休みである。
 やっぱり子供にとって、夏休みというのは特別だ。期間は長いし、日頃出不精な親だって、どこにも行かないのはさすがに可哀想だからと、旅行の予定の一つや二つは組んでくれる。海外なんて贅沢を求めなくとも、山だ海だプールだと、この年頃ならばまだ、すぐ身近に楽しいことはいくらだってある。
 バーベキューをやったり、花火をやったりして、わいわいと騒いだりするのも夏ならではの楽しみだよね。夜更かしや、朝寝坊が出来るのも、嬉しくてしょうがない。
 朝礼で校長先生の長い話を聞いたり、暑いのに体育で無理やり走らされたり、生活発表で 「わたしたちの大切な地球」 などというテーマでかったるい劇をやらされたりする日常からも、しばし解放される。
 とにかく面倒くさがりの史緒にとって、一カ月以上のお休みというのは、なによりほっと息をつけるありがたい福音なのである。ゆっくりダラダラ過ごしても許される、休息と充電のための期間なのである。本当言うと、休みの間、遊ぶことと生きるための必要最低限のこと以外はやりたくないくらいなのである。
 それでもやっぱりあるんだよなあ、その幸せな夏休み中にも。
 生きもの係の当番が。


 熱帯夜に引き続き、朝からちらとも風をそよがせることもない夏休みの三日目は、午前のうちからぐんぐんと気温を上昇させて、昼近くになった今では日陰でじっと立っているだけでも汗を噴き出させる猛暑日となった。
 そんな日、そんな時刻、学校まで歩いた上に、狭いウサギ小屋で作業に従事させられてごらんなさい。小学生といえど、人生が半分くらいイヤになってくる。
「暑いよう……」
 たまらずに、ウサギ小屋の中で、はあーっと息を出してヘバった声を上げた史緒に向けられる、高遠の視線は冷たかった。
「君、ここに来てからそのセリフを言うのは、これで十七回目だぞ。君がこの場に到着してから現在まで経過した時間が十八分二十五秒だ。およそ一分間に一回の割合で 『暑い』 と口にしている計算になる。いくらなんでも辛抱が足りなさすぎやしないか」
「だって暑いんだもん」
「十八回目」
「…………」
 照りつける太陽の日差しと、むわっとむせ返るような熱気もイヤだが、わざわざ史緒の 「暑い」 という言葉を数えている高遠の暑苦しさもイヤだ。腕時計をしているわけでもなく、ウサギ小屋からは時計は見えないのに、正確に時間を計っているような意味不明な鬱陶しさもイヤだ。どうしてそんなことが出来るのか、なんてこと、史緒はもちろん考えない、面倒だから。
 辛抱が足りなさすぎる、と言う高遠は、この暑さにも関わらず、汗ひとつかいていなかった。着ているシャツは史緒のようにぺったり背中に貼りつくこともなく、さらりと涼しげだ。いつもとまったく変わりない端正な顔は、冷血動物らしくいかにも温度が低そうで、腹が立つくらいだった。
 地面の中の穴ぐらに潜り込んでいるウサギたちも、心なしかこの暑さにぐったりしているように見える。穴の中は多少は涼しいはずだが、こうまで気温が高いとやっぱり熱がこもるのかもしれない。普段高遠にビクビクと怯えっぱなしの三羽が、今日は震えもしないでこちらをただ窺っているだけだ。
 暑くなりすぎると、なんかもーどーでもいー、という気分になるのは人間だけではないらしい。
「お水、いっぱい飲んでね。熱中症になるといけないから」
 なみなみと水を注いだ容器をウサギたちに差し出して史緒は言った。自分で言っておいて、ちゃぷん、という水音に、途端に羨ましくなる。いいなあ、喉が渇いたなあ。これから当番の時は、ちゃんと水筒を持ってこないとなあ……と考えてうんざりした。これからもあるんだよなあ、当番。毎回来なきゃダメかなあ。
 穴の中の白黒ウサギのワンワンが、史緒のヘタレな考えを見透かしたように顔を見て、フンフンと鼻を動かした。
 つぶらな丸い瞳が、じっとこちらに向けられる。ちょこんと首を傾げて、フカフカの毛に覆われた長い耳が、ぴくぴく小刻みに揺れるさまが可愛らしい。
「…………」
 なんか 「お願い」 されてるみたいだな。わかったよ、サボんないよ。

「……君はよくそうやってウサギに向かって話しかけているが、それは何か意味のあることなのか?」

 穴の前で屈んでいる史緒のすぐ隣に来た高遠が、同じように膝を曲げて、怪訝そうに問いかけた。
 暑いんだから近くに来るなよ、と史緒は思ったが、不思議なことに、この熱気の中で他人の身体が間近にあるというのにまったく不快感がない。どころか、高遠がそばに来ただけで、少しひんやりとして暑さが和らぐ気がするくらいだった。
 すごい、人間クーラーだ、と史緒ははじめて高遠のことを見直した。
「人間、なにかしら取り柄があるもんだねえ」
「なんの話をしてる。僕の質問に答えてないぞ」
「なんだっけ?」
「君はどうしてそう人の話を聞かないんだ。右の耳と左の耳が一本の管で直通でもしていて、それで声が素通りするのか。それとも頭の内部に重大な問題でもあるのか。君はもう少し自分のことを認識して、改善の方向に持っていく努力をした方がいいと思うぞ」
 身体は涼しくても、言うことは暑苦しい。しかしどちらかというと肉体的な暑さが少なくなることのほうが嬉しかったので、史緒は高遠のウザい性格のほうを我慢することにした。
「ウサギに話しかけることに意味があるかって話でしょ」
「なんだ、わかってるんじゃないか」
 もちろん判っている。ただ、めんどくさかったから、なかったことにしようとしただけだ。
「異生物間で、異なる言語を用いてコミュニケーションが取れるとは、僕には思えない。君がそうやって人間の言葉で話しかけても、ウサギには理解できまい。それなのに、どうして毎回当番のたびに、そうやって話しかけるんだ?」
「でも、なんとなく通じるような気になるじゃん」
「なんとなく、気になる、なんて曖昧もいいところだ。それは君の独善的な見方であって、あまりに客観性に欠けていると思わないのか。客観的に見て、君とウサギの間には、なんら交流は認められない」
「気分が大事なんだよ、こういうのは。見返りがなくても愛情を捧げてしまうのが人間というものだ、ってパパも言ってた」
 それはおもに、夫婦喧嘩になった時、多額のお金と大量の時間を二次元の世界に費やすことに対する、母への言い訳として使われるわけだが。
 しかし高遠は、感心したように少しだけ両眉を上げた。
「へえ……君のパパは、なかなか深いことを言うな」
「そう?」
 深い、かなあ。
「見返りがなくても愛情を……それが人間というもの、か……なるほど……でも、その場合の愛情というものの定義づけがハッキリしないというか……」
 高遠は首を捻りながら、ぶつぶつと口の中で呟いて、難しい顔で考え込んでいる。やがて、くるりと振り向き、真顔で訊ねてきた。

「──愛情とは、なんだろう?」

「…………」
 そんなもの知るか。
 と言いそうになったのを飲み込んだ。小学生に向かってそんな質問をするなよと思うが、高遠が近くで話している間はわずかに涼しいので、会話を続行するために考える。
「そうだなあ、たとえばさ」
 と、史緒は穴の中を指差した。
「このウサギたちだって、ずっと高遠君に怯えてたじゃない? でも今日は、そんなに怖がってる風じゃないでしょ?」
「……そうか?」
 史緒の言葉に、高遠が穴の中のウサギを覗き込む。三羽は揃って一瞬びくっとしたが、いつものようにガタガタと恐怖心を見せることはなく、果敢にも高遠に視線を向けた。
 よほど暑さで思考能力が麻痺しているんだな、と史緒は気に毒になったが、そのことは心の中に留めておくことにする。
「ああ、いつも自分たちを世話してくれてる子だな、って判るようになってきたんだよ。この暑いのに学校に出てきて掃除したり餌をあげたりするわたしたちに、ちゃんと感謝してるんだよ。言葉は通じないかもしれないけど、なんとなく気持ち的に通じ合うものはあるんだよ」
 実際のところはともかく、そうとでも思わなきゃ、史緒だってやっていられない。この暑いのに。
「……そうか?」
 高遠は疑うように同じことを言って、再び首を捻った。
「そうだよ。そうするとこっちだってさ、可愛いなあ、って思うようになるでしょ。あっちから返ってくるものはなくても、この子たちのために頑張らないと、って思うでしょ。サボりたいのは山々だけど、『お願い』 なんてされたら、しょうがないから暑くても学校に来ようかなあ、って思うしかないでしょ」
「君、サボろうなんて考えてたのか? 途中から、自分に言い聞かせてるみたいになってるぞ」
「高遠君も、ウサギのこと、少しは可愛いなって思わない?」
「……うーん……」
 高遠は真面目な顔で穴の中のウサギと見つめ合っている。ウサギのほうは、なんだかもう、怖いけど目が離せない、というような感じで、身動き一つせずに高遠に真ん丸な瞳を据えつけていた。びんびん緊張感が漲っていて、全然微笑ましくない。
「……多少慣れたところで、ウサギはウサギじゃないか? その感情が、愛情に繋がるということか? そもそも 『可愛い』 というのが、今ひとつ判らないんだが、それは具体的にはどういうものだ?」
「うーん」
 と史緒も首を捻る。そんなことも判らないやつに、どう説明すればいいのだろう。
「つまり、その存在のために、何かをしてあげたいと思う気持ち、かなあ」
「──何かをしてあげたい?」
「そうだよ。DVDの全巻を揃えるのに高いお金を出すのを惜しいと思わなかったり、オタクの祭典の時期になると会社でお休みを取らずにいられない衝動に駆られたり、フィギュアを一日中見ていてもまったく飽きないような、そんな気持ちのことだよ」
「……悪いが、ますます判らない」
 高遠は、少し途方に暮れたような顔をした。


          ***


「おーい、高遠、塚原!」
 ウサギ小屋の鍵を職員室に返して、よし帰ろう、と思った時に、声をかけられた。
 振り向くと、派手な赤い色のユニフォームを着た田中君が、こっちに向かって駆け寄ってくるところだった。初夏のうちからすでに小麦色だった田中君は、もう完璧に日焼けして、焦げパンみたいになっている。高遠の人形のような肌とは対照的だ。
「なに、田中君、部活?」
「おう、サッカー部」
 史緒の問いに、晴れやかな笑顔と共に、元気いっぱいの答えが返ってきた。「へえー」 という声が、我ながらつけつけと尖る。
「生きもの係の仕事を放り出して、自分だけスポーツで爽やかな汗を流しちゃってるんだあー」
「なんだよ、悪いと思ってるよ、ちょっとは」
 史緒の嫌味に、単純な田中君は正直にバツの悪そうな顔をした。ちょっとか、と史緒は面白くない。
「だからさ、今日はお前たちにいいもんやろうと思って、当番の仕事終わるの待ってたんだって。夏休みだし、少しくらい寄り道していってもいいだろ?」
 そう言って、田中君は黒い肌に白い歯を見せて、ニカッと笑った。


 こっちこっちと案内されて連れて行かれたのは、学校近くに建っているコンビニだった。
 学校帰りにコンビニに寄るのはもちろん禁止されているし、史緒は自分の家のすぐそばにコンビニがあるから、この店に入ったことはない。そこは、史緒がいつも行く店よりも規模が小さく、上階に住宅のようなものがついていた。というより、家の一部分が店舗、と言ったほうがいいのかもしれない。
「わたし、お金持ってないよ」
 と尻込みする史緒に、「いいからいいから」 と田中君はさっさと店に入ってしまう。史緒と高遠は顔を見合わせて、やむを得ず続いて店内へと入った。
 中に入ると、田中君は、親しげな態度で店のレジにいたおばさんと話をしていた。ふっくらとした体格のおばさんが、史緒と高遠に目を向け、にっこりと笑う。
「ほら、二人とも、来いよ」
 そう呼んで、田中君がさっさと向かったのは、アイスクリームのショーケースだ。「一つずつ選んでいいぞ」 と田中君は気前よく言ったが、史緒はちょっとためらった。アイスには猛烈に惹かれるが、同じ小学生のクラスメートにいきなりものを奢ってもらっては、あとで母に叱られそうだ。
「心配すんな、ここ、俺んち」
 こともなげな田中君の言葉にびっくりする。ぱっとレジを振り返ったら、おばさんが、「好きなもの取りなさい」 と優しく声をかけてくれた。てことは、もしかして、あれは田中君のお母さんか。
「田中くんち、コンビニだったんだー」
「そ。でも、あんまり他のやつらには言うなよ? クラスのやつらに、ここお前んちなんだろ、なんかくれよー、って店に押しかけられても困るからな」
「うん」
 それは確かに困るだろうなあ、と思ったので、史緒は素直に頷いた。そういう図々しいタイプの男子の顔が、二、三人、容易に頭に浮かぶ。
「じゃあ、一個もらうね」
 これなら、「友達の家でおやつをもらう」 の範囲だな、と考えて、遠慮なくチョコのアイスを手に取った。実のところ、嬉しくて嬉しくてしょうがない。アイスは史緒の大好物だ。
「それでいいのか? 高遠は?」
 田中君に促され、高遠は一度 「いや僕は……」 と辞退しかけたが、思い直したようにカップのバニラアイスをケースから取り出した。
 田中君はソーダ味の氷のアイスを取った。おばさんにお礼を言い、店の外に出て三人で立ち食いをする。史緒は大喜びで、チョコアイスを口に入れた。甘くて冷たくて最高だ。猛烈な暑さも、全然というわけではないが、あまり気にならなくなる。
「おいしー」
「やっぱり夏はアイスだよなー」
 史緒と田中君がはしゃいでいるのを、高遠は手の平にアイスのカップを乗せたまま、じっと黙って眺めているだけだった。「食べないの? 溶けちゃうよ」 と言っても、史緒のアイスを見ながら 「うん……」 という生返事しかしない。
 こっちが欲しかったのかな。でも、あげないぞ。
 そうやって史緒が上機嫌でアイスを楽しんでいる時に、
「もうじき林間学校だなー」
 と、田中君が嬉しそうに言ったので、途端にアイスの味が褪せた気分になった。
 むっと口を尖らせる。
「ちょっとやめてくれる? せっかく美味しいアイスを食べてるのに、そういうこと言うの」
「え、なんでだよ。林間学校、楽しみだろ?」
 田中君は、なんの疑問もないようだった。何が楽しみなもんか、と史緒は内心で憤慨する。ピクニックだの、飯ごうすいさんだの、レクリエーションだの、面倒なことばかりが山積みの、忌まわしい行事ではないか。
 いや、それだけなら、まあ、我慢もしよう。史緒はしがない小学生である。今さら、日本の教育機関の発想のお粗末さにケチをつけてみたってはじまらない。粛々と修行僧のように諸々の面倒なことに耐え忍ぶのみだ。
 しかし。
「なんだよ、塚原。林間では、班対抗のゲームもあるんだぞ。同じ班にやる気のないやつがいると、団結力が弱まって勝てないじゃんよ。なあ、高遠?」
「…………」
 そうなのである。よりにもよって史緒は、高遠 (とついでに田中君) と同じ班になってしまったのである。高遠と同じ班になりたいと希望する女子が殺到して手がつけられなくなったから、平等にくじ引きで班分けをしたというのに、そうなってしまったのである。史緒には班番号が記されたその紙切れが、地獄への片道切符に見えた。
 おかげでさらに他の女子に睨まれることになるし、しんどいことこの上ない。正直、夏休みに入って、ダラダラできること以上に嬉しかったのは、その厳しい視線から逃れられることだったくらいなのだ。
 ちなみに結衣ちゃんも同じ班で、高遠と一緒になって喜んではいたが、それよりも史緒のことを心配してくれた。「しょうがないでしょ、たまたまくじ引きでそうなったんだもん、フミちゃんのせいじゃないよ」 と、他の女の子たちを宥めることまで、してくれた。
 一度生きもの係の当番をしてから、結衣ちゃんは史緒を敵視することをぴたりとやめ、何かと庇ってくれるようになったのである。当番への憧れはすっぱり失せたようだが、「高遠のファン」 であるのは今も同じで、楽しそうに高遠のことを話したりするのも変わらない。結衣ちゃんは、史緒が思っていたよりもずっと、人間がでかかった。
 とにかくそんなわけで、迫る林間学校は、史緒にとっては憂鬱の種でしかない。食べ終わったチョコアイスのバーを名残惜しげに見つめながら、はーあ、とため息を出したら、まだ開けてもいないバニラのカップアイスがすいっと目の前に差し出された。
 きょとんとして、持ち主の高遠を見る。
「ん? なに?」
「なんだか物足りないみたいだから。よかったら、食べるかい?」
「えっ、いいの?!」
 ため息をついたのはアイスを食べちゃったから、という理由ではないのだが、物足りない気持ちでいたのも間違いではない。驚いて問い返すと、高遠はこっくりと頷いた。
「考えてみたら、僕、冷たいものは少し苦手だったんだ」
「そうなんだー」
 そうか、高遠自身の温度が低いからだな、と史緒は納得した。冷たい身体に冷たい食べ物を入れたら、きっとお腹を壊したりしてしまうんだ。
「じゃあ、もらうね。ありがとう」
「うん」
 史緒はニコニコして、二つ目のアイスをスプーンに乗せて口に持っていった。外に出て時間が経っているから、大分溶けているかと思えばそんなこともなく、スプーンで叩いたら、コン、という手ごたえがある程度に固い。よっぽどカチンコチンに凍っていたのだろう。
「わあー、これもおいしいー!」
「塚原あー、二つもアイス食って大丈夫かよ」
「大丈夫だもーん」
 呆れるような田中君の声もどこ吹く風で、史緒はご機嫌でバニラアイスに舌鼓を打った。さっきのチョコで甘くなった口が、バニラでさっぱりする。おいしー、おいしー、と何度も言いながら満面の笑みでぱくぱく食べていたら、高遠がまたこちらをじっと見ているのに気がついた。
「? なに?」
「いや……」
 高遠は言葉少なに返事をして、うんうんと何度か軽く頷き、なるほどね、と小さく呟いた。



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