リライト・ライト・ラスト・トライ

第三章

3.強者



 神ノ宮において、最も優先されるのは神獣、そしてそれにまつわる神事である。そこにかける資金や労力は膨大だが、逆に、それ以外のところは、ほとんど重要視されていない。
 従って、護衛官と警護の訓練の場である教練場も、特に設備などというものはない。
 地面に縄が張り巡らされているだけの簡易な舞台で、二人の男が剣を手にして勝負する。その周りを観客がぐるりと取り囲み、大声を出して叱咤したり、野次を飛ばしたりするという光景は、たぶん、街中で子供たちが棒切れを振り回して遊んでいるのと、そう大差ない。王ノ宮には、きっちりと観客席も設えられた立派な闘技場があり、そこではものものしい御前試合までが行われるというのだから、それと比べたら大変な違いだ。
 しかし、だからといって俺たちがお遊び気分でやっているかというと、そんなことは断じてない。戦いの場には誰もが真剣な面持ちで臨むし、観客たちもこれからはじまる自分の戦いを前に、浮き足立つような気持ちでそれを見る。場を支配するのは、少々暑苦しいほどの興奮と熱気だ。
 野太い声を出し合って、刃を落とした剣を交わし、戦う二人。
 剣戟の音、立ち昇る砂煙、男たちの歓声と怒声。
 それらが入り混じる剣闘訓練は、普段、「護り」 にのみ徹することを命じられている俺たちにとって、これ以上はないほどの、肉体と精神の解放の場でもあった。
 ……いつもは。


 現在、剣を手にして戦っている二人は、一人が護衛官、一人が警護だ。
 護衛官と警護は似たような立場とはいえ、さほど交流があるわけでもない。詰所も別棟だし、普段の訓練も別に行われる。護りの対象が、こちらは人、あちらは建物で、身につけるものや覚えるものが異なるためだ。
 だから対戦がこの組み合わせの時は、観客の応援も真っ二つに分かれて、声も大きくなる。そこはやっぱり仲間意識というものが働いて、どうしても熱が入ってしまうのだ。剣闘訓練自体は、あくまで一対一の個人戦であって、護衛官対警護、とは設定されていないのだが。
 というわけでこの時も、息を弾ませて剣を振る二人に、周りの男連中は声を上げていた。あちこちから、そこだ、とか、いけ、やれ、などの無責任な後押しの言葉が、剣の交わる金属質の音の合間にかけられる。

 が、その声は、いつもの数十倍くらい、大人しい。

 目覚ましい動きには歓声が上がるし、失策とも思える反撃には失望の声が漏れる。しかしそこに、今までならよく聞かれていた、罵声や下品な野次などはない。
 そもそも、護衛官や警護の職に就く人間というのは、家の階級が低く、腕にはまあまあ自信があるが、王ノ宮の兵士に志願して厳しい規律に縛られるのは御免、という連中がほとんどで、お上品さとはかけ離れた性質をしている。神官たちの前では畏まって頭を下げていても、裏ではその貧弱さをせせら笑っていたり、口汚く罵っていたりするものだ。
 そういう男たちが、今はどこか遠慮がちに、戦いを見守っているわけである。いつもの剣闘訓練で飛び出す、汚い罵詈雑言の類のほうがいいと思うわけではないが、こうまで素直な 「応援」 をしているのを見るのも、正直、ちょっと気味が悪い。
 熊みたいな外見をしたむさ苦しい男が多いのに、これじゃまるで、女の子の集団みたいだよな──と、俺は内心で思った。
「どいつもこいつも、やりにくそうだなあ」
 隣に立っているハリスさんも、腕組みしながら、くくっと笑っている。
 すでに戦いを終えて、しかも開始と同時に即圧勝、という結果を得ているハリスさんは、もう完全に訓練自体が他人事のように余裕綽々だ。もっとも、この人が余裕をなくすところなんて、今までに一度も見たことないんだけど。
「そりゃそうですよね」
 ハリスさんのような余裕はないが、その意見には同意して、俺はこのぎこちない空気の原因の方角へと、ちらっと目を向けた。

 ぐるりと巡らされた縄の外、全員が立ったまま勝負の行方を眺めている中で、地面に置かれた椅子にちょこんと腰かけている、少女。

 声も上げず、表情も変えず、いつもとまるで変わらない淡々とした態度で、守護人は訓練を見学していた。周り全てが強面の男連中が占めているこの状況で、居心地悪そうにする様子もなく、じっと視線を縄の内側へと向けている。
 彼女は最初からずっと静かなままだったし、傍らに控えているロウガさんに対してさえ、話しかける素振りも見せなかった。急遽用意された椅子は、身分の高い人間が使うようなものではないから、座り心地も良くないだろうに、それについて不満そうな顔もしないで、人形のようにちんまりと収まっている。
 本当に、ただ座って見ているだけ。一言も口を挟まず、疑問も呈さず、訓練に横槍を入れるようなことは、一切しない。
 が、やっぱり、その存在は無視できるものではないのだった。たとえ守護人本人が、「ここにはいないものとして扱ってください」 という要望を出していても。
 男たちは全員、わざとらしいくらいに、そちらへは目をやろうとしない。けれど誰もかれもが、意識しすぎるほどに意識しているのは明らかで、それが結果として、訓練の盛り上がりを大幅に欠いている、最大の理由となっているのだ。
「一体全体、何を企んでやがるんだか」
 戦いのほうに目線を据えているものの、ハリスさんのその言葉が、中にいる二人に投げつけられたものではないのははっきりしていた。口許に薄笑いを浮かべているが、目はまったく笑いを含んではいない。
「ハリスさん……」
 俺はちょっと眉を寄せた。守護人を信用するしないはハリスさんの勝手だが、なにも本人がすぐ近くにいる時にそんなことを言わなくても、と思ったのだ。
「そんな言い方は──」
「あん? なんの話だよ。俺はあくまで、あいつらの勝負について喋ってんだろ。何を企んでるのか予測させない、いい動きだなってさ」
 白々しい。
 憮然として口を噤み、場の中心に目を戻す俺を見て、ハリスさんは苦笑した。
「お前はホント、ガキだよなあ」
「すみませんね」
「時々、イラつく」
「それはお互いさまです」
「俺のように性根を曲げておかないと、のちのち苦労するぞ?」
「今現在、性根の曲がった先輩に絡まれて、苦労してます」
「可愛くないねえ」
 ハリスさんは声を立てて笑うと、俺の頭にぽんと手を置いて、顔を近づけ、声を落とした。
「……けど、ひねくれたことを思ってるのは、俺だけじゃないようだぜ?」
 囁くように言われて、俺は素早く周囲を見渡す。
 椅子に座っている守護人のすぐ近くにいるのは、護衛のロウガさんのみ。あとの連中はそこを遠巻きにするようにして離れた位置にいるが、中には確かに、ちらちらとそちらに目をやっては、ぼそぼそと低く言葉を交わしているようなのもいる。だがそれは、怪しんでいる、というよりは、純粋に、面白くない、というような目つきに見えた。
「普段、ただでさえ、神官どもにこき使われて不満がたまってるようなやつらだな。お前みたいに単純なガキと違って、異世界から来た娘っ子が、いきなり守護人として特別待遇を受けてることについては、僻んでるやつだって多いんだ。遠い場所でふんぞり返っていてくれりゃむしろ無関心でいられるが、こんなにも近くで、しかも大事な訓練にまでしゃしゃり出てこられちゃ、愉快にはなれないだろうよ」
 そんなことを耳打ちしてくるハリスさんは、どこか楽しげだった。これから何かの一悶着でも起こるのを、期待しているかのようだ。
「…………」
 俺は口を噤む。その意見に対して、否定はできなかった。
 神ノ宮に仕える護衛官と警護は、神ノ宮や神官たちの実情を知っているがゆえに、どうしても、神というものに対して、盲目的な信仰心は抱けない。だから神獣や守護人に抱く感情は、神官や一般の民衆よりもずっと醒めている。
 近すぎもせず、遠すぎもしない距離は、そういったものの捉え方が、最も客観的で、かつ、複雑になるのかもしれなかった。
「なんでこんな場所に来たのかね。そう思わないか? 剣で戦うところを安全地帯から見学して楽しみたかったのなら、王ノ宮で正式なものがいくらでも見られるだろうに」
 それはそうだ。守護人が望めば、王ノ宮は喜んでそういう場を設けただろう。それなら、こんな風に護衛官たちの感情を変に刺激せずにも済んだ。
 ハリスさんの声がまた低くなる。
「大体、剣闘訓練があることを、どうして知ってたんだ(・・・・・・・・・・)?」
「え」
 驚いてハリスさんを見る。鋭い双眸は、まっすぐに俺をじっと見つめていた。
「……それは、誰かに聞いたんじゃ」
「誰かって誰だよ? 言っておくが、俺はそんなもん、一度たりとも口にしたことはないぜ。ロウガさんもだ。お前は話しかけられたことすら、ないんだろ。護衛官のことになんてカケラも興味のない神官や大神官が、わざわざ教えるとも思えないね」
「…………」
 俺は守護人のほうに視線をやった。
 少女は、生真面目なほどの顔を前方に向けたまま、身動きもしない。



 俺の対戦相手は、同じ護衛官で五歳年上の、タネルさんという人だった。
 実を言うと俺は、この人が苦手だ。上背があって筋肉質でがっちりした体格のタネルさんは、何かというと、俺のことをチビだのなんだのとバカにするからである。
 そりゃ俺は決して背の高いほうじゃないし、護衛官の中では、どっちかというと、まあその、低いほうかもしれない。自分でもそれを認めるにやぶさかではないが、やっぱりチビ呼ばわりはいただけない。はっきり言って、むっとする。タネルさんはそれを判った上で、しょっちゅうその言葉を口に出すから、タチが悪いのだった。
 絡み方も底意地の悪さを感じるし、ニヤニヤした顔にはいつも露骨に嘲笑が現れていて、うんざりさせられる。同じからかうにしても、ハリスさんのやり方はスマートなんだなあ、と違う方向で感心するくらいだ。ハリスさんがそれを聞いたら、「俺をあんな脳味噌のないサルと一緒にするな」 とか言いそうだけど。
 何にしろ、あまり深く関わりたくはない相手であることは確かだ。それがよりにもよって、こうして戦うことになってしまうとは。
「おチビちゃんが俺の相手とはね」
 そしてそれは、相手も同じだったらしい。場の真ん中で向き合った途端、タネルさんは早速不満げなため息と共に、その言葉を吐き捨てた。
「五つも下の小僧と対戦とは、俺も見くびられたもんだ。ロウガさんは、なんだってまた、お前にばかり肩入れするのかね。よっぽどのおべっかでも使ったか?」
 対戦の組み合わせは、ロウガさんと数人が相談して決める。決める基準は、「剣の腕が同程度であること」。力に差がありすぎたら、訓練にはならないからだ。そこに、年齢や経験年数などは、ほとんど加味されない。
「ロウガさんにおべっかなんて通じないのは、タネルさんも知ってることでしょ?」
 前傾姿勢になって剣の柄に手をかけながら、俺はそれだけを返した。
 目を眇め、相手を見据える。ざ、と砂の上を滑るようにして足を動かした。
 細く深呼吸をして、全身に神経を集中させる。徐々に緊張感が抜けて、周りで湧き上がっているはずの歓声までが遠ざかっていった。
「ちっ」
 タネルさんが舌打ちして、ぺっと唾を吐き、柄に手をかけた。

「はじめ!」

 かけ声と同時に動いたのは相手のほうだった。すぐさま間合いを詰め、鞘から抜かれた剣が、勢いよく俺の頭部めがけて振り下ろされる。
 ぶうん、という唸りを上げて向かってきた刀身を、俺はまだ鞘に収まった剣の柄を握ったまま、軽く後方に飛び退るようにして避けた。
 観客からどよめきが上がる。
 刃を落としてあるとはいえ、あくまでこれは訓練、勝負は寸止めが基本だ。こんな大振りを脳天に喰らったら、失神くらいでは済まない可能性もある。
 タネルさんの顔を見ると、にやりと笑われた。
「おお、悪かったな。つい加減を忘れちまってよ。俺も真面目な性分だからな、手抜きってもんが出来ねえんだ。まあ、お前が地べたに這いつくばるようなことになっても、これは事故だからな、恨むなよ」
「…………」
 ああそう、そういうこと。
 俺は口を引き結んで、体格差のある相手を見上げた。あんたが、訓練に真面目に取り組むところなんて見たことがないけどね。
 ──そういうことなら、こっちだって遠慮はしない。
 ぐっと腰を落として、身体を捻る。柄を掴んだ手に力を込め、鞘から引き抜きざま前方へと踏み出して、横一文字に切り込んでいく。
 そのスピードに驚いたのか、タネルさんは剣で受けることもせずに、身をよじるようにして避けた。
 驚愕の表情はただちに一変して、憤怒の表情になった。またも振り上げた剣で一撃を放ってくる。
 それを自分の剣で叩き返す。ギイン、という音がして火花が散った。重い。びりびりとした衝撃が、掌にまで伝わってきた。
 続けざまに横合いから放たれた一振りを躱してから、そのまま上体を低くして、くるっと半回転し、利き手での一撃を相手の胴めがけて打つ。だがそれは、紙一重で逃げられた。
「なんでお前みたいなチビが、守護人の護衛官に選ばれた?! ああ?!」
 体勢を立て直したタネルさんは、すぐさま連続で打ち込んできた。次々にやってくる攻撃を剣で受け流し、俺はじりじりと後退していく。タネルさんの剣技は力任せで荒々しいので、まともにやり合ったら、こちらまで消耗してしまう。最小限の動きで打ち返し、こちらに向かってくる力を別の方向に逸らした。
 キイン、キイン、という剣戟の音だけが、甲高く響き渡る。いつの間にか、周囲からの歓声はなくなって、息詰まるような静けさが場を支配していた。
「どう取り入った?! 生意気なんだよ! まだガキのくせに!」
「じゃあ言いますけど」
 激しい動きに、とうとうタネルさんの息が切れた。ここだ。攻撃の手が止まったその一瞬の隙を見逃さず、俺は素早く反撃に転じた。
「──実力です」
 ひゅ、と空気を切る音を立て、鋭い振りをまっすぐに下ろす。タネルさんはそれを自分の剣で受けたが、はね飛ばされるように数歩足が後方へとずれた。その顔が歪み、目が見開かれる。
 片足でぐっと地面を踏みしめ、一気に間を詰めた。あちらの構えが整わないうちに、身を低くして、下から思いきり払いあげる。
 タネルさんの手から、剣が弾け飛んだ。


「まだまだだな」
 ハリスさんの隣に戻ると、素っ気ない評価が下された。ちぇっ、と少しむくれる。
「一応勝ったんだから、まあまあだな、くらいは言ってくれてもいいと思うんですけど」
「あんなウドの大木に勝ったところで、何を褒めろってんだよ。しかも時間がかかりすぎ。俺なら瞬殺だ」
「ハリスさんと一緒にしないでください」
「しかしあれだな、お前、構えから抜くまでの動きに、ちょっと癖があるな。ありゃ自己流か?」
 ハリスさんに指摘されて、あー、と頭を掻く。そんなに特徴ある大きな動きってわけでもないのに、やっぱりこの人は目敏いな。
「そうですね。俺、剣の基本は親父に習ったんです」
「なるほどね……てことは、お前の親父さん」
 言いかけて、途中で言葉を止めた。俺の父親がどんな職業の人間であろうと、それは個人的なことだ、と思ったのだろう。ハリスさんは他人のことに余計な干渉や詮索はしない主義なのだ。こういう時は、それが心底ありがたい。が。
「ま、何にしろ、これでまたお前はタネルから目の敵にされ続けるな」
 干渉はされない代わりに、面白そうに言われた。干渉はしないけど、楽しんでいる。うーん、それもどうかな。
 ちらっと視線を移すと、俺に武装解除されてしまったタネルさんは、ずっとこちらを憎々しげに睨みつけていた。勝敗の遺恨はその後に引きずらない、っていうのが剣闘訓練における鉄則なのに、それを覚えてくれているかは甚だ疑問な顔つきだ。
「しょうがないですよ」
 俺は諦めたように言って、ため息をついた。


          ***


 一通りの対戦が終わって、剣闘訓練は終了の刻限となった。
 この後は解散して、すみやかに自分の仕事に戻る。それが通常の流れだ。しかしこの時は、突然飛び出した大声で、全員の動きがぴたりと止まった。
「ただ勝負して、それで終わり、ってのもつまらないな! 誰か、模範演技ってやつを見せてくれないもんかねえ?!」
 詰所に戻りかけていた、俺とハリスさんの足も止まった。
 はあ? と声がしたほうを振り向くと、護衛官が三人ほど固まって笑い声を立てている。あれって確か、訓練の最中、守護人を見ながらひそひそと話をしていたやつらだな。
 仲間うちでお喋りをしている──にしては、やけに聞こえよがしに声が大きい。
「己の未熟さを反省するためにも、上手な剣の扱い方、ってやつを間近で見てみたいもんだよなあ!」
「おう、そうだ! 大体、こんなオモチャみたいな剣の紛いもんじゃあ、こっちも本気になれないってもんよ!」
「俺らが普段持ってるのも古びたシロモノばかりだからな! 一流の剣ってのは、どういうもんか、拝んでみたいねえ!」
 もちろん、目線は決して守護人には向けられてはいないけれど。
 それはどう聞いても、守護人と、彼女が持っている神獣の剣に対する当てこすりだ。
 あくまで雑談という体裁を取り繕って、これくらいの内容なら不敬とはとられない、と考えているのだろう。そして実際そうなのだろうけど、その分姑息で陰湿なやり口に思えて、俺はひどくイヤな気分になった。
 大の男が三人で、女の子相手に、なに言ってんだ。
 周りの連中は、大半がニヤついて、ただ状況を傍観しているようだ。ロウガさんは完全に無視しているし、ハリスさんは黙って観察するような目を向けている。
 守護人は椅子から立ち上がり、主殿に戻ろうとしているところだったが、声のほうに表情の変わらない顔を向けた。
 それから、近くにいるロウガさんに、何かを言った。ロウガさんはちょっと驚いたように口を開きかけたが、守護人は構わずにくるりと方向転換して、足を動かした。
 張ってある縄を跨ぎ、すたすたと歩いて、真ん中で立ち止まる。
 しん、とした静寂が落ちた。
 きっと、誰もがこんな展開は予想していなかったのだろう。守護人が去っていってから、あーあ残念だねえーと嘯いて鼻で笑ってお終い、それくらいのことしか頭に浮かんでいなかったに違いない。元凶の三人までが、口を閉じて、茫然としたように守護人の姿を見つめている。
「……そこの人」

 守護人が静かにそう言って、まっすぐ目を向けたのは、俺だった。

 え、と動揺する。
 俺?
「ちょっとアシスタントをお願いできますか」
 アシスタントってなに? とさらにうろたえた。俺の傍らでは、ハリスさんが厳しい目で守護人を見据えている。
「簡単なことなので、大丈夫です。剣を鞘から抜いて」
「は……?」
 今度は、俺を含め、そこにいた全員が、硬直した。
 まさか、俺に、剣の相手をしろっていうんじゃないだろうな。刃を落としてあるとはいえ、抜き身の剣を守護人に向けたら、下手すりゃ死罪だ。それが判っていないのか?
 あるいは、侮られた仕返し? 見せしめ? 俺、関係ないと思うんだけど。
「守護さま、それは」
 立ち竦む俺を見かねたのか、ロウガさんが言葉を挟んでくる。守護人はそちらをちらっと一瞥して続けた。
「剣は置いて、鞘だけを持ってきて欲しいんですけど。それも問題ありますか」
 鞘だけ?
 意味が判らなくて困惑する。ハリスさんもロウガさんも、そこにいる誰もが、守護人の意図を掴みきれず、戸惑っていた。
 しかしとにかく、この状況で、俺に断りの言葉なんて出せるはずもない。鞘だけなら、罪にはならないだろう。抜きだした剣をその場に置くと、鞘だけを手に、守護人の許へ歩いていく。
「鞘の上下の端を持って、縦にしてください」
 何をするのかはやっぱり判らなかったが、守護人の指示に従って鞘を持った。鞘の両端を持った腕をまっすぐ前に伸ばして、とも言われたので、その通りにする。
 守護人の黒い瞳が正面から向かってきた。護衛は常に彼女の後ろにつくから、こうしてその姿が俺の視界を占めるなんて、今までになかったことだ。
 まだ幼さの残る顔立ち。大きな目、小さな唇。黒く艶やかな髪の毛が、風に靡いてさらりと揺れる。あどけないくらいの、可愛らしい容姿をしているのに、けれどそこには、「無邪気さ」 というものがまったく存在していなかった。
 だから、なんだろうか。

 ──彼女の顔は、そこに喜怒哀楽の感情が一切乗っていないにも関わらず、なぜか妙に、寂しげに見える。

「トウイ、さん」
 はじめて名を呼ばれて、驚いた。
 彼女の護衛につくことになった初日に名乗っただけで、それっきり一度として外に出されたことのない俺の名前。当然、覚えてもいないだろうと思っていた。
 でもどうして、そんな風に、わずかに目を伏せながら、呼ぶんだろう。
 まるで、自分がその名を口にするのを、申し訳ないとでも思っているみたいに。
「わたしはあなたを傷つけません。それだけは信じてください。……そのまま、絶対に動かないで」
 そう言うと、柄に手をかけ、握った。
 ぐっと腰を落として、身体を捻る。何を、と思う間もなかった。次の瞬間には、鞘から抜かれた剣が、斜め下方から上方に向けて弧を描くように一閃した。
 白刃は輝く軌跡を辿って、微塵も揺れもせず、途中で止まりもしなかった。鮮やかなまでの滑らかさ、そして速さだった。
 すぐ間近で見ていた俺でさえ、その動きを捉えきれないほどの、一瞬のことだった。
 ──でも、持っていた鞘は、すっぱりと半分に割れていた。
 周囲が一斉に息を呑むのが感じられた。訓練用の剣で、鞘は木製とはいえ、相当硬い材質で作られている。とてもじゃないが片手で一刀両断に出来るようなものじゃないってことは、ここにいる誰もが知っている。
 鞘の断面を見てみたが、斧で断ち割ったとしてもこうはいかないだろうと思えるほどに、美しかった。

 これが、神獣の剣。

 はじめて目の当たりにしたその至宝の圧倒的な力に、俺は驚きを通り越して、感動していた。
 この薄さ、軽さ、尋常ではない輝き、神秘的なほどの切れ味。
 本当なら、死ぬまで俺なんかがお目にかかれるようなものではなかっただろう。二つになった鞘を持った手が小刻みに震えているのは、ただひたすら気持ちが昂ぶっているためだった。胸のあたりがじんじんする。頭の芯が痺れそうだ。
「……たとえ相手が、小さくて、いかにも弱そうな女の子でも、手にしている武器によっては、自分よりも強くなり得ることがある」
 守護人の少女は、かちんと音をさせて剣を鞘に収めながら、呟くようにそう言った。
「あなたにとって、あなたの命はたったひとつ。それを、忘れないでください」
 そしてまた、くるりと身を翻すと、張ってある縄を乗り越え、すたすたとした足取りで、そこから去っていった。



 しばらくしてから、ざわめきが戻ってきた。
 場の空気は、さっきまでのものとは一変して、ぴんぴん張りつめている。どの顔にも、驚愕と畏怖がはっきりと表れて、ひそひそと話を交わす男たちの目や口元からは、もはや守護人を軽んじる色はすっかり消え失せていた。
 守護人のあとを追ったのか、いつの間にかロウガさんの姿はなくなっている。俺はまだ半分夢見心地でぼうっとしたまま、ハリスさんの近くへと戻った。
「……おい、トウイ。気づいたか」
 言葉をかけてくるハリスさんの声が少し固い。は? と問い返すと、じれったそうに片目を眇めた。
「似てたと思わないか」
「似てた?」
「守護人の、構えからの動きが──いや」
 考えるような沈黙を置いてから、ハリスさんは、気のせいかな、と難しい表情で口を噤んだ。


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