リライト・ライト・ラスト・トライ

第一章

2.佩剣



 あっという間に、二人は最奥の間から出てきた。
 直立不動の姿勢で待機していた俺たちも、その短時間すぎる対面には、呆気にとられて反応が遅れたくらいだった。そりゃそうだろう。
 だって、異世界からやって来た守護人と神獣の、はじめての顔合わせだぞ? そこにどんな感情があるにしろ、とりあえず、最小限の説明や説得くらいはあるはずだ。それだけで軽く一限くらいはかかるだろうと覚悟していたのに。
 頭を下げながらちらりと窺ってみれば、少女と共に部屋を出てきた大神官も、なんとなく拍子抜けのような顔つきをしていた。きっと、いきなり守護人になれと言われた少女が、興奮したり激しく問い詰めたり反発したりすることを予想していたんだろう。それは当然だと、俺でも思う。しかし大神官について再び大人しく歩きはじめた少女の表情には、さっきの現れの間で見たものと、まるで何の変化もなかった。
 一体、最奥の間の中で、神獣は彼女にどんな話をして、彼女はどんな顔で、何を思い、それを聞いたんだろう。
 目で見るだけでは、少女の内心が推し量れるようなものは、何ひとつとして感じ取ることは出来ない。
「これから王ノ宮に参る。お前たちもついて来なさい」
 大神官に命じられ、俺たち三人は、「は」 と礼を取りながら返事をした。
 神獣との目通りが済んだら、次は王に謁見──という予定ははじめから聞かされていたが、こんなにもスムーズに事が運ぶとは思ってもいなかった。連絡を受けた王ノ宮も、予想外の早い到着に、慌ただしく準備に追われるのかもしれないな。
「では参りましょう、守護さま」
 少女に声をかけ、大神官が表門へと向かって歩き出す。こくりと頷き、少女が後に従った。
 俺たちも、後方から彼らを護衛するため、先を行く二人と距離を置いて足を踏みだした。
 そうやって、白く輝く長い廊下を進んでいくうち。
 俺はふと、気がついた。

 ……大神官の後ろを歩く少女が、妙な動きをしている。

 歩幅を急に小さくしたり、いきなりぴたっと立ち止まったり。また歩きはじめたかと思うと、不自然に足が絡み、何かにつんのめったように体が前へと傾いだり。
 ──あ、そうか。
 理解したと同時に、噴き出しそうになった。慌ててこらえて、喉の奥へと押し込む。
 白装束の長い裾を引きずる大神官の動きはのろい。その後ろをついて歩く少女は、なんとか彼の速度に合わせようとしているのだが、どうやら歩幅の調整がうまくいかないらしい。ずるずるとした裾がまた邪魔で、それを踏まないように苦心しているのも窺える。
 なるほど。こういう時って、一度歩みがぎこちなくなると、普通の状態に戻すのがやけに困難になるからなあ。
 ハリスさんもロウガさんも気づいているみたいだが、まさか俺たちが手を貸したり、声をかけたりするわけにもいかない。ロウガさんは無表情ながら少し眉を寄せて、ハリスさんはあからさまに楽しげな眼差しで、歩きづらそうな少女の背中を見守っていた。
 しばらく奮闘していた彼女は、ひとつ諦めたようなため息をつくと、身を屈めて、大神官の装束の長ったらしい裾の端を指で摘んだ。
 そして、そうっと持ち上げた。
「…………」
 また噴き出しそうになって、大急ぎで口を手で押さえた。ロウガさんにじろりと睨まれたが、だってしょうがないじゃないか。
 少女によって、自分の衣装の裾を持ち上げられているなんて気づいてもいない大神官は、澄ました態度で優雅に歩き続けている。
 でも、後ろにいる俺たちからは、上げられた裾と床の間にある、彼の生っ白い足の、ふくらはぎの部分がはっきりと見える。
 その光景はかなり──かなり、間抜けだ。
 足許の障害物がなくなって歩きやすくなった少女は、偉大なる大神官の生足を晒しながら、手で摘んだ裾を持ち上げたまま、しれっと足を動かしている。
 俺はぶるぶると口元を震わせながらも頑張って耐えたが、俯くハリスさんの肩はずっと小刻みに揺れ続けていた。


          ***


「──よくぞこのニーヴァの国に参られた、神獣の守護人よ」
 ニーヴァ国君主、カイラック王の、重々しい声が響き渡った。
 王ノ宮、謁見の間。
 これまで王ノ宮に出入りしたことはあるが、この場所にまで足を踏み入れるのははじめてだ。玉座に座って守護人の少女と向かい合い、歓迎の言葉を出す王の声を聞きながら、今日はいろいろと 「はじめて」 の多い日だなあ、と俺は考えていた。
 はじめて謁見の間に入ることが出来たとはいっても、それはあくまで守護人の護衛としてであって、俺の地位や身分が上がったわけではないから、それほどの感慨も感動もない。謁見の間はもちろん重厚で豪華ではあるものの、神ノ宮最奥のような息苦しいほどの神聖さはなくて、少しほっとするくらいだった。
 まあ本当のところ、謁見の間の内部が、いかに重厚で豪華だってことをしっかり検分する時間も機会も、俺にはなかったんだけどね。
 なにしろ王の御前だ。特別に許されているとはいえ、俺たちみたいな立場の人間が顔なんて上げていられるはずもない。膝をつき、最初から最後までひたすら深く頭を下げ続けているしかないから、カイラック王がどんな容姿をしているのかも、ほとんど確認することも出来なかった。これじゃ、遠目で拝見するだけの日常とそう変わりない。
 しかしそれでも、声だけは聞ける。上に立つ人間としての堂々たる威厳と自信に満ち溢れた、深みのある声だった。
 見えないけれど、部屋の奥の玉座には王があらせられ、その前には、一段下がった場所に少女がまっすぐ立っているはずだ。傍らの大神官でさえ膝を折っているのに、王の御前でも少女が起立を許されるのは、彼女が 「神獣の」 守護人であるからだ。
 神獣は王よりも位が高い。その神獣の守護人は、王より上ではないが、王に対して格別の礼を取らなくてもよい、ということになっている。

「守護どのは、名はなんと申されるか」
「椎名です」

 王の質問に、物怖じした様子もなく少女が答えた。
 はじめて聞くその声は、態度と同じく静かで落ち着いていた。涼やかな、耳触りのいい声。やっぱり喋れるんだ、と俺は床に目を落としながら納得した。
 でもこれは、最奥の間の中から聞こえたものとは違うな。じゃああの子供のような笑い声は、誰のものだったんだろう。
「シイナどの、だな。して、それは名であるか、姓であるか。正式な名前はなんと申される」
「……ただの、椎名と。そう呼んでください」
 重ねての王の問いに、一拍の間を置いて少女がそう言った。

 シイナ。名は、それだけだと。

 ふうん。異世界では、人の名前っていうのはそんなにも短く素っ気ないものなのか。こちらでは、名はけっこう重要な意味を持つものだけどな。
 俺の場合、フルネームは、トウイ・ウル・カディア。最後の 「カディア」 が家の名前で、真ん中の 「ウル」 が家の階級を示している。名前を聞けば、大体その人間の生まれや身分が判る。ずっと下の階級に生まれた人間が、なかなか自分の本名を明かそうとしないのは、それを聞いた相手の態度や扱いが変わってしまうことが多い、という現実があるからだ。
「相判った。それではシイナどの、大体の事情はもう聞き及びのことと思うが」
 と王は当然のごとくそう言ったが、俺は内心で首を捻った。あんな短い時間で、本当に、事情なんて聞く暇があったのか?
「はい。聞きました」
 え、そうなのか? いつ?
「この国のため、神獣の守護人になることを、承知してもらえるか」
「はい」
 あっさりしてるな! 俺、こういうことって、もっとややこしいやり取りや、途方もない時間と手間をかけて説得していくもんだとばっかり思ってたぞ。現れの間に彼女が到着してからこの時まで、まだ一日の半分も経過していない。こんなにもするすると物事が進むもんなのか。
 お世辞にも荘厳とは思えない、軽い感じの 「守護人任命」 の儀式を終えてから、少女が、「──ただし」 と付け加えた。
 その言葉に、一気に謁見の間内の空気が緊張するのを感じる。やっぱりな。こんなにすんなり行くなんて、王もおかしいと思われていたんだろう。

「守護人を引き受けるにあたり、いくつか条件があります」

「……条件」
 王の口調が一転して慎重なものになった。無理もない。のちのちのためにも、ここで迂闊な口約束は出来ない、というのは俺でも判る。
「衣食住についての保障ならば、心配せずとも」
「いいえ、食べるもの、住むところについては、特に要望はありません。最低限のもので結構です。着るものについては、多少こちらの要求を聞いていただきますが」
 少女の声は、最初からずっと変わりなく、冷静で、淀みなかった。まるで、こういったことに慣れている、ような気がするほどに。
「おお、なんなりと。守護どのに似合う、最高級の衣装をいくらでも用意させよう。早速、腕のいい職人を手配して」
「いえ、街の人たちが着ているのと同じものがいいです。ドレスや、裾の長いものもお断りです。軽くて、丈夫で、動きやすくて、少しくらい切ったり破いたりしてもすぐに取り替えのきく手頃な衣類ですね。それをお願いします」
 なんだか、食堂で注文でもしているような言い方だ。王が絶句しているような気配が伝わってくる。
 だが、その台詞に、俺は少し違和感を覚えた。

 ──「街の人たちが着ているのと同じもの」?

 変な表現だな。そういった人々が、どんなものを身につけているか知っているみたいじゃないか。
 彼女が異世界からこちらにやって来たのは今日、見たものといえば、神ノ宮とこの王ノ宮のごく一部だけだ。その二つを移動する間は、万が一にも外から覗かれないようにと、窓の覆われた馬車に乗っていたわけだから、外の景色を眺めることも出来なかったはず。
「それから、過度の気遣いも不要です。会う人ごとに平伏されることに、私は慣れていませんし、正直言って嬉しくもなんともありません。可能な限り普通に接してくれるよう、王様から、神ノ宮の人たちに伝えてください」
「い、いや、それは……うむ、まあ、その点は配慮するように大神官から通達させよう」
 すぱすぱとした少女の物言いに、いつの間にか王のほうが押され気味になっている。神獣の守護人に普通に接しろと言われたら、神官たちもさぞ当惑することだろうさ。
「そして、最後に」
 と、少女が言った。
 声の調子に、わずかに固いものが滲んだ。

「……『神獣の剣』 を貸してください」

 その言葉には、ざわっ、と謁見の間内部の全体の空気が揺れた。
 王をはじめとして、その場にいた宰相や数人の大臣たち、そして大神官の驚きと動揺が伝わってくる。意味が判らないのは、俺たち神ノ宮の護衛官と、謁見の間の警護として立っている屈強な男たちくらいだろう。
「神獣の剣……とな?」
 とぼけてみせる王の声には、ありありと警戒心が含まれていた。しかし少女は逃げることを容赦しない素早さで言い募った。
「この王ノ宮に保管されていますよね? それを使用する許可を出せるのは、神獣と王様だけと聞いています」
 聞いている? 誰に?
 俺は心の中で訝ったが、王もきっと、同じ疑問を抱いたのだろう。「そなたが話したか」 と大神官に問う声音には、明らかに、余計なことを、という軽率さを責める棘が混じっていた。
「い、いいえ、決して、私からはそのような……しかし」
「しかし?」
「神獣が、『いかなる内容であれ、なにごとも守護人の望むままに』 と」
「…………」
 王が忌々しそうに小さく舌打ちした。
 どうやら王は、その 「神獣の剣」 とやらを、よっぽど他人の手に渡したくはないらしい。かといって、王よりも位の高い神獣の意志を、聞いたからには無視するわけにもいかない。その二つの間で打算や思惑がせめぎ合っているのか、しばらく、考えるような無言が続いた。
「むう……しかしあれは、この国の秘蔵の宝ゆえ……」
「あの剣は美術品ではありません。れっきとした武器です。ここの奥深くで大事に崇めているだけでは、意味がありません」
「む……」
 王の顔は見えないが、見えたら、さぞかし苦々しいものが現れているのだろう、という声だった。
 また沈黙が落ちる。
「……神獣の剣を、ここに」
 ややあって、抑えた調子で王が近くの誰かに命令した。周囲も困惑しているようだが、表だってそれに異を唱える人間はいなかった。
「して、守護どのは、あの剣をどうされるおつもりか」
「わたしが使います」
「なんと」
 少女の答えに、王が驚くような声を上げた。どんな表情なのかは判らないが、耳で聞く限りでは、失笑と嘲りを隠そうともしない言い方だった。近くにいた大臣たちからも、軽く笑い声が漏れたほどだ。
 ──ああ、そうか。
 はっきりと人を侮蔑するようなその笑い方に、俺はすとんと理解した。
 神ノ宮とは違い、この王ノ宮では、神獣はともかく、神獣の守護人は決して、彼らにとって敬うべき対象ではないんだな。
 王も、宰相も、大臣たちも。表向きの対応と、その内心とでは、きっと天と地ほどの開きがある。

 ……彼らの目に、異世界からやって来た少女は、果たしてどんな 「もの」 として映っているのだろう。

「失礼ながら、守護どののようにか弱き乙女の身に、剣が振り回せるとは思えぬ」
「そうでしょうか」
 向けられる嘲笑に気づいているのかいないのか、少女の態度は最初からまるで変わりはなかった。淡々とした返事に、少し苛ついたのだろう、王が黙り込む。漂ってくる空気が不穏だ。
 重苦しいその静けさが続いてしばし、王の命令通り、神獣の剣が謁見の間にまで運び込まれたらしい。どのように運ばれているのか、顔を上げられない俺にはさっぱりだが、さらさらと布が床を擦る音や、ごとんと何かを慎重に置くような重い音が響いた。
「せっかくだ。この謁見の間にいる者みな、控えている者もよく見るがよい。これが、我が国の至宝、『神獣の剣』 である」
 ちょっと八つ当たり的な気分にでもなっているのか、王がどこか投げやりな口調でそう言った。許可が出たので、俺たちも遠慮がちながら顔を上げ、視線をそちらに向ける。
 前方に、まっすぐ立った少女の後ろ姿。その傍らで、大神官が居心地悪そうに膝をついている。彼らの向こうには、玉座の王が見えた。

 少女のすぐ目の前には、仰々しい台座に据えられた、銀色に輝く鞘に収まった剣がある。

 彼女は、躊躇する間もなく手を出して、それを握って持ち上げた。その無造作なやり方は、王や大臣たちが慌てたように身を乗り出したほどだ。なんとなく、幼児に壊れやすい物を持たせた時の反応みたいだが、少女は持ち上げた瞬間かすかに眉根を寄せただけで、意外に危なげのない手つきで、剣を視線と同じ高さにまで掲げた。
「守護どの、なんなら、そなたのために、新しい剣を誂えてさしあげよう。守護どのでも扱える、もっと細く美しい剣だ。私の勅命で、すぐにでも一級品を造らせる」
 だから、それは諦めろ、ということらしい。王はどうも、本当にこの守護人を、ただの子供としてしか見なしていないようだ。新しいおもちゃを買ってあげるから、それはこちらに返しなさい、とでも言いたげだった。
 その剣は、子供がお遊び気分で触れていいものではないのだから、と。
「はい、それでも構いませんよ? この剣よりも軽くて切れ味の良いものが造れる人がいるのなら」
「…………」
 王がむっとしてまた黙る。そんなものはたとえ超一流の職人にだって造れない、ということか。
 俺は二人のその会話を半分くらい聞き流しながら、少女が手にしている神獣の剣をじっと見つめ続けていた。
 胸の奥が、そわそわ疼く。

 だってそりゃ、剣を扱う者として、興味が湧かないはずがない。
 つい、手の先がむずむずと動いてしまう。
 国の至宝、神獣の剣。
 それは一体、どれほどの逸品なのか──

 俺がそう考えたと同時に、少女がちらっとこちらを振り返った。
 え?
 ほんの一瞬、視線がかち合って、大いに焦る。
 まただ。やばい、やっぱり、俺の心の中が読まれてる。慌てて目を伏せたものの、心臓は大暴れだ。
 現れの間にも他に大勢いたし、この謁見の間にだって、たくさんの人間がいるっていうのに、なんで俺ばっかりなんだろ。そんなに俺って、心の声が外に漏れやすいのかな?
「皆さん、わたしが本当にこの剣を扱えるのか、お疑いのようなので」
 再び王のほうに向き直った少女が、さらりと皮肉った。
 口を動かしながら、王の御前だというのに、銀色の鞘からすらりと剣を抜く。きらりと輝く白刃に、警護の人間たちが一斉に緊張して足を踏み出しかけたが、彼女はまったくそれに頓着しなかった。
「今から、お見せします」
 そう言うと、剣の置いてあった台座の向きを変えた。鞘を床に置き、自分も動いて位置を変える。
 ……え、なんで?
 王に見せるのなら、そのまま正面を向いていればいいのに、どうしてわざわざ横向きになる必要が?

 まるで、後ろにいる俺たちにも、見せるみたいに。

 しかし俺は、その疑問を続けて考えることは出来なかった。何をするつもりだと誰もが思ったことだろうが、一人としてその問いかけを口に乗せることも出来なかった。そんな時間すら、なかったのだ。
 さっさと剣の柄を両手に握った少女が、それを頭上で構えたかと思うと、やっぱりためらうことなく、そのまま鋭い軌跡を描いて、一直線に下に振り下ろした。
 あまりに速く、あまりに迷いがなかった。姿勢も美しく保たれたまま、端正と言ってもいい動きだった。剣の刃は綺麗な半円を辿り、勢いがついていたにも関わらず、謁見の間の硬い床に当たる前に、ピタリと空中で制止した。
 ただ、それだけ。
 剣の動きは最初から最後まで滑らかで、音もしなかった。白刃は単に、ひゅ、と空気を切っただけ、のように見えた。
 ──なのに、少しの時間を置いて、両端を二本の脚で支えられていた台座が、真っ二つに割れた。
 均衡を失い、割れた台座がそれぞれに倒れて耳障りなやかましい音を立てる。その音もろくに耳に入らないくらい、俺は……いや、俺ばかりじゃなく、ロウガさんも、ハリスさんも、大神官も、そしてカイラック王も、その場にいた誰もかれもが、茫然とした。
 ふー、と息を吐いて、少女が床の鞘を拾い、かちんと音をさせて剣を収める。
「では、神獣の剣、お借りします」
 さばさばとした言い方は、決まりきった手順をこなした後のように、少しだけうんざりしているようにも聞こえた。


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