リライト・ライト・ラスト・トライ

第四章

5.愚者の背徳



 部屋のドアが控えめにノックされたのは、数時間経って、とっぷりと夜も更けた頃のことだった。
「守護さま……まだ起きていらっしゃいますか」
 ドアの向こうから小さく聞こえるのは、ミーシアさんの声だ。しかしその声は、いつもとは異なり、どこか怯えを孕んで、か細く震えているように聞こえた。
「はい、どうぞ」
 答えると、遠慮がちに開いた隙間から、ミーシアさんが顔を覗かせる。普段は健康的なピンク色の頬が、うっすらと青ざめていた。
「守護さま……このような時刻に大変失礼なのですが、実はあの、兄のロウガがどうしても目通りをと」
「……はい、どうぞ。入ってきてください」
 わたしがそう言うと、ミーシアさんに続いて、ロウガさんがほとんど躊躇もなく頭を下げて部屋に入って来た。
 護衛官や警護の人たちは、何か非常事が起きた時にしか、この部屋に入るのを許されていない。なにより規律と規則に厳しくて、頑なにそれを守り抜こうとするロウガさんのその態度は、口で語るよりも雄弁に、これが彼にとっての 「非常時」 であることを示していた。
 ドアの前には警護の人が二人立っているが、彼らも護衛官の入室を咎めたりはしなかった。向こう側にちらりと見える二人の顔は、ミーシアさんと同じように青い。
 部屋に入ったロウガさんは、きっちりとまたドアを閉じ、わたしの前まで来ると、床に片膝をついて顔を伏せた。
「守護さま、夜分にお騒がせして、大変申し訳ございません」
「構いません」
 侍女や下働きの人たちは忙しく働いているけれど、神官たちはもうみんな寝ているだろう、というこの時間。外は真っ暗で、神ノ宮内はしんと静まり返り、夜が明けるまでにはまだまだ間がある。
 ロウガさんがこの時間を選んでここに来たのは、とても正しいことだと思う。
「……守護さま、つかぬことをお聞きしますが」
 床に膝をついたままの姿勢で、ロウガさんが伏せていた顔を上げた。いつもと同じような真面目そうな顔つきだが、よくよく見れば、こちらを向く鋭い眼が固く強張っている。

「──神獣の剣は、お手元にございましょうか」

「…………」
 その確認に、わたしは少し沈黙した。
 ロウガさんの傍ら、両手を胸の上でぎゅっと強く組み合わせているミーシアさんが、緊張しきった視線を向けてくる。無言の時が、それをより高めているのか、顔色はもはや青を通り越して白っぽくなり、今にも倒れてしまいそうだった。
「それが」
 わたしはなるべく普段と同じ声と顔で言った。
「さっきから、ちょっと見当たらないんです」
 ああ、とミーシアさんが呻いて目を瞑る。ロウガさんはそこまであからさまに態度に出しはしなかったものの、口許をぐっと引き締めた。
「それは、正確にはいつ頃でしょう」
「さあ……いつでしたっけ」
 曖昧に言いながら、周囲に顔を巡らせた。わたしは眠る時はいつも神獣の剣を抱えて寝るけれど、神獣の剣を置いて部屋を出る時には、必ずベッドの脇に立てかけておく。その場所に、今は何もない。
「うっかり、どこかに置き忘れたのかもしれません」
 ロウガさんとミーシアさんは、その言葉には返事をしなかった。ロウガさんはやっぱり視線をひたとわたしに据えたまま、ミーシアさんは全身を震えさせて下を向き、必死に涙をこらえている。
「守護さま、実は」
 ロウガさんの低い声は、平静を保とうとしているあまりか、機械の音声のように一本調子だった。
 床に置かれた手が拳になって握られる。

「──実は、護衛官の一人が、神獣の剣を守護さまの部屋から持ち出したと」
「…………」

 わたしは口を噤んでロウガさんを見返した。
 意志の強い瞳は頑固に揺れもせず、こちらに向かってきている。でも、目尻のあたりがぴりぴりと引き攣って、懸命に自分の中の何かを押さえつけているようなのが見て取れた。
 四隅の天井付近に据えられた燭台が、赤い炎を揺らしてじじじとかすかな音を立てていた。
「本人が、そう申告したんですか」
「いえ。他の護衛官が、現場を目撃したと言っております。その男が、神獣の剣を腕に抱えて、守護さまのお部屋のほうから逃げていくのを見た、と」
「わたしの部屋から、ですか」
 呟いて、とんと右足で軽く床を叩いたら、それだけでミーシアさんがびくっと飛び跳ねるように反応した。
「おかしいですね。わたしの部屋の前には警護の人たちが二人いて、外にも同じく警護の人がいるのに。一体どこからどうやって侵入したんでしょう」
 その問いに、ロウガさんはさらに拳をぎゅっと握りしめた。
「窓から入ったのだろうと」
「窓から?」
 そう言いながら、わたしは部屋の窓のほうへと目をやる。
 その向こうの中庭では、美しく整えられた植え込みが、赤い月に照らされて浮かび上がっていた。窓以外の三方は、二面が建物の壁、あと一面は背の高い柵に囲まれている。
 壁側から侵入するのは不可能だ。柵は、万が一火事でも起きた時に窓から逃げられるようにと、よじ登って越えられる程度の高さになっている。でも、その向こうには部屋の前と同様、警護が一人立っているはず。
「……柵の前に立っていた警護に、持ち場を離れていた時間帯があったようです。その者に話を聞いたところ、近くで大きな物音がしたので、確認しに行っていたと。まことに、不手際、申し訳ございません」
 深く下げすぎて、ロウガさんの頭は床にくっついてしまいそうだ。警護と護衛官、対象は違うとはいえ、同じこの神ノ宮を護る者として、こんな初歩的な手口に引っかかったことを、心底怒り、恥じているようだった。
 ──危機感が薄いのは、なにも神官たちだけではなく、神ノ宮全体に言えることだった、ということだ。警護の人たちも、神ノ宮が何者かに侵入されるなんて、現実的に考えたことはなかったのだろう。
 ましてや、内部の誰かが守護人の部屋に忍び込もうとすることも。
「……で、その人は柵を越えて、この部屋に入り込んだと」
 部屋の窓に鍵はあるが、わたしはそれを使ったことがなかった。もといた世界のワンタッチ式の鍵と違い、こちらの鍵は、穴に差し込み押して力を入れて何度も廻す、という煩雑な作業が必要だからだ。
 それでは、いざという時、鍵を開けるのに時間がかかりすぎて窓から逃げられない。分厚いガラスを割るのも手間だ。わたしはわたしで、緊急事態の時、どうすれば動きやすいか、ということばかりを想定していたのが、この場合、裏目に出た。
「神獣の剣を持ち出したのは、誰ですか」
 わたしの質問に、ロウガさんは一瞬、息を飲み込んだ。
 一拍の間の後で、それをゆっくりと吐きだしながら、重い口を開いて答えを絞り出す。
「──トウイです」


          ***


 ロウガさんと共に護衛官の詰所に向かうと、もう真夜中だというのに、建物前で全員がきっちりと制服を着て、冷たい地面に膝をつき叩頭していた。
 ずらりと集団で並ぶ護衛官たちの最前列、ぽつんと一人離れて膝をついているのは、トウイだった。闇の中、赤い月と、建物の入口前で燃えている灯火台の炎に照らされて、その姿はずいぶんと頼りなく見える。
 他の護衛官はみんな帯剣しているというのに、彼だけが空手のまま、しかも、後ろに廻した両手を縄で括られていた。
 ──まるで罪人だ。
「話はロウガさんから聞きました」
 居並ぶ護衛官たちの前に立ち、わたしがそう言うと、いちばん前のトウイがぱっと顔を上げた。
 ミーシアさんと同じ、青白い顔。強張った表情には、いつもの明るさが欠片もない。赤茶色の瞳は訴えるようにまっすぐこちらに向かってきたけれど、地面についている両膝も、引き結んだ唇も、ずっと小刻みに震えていた。
「神獣の剣を、わたしの部屋から持ち出したとか。それは本当ですか?」
「違います」
 硬い声ながら、トウイははっきりと否定した。
「俺──私は、そんなことはしていません。するもんか!」
 今まで、護衛官仲間にさんざん同じ台詞を口にし続けてきたのだろう。後半は怒鳴るような言い方だった。
 ロウガさんに 「トウイ」 とぴしりとした調子で窘められて黙ったけれど、ぎらぎらとした視線は食いつくように、わたしから離れない。曲がったことが大嫌いな性質は、こんな時、ばね仕掛けのように勢いよく跳ねあがるようだ。
 後ろ手に縛られて、罪人として跪かされたこの体勢でもなお、彼の心は理不尽に屈したりはしない。
「では聞きますが、どうしてそんな話になったんでしょう」
「……わかりません。俺だって、何がなんだか。いきなり、『神獣の剣を盗んだのか』 って言われて」
 トウイはそう言って、悔しそうに目を逸らした。わたしは彼の後ろに並ぶ、護衛官たちに視線を移す。
「ロウガさんの話では、トウイさんが神獣の剣を持ち、逃げるところを見た人がいる、ということでしたが」
「はい、私です」
 答えて、顔を上げたのは、タネルさんだった。
 唇がわずかにひくひくと動いているのは、必死に笑いを堪えているためらしい。大柄な身体に似合わない、卑屈な視線がおもねるようにこちらに向けられる。生意気な後輩を罠にかけて、楽しくて楽しくてたまらない、といったところか。
 ……なんて。

 なんて、愚かな。

「──状況を詳しく説明してください」
 平坦な声音で問うと、タネルさんは嬉々として、身振り手振りまでつけて目撃談を喋りはじめた。たまたま主殿の近くを通りがかったら、銀色に輝く長いものを両腕に抱えたトウイが、こそこそと人目を憚るようにして走り去っていったこと。やって来た方向を見ると、守護人の私室へと通じる柵があったこと。もしやと思い、ロウガさんの部屋に報告に行ったこと。
「トウイがまさか、そんなことをするはずがないだろうと思ったのですが、念のため。しかしトウイが、異常に神獣の剣に対して関心を見せていたのは、自分たち全員が知っていることですから」
 抑えられたニヤニヤ笑いとともに出されたその言葉に、トウイが唇を噛みしめ、後ろにいたハリスさんがちっと舌打ちしたのが見えた。わたしの近くにいるロウガさんが、苦々しいため息をそっと吐き出す。
 ハリスさんとロウガさんは、トウイがハメられたことに気づいているらしい。他の護衛官たちはどうかと窺ってみると、どの顔も半信半疑、といった様子だった。
「その報告だけで、ロウガさんはトウイさんが犯人だと?」
「いえ……無論、本人を呼んで話を聞きました」
「トウイさんは、どう答えましたか」
「非常に驚いて、知らない、自分はそんなことをしない、と」
 でしょうね。
「トウイさん、その時間はどこにいましたか」
「……詰所の裏にいました。いつも寝る前に、そこで軽く運動をするのが習慣です」
 筋トレとか、その類だろう。わたしはそういうことはすべて自分の部屋の中でするけれど、護衛官の詰所の中には、そんな余分なスペースはない。
「誰か、それを見た人は?」
 今度は後ろに向かって問うと、護衛官たちはそれぞれ当惑したように顔を見合わせた。
「トウイが外に出ていくのは見ましたが……いつものことだと思って、特に気にしませんでした」
「俺ら……いや、私たちは、当番や用事でもなけりゃあ、この暗い中、わざわざ外に出て行ったりはしませんし」
 つまり、トウイが外に出たのは知っているけれど、外で何をしていたのかまでは知らない、と。
 聞けば聞くほど、状況はトウイに不利だ。タネルさんは、意外と悪知恵が廻るらしい。
「本人は否認しているのに、この扱いはちょっと性急すぎませんか」
 と、トウイの後ろ手の縄を指差すと、ロウガさんがますます声を低くして、「……それが」 とぼそりと言った。
「タネルの話と、トウイの話が、まったく正反対に食い違っていましたので、守護さまに確認に伺う前にまずはきちんと調べるべきだと思い、それぞれの部屋を改めたのです」
 言いながら、ロウガさんが誰かに合図をする。全員の視線がそちらに集中する中、ちらりとタネルさんに目をやると、彼ははっきりと唇を吊り上げていた。
「──すると、これが」
 ロウガさんの合図で、護衛官の一人が両手で持ってこちらに差し出したのは、無造作に布に包まれ、紐でぐるぐると巻かれた、「何か」 だった。
 それを包んでいるのは、どこにでもあるようなくたびれた布だ。しかしそれでも、中にあるものが何であるかは、おおよそ見当がつく。
 その長さ、形状は──おそらく、剣。
「トウイの寝台の中に隠されてあったのを、私が見つけました」
「…………」
 なるほど、証拠が見つかったからこその、犯人扱いというわけだ。たとえ事実がどうであろうと、トウイのベッドの中から神獣の剣が見つかったなら、それがすなわち、トウイが盗んだと見なされる。こちらには、指紋を採取して調べる方法もなければ、防犯カメラもない。彼の無実を証明するための、方策がない。
 いいや、そんなことより、なにより。
 大神官にこれが知られたら、トウイは反論する場も与えられずに、問答無用で罪人として処せられる。口をきく機会すら、もらえないだろう。神ノ宮での護衛官の立場とは、それくらい軽いものだ。
 神獣の剣は守護人の持ち物で、王ノ宮から特別に借り受けた、ニーヴァ国の至宝。
 死罪は間違いない。
「中を見ましたか?」
「いいえ。もしも万が一、本当に神獣の剣であったら、私などが触れることは許されません。ですから、まずは守護さまにご確認していただこうと思いました」
 ロウガさんは真面目で、そして慎重だ。上官や大神官に報告する前にわたしのところに来たのも、優れた判断だった。
 ……この中にあるのが、本当の神獣の剣であったら。
 トウイはすぐさま、罪人として処刑される。わたしはそれを止められる立場にない。守護人として崇められていたって、わたしの実権などはゼロに等しいのだ。大神官やカイラック王に何を言っても素通りされるだけだろう。

 確実に、トウイは死ぬ。

 全護衛官が固唾を呑み、緊迫した空気が満ちる。水を打ったようなその静けさの中で、こちらに向かって差し出された包みに、わたしはゆっくりと手を伸ばした。
 ロウガさんが苦渋の表情で目を閉じ、ハリスさんが身動きしたのか、ざ、と砂をこするような音がした。トウイは真っ青な顔で、それでもこの場から逃げだそうとはせず、ひたすらじっと包みを凝視している。
 タネルさんが、くっ、と含み笑いを洩らした。
 それを手に持った途端、ずしっとした重みを感じた。
「──……」
 誰にも気づかれないように、ひそかに細く深く息を吐く。いっぺんに、幾筋もの汗が背中をどっと伝った。
 受け取った包みを持って、しばらく無言でいるわたしを、誰もが注視している。ふわりと吹いた風が、灯火台の炎を揺らし、わたしの額の汗を撫でた。
 顔を上げ、足を動かす。ぎこちない歩き方になっていないのは、まだしも幸いだ。
 ロウガさんに一言言って、彼から剣を借りると、全員がはっと息を呑んだ。
 左手に包みを、右手にロウガさんの剣を持ち、トウイの後ろに廻る。鞘から剣を抜くと、トウイの全身が硬直したのが判った。
「待──」
 ハリスさんが声を上げかけるのを無視して、わたしはロウガさんの剣を持ち上げた。

 ぶつ、と音をさせて、トウイの手首を縛りつけていた縄を切って、戒めを解く。

「……トウイさん」
 名を呼ばれて、トウイがびくっと弾かれたように後ろを振り返った。
「これを」
 わたしが左手に持っていた包みを差し出すと、トウイは目を見開いた。困惑したようなざわめきが護衛官たちの間で広がる。
 訊ねるような目がこちらに向けられたが、わたしが何も言わないでいると、少しだけ躊躇してから、トウイは自由になった両手を動かして、包みを受け取った。
 手にした瞬間、怪訝そうに眉が寄る。
「開けてみてください」
 そう言うと、ざわめきはさらに大きくなった。トウイはわたしの顔を見て、口をぐっと結ぶと、包みに巻きついていた紐をほどいていった。

 ──布の中から出てきたのは、剣闘訓練でトウイたちが使っていた、刃を落とした無害の剣だった。

「そんなものを抱いて寝るなんて、トウイさんはよほど剣が好きなんですね」
「…………」
 包みを受け取った時点で、その重みから、中身が神獣の剣でないことは判っていただろうに、トウイはどこか呆然とした顔つきで、まじまじと古びたその剣を見つめている。
 同じように呆然としていた護衛官たちは、トウイのちょっと間の抜けたその顔を見て我に返ったのか、誰からともなく、噴き出した。
「なんだ、トウイ。そんなもんちょろまかして、どうするつもりだった」
「いくら女っ気のない生活だからって、剣を相手に共寝するようになっちゃおしまいだぜ」
 今までの反動か、一旦気が抜けると歯止めが利かなくなったように、げらげらという大笑いに変わっていく。ロウガさんが肩から力を抜き、腰を上げかけていたハリスさんが、また最初の姿勢に戻った。
「いや、俺……じゃなくて、私……いややっぱり俺……あ、あれ?」
 トウイはすっかり混乱しきっているらしく、青かった顔を紅潮させて意味不明なことを言っている。
「バカな!」
 すっかり弛緩した雰囲気の中で、一人だけこの成り行きに納得しないタネルさんが、跳ねるように立ち上がり、叫んだ。
「タネル、守護さまの御前だ」
「バカな、そんなことがあるはずねえよ! 俺は確かに──」
 ロウガさんの忠告も耳に入らないのか、タネルさんは唾を飛ばして叫び続けた。あわあわと動転している目は、吸いつけられるようにトウイが手にしている訓練用の剣に向かっていた。
「確かに? 確かに、トウイの寝台の中に神獣の剣を突っ込んだはずなのに、ってか」
 ハリスさんが冷たい声で吐き捨てる。タネルさんは慌てて首をぶんぶんと振った。
「ち、違う、そうじゃねえ! 俺は──俺は見たんだ! トウイが、神獣の剣を持って逃げていくところを!」
 その時、いつの間にか近くまで来ていた人物の朗らかな声が、新たに割って入った。
「守護さま、神獣の剣をお持ちいたしました(・・・・・・・・・・・・・・)
 その言葉に、タネルさんがぎょっと目を剥いた。
 全員の視線が、声の主へと向かう。その先にいた侍女のメルディさんは、にっこりと笑って、両手に持っていた神獣の剣を捧げるように上げた。
「ありがとうございます。どこにありました?」
 それを受け取って訊ねると、メルディさんがますます楽しそうにニコニコした。その笑顔は、胡散臭さが倍増するだけだからやめて欲しい。
「どこって、守護さまのお部屋にございましたよ。ご衣装をしまおうと棚の戸を開けましたら、中にちゃあんと大事に置いてありました。それを申しましたら、ミーシアさんが腰を抜かして、早くここに持っていくようにと」
「そうですか」
 ミーシアさんには悪いことしちゃったな。
「きっと、わたしがぼんやりしたままそこに置いたのを忘れていたんでしょう」
「そんな、そんなこと、あるはず……!」
「トウイさんが訓練用の剣を部屋に持ち込んだ件については、ロウガさんから厳しくお説教してもらう、ということで。それでいいですね?」
 彼の剣を返しながら確認すると、ロウガさんは深々と頭を下げた。
「──今回は笑い話で済みましたが」
 すらりと神獣の剣を鞘から抜いて、目の前にかざしながら、静かに言葉を続ける。月明かりに反射する白い刃の輝きが、わいわいと騒いでいた護衛官たちと、まだ何かを怒鳴ろうとしていたタネルさんの口を、ぴたっと閉じさせた。

「もしも実際に、この神獣の剣が誰かの手によって持ち去られていたら、どうなっていたでしょうね。その誰かはもちろん死罪でしょうが、それだけでは終わりません。わたしの部屋を護ってくれていた警護の人たち、それから侍女の人たち、責任のあるロウガさんはもちろん、護衛官の皆さんも、咎を受けることになったかもしれません。今度のことは大神官さんの耳に届かないようロウガさんが計らってくれたから穏便に片付きましたが、知られていたら、どうなっていたかも判りません。……忘れないでください。ここでは、イタズラや悪ふざけが、そのまま人の命に直結することもある」

 わたしは再び剣を鞘に収めた。しいんとした静けさで、チン、という音がよく響いた。
 神獣の剣が守護人の部屋から勝手に持ち出されたら、罪は持ち出した人間だけに留まらない。本人の首が刎ねられるのはもちろん、警護、侍女、護衛官も何人かは同じように連座することになる。大神官はその決定を下すことに、一瞬だってためらったりしないだろう。
 神ノ宮とは、そういう場所だ。
 そこに思い至ったのか、護衛官の人たちの上に、重たい沈黙が落ちた。自分も死に晒される危険があったと今になって気づき、額の冷や汗を拭っている人もいる。
 タネルさんも、周囲のひややかな視線が自分に向けられていることに気づいて、急にぎくしゃくした動きでへたり込むように膝をついた。
「おやすみなさい」
 わたしはそう言うと、彼らに背を向けて、主殿に戻るために歩き出した。



「首尾はいかがでした、守護さま」
 歩くわたしの後ろにくっついてきたメルディさんが、ふふふと笑いながら声をかけてくる。まだいたの? とわたしはそちらを一瞥した。
「ご苦労さまでした」
「あらまあ、つれないお言葉ですこと。これでも苦労したんですよ、なにしろ急なことでしたしね。護衛官の詰所の中に入り込んで剣をすり替える、なんて、私の仕事には含まれていないはずなんですけどねえ」
「お疲れさまでした」
 わたしは素っ気なく言った。護衛官はみんな、詰所内では眠る時にしか部屋に入らないから、トウイのベッドに近づくのに、そんなに苦労があったとは思わない。この侍女の恰好をしていたらさぞかし目立つだろうけれど、護衛官の恰好をしていたら紛れ込むのは難しくないはず。もともと男なんだし。
 ──本当に間に合ったのかと、ちょっとヒヤヒヤしたけど。
「初日からいきなり、王ノ宮の密偵をこき使うのはいかがなもんですかね」
「侍女の仕事よりは向いているでしょう。あなたもわりと気軽に受けたじゃないですか」
「そりゃ守護さまが、『なんならすべての罪を、怪しい新入り侍女に引っ被ってもらっても構わないんですけど』 なんて物騒なことを、真顔で仰るからでしょう」
「けっこう本気でした」
「怖い方ですね!」
 メルディさんは感嘆するように言って、くくっと笑った。
「王ノ宮に、これを全てありのまま報告したら、カイラック王はお怒りになるでしょうねえ。なにしろ神獣の剣を喧嘩の道具にされたんですから。大神官に命じて、関わった護衛官たちを全員処罰させるかもしれませんよ?」
「その場合、どうして神ノ宮の情報が漏れたか、大神官は不審に思いますね。で、調べるまでもなく、怪しい新入り侍女が王ノ宮の密偵とバレて、捕まって殺されちゃったりして……」
「わかりましたよ! この件については、護衛官同士の揉め事あり、だけにしておきますよ! 結局、問題にはなりませんでしたしね、私のおかげで!」
 そう言ってから、メルディさんは少しだけ上体を屈め、下から覗き込むようにしてわたしの顔を見た。
「まだ謎が多いですね、守護さまは。──この行動の裏にあるのは、果たして、優しさなのか、打算なのか」
「わたしに優しさなんてものはありません」
 すっぱり答えると、メルディさんは楽しそうに笑い続けた。



          ***


 翌日、「護衛官が一人、よんどころない事情で仕事を辞め、故郷に帰ることになった」 との報告を、ロウガさんから受けた。
「そうですか」
 わたしは一言、それだけを言った。



「──人間というのは、くだらないウソをつくね。何がよんどころない事情だか。タネルという男はね、他の護衛官たちに裏切り者として制裁を受けて、剣も持てない身体にされたのさ。もう護衛官としては使いものにならなくなったから、神ノ宮から追い出された。ここを出て行く時は、手も足も折れて、顔は潰れて片目が塞がり、歩くのもままならないような状態だったよ」
 ずっと部屋の中にいる神獣が、まるで見たようにそう言って、くすくす笑った。
「……そう」
 わたしは言葉少なく返事をして、腰にある神獣の剣に視線を落とす。
 神獣は、椅子に座ったまま両手を顎の下で組み、わたしの顔を見てにいっと唇を上げた。
「ホントはキミ、こうなることを見越していたんじゃないの? 護衛官なんていうのは、単純で、荒っぽい性質の男が多い。キミはそれがわかっていて、あんな風に彼らを煽った。そうじゃないかい?」
「わたしは本当のことしか言っていない」
「本当のこと。本当のことなんて、どこにあるのさ? 昨夜のキミたちのやり取りときたら、すべてが茶番でしかなかったのに」
 大げさに肩を竦め、またじっとわたしに視線を据える。
「一体どこまでが、キミの仕組んだことだったんだい? ホントは、キミ、あの王ノ宮の密偵が現れた時から、こうなることを頭に描いていたんじゃないの? すべての災厄がトウイの死に向けて動く、ということを、キミは知っている。そういう思考が自然に働くほど、キミはそれに慣れきっている。護衛官同士のいざこざが、いずれ最悪の事態を招くことを、キミは十分予期できたはず。それなのにキミは、いつものように窓の鍵を開けたまま、いつもの場所に神獣の剣を置いて、部屋を留守にした。タネルが悪巧みにキミを利用する可能性に気づいていたら、もっと警戒すべきだったのに、そうはしなかった。ねえ、どこからどこまでが無意識で、どこからどこまでが故意だったんだい?」
 わたしは剣に向けていた視線を、神獣へと移した。
「考えすぎでしょ」
 その答えに、神獣が大笑いをした。
「知ってるかい、タネルはね、故郷に病身の母親がいるんだよ。その母親と、故郷の人間たちに大いに祝福されて、彼はこの神ノ宮の護衛官としての職を得た。そりゃ、そこを出る時は、期待と誇りで胸がはちきれそうだったことだろうさ。なのに、思ったほど護衛官としての仕事は彼の矜持を満たすようなものじゃなかった。神官たちにはこき使われ、訓練だってきつい。故郷の地では誰より強くて、彼にかなう人間はいなかったのに、ここじゃ自分よりも圧倒的に強いのがいくらでもいる。挙句の果てに、年下の後輩に、守護人の護衛官という栄誉まで取られてさ。中身が真っ黒に染まっていくのも無理はない、と思わないかい?」
 ある意味、哀れだよね、と、まったく憐憫の存在しない瞳が笑った。
「タネルはねえ、確かに愚かな人間だったよ。けども、トウイだって、ロウガだって、他の護衛官だって、警護だって、同じように愚かだった。扉を開けるたび、トウイの願いを出来るだけ叶えてやろうとするキミも、まさに愚か。なのにタネル一人が不幸のどん底だ。タネルだけが醜悪で、トウイやキミは綺麗だなんて、そんなことがあるもんか。──結局」
 感情を持たない生き物の視線が刺さる。
「結局キミは、トウイ以外の人間は、どうなっても構わないと思ってるんだ。そうだろ? すべてがみんな、キミにとっては、単なるゲームの駒に過ぎない。ボクといっしょだ。キミはもう、身も心も、ゲームのプレーヤーに成り果ててるんだよ、ボクの守護人」
 あはははは! と笑う声を背に、わたしは黙ってその白い部屋のドアを開けて、外に出た。
 前を向いて、足を動かす。
 そうするしかなかった。わたしはもう、立ち止まれない。


 神には何も祈らない。
 人にも何も求めない。
 愚かなわたしは、すべてに背いて歩き続けるしかない。
 ──闇しかない狭間でもなく、真っ白な光ばかりの部屋でもない、この世界を、一人。


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