リライト・ライト・ラスト・トライ

第五章

5.救いの手



 地面に転がったサリナは、苦しげにのた打ち回り、ああ、ああと悲鳴を上げ続けた。
「サリナ!」
 俺は地を蹴って駆けだした。後ろから腕を掴んでいた守護人の手は、今度はそれを引き留めず、するりと力が抜けるように離れた。
「おい──どうした?!」
 サリナの間近まで寄ると、すぐに膝をついて覗き込む。
 そして、硬直した。
 悶え苦しむサリナの様子は、一目で尋常なものではないことが判った。目をいっぱいに見開き、胸元を掻きむしる手はぶるぶると震え、身体全体が、びくり、びくりと波打つように揺れている。びっしょりと汗をかいて、目からは涙、口からは泡を吹いている。顔の色は赤と青で、まだら模様のようになっていた。
「これ、は」
 舌がもつれる。額に滲んだ汗がこめかみを伝って下へと滑り落ちた。
「毒にやられたんだ」
 そう答えたのはハリスさんだった。
 サリナが頬を赤らめて守護人に差し出した白い花は、ハリスさんの手によって燃やされた。最初こそ勢いよく燃え上がった炎は、花と布をあっという間に燃やし尽くし、その後は他に獲物もなくなって、今はちろちろと小さく残るだけになっている。ハリスさんは、ほぼ消し炭と成り果てたその物体を、足で何度も踏んで潰していた。
 黒く立ち昇る煙の向こうにある横顔は、何かにひどく怒っているように見える。
「毒って」
「お前も見ただろ、花の中から出てきた虫だ。その侍女は、あれに刺されたんだ」
 確かに見た。真っ白な花の中から、ずるりと這いだしてきた八本脚の黒い虫。子供が手を広げたくらいの大きさだった。あんな外観をした虫、俺は今まで、一度も見たことがない。
 黒い虫は、サリナの足元から忍び寄って、這い登っていった。刺されたとしたら、きっとその時だろう。
 でも……それだけで?
「虫の毒で、こんなに」
 毒虫の存在くらいは知っている。羽があって飛ぶやつもいれば、草花について迂闊に触ろうとした人間にちくりと刺すようなやつもいる。でも、それでどうなるかといえば、せいぜい刺された部位が腫れるか、運が悪くて熱を出す、それくらい。その身に毒があるといっても、それは敵を攻撃するためではなく自分を守るためのものだから、毒性は非常に少ないのが普通だ。
 けど、今のサリナは。
「猛毒なんですよ」
 すぐ近くで新たな声が聞こえて、はっとする。
 いつの間にか、メルディがサリナの傍らに腰を落とし、じっと見つめていた。怯えている様子はないが、以前に見せた人を食ったような笑みはすっかり消え去っている。転げ回って苦しむサリナに注ぐ視線は、どこか観察するような冷やかさを帯びているような気がして、俺はうすら寒くなった。
「猛毒?」
「ミニリグ、という虫です。ニーヴァには生息していないので、この国の人はまず知らないでしょう。不気味な姿のわりに可愛らしい名前ですけど、この虫の別名はね」
 一旦言葉を切って、メルディはサリナから視線を外し、まっすぐ俺を見た。形の良い唇が、かすかに上がる。

「──『暗殺虫』、というんですよ」

 しばらく、声が出なかった。
「……暗殺、虫」
 ようやく口から出てきた声は、自分のものとは思えないほど乾いていた。かすかすとした呼気と一緒で、ほとんど音にもなっていないくらいだった。
 それでも、メルディは頷いた。
「ミニリグはね、もともと、森の奥の、そのまた奥、くらいにしかいない虫なんです。そりゃあそうでしょう、こんな物騒な虫、人とは共存できっこない。ですからね、悪事を企む人間は、まずその森の奥の奥まで分け入って、この虫の卵を手に入れるんです。その卵を、大きな花の蕾の中に植え込む。卵は蕾の中で孵化して、花の栄養をもらいながら育つ。そして花が咲くと同時に、成虫となったミニリグが出てくる、という仕掛け。美しい花が開くのを今か今かと待ちわびていた人間は、開花したその時と同時に自分の命を失うという悲劇に見舞われてしまうわけです」
 メルディの話しぶりは、まるで芝居の筋書きでも読み上げているかのように淡々としていた。俺はそれを茫然としながら聞いていたが、最後のところでびくりと反応した。
「命を、失う?」
 俺がそう呟くと同時に、サリナが苦悶の呻きを上げ、ごろんと転がって腹這いになり、激しく嘔吐した。腕で体を支える力もないのか、自分で戻した吐瀉物の中に、半分くらい顔を沈め、それでもまだえづいている。
 焦げ臭い匂いと酸っぱい異臭が漂って、離れたところで眺めていた神官がおぞましそうに手で口を覆うと顔を背け、さらに後ずさった。
「じゃあ、サリナは──」
「もう、無理でしょう。ミニリグの毒は強力で、しかも即効性です。半限も保たずに死に至る。医者を呼んでも、間に合わない。刺されたらすぐに死んでしまい、しかも虫が逃げれば証拠も残らない……そういう理由で、暗殺に使われるんです」
 メルディが静かに言って、サリナを見下ろす。瞳には、死にゆく者への憐れみが浮かべられているだけだった。
「へえ、一介の侍女にしちゃ、ずいぶん詳しいな。詳しすぎるくらいだ」
 その声とともに、白い剣の刃先がメルディに向けられ、目の前でピタリと止まった。
「なぜそんなことを知っている? お前は何者だ」
 花と毒虫を燃やして始末を終えた、ハリスさんだった。剣の柄を握り、メルディを見据える双眸は、冷酷なほどに揺るぎない。
「あら、トウイさんからお聞きになっていません? 新しく守護人付きになった侍女のメルディと申します」
 剣の刃先を突きつけられても、メルディはふてぶてしいほどに動じなかった。美しい顔にからかうような微笑を乗せ、堂々と自己紹介する。
「守護人付き?」
 ハリスさんの顔がますます険しくなった。そういえば、機会がなくて、ハリスさんにはまだ、このちょっと風変わりな侍女のことを話していなかった。
「私、これでもけっこう、見聞の広いほうでございましてね。いろいろと聞きかじったりして、他国のあれこれについても知っていることが多いんですよ。聞きたがりの知りたがり、というやつです。暗殺虫のことでしたら、ちゃあんと書物にも載っておりますよ。そもそも、要人の近くに侍るのなら、そういったことにも詳しくなくてどうします。ご自分の知識の少なさを棚に上げて他人を咎めるのは、自慢できた行為ではございませんね」
「…………」
 メルディにずけずけと言い返されて、ハリスさんはいかにも忌々しそうに、チッと舌打ちして剣を鞘に収めた。いつもはこんな荒っぽいことをする人ではないから、やっぱりまともな精神状態ではないのだろう。
「メルディ、解毒方法は? それも知ってるんだろ?」
 俺はすぐさま食ってかかるように、メルディを問い詰めた。書物に載っていた、ということは、そこには毒への対処法だって書いてあったはず。そうだ、命を失うというのは、何も有効な治療をしないで放置していた場合、ということだろう。ちゃんとした手を打てばサリナは助かる。きっとそうだ。
「解毒物質はありますが」
 冷静な口調でそう答えたメルディは、俺がほっと口許を綻ばせたのを見て、声音を落とした。
「……ここにはありません。申しましたでしょう、ミニリグは、ニーヴァには生息していない虫だと。ミニリグの解毒物質は、ミニリグに刺されて死んだ動物の血を元にして作られる。ミニリグのいないこの地では、到底手に入らないものなんですよ」
「そんな……」
 俺は顔を歪め、サリナに目をやった。サリナは、手足をぶるぶると震わせ、もはや悲鳴を出すことも出来ないのか、舌を出して、はっはっと短く喘いでいた。さっきまで赤と青のまだら状だった顔は、今は土気色に変わっている。
 医者でなくたって判る。その場にいる人間は全員、現在のサリナの上に圧し掛かっているものを見て取り、確信しただろう。
 何をしても、それはただの気休めにしかならないと。

 サリナはもうすでに、死の世界に片足を踏み入れている。

「あ……あ」
 開いたままの口から涎を垂らし、自分の吐瀉物で顔を汚したサリナが、それでも必死に、何かを言いたげに声を出し、震える手を伸ばした。
 まっすぐに伸ばされたその手の先にいるのは、俺でもなく、メルディでもなかった。
 ──守護人だ。
 彼女は、サリナのそばで膝をつく俺とメルディのすぐ後ろに立っていた。唇を結び、身動き一つせず、紙のように白くなった顔で、サリナと、自分に向かってきた手を見返している。
 この目。罪人として捕われた俺を見下ろしていた時も、こんな目をしていなかったか。
 懸命に何かと戦っているかのような、黒い瞳。
「しゅ、しゅご、さま」
 舌が上手く廻らないのか、サリナの言葉はまるで幼子のように覚束なく、たどたどしかった。
 伸ばした手を地面につき、力を入れ、ずる、と身体を這わせる。
 「しゅご、さま」 と繰り返し呼びながら、ずる、ずる、とサリナは腹這いになったまま前方へと進んだ。赤ん坊が這って進むよりも遅い速度で、でも、何度も何度も手を伸ばし、爪で土を掻き、がくがくと頭を揺らして、ひたむきに。
 虚ろになった目からは、ぼとぼとと大粒の涙が零れ続けている。
「しゅごさま、ろうか──ど、どうか、お、お、おねがいで、ございます」
 誰も、その場を動けなかった。止められなかった。俺たちも、周りで遠巻きにして見ているだけの、神官や侍女たちもだ。声を出すことすら出来ない。
 しんとした静寂だけが、支配する。
「お、おねがいで、ございます」
 サリナは、呂律の廻らない言葉で、なんとか自分の気持ちを伝えようとしていた。目は涙で、口許は涎と自分の吐瀉物で濡れたその顔は、土にも汚れて、痛ましく、むごい眺めになっている。しかし守護人は、そこから目を背けることはしなかった。
 サリナは顔を上げ、定まらなくなった視線を、守護人に据えた。

「わ、わ、わたくしを、すくって、ください、ませ」

 救ってください(・・・・・・・)
 サリナはそう言った。
 この神ノ宮での、彼女の唯一の救いで希望だった、守護人に。
「く、くるしい、のです。つらい、のです。か、か、からだのなかが、やけそうに、あつい、のです。い、い、いきが、できません。て、ても、あしも、ち、ちっとも、うごかせ、ません。こ、こんなに、くるしみながら、みにくく、あ、あがいて、しぬのは、い、いやで、ございます」
 ずる、ともう一歩這って近づき、震える手を精一杯伸ばした。
 ぶるぶると震える指先が、守護人の腰にある、神獣の剣の鞘先に触れた。

「こ、このけんで、わたくしを、すくって、ください」

 その言葉に、息を呑んだのは俺だけじゃなかった。ハリスさんも、ロウガさんも、棒立ちになって固まる。メルディはゆっくりと片手を上げ、口許を隠すように覆った。
「ど、どうか、しゅごさま、お、おねがい、おねがいでございます、どうか」
 悲痛な声でそう言って、サリナが顔を地面に伏せる。
「…………」
 守護人は、表情こそ変わりはなかったものの、ただでさえ白かった顔色を、またさらに白くしていた。彼女の周りだけ、時が止まったかのような錯覚に陥るほど、微動だにしない。
「……救う?」
 ややあって、守護人の口から、小さな声が漏れた。ぽつりとした調子の呟きはサリナに問うというよりは独り言に近かったが、サリナは再び顔を上げ、泣きながら首を動かした。
「わたしが神獣の剣でサリナさんを斬れば、サリナさんは救われるんですか」
 今度はちゃんと問いの形になっていた。サリナがまた何度も首を動かし、頷いた。
「お、おねがいで、ございます。しゅ、しゅごさまのおてで、わたくしを、このくるしみから、ときはなって、く、くださいませ」
「…………」
 守護人は黙った。身体の脇にあった右手が、ぴくりと動く。
 俺は強く拳を握った。
 ミニリグの毒は猛毒だという。こんな短時間で命を奪うような致死性の高い毒だ、蝕まれた身体が苦しくないわけがない。きっと、想像も出来ないくらいの痛みに苛まれているだろう。そこから逃れたいと思ったとしても、誰もサリナを責められない。
 死ぬのなら、こんなにも苦しい思いをせずに、守護人の手によって一気に死にたいと、彼女が望んだとしても。
 でも、サリナ。

 でも、それはあまりにも──残酷だ。

 サリナはぼろぼろ泣きながら訴えた。
「しゅ、しゅごさまは、わたくしの、ただひとつの、よろこびで、ございました。つらいことばかりの、このかみのみやで、しゅごさまだけが、た、ただひとつの、つきのように」
 つらいことばかりの神ノ宮。サリナにとって守護人は、彼女を照らし、安らぎを与えてくれる、ただひとつの月だったと。
 人ではなく。
「で……ですから、しゅごさまの、とうとい、お、おてで、その、うつくしい、けんで、いのちがたたれたら、わ、わたくしは、とても、しあわせで、ございます」
 サリナの目から、また涙が零れた。
 きっと、その言葉に偽りはないのだろう。崇拝されるために存在する守護人に、神獣の剣という美しい至宝で命が断たれたら、サリナは本当に幸せに死んでいけるのかもしれない。
 ……でも、わかってるのか、サリナ。
 守護人は、これからも生きるんだ。
 その望みを叶えたら、彼女はこの先ずっと、生きていく限り、サリナの死を背負っていかなきゃいけないんだ。
 この小さな手、この小さな身体に、それはあまりにも、重すぎやしないか。

 サリナは守護人に救われても、守護人は誰に救われる?

「わ、わたくしを、すくってください……!」
 サリナの叫びに、守護人の手が動いた。
 剣の柄を握り、すらりと引き抜いた。
「守」
 我慢できず、俺は勢いよく立ち上がった。
 守護人に、そんなことはさせられない。どうしてもというのなら、俺がやる。
 そう言葉を出そうとした手前で、また喉の奥へと呑み込んだ。
 ……守護人が、抜いた剣をそのまま地面に落とし、膝をついたからだ。
「ごめんなさい、できません」
 そして両手を伸ばし、サリナの首を抱いた。
「しゅご、さま」
 サリナは呆然とした。それから、悲しみに満ちた声でその名を呼んだ。あああと今までで最も苦しげな呻き声を上げ、最後の力を振り絞り、身を起こして守護人の体に取りすがる。子供がいやいやをするように、頭を横に振った。土の詰まった爪が、守護人の腕をがりがりと引っ掻いている。
「どうして、ですか。どうして、しゅごさま。わたくしを、すくっては、くださらないのですか。わたくしは、わたくしは、しゅごさまだけ、が」
 そこでがくんと膝が挫け、前のめりに倒れた。守護人はそれを支え、サリナの身体を横にしてやり、頭を自分の膝に乗せた。
 サリナは泣いていた。
 絶望に染まった目で守護人を見上げ、ひどい、ひどいとなじって、泣いた。落ちていく涙が守護人の膝を濡らしていく。
「ごめんなさい」
 守護人は小さくそう言っただけだった。
 サリナの身体が大きく跳ねるように痙攣した。目が大きく見開かれ、まだ何かを言おうとした口が、あ、あ、という声を発したまま、閉じなくなった。
 そのサリナの頭を膝に乗せたまま、守護人は動かない。立ち上がった俺からでは、下を向いている彼女の顔は、黒い髪に隠されて見えなかった。
 その時だ。
「なにごとだ! これは一体どういうことだ!」
 騒がしい声と共に、バタバタという慌ただしい足音が響いた。周りを取り囲む人波をかき分け、こちらに近寄ってくるのは大神官だ。その後ろを、数人の神官がついてくる。ようやく騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たらしい。
 大神官が守護人の姿を認めて、大きく口を開いた。
「守護さま──守護さま、なんと、何をしておられます! お前たち、何をしているのだ、守護さまにあのような真似をさせるな!」
「……トウイさん」
 大神官の怒声の合間に、小さく静かな声で名を呼ばれた。守護人は大神官のほうを見もしない。下を向いたままだから口の動きは読み取れず、俺は聞こえてくる言葉に、全力で耳を澄ませた。
「はい、守護さま」
「他の人を、近寄らせないで。邪魔をさせないで。……お願いです」
「承知しました」
 躊躇なく返事をして、踵を返す。それからロウガさんが足を動かし、ハリスさんも移動をはじめた。
 メルディは、いつの間にか姿を消していた。
「しゅ……しゅご、さま」
 サリナの声はもう、大神官の声にかき消されてしまうほどに弱々しい。守護人は伸ばした手で、サリナの顔を拭った。
 涙を、土を、吐瀉物を。
 小さな指が、生真面目な動きで頬を撫で、それらを落としていく。
 その光景を見て、大神官が驚愕した。
「なんということを! 守護さま、おやめください! そのようなものに触れてはなりません!」
 そう叫んでから、守護人とサリナを囲むようにして立つ俺とロウガさんとハリスさんを見て、眉を上げた。
「お前たち、何をしている! 早く守護さまをこの場からお連れ申せ! あの侍女は毒にやられたというではないか、ではまだあのあたりに毒が残っているのではないか?! 守護さまの身に何かあったらなんとする!」
 なるほど。怒鳴っている大神官だけでなく、他の神官や侍女たちも一定以上近づいてこないのは、「まだ毒物が残っているのではないか」 という不安があるためらしい。あの毒虫についての知識があったとはいえ、いや、あったにも関わらず、この中をさっさと突っ切ってきたメルディは度胸がある。
「ご安心を、毒虫はすべて始末いたしました。ミニリグは熱に弱いというので花ごとすべて焼却し、確認も済んでおります。万が一毒だけが少量残っていたとしても、体内に注入されてはじめて効果が出るものです。触れただけでは問題ありません」
 そう答えたのはロウガさんだ。平坦すぎるほど平坦な声が、かえってロウガさんの内心を窺わせる。
 毒虫の情報を得てきたのはハリスさんだろうが、どういう手段でその情報を手に入れて、どういう経路を辿ってロウガさんと一緒に駆けつけてきたのか、それはまだ判らない。
 でも、もう少し早ければ、と思っているのは、きっと俺だけじゃないはす。
 もっと早くわかっていれば。いいや、もっとちゃんと、神ノ宮全体に警告できていれば。
「それでもあのような穢れに守護人を近づけさせるなど、もってのほかだ! 早く守護さまをこちらに! あれをさっさと片付けろ!」
 唾を飛ばして大神官が叫んでいる 「穢れ」 と 「あれ」 とは、サリナのことだろう。俺は左手で剣の鞘を掴んだ。
「──お静かに願います、大神官様」
 低い声で言うと、大神官だけではなく、その周囲の神官たちまでが目を剥いた。護衛官ごときに注意をされるとは、思ってもいなかったか。

 そんなに喧しく騒がれては、サリナの声が、守護人に届かない。

「護衛官の分際で、大神官様に指図するか! 弁えよ!」
 頭に血の昇った神官の一人が、輪の中から足を踏み出し、こちらに向かって歩いてくる。ずかずかと大股で進んでいた歩みは、俺が腰から外した剣を鞘ぐるみで自分の前にかざし、柄を握ったところで、ぴたっと止まった。
「誰も近づけるな、との守護さまのご命令です」
「守護人はお前たちに直接命令を下されるお立場ではない! 護衛官が従うべきは大神官様だ、そんなことも忘れたか!」
「俺は守護人の護衛官です」
 真っ向から神官を見返して、きっぱりと言った。
「──守護人に従います。お静かに」




 しゅご、さま、と消え入りそうなサリナの声がする。
 呼吸の音は、よほど細く微かになってしまったのか、どんなに頑張っても聞こえない。手も足も、頭も、身体はもう、どこも動かない。ただ、唇だけがかろうじて、わななくように動いて、ひそやかな声を途切れがちに紡いでいた。
 しゅごさま──
「ごめんなさい」
 それに応じる守護人は、ずっと同じ言葉を繰り返している。
 ごめんなさい、と何度も。
「……わたしはあなたを、救えない」
 守護人の手で汚れをすべて落とされたサリナは、もとの綺麗な顔に戻っていた。下を向き続けている守護人の顔は、彼女の膝に頭を乗せて上を向いているサリナ以外の誰からも見えない。
 焦点の合わなくなってきた瞳で、サリナはそこに、何を見たのだろう。
 その瞳から、悲哀と絶望が、ふっと消えた。
 熱っぽく守護人の尊さを語っていた目でもない。サリナという女性本来の、弱さと優しさを備え持った、澄んだ目だった。
 それから一瞬、泣き笑いのようなものを浮かべ、何かを言いかけて。
 ──けれど、それを口にすることは叶わず、サリナは静かに目を閉じた。


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