リライト・ライト・ラスト・トライ

第七章

5.深い淵



 神ノ宮を出て、入れるかどうかは判らないが、まずはマオールの街に行ってみよう、ということになった。
 あんな大きな事件のあった後だから、王ノ宮の兵が頻繁に出入りしているだろうことは想像がつく。街に入ることが出来ないわけではないだろうが、その時に名前や目的などをあれこれ訊ねられるとしたら、身分を隠した守護人を連れていくのはかなり困難だ。
 しかし、あれからどうなったか、現在の街の様子はどうなのか、そういった情報は少しでも欲しい。とにかく近くまで行ってみて、シャノンさんに連絡を取ることが可能かどうか判断しよう、というロウガさんの提案に、俺たちも肯った。
「ていうかメルディは王ノ宮の密偵なんだろ。兵たちにだって顔が利くんじゃないのか?」
 というハリスさんのもっともな質問に、メルディは肩を竦めた。
「管轄がまったく違うんです。私はあちらを知っていますが、あちらは私のことを知りません。大体、そうでなくちゃ、密偵なんてやってられないでしょうに。そりゃ、いざという時のために、王ノ宮所属を証明するものは持ってますけどね、それを見せたら今度は、なんの目的でこんなところをほっつき歩いてるんだってことを説明しなきゃなりませんよ」
「使えねえなあ」
 ハリスさんが忌々しそうに言って、ぷいっと横を向く。そのすぐ前に座るメルディも、「使えないのはお互いさまだと思いますけどねえ」 と憎まれ口を叩いて、ハリスさんとは逆方向を向いた。
「大の男が三人もいて、とりあえず行ってみてから考えよう、だなんて、無計画もいいところじゃないですか。行き当たりばったりの道中になることが目に見えていて、これから先が思いやられるってものですよ。……いやだわ、あんまりべったりくっつかないでくれませんかしら、いくら私が魅力的だからって」
「俺が喜んであんたを乗せてると思うなよ? 密偵なら密偵らしく、こっそり姿を見せずについてきたらどうだ」
 一頭の馬の前後に乗っているというのに、ハリスさんとメルディの間の空気は一向に和やかにならない。こんな態勢なのだから親密度が増したって良さそうなものだと思うのに、馬が揺れて体のどこかが触れ合うたび、二人ともあからさまにイヤそうに顔を顰めていがみ合っている。よっぽど相性が悪いのかな。ハリスさんと相性の悪い女性、なんてものがこの世に存在するとは、思ってもいなかった。
「大体まったくねえ、こんなことになるなんて、私だって想像もしておりませんでしたよ。あの方ときたら、とことんこちらの予想の斜め上を突っ走っていかれるんですから、油断ならないったら。私の目を掠めて街に出て行っちゃうし、かと思ったら今度はカイラック王と勝手に話をまとめちゃって。密偵の面目丸潰れですよ。上には叱られるし」
 王ノ宮の密偵であることを明らかにしてから、メルディはわりと遠慮なくいろんなことをぶっちゃけた。どうやら 「あの方」 のおかげで、相当鬱憤が溜まっていたらしい。口から出るのは、ぶつくさとした不満ばっかりだ。
「だったら断ればよかっただろうが。別にあんたじゃなくても、王ノ宮にはたくさん密偵はいるんだろうから」
「ここまできて、他の人間にハイどうぞなんて渡せますか。大体、この仕事を取り上げられたら、私は神ノ宮に残らなきゃなりません」
「本来、それがお役目だったんだろ」
「守護人のいない神ノ宮なんて、退屈で退屈でやってられませんよ。あそこの隠し事っていったらせいぜい、神官の誰かが金をちょろまかして私腹を肥やしてるとか、その程度のことだし。そんなの、王ノ宮にだっていくらでも転がってる話ですしね、つまんないんですよ。あとはこっそり自分の部屋に女を引き入れてるとかね」
 つまらない、という問題ではないような気がするのだが、メルディは本当に気のない口調であっさりと神ノ宮の暗黒部分を暴露していった。密偵をしていたというのは間違いのないことのようだ。ロウガさんの顔色は、だんだん悪くなってきている。
「そんな情報、特に王ノ宮も欲しがってるわけじゃないんですよ。いちばん知りたいのは神獣のことなんですけど、あれはやっぱり、そうそう迂闊に手が出せるようなシロモノじゃございませんしねえ。下手なことをしてお怒りでも買ったら、それこそ私の首のほうが危ない。じゃあってんで守護人に的を絞っても、逆にこっちが使いっ走りのようなことをさせられる有様なんだから」
 メルディの愚痴は流れるように続いていたが、守護人はそこに一言も口を挟まなかった。そして正直に言えば、俺もそれどころじゃなかったので、ほとんど聞き流していた。
「大丈夫ですか? しゅ……シイナさま」
 守護人を乗せた俺の馬の両脇を、メルディを乗せたハリスさんの馬と、ミーシアを乗せたロウガさんの馬が寄り添うように歩いている。守護人にかけるミーシアの声は、同時に響くカツコツというのんびりとした蹄の音にはそぐわないほど、心配そうだった。
 しかしハラハラしているのは俺も同じだ。というか、暑くもないのにさっきから額に汗が滲んでいるのは、ただひたすら神経を張り詰め続けているせいなのだ。

 ──なにしろ、危なっかしい。

 揺られていても舌も噛まずにぺらぺらと喋るメルディはもとより、ミーシアでさえも、危なげなく馬に乗れている。それは彼女たちが、今まで何度も馬に乗ったことがあり、どうやって均衡をとるか、どうやって自分を安定させられるかを、頭ではなく身体で理解しているからだ。
 が、今まで馬に乗る経験がなかったという守護人には、それは非常に難しいことであったらしい。
 馬が歩くたび、小さな後ろ姿がフラフラしたり、ぽんと弾んだり、大きく傾いだりする。本人も、口もきかず懸命に慣れようとしているようなのだが、その緊張感が伝わるのか、馬の歩き方もなんとなく落ち着きのないものになる。時々、もどかしげにカツンと足踏みしたりするので、そのたび守護人が馬上からずり落ちそうになって、俺の肝を冷やした。
「シイナさまがそんなに必死な顔つきをされてるのを見るのは、はじめてですねえ」
 メルディ、にこやかに笑ってる場合じゃないんだ。
「トウイ、お前がもっとしっかり支えろ」
 ロウガさんに忠告された。俺だってそうしたいのは山々なんだけど──俺が一方的に支えるだけじゃ、どうにもならない。守護人の不安が馬にも伝染して、歩き方がぎこちなくなっているんだから。
 不安……そうか。
「シイナさま」
 俺は腹を据えた。呼びかけながら、手綱を握っているのとは逆のほうの腕を伸ばし、後ろから抱きとめるようにして守護人の身体に廻す。
 一瞬、彼女が小さく身じろぎした。
「もっと俺のほうに寄りかかっていいですから。力を抜いて、馬の歩みに合わせるようにしてください。俺が後ろにいる限り、絶対に落としたりしません」
 俺を信頼してください、と少し強い調子で言うと、
「──はい」
 と、守護人が答え、全身の強張りを解いた。


          ***


 マオールの街の門には、やっぱり王ノ宮の兵が立っていた。
 門は複数あるが、どこに行っても同じだろう。なるべくさりげなく様子を窺ってみると、兵たちは通行自体は禁じてはいないものの、街の中のどこに行くのか、誰に用があるのか、何をするつもりなのか、とひとつひとつ検めているようだった。街から外に出る人間に対しても、同様だ。こんなことをされては、マオールの住人たちも、さぞかし困惑しているに違いない。
「……この調子じゃ、入るのは無理ですかね」
 門前に立つ兵たちに見咎められない場所まで移動してから俺がそう言うと、しばらく黙って考えているようだったハリスさんは、ひらりと身軽な動作で馬から降りた。
「街に入ることまでは禁止されていないようだから、とりあえず、俺一人で行ってみるよ。何か聞かれても、適当に答えときゃなんとかなるだろ」
 こういうところ、ハリスさんはほとんど行動に迷いがない。こちらが気遣う余裕も与えずに、さっさと門に向かって歩き出してしまう。
「気をつけてくださいね」
 声をかけると、振り返ることもせず、片手を軽く挙げた。


 しばらくしてハリスさんは戻ってきたが、驚くことに、シャノンさんも一緒に連れていた。
 相変わらず派手で胸の開いた衣装を身にまとい、こちらに歩いてきたシャノンさんは、馬から降りた俺たちの姿を見つけてぱあっとした笑顔になった。
「おや、美人」
 後ろでぼそっと呟くメルディの声が耳に入る。美人同士で敵愾心でも湧くのかと思ったら、どちらかといえば嬉しそうな口調だった。
「よかった、あんたたち、みんな無事ね?」
 そう言って駆け寄ってくるなり、ぎゅっと抱きしめられた。シャノンさんは俺より背が高いので、そんなことをされたら、ちょうど豊満な胸に俺の顔が埋まるような形になる。その弾力と柔らかさに大いにうろたえて慌てて離れたら、後ろから守護人がじっと見ていることに気づいて、さらに慌てた。ちょっと待って、また何か変な誤解をしてるんじゃないでしょうね?!
 シャノンさんは俺を解放すると、今度は守護人を向いてにっこりした。
「お嬢さんも、お元気そうでなにより」
「はい、シャノンさんも。門を出る時、困ったことはありませんでしたか?」
「ええ、大丈夫。なにも、口が上手いのは、ハリスだけじゃないってことよ。あたしにも多少のコネくらいはあるしね」
「それはよかったです。じゃあ、シャノンさんの胸、じゃなかったお話を聞いてもいいでしょうか」
 やっぱりな! 言うと思った!
「もちろん、いいわよ」
 真っ赤になった俺を見て、シャノンさんがコロコロ笑う。
 それから、大きく吐きだした息と共にその笑いを引っ込めて、「……あー、やっと笑えて気が楽になったわ。なにしろあの件以来、街の中が辛気臭くって」 としみじみ言った。
 シャノンさんによると、湖の国の民の遺体が集団で発見されてから、街の中がぱったりと暗くなってしまった、らしい。
 ただでさえ、他国の人間が六人も死んでいるなどという異常事態は、人心を惑わせる。事情も理由も判らず、ひそひそと囁き合うだけでは、胸の中の怖れや、得体の知れない気味悪さはまったく解消されない。その上、街の中を王ノ宮の兵たちが厳しい顔でうろつき回り、騒ぎでもあればすぐに飛んできてあれこれ問い詰められるというのだから、なおさらだ。
 何事もない時のマオールは、賑やかで活気のある街だったのだが、ここ数日で、すっかり陰鬱な空気が全体を覆い、人々はちょっとした口ゲンカすらも憚るような状態になってしまっているという。
 それだけではない。
「どこから漏れたんだか、死んだ異国民たちが、毒虫を持ち込んでいたらしい、って噂が広まって」
 刺されればすぐに死に至るという猛毒を持った毒虫、と聞いて、住人たちはすっかり震えあがった。母親は子供を外に遊びに行かせるのを禁じるようになり、大人でさえも用事がある時以外は家の中に引っ込むようになった。虫を見つければ、たとえ何の害もないものでも、悲鳴をあげて逃げ回る。どの家も、固く扉を閉ざし、ひっそりと静まり返って、いつになったらこの状況が改善されるのかと、怯えながら暮らしているのだそうだ。
「マオールが、そんなことに……」
 俺は目を伏せて、下唇を噛んだ。
 あの陽気な街が、ほんの二、三日で、そんな変貌を遂げているとは思いもしなかった。外に人の姿がなく、誰もかれもがびくびくと家の中で縮こまって過ごしているなんて──
「あの街のことは、街の住人であるあたしたちがなんとかするわ。しゃんとしなさい」
 喝を入れられるように、シャノンさんに背中をばんと叩かれた。よろけるように、三歩ほど前に出てしまう。ついでに咳き込んだ。すごい力だな。
「あんたたちは、余計な心配をせずに、自分が決めたことに突き進んでいけばいーのよ。大丈夫、毒虫なんていないことがわかれば、それだけでもずいぶん落ち着くと思うわ」
 シャノンさんは請け合うようにそう言ったが、俺の心は晴れなかった。毒虫が本当にマオールにいない、とは断言できない。あの女が死ぬ間際に残した言葉が、どこまで真実かなんてことは俺たちには知りようがないし、それを信じる根拠もないのだ。
 そうか。

 ……結局、何も判らないから、怖いのか。

 何が起きているのか判らない、どうして一度に人が死んだのか判らない、毒虫が本当にいるのかどうか判らない、王ノ宮の兵がなんのためにみっちり自分たちを見張っているのか判らない──人々の不安はそういうところから湧いて出ている。
 つまり、これから(・・・・)何があるのか判らないから、怖いんだ。
 それをひとつずつ説明してくれる誰かがいれば、その不安も消えるのかもしれない。でも、今の王ノ宮にそれを求めるのは無理だ。なにしろ、あちらだってまだ何も掴めていない状況なんだからな。そして俺たちにも無理だ。事の起こりからの成り行きを知っているとはいえ、なぜ、どうして、という根本的なところを、何ひとつ知らない。
 彼らの不安と恐怖を取り除くためには、今はただ、先へ進むしかないんだ。
「──行きましょう」
 俺と同じようなことを考えていたのか、守護人が言った。
「待っているだけでは、災厄からは逃れられない。やって来たものを払い除けても、それは別の方向に飛んでいくだけ」
 彼女の言葉が、この時になってはじめて、芯から実感できた気がした。


 再び馬に乗った俺たちを、シャノンさんが見送ってくれた。
「一人で帰れますか?」
 心配になって訊ねると、快活に笑い飛ばされた。
「あらいやだ、子供じゃあるまいし、もちろん一人で帰れるわよ」
「そういう意味じゃ──」
「平気平気。いざとなりゃ、あたしの色気で大体のことはなんとでもなるから」
 まんざら冗談でもなさそうだ。でもだからって、自慢げに、組んだ腕で下から胸を寄せて押し上げてみせるのはやめて欲しい。そんなことをされたら、馬の上という高い位置からだと、胸の谷間の奥のほうまでよく見えてしまって目のやり場に困る。守護人がシャノンさんの胸と俺の顔とをまじまじ見比べていて、なお困る。誤解だ。
「そうそう、大事なことを言い忘れてたわ」
 シャノンさんが思い出したように口を開いて、組んでいた腕を解いたので、ほっとした。
「あのね、この先の街に行くのなら、気をつけてね」
「は?」
「ホラ、なにしろ今、マオールには、王ノ宮の兵が門に陣取っちゃってるじゃない? あれでねえ、商人たちが荷を別の街に運んじゃうことが多くなって」
 街の中の店は、自分で売り物を調達して営んでいるところもあるが、外から来る荷を買いつけて売るところもある。そういう荷は専門の商人が馬車でたくさん運んでくるわけだが、商人の中には、真っ当な商売をしているものばかりじゃなく、少々後ろ暗いルートを持っているものもいる。
 後者のような連中は、当然ながら、王ノ宮の兵にあれこれと問い詰められることを敬遠して、荷を積んだまま余所の街へと迂回していくのだという。
「なにしろ王ノ宮と神ノ宮に近いマオールは絶好の稼ぎ場だものね、積んである荷も多いし上等なものだって混じってるわけ。で、今度はその荷を狙って、盗賊たちが現れるのよ。この近辺ではさすがにそんな強奪行為は働かないけど、今、商人はマオールには入らず、余所の街へと向かってるからね、その途中で襲われることがあるらしいわ」
 こんな機会は滅多にないし、きっと短期間だろうとの当たりもつけているため、その盗賊たちはやり方がとにかく荒っぽく、場合によっては殺してでもすべての荷を奪っていくこともある。いい狩り場になっていると噂を聞きつけ、他の地からも素性の知れないのが流れて来るので、盗賊同士で争うことすらあるそうだ。
「気をつけます」
 俺はちょっと呆れながら返した。とんだ悪党の吹き溜まりじゃないか。王ノ宮も、こういう方向にもっと人員を割けばいいのに。
「いいこと、無事に帰っていらっしゃい。お嬢さん、無理しちゃダメよ」
 シャノンさんに言われて、守護人が 「はい」 と素直に返事をする。
「トウイ、ハリスをよろしくね。時々可愛げのないことを言うけど、あれでもいいところだってあるのよ」
「はい、わかってます」
「シャノン、余計なことは言うな」
 俺も素直に返事をしたが、ハリスさんはものすごく不機嫌そうだった。シャノンさんは最後に、低く声を潜めて、素早く言った。
「──あの子を暴走させないよう、気をつけて」
 え、と聞き返そうとしたが、その言葉が聞こえなかったらしいハリスさんは、とっとと馬の向きを変えて進みはじめてしまった。ロウガさんもその後に続き、「トウイ」 と促すように声を出す。俺は手綱をどちらに向けたものか迷って、うろうろと視線を彷徨わせた。
「あの、シャノンさん」
「ハリスにも、あんたたちみたいに頑固な子供の部分が未だに居座ってるの。だから放っておけない、っていうのもあるんでしょうけど、あれはあれで危ないのよ。あの子が目的のものを見つけないよう、あたしも祈ってるわ」
 見つけない(・・・・・)ように、祈る?
「それって……」
「じゃあね。いってらっしゃい、気をつけて」
 シャノンさんは綺麗な笑みを浮かべると、ぽんと軽く馬の後ろ脚を叩いた。それが、もう何も話さない、という合図のようだった。
 俺と守護人はちらっと目を見交わしたが、それ以上聞くのはやめて、握っていた手綱を引いた。


          ***


 馬に乗りながらロウガさん、ハリスさんと話し合い、次はゲナウの街を目指すことにした。
 最終的な目的地というものは特にない旅だが、守護人には、ひとつだけ、「八ノ国との境界まで行きたい」 という希望があった。なんでまた妖獣たちしか住む者のいない草原地帯に行きたいのかと訝ったが、彼女は理由については口を噤んだ。
 しかし、だとすると、とりあえず向かうのはそちら方面ということになる。世界は大雑把に言うと太い輪のような形になっていて、神ノ宮はその輪のかなり外側に位置している。つまり草原地帯に向かうということは、輪の中心部分に進むということだ。ニーヴァにあるすべての街に寄りながらでは、いつ中心に辿りつけるのか判らないので、街から街へ、点と点を直線で繋いでいくように行こう、ということになった。
 そうやってマオールから繋いでみたのがゲナウ。マオールよりは大きくないが、辺境の街ほど小さくない。織物技術が優れていることで有名なところで、神ノ宮にもこの街でつくられた織物が多くある。
 直線で繋ぐように、とはいっても、実際にはもちろんそうはいかない。家があり、畑があり、森があり、川があるから、それらを避けながら進むと、ゲナウの街に着く頃にはそろそろ陽が落ちているだろう、と予想できた。
「暗くなる前には着けると思うんですけど」
 俺がそう言うと、守護人はこくんと頷いた。馬に乗るのもはじめのうちは疲れが大きいだろうし、座りっぱなしだとあちこち痛くもなってくる。早く休ませてあげられるといいんだけどな、と俺は思った。
 そこで、重要なことに気がついた。
「そういえば、シイナさま」
「はい」
「金、あります?」
 焦るあまり、つい直接的な表現になってしまった。今さら気づくのも間抜けな話だが、そういやこの旅の資金って、どれくらいあるんだ? 俺一人なら野宿だろうが何だろうが構わないけど、守護人やミーシアやメルディを野天で寝かせるわけにはいかないから、宿を取らないといけない。しかも馬がいるから、厩のある宿だ。そういうところは人が寝るだけの宿よりも高い。これから、ずっとそういうところに泊まるとなると、出費はけっこうな額になるぞ。
 守護人は今までずっと神ノ宮で過ごしていたから、金銭感覚がなくても無理はないけど、これからはそういうことも少しは考えてもらわないと。
「王ノ宮から、支度金という名目で、ある程度もらいました」
 守護人がそう言いながら、肩から斜めにかけて下げている布のカバンを手で示したので、俺は安堵した。そうか、よかった。とりあえずそれを使って、足りなくなりそうだったら、日銭仕事でもして稼げば……
「大神官さんからも、お小遣いをもらいました」
「は?!」
 安心したのも束の間、しれっと続いた台詞に、度肝を抜かれた。大神官に? お小遣い?
「な、なんですか、それ」
「わたしは手ぶらでこの世界に来たので、残念ながら無一文です。でもあの私室のものは、すべて守護人のものだと説明を受けましたから、部屋にある置物や飾りをぜーんぶ持っていってお金にすればいいかなあと独り言を言ったら、くれました」
 脅しだ。
「カイラック王からも、お小遣いをもらいました」
「はあ?!」
「世間話として、たとえば神獣の剣は売り払ったらいくらになるんでしょうね、と言ったら、くれました」
 脅しだ!
「そういうわけで、お金はわりとたくさんあります。今後のことを考えて、みんなで分けて持つようにしましょう。わたしと、トウイさんと、ミーシアさんと、ハリスさんと、ロウガさんですね」
「私が入ってませんけど! 私!」
 横からメルディがぎゃあぎゃあと喚く。俺は眩暈がしそうになるのをなんとか堪えた。
 少し判ってきたぞ。
 守護人はけっこう現実的で、おまけに、あくどい。



 空がうっすらと赤く染まりだしてきて、もう少しでゲナウの街に到着するか、という頃。
「──トウイ」
 馬を止めさせたハリスさんが固い声を出して、すらりと腰の剣を抜いた。
 俺も一瞬、息を止めた。全身の血が逆流するような思いで、剣の柄を握る。
 ……どうやら、シャノンさんの言ったことは正しかったらしい。
 俺たちの進行方向には右手に小さな森がある。赤く染まりだしたその木々の向こうから、馬に乗った男たちがのっそりと姿を現したのだ。
 全部で四騎。一頭に一人ずつ。夕日を背負っているので、こちらからはよく見えないが、体格がよく、影に覆われたその顔は、いずれも人相が悪い凶暴そうなもののようだった。
 手にはそれぞれ、きらりと光る抜き身の剣を持っている。
 ここで馬首を翻して後方に逃げても、こちらは二人乗りだ。しかも荷も積んでいる。すぐに追いつかれることは目に見えていた。後ろから襲いかかられたら、反撃のしようがない。
「突破するしかない。俺とハリスの馬でなんとか道を作るから、トウイはそこを思いきり走れ」
 同じく剣を抜いて、ロウガさんが緊迫した声を出す。ハリスさんの馬に乗ったメルディはあまり表情が変わらなかったが、ミーシアは真っ青だ。守護人はというと、前方に視線を据えたまま、じっと身動きしない。
「シイナさま、しっかり掴まっていてください」
「はい」
 声に変化は感じられなかった。顔色は悪いが、怯えている様子もない。鞍の突起部分を両手でぐっと握りしめる。

「行くぞ」

 ロウガさんのかけ声で、三頭の馬が同時に走り出す。あちらの馬も、こちらに向かって突進してきた。罵声なのか、歓声なのか判らない大きな雄叫びを上げている。あちらはあちらで、連れに女と子供が三人、というこちらの面子を見て、勝利を確信しているようだった。商人の荷を狙ってきたのに盗りはぐれたか、他の連中に掻っ攫われたかで、憤懣のはけ口を求めていたのかもしれない。
 ロウガさん、ハリスさんの馬が先陣を切っていき、四頭の馬を二頭ずつ左右に分散させる。その真ん中の空いたところを突っ切るようにして、俺は馬を駆けさせた。
 刃と刃がぶつかり合う、キイン、という甲高い音がする。ミーシアとメルディは、身を伏せて頭を低くし、彼らの戦闘の邪魔にならないようにしていた。
 同乗者がいるという点でも、数の点でも、状況はこちらに不利だが、腕でいうなら二人ともそこらの流れ者なんて相手にもならない。ハリスさんはあっという間に一人の手から剣を弾き飛ばし、ロウガさんは均衡を崩してよろけた敵の身体を思いきり足で蹴飛ばして、馬から落とした。
 残り二頭に乗った男たちは、盗賊だけあって、状況判断が素早く、冷酷だった。二人が思った以上に手強いことと、一頭だけ逃げていくのがいちばんの狙い目だということに気づくや、すぐに方向転換して、俺を追ってきた。
「トウイ! すぐに行くから持ちこたえろ!」
 ハリスさんの怒鳴り声が、流れる風と一緒に耳に届く。背後から駆けてくる蹄の音はどんどん近づいてくる。くそ、と小さく罵って、俺は馬を止めて向きを変えた。守護人が乗っているから、全速力は出せない。追いつかれるのは時間の問題だ。後ろから斬りかかられるよりは、応戦したほうがまだマシだろう。
 二頭のうち、先に走ってきたほうの一頭がおそろしく速い。見た目からして、こいつが盗賊のかしらか。
「シイナさま、伏せて!」
 俺の指示に従い、守護人が頭を下げる。そこを目がけて振り下ろされた剣を、自分の剣で弾き返した。重い一撃に、手がじんじんと痺れる。
 地面に立って、一対一で戦えば、おそらく俺が勝つ。盗賊のかしらだろうと、所詮は自己流の剣だ。粗削りだし、形も悪い。力だけはあるものの、構えからして隙だらけで、そこを突けば簡単に倒せるはず。
 が、馬上で、しかも守護人を庇いなからの戦いでは、圧倒的に今の俺のほうが不利だった。ただでさえ守護人はまだ馬に慣れていない。ここで振り落されたら一巻の終わりだと思うから、俺の意識はどうしてもそちらに向かってしまい、目の前の相手に集中できない。
 それぞれ敵を片付けたロウガさんとハリスさんが、俺のところに走ってくるのが見える。でも、もう一頭走ってくる盗賊のほうが早い。二頭に挟まれたら、その時こそおしまいだ。
「……っく!」
 相手が大口を開けて笑いながら振り下ろした剣を受ける。次から次へと、躊躇なく放たれる一撃を、なんとか跳ね返した。ぎり、と歯を喰いしばる。
 ギイン、ギイン、という音と、馬のいななきが続いて混じる。汗の滴が目に入りそうだが、手綱は離せない。柄を握る手に力を込めた。ちくしょう、どうすればいいんだ。
 すぐ前で身を伏せていた守護人の身体が動く。瞬時、それに気を取られたのが失敗だった。
 相手が剣を大きく振り上げた。
「終わりだ、小僧!」
 空気を切るひゅんという音と共に、白刃が向かってくる。その動きがやけにゆっくりと見える気がした。避けられない、ということだけが、はっきりと判った。
 せめて、守護人だけは──
「ぐは……っ」
 俺が守護人の身体の上に覆い被さるのと、苦悶の呻き声がすぐ近くで聞こえたのが同時。
 覚悟していた痛みは襲ってこない。
 目を上げると、相手が剣を振り上げたまま、動きを止めていた。
 ぶるぶると震え、その手から柄がぽろりと外れて落下する。男の顔に、憤怒の表情が浮かんだ。
「この……ガキ……よくも……!」
 男が見下ろす先には、白く長い輝く物体があった。
 それが、男の脇腹から延びている──いや。

 守護人のマントの布を貫き、飛び出した神獣の剣は、あやまたずまっすぐに、男の脇腹を深く突き刺していた。

 マントの下で剣の柄を握っている守護人の手が引かれる。神獣の剣は、ずしゅっという湿った音を立てて難なく男の脇腹から抜けた。
 先端が抜き取られるのと一緒に、ぱっと飛散した赤い血が、守護人の頬とマントに付着した。
 俺から見える守護人の横顔は、眉も唇も微動だにしなかった。頭に巻かれた布の下にあるのは、氷のように冷たい無表情だった。なんの感情も見えない真っ黒な瞳が、自分が開けた脇腹の穴を凝視している。
 男の上体がぐらりと傾ぎ、どう、と大きな音と砂煙を上げて、地面に落下した。
 もう一頭、走ってきた馬が、それに驚いてたたらを踏む。
「走って!」
 間髪入れず出された守護人の鋭い声に、何かを思う間もなく、身体が反応した。勢いよく馬の横っ腹を蹴り、走り出す。
 すぐに、背後で聞き慣れない大きな叫び声が聞こえた。きっと、ハリスさんが残りの一人をやっつけたのだろう。



 馬を走らせながら、俺は剣の柄を握ったままの右手で、額の汗を拭った。呼気が荒い。激しく打ちたてる鼓動の音が全身に響いている。
 自分でも理由の判らない焦燥で頭が熱かった。逆に心臓は、血液が止まったかのようにひやりと冷たい。
 なんだ、あれ。
 守護人の、あの黒い瞳。まるで、木のうろだ。何もない、暗闇のような虚ろさしかなかった。
 慄然とした気分で、目の前の小さな背中を見る。

 ……水面の下に、果たして底はあるのか。


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