リライト・ライト・ラスト・トライ

第八章

1.汚泥の上澄み



 盗賊たちの襲撃を振り切り、わたしたちはゲナウの街に到着した。
 門を入って、後ろに追手の姿がないことを確認してから、ようやく息をつく。
「やーれやれ、旅の初っ端からこれとはねえ」
 とぶつくさ言うメルディさんは、その言葉ほど疲れた様子もなく、ふわりと身軽に馬から降りた。
「……シイナさま、どうぞ」
 わたしも降りようと足を伸ばしたら、先に降りたトウイが手を差し出してくれた。
 はい、と応えてそこに置いた手を、ぐっと握られる。ちらりと見たら、彼は妙に強張った固い目つきで、下からわたしの顔を覗き込んでいた。
 ──どこか緊張したような、心配するような、警戒しているような、目。
 わたしはそこから視線を逸らし、大きな馬から半ば飛び降りるようにして地面に着地した。足を着いた途端、ふらっと軽い眩暈に襲われる。ずっと馬に揺られていたから、平衡感覚がおかしくなっているようだ。
 少しよろけたところを、トウイが反対の手で支えようとする。その手がわたしの身体に触れる手前で足を踏ん張り、握られていた手の中から、自分のそれをするりと抜き取った。
「みなさん、無事……」
 でしたか、と言い終わる前に、「シイナさま!」 と、すごい勢いで駆け寄ってきたミーシアさんの声に遮られた。
 がしっと両肩を掴まれ、上からミーシアさんの泣き崩れた顔がすぐ間近まで迫る。逃げる間もなかった。
「シイナさま、シイナさま、まあ、なんてこと、ご無事でしたか?!」
「……は、い」
 ミーシアさんの顔は、戦いの最中にもうもうと立ち昇っていた砂煙によるものと思われる、煤けたような黒っぽい汚れと、びっしょりと頬を濡らす涙とで、ぐしゃぐしゃだった。
 ずっと神ノ宮の中で侍女として働いていたミーシアさんには、さっきのような出来事は、生きた心地もしないくらい怖ろしいものであっただろう、とは想像できる。
「だいじょ」
 大丈夫ですか、と言いかけた言葉は、またしても 「まあ!」 という驚愕の悲鳴に、途中で遮られた。
「シイナさま、頬に血が! それに、マントにも! どこかお怪我をされましたか?!」

 血?

 ミーシアさんのその問いで、わたしはやっと、今の自分がどんな状況であるかということを認識した。
 羽織っているマントには、神獣の剣が貫通した穴が開いており、そこかしこに赤黒い血痕が飛び散っている。そしてどうやら、わたしの顔にもそれは付いているらしい。
 あまりにも生々しい、殺傷行為の痕跡だ。あの盗賊が実際に死んだかどうかは判らないけれど、少なくともわたしはまったく手加減しなかった。相手の命のことをまるで頓着せず剣を振るったのだから、それは殺戮とほぼ変わりない。
 なるほどね、とかさかさに乾いた思考で納得した。

 ……なるほど、トウイがさっきからずっとわたしから目を離さないのは、そのためか。

「わたしの血じゃありません。あの盗賊の血です」
 ミーシアさんは身を伏せていたから、わたしが自分の手で盗賊の脇腹を突き刺した場面を見なかったのだろう。
 でも、他の五人は間違いなく見ていた。
 だから、場に流れる空気がひどくぎこちなく、それぞれが一歩引くような距離からわたしの出方を窺っている。
「盗賊の、ですか」
「──そうです」
 ミーシアさんが、口を丸く開けて、驚いたように、わたしの顔とマントの間で目線を行ったり来たりさせる。その目から逃れるように、わたしは自分の身体を斜めに向けた。
「では、シイナさまにお怪我は」
「ありません」
 彼女から顔を背け、少しでも離れようと二、三歩後ずさった……ら、いきなり、伸びてきた両腕に囲まれた。
 そして、柔らかいものに全身を包まれた。
「ああ、よかった! シイナさまがご無事で! どこもお怪我がなくて、本当によかった! シイナさまに何かあったらと思っただけで、私、私……!」
 続けようとした言葉が、涙で崩れて途切れ、そのまま泣き声に変わった。
 ミーシアさんは、わたしをぎゅうぎゅうと抱きしめて、子供のようにわんわん声を出して泣いた。合間合間に、よかった、とか、心配した、とかを挟んで繰り返しているようだが、よく聞き取れなかった。
 ミーシアさんは背が高い。わたしを抱きしめるために、彼女はうんと身を屈めなければならない。わたしの顔にはふんわりとした胸の部分が当たっている。
 すぐ間近にある温もり。甘い香り。震える手。優しい泣き声。ほろほろと落とされる涙。
 ……小さい頃、これと似たようなことがあった気がする。
 そうだ、確か、デパートで迷子になった時のことだ。まだ、幼稚園に入ったばかり、という頃だった。保護されたわたしは、そのまま迷子センターに連れて行かれた。店内放送がかけられている間、店員さんに慰めてもらっても、不安で、怖くて、身を縮めて泣いてばかりいた。
 すぐに駆けつけてきたその人は、こうやってわたしを力いっぱい抱きしめて、怒るよりも前に自分も泣いて、心配したんだから、と何度も言った。
 遠い過去と、懐かしい記憶。
 ふいに、激しい郷愁が湧きあがる。がんがんと耳の奥で熱いものが脈打っている。大きく揺さぶられる感情に、身も心も持って行かれそうだ。
 唇が、わずかに動いた。ミーシアさんの身体がぴったりとくっついているから、わたしの顔は他の人からは見えない。その言葉が、もう少しで口から滑り落ちそうになった。
 おかあさん(・・・・・)


「…………」
 目を瞑る。
 麻痺していた頭の中が、少しずつ現実感を取り戻していく。
 わたしは無言できゅっと唇を引き結ぶと、一瞬だけ、ミーシアさんの洋服の端を強く握った。
 そして、すぐに離した。


 目を開き、ぽんと軽く彼女の背中を叩いて上を向く。少しだけ後ろに反る態勢になってミーシアさんの顔を見返したら、ようやく泣き声を上げるのを止めてくれた。
「ミーシアさんも、無事でよかったです」
 自分の口から出る声は、いつもと同じだ。
 揺れていない。何も外に出ていない。大丈夫。
 まだ、大丈夫。
「……何か、拭くものがあればいいんですけど」
 ちょっと大変なことになっているミーシアさんの顔を拭いてあげたいが、血のついたわたしのマントを使うわけにもいかない。荷の中に、綺麗な布があったかな、と馬のほうに視線を向けたら、ミーシアさんは 「まあ」 と我に返ったようにわたしから身を離し、ぱっと赤くなった。
「いやですわ……私ったら、子供みたいに」
 そう言って、恥ずかしそうに慌てて自分の掌でごしごしと顔を拭う。けれどその行為は、すでにそこが濡れていることもあって、ますます顔じゅうに汚れが広がって真っ黒になる、という結果になった。
 忘れてた。ミーシアさんは、少しおっちょこちょいなのだった。
「うーん……」
 これはもう、水で洗い落さないと、どうしようもないな。よくよく気づいたら、ミーシアさんだけでなく、わたし自身も、他のみんなも、髪や服装が乱れ、全体的に薄汚れている。
「とりあえず、どこかに馬を預けて……」
「そうですねえ、どうせもうすぐ完全に陽が落ちますし。まずは宿を探すことにしましょうか。そこで湯を使わせてもらえばいいでしょう」
 わたしの台詞に続いて、メルディさんが場違いに陽気な声で提案した。いつもと変わらない人を食ったようなその顔と言い方に、他の面々もほっとしたように肩から力を抜く。
 ぴんと張りつめていたものが、やっと緩んだ。
「じゃあ、ハリスとトウイ、街の中のよさそうな宿を見つけて、交渉して来てくれ」
 調子を取り戻したらしいロウガさんが、てきぱきと指示を出す。ハリスさんは、「わかりました」 とこちらも普段と同じように返事をして、わたしを向いた。
「これからのこともあるし、なるべく安い宿を探しますが、シイナさまはそれでよろしいですか」
「はい、もちろん」
「私は朝食くらいは出してくれるところがいいです」
 と言ったのはメルディさんだ。それを聞いて、ハリスさんはくっきりと顔を顰めた。
「なに呑気に要望を出してるんだ、あんたも俺たちと行くんだよ、密偵」
「ええー、そんなことは私の仕事に含まれていませんよ」
「あんただけ宿に泊まる人数に入れなくても、俺はちっとも構わないんだがね」
「まったく人使いの荒い……」
 ぶうぶう言いながら、メルディさんはハリスさんと歩きだした。お互い別の方向を見ているのに、まだケンカしている。
 その後ろを、トウイがついて歩き出す。
 さっきからじっと黙ったままだったトウイは、一度だけ振り返ってわたしと目を合わせた。
 何かを言おうとするように口を開きかけたけれど、結局何も言わず、またくるりと前を向いた。
 その後ろ姿が小さくなっていく。
 わたしは長い息を吐きだした。


 自分の右手を広げ、見下ろす。
 皮膚を突き破り、筋肉を穿通し、繊維を引き裂き、血管を切断する、あの感触。
 握っていた柄を通じて伝わった手応えが、今も残っている。
 剣を引き抜く時に立てた音も、盗賊の呻き声も、まざまざと耳に甦る。
 ……もう、知ってる。
 血は洗い落とせても、この記憶はずっと消えない。
 わたしの中に溜まり、積み重なり、下のほうに沈められ、どろどろと腐敗していくだけ。


          ***


 三人が戻ってくるのを、ただぼーっと待っているだけというのも間が抜けているので、せめて手と顔だけでも洗わせてもらおうと、近くに建っていた家に向かい、声をかけた。
 出てきたのは、その家の主人らしき男の人だったけれど、彼はわたしたちの恰好を上から下まで眺めてから、
「あんたたち、もしかして、外で盗賊に襲われたのかい?」
 と言った。
 ミーシアさんは、なぜ判るのか、という驚いたような顔をした。その顔が真っ黒になっていることを、本人は気づいていない。
「ええ、そうなんです」
「それは大変だったねえ」
 同情のこもった眼差しを向けてきた男性は、水を使わせてもらえないかとミーシアさんが丁寧に頼むと、すぐに桶にたっぷりと汲んで、外まで運んできてくれた。
 ありがたく使わせてもらうことにして、三人で顔と手を洗う。
 さっぱりすると同時に、冷たく澄んだ水は、気分までしゃっきりさせてくれるようだった。
「どう切り抜けたのかは知らないが、盗賊に襲われて大した被害もないなんて、奇跡みたいなもんだ。おまけに荷も取られなかったとはねえ」
 水を使わせてもらっている間、男性はしきりに感心するような顔をして、信じられない、と繰り返した。
 家のドアの前に立ち、わたしたち三人と、その向こうにいる三頭の馬とを見比べる。括りつけてある荷も人間も、両方が無傷で済んだことは、彼にとっては驚嘆すべき出来事であるらしかった。
「ええ、運がよかったんでしょうね」
 盗賊に襲われたのが、ロウガさんたちのような腕の立つ人たちではなければ、被害どころではなく、間違いなく命を落としていただろう。しかしそこを強調するとかえって怪しまれるかもしれない、と思ったのか、ミーシアさんは曖昧に口を濁した。
「この街に、何か用事でもあったのかい」
「いいえ、そういうわけではないのですけど」
「ここは、いい織物が揃っているから、見ていくといいよ。なに、ちょっと値は張るけど、やっぱりそれだけの価値はあるからね」
「そうですね、ゲナウの織物といえば、有名ですから」
「そうだよ、そうだよ。なんだったら、多少は安く買えるように、私が口を利いてあげてもいいよ。私も織物関係の仕事をしているからね。というかまあ、この街の住人は半分くらいがそういう仕事に就いてるんだが」
「それは、ありがとうございます。ですが、私たちは旅の途中ですので」
「ああ、そうか。どこから来たんだい」
「……ええっと」
 あくまで世間話の続きのつもりなのだとは思うけど、その質問に、もともと嘘をつけない性格のミーシアさんは、困り顔になった。
 せめてロウガさんに聞いてくれればいいのに、小柄で痩せた男性は、がっしりしていて強面のロウガさんが怖いのか、そちらのほうをあまり見ようとはせず、顔を向けるのも話しかけるのもミーシアさんばかりだ。見たら見たで、さっきから最愛の妹にぺらぺらと気安く話しかけてくる相手に対して、険悪なオーラを発しているロウガさんに気づいて、余計に怯えることになったかもしれないけど。
「このあたりでは、以前からよくあんな盗賊が出るんですか」
 わたしが口を開くと、男性は、ん? という感じでこちらを見た。
「いやあ、最近だよね、あんなのは。坊主も怖かっただろう」
 いかにも気のなさそうな、適当な返答だった。彼にとって、子供は話し相手としての数には入らないらしい。
 ……というより、若い女性以外は、と言うべきかな。
「この街の人たちは大丈夫なんですか」
「まあ、心配しなくても、連中は街にまでは入ってこないだろうさ」
「でも──」
「いいんだって、子供は余計な心配しなくても」
 布を巻いた頭の上に手を置かれ、撫でているのか掴んで振り回しているのか判らないような乱暴さで、ぐらんぐらんと揺らされた。ミーシアさんが叫び声を上げかけ、ロウガさんが剣の柄に手を置いたので、わたしは二人を目顔で押し留めた。平気だから、やめましょう。
「あ、あ、あのっ、でも、やっぱり万が一のことを考えて、対策は取っておいたほうが」
 ミーシアさんが大慌てで割って入ると、男性は再びそちらを向いた。ずいっと身を乗り出され、ミーシアさんが少々引き気味になる。
「そりゃそうだね。だからもちろん、夜の間は門を閉めてさ、中に入れないようにするんだよ。ちょっと前までは、そんなことはしなかったのに。平和で、のんびりした街なんだよ、ここは。どうしてこんなに物騒になっちまったのかねえ。まあでも、あんたたちは無事でよかった」
 なあ? と笑顔を浮かべ、親しげに同意を求めるその態度は、あからさまにわたしに対するものとは違っている。それは別にいいんだけど、そろそろロウガさんのことも気にしたほうがいいと思う。今のところ、こっちのほうがもっと物騒な空気を醸し出してるから。
「聞いた話じゃ、マオールの街では何か騒ぎが起こって大変らしいね。いやだねえ、あっちもこっちも、落ち着かなくてさ」
 ため息とともに吐き出されたその言葉に、わたしはぴくっと反応した。
「……あっちもこっちも(・・・・・・・・)?」
 その問いかけに、男性がまた面倒くさげな顔で振り返る。
「ええ? なんだい?」
「それはどういう意味ですか? マオールや、このゲナウだけでなく、他の場所でも騒ぎが起こっているということですか」
 男性は一瞬眉を寄せ、それからあやふやに笑った。
「いやいや、そんなことはないよ。まあ、なんだ、子供が気にするようなことじゃない」

 ──子供が気にするようなことではなくても、何かはある、ということか。

 ちらっとミーシアさんを見る。わたしは無理でも、ミーシアさんのほうから訊ねてくれれば、この相手はあれこれと聞きもしないことまで喋りはじめるんじゃないか、と思ったからだ。
 が、残念ながら、ちょっぴりニブいところのあるミーシアさんには、わたしの意図が通じなかった。目をぱちぱちと瞬きして、どうしました? というように首を傾げている。
「…………」
 うーん、困ったな。下手をすると、ああ、トイレですね! という明後日の方向に解釈されそうだ。
「あっちもこっちも落ち着かない、とはどういう意味なんだ?」
 ミーシアさんの代わりに、わたしが言いたいことに気づいてくれたのは、ロウガさんだった。ずいっと前に出てきて、低音の声で男性に向かって改めて訊ねてくれる。
 うーん。それはいいんだけど、いや、でもね……
「え、な、なんだい」
「だから、今言ったことの意味だ」
 はじめからロウガさんの存在について見て見ぬふりだった男性は、ぐいぐいと問い詰められて、途端にへどもどしはじめた。今まで抑えつけていた反動もあるのか、ロウガさんの声と態度が、どう見ても聞いても怒りを滲ませているのだから、なおさらだ。
「いや、その」
「よければ詳しく話を聞かせてもらいたいんだが」
 よければ、とか言ってるけど、目つきと言い方がほとんど脅迫に近い。その迫力、さすが、神ノ宮で護衛官たちを従わせているだけのことはある。
「あ、あのね、別に、大した意味があって言ったことじゃないんだよ! ああ、使い終わったら、桶はそのままにしておいてくれればいいから! じゃあ、まだ仕事があるんでね、これで!」
 男性は、そう言ってあたふたと家の中に入り、バタンとドアを閉じてしまった。



 その後少しして、宿が見つかった、とハリスさんたちが戻ってきた。
「ちゃんと厩があって、食事も出るそうですよ」
 メルディさんの希望が通ったらしい。
「料金も安いんですか」
「まあ、この街は全体的に、わりと良心的な値段でしたね。湯も用意してくれるそうです。街によっては、こっちがあまり詳しくないと知ると、すぐに吹っかけてくるような宿ばかり、ってところもあるんで、ここはずいぶん真っ当な商売をしているように思いますよ」
「それはよかったです」
 平和で、のんびりした街。さっきの男性も、そう言ってたっけ。
「じゃあ、行きましょうか」
 はあ、と返事をして、ハリスさんは目の前の光景に不思議そうに首を傾げた。
「……で、どうしてロウガさんは、ミーシアに説教されてるんですかね」
 わたしは、さあ、ととぼけることにした。


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