リライト・ライト・ラスト・トライ

第八章

3.詭謀



「大丈夫、キミの目や頭がどうかなってしまったわけではないよ」
 いつもと同じようにゆったりとした姿勢で寛ぎながら、神獣がニコニコ笑ってそう言った。
「まだ、大丈夫」
 金色の瞳が楽しそうに細められる。
「…………」
 額から滲み出た汗が、耳の横を通過して顎を伝い、白く輝く床に落下したところで、ようやくわたしは呼吸を取り戻した。
 自分の胸の上でぎゅうっと強く握りしめていた衣服を離すため、意志の力を総動員して指を一本ずつ動かして引き剥がす。まるで棒のように強張ってしまっているのが、我ながら忌々しかった。
「──ここは」
 喉から出た声が掠れているのが愉快だったのか、神獣がまた笑う。
「もちろん、ここは最奥の間だよ。最奥の間は神ノ宮の中にあり、そこから動いていない。当たり前だけれど、ボクもね。そしてキミは、ゲナウの街の宿屋にいる。その扉の向こうには、ちゃんと宿屋の古びた廊下があるよ」
 後ろを振り返り、真っ白いドアを見る。
 この向こうに、宿屋の廊下が?
 ……すると、わたしの身体が神ノ宮に強制的に戻された、ということではないのか。
 ゲナウの宿屋の部屋の入口と、神ノ宮の最奥の間の入口との空間が繋がった──あるいは、歪められた、そんな感じなのだろうか。
 長く深い息を吐き出す。暴れていた心臓も、少しずつだが、落ち着いてきたようだった。
 理屈はもちろんさっぱり判らないけれど、納得はした。考えてみたら、「世界と世界の狭間」 なんていう訳の判らない場所に出入りして、好き勝手している神獣に、そんなことくらい出来ないわけがない。
「どうりで……」
 自嘲するように呟いて、唇の端を曲げるようにして上げた。
 どうりで、「神ノ宮の外に出る」 というわたしの申し出を、あっさり許可したわけだ。
 そうだねキミの思うとおりに行動するのがいちばんいいね、とニコニコ返ってきたあの時の言葉をまるまる鵜呑みにしたわけではないけれど、それはわたしがどこで何をしようが、神獣には 「わかっている」 から、ということだと思っていた。
 でも、違う。あれは本当は、こういうことだった。わたしがどこに行こうと、神獣はこうして目の前に現れる。神ノ宮内でわたしが最も嫌っていた最奥の間に、一瞬にして引き戻される。中だろうが外だろうが、神獣にとってはそんなもの、意味がない、ということだったのだ。

 ──神ノ宮という籠を飛び出したって、この世界にいる限り、わたしは檻の中に囚われ続ける、ということだ。

「あんた、そんなにわたしに会いたいの?」
 冷然とした口調で吐き捨てた皮肉に、神獣はクスクス笑いながら、白い指を組み合わせた。
「そりゃあそうさ。キミはボクの大事な守護人だもの。こうして顔を見て、言葉を交わさないと、落ち着かないよ」
「あんたが落ち着かないところなんて、見たことない」
 常に悠然と構えて、人が苦しむのを見て楽しむ性悪な生きものだ。今だって、わたしをいたぶるためにわざわざこの場所に呼び込んだとしか思えない。
「神獣の傍らに在り、楽しませ、気持ちを安らがせる──それが守護人の務めだと、大神官からうるさく言われているはずだろう?」
「だったら王ノ宮に行けば。守護人の名前は、そこに置いてある」
「バカバカしい。どこにいても、何をしても、ボクの守護人はキミだけだ。それはキミ自身、いちばんよく知っているはず。それとも、こう呼んでほしいのかな。『プレーヤー』、ゲームの進行具合はどうだい、と」
「…………」
 わたしが口を噤むと、神獣は、あははは! と笑い声を立てた。
 空気を乱さない動きで、白く細い指先を持ち上げて、わたしにまっすぐ向ける。
「神ノ宮の中にいて、やって来る災厄をただ待っているだけでは、それを避けることは出来ない、とキミは悟った。四十九回も 『主人公』 を死なせて、ようやくその結論に辿り着いた。だからキミは神ノ宮を出ることを決意したんだろう? 災厄が育ちきってしまってからでは遅い。そうなってはもう止められない。だからその前に、まだ種のうちに、潰してやろうと」
「…………」
「湖の国で何が起こっていようが、あの国の民がどうなろうが、キミにとってはそんなこと問題じゃない。だからそちらは王ノ宮に一任した。どうせ災厄は結果的にトウイの上に降りかかってくることを、キミは知ってる。だとしたら、その下地となるものは、必ずこのニーヴァにある──キミはそう判断して、カイラック王に今回の旅を申し出た。本当のところ、ニーヴァで何が起きていようが、それさえもどうでもいいんだ。重要なのは、それがどんな形でトウイに向かってくるか、ということだけなんだから」
「…………」

 重要なのは──
 どうすればトウイを死なせずに済むか。
 ただ、それだけ。

「けれど、この旅の間にだって、『主人公』 には危機が訪れる。盗賊に襲われるのなんて、まだ序の口さ。ハリスも、ロウガも、気の毒だね。彼らもまた、『主人公』 の代わりに、犠牲のとばっちりを受ける立場になるかもしれないのに。かつてのタネルのように。または、可哀想なサリナのように。彼らはそれを、なーんにも知らない」
「…………」
 ぐっと握った拳がぶるぶる震えはじめている。強く歯を喰いしばっていないと、カタカタと小さな音を洩らしてしまいそうだった。
 わたしは……
「キミはもちろん、それを自覚しているよね? 無自覚だったとは言わせない。この旅で、トウイ以外の人間が、キミにとって、どんな意味を持つのか」
 神獣がまるで歌うように朗らかに、三人の名を口にした。
 ロウガとハリス、そして、ミーシア。

「『トウイの盾(・・・・・)』 と、『母親の代用品(・・・・・・)』」

「ちがう!!」
 大きな声を出して怒鳴ってしまってから、はっと後ろを振り返った。ゲナウの宿屋に繋がっているという白いドア。その向こうでは、物音ひとつしない。
「大丈夫、トウイには聞こえないよ」
 可笑しそうに神獣に笑われて、わたしはそこから目を背けた。壁を見ても、床を見ても、色のない世界。反射する光が瞳に突き刺さる。眦に滲むものがあるのは、それが痛いほどに眩しいからだ。
「……わたしは、旅の同行を強制したわけじゃない」
 ロウガさんにも、ハリスさんにも、トウイにも。ミーシアさんがついていくと言った時には、本心から止めた。危険な目に遭うのが判っていたから。この旅そのものが、わたしのエゴに巻き込ませることだと知っていたから。
「そうとも、キミは命令したわけじゃない。そのために、あんなにも回りくどい手順を踏んでまで、まず彼らの守護人の護衛官としての任を解いた。守護人として命令を下せば、彼らは断れないからね。命令ではなく頼みという形にして、キミは彼らに、断ることも出来る、という選択肢を与えた。……まったく、くだらない茶番さ」
 くだらない、と神獣は言いきって、肩を竦めた。
「一体それは、誰のための言い訳だったんだい? 決まってる、キミ自身のだ。命令したわけじゃなく、彼らの意志でこの道を選んだのだと、自分に言い聞かせるためだ。これから、彼らの身に何かあった時、少しでも自分の気持ちを楽にするためだ。まったく、なんて欺瞞に満ちた、浅ましく稚拙な策略だろう。そう思わない?」
 無邪気な口調でそう言って、青ざめたわたしの顔を覗き込む。
「でも、しょうがないね。だってキミ一人では、トウイを守れないのだから。彼らはこのゲームには欠かせない駒だ。トウイを助けるために、とことん利用すればいい。それでこそ、正しい 『プレーヤー』 の在り方だ」
「……ちが」
 否定の言葉が、喉の途中でつっかえて止まった。何かが塞がっているようで、声が外に出てこない。違う、違うと心は反論を繰り返しているのに、それを押し出す力がなかった。
「キミに嘆く資格はない。その権利もない。たとえこの先どんな苦しみが待っていようと、それはキミ自らが決断し、手にしたものだ。キミは扉を開け、他の何を犠牲にしても、トウイを助けることを選んだ。すべて、キミの意志。それこそ、ボクはキミに、ゲームの続投を強制したことは一度もないのだからね。いつでもキミはもとの世界に帰れるし、ボクはそれを止めたりしない。すぐにでもキミは、代用品ではない、本当の母親に会いに行けるよ」
 感情の見えない黄金の瞳が、線のように細められた。
「……今のトウイが死ねば、ね」
 一瞬、わたしは激しく身じろぎした。容赦なく、子供の甲高い笑い声が響く。
 くるっと廻ってそれに背中を向けると、まるで壊すような勢いでドアを開け、わたしはそこから飛び出した。



 部屋の外に出た途端、何かとぶつかった。
「──シイナさま?」
 怪訝そうな声がかけられる。わたしのすぐ前にあるのは、物ではなくて、人だった。ミーシアさんとは違う、しっかりとした硬い身体。
 顔に心配そうな色を乗せ、すぐ間近でわたしを覗き込んでいるのは、トウイ。
「トウイ……」
 トウイが驚いたように目を見開き、「はい」 と返事をする。
「……さん」
 その顔を見て、わたしはやっと、現在の自分がどこにいるのかを把握した。間の抜けた呼び方をして、息を吐きだす。
 ここは、ゲナウの宿屋の廊下だ。
 荒い呼吸でごしごしと乱暴に顔の汗を拭うわたしを見て、トウイの赤茶色の目に険しさが宿った。
「どうされました?」
「どうも……」
 どうもしません、と答えきる前に、トウイの手が伸びてきて、わたしの手首を掴んだ。
「何かありましたか」
 力を込めて、強く握られる。
「…………」
 わたしはまだ、少し放心しているらしい。トウイの真剣な声すら、耳を素通りしていく。なんでもない、と返事をしなくてはいけないことは判っているのに、ぼんやりとしたまま、トウイの大きな手を見つめていた。

 震える自分の手を通して、彼の熱が直に伝わってくる。
 温かい。
 ……生きているから、温かい。

 もう一度、今度はゆっくりと息を吐きだした。
 ──大丈夫。ちゃんとやれる。トウイに対して、いつもの顔を見せられる。
「すみません。……部屋に、虫が」
「虫?」
 トウイの顔にさっと緊張が走る。油断なく光る鋭い目が、閉じられたドアに向けられた。
 それを見て、自分の失言に気づいた。こんな言い方をしたから、変な誤解を与えてしまったらしい。たぶん今の彼の頭には、ミニリグの黒い姿が浮かんでいる。
「違います。ただの虫です。害はないけど、見ているだけで腹の立つ気持ち悪いやつです」
「見ているだけで腹の立つ、気持ち悪いやつ……?」
 トウイが呟いて、首を捻った。
「突然出てきたので、びっくりして」
「真っ青ですよ」
「あの虫だけは苦手なんです。小さくて、白くて、ぬめっとした感じで、ぜんぜん動かないわりに予告もなくいきなり目の前に現れる、ホントにけったくそわるい虫だから」
「けったくそわるい虫……」
 ますます首を捻りながら、トウイはドアを見て、わたしを見た。
「とにかく、部屋の中を見てみましょうか。開けてもいいですね?」
 わたしが頷くと、トウイはそろりと握っていた手を離し、ドアの取っ手にかけた。
 開く瞬間、緊張して全身が固くなる。でも、今度そこにあったのは、どこもかしこも真っ白な、あの部屋ではなかった。
 三つのベッドが並んだ、宿屋の普通の部屋だった。
「……ざっと見たところでは、何もいないようですが」
「どこかに行ったんでしょう。お騒がせしました」
 そう、何もいるわけがない。あの性格の悪い白い虫は、もうここにはいない。今頃神ノ宮の最奥の間で、笑っているに決まっている。
 ようやく、震えが収まった。
「ごめんなさい、すぐに」
 今度こそミーシアさんの忘れ物を取りに行くために、改めてドアの内側に足を踏み入れようとしたわたしを、トウイが手で制した。
「もっとよく調べてみます。中に入りますが、よろしいですか」
「いえ、もう、いいんです。別に噛んだり刺したりもしない、ただの虫だし」
「だって、苦手なんでしょう?」
 真顔で問われて、言葉に詰まる。
 そうだ、トウイはこういう人だった。
 ──最初から、ずっと変わりない。
「シイナさまはここでお待ち下さい」
「……はい」
 トウイが中を検分してくれている間に、何回か深く深呼吸をした。
 気づいたら、背中がびっしょりと汗で濡れている。せっかく、お湯で綺麗にしたところだったのに。

 部屋の隅々を見て廻るトウイの姿を目で追いながら、さっき握られていた手首を、もう片方の手でそっと包んだ。


          ***


 ようやくロウガさん、ミーシアさんと合流して、街の真ん中へと向かった。
 忘れ物を取りに行くだけにしては時間がかかったので、二人とも心配していたようだったけれど、探すのに少し手間取って、と説明したら納得してくれた。ちっちゃな虫に驚いて、と言うのは恥ずかしいのだろうと気を遣っているのか、トウイも話を合わせ、すみません、と頭を掻いた。
 彼の態度からは、盗賊と戦って以来ずっとあった張り詰めたものが消えていて、わたしはほっとした。


 街は端から中央に向かって、だんだん建物が大きくなり、そして賑やかになっていく。
 焚かれてある火も多くなり、もちろんもとの世界とは比べ物にはならないけれど、進むのにまったく支障がない程度には明るい。お店に並んでいる商品も、端のほうとは質も数も一目瞭然の差があった。
 そういえばマオールでは結局、中心部にまでは行かなかったんだっけ。ゲナウよりも規模が大きいというあの街では、さぞかし立派な建物や商店が並んでいたのだろう。
 マオールで見た、街の端に集まっていた小さくて質素な建物を思い出す。石の壁はところどころが崩れたり欠けたり、窓にはガラスどころか木製の覆いすらなく、外から風が吹き込むままになっていた。マオールでも、このゲナウでも、端と中とでは、そのように大きな違いがある、ということか。
 小さく寂しげな家の中で、血を流して倒れていた人々の姿が頭に浮かんだ。
「……さま、シイナさま」
 気づいたら、ミーシアさんに呼びかけられていた。ちょっとぼんやりしていたらしい。
「はい」
「食事のできる店は多くあるようなのですが、どういたしましょうか。お召し上がりになりたいものがありましたら」
「よくわからないので、お任せします。でも、出来るだけお客さんの多いところがいいです」
「それでは、あの店などはどうでしょう?」
 とミーシアさんが指し示したのは、構えが大きく、装飾もそれなりに華やかなお店だった。シャノンさんのお店のように、ドアがあってそこを開閉して出入りするという形ではなく、間口の半分くらいが大きく開いていて、中の様子がよく見える。テーブルや椅子が店の外にもいくつか出ており、そこに座って食事をしている人々もたくさんいた。
 とても繁盛しているようで、陽気な喧騒が離れたところでも聞こえるほどだった。食事をしているのは大体二人連れか複数のグループばかりで、これなら耳を澄ませなくとも、他の人たちの会話がよく拾えそうだ。
「はい、あそこにしましょう」
 そう言って、わたしはすたすたとその店に向かって歩き出した。


 メニューを見たところでどうせ判らないので、注文は他の三人に任せることにして、わたしはきょろきょろと周囲を見回した。
 他の席で食べたりお喋りしたりしているのは、仕事帰りと思われる大人ばかりだった。お年寄りはいても、子供はいない。この世界では、小さな子供たちに外食をさせるという習慣はないのかもしれない。それ以外は、お酒を飲んで大声を出している人たちもいたりして、もとの世界の食べ物屋さんとそう大差ないように感じる。
 料理を待つフリをしながら、周りのざわざわした話にさりげなく耳を傾けてみたけれど、中身は仕事の愚痴だったり女の人の話だったりで、さして興味を引くようなものはなかった。やっぱり、そうそう上手いこと、「そういえば最近このあたりで……」 という話が偶然聞こえてくる、なんてことにはならないか。
 わたしは少し上体を屈めて、隣のトウイにこっそりと話しかけた。
「トウイさん」
「はい?」
「ちょっと、ナンパをしてみる気はありませんか」
「……すみません、なにを言ってるのかよくわからないんですけど」
「女の人に声をかけて、適当にお愛想振って、いろいろと聞きだしてきませんか」
「はあ? ハリスさんじゃあるまいし、俺にそんなことが出来るはずないじゃないですか」
「ロウガさんよりは出来るでしょう」
「ロウガさんよりは出来るかもしれませんけど、はっきり言って自信ありません」
「顔や胸の選り好みをしてる場合じゃないんです」
「誰がそんなこと言いました?! ていうか、あのですね、この際だからその誤解を」
「やあ、どうもこんにちは」
 ん?
 トウイがムキになって何かを言いかけたところで、突然背後から、誰かの声に割って入られた。
 顔を上げて振り返ると、いつの間にか、座っているわたしのすぐ後ろに、長身の男の人が立っていた。
 年齢は三十代はじめくらいか。膝近くまである裾の長いシャツと、ゆったりと幅のあるズボンは、あまり見かけない服装だ。肩から大きな荷物をぶら下げていて、肩の下くらいまでありそうな髪の毛を、後ろでひとつに括っている。
 その髪の毛は、赤茶色ではなく、濃い灰色だった。
「お話し中、申しわけない。食事をしようと思ったのですけど、満席でしてね。よければ相席をお願いしたいのですが」
 人当たりのいい笑みを浮かべ、彼はそう言った。
 店内を見渡してみれば、わたしたちが入った時にはまだ少しあった空席が、すべて埋まっている。中を覗いて、ああもう無理だねと、残念そうに立ち去っていく人たちもいるくらいだった。
「はい、どうぞ」
 わたしが頷くと、男の人は嬉しそうににっこりした。もともと目の細い人なので、そうやって笑うと、糸のように見える。
「いやあ、よかった。この時間、どの店も大体混んでいましてね」
 おっとりした口調で言いながら、トウイとロウガさんの間にある空いた椅子に寄っていく。そこに腰を下ろすのかと思えば、彼はわざわざその椅子を持ち上げてガタガタと移動させ、「ではここに」 とわたしとミーシアさんとの間に置いて座った。
「……おい、なんでそこなんだ」
 引き攣った顔をしたトウイが低い声を出しても、まったく気にする素振りもなく、にこにこ笑っている。
「だってどうせなら、女性に囲まれて食事したほうが、美味しいものがより美味しくなっていいじゃないですか」
「答えになってないんだけど?」
「君の隣にも女性、あちらの彼の隣にも女性、そして僕の両隣にも女性。これがいちばんいい配置でしょう?」
「だから答えになってないんだけど?!」
 ばんばんとテーブルを叩いて抗議するトウイの声を聞き流し、男の人が笑顔のまま、「ねえ?」 とこちらを向いて同意を求めてくる。わたしはその顔をしげしげと眺めた。
「……よく、わかりましたね」
 そう言っただけで、彼はすぐに何のことか気づいたらしい。のんびりとした喋り方とは違い、ずいぶん敏い性質のようだ。
「もちろん、わかりますよ。布で頭を隠しても、男の子のような服装をしていても、あなたの可愛らしさまでは隠せませんから」
 歯の浮くような台詞をすらすらと口にして、今度はミーシアさんのほうを向いた。
「もちろん、あなたも美しい。まとう空気がここまで清々しく爽やかなのは、きっと外見だけでなく、心までもが澄んだ美しさを持ち合わせているからなのでしょうね」
 そう言って、さりげなく手まで取るものだから、ミーシアさんが頬を赤くしている。
 よくこうまで淀みなく言えるなあ、とわたしはひたすら感心したけど、トウイとロウガさんの機嫌は一直線に急降下を辿っているようだった。
「あ、名前もまだでしたね。僕はリンシンと申します。美しいあなたのお名前は?」
「は……あ、あの、ミ、ミーシアと申します」
「ミーシア。優しく柔らかい響き、まさにあなたにぴったりです。それではこちらの可愛らしいお嬢さんは」
「おい」
「さぞ、可憐なお名前をお持ちだと思いますが」
「おい」
「よければその愛らしい唇から、名前を聞かせてもらいたいものです」
「おい、無視するな! しゅ……シイナさまにそれ以上顔を近づけるな!」
 リンシンと名乗った男の人は、噛みつくようなトウイの言葉を聞いて、ますます嬉しそうに目元を崩した。
「ああ、シュッシーナ、というお名前なんですか。甘い砂糖菓子のようで、食べたくなってしまいますね」
「シュッシーナです、よろしく」
 とわたしは言ってから、改めて目の前のその人に向き直った。
「リンシンさんは、どこの国のかたですか?」
 その灰色の髪と、少し変わった衣服を見るに、ニーヴァ国民ではないのだろう。そう思って出した問いに、リンシンさんはまたにっこりした。
「僕はね、モルディムの民なんです」
 森の国か。その国について、わたしの頭にあるのは、ミニリグの生息地、という情報くらいだ。
「本来、モルディムの民はね、薄い緑の髪を持っているんです。周りが植物ばかりだから、人間もそんな色になるんでしょうかね。ですが僕の場合、父はモルディムの人間なのですけど、母が余所の国の人間でして。二人の間に生まれた子供である僕は、こんな中途半端な髪になってしまいました」
 そう言って微笑しながら、自分の髪の毛を指でつまんだ。
「子供の頃は、この髪が原因でよく苛められたりもしましてね。だからってわけでもないんですけど、両親が亡くなって、僕がモルディムにい続ける理由もなくなったものですから、こうしてフラフラと諸国を渡り歩いているんです」
「へえ……」

 諸国を渡り歩く──

「じゃあ、ここに来るまでに、他の国にも?」
「ええ。モルディムから、スリック、カントスを通ってね。このニーヴァに入ったのはつい最近です。やはり一ノ国だけあって、ニーヴァの首都は素晴らしく堂々としていると感じましたね。女性も活気があって、明るくて、美人揃いで」
「スリックとカントスにも行かれたんですか」
「ああ、カントスの女性は少々気が強くて。いやあ、あれはあれで悪くはないんですが、僕としてはやっぱり、スリックの儚げな雰囲気の女性のほうが好みといいますか」
 いい加減、女性のことから離れませんか。
「リンシンさん、料理が来ましたよ」
 テーブルの上にどんどん運ばれてくる皿に目をやって、わたしは言った。
「たくさんあるので、どうぞ。一緒に食べましょう」
 リンシンさんは、いやあそんな、と一応遠慮しながら、嬉しそうに湯気の立つ料理の数々を眺めた。
「悪いなあ、いいんでしょうか」
「はい、食事は大勢で食べたほうが美味しいですから」
「美しい女性たちと一緒に食べるのは特にね」
「食べながら、他の国の楽しいお話を聞かせてもらえますか?」
 口を動かしながら、自分でも、よくもこんな白々しいことが言えるものだな、と思った。

 ……うん。そうだね、神獣。
 やっぱり、あんたの言う通り。
 わたしはこうやって、平気で人を欺き、利用する。

「ええ、もちろん。あなたが望む限り、いくらでも」
 リンシンさんは上機嫌で頷いたけれど、わたしの隣に座っているトウイは、ものすごくふてくされた顔で腕を組み、テーブルの脚を蹴った。


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