リライト・ライト・ラスト・トライ

第八章

5.浅い眠り



 翌朝、起きて身支度を整えてから食堂に行くと、トウイたち三人がすでに揃っていた。
「おはようございます、シイナさま。おはよう、ミーシア。……メルディは?」
 同じテーブルに着いたわたしとミーシアさんに、ロウガさんが律儀に挨拶してくれる。おはようございます、と返してから、わたしはちょっとだけ肩を竦めた。
「メルディさんはいません」
「いない、というと」
「夜、ベッドに入ったところまではいたんですが、朝起きた時には、いなくなってました」
 いろいろあって疲れていたこともあり、ベッドに入ってすぐに眠ってしまったわたしには、同じように横になったはずのメルディさんが、いつむっくりと起きだして、部屋を出て行ったのかも判らない。とにかく目覚めたらメルディさんのベッドはきっちり整えられたまま空になっていて、部屋の窓もドアもしっかりと鍵のかかった状態になっていた。書き置きもないし、どこに行ったのか、何のために出て行ったのかも謎だ。
「夜のうちに出て行ったきり、戻ってこないんですか。それは……心配ですね」
 トウイが難しい顔をして、ちらっと食堂の出入り口に目をやる。そう? わたしは別に、心配じゃないけど。
「心配なんてすることはねえよ。あいつこそ、どうせ手許に転がり込んできた金を使って、どこぞで夜通し遊びほうけてるんだろ」
 鼻で笑うようにそう言ったハリスさんに、トウイは眉を寄せた。
「そんな言い方、よくないですよ。ひょっとして、何かの厄介ごとに巻き込まれてるのかもしれないし」
 ねえ? というように顔を向けられたけど、わたしは黙って曖昧に首を傾げるだけにした。どうせどこかで遊んでるんでしょう、という喉元まで込み上げた返事は、呑み込んでおくことにする。
「トウイさん、スープが来ましたよ」
「ちょっと外に出て、探してきましょうか」
「そのへんの壁を叩いたら上のほうから落っこちてくるんじゃないですか」
「埃じゃないんですから」
「放っておいても問題ありません」
「だって何があるかわからないでしょ、密偵とはいえメルディは女性で、あんな美人なんだし──って!」
 いきなり悲鳴じみた声を上げたトウイに、ロウガさんが怪訝そうな表情をした。
「どうした、トウイ」
「い、いやなんか、今、足に何かが思いきりぶつかって……なんだ?」
 テーブルの下にある自分の足を覗き込み、ぶつぶつと不思議そうに呟くトウイの声を聞き流し、わたしは隣に座るミーシアさんに顔を向けた。
 起きた時から口数の少なかったミーシアさんは、どこか心ここにあらずといった顔つきで、大皿に入れられたスープを人数分の器に分けている。木杓子を扱う手つきもなんとなく覚束なくて、器から滴るスープがテーブルの上にぽとぽとと零れているのに、それを気にするような様子もない。
 ぼうっとした目は、手元に向かっていても、それを見ていないのが明らかだった。
「どうしました? ミーシアさん」
 声をかけると、はっとしたように我に返る。
 ミーシアさんは、わたしとハリスさん、テーブルの下を覗くのを中断したトウイとロウガさんに一斉に注目されていることに気がつくと、今になってうろたえて、杓子をぽとんとスープの大皿の中に落とした。
「ま、まあ、いやだ、私ったら。申し訳ございません」
「どうした、ミーシア? いつも以上にボンヤリしてるみたいだけど」
 トウイが案じるように言ったけど、言葉のチョイスを間違えている。今度はロウガさんに足を蹴られたらしく、また 「いてっ!」 と声を上げた。
「あまり、眠れませんでしたか?」
 まだ神ノ宮を出たばかりだし、昨日は盗賊に襲われるという恐ろしい目にも遭ったし、そうであっても無理はない。問いかけたわたしを、ミーシアさんは少し複雑な眼差しで見つめてから、ぎこちなく微笑を浮かべた。
「そう、ですね。別の場所で眠ることに、まだ慣れていないものですから。……シイナさまは、睡眠で多少はお疲れが取れましたでしょうか」
「はい。元気ですよ」
 いつものようにそう答えると、ミーシアさんは優しく微笑んだまま、頷いた。
「それは、よろしゅうございました」
 ……でも、その瞳はなぜか、妙に寂しげに見えた。


「おや、ちょうどいいところだったようですね」
 そこへ、どこからともなく軽い調子でメルディさんが現れた。
 当然のようにすとんと空いた席に腰を下ろし、テーブルの上の、まだ温もりの残るパンをさっさと取る。そのパンにちょうど手を伸ばしていたハリスさんは、横取りされてイヤそうな顔になり、それでもここで文句を言えばまた同じような喧嘩になるだろうと想像がついたのか、口をへの字にして別のパンを取った。
「どこに行ってたんだ? メルディ」
「それはヒミツです。私もこれでいろいろと忙しい身でしてねえ」
 トウイに訊ねられ、メルディさんはうふふと笑ってとぼけた。昨日ハリスさんに突っかかった時の不機嫌さとは打って変わって、やけに楽しそうだ。なんだか肌も艶々してるし。
「さぞ忙しい夜だったんだろうさ」
「さぞ忙しい夜だったんでしょうね」
「なんなんです、シイナさまにハリスさん。いやですねえ、お二人とも、何か変に勘繰ってらっしゃいません? 仕事ですよ、仕事。ほほほ」
 どんな仕事なんだか。だから心配なんてすることないって言ったのに。そう言ったのはハリスさんだけど。
「さあさ、食事をしたら張り切ってテトの街へ出発いたしましょうか。ミーシアさん、私にもスープください」
 陽気に言って、図々しくミーシアさんに給仕を頼む。一体この密偵は、なんのためにこの旅について来ているのだろう。
 ハリスさんがチッと舌打ちしたのももっともだと思うのだけど、トウイは二人を見比べて、うーん、と思わしげな顔で首を捻っていた。また何かズレたことを考えているらしい。まあいいや。
「ところで、シイナさま」
 メルディさんが、にっこり笑ってわたしのほうを向く。
「昨夜、シイナさまたちが話をしたという灰色の髪の男ですけど、ゲナウのどのあたりに泊まっているか、お聞きになりました?」
 思ってもいなかった質問をされて、わたしは目を瞬いた。どうしてここでいきなり、リンシンさんの話が?
「いえ、特に……なぜですか?」
「いえね、ちょっと興味が湧いて探してみたんですが、見つからなかったものですから。誰に聞いても、見てない、知らない、ですよ。髪の色も格好も違う異国人なら、もっと目立ってもいいんじゃないかと思うんですがねえ」
 そう言って、メルディさんは手で顎をするりと撫ぜ、薄っすらと笑んだ。


          ***


 ゲナウを出立し、テトの街へと向かう。
 その二つは近いし、かかるのは一時間くらい、とハリスさんが言っていたから、ゲナウのあたりとそう変わらないのかと思っていたけれど、馬に乗って三十分もしないうちに、周囲の景色が変わりはじめた。今までにはあまり見なかった、ごつごつとした岩が現れるようになってきたのだ。
 岩山、というほどの高さはない。岩場、というほど多くもない。けれども、人の背丈の二倍くらいはある大きさの岩が、まるで地面からにょっきり生えるようにあちこちにあるという光景は、これまでの森や畑が広がるだけの穏やかな眺めに比べ、ずいぶん無骨で荒々しく見える。そのような場所だからか、ほとんど人家もなかった。
 トウイによると、ここはもうセラリスの外らしい。はるか前方に連なる山が、カントスとの国境になっているという。
「首都の外は、どこもこんな風に岩ばかりなんですか?」
 わたしが訊くと、トウイが軽く笑った。
「いや、そんなことはないですよ。どうしてもセラリスと比べれば、街の規模は小さくなりますけど。場所によっては、森が密集していたり、なだらかな田園ばかり、ってところもあります」
 それを聞いて、ちょっとホッとする。
「じゃ、このあたりが、たまたまこういう景観だってことですね」
「そうですね。テトの住人が街の再建を断念せざるを得なかった、っていうのは、そういう事情もあったかもしれません。ここは見通しも悪いし、馬車も走りづらいですしね。たくさんの資材を運ぶのも、大変だったでしょうから」
 そうして放棄された街に、今はどこかからやって来た人たちが暮らしているわけか。
 ゲナウは織物で名を上げて、今やニーヴァの産業には欠かせない街になっているのだそうだ。有力な後ろ盾をいくつも持っているため、あそこが襲われたら、他のところで起こる問題には見て見ぬふりをしがちな治安警察や王ノ宮も、さすがに黙っていない。そういう理由があったからこそ、水を貸してくれた男の人も、盗賊たちは街の中にまでは入ってこない、と自信ありげに言いきっていたのだ。
 でも、テトは違う。
 小さく、後ろ盾もなく、火事になっても再建もままならなかった不便な土地。だから、住人たちからさえも見捨てられた。
 ──現在そこに住むのも、そうやって誰からも守ってもらえず、流離う道しか選べなかった人々なのかもしれない。
 そんなことを考えて口を噤んだわたしの気を引き立たせようとしたのか、トウイが 「でもね」 と声の調子を明るくした。
「首都から離れていても、綺麗な景色も、それなりに賑やかな街も、たくさんあります。たとえば俺が神ノ宮に来る前、住んでいたところでは──」
 が、その台詞はふつりと途切れた。
 後ろを振り返ると、トウイが表情を強張らせて、わたしを飛び越したその向こうに視線を据えている。手綱を握る彼の手に、強く力が込められたのが判った。
 ぱっと顔を戻す。わたしたちの馬よりも先行していたロウガさんの馬と、ハリスさんの馬が、歩みを止めていた。
 なぜなら、彼らの行く手を阻むように、一頭の馬が、岩陰からのっそりと姿を現したからだ。
「おや、まあ、生きてたんですか」
 メルディさんが小さな口笛と共に、感嘆したような声を出す。
 馬に乗っているのは、昨日、わたしが脇腹を突き刺した、盗賊のかしらだった。


 ……生きてた。
 その瞬間、わたしの内部に生じたのは、間違いなく安堵感だった。ずっと縮んでいた心臓が、ようやく弛緩するような、そんな気持ちが湧き上がる。
 でも同時に、自分がとんでもない間違いをおかしてしまったような、そんなひやりとした感触もあった。
 わたしはあの時、確実にとどめを刺しておかねばならなかったのではないか。生かしておいたから、こうしてまた目の前に現れたこの男が、さらなる脅威になってしまう道を作ってしまったんじゃないか。
「よう、昨日は世話になったなあ」
 低く掠れた声を出す男は、明らかに手負いの状態だった。顔色はどす黒く、目は赤く濁って、馬に乗った身体も不安定にゆらゆら揺れている。傷が痛むのか、声を出すたび表情を苦しげに歪め、額からは脂汗が滲んでいた。
 これなら、逃げるのは容易い──と思いながら周囲を素早く見回したわたしは、すぐにその考えが甘かったことを知った。
 岩陰に潜んでいたのは、その男だけではなかったのだ。斜め後ろからも一頭、その反対側からも一頭の馬が出てくるのを見て、さあっと背中が冷たくなる。
 ──囲まれた。
「昨日の面子とは違うな。あとのやつらはまだ寝込んでんのか?」
 鋭い眼つきで周囲を睥睨し、剣を抜きながら口許を上げたハリスさんが嘲るように言う。緊張で、ぴんと糸を張ったような声だった。
 それを聞いて、男の形相が一変した。唸り声を発してこちらを睨む目に、狂気の光が宿る。
「この俺が、よりにもよって子供にやられたってんで、手下どもはみんな、唾を吐いて去っていったさ。力がすべてのこの世界で、侮られたらもうおしまいだ。他の連中に踏んづけられて、惨めに地べたを這いずるしかない。俺が今まで築いてきたもんを、そのガキどもはぺっしゃんこに潰しやがったのよ」
 語気も荒くそう言い放ち、感情まかせに、太い息を鼻から噴き出した。
「このままじゃ、俺の気が収まらねえ。なんとしても、クソ生意気なガキどもを引き裂いてバラバラにしてやる。手下はいなくとも、このあたりにゃ、いくらでも悪党には不自由してないからよ」
「つまり報復のために、金で助っ人を雇ったわけですか。いやですねえ、誇りもへったくれもない」
 メルディさんが呆れたように言って、ひややかに笑う。時間稼ぎだろう。その目も、逃げ道を求めて周囲を探るように動いていた。
「俺の目的はガキ二人だ。荷物と女二人を置いていきゃ、男どもは見逃してやってもいいが、どうする?」
「聞くまでもない」
 ロウガさんが厳しい表情を崩さず、剣を構えた。
 三頭と三頭。相手側の一人はほぼ戦力にならないと見ていいだろうが、こちらはみんな二人乗り。この情勢から考えても、不利なのは、間違いなくわたしたちのほうだ。
 周りを囲む三頭の馬が、じりっと歩を進めて距離を縮める。わたしはこの先の展開を予想して、身を固くした。
 ロウガさんとハリスさんは、わたしを逃がすため、自分たちが立ちはだかっても敵を食い止めようとするだろう。
 その結果──どうなる?
 誰かが傷つく? 死んでしまう? ロウガさん、ハリスさん、ミーシアさん、メルディさんのうちの誰かが? わたしの……ううん、トウイの代わりに?
 心臓が大きな音で打ちたてる。がんがんと頭が激しく痛んだ。トウイの盾、という神獣の声が耳の奥に甦る。
 マントの下で神獣の剣の柄を掴み、全身を占める後悔に歯ぎしりをした。わたしはやっぱり、道を誤ったのだ。昨日、この男を殺しておかなければならなかったのに。正しい道は、いつも、後になってからでないと、わたしの目には見えない。
 取り返しのつかない時になってから。
 だったら──

 だったら、今からでも、道を戻そう。
 ……今度こそ、あの男を殺す。

 目の前を、すうっと膜が覆うような感じがした。真っ黒で、冷たい氷のような膜だ。高揚が醒め、焦燥が静まり、心臓と頭の痛みが遠くなっていく。
 心が麻痺していくような感覚。顔から表情が消えた。感情が次第に鈍くなり、下のほうに追いやられる。何も思わない。何も考えない。ただ目だけが動いて、「トウイの生の障害物」 へと向けられる。
 まるで、透明なガラスを通して見ているように、現実感が希薄になる。
 鞘から剣を抜きかけたところで、突然、上から誰かの手によって強引に抑え込まれた。
「……?!」
 はっと目が覚めたような気分になる。なくなりかけていた感情と現実感が、いっぺんに戻ってきた。
「トウイさん?!」
 わたしの手をマントの上から押さえつけているのはトウイだった。後ろから手を廻し、抱きすくめるようにして、きつく動きを封じている。
「何してるんですか!」
 片手でわたしの手を掴み、もう片手で剣と手綱を握っているトウイは、盗賊のかしらのほうに目をやっている。わたしからは、その横顔しか見えない。
 揺るがぬ眼差しと、真一文字に結ばれた口許。
「大丈夫、この馬は頭がいいですから、ちゃんと言うことを聞いてくれますよ」
 声音を抑え、言葉が耳元に落とされる。わたしは混乱した。トウイ、なにを言ってるの?
「俺が降りたら、すぐに走らせます。振り落されないように、手綱をしっかり持って、頭を低くしてください。なるべく馬の動きに逆らわないで」
 頭が真っ白になった。血の気が引いていく。
「な……にを、言って」

 俺が降りたら?

 トウイがこちらに顔を戻し、にこりと笑う。
 わたしは眩暈がした。ダメ──ダメだ。この目、この顔、トウイは何かを決意している。絶対にしてはいけない決意。わたしがこの世で最も忌み嫌うことを、勝手に決めてしまった顔。
「だめ」
 きっぱり言いきって、わたしは渾身の力を込めて、神獣の剣を引き抜こうとした。けれどそれよりももっと強靭な力で、トウイがそれを阻止した。不自由な態勢なのに、わたしの手を握って動きを止めるトウイの力は容赦がなくて、刀身はまったく鞘から出てこようとしなかった。
「だめ、離して……! トウイさん、変なことは考えないで」
「変なことなんて考えてませんよ。馬の上よりも、地面に立ったほうが戦いやすい、ってだけで。俺、こう見えてけっこう強いんで、大丈夫です」
 そうやって、相手を足止めしているうちに、わたしに一人で逃げろと?
「金で雇っただけの連中でしょ? 一人は身動きもままならないみたいだし、大したことないですって。すぐ片付けてあとを追いますから、先に行って待っていてください。大丈夫ですよ」
 大丈夫、大丈夫、と。
 気軽にそう繰り返すトウイは、それがぜんぜん 「大丈夫」 なんかではないことを、自分でいちばんよく判っているはずだ。わたしを馬に乗せて逃がして、この場に残って戦うことがどんなに無謀なことか、本人にだって判っている──のに。
 それでも、その道を選ぶのか。
 いつもと同じだ。トウイは自分の命より、他の命を優先させる。わたしがどれだけ止めても、頼んでも、それは彼の心を翻す理由にはならない。守護人の護衛官としての任を解いてさえ。
 止まらないこの震えは、恐怖から来るものか、それとも怒りによるものか。

 だったら、わたしはどうすればいいの。
 どうすれば、あなたを死なせずにいられるの。
 毎回毎回、わたしを護るためにトウイの命が犠牲になるというのなら、わたしは一体、なんのためにここにいるの。
 なんのために?

「だめ。お願いだから、トウイ」
 盗賊たちが、じりっと間合いを詰める。わたしの懇願を聞き入れようとはせず、油断なく目を光らせているトウイは、今にも馬から飛び降りて、そちらに向かっていきそうだった。タイミングが合えば、すぐにでも彼はそうする。躊躇もせずに。
 そしてわたしは、「このトウイ」 を失う。
「トウイ!」
 叫ぶと同時に、トウイの手がするりと離れた。代わりに手綱を押しつけ、跳ねるように片足が上がる。わたしはすぐさま神獣の剣を抜きはなち、続いて馬から飛び降りるため身を浮かせた。トウイが馬を走らせてしまったら、地面に着地するには落ちて転がるしかない。戦える状態じゃなければ、トウイは結局わたしを庇って死ぬ。そんなことにはさせない。
 が、その時。

「やあ、お困りですか?」
 頭上から、のんびりとした声がかかった。

 弾かれたように、全員が頭を動かし振り仰ぐ。盗賊のかしらが出てきた岩のてっぺんに、誰かの顔がひょっこりと覗いた。
 あれは──
「……リンシンさん?」
「あいつ、なんで」
 わたしとトウイが動きを止め、茫然と声を出す。どうして彼がこんなところに現れたのか、さっぱり判らなかった。
 まさか新たな敵なのか、と緊張したけれど、そちらに目を向けた盗賊たちも、唖然とした顔をしている。「なんだ、あいつは」 と驚く言葉に、嘘はないように感じた。
 ロウガさんと、ハリスさんと、ミーシアさんも、突然の闖入者の存在に、不審を覚えるよりもまず戸惑っているようだ。メルディさんだけが、口を閉じて、観察するような目つきで岩を見上げていた。
 リンシンさんは、よっ、という掛け声を出して、身軽に岩の上にまっすぐ立った。不安定な足場にも関わらず、長身の身体は揺れもしない。
 その格好で、ニコッと人好きのする笑顔を浮かべた。
 昨日とまったく同じ顔。けれどそれは、今のこの場、この状況で、浮かべていい表情じゃない。ぞくりと背筋に悪寒が走った。
 あの人は、何者なのか。
「可愛らしいお嬢さんのため、微力ながら助勢いたしましょう」
 その言葉と共に、リンシンさんの右腕が、下から弧を描いた。ゆるやかなモーションで、何かを投げた、ということは判ったけれど、それが 「何」 であるかは、太陽の光に邪魔されて見て取れなかった。
 ふんわりとした放物線を辿り、放り投げられた何かが、徐々に近づいてくる。わたしは目を眇めた。あれは何だろう。小さくて、丸いもの。石? いいや、違う、色が真っ黒だ。ボールのようなもの? いいや、形が歪で、もっと平たい。じゃあ……
 いいや、違う──ちがう。
 わたしは目を大きく見開いた。はっきりと、それが何であるかを悟ったのだ。
 あれは石でも、ボールでもない。

 脚がある(・・・・)

「ミニリグ!」
 わたしとトウイが、同時に叫んだ。
 それの意味が判って硬直したのはわたしたちだけで、盗賊たちは誰もまったく判ってはいなかった。投げられたのが、あるいは危険なものではないかと様子を窺っていたけれど、ぽとりと盗賊のかしらの馬の上に落ちたそれの姿を確認するなり、警戒心を一気に解いた。
「なんだ、ただの虫じゃ」
 そう言って、笑おうとしたけれど、その言葉は最後まで続くことはなかった。
 馬が悲鳴のようないななきを上げて、いきなり前足を高く振り上げたからだ。乗っていたかしらの男は傷を負って身体が不自由なためもありそれに対処できず、あっという間に振り落されて、頭からがつんと地面に激突し、白目を剥いた。
「おい、どうした?! こりゃなんだ?!」
 残りの二頭に乗った盗賊たちは、突然の出来事に動揺して、怒鳴ることしか出来なかった。
 ミニリグの猛毒を体内に入れてしまった馬は、どうと横向きに倒れて泡を吹き、すでに絶命寸前だ。何があったかは判らないまでも、それを見て、とんでもない異変が起きたことは察知したらしく、慌てふためいて馬首を翻した。
「ひ……に、逃げろ!」
 二人は、倒れている馬とかしらの男には見向きもせずに、それぞれの馬を駆って、蹄の音も高らかに走り去っていった。
 ほとんど息を止めながらその後ろ姿を見送り、わたしははっと気づいて、倒れた馬のほうに目を戻した。
 ぴくぴくと痙攣している馬の首の上を、黒いものがぞろりと八本の脚を動かして這っている。ミニリグだ──あれを逃がしてしまったら、大変なことになる。
 剣を持って馬から降りようとする前に、きらりと光るものが閃いた。
 伸びた銀色の条痕は迷いもなくミニリグへと向かって、その小さな身体を貫いた。自分の首に虫をナイフで縫い止められるような形になった馬は、最後にびくりと大きく揺れて、そのままがくりと息絶えた。
「まあ、私でも、この程度のことはねえ」
 ナイフを投げたメルディさんが、こきこきと右の手首を動かしている。
 それから、馬を降りて、すたすたと地面に倒れた男のほうに歩み寄っていった。
「……ああ、こりゃ、死んでますね。首の骨が折れて、変な方向に曲がってますよ。大人しく隠居生活に入ってればよかったのに、執念深さが仇になったか」
 その声を耳にして、どっと汗が噴き出した。
 顔を上げると、リンシンさんの姿は、もうどこにもなかった。



          ***


 テトの街はもう間近に迫っていたけれど、わたしたちは休憩を取ることにした。
 大きな木の影に入って、息をつく。メルディさんとハリスさんはそれぞれ、周囲の様子を見てくると言って、別々にどこかへ行った。ロウガさんは、少し離れた場所で興奮状態にある三頭の馬を落ち着かせている。
 わたしの傍にいるのは、トウイと、ミーシアさん。
「どうぞ、シイナさま」
 ミーシアさんは、水の入った容れ物から器に注いで、わたしに渡してくれた。ありがとう、と返して飲み干し、ミーシアさんにも勧めた。今日は泣いてはいないけれど、まだ顔色が真っ青だ。
「……ミーシアさん」
 その顔を見ながら静かに言った。
「はい、なんでございましょう」
「神ノ宮に、戻りませんか」
「え──」
 頑張って微笑もうとしていたミーシアさんの顔が強張る。トウイは黙ったままだった。
「なぜですか、シイナさま。いえ……いいえ、自分が足手まといであることは、重々承知しておりますけども、でも」
 身を乗り出し、急くような早口で言い募るミーシアさんに、わたしは首を横に振った。
「危険だからです。これからも、さっきのようなことがあるでしょう。ロウガさんが常にミーシアさんの近くにいられるとは限らない。もしも、また」
 また、同じようなことがあった時。
 ……わたしはやっぱり、ミーシアさんの命よりも、トウイの命を選ぶだろう。
「しゅ……シイナさま」
 ミーシアさんは、持っていた器を放り出して、両手でわたしの手を包んで握りしめた。
「いいえ、それだけは、聞けません。足手まといかもしれませんし、私ではなんのお役にも立てないと思いますけれど、私はシイナさまのおそばにいます。神ノ宮に戻る時は、必ず、シイナさまと一緒にです。そのためなら、私に出来ることも出来ないことも、なんでもします。なんでも、仰ってください」
「…………」
 わたしはミーシアさんの真面目な顔を見て、それからその目を下に向けた。
 それ以上、続ける言葉が見つからない。虚脱したように、疲労が全身に圧し掛かり、口を開くことも難しいくらいだった。
 後ろの木の幹にもたれた背中を、ずるりと滑らせる。
「じゃあ……」
 地面を見ながら、ぽとりと言葉を落とした。
 すぐ近くには、ミーシアさんとトウイがいる。トウイもこちらを向いて、わたしの言葉を聞いている。
 心には届かなくても、とりあえず、耳には入れてくれる。
「そこに、いてください」
 それだけ言って、ゆっくりと、目を閉じた。


 わたしは愚かで、最低だ。
 何度も何度も、誤った選択をして、道を間違え、人を見捨てる。
 この手はすでに血塗れであるというのに、人が死ぬのはイヤだと言う。この欺瞞、この身勝手、この汚さ。誰より自分自身がそれをよく知っている。
 こんなわたしを、好きになってくれなくてもいい。大事にされるのは胸が苦しい。信用も信頼も必要ない。
 怒って、軽蔑して、責めて、詰ってくれればいい。
 だからお願い。お願い、ただこれだけ。他には何も求めないから。
 望むものはひとつ。たったひとつ。

 ──そこにいて。


 生きて。


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