リライト・ライト・ラスト・トライ

第十章

1.つぼみ



 爆発音が連続した。
 どこかであがった火の手は、次の獲物を見つけて燃え広がり、または他の火の手と繋がって、勢いを増していく。そしてそれがまた新たな爆発を誘導する。こうなってしまっては、もはや人はなんの役にも立たない。慌てふためき、逃げまどい、そしてすでに四方が火に囲まれていることに気づいて、絶望の悲鳴を上げるだけだ。
 テトの街に住み着いていたという人々は、彼ら自身が作りだした要塞に閉じ込められ、襲い来る炎と爆発から逃れるすべもなく、燃え上がる火の海に呑み込まれていった。
 彼らの断末魔の叫び声を背に、わたしたちは梯子を伝って街の壁を乗り越えて、外で待っていたミーシアさんと三頭の馬と共に、そこから脱出した。
 トウイに無理やりのように乗せられると同時に、すぐさま馬が駆けだしていく。
 疾走する馬の鞍にしがみつきながら、わたしは後ろを振り向いた。
 ……闇の中、壁の向こうで、赤々とした炎が明るく輝いている。
 ひとつの街を舐め尽くし、焼き尽くすまで、この炎は鎮まることはないだろう。今度こそ、テトは地図上だけでなく、この世界から完全に消え失せる、ということだ。
 赤い光と、もうもうと立ち昇る黒い煙が小さくなっていく。熱気と焦げ臭さが遠ざかる。人々の悲鳴と、助けを求める声が、徐々に聞こえなくなっていく。どんどん距離が離れていくからか、それとも。
 後ろから廻ったトウイの腕が、わたしの身体をしっかりと支えている。
 ずっと、震えが止まらない。
 また──たくさんの人が死んだ。



 とりあえず、二人の子供を連れて、川辺まで戻った。
 フィリーという子は、まだ意識が戻らない。一刻も早く医者に診せたほうがいいだろう、というのは全員の共通した意見だったのだけど、なにしろいちばん近くのゲナウでも、行くまでに一時間かかる。いくら腕に抱いて行ったとしても、揺れる馬に乗せてそれだけの行程に耐えられるほどの体力は、その子供にはもう残っていないように見えた。
 ハリスさんが火を焚き、トウイが括ってある荷物からありったけの毛布や布を出して地面に敷く。ロウガさんがそこに、ゆっくりと慎重にフィリーの小さな身体を置いて、そっと包んだ。
 頼りない焚き火の明かりに照らされて、子供の白い顔が浮かび上がる。瞼がほんのわずか、ひくひくと引き攣るように動いているけれど、それ以外はまったくどこも動く様子を見せなかった。
 薄い胸はかろうじて上下していても、そこに手を当ててみないと判らないくらいの弱々しさ。呼気は聞き取るのが難しいほどに、浅く、か細い。
 わたしは、周りを取り囲む人たちの顔つきを見て、目の前に横たわる女の子の命の灯が、すでに消えかけていることを知った。
 サリナさんの時と同じだ。もう、何をしても、どうやっても、この子の命が死神の鎌に刈り取られていくことを、留めることは出来ない。他の人間はいつも、残酷なまでにはっきりと、その事実だけを否応なく突きつけられる。
 トウイは下唇を強く噛みしめて、じっとフィリーの顔を見下ろしていた。曲げられた膝の上に乗せられた拳は、白い線が浮き出るほどに力を込めて握りしめられている。
 きっと、その胸には、たくさんの後悔が渦巻いているのだろう。
 もっと早く助けに行けばよかった、と。

 ああしていればよかった、こうしていればよかった、あの時自分が違う道を選んでいれば、この子供は助かったかもしれないのに──

「…………」
 わたしはその顔を見ていられなくて、目を逸らした。移した視線の先にいる、もう一人の子供のニコは、あれだけ泣いて叫んで取り乱していたのが嘘だったかのように、今はただ静かな眼差しで、死にゆく友達を見つめながら、そのこけた頬を指で撫ぜている。
 まだ幼いこの子には、フィリーの天命が尽きかけているのが判らないのかもしれない。ただ、一緒に助かったことに安堵し、ただただ喜んでいるのかもしれない。そう思うと、余計に居たたまれない。
「……フィリー、オレたち、あそこを出られたよ」
 ニコがそっと囁くように、フィリーの耳許に顔を寄せて話しかけた。
「よかったね、もう大丈夫。オレたち、助かったんだ。灰色の髪のオレたちでもさ、助けてくれる人だって、ちゃんとこの世界にはいたんだよ」
 目を閉じたままのフィリーに、ニコは優しく微笑みかけた。後ろでは、ミーシアさんが、手で目許を押さえ、顔を俯かせている。
「もう、誰も、フィリーを怖い目に遭わせたりしないよ。もう、あんな真っ暗な部屋にいなくていいよ。お陽さまの下で、おもいっきり、走ったり笑ったりできるよ。オレたちは自由だ、どこにでも行ける」
 その時、フィリーの瞼が、ぴくりと今までよりも大きく動いた。
 薄っすらとそれが開いて、全員が息を呑む。
 灰色の瞳は、最初ぼんやりと虚空を彷徨い、それからゆるりとした動きで傍らのニコの姿を捉えた。
 唇がわずかに震える。わたしは、フィリーが最後の力を振り絞って、笑おうとしているのだと気づいた。
「……ニコ……」
 掠れたような、ひそやかな、けれど柔らかい響きで、その口から名前が漏れた。
 ニコも笑った。その目から、ポロポロと涙の滴を零しながら、顔中をくしゃくしゃにして、うん、と頷いた。
「フィリー、フィリー、オレたち、助かったよ。ほら、イルマの乳ももらったんだ。たくさんあるよ。フィリーの分もあるよ。これを飲んだら、きっとすぐに元気になるよ」
 ニコが、ミーシアさんから渡された器の中の黄色い液体を見せる。
「もう、大丈夫だよ。この世界には、いい人もいっぱいいる。オレたちみたいなのでも、親切にしてくれる人もいる。危険を冒して、わざわざ助けに来てくれる人もいる。世界のぜんぶがぜんぶ、オレたちに冷たいわけじゃない。オレたちを見放してるわけじゃない。ちゃんと見つけてくれて、声を聞いてくれる人もいる。だから大丈夫だよ、フィリー」
 その時になって、わたしはようやく、理解した。
 ニコももう、フィリーがどこか遠いところに行ってしまうということが、判っている。
 だからこそ、こうして、何度でも、大丈夫、大丈夫、と涙声で繰り返しているのだ。

 一人で旅立つ友達が怖くないように。寂しくないように。安心できるように。
 大きな絶望の中ではなく、少しの希望の中で、生を閉じられるように。

 首を動かすことももう難しいらしいフィリーは、それでも精一杯、頷く代わりに、瞼を閉じて、また開けた。
「……うん、ニコ。よかったね、ほんとうに、よかった……」
 その目から、涙が線を描いて下に落ちていく。
「ああ……ここは、明るいね。星も、月も、見えるね。きれいね、ニコ……」
 ほんとに、きれい。
 そう呟いて、再び瞼を閉じて。
 それっきり、開くことはなかった。
 ニコが 「フィリー」 と呼びかけながら、小さな手で、その身体に触れて、揺さぶった。
「フィリー、フィリー、起きてよ、ねえ。……っ、う、ま、また前みたいに、歌を聞かせてよ。オ……オレ、一緒に歌うから、だから……」
 うわあああん、と大きな声を上げて、ニコは思いきり泣いた。


          ***


 翌日、フィリーの小さな亡骸は、ゲナウの共同墓地に葬られた。
 本当は、それにはとても煩雑な手続きが必要だったらしいのだけど、そのあたりはハリスさんがなんとか上手いことやってくれたようだ。どんなことでも抜け道ってのはあるんでね、と片目を瞑って言ったそのやり方は、ロウガさんが聞いたらおそらく顔を顰める類のものなのだろう。本人もその自覚があるのか詳細は話さなかったし、ロウガさんも聞かなかった。なんでも正々堂々とやればいいというわけではない。
 ゲナウの街の外、小高い丘の上につくられた簡素なお墓に手を合わせ、ニコは少しだけ、ほっとした顔をした。
「ここはゲナウの街の中もよく見えていいね。人の話し声も聞こえるから賑やかだし、明るいし、フィリーもきっと気に入るよ。オレも死んだらこういう見晴らしのいいところに埋めてもらいたいなあ」
 縁起でもないことを言って、トウイに軽くぽかりと頭を殴られた。いててと頬を膨らませてから、ニコが青く広がる空を見上げる。
「……これからは、風になって、本当にどこまでも行けるね、フィリー」
 と、呟いた。
「…………」
 わたしも口を結んで、顔を上げた。

 身は地に還り、心は空に還る。

 以前、サリナさんの耳飾りを埋める時に、ミーシアさんに教わった言葉を思い出す。
 この世界では、人は死ぬと、心が肉体から解放されて空に還り、風や大気になって生者を見守っていくのだという。
 ──本当にそうであったなら。
 フィリーも、今までに死んでいった人たちも、たくさんのトウイも、風になり、大気になって、自分の大事なものを守っているんだろうか。


          ***


 フィリーの墓に別れを告げると、わたしたちはまた馬に乗って出発することにした。
 メルディさんが聞き込んできたところによると、ゲナウの街では、テトの街で起こったことは、まだまったく人の口にのぼっていないらしい。これから少しずつ、噂になり、ニュースとなり、人々の耳に衝撃と共に伝えられるのだろう。
 ついでにテトの様子も見に行ってもらったけれど、あの街はすっかり黒い瓦礫の山と成り果てて、外部からの侵入者を許さなかった壁も、ある程度形を留めていた建物も、すべて跡形もないくらいに壊れていた、ということだった。
 もう、誰も、あそこに住み着くことは出来ない。いずれ年月と共に、風化していくのを待つしかないでしょうね、とメルディさんは言った。
 中にいた人も、一人として確認できなかった。生者であれ、死者であれ、それらしい姿を見つけることも不可能だった。街の外に出られれば助かったかもしれないが、あんなに厳重に出入り口を封鎖していては、それも困難だっただろう。中に残されたままであったら、生存している確率はほぼゼロに等しい──そう聞いて、トウイは暗い表情で視線を下に落とした。


「いい気味だ」
 と、あっさりと言いきったのは、ニコだ。
 馬の背の上、わたしの前に乗っているニコ──どうしてその場所かといえば、もちろん他の二頭にはスペースの余裕がないからだ──は、メルディさんのその話を聞いても、ただ一人、まるっきり意にも介さなかった。テトの街の中にいた人々がすべて死に絶えてしまったかもしれないという話に、晴れ晴れしいくらいの笑顔を見せた。
 これが本当に、フィリーの死に泣きじゃくっていた子供と同一人物なのかと、少し背筋が寒くなるくらいに。
 そこには同情も憐憫も、カケラも存在していなかった。
「あんなやつら、死んで当たり前だ。灰色の髪の子供を殺して、フィリーも死に追いやって、自分たちのことだけしか考えなかった連中だ。もっともっと、泣いて叫んで、もがき苦しんで死ねばよかったんだ」
 無邪気なくらいの幼い声が、淡々と冷酷な言葉を紡ぐのを、ロウガさんとミーシアさんが驚いたような表情を浮かべて見ている。ハリスさんは手綱を握りながら余所を向いて知らんぷり、メルディさんは薄っすらとした笑みを湛えていた。
「そういうこと、言うなよ」
 わたしの後ろにいるトウイが、低い声でぼそりと言った。
 彼が今、どんな顔をしているのか、わたしからは見えない。けれどとにかく、笑っていないことだけは確実だと思わせる声音だったから、わたしはそちらを見なかった。
「なんでさ?」
 けれどニコは不満げに振り返って、トウイに対して言い返した。
「あの灰色の髪の男の人も言ってたじゃないか。やつらはただ、『自分よりも不幸な人間』 が欲しかっただけだって。その考えは、間違いだって。あいつらはみんな、間違ったんだ。悪いことをしたから、その報いを受けたんだ」
 まだ小さいのに、ニコはよく頭が廻る。賢く、勇気があり、行動力にも恵まれて、自分よりも人のことを考える優しい性質も持ち合わせている。
 ……でも、やっぱり。
 今まで虐げられ、傷つけられた分、この子の心はどこかが暗く歪んでしまっている。
「俺の前で、リンシンの話はするな」
 背後から聞こえるトウイの声が、ますます低くなった。それに比例するように、ニコの目つきと口調も、ますます意固地なものになる。
「なんでさ。あの人、いい人だよ。フィリーを助けてくれたもの。あいつらを殺したのがいけないの? でもさ、あいつらだってさ……」
「いいから、前を向け。落っこちるぞ」
 トウイの手が伸びてきて、ニコの頭を掴んで強引に向きを変えさせる。ニコは渋々といった感じだったけれど、それ以上は何も言わず、大人しく前方を向いた。
 わたしは黙ったまま、すぐ前にある灰色の小さなつむじに意識を向ける。
 自分の指の先が震えていることを、トウイには知られたくなかった。


 ……あの人、リンシンさんは。
 まるで、「もう一人のわたし」 だ。
 なぜならあの時──トウイがニコを助ける間、建物の裏で一人待っている時、わたしは頭の片隅で、考えていたはずだから。
 すっかり身に染みついてしまった習性により、トウイを死なせないための、あらゆる可能性を模索している過程で。
 ──テトの中にいる人たちすべてを殺してしまえば安全だ、と。
 フィリーを助けに行こうとしていたトウイ。彼はわたしと子供を助けるために、自分の安全を確保することを肯ってくれたけど、逃がした後もそうしてくれるかどうかは判らなかった。
 ただでさえ、問答無用で襲いかかってくるような相手なのだ。いくら戦闘能力に差があるからって、トウイ一人で街の真ん中に行ったら、その後はどうなるか判らない。
 ……だったら。
 彼を止めることが出来ないのなら、先に行って、そこにいる人々をみんな倒してしまえばいいのでは?
 取るべき道の一つとして、あの時のわたしが、そう考えていたのは事実。

 トウイ以外の人間がみーんな死んでしまえば、ゲームは確実にキミの勝ち。

 以前、神獣が口にしたその言葉が、常にわたしの胸のどこか、身体の一部分に引っかかっている。
 それはもう、剥がすことも、払うことも出来ない呪いだ。危機が訪れるたび、じわじわと内部に浸食してくるその考えを、わたしは完全には振りほどけない。
 時々、目の前に立ち塞がる誰かが、ただの障害物にしか見えなくなる。大神官の首を刎ねてやろうとしたあの時のように、自分の中の苛立ちを律することが困難になる。わたしからトウイを奪おうとするものは、誰であろうと敵にしか見えない。邪魔、邪魔、邪魔──と、それだけしか考えられなくなることが、確かにある。
 100日間。
 その期間、ただ死なせなければいい、というわけじゃない。トウイが危ない目に遭わないよう、箱の中に閉じ込めておいても、意味がない。それでは本当の意味で 「トウイを助ける」 ことにはならない。
 トウイはトウイのまま、生きなければ。無謀で、無鉄砲で、でも、救いを求める手、失われるかもしれない命をどうしても見過ごせない、健全でまっすぐな心のトウイのまま。
 最初のトウイ、わたしに手を差し伸べてくれたトウイ、わたしが生きて欲しいと願ったのは、そういうトウイだから。
 でも。
 ……わたしは今のわたしを、いつまで保っていられるだろう。
 いつかわたしも、リンシンさんのように、行く手に塞がるすべての人の首を切り落とし、ただ障害物を排除しただけ、と笑いながら言うようになるのではないか。

 あの人は、ごく近い未来の、わたし自身の姿なのかもしれない。


          ***


 ニコが以前住んでいたのは、グレディールという街なのだそうだ。
 赤ん坊の頃に両親と死に別れ、ニコはその街で 「おじさん」 と呼ぶ人に引き取られ、育てられていたという。おじさんというのは親戚なのかと訊ねても違うと言い、じゃあ両親の知り合いなのかと訊ねても違うと言う。どうやらニコはその人物についてあまり話したくないようで、おじさんはおじさんだよ、という、まったく要領を得ない答えが返ってくるばかりだった。
「グレディールというと、かなり先だな」
 ハリスさんが、ニーヴァの地図を見ながらそう呟いた。
「馬でも到着するまで数日かかる。テトに住んでいたやつらは、もともとはどこにいて、どうしてあそこに移ってきたんだろう。知ってるか?」
 その問いに、ニコは首を横に振った。
「ううん、知らない。オレがグレディールから連れだされた時にはもう、灰色の髪の子供が二人いた。そのうちの一人がフィリー。それからテトに向かう途中で、もう一人増えた」
「移動の道中で、子供を攫ってたってことか……」
 ハリスさんは独り言のように言いながら、苦々しい表情になった。最初からテトが目的地だったのか、あるいはたまたま都合の良い隠れ場所として見つけたのがあの街だったのか、それはもう知りようのないことだ。
「とりあえずグレディールという街に向かって進めば、あの人たちの足取りも少しは掴めるかもしれない、ということですね」
 わたしは少し考えて、そう言った。
 彼らが何をしようとしていたのか。信奉していたのはどんな神だったのか。それらを直接聞きだす手立てがなくなってしまった以上、せめて進んできた道を逆行しながら辿っていくしかない。
「それしかないようですね。どっちにしろ、その子をグレディールに連れて行かなきゃならないわけだし」
 ニコは、育った街に帰れると判っても、まったく嬉しそうな顔をしなかった。口を噤み、馬に跨ったまま、短い足をぶらぶらさせる。わたしでも、馬に慣れるまではけっこう時間がかかったのに、どうしてこの子はこんなにもあっという間に順応してるんだろう。
「ニコは何歳なの?」
「え?」
 わたしが問いかけると、ニコがこちらを振り向いた。それだけでなく、他の馬に乗った四人も一斉に振り向いた。計十個の目が自分に向けられて、ちょっと引いてしまう。
「……どうしました?」
「いえ、シイナさまが他人にそんな個人的なことを聞くのを、はじめて耳にしたもので。一応人並みに好奇心くらいはあったんですねえ」
 へえー、と珍しそうな顔をしたメルディさんに、まじまじと見つめられた。どう見ても十歳に満たないくらいなのに上手に馬に乗れているのが悔しかったから、という理由を悟られないよう、わたしはそっぽを向いた。
「そういえば俺、年齢を聞かれたことない」
 後ろでトウイがぼそぼそ言っている。十八歳でしょ、知ってるよ。
「シイナさまは、俺より年下ですよね?」
「…………」
 今になって、それ? となんとなくムッとする。年齢を聞くんじゃなくて、年下でしょ? という確認がまた腹立たしい。年上美女しか興味がありませんか、ああそうですか。
「十六です」
「ですよね、それくらいですよね、やっぱり。俺は……」
「十五歳くらいですか」
「違いますよ! 十八! え、もしかして今まで俺、ずっと年下だと思われてた?!」
 冗談だよ。
「オレ……いくつだろ」
 ニコがそう言って、首を捻っているのは、どうやら冗談ではないらしい。本気で当惑したようなその表情に、わたしはひとつ瞬きをした。
「わからないの?」
「わかんない。そんなこと、今まで誰にも聞かれたことがなかった」
「学校、とかは」
「行ったことない。食べた分は働いて返せって、朝から夜までずっとおじさんの仕事を手伝って忙しかったし。ちょっとでも休むと殴られるからさあ」
「…………」
 その言葉だけで、テトに連れて行かれる前も、ニコの人生があまり楽しいものではなかったらしいことが察せられて、わたしもトウイも返事を出せなかった。ニコが自分を憐れむでもなく、へへへと笑っているから、余計に痛ましい。
「けど、時計は読めるよ。日付もわかる。字も、簡単なのなら書ける。あの手紙、ちゃんと読めたろ? おじさんの目を掠めてさ、こっそり自分で勉強したんだ」
 そう言って、自慢げに胸を反らした。
「けど、計算は、あんまり出来ない。数も、大きいところまではよくわかんない。もっと計算が出来たら、ものを買う時、釣りを誤魔化されたりしないんだけどなあ」
 知恵は廻るけれど、知識はない。ニコは、非常にアンバランスな子供だった。
「あ、でも、フィリーは十一だって言ってたよ。オレはフィリーよりもちっちゃいから、齢も下なんだと思う」
 この未発達な痩せた身体は、ひょっとすると、テトに来るよりも前から、充分食料を与えられていなかったから、というのもあるかもしれない。十歳未満だろう、というのはわたしの勝手な推測で、あるいはフィリーと年齢はそう変わらないという場合も考えられる。
「じゃあニコ、グレディールに着くまで、たくさん時間があることだし」
「ん?」
「一緒に計算の勉強をしようか。これからいろんな街を廻るから、買い物も何度かすると思う」
「うん!」
 わたしの提案に、ニコが目をキラキラさせて元気よく頷く。後ろから伸びてきたトウイの手が、その頭にぽんと置かれて、灰色の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「いっぱいメシも食って、元気にならなきゃダメだぞ」
「うん!」
「戦い方も教えてやるからさ、おじさんに殴られそうになったら反撃しろ」
「うん! へへへ」
「その前に真っ黒になったお前の身体、どうにかしないとな。途中で綺麗な川を見つけたら、洗ってやるよ」
「…………」
 今まで嬉しそうにしていたニコが、ぴたりと押し黙った。わたしも黙った。トウイ、なに言ってるの?
「ん?」
 トウイはわたしたち二人の反応に、怪訝そうな顔をした。まったく判っていないその顔を見て、やっと気づいた。というか、思い出した。トウイが、こういったことについて、ひどくニブいということに。
「……トウイさん」
「はい」
「わたしは十六歳です」
「は? さっき聞きましたけど」
「そして、男の子の服装をしているけど、女です」
「もちろん知ってます」
「要するに、年齢に限らず、なにごとも見た目だけで判断したらいけないということです」
「はあ」
「見た目だけで判断したらいけないということです」
「……あの、どうして同じ台詞を繰り返すんですか」
 大事なことなので、二度言いました。
 ここまで言ってもちんぷんかんぷんな顔をしているトウイに、とうとうメルディさんが勢いよく噴き出した。ハリスさんは天を仰いでいる。ロウガさんとミーシアさんは揃って同じような怪訝な表情。ああそうか、ここにもこのテのことにニブい人たちがいたっけ……
「あのな、トウイ」
 ハリスさんが大きなため息をついて、口を開いた。
「ニコは女の子だぞ」
 ええーーー!! という三人分の叫び声が、青い空にこだました。


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