リライト・ライト・ラスト・トライ

第十章

2.鉄心



 グレディールからテトへとやって来た人々の道筋を逆に辿ってみるといっても、その間にはいくつもの街があるので、彼らがどこへ立ち寄ったかを推測するのは、正直かなり難しい。
 その間一緒にいたニコにしても、ほとんど荷車の中に押し込まれていたので途中の景色もろくに見ていないと言うし、街に行って子供を攫ってきたり、食料をどこかから調達してきたりする役目は男たちが負っていたということだから、記憶は極めてあやふやだ。結局、地図を見ながら、勘を頼りに進んでいくしかない。
 ゲナウを出発してから数時間経って、さていよいよ今夜泊まるところをちゃんと決めないと、という段になり、馬から降りて休憩を取りがてら、みんなで相談することにした。
 この一帯はなだらかな平地が広がっていて、テト近辺とは違い視界を遮るような岩もなく、のどかな田畑と、街中ほど多くはないけれど人家もあった。手頃な木陰を見つけて馬を繋ぎ、めいめい腰を落ち着け水分を摂る。
「食べ物を手に入れるにしても、子供を探すにしても、あんまり小さすぎる街は選ばないんじゃないかと思うんですよね」
 ニーヴァの地図と睨めっこしながら、そう言ったのはメルディさん。ロウガさんも、その意見に 「そうだな」 と同意した。
「小さなところだと、それだけ目立ちやすいからな。何をするにしろ、あまり真っ当な手段をとるような連中でもなかったようだし、それならなるべく人目に立ちにくいところを選ぶだろうな」
「そうですね……」
 わたしも頷いた。詳しいことは何も判らないとしても、おそらくテトの街にいた人々の 「信仰」 は、あちこちで教義を説いてより多くの信者を募る、という大っぴらなものではなかったと思う。生贄を捧げるなんて馬鹿げた儀式から、それが清く正しく美しいものなどではないことは察せられるけれど、街のあの厳重な封鎖ぶりを考えても、彼らは出来る限り人の目から逃れるように、ひっそりこっそりと行動していたのではないか。
 あれ、でも。
 彼らはテトに行き着くまでに、間違いなく明らかな犯罪行為をしているわけだから──
「子供が最低でも四人は攫われているのだから、すでにいろんなところで騒ぎになっているんじゃありませんか?」
 だったらそんなに苦もなく経路が判明するのでは? というつもりで地図から顔を上げて他の人たちを見ると、みんなは揃ってなんとなく複雑な表情をしてこちらを見返していた。
「……いや、それは少々楽観的にすぎますね」
 ハリスさんにそう言われて、わたしは首を傾げる。そうなのかな? でも、いくらこちらの世界の治安があまり良くないといっても、れっきとした誘拐事件なわけだし、周りの人間が気づかないはずないと思うんだけど。
「どうして子供が攫われたら、騒ぐんだ?」
 その問いを発したのは、わたしのすぐ隣で、さっきから一心不乱にパンを口に押し込んでいたニコだ。そちらを見ると、ぱんぱんに膨らませた両の頬をむぐむぐと動かしながら、きょとんと目を瞬いている。
「だって、親、とか」
「オレにもフィリーにも、親はいない。他の二人もたぶん、いないと思う。いたとしたって、騒いだりしない。むしろ、ホッとするんじゃないか?」
「…………」

 ホッとする?

「だって、灰色の髪だもん。生まれた子供の髪が灰色だったら、すぐにその子を捨てる親のほうが多いんだぞ。育てたって周りの人からはよく思われないしな。そういう子供がいなくなっても、別に誰も気にしたりしないだろ?」
 ニコはその台詞を、どこまでも普通のことのように自分の口から出していた。この子にとって、それは本当に、わざわざ心を揺らすほどのことでもない、当たり前のことなのだと、イヤでも理解できる口調と表情で。
「ニコ、あちらに干し肉もあるのよ。食べる?」
 わたしが言葉に詰まっていると、代わりにミーシアさんが優しい笑顔で話しかけた。ニコがまだパンを頬張ったまま、「うん!」 と飛び上がるようにして立ち上がる。
 二人が繋がれている馬のほうに行くのを見届けてから、わたしは改めて、その場の四人に視線を向けた。
「──ま、そういうことです」
 ハリスさんが、肩を竦めてすんなりと認める。咄嗟に、どう返していいのか判らなかった。
「……灰色の髪、っていうのは、そこまで」
「あからさまに差別されていますね。生まれた子供の髪が灰色だったら捨てられることが多い、っていうのも事実です。あの子の親も、本当のところ、死んだかどうかは怪しいものじゃないですかねえ」
 面白がるような顔つきはいつもと同じだけど、声の音量はかなり抑え目にしてメルディさんが言った。
「でも、灰色の髪は異国民同士の血が混じって生まれるもの、なんですよね?」
 この世界には草原地帯は別にして七つの国があり、それぞれがすべて友好的な関係であるわけではないけれど、国ごとに閉鎖的というわけでもない。国境はあっても、基本、他国への出入りは自由だし、許可をとれば住むことだって可能なはず。
 だったら。
「この世界には、生まれた国が違う夫婦というのが、たくさんいるのでは?」
「もちろんいます。そういう夫婦も、異国民同士の両親の間に生まれた子供も。けれど、大体の場合はね、その子供はどちらかの髪や目の色を引き継いでいることが多いんです。たとえば父親がニーヴァ、母親がスリック出身であれば、子供の髪は赤茶か青銅のどちらか。髪の色と目の色がそれぞれの国の特色を受けて異なる、ということだってありますが、それはほとんど問題視されない。珍しい、で済む話です。──でもねえ、たまに、どちらの色でもない、灰色の髪や目をした子供が生まれることがありましてね」
 そういった子供は、非常に厭われるのだ、とメルディさんは言った。
 両親は、生まれた子供が自分たちとは似ても似つかない色を持っていることを知ると、嘆き悲しみ、次いで、嫌悪する。ニコが言うように、生後間もない赤ん坊をすぐに捨ててしまうことも多いし、自らの手で殺してしまうことすらある。どちらにしろ、この外観ではまともに育つことはないだろうと絶望する親が多いのだという。

 周囲にも、産んだ親にさえも、疎まれてしまう灰色の髪の子供。
 だから、いなくなっても、さして気にされることもない──

「そういう事情ですから、どこの街に行っても、『子供が攫われた』 と心配して駆けずり回る親、なんてのは期待しないほうがいい。聞き込んでみれば情報くらいは掴めるかもしれませんがね、そう簡単にいくものとは思わないでおくことです」
 ハリスさんに言われて、わたしは無言で頷いた。
 神ノ宮の中からは見えなかった外の世界。わたしが想像していたよりもずっと、そこには厳しい現実ばかりがある。
 でも考えてみれば、もとの世界にだって、差別というものはあった。大きなところでは、人種や肌の色や宗教の違いで。小さなところでは、学校のクラスの中、顔立ちや運動神経の上下で。
 一朝一夕に片付くものではない。異世界から来たわたしが、そんなのはひどいと憤ってもはじまらない。みんながみんな、灰色の髪の子供を見下しているわけではないというのは、ここにいる人たちを見れば判ることだけれど、だからってそれが救いになるほど世界の仕組みは単純なものでもないだろう。
「じゃあ、リンシンさんも、苦労したんでしょうね」
 灰色の髪、というところからそちらに連想が飛んで、何気なくそう呟くと、今まで唇を引き結んで手元の器に目をやっていたトウイが、じろりと睨んできた。

「……あいつに同情する気ですか」
「は?」

 低い声で問われて、ちょっと戸惑う。同情もなにも、わたしはまだあの人について何も知らないのだし、そんな感情を抱くような相手でもないのだけど。
「あいつがどういう男かは、もうよくわかったはずでしょ。人を殺すことを、なんとも思わないようなやつなんです。灰色の髪だからって、今までどんな育ち方をしてきたって、口ばっかり上手くたって、絶対に信用したらダメですよ」
「信用とか、そういうことではなく……」
 顔色ひとつ変えずに剣を振るって人の命を奪うリンシンさんは、もしかすると、わたしの未来の姿であるかもしれないので、心に引っかかっているだけだ。
 でも、それをそのまま口に乗せるわけにもいかない。わたしがはっきり反論しないでいると、トウイは苛々したように、大きく鼻息を吐きだした。どうも彼の中では、もう完全に、リンシンさんは 「敵」 だと見なされているらしい。
「まあ、一般的に、灰色が濃いほど周囲からは厭われる傾向にあるのは確かです」
 いきなりピリピリと空気を尖らせはじめたトウイを横目に、メルディさんが軽い口調で説明してくれた。
「そういえば、リンシンさんの髪は、ニコやフィリーよりも濃い色でしたね」
 あの姿を思い出しながらそう言ったら、トウイにまた睨まれた。名前を出すだけで、そこまで怖い顔をしなくてもいいんじゃないかな。
「まあ生い立ちはともかく、一筋縄ではいかない相手であるのは間違いないでしょうがね」
 というハリスさんの言葉に、ロウガさんも肯った。
「どうやら 『真の神』 の件にも一枚噛んでいるようだしな」
 リンシンさんはあの時はっきりと、「後始末」 と言い、「自分で蒔いた種」 とも言った。どのような形にせよ、テトの街にいた人々が崇めていたという神について、彼自身が関わっていた可能性が高い。
「やっぱりどこかの国の工作員なのか……」
「ニーヴァを混乱させることが目的なんですかね」
「でも神獣の存在があるのに、そう簡単には」
 ロウガさん、ハリスさん、メルディさんの三人が、ぼそぼそと話し合っているというのに、トウイはむっとした顔つきのまま黙っている。わたしはわたしで、別の方角に思考を向けていたので、その声はあまり耳に届かなかった。
 リンシンさんが何者にしろ、どうにも釈然としないことがある。

 ──なぜ彼はいつも、トウイを助けて(・・・・・・・)くれるんだろう?


          ***


「シイナさまー!」
 屈託のない声に呼ばれて、我に返った。
「ミーシアさんが、シイナさまにも持っていってあげなさい、って」
 笑顔のニコが干し肉を差し出してきたので、ありがとう、と受け取って、指で毟って口に入れた。もう干し肉ごときに振り回されるわたしではない。ニコに馬鹿にされずに済んでよかった。
「みんなの話、まだ長引きそうかなあ」
 顔を寄せ合って真剣に討論している三人の姿を見ながら、ニコがうずうずした顔で言う。じっと待っているのが退屈、ということのようだ。ほんのちょっと前まで小さな家の中に閉じ込められ、友達の死まで経験したというのに、この子供には眩しいほどの生命力が溢れている。
 すごいな──とわたしは素直に思う。

 この子の強い心のひとかけらでも、自分にあったならよかったのに。

「ねえシイナさま、みんなが話してる間、あそこに行ってきてもいい?」
 ニコは、強いだけでなく、非常に順応力も高かった。ごく短時間のうちに、すっかりわたしたち一行に馴染んでしまい、強面のロウガさんにもなんら怯むことなく話しかけたりする。ちょっと癖のあるハリスさんにもメルディさんにも物怖じせず、馬とさえ仲良くなった。
 しかしその一方で、わたしたちの素性にも、どこから来て、何の目的で旅をしているのかということにも、まったくと言っていいほど興味を持たなかった。どう説明しようかと考えるまでもなく、そもそも聞きもしないので、拍子抜けしたほどだ。
 わたしのことも、みんながそう呼ぶからという理由だけで、「シイナさま」 と呼び、けれどその意味は、これっぽっちも考えるつもりはないらしかった。
「あそこ?」
「あの森の中。食べられる実が成ってるかもしれない。オレさ、そういうの見つけるの得意なんだ。いっぱい取ってきて、みんなにも食べさせてやるよ」
 ニコが指差す方向には確かに森があるけれど、葉っぱが縦横無尽に茂っていて、ここからは中の様子がまったく見えない。
「あそこに、ニコ一人で?」
「うん。平気だよ、オレ木登りも得意だから」
「そういうことじゃなく、危ないからだめ。外は明るくても、あの中は暗そうだし」
「オレ、目はいいんだ。暗くてもちゃんと木を選べるよ」
「だからそういうことじゃなく、一人で行ったら危ないでしょう? あとで、みんなと一緒に行こう」
「なんで? みんなで行ったほうがたくさん実が取れるから? けど、そんなにいっぱいあっても、腐っちゃうよ?」
「…………」
 なんだか話が噛み合わない。
 どう言おう、と続きを思案していると、わたしたちのやり取りを眺めていたトウイが、「俺がついていくからいいですよ」 と言ってくれた。
「ロウガさんとハリスさんがいるから、抜けても平気でしょう。俺も気分転換をしたいし」
 本人にも、今の自分が不機嫌さを持て余している、という自覚はあるようだ。ちょっと待ってろ、とニコに言ってから、口許に持っていった器を傾け、残っている水をごくごくと飲み干していく。
「別にオレ一人でいいのに。トウイは疲れてるんだろ、休んでなよ」
 大人びたことを言うニコに、ミーシアさんがくすくす笑った。わたしは少し考えてから、話をしている三人のほうを手で示し、聞いてみた。
「ニコ、あの人たちの名前は?」
「えー、なんだよ、突然。ちゃんと覚えてるよ、ロウガさんと、ハリスさんと、メルディさんだろ」
「…………。じゃ、あの人は」
「トウイ」
 ニコがけろりとして言いきるので、ミーシアさんがますます笑う。どうしてトウイだけ呼び捨てなんだろう。フィリーの弔いを終えたあとで、ロウガさんとハリスさんからこってり絞られたところを見ているからかな。
「わたしも普通に呼んでいいよ」
 こんなちっちゃい子供にまで 「さま」 づけで呼ばれるのは、正直、居心地が悪い。年齢でいえばわたしのほうがトウイよりも下のわけだし、守護人云々の事情を知らないニコなら、敬称をつけて呼ぶ必要もないだろう。
 けれど、ニコは丸い目をくりっとさせて、「えー、でもさ」 と首を傾げた。
「トウイが、シイナさまは、『大事な人』 だって」

 その時突然、トウイが飲んでいた水をぶはっと噴いた。

 ミーシアさんが、うんうんと頷いて、そうね、シイナさまは大事な方だものね、としみじみ噛みしめるように言っている。
「ああ……」
 わたしも納得した。
 大神官が何かというと、「神獣の守護人は国にとって、神ノ宮にとって、大事なお方ですから」 って、しつこく言ってたもんね。その前半部分は省略せざるを得なかったんだろうけど……だからって後半部分だけ言ったって、ニコには意味が判らないんじゃないかな。
「でもそれは、こちらの事情だから」
 ニコは気にしなくてもいい、と続けようとしたところで、すぐ前にあった子供の姿が消えた。
 ん? と目を上げると、赤い顔をしたトウイが、まるで猫を捕まえるようにニコの身体を抱き上げている。
「よしニコ、森だな、行こう行こうすぐ行こう」
 なんでそんなに慌ててるんだろ。
「え、でも今、シイナさまと話……」
 トウイを見上げるニコも、ぽかんとした顔だ。
「いいから。その前に、俺と男同士の話をちょっと」
「オレ、女だってば」
「いいから、とにかく、あの話は……」
 トウイと、その腕に抱かれたニコが、ひそひそと内緒話を交わしながら森に向かっていく。詳しい内容は聞こえないけど、ニコが不思議そうに 「なんで?」 を連発するのに対し、耳を赤く染めたトウイはひたすら、いいから、とゴリ押ししているようだった。
 小さくなっていく二つの背中を見送り、ミーシアさんが楽しそうに微笑んだ。
「あの二人はとても仲がいいのですねえ」
「……そうですね」
 精神年齢が近いからじゃないでしょうか、という言葉を、わたしは呑み込んだ。


          ***


 その夜は、サザニという街に泊まることになった。
 ゲナウよりも格段に規模の小さい街だったけれど、厩のある宿屋もあったし、食べるところや食料の補充が出来るお店もあるのだから、文句はない。これから、草原地帯のほうに向かうにつれ、宿泊場所を見つけるのも簡単ではなくなっていくかもしれない、という話だ。
 ただ、メルディさんによると、サザニは少々評判のよくない街であるらしい。
「この街の後ろ盾になっている人物が、ちょいとタチの悪いやつでしてねえ。本人は表立って悪事をするわけじゃないんですが、いろいろと汚い手を使って暗躍したりするんですよ。まあ、つまらない小悪党、といえばそうですが、街の中にはその権力者の笠を着た下っ端たちがのさばって、人々にちょっかいをかけては楽しんだりするわけです。大した危険はないと思いますけど、不愉快な思いはするかもしれませんね」
 その言葉どおり、街に入った直後から、いかにもチンピラっぽい男の人たちが、あちこちで目につくようになった。ミーシアさんとメルディさんを見て、薄笑いを浮かべて下品な言葉をかけてきたりするものだから、ロウガさんは眉を吊り上げっぱなしだ。
 どう考えても実力の差ははっきりしているし、無視していればそれ以上絡んでくることもない。でも、暗くなればなるほどそういう人たちはますます増えていく、ということだったので、街中に出て話を聞くのは、明日の朝になってからにしよう、ということになった。
 宿屋の部屋はゲナウと同じように、三人部屋を二つとった。
 ニコは女の子なので、わたしたちと一緒の部屋だけど、ベッドは三つだ。どうせメルディさんはまた夜中になったら出かけるのだろうから、ニコがひとつ使えばいい、というわたしの主張に対し、メルディさんはぎゃいぎゃいと文句を言った。
「いやですよ、じゃあ私はどこに寝るんです」
「床に寝ればいいのでは?」
「いやですよ!」
「毛布があるから大丈夫です」
「何が大丈夫なんです?! どう考えても、その小さな子が寝台をまるまる占領するっておかしいでしょう。それだったら一緒に寝ます……って、ちょっとシイナさま、なんで剣の柄を握ってるんですか」
「この変態……女装の上にロリコンか」
「なんかぶつぶつ小声で言ってるけど、聞こえてますよ! 申し上げておきますけど、私にそういう趣味はまったくございませんから! そんなに気に入らないなら、シイナさまがその子と一緒に寝たらどうなんです!」
「まあ、それはいい考えだわ、メルディ!」
 は?
 今までわたしとメルディさんの言い合いをおろおろと見ていたミーシアさんが、ここで唐突に、晴れ晴れとした笑顔で手を打った。
「そういたしましょう、シイナさま。ニコと同じ寝台でお眠り下さいませ」
「あのさー、オレ、別に寝台でなくても」
「いいの、いいのよ、ニコ。シイナさまと一緒に寝なさい。私の寝台とぴったりくっつければ、落ちることもないだろうし。そうだわ、そうしましょう」
「でも」
「シイナさまも、それでよろしいですよね? ね?」
「…………」
 朗らかに、でも強引に、ミーシアさんに念押しされて、わたしは、はい、と頷くしかなかった。



 ……それは、「何回目」 のことだっただろう。
 はっきりしているのは、まだ、わたしが神獣の剣の存在を知らない頃、ということだ。
 自分で戦うということを、思いもつかなかった。やって来る災厄に怯えることしか出来なかった、あの頃。無力でちっぽけな──いいや、でも、それは今と同じか。
 何が原因で、どういう流れだったのかさえも、よく覚えていない。どんどん重なっていく記憶に押し潰されるようにして、わたしの頭からは、過去の細かいところは徐々に混乱し、掻き回され、消えていく。ぼろぼろと、薄紙が剥がれていくように、少しずつ、少しずつ、不必要な部分が欠落していく。
 けれど、毎回、鮮明に覚えていることがある。
 トウイの死に様だ。
 どうして、どうやって、彼の命が失われたのか、それだけはすべて覚えている。わたしの頭に、胸に、全身に、深くくっきりと刻み込まれている。忘れようとしても、忘れたくても、絶対にそれだけは離れていくことはない。
 何回目かのあの時は、神ノ宮に反逆者たちが大挙して押しかけてきたのだった。彼らは護衛官と警護を殺し、神官も侍女も殺して、主殿の中にまで乱暴に踏み込んできた。狙いは神獣。その神の遣いを掲げて、自分たちこそが王の代わりにこの国を治める立場になるのだと、気炎を上げていた。
 主殿の中はすでに、あちこちで人が倒れ、血が流れて、死屍累々という有様だった。苦しげな呻き声と、神ノ宮を蹂躙していく反逆者たちの足音、罵声、歓声、鬨の声が入り乱れ、いつもの静謐さは影も形もない。
 わたしは──わたしはその時、自分の私室にいた。
 警護の二人はあっという間に倒され、ロウガさんもハリスさんも、激しい戦いに巻き込まれすでに絶命していた。彼らの骸を乗り越えて、剣を手に飛び込んできたトウイは一人、部屋の中にいた反逆者の男と対峙した。
 その反逆者に、わたしは捕われていた。戦うことを知らなかったその時、どうするすべもなくて、剣を突きつけられ、神獣の許へ案内しろと強要されていたのだ。
 わたしを人質にした男は、動くな、とトウイに命じた。
 剣を捨てて、その場に跪け。さもなくば、この場で守護人を斬る、と。
 私室の入口に立ったトウイは、わたしとその男を見比べて、色を失くした顔で自分のとるべき行動に迷っていた。
「逃げて」
 わたしはそう言った。何度も言った。泣いて首を振って、トウイに向かって頼んだ。自由にはならない身体で懸命にもがき、加減のない力で掴む男の手から自分の腕を外そうとしながら、必死になってそう言った。わたしのことはいいから、逃げて、お願いだから、と。
「守護さま──」
「いいから、早く! 逃げて、逃げて、わたしのことはいいから、お願いだから!」
 何度も、何度も、そう言ったのに。
 トウイは結局、わたしの頼みを聞いてはくれなかった。彼はやっぱり、わたしを見捨てて逃げることは出来なかった。彼自身の命よりも、わたしの命を救うほうを選んだ。
 何かを言いかけて口を噤み、苦悶の表情を浮かべて、男の言うがまま、自分が持っている剣を床に投げ捨てた。
 そして、膝をついて、顔を下に向けた。
 男が剣を持ち上げる。その刃はぶうんと唸りを上げて、まっすぐにトウイの無防備な後ろ首に振り落とされた。
 わたしは声の限り、絶叫した。
「やめて、やめて、やめてええっっ!!」
 剣は止まらなかった。飛び散る血飛沫と共に、何かが宙を舞う。ごとん、と重い音を立てて、撥ねるように床に転がり、点々と血の染みをつけていく。
 あれは、あれは、トウイの──
 長く続く悲鳴を断ち切るように、ガシャン! という無慈悲な音が響いた。



「……っ!」
 目を開けると、そこは真っ暗な闇だった。
 一瞬身体が凍りついて、すぐに気づく。ここは狭間ではない。暗闇の中に、薄っすらとした明かりが灯っている。燭台でじじじと微かな音を立てて燃える炎は、ほんのりと周囲の景色を浮かび上がらせていた。
 質素な部屋。飾り気のない室内。隣のベッドでは、すやすやと眠るミーシアさん。
 ここは、サザニの宿屋だ。
「──……」
 ふー……という深い息を吐き出した。全身が汗びっしょりになっている。声を上げていなかっただろうか。ミーシアさんの眠りを邪魔しなかっただろうか。
 ふと、自分の腕が重いことに意識が廻った。なにこれ、と疑問に思いながら自由なほうの反対側の手で上掛けをめくってみたら、ニコが下のほうに埋もれるようにして熟睡していた。そういえば、一緒のベッドで眠ったんだっけと思い出す。
 よいしょとニコの身体を引っ張り上げて、改めて上掛けをかけてやった。顔を動かして反対隣りを見てみたら、メルディさんはいなくなっている。やっぱりベッドなんて必要なかったじゃん。
 空いたベッドに移してあげようか、それともわたしがあちらに行こうかと迷って、結局そのまま寝ることにした。よく眠っているようなのに、起こしてしまったら可哀想だ。
 ニコは口を開けて、くーかくーかと太平楽な寝息を立てている。子供というのは眠っていると余計に体温が高くなるものなのか、隣にいるだけでぽかぽかとした熱が伝わってくるほどだった。
 そっと、すぐ傍らにある小さな手に触れる。
 そうしたら、反射のようにぎゅっと指を握られた。
 柔らかい感触と、ほっこりした温もり。耳の近くで聞こえる、安らかな寝息。気持ちよさそうな寝顔につられ、こちらまで眠りに引き込まれる。
 ……今度は悪夢を見ないで済みそうだ、と目を閉じながらぼんやり思った。


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