リライト・ライト・ラスト・トライ

第十章

3.笑門



 朝起きると、ベッドの中にニコの姿はなかった。
 どこに行ったのかな、と思いながら部屋を出て食堂に行くと、トウイたち三人と一緒にちょこんと椅子に座っていた。いつの間にか戻っていたらしいメルディさんもいる。
「おはよう、シイナさま、ミーシアさん!」
 元気に挨拶してくるニコは、ずいぶん血色がいい。痩せているのは同じだけど、テトの街にいた時の青白い顔に比べると、ずっと健康そうに見えた。
「おはよう。早起きして体操でもした?」
「あのね、トウイたちが外でそーちょーくんれんっていうのしてたから、オレもちょっとだけ入れてもらったんだよ」
 早朝訓練、か。
 へえー、三人はそんなことしてたのか。そういえばゲナウの宿屋でも、食堂で顔を合わせた時の顔は、ちっとも寝起きって感じじゃなかったもんね。きっと空が白みはじめる前くらいから起きだして、体をほぐしていたのだろう。
「ふーん。訓練」
 呟いただけなのに、トウイとロウガさんとハリスさんは、揃って明後日の方向に視線を逸らし、わたしと目を合わせようとしなかった。まだ、見学したい、とも、参加したい、とも、馬に乗ってばかりでなまっているからちょうどよかった、とも言ってないのに。
「腹減っただろ、ニコ。さあ食べようぜ」
 トウイがわざとらしい口調で言って、話題を強引に捻じ曲げた。逃げの口実にされたとはまったく判っていないニコが、うん! と嬉しそうに頷いて素直にテーブルの上のパンに手を伸ばす。
「街の様子はどうですか?」
 ものも言わず食べ物を次々に口の中に押し込んでいくニコを見るともなしに見ながら、メルディさんに聞いてみる。食欲旺盛なのはいいけど、もうちょっと落ち着いて食べることを教えてあげたほうがいいんじゃないかな。
「まあ、お世辞にも居心地のいいところじゃございません。街のあちこちで、低俗な輩が大きな顔してのさばってるんじゃあねえ。私のような美女は、ちょっと散歩してるだけで路地に連れ込まれそうになったりして、油断がならないったら」
「そんな状態なんですか」
 肩を竦めて返された答えに、ちょっと呆れてしまう。メルディさんを路地に連れ込んだって別に楽しいことは何もないと思うけど、そんなことを平気でする人がいる、というのは相当この街の治安が悪いことの表れではないだろうか。
「警察はやっぱりアテにはならないんですか」
「そりゃそうでしょう。なにしろ街を牛耳ってるのがそもそも悪党なんですから。ここで何が起ころうが、がっちり賄賂を握らされている警察は指一本動かしゃしませんよ」
「自警団はいないのか?」
 と聞いたのはロウガさんだった。自警団? と首を傾げるわたしを見て、簡単に説明してくれた。

 なんでも、治安警察というものは、階級が上の権力者か、あるいは金持ちのためにあるような組織なので、街の小さなイザコザなどにはまったく関心を示さない。その代わりどの街でも、大抵は自警団というものが作られているのだという。
 自警団は民による民のための治安組織だ。その街の、多少なり腕の覚えがある男たちが集まって結成するものもあれば、余所から人を雇う場合もある。それにかかるお金は、街の人たちが少しずつ出し合って負担するのが普通、ということらしかった。

「一応はありますがね。その自警団の男たちが一緒になって悪さをするってんだから、お話になりませんよ。街の住人たちは、自分たちの安全は自分たちで守るしかない。商売するのにもいちいち金を払わなきゃ、裏に表になんだかんだと妨害行為をされるようでねえ」
 お父さんがたまにDVDで観ていた、昔の西部劇みたいな感じなのかな、とわたしは思った。無法者ばかりが住む街では、暴力や金銭で保安官も骨抜きにされている。そのため治安は乱れ、善良な人々は怯えて暮らすしかない──
 日本という法治国家に馴染んだわたしには、そういう記憶の中の創作物に頼らないと、この街の現状を想像するのも難しかった。
「悪党には住みやすい街でしょうけど、その分一般の住人は他のところよりも警戒心が強い。特に、見慣れない顔には厳しいですね。私も声をかけた女性には、ことごとく逃げられてしまいましたよ」
「へえ……同性でもそうなのか」
 驚いたようにトウイに言われて、メルディさんはようやく今の自分の性別を思い出したらしい。ごほんごほんと咳払いをしはじめて、ハリスさんに冷たい目を向けられた。
「いえ、とにかくまあ、そういうことなので、テトにいた連中がここに立ち寄ったかどうかはまだなんとも言えない、と」
 その言葉に、ニコを除いた全員が、うーんと唸る。
「そんなに住人の警戒心が強いのなら、来たとしてもすぐに引き返すだろう」
「でも極力他人には関わろうとしないというこの街の空気は、逆に連中には都合がよかったんじゃ?」
「痩せて弱々しいやつらだから、こんなところじゃいいカモにされるだけでしょう」
「そうやって被害者になっていたほうが目立たない、というのはありますけどねえ」
 ロウガさん、ハリスさん、トウイ、メルディさんの四人がそれぞれ意見を出すけれど、どうにも埒が明かない。ミーシアさんは神妙な表情で黙って耳を傾け、対照的にニコは人の声なんて聞こえないかのように、両手に持った食べ物だけを見つめ、ひたすら口を動かしていた。
「…………」

 昨日も思ったけど、リスが頬袋いっぱいに食べ物を詰め込んで、もぐもぐ食べる姿に似てる。
 そういえば、目が真ん丸でくりくりしているところも似てるし。きっと、今のこの小さな頭の中は、目の前の食べ物のことだけで埋まっているのだろう。
 そう思ったら、ニコの頭とお尻に、パタパタ動くふさふさの耳とシッポの幻が見えた。

「なんだお前、このほっぺた」
 わたしの目線の先に気づいたのか、トウイがぷっと噴き出した。
 ぱっつんぱっつんに膨らんだニコの頬を指で突っつき、きゅっとつまむ。ようやく食べ物から意識を離したニコは、目をぱちぱちさせてトウイを見た。
「らんらよう」
「入れすぎだって。誰も取りゃしないからゆっくり食えよ」
 そう言って、わたしに目を向けたトウイは、口許に浮かべていた笑いを引っ込め、少し戸惑ったような顔になった。
「シイナさま、どうしました?」
「……どうしたって、何がです?」
「なんか、むっとしてません?」
「そんなことありません」
「今、手を上げかけてたの止めましたよね」
「そんなことしてません」
「もしかして、自分もやりたかったのにずるい、とか思ってません?」
 別にそんなこと全然まったく思ってないし!
「──とにかく、外に出てみましょう。用意してきます」
 わたしは椅子から立ち上がり、先に部屋に戻ることにした。


          ***


 部屋のドアを開けて、一歩足を踏み入れ、そこで動きを止める。
「──……」
 呼吸を忘れそうになったのは一瞬で、なんとかぎこちないながら、ゆっくり息を吐きだすことに成功した。
 でも、すぐさま平常心を取り戻すのは容易なことじゃなかった。顔からは血の気が引き、心臓は頭に響くくらいガンガンとうるさく鳴り立てている。とりあえず、先日ほど無様に取り乱さずには済んだけれど。

「やあ、ボクの守護人」

 真っ白な部屋の中央でニコニコ笑う神獣に、挨拶を返すつもりなんてわたしには毛頭ない。いつもと同じ澄ましたその顔を冷ややかに眺めてから、ちらりと後ろを振り返った。
 サザニの宿屋に繋がっている白いドアは、きっちりと閉じられている。わたし、自分でドアを閉めたっけ? 覚えがない。
「今回はそんなにビックリしなかったね」
「二回目だからね」
「そうだねえ。キミ、一回目は腰を抜かすほど驚いていたからね。やっぱり、『二回目』 ともなると、新鮮味がなくなってしまう、ということだね」
 たっぷりと嫌味を含んだ言い方だ。目を細めた神獣が、何のことをあてこすっているのかは、すぐに判った。
「なんでも回数をこなすうちに、慣れてしまうものだよ。それに従い、感情も、感覚も、麻痺してくる。キミもそろそろ、トウイの死なんて、なんとも思わなくなりつつあるんじゃない?」
「…………」
 ぐっと拳を握る。意地になって、無表情を保ち続けた。神獣がこうして人の心を逆撫でして楽しむのはいつものことだ。それこそ、もう慣れてもいいはずなのに。
 どうして毎回、わたしの気持ちはこうもみっともないほど掻き乱されてしまうのか。
「二十回、三十回、四十回と、リセットしてやり直し、を繰り返してきたのだからね。いい加減、飽きてきたんだろう? だから神ノ宮を出て、新しい登場人物と出会ったりして、新展開を求めようとしているわけだ。今度はどんなルートを辿って主人公は死ぬんだろう。楽しみだね」
 本当に楽しそうに続くその笑い声をぶった切るように、「神獣」 と強い声を出した。
「あんた、わざわざそんなつまんないことだけを言うために、わたしの前に出てきたわけ?」
「ボクにとってはちっともつまらなくないんだ。キミと話をする時間は、とても心が安らぐ貴重なものだからね。それに、ボクがキミの前に出てきたんじゃない。キミが、ボクの許にやって来たんだ」
「そんなことはどうだっていい」
 神獣の戯言を振り捨てて、わたしは話を別の方向に変えることにした。そんなくだらないことを聞くためだけに、時間の浪費をするのは御免だ。
「ねえ、あんた前に言ってたよね、『トウイに死の危険が降りかかるように世界の運命は動く。放っておけばトウイは必ず死に、それを覆すことが出来るのはわたしだけ』 って」
「正確な流用ではないけれど、それに似たことは言ったかな」
 神獣が気楽な調子で相槌を打つ。わたしはほとんどそちらを見もせずに、白い壁に目をやって、ぼそりと続けた。

「──でも、わたし以外に、その運命に逆らう人がいる」

 世界のすべての人々が、トウイに牙を剥くわけじゃない。むしろ、個人的な理由でトウイが殺されることはほとんどない、と言ってもいい。まっすぐな性格のトウイに味方をしてくれる人だっている。
 ……けれど、トウイが死ぬのを止められる人はいない。いなかった。一人も。
 ロウガさん、ハリスさんは、毎回トウイを助けようとしてくれる。でも、結局は彼らも、運命の流れに呑み込まれてしまう。トウイの死という結末に向かって一直線に伸びる道筋を、曲げたり断ち切ったりすることは出来ない。ロウガさんもハリスさんもこの世界の一部、理の中に組み込まれている存在だから、そこから飛び出すのは不可能なのだ。
 けれどあの人──リンシンさんは、出てくるたび、トウイを死の危険から回避させる行動をとる。彼には彼の事情や思惑があるにしても、結果だけを見れば、確実にトウイの命を救っている。渦巻き、うねり、すべてを巻き込んで流れていく大きな波の中、平然と立っている。そんなことが出来る存在なんて、今までいなかったのに。
 まるであの人だけ、巡る運命の外側にいるような。
「ああ、アレね」
 神獣がくっくと笑った。
「アレは面白いね。今回はいろいろと変わった要素が出てきて、ボクもなかなか退屈しない」
 いろいろと変わった要素、とはどういう意味なのかと続きを待ったけれど、神獣はいつものごとく、詳しい説明をしてくれるつもりはまったくないらしかった。

「あの男はいわば、ゲームのバグだよ」

「バグ?」
 わたしは眉を寄せた。
「不具合、というやつさ。突如発生して、計算間違いを引き起こし、時にゲームを暴走させたり停止させたりする、厄介なシロモノだよ。四十九回もやり直していれば、そういうのも出てくるよねえ」
「……?」
 なにを言っているのか判らない。問い返そうとしたら、神獣は黄金色の瞳をにいっと細めて不気味な笑みを浮かべた。
「けれどキミはさ、そんなことより、もっと重要なことについて気づいたほうがいいと思うよ」
「──重要なこと、って」
 どくんと心臓が跳ねる。なんのことだろう。
 わたしはどんな大事なことを見落としているの?
「今はまだ小さなものでしかない。でも、いずれそのうち、影響が出てくるだろう。五十回目にしてはじめて起こった変化だ。これがどういう形で道を歪めていくのか、見ものだね」
「歪めて……」
「おや失礼。歪むとは限らないか。──でもねえ、きっと、キミにとってその変化は」
 唇の両端がきゅうっと上がり、半円を描く。
さらなる絶望(・・・・・・)のはじまりにしかならないと思うよ」
 あはははは! と神獣は愉快そうに笑った。


          ***


 叩き壊すような勢いでドアを閉めた。
 宿屋の廊下に出て、お腹の底のほうから息を吐きだす。ふらっと足許がもつれて、後ろのドアに寄りかかった。
 そのまま背中をずるずると滑らせて、しゃがみ込む。
 膝を抱え、薄汚れた板張りの床に視線を落とした。

 ……疲れた。

 言われたのは思わせぶりなことばかりで、結局何も判らずじまいだ。まあ、神獣が親切にいろいろと教えてくれる、なんて期待を持っていたわけではないけど。でも、これからさらに絶望が訪れる、という予言をされるとは思ってもいなかった。
 何度も何度も失敗して、そのたびトウイの死を目の当たりにして。
 今よりも酷い状況なんて、あるはずがないではないか。
 きっとまた新手の嫌がらせなのだろう。いちいち相手にしなければいいのに、どうしてもあの気持ちの悪い笑顔を見ると冷静さを失ってしまう。あれと顔を合わせるのが一日三回じゃなくなって、まだしもよかったと考えるべきなんだろうか。
「シイナさま、どうしたんだ?!」
 たたたっという軽い足音が聞こえた。
 顔を上げると、丸く口を開けたニコと、その後ろにいる厳しい表情をしたトウイが、こちらに向かって駆けてくるところだった。
 二人の姿を目に入れながら、もう食べ終わったのかな、とぼんやり思う。
「どうされました、シイナさま」
「気分が悪いのか?」
 口々に問いかけてくる声を聞いているうちに、少し気力を取り戻してきた。全身から飛び出していた無数の針が、すうっとまた体内に引っ込んでいく感じがする。
 ニコは同じようにしゃがみ込んで、心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。
「大丈夫。ちょっと、休憩してただけ」
「でも、顔色が悪いぞ。真っ青だ」
「そう?」
 そうなのかな。だとしたら、あの白一色の部屋は、やっぱり人体には有毒なのだろう。
「ひょっとして、また虫が出ましたか」
 トウイに訊ねられ、虫? と内心で首を傾げた。
 あ、そうか。白くて、見るだけで腹立たしくなる、けったくそわるい虫ね。わたし、そう言ったね。ぜんぜん的外れなのに、ちゃんと核心を衝いてるってすごいよ、トウイ。
「平気です。本当に少し休憩していただけで。……どこでもドアは嫌いなんです」
「は?」
 トウイの反問は聞き流し、しゃがんだまますぐ近くにあるニコの顔を眺める。まだちっとも肉がつかないなあ。もっと食べさせないとダメなのかな。
 頬っぺたをつまんで引っ張ってみたら、けっこう伸びた。肉はないけど、ぷにゅぷにゅして柔らかい。そりゃそうか、あれだけたくさん食べ物を入れられるんだもんねと思いつつ、ついでに、もう片方の頬もびよんと伸ばしてみた。
「にゃにしれるんら?」
 両方の頬っぺたをつままれて、ニコは抵抗するでもなく、間の抜けた声を上げてこちらを不思議そうに見返してくる。
 トウイが思いきり噴き出した。
「やっぱり、やりたかったんですね」
 ふんだ。
「ヒイニャひゃま、げんひにらっら?」
「うん、なった」
 へへへとニコが笑い、トウイが笑う。
 神獣のとは違って、こっちの笑顔は見るだけで、ほっと安心した。
 虚ろになりかけた胸の中に、明るい光が満ちていくみたいだった。

 さらなる絶望のはじまり、なんて。
 ……そんなわけない。

 今度こそ。
 今度こそ、きっと。


          ***


 痩せていて不健康そうで、どこかフワフワした雰囲気の、余所からやって来た人たちを見たことがありませんか。
 ということを、街に出て目についた住人たちに聞いて廻ったのだけれど、すべて空振りに終わった。
 質問の内容が曖昧すぎる、ということはあるだろう。でも、この場合、問題はたぶんそこじゃない。
 とにかく、声をかけても、誰もまともに相手にしてくれないのだ。
 ちらっとこちらを見て、「さあ」 と一言答えて逃げるように去っていく、というのはまだいいほうで、大体は、あの、と口を開いただけで、見ないフリ聞こえないフリでさっさと歩いて行ってしまう。やったことはないけど、チラシ配りとか、街頭インタビューとかをするのって、こんな感じなのかなあ、とわたしは思った。
「面倒なことには関わりたくない、っていうのが露骨ですね」
 きっとそれだけ、「面倒なこと」 に関わってイヤな思いをさせられたり、被害を受けたりした経験がある、ということなのだろう。
 街の至るところで、見るからにガラの悪い男の人たちが立っているのも、理由の一つかもしれない。彼らはニヤニヤ笑いを浮かべて、時々女性にちょっかいをかけたりしているだけで、他に何かをするわけでもない。まるで、そうやって街の人々を監視してでもいるかのようだった。
「いっそ、ああいう人たちに聞いてみたほうが早いかもしれません」
 わたしの言葉に、ハリスさんは鼻先で笑った。
「そりゃ名案ですね。どうします? ちょっと君らの話が聞きたいんだけど、と笑顔で近づいてみますか?」
「メルディさんを差し出せば、何か教えてくれるんじゃないですか」
「それは名案です」
 同じ返事なのに、今度は真顔だった。というか、その目、けっこう本気ですね?
 後ろから、渋い顔のメルディさんに 「聞こえてますよ」 と文句を言われたけど、その口調はいつもと違ってなんとなく上の空だ。何か他のことに気を取られているらしい。
「冗談はともかく、この調子じゃあまり得るものはなさそうですね」
 半ば諦めながらわたしがそう言うと、ロウガさんも頷いた。実りのない行動をしていることに対して、というより、サザニの街自体に、少々辟易したような表情をしている。
「そうですね。きっとどこかの店に入っても、反応は似たようなものでしょう」
 そもそも、テトにいた人たちがこの街に来たかどうかも定かじゃないわけだし。来たとしても、警戒心の強い者同士、気安くお喋りしていったとも考えにくい。
 だとしたらさっさとサザニには見切りをつけて、その時間の分、他の街を廻ってみたほうが建設的じゃないだろうか。
 そう口にしたら、意外にもメルディさんが真っ先に 「賛成です」 と言った。
 油断なく周囲に目を配り、音量を抑えて呟く。

「……どうも、いやな感じがするんですよね。なんていうか、粘つくような視線がずっと、こっちに向かってきてるのを感じるんです」

「? それなら」
 あちこちに立ってる人たちでしょう? と視線で問いかける。今こうして話している時でさえ、彼らはメルディさんの全身を舐めまわすような、気味の悪い目つきで眺めているのだから。
 けれどメルディさんは、違う違う、というように手を振った。
「あんな判りやすく下品で好色なものじゃなくて、もっと陰湿で物騒な気配を孕んだやつですよ。さっきから視線の元を探ってるんですけど上手くいきません。つまり、あちらもそれなりに腕が立つってことです。大した情報が望めないのなら、厄介なことにならないうちに、とっとと街を出て行くのが得策だと思いますね」
「陰湿で物騒……」
 わたしも少し緊張してそっと様子を窺ってみたけれど、まったく判らなかった。そういったことに敏い密偵のメルディさんだからこそ、気づいたということか。
 無責任な傍観者として、常に客観的な判断をするメルディさんの顔を、こんな風に顰めさせる種類のもの。
 だとしたら、わたしが下す結論は一つしかない。
「サザニを出ましょう」
 と、きっぱり言った。
 周りを睥睨しながら牽制している、傍らのトウイをちらっと見る。
 ──誰がどういう理由でこちらを注目しているにせよ、近くに災厄がありそうだと判っているのなら、この街に留まる必要はない。
「じゃあ、宿に戻って」
 言いかけて、口を閉じる。出発する前に、買い物くらいはしたほうがいいのかな、と思いついたのだ。
 次の街に着くまでにどれくらいかかるかも判らないし、準備が足りなければあとで困ることになりかねない。ニコはまだ子供だから、疲れをとるのに甘いものを必要とするかもしれない。移動するなら今のうちに全員で固まってしたほうが、トウイにとっても安全だろう。
 食料を管理しているのはミーシアさんなので、聞いてみようと振り返った。
 そして、瞬きした。

「……ミーシアさんとニコは、どうしました?」

 その場の全員が同じく背後を振り返って、立ち竦む。
 住人たちから話を聞くのに邪魔になってはいけないからと、ニコと手を繋いですぐ後ろを歩いていたはずの、ミーシアさん。
 二人の姿は、どこにもなかった。


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