リライト・ライト・ラスト・トライ

第二章

1.護衛官



 ──その扉を最初に(・・・)開けた時、わたしは何も出来ない、非力でちっぽけな女の子だった。


 わたしはその時、暗い道を、一人で歩いていた。
 部活が遅くなって、駅から家までの道のりを、少し早足で辿っているところだった。
 すでにすっかり陽は落ちて、夜空には月が顔を出し、星が瞬いている。歩道に点々と立つ街灯の明かりはあるけれど、上から照らされるその部分的な光は、届かない場所の暗さを余計に強調するだけだ。道沿いに並ぶ家々からも明かりは洩れてくるものの、閉じられたドアや窓が、こんな時間に一人で歩いているわたしという存在を弾きだしているようで、妙に孤立感を覚えさせられた。
 もう、あの先生、大会前になるとやたらと張りきっちゃうんだから──と、不安や恐怖心を、部活顧問への腹立ちにすり替えて紛らせ、足を動かす。体力を使い果たすまで運動すること自体は嫌いじゃないけれど、学校から家まで電車で一時間弱かかるわたしにとって、部活の終了時間が遅くなるのは、まったく歓迎できることではない。ただでさえ駅から自宅までの道は、あまり人通りも多くないし、お店などもない静かな住宅街が続くのだ。こんな時に限って、最近このあたり痴漢が多いんだって、などという母親から聞いた噂を思い出したりして身が縮む。
 早足は小走りのような状態になり、わたしはひたすら家を目指した。早く帰りたい。今日の夕飯は何かな。そうだ、お母さんも心配してるかもしれないから、ちょっと連絡だけしておこうかな。
 そう思い、鞄からスマホを取り出した、その時。

 ガシャン!

 金属製のシャッターが乱暴に閉じられたような、大きなレバーを引いて何かを切り替えたような、大きな音が響いた。
 それと同時に、いきなり周囲が闇に覆われた。
「えっ、なに?!」
 わたしは驚いて叫んだ。
 今まであった街灯の明かりも、近くで煌々と点いていた家の門燈の明かりも、頭上から照らしていたほのかな月の明かりも、光の一切が消えた。
 どこかからかすかに流れてきていた音楽も、遠くを走っていた車のエンジン音も、アパートの一室から聞こえていた赤ん坊の泣き声も、すべて消えた。
 ふんわり漂っていた余所の家の夕飯の匂いも、大きな庭で誇らしく咲いていた花の甘い香りも、通るたび顔を顰めていた小さな家庭菜園の肥料の臭いも、完全に消えた。
 視覚・聴覚・嗅覚で感じ取れるものの全部が、突然、わたしの周りから消失した。
 ただの高校一年生でしかなかったわたしは、そうやってある日いきなり、何の予告も前触れもなく、何もない暗闇の中に、ぽんと放り込まれたのだった。


          ***


 わたしは特別強くもないし、何も感じないほど鈍感というわけでもない。唐突に自分の身に生じた異変に、取り乱し、助けを求め、方向も判らないのに無我夢中で走り回って、その闇から逃れようとした。
 そこは、暗くてよく見えない、というものではなくて、「何もない」 場所だった。
 手を振り回しても、何にも触れない。走ることは出来るけれど、地面や床を踏んでいるような固い感触がない。履いているスニーカーはどれだけ地団駄を踏んでも音を立てず、それどころかふわふわと宙を浮いているような気がするほどに覚束ない。
 何も見えず、何も聞こえず、何にも触れられないという状況は、人を精神的に追い詰める効果しかなかった。わたしは声を限りに泣いて叫んで、お父さんとお母さんに救いを求め、呼び続けた。
 けれど、返ってくるものは、何もない。
 頭がおかしくなりそうだった。涙が滂沱のように頬を濡らすけれど、どこからも差し伸べてくる手はないことに、さらに絶望した。とうとう歩く気力もなくなって、その場にうずくまり、膝の間に顔を埋めて子供のようにわあわあ泣いた。
 ……そして泣いて泣いて、どれくらい経ったのか。
 ふと顔を上げると、前方に、薄っすらとした明かりが灯っていることに気がついた。
 真っ暗闇の中に、ぽつんとした白い明かり。わたしは飛び跳ねるような勢いで立ち上がって、すぐさま足を動かし、そちらに向かって駆けだした。
 さっきまでは絶望と恐怖心で、今度は希望と安心に心を満たし、震える足を叱咤し明かりを目指す。あれが出口だ。あそこへ行けば、この暗闇から出られる。この場所から解放される。
 ──うちに帰れる。
 しゃくり上げ、すぐに視界が滲んでくる目を何度も拳でぐいぐいと拭う。息を弾ませ、全速力で駆けた。しっかりしなくちゃ。早くあそこへ行かなくちゃ。あの光が消えてしまったら、今度こそ本当におしまいだ。

 ようやく辿り着いてみると、ぼんやりと白い光を発しているのは、一枚の扉だった。

 そこだけ場違いなほどに鮮やかな色で彩られた扉。そっと手を出してみると、ちゃんと触ることが出来た。すべすべとした石の手触りの中に、ところどころ凹凸を感じる。細かく模様が彫られているようだ。
 探してみたが、その扉に、取っ手らしきものはどこにもなかった。かといって諦められるわけもない。片側に両手を置き、力を込めてぐっと押してみる。
 それだけで、わずかだが動く気配があって、鼓動が跳ねた。よかった、やっぱりこれが外に出られる扉なんだ。これを開ければ、またもとの見慣れた景色の中に戻れるはず。
 扉は重かったけれど、わたしは精一杯力を入れて押し続けた。体重をかけ、両足を踏みしめ、歯を喰いしばり、掌に渾身の力を込める。
 ごご、という、床をこするような重い音を立てて、扉が徐々にあちら側へと開いていく。また涙が瞳から零れた。やっとこの真っ暗な場所から出られる。家に帰れる。お父さんとお母さんのところに。
 ──が。

「ようこそ、おいでくださいました、守護さま」

 そこは暗くなった歩道ではなく、街灯や家の明かりが柔らかくあたりを照らし出す外の景色でもなかった。
 ……それどころか、わたしの知る世界でもなかった。
 扉を開けたわたしの前には、たくさんの白装束の男女がずらりと並んで、平伏していた。
 がらんと広いホールのような部屋は、天井が高く、どこもかしこも灰色の石で出来ている。周りを照らしているのは、電球ではなく、電灯でもなく、ランプですらなく、一本足の高い台の上でぼうぼうと音を立てて燃えている炎だ。
 居並ぶ人たちは、みんな下を向いているから、どんな顔をしているのかよく判らない。でも彼らの髪の毛はどう見ても赤茶けた色で、わたしのような黒髪は一人もいなかった。茶色だったり金だったりする頭は見慣れていても、こんな色の髪をした人々が揃って並んでいると、違和感ばかりが膨れ上がる。
「……なに、ここ……」
 わたしは茫然と呟き、すぐ前で跪いている人たちを見て、周囲を見回した。赤茶色の頭の波の後ろでは、立っている人も少しいたけれど、その人たちの衣装もまるで見たことのないものばかりだった。
 白い布で出来た長袖の上下。きっちりと襟が詰められ、肩には房飾りがついている。足はショートブーツを履いて、胴には硬そうな革の鎧みたいなものを着けている。額に太いバンダナのようなものを巻いた彼らは、どこか厳しい眼差しでわたしを見つめながら、腰につけた剣に手をかけていた。

 ……剣?

 もしかしたらここは、何かのアトラクションが行われている場なのだろうか。わたしは何かを間違えて、その舞台に紛れ込んでしまったのだろうか。でも、じゃあ、観客は一体どこにいるのだろう。
 剣を持った人たちの中には、わたしと同じくらいの年頃の男の子もいた。あの子はバイトか何かなのかな。説明を求めたら、話をしてくれるかな。それとも、「劇」 の邪魔をするなと怒られてしまうかな。
 状況についていけず、ぼんやりと廻りに顔を巡らせながら埒もないことを考え続けていたわたしに、最前列で膝をついていたおじさんが声をかけてきた。
「神ノ宮に仕える者は、みな、あなた様の来訪を信じ、心よりお待ち申し上げておりました。守護さまにおかれましては──」
「わたし、帰りたいんですけど」
 おじさんの言葉を遮り、わたしは言った。
 ここがどこで、この人たちが何なのか、そんなことはどうだっていい。とにかく、何かの間違いで、わたしはこんなところに来てしまった。本当なら、わたしの家がある、あの場所へと戻るつもりだったのに。もしかして、あの扉みたいなものはいくつかあって、その扉ごとによって行き場所が違うのかもしれない。だとしたら、わたしが選ぶべき 「帰りの扉」 は、他にあったはずなのだ。
「ごめんなさい、わたし、間違えたんです。こんなところに来るつもりじゃなかった。帰ります」
 またあの闇の中に戻るのは嫌だったけれど、あの中にわたしの家へと通じる扉があるのなら、わたしはなんとしても、それを探して、見つけ出さなければいけない。この場所から飛行機や電車を乗り継いで帰れるということなら是非そうしたいが、どう見ても、そういう手段が選択できるとは思えなかった。
「帰るなどと──そのようなことを仰られては困ります、守護さま」
 途端におじさんの声が固くなって、わたしは背中がひやりとする。怖い。この人たち、わたしをどうするつもりなんだろう。見も知らぬ人たち、外見は日本人には見えないのに、言葉はすんなりと通じるなんておかしい。変だ、どこもかしこも変だ。わたしはこんなものに巻き込まれたくない。
 帰る。
 くるっと踵を返し、さっき開けた扉に手をかける。
 そして、愕然とした。
「……それに、もはやお帰りになるのは、不可能です」
 背中からかけられた声に、全身が震えだす。どうして? なんで? わたしが今、たった今、開けたばかりの扉。

 どうして、絵になっているの?

 爪で引っ掻いても、押しても引いても、びくともしない。掌で撫でまわして確認してみても、どこにも隆起がない。完全に壁の一部、そこにあるのは、一枚の 「扉の絵」 でしかなかった。
「いやっ……」
 唇から声が漏れた。身体から、血の気が引いていく。
 いや、いや、と頭を振りながら、がりがりと扉の絵をこすり続けた。固い石の壁は、容易くわたしの爪の先をボロボロにして削っていってしまう。しまいには半狂乱になって、わたしは絵の扉を開けようと、掻きむしり、ばんばんと叩き、懸命に押した。
「いやあっ!」
「いかん、守護さまが……お前たち、早くお止めしなさい! とりあえずこの場からお連れするのだ、決して傷をつけてはならんぞ!」
 その命令とともに、後方から駆けてきた三人の男の人たちが、わたしを拘束した。
 あっという間に、両腕を封じられ、肩の上に担がれる。彼らにしては精一杯の配慮をしながらのことだったかもしれないけれど、わたしにとってはさらなる恐怖でしかなかった。抵抗し、暴れたが、大きな腕はびくとも動じない。
 とうとう泣き出し、大声を上げた。
「いや、帰る! 助けて! 誰か! お母さん、お母さん、助けて!」
 おかあさん、と絶叫すると、わたしを担いだ男の後ろにいた男の子が、居たたまれなさそうに視線を逸らした。


          ***


 わたしはそのまま、小さな部屋に入れられて、閉じ込められた。
 部屋の中には、わたしがおかしな真似をしないようにか、代わる代わる見張りが立った。扉のあったあの広間の後方にいた三人の男の人たちが、一人ずつ交代で中に入ってきては、じっとわたしを監視するのだ。何をされるのかと身を竦ませ、真っ青になって怯えたけれど、彼らはただひたすら置物のようにドアの手前に立って、動くこともなかった。
 最初のうちこそ、ただ泣くばかりだったわたしは、時間が経つにつれて、少しずつ、落ち着きを取り戻してきた。とりあえず、危害をくわえられることはないようだ、ということが判って、少しだけ安心したためもある。
 部屋には、変わった形をした椅子やテーブル、ベッドなどの一応の設備が整っていた。見たこともないような食べ物ばかりだけれど、朝昼晩とちゃんと食事も出る。それらを運んでくれる女の人たちは、口こそきいてくれないものの、みんな丁寧で、礼儀正しかった。
 落ち着いてくるに従って、わたしは現在自分を取り囲んでいる状況を知りたくなったが、どういうわけか、最初に会ったおじさんを含めた白装束の人たちは、誰も部屋にやって来なかった。
 わたしを 「守護さま」 と呼んだのだから、あちらにはあちらの事情があるのだろう。でも、その言葉についての説明すらもない。誤解なら誤解で、早く解かないとと焦るのに、誰も来ないのでは、わたしとしても手の打ちようがなかった。
「あの」
 しょうがないので、びくびくと見張りの人たちに話しかけてみるのだが、こちらはこちらで、うんでもすんでもない。何も話してはいけない、と言われているのか、それともわたしの言葉が判らないのか、何を言っても常に無反応。同じ部屋に二人の人間がいるというのに、しーんとした沈黙に支配されるばかりである。
 一人は大柄の無表情な人で、いつも石のようにまっすぐ立って、ぴくりとも身動きしない。もう一人は背の高いまあまあ整った容姿の人で、たまに欠伸を噛み殺したりしている。この二人はわたしよりもずっと年上に見えた。二十代後半か、三十代くらい。

 そしてあと一人は、わたしとそんなに年齢が変わらなさそうな男の子。

 雰囲気としては二十代くらいにも見えるけれど、顔立ちにどこか幼さが残っているような気もするので、十代なんじゃないのかな、とわたしは勝手に思っていた。
「あの、わたし、あの白いローブみたいなものを着たおじさんとお話がしたいんですけど」
 状況から判断するに、あのおじさんが場の責任者なのだろう。そう思って何度も言ってみたが、向こうからはなんの返事もなしだ。大人の二人はそれぞれ、まったくの知らんぷりを貫き、男の子だけが少し困ったような顔をする。それでも一言も返事をしてもらえないので、わたしはため息をついて諦めるしかなかった。


 そういう監禁状態が続いて、数日。
 トイレは頼めば行かせてもらえる。様式がわたしの知っているそれとはまったく異なるのではじめはかなり戸惑ったが、慣れてしまえばさして問題なかった。食事も出る。味はあまり美味しくないけれど、どうやらこちらではご馳走の部類らしい。食欲が湧かず大部分を残すと、男の子がなんとなく羨ましそうに皿を眺めていることもあった。
 でも、お風呂に入れないのは不便だった。こちらではどうなのか判らないけれど、自分の家では朝シャンを欠かさなかったわたしとしては、ねっとりと髪の毛が重くなっていくのが不快でたまらない。汗をかくような生活ではないが、それでも汚れが身体を覆っていくような気がして、気分がよりいっそう鬱々とした。
「あの、すみません」
 わたしは意を決して、男の子にお願いすることにした。他の二人は何を言っても取りつく島がなさそうだが、彼だけはまだ取っ掛かりがありそうに見えた。
「お湯、もらえませんか」
「…………」
 腰のベルトに剣を差して、後ろで手を組みまっすぐ立っている男の子はやっぱり無言のままだったが、少し怪訝そうな顔をした。その表情に、ちょっとだけ力強さを得て、わたしは続けた。
「髪の毛とか、身体とか、洗いたいんですけど……駄目でしょうか」
 なにしろ、ここに閉じ込められているのは、虜囚という扱いなのか、それとも客という扱いなのか、わたし自身にも判らない。前者なら贅沢言うなと撥ねつけられそうだが、今までの彼らの態度から、そういうのとは違うのではないかという感じもしている。
「…………」
 彼はわたしを上から下までざっと眺めてから、わずかに困惑したように眉を寄せ、軽く片手を挙げる仕草をした。
 それが、「ちょっと待て」 というジェスチャーだと判って、嬉しくなった。これまでずっと、彼らはそんなことすらわたしに対して示したことは一度もなかったのだ。
 はじめて、人間として接してもらえたような気がする。
 彼はするっとドアの隙間から外に出ていった。ひそひそと話し声がするところから察するに、部屋の中だけではなく外にも見張りがいるらしい。どうしてここの人たちは、そんなにも厳重にわたしを閉じ込めようとするのだろう。
 また彼が入ってきて、パタンとドアを閉じる。
 それから、そっと唇に人差し指を当てた。
「……侍女に用意させる、ってさ。今、頼みに行ってもらったから、もうちょっと待ってなよ」
「え」

 喋った。

 要求が通ったことよりも、そっちのほうにびっくりした。
 ぽかんとしているわたしに向かって、彼は 「しっ」 と注意するように言った。
「今、外の見張りがいないんだ。ホントは俺、あんたとは口をきいちゃいけないことになってる」
「あ、うん」
 慌ててわたしも口を手で覆い、声のトーンを落とす。事情はさっぱり掴めないながら、現在の彼が、どうやら立場的にまずい行為をしていることは推測できた。喋ってくれたのはわたしにとっては嬉しいことだけれど、そのせいで彼が叱責を受けるようなことになっては困る。
「だよね、あんた、来て以来ずっとこの部屋に押し込められてるし。その間湯浴みのひとつもさせてもらえないんじゃ、気の毒ってもんだよな」
 彼は一旦話しはじめると、わりと気さくな口調と態度になった。というより、こっちがもともとの素なのだろう。彼は彼で、何を話しかけられても黙って無視するという行為は、苦行であったのかもしれない。
「うん、ちょっと気持ち悪い」
 彼のその話し方につられ、わたしも気がついたら、素直に返していた。考えてみたら、突然やって来たこの場所で、まともに人と話したのは、これがはじめてだ。
「着替えは用意してあるんだから、それだけでも替えればいいのに」
「あの、だらっとした長いドレスみたいなやつ? あんなの、いや」
「その変な衣装よりは、よっぽどいいと思うけど」
 変な衣装、と言われて、自分の恰好を見下ろす。黒いセーラー服に、黒いソックスに、動きやすいスニーカー。どこが変よ、とぷくっと膨れる。
「別に変じゃないし。こっちの人たちのほうがずっと変だし。特にあのおじさんの着てる、オバケみたいなのよりはずっとマシだし」
「まあ確かに、足がよく見えるのは悪くないけど」
 男の子の視線が、わたしのスカートの裾から伸びた足に行っていることに気づいて、赤くなる。膝上スカートは女子高校生の基本的心得とはいえ、こうもまじまじと、そして正面から堂々と見ていいものじゃない。
「そういえば、そっちは最初に着てたのと違うね」
 今になって気づいたが、彼を含めた三人の恰好が、扉のあった広間で見たものとは違っていた。あの時は上下が白で、もうちょっと装飾がついていて、それなりにピシッと決まった服装だったのに、今彼が着ているのは、あれよりも数段くだけた感じがする。襟のないシャツも、額に巻いている布も、色は白ではなく灰色。生地もちょっとくたびれているような。
「ビンボーくさくなった……」
「なに言ってんだよ。現れの間で着てたのは、俺たち護衛官の正装。こっちが普段着てるやつ」
「護衛官?」
 はじめて耳にする名称だ。彼らは護衛官という職なのか。ホデイーガード、みたいなものかな?
「本当は俺たち三人、神獣の守護人の護衛官を任命されてたんだけどな」
 神獣? 守護人? なんのことだろう。
「……あのさ」
 男の子がさらに声を潜め、わたしの耳に口を寄せた。温かい息がくすぐったい。

「──実は、間違いなんじゃないか、って話になってるんだ」

 ちらっと閉じられたドアに向けて視線をやりながら、彼が囁く。わたしはきょとんとした。
「間違い?」
「あんたが来てから、神獣が、一言も口をきかないんだってさ。会うとも呼べとも言わないらしい。大神官もどういうことか判らないって大弱りでね。あんたへの対応にも困って、とりあえずこんな部屋に押し込めて様子を見てるらしいんだ。毎日のように神官たちで協議してるけど、肝心の神獣が守護人と認めないんじゃ、しょうがないだろ? このところは、本来来るはずだった守護人が来ずに、違う人間が誤って紛れ込んできてしまったんじゃないか、って意見が優勢になってきてる。……俺もさあ、変だなと思ったんだよね。数百年ぶりに来訪する守護人、なんて大げさな前振りのわりに、実際来たのはものすごく頼りにならなさそうな小さな女の子だし。ホントの守護人だったら、俺なんて恐れ多くて話しかけることも出来ないよ」
 その台詞の意味も内容もまるで判らなかったが、間違いだった、という情報と、彼がくつくつと気軽に笑う様子に、ひどくほっとした。
 そう、やっぱりわたしは、こんな場所に来るべき人間ではなかったのだ。自分でも主張したとおり、ただの間違い、それだけだった。
 もしかしたら、あの闇の中で、本当の守護人たる人物とわたしは、開けるべき扉を間違えてしまったのかもしれない。
 だったら、きっとまたあの扉が開く。今度は正しい守護人のために。
「じゃ、わたし、帰れるよね? ね? 間違いだってはっきり判ったら、わたしを家に帰してくれるよね?」
「うん、きっと帰れるって」
 男の子が目を細めて優しく言った。
 それだけで、じわっと胸が熱くなる。わたしも口元を綻ばせ、表情を崩した。
「……ありがとう」
 にこっと笑って礼を言うと、彼は少し照れたように鼻の下を指でこすった。
「そういえば、名前も知らないな。いくら人違いったって、大神官も、最低限の説明くらいはしてやりゃいいのに──俺はトウイ。トウイ・ウル・カディア。あんたは?」
「椎名……椎名、希美」
 のぞみ、とわたしは自分の名を名乗った。


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