リライト・ライト・ラスト・トライ

第十三章

2.帰郷



 幸い、ヤルクの街で、使われていない馬車の箱部分があったので、それを買い受けることにした。
 馬車用というか、それははっきり言って、限りなく荷車に近い代物だった。作りも簡素だが、あちこち腐食が進んでいるし、車輪部分も壊れている。一応、幌はついているが、それもかなり大きな破れ目がある。
 どう見ても、「使う予定がなかったからしまわれていた」 というよりは、「壊れて使いものにならなくなったが捨てるのも手間なのでそのまま放置されていた」 というほうに賭けてもいい、と俺は思うんだけど、ロウガさんが言うには、それでもけっこうな値段を吹っ掛けられたらしい。事情が事情なのでやむを得ないとはいえ、今ひとつ釈然としない。
 そのオンボロを、俺とロウガさんとで修理するのに半日。破れた幌はミーシアが繕い、ニコが中にたくさん布や毛布を敷き詰めて、なんとかこれなら怪我人を運ぶことが出来るだろうか、というくらいの形にはなった。
 これを二頭の馬で引いて、御者台にはロウガさん、中にはハリスさんとメルディとミーシアが乗ればいいだろう。ちょっとばかり窮屈ではあるが、ハルソラに着くまで我慢してもらうしかない。
 ちなみにこの作業中、守護人は一人で、怪我人の面倒を見ていた。二人とも素直に言うことを聞いて大人しくしているような性分ではないので、世話をするのは大変だったんじゃないかと思って、あとでこっそりハリスさんたちに聞いてみたら、
「……薬は苦いから要らない、って拒否したら、『じゃあ傷口に直接塗ってあげましょうか。そのほうが効くかもしれないし』 って、無表情で言うんだぜ……」
「私なんて、退屈だ退屈だってコボしたら、無言で紐を手にして近づいてきたんですよ。思わず速攻で前言撤回しちゃいましたよ。一体何をするつもりだったのか、想像するだけで怖いですよ」
 ──と、げっそりした顔で言っていた。
 二人揃って顔色が悪いのは、傷の痛みによるものばかりでもないらしい。
「…………」
 守護人は時々、真顔で冗談を言うからなあ、とちょっとだけ二人に同情した。……冗談、だと思う。たぶん。
 よかった、俺は怪我をしなくて。

 ハリスさんとメルディは、これ以後あまりワガママも言わず、怪我の早期完治を目指して治療に専念する、真面目な患者になった。


          ***


 二人の傷に障らないよう、一昼夜かけてゆっくりと進み、ようやくハルソラの街の門をくぐった。
 大きな街では門から中に入ればすぐに四角い建物が密集していたりするものだが、この街は違う。ここでは、一歩入ってまず目に入る景色は、すらりと真っ直ぐに伸びていく、一本の広い道だ。
 ハルソラでは、こういう道が数本、街の中央に向かって放射線状に作られている。その道に沿って家が建てられ、それらの家々の間を縫うように、もっと細い道がいくつも通っている、という形だ。掌の上に指で図を描き、簡単に説明をしたら、守護人は 「蜘蛛の巣みたいになっているんですね」 という納得の仕方をしていた。
「道の先の中央には、何かがあるんですか?」
「大きな樹が一本、立っています。相当樹齢の古い木で、もともとハルソラって街は、その樹を守るために作られた、と言われているんです。今となっては、それが事実かどうかはわかりませんけど」
 実際にその樹が何かの役に立つわけではないし、花も実もつけないから、人々の目や舌を楽しませるわけでもない。それでもその樹は、他にこれといって特色のない、ただ平和なだけが取り柄のようなこの街のシンボル的な存在として、住人たちに愛され、大事にされている。
 俺のそんな話を、守護人は頷いて聞きながら、眩しいものを見るように目を細め、周囲に顔を巡らせた。

 その横顔に、星見の塔で見せた、追い詰められた表情はもうない。
 瞳の底のほうで昏く瞬く光も消えている。
 ──いや。
 それは決して、なくなったわけでも、消えたわけでもないんだろうけど。
 せめてこの街のゆったりした空気に包まれて、彼女が抱え込んでいる目には見えない傷が、少しでも癒えるといいなと、俺は思っていた。

「よかったら、あとで案内し──」
 と言いかけたところで、
「もしかしてお前、トウイか?!」
 横手から素っ頓狂な声が聞こえた。
 そちらに顔を向けると、近くの家から出てきた中年男が、目を丸くしてこちらを凝視していた。多分、こんな辺鄙で小さな街に立ち寄った物好きな旅人はどんなやつらだと訝って、確認しようとしたのだろう。
「久しぶりだね」
 俺は馬から降りて、その男に挨拶をした。歩きながら、名前はなんていったっけな、と考える。ガキの頃、悪さをした時に捕まって、こっぴどく耳を引っ張って怒られたことは覚えてるんだけど。
「お前、帰ってきたのか」
「いや、ちょっと旅の途中で立ち寄っただけだよ。俺の家、まだある?」
「あ、ああ。あるともさ。しかしそれにしても……」
 思い出した、ゾルスだ。ここにいた時は、「おっさん」 としか呼んでいなかったから、その名を頭の中に浮かべるまでに手間取った。
 ゾルスはまだ少し茫然としたまま、俺を上から下までしげしげと眺め廻して、感嘆するような声を出した。
「その顔、ゼノの野郎にそっくりだな……」
 それを聞いて、ちょっと苦笑する。この街の住人たちは、俺の母親のことはよく知っていても、父親のほうとは馴染みが薄い。それでもこんなことを言われるくらいなのだから、よほど似ているということか。
 ゾルスが俺を見る目には、驚きの他に、不安と憐れみと嫌悪の色も複雑に混ざり込んでいた。きっと本当は、こう言いたいのだろう。

 こうまであんなろくでなし(・・・・・)と似ちまって、中身まで同じにならなきゃいいんだが、と。

「でもこの目は、おふくろそっくり、だろ?」
 自分の顔をゾルスに近づけて、昔からさんざん言われたことを冗談っぽく言ってやると、ゾルスのこちらを見る目が晴れた。
「ああ……そうだな。その目はクレイと同じだ。そこだけ見りゃあ、クレイの顔が重なるみたいだ。やっぱり親子だなあ」
 言葉と声音に、懐かしさと安心が滲む。街の住人たちはいつも、俺が父親の血を引いていることを心配するのと同時に、俺が間違いなく母親の血も引いていることに安堵するのである。
 そして毎回、こう思う。

 ──なんだってクレイは、あんな男にひっかかってしまったのか。

「それでトウイ、お前、今は何してるんだ。ゼノと一緒にここを出ていったきり、ちっとも戻ってこなかったから──ゼノはどうした?」
 ゾルスの探るような目が、馬に乗った守護人とニコ、それからロウガさんが操る馬車のほうへと向けられる。父親と一緒に舞い戻ってきたのかと、少々警戒しているらしい。
「親父は死んだよ」
 素っ気なく答えてから、「え」 とぽかんとするゾルスから離れ、俺はまた馬に飛び乗った。
 後ろに首を捻ってじっとこちらを見つめる守護人とニコに、少しだけ笑ってみせる。
「墓は、ニーヴァの端っこのほうにある。今頃、おふくろと仲良く風になってんじゃないの」
 仲良く、かどうかは判らないけどなあ。俺の母親はあんな父親でも大事に想っていたらしいが、父親はどう考えていたのかは定かじゃない。そもそも、必要最小限くらいしか喋らない、無口で無愛想なやつだった。
 ずーっと妻と子供をこんな小さな街に置いたまま、自分は勝手気ままにそこらをほっつき歩いて、数年ぶりに帰ってきた時にはすでに妻は帰らぬ人になっていた。そういう意味では、ゾルスや他のみんなが父親に向ける評価はあながち間違いじゃない。夫として、父親として、ホントにあいつはろくでなしだったよ。
 ……でも。

 自分の妻がもう死んだと聞かされて、父親は、その墓の前でじっと身動きもせずに、周りが真っ暗になるまで一人、座り込んでいた。
 人を威圧する大きな身体を縮ませて、厳つい肩をすぼめ、広い背中は丸くなり、顔は下に向けられたまま。
 ──俺以外に、そこまで母親の死を嘆き悲しんだ人間は他にいない。

「とりあえず、事情はあとで誰かに聞いてよ。こんなちっさい街だから、あっという間に噂は広まるだろ?」
 これからこんなやり取りを何度も繰り返さなきゃいけないのか、と思うと、ちょっとうんざりする。俺は、馬車を止めて待っていたロウガさんに合図をすると、馬を歩かせた。


          ***


 その後も、外にいた人たちから、「あれ、トウイじゃないか!」 やら 「えっ、あんたもしかしてクレイの息子?!」 やらの声がかかったが、馬上で適当に受け流しながら進んだ。いちいち馬から降りて説明していたんじゃ、日が暮れても家まで辿り着けやしない。
 しばらくして、目指す建物が視界に入ってきた。

「……あった」

 その瞬間、自分の口から滑り落ちたのは、我ながらなんとなく間の抜けた言葉だった。
 他の家から少し離れて、ぽつんと建っている、小さな四角い家。扉に塗られた穏やかな朱色は、すでにもう大分剥げてしまっている。誰も住んでいないことを示すように、その扉と窓には、板が打ちつけてあった。
 ハルソラを出てしばらくの間は、途方もなく恋しい気持ちでこの家のことを思い出して、夢にまで出てくるほどだったが、現在の俺の胸には、さほどの感慨は湧かなかった。
 ちっとも変わってない、という気持ちはあるけど、予想していたような嬉しさや悲しみは特に感じない。自分でも拍子抜けするほど、俺は冷静にその建物を眺めていた。
 ……ま、当然か。
 あの家は、今となっては単なる四角い形の容れ物でしかない。
 俺が望郷の念を抱いていたのは、この家にまつわる思い出の数々と、死んだ母親の面影だ。それらは今はもう、自分の中の奥深くに静かに沈められている。長く無人のまま空っぽの状態で時を過ごしていたただの容れ物に、心は動かない。
 馬から降りて、窓から中の様子を覗いてみる。一応、置きっぱなしの家具には布がかけてあるが、全体的に埃が溜まっているようだった。こりゃ、怪我人を寝かせる前に、大掃除が必要だなあ。
 父親がこの家を売りもせず、家具も処分しなかったのは、どうしてなんだろう、とふと思う。いずれは、ここで暮らすつもりだったのかな。それとも、あんな男でも、自分の妻の匂いや思い出が染み込んだこの家を手離すことは出来なかったのか。そんなこと、もう、本人に確認することも出来ないけど。
「とにかく、この板を外して……」
 そう言いながら、後ろを振り返った途端。

「トウイ!」
 と、いきなり柔らかい身体が勢いよく抱きついてきた。

「え、な、なんだ?」
 目を白黒させながら、しがみついてくる腕を引き剥がす。ちょうど守護人と同じような背丈のその女の子は、べったりと俺にくっついて、なかなか離れてくれなかった。自分の顎のすぐ下に頭があるが、上を向かないので顔が確認できない。
「ちょっと──あんた誰?」
 自主的に馬から飛び降りた守護人が、降りるニコに手を貸してやりながら、こちらに視線を向けている。表情がいつもと同じである分、何を考えているのかさっぱり判らず、余計にうろたえた。気のせいか、あの目、シャノンさんの店にいた時俺に向けられていたものと同じに見えるんだけど。
「なによ、あたしのこと、覚えてないの?!」
 怒った声でそう言って、やっと女の子が顔を上げた。
 拗ねたように尖らせた唇、小さな鼻、やや吊り上がり気味の左目のすぐ下には、目立つ大きなホクロがある。
 俺はまじまじとその顔を見つめた。
「……ルチアか?」
「あたり!」
 ルチアが満面の笑みを浮かべて、またぎゅっと強く抱きついてくる。へえー、と少し驚きながら、俺はその手をさりげなく自分の背中から外して一歩後ろに下がり、距離を取った。
 あの、日に焼けて髪も短かったルチアが、変われば変わるもんだ。その特徴的なホクロがなければ、絶対にわからなかったぞ。昔は、今のニコのような男の子の恰好をしていたから、俺も完全に男友達として扱っていたんだけどなあ。
 赤茶の髪を艶やかに伸ばして結い上げ、ふわりとしたスカートを履いている現在のルチアは、どこからどう見ても、健康的な若い娘だった。
「どお? あたし綺麗になったでしょ? 見違えた?」
 ルチアがスカートを摘み、くるっと一回転する。
「うん、見違えた。昔は汚かったのにな」
「ちょっと!」
 眉を上げたルチアに、どん、と掌で小突かれた。だって、いつも外を跳ね回ってるから、砂や木の葉にまみれて、顔も真っ黒に汚れてたじゃないか。
「ねっ、トウイ、どうしたの?! あたし、あんたが帰ってきたって聞いて、びっくりして家を飛び出してきたのよ! お父さんは?! 今まで何をしてたのよ?! またここで暮らすってこと?!」
 ルチアは、次から次へと質問を口に乗せながら、またずいっと身を乗り出して距離を詰めてきた。いつの間にか、さっき離したはずの手が、再び俺の両腕をそれぞれがっちりと掴んでいる。
「…………」
 ちょっと近すぎないか? と俺は戸惑った。そりゃ、昔はルチアを齢の近い男友達のように思っていたから、肩を組んだり、頭をくっつけてイタズラの相談をしたこともあった。だけど、今はもうお互い成長してるわけだし、あの頃と同じようにするのも変だろう。
 こいつ、外見は変わっても、中身はちっとも変わってないのかな。

「──えーと、ここには少し立ち寄っただけなんだ。実は今、首都のほうで、とあるお方の護衛の仕事をしていてさ」

 と、いうことにしよう、とロウガさんたちと相談して決めたのである。すべてを正直に話すことは出来ないが、嘘ばかり並べ立ててもいずれボロが出る。それなら、肝心の部分だけを曖昧にぼかして、あとはなるべく事実に沿って説明したほうがいい。
「とあるお方って? 誰?」
 もちろんルチアは追及してきたが、俺は真面目な顔を取り繕って首を横に振った。
「それは明かせないことになってる。仔細あって、その方のお嬢様をある場所に送り届ける役目を言いつかってるんだけど、途中で盗賊に襲われて仲間が負傷したんだ。それで、その傷が癒えるまで、俺の家に滞在してもらおうってことになって」
「ある方とか、仔細あってとか、なんだかよくわかんない話ねえ」
 むくれた顔のルチアが、憚るようにちらりと後ろを振り向いた。馬車の中から顔を出しているミーシアを見て、「あれがお嬢様ね」 とうんうん頷きながら呟いている。いや違うんだけど。
「でもトウイ、護衛の仕事って、お父さんは?」
「親父は死んだ。俺が十五くらいの時だったから、この街を出て、二、三年経ってからだな」
「え、そうなの……」
 ルチアは、意外なことを聞いたというように何度か目をぱちぱちさせたが、それだけだった。この街の住人にとって、俺の父親の存在っていうのはその程度のものだ。
「じゃあ、トウイは本当にここに立ち寄っただけなんだ。戻ってきたわけじゃないのね」
 なあんだ、と、つまらなさげに続ける。昔から単純なところがあったから、よくわからない、と言いつつ、俺の話は疑いもせず受け止めているらしい。住人の一人一人に説明するのも面倒だし、ついでにその話をあちこちに吹聴してもらえないかな、と思っていたら、ぱっと顔を上げたルチアは、目を輝かせて唐突なことを言い出した。

「あ、じゃあ、トウイは首都に住んでたってことよね! ねっ、神獣の守護人のことは知ってる?!」

「…………」
 一瞬固まってしまいそうになったが、なんとか気を取り直した。ルチアがただの好奇心から、その話題を持ち出したことは明白だ。
「……そりゃ、知ってる」
 首都に住んでいるんだから、知ってて当然だよな。うん。守護人来訪の際、その報はニーヴァ国だけでなく、あっという間に世界中を駆け巡ったのだし。
「見たことはある?!」
「……まあ、な」
 見たことがあっても、別に、おかしくないよな? 王ノ宮で行われた祝典では、カイラック王と並ぶ守護人の姿も見られたはず。来訪を祝う一般民衆からはおそろしく遠く、しかもみんな頭を下げていたから、顔までは判らなかったと思うけど。そういえば、拝礼日の時には、暴動を止めに堂々と民の前に現れたっけ。
「どんな方だった?! やっぱり、神獣の傍らにあるに相応しい、気品に溢れた、神秘的な雰囲気の方なのかしら?!」
「…………」
 お前のすぐ後ろで、泥水の中に足を突っ込んだような、ものすごくイヤそうな顔をしている人だよ。
「とっても清らかで、美しい方なのですってね! 眩いほどの美貌で、神獣の寵愛を一身に受けていらしてると聞いたわ!」
 そんな話、どこから聞いたんだ?
「……美しい、っていうか、可愛い、と思う」
 つい正直に訂正してから、ルチアの後ろに立ってそっぽを向いたままの守護人に、ちらっと視線をやる。

 ──あ、頬っぺたがちょっと赤くなった。

「ええー? でも」
 ルチアはなんだか不満げだ。彼女の中では、神獣の守護人はこの世で最も清廉で美しい存在であるはずだ、という思い込みが、すでに出来上がってしまっているのかもしれない。
 俺の視線がどこに向かっているのかということにも気づかず、子供が文句を言うような顔つきで続けた。
「でも、王太子さまが一目惚れなさったというくらいなんだから、やっぱりよほどの美しさをお持ちなんでしょう?」
「はあ?」
 思わず大きな声が出て、俺はルチアのほうに顔を戻した。
 なんでここで、王太子なんてものが出てくるんだ?
「なに、それ。さっきから疑問なんだけど、ルチアはそんな出鱈目ばっかりの話を、一体どこで仕入れたわけ?」
 ルチアはむうっと口を曲げた。
「あら、失礼ね。出鱈目じゃないわよ。だって、馬車商人のおじさんから聞いたんだもの。商売で首都のほうにも足を延ばす、って言ってたから、間違いないわ。首都では、王太子さまと、王ノ宮に身を寄せられた守護さまとの、秘められた恋の話で持ちきりで、お芝居にまでなっているそうよ」
「…………」
 芝居にまでなっている時点で、それは秘められてもなんでもないだろ。いやそもそも、事実無根もいいところじゃないか。守護人ははじめから王ノ宮に身を寄せてもいないんだから。
「守護さまは王太子さまをお慕いされているけど、神獣の傍らに在らねばならないご自分の使命との間に揺れて、人知れず苦しんでいらっしゃるんですって。お気の毒ねえ。いっそ神獣も王ノ宮に行かれてはどうなのかしら。そうすればお二人の恋の障害は──」
「あのさルチア、ちょっといい加減に」
 なんだか猛烈にイラついてきて、うっとりと夢見るように視線を空中に飛ばしているルチアの言葉をぶった切る。お慕いされているとか恋とか、勝手なこと言わないで欲しいんだけど。
「……あの、トウイ」
 そこへ、馬車から降りたミーシアがつつつと寄ってきて、口許に手を添え俺の耳に顔を寄せた。ミーシアのことを 「身分の高い方のお嬢様」 だと誤解しているルチアは、一歩後ろに下がって口を噤む。
「メルディが苦しがっていて、もしよかったら、お話はあとにして、ちょっと休ませてあげて欲しいのだけど」
「メルディが?」
 俺は驚いてミーシアを見返す。どうしたんだろ、道中は平気そうだったのに。ここにきて、どっと疲れでも出たのかな。
「あのね」
 ミーシアが口ごもり、俺と、ルチアの後ろの守護人の顔とを、ちらちらと見比べた。
 さらに遠慮がちに声音を抑えて、囁く。
「……笑いすぎて、死にそう、なんですって」



「王ノ宮も、ずいぶん盛りましたねえ」
 とりあえずルチアを帰し、扉に打ちつけてあった板を取っ払って、家の中に全員を入れると、早速、メルディが楽しそうに言った。
 笑うたびに胸が痛む、と時々眉を寄せてはいるが、それでも込み上げてくるものは押さえるのが難しいらしい。くくくと笑っては呻き、痛いと文句を言いながらまたぷっと噴き出している。笑うか苦しむか怒るかどれかにしろよ。
「メルディは、そんな噂が流れていることを知ってたのか?」
 俺はつむじを曲げたまま、むっとしながら問い詰めた。俺たちが神ノ宮を出発してから、首都では何が起こってるんだ。
「知ってるというか、予測はしておりましたよ。王ノ宮は、神獣の守護人についての風聞を意図的に流すだろうとね。ここまであからさまな内容にするとは思いませんでしたけど」
「なんのために?」
「なんのためにって、そりゃ」
 椅子に浅く腰かけたハリスさんが、俺の台詞をひったくる。別室にある寝台を使えるようにミーシアとニコが準備をしてくれているが、そこが整うまでは待っていてもらわないといけない。顔には出さないけど、言葉と言葉の間に息を吐きだしていて、やっぱりつらそうだ。

「王ノ宮にとって、そのほうが都合がいいんだろ。清く正しく美しく、異世界から来て心細い思いをしているであろう可憐な守護人。その守護人が信頼して身を寄せている王ノ宮。守護人を神獣から引き剥がして王ノ宮に押しつけた神ノ宮。民衆から見て、立派だと思うのはどれだ?」

「…………」
 王ノ宮にとって、「守護人」 という存在は、どこまでも自分たちの地位と立場を上げるための道具でしかない。その現実をありありと目の前に突きつけられた気がした。心に、重いものがのしかかる。
「……じゃ、王太子とどうこう、ってのも」
「同じだろ。王ノ宮としては、守護人が自分たちの手の中にいることに、少しでも正当性を主張したいのさ。王ノ宮が神獣の守護人を利用しているのを隠すために、王太子とのロマンスなんてのは格好の目くらましだ。王ノ宮に先手を取られて、鈍くさい神ノ宮の連中はきっと今頃、歯噛みして悔しがってるだろうぜ」
「…………」
 カイラック王には、子供が三人いた。上二人が男で、いちばん下が女だ。長男は優秀な人物であったらしいが、二年ほど前に、病気で急逝している。だから現在の王太子は、次男のカイラスという方なのだが……
「言っちゃなんですが、カイラスさまは気が弱くて、王になられる器ではないんですよねえ」
 メルディが、王ノ宮の誰かに聞かれようものなら不敬として罰されるような内容を、ズケッと言ってのけた。ていうか、メルディは王ノ宮の人間なのに、いいのか?
 とはいえ、その評判は俺も何度か耳にしたことがある。カイラス王太子は、穏やかで、争いごとを厭い、言っちゃなんだが気弱で、言っちゃなんだが臆病で、言っちゃなんだが無能だと。
 王の補佐くらいならなんとかこなすことは出来ても、王になられたら相当苦労なさるだろう、というのが大方の共通した見解なのだ。
「だからカイラック王としては、今のうちに少しでも王太子の評判を上げておきたい、というお気持ちもあるんでしょうね」
 それで、神獣の守護人がお慕いして、なんて話になったわけか? バカバカしい。
「──シイナさまは、王太子のことをご存じなんですか」
 自分の中の憤懣を持て余し、俺は振り返って、守護人に訊ねてみた。
 守護人は箒を持って、部屋の中の埃を掃き集めているところだった。鼻と口に埃が入るのを防ぐためか、頭に巻いていた布を外して顔の下半分を覆い、目だけを出した、盗賊のような怪しげな風体をしている。

 これが本当の神獣の守護人だと言っても、ルチアはきっと信じてくれない。

「王ノ宮での式典で顔は見ましたが、話したことはありません」
 布の下で、守護人がもごもごと口を動かした。
 ほらな、やっぱり口をきいたこともないんじゃないか。なにが秘められた恋だよ。
「じゃ、王ノ宮に抗議したほうが」
「守護人の名前をどう使っても構わない、というのが、旅に出る時の条件です。王ノ宮は、なるべく有効にそれを使おうとしているだけです。気にすることはありません」
「でも──いてっ!」
 淡々とした言葉に反駁しようとしたら、がつんと頭にロウガさんの拳骨が落とされた。
「シイナさまが働いておられるというのに、お前がサボっているとはどういう了見だ、トウイ。そんな話はあとにして、お前はお前のすべきことをしろ。ほら、客だぞ」
 言われて窓の外を見てみると、ルチアが数人の住人を引き連れて、こちらに向かってくるところだった。
 結局、あれこれと質問攻めにされるのは避けられない、ってことか。小さくて平和な街だけに、みんな新しい話題には飢えてんだよなあ。
 やれやれ、とすでに疲れて息を吐きながら、俺は外に出るため扉の取っ手に手をかけた。


BACK   TOP   NEXT


Rewrite・Right・Last・Try

Copyright (c) はな  All rights reserved.