リライト・ライト・ラスト・トライ

第十三章

4.面影



 外から、守護人たちの声が聞こえてくる。

「はい、じゃあゆっくりとこっちへ来てください」
「メルディさん、出来るかあ?」
「出来るに決まってるじゃないですか。もー、いいから放っといてくださいよ」
 守護人とニコの声に対するメルディの返事は、非常にイヤそうだ。いつも人を喰ったような態度で飄々としている彼女が、ここまで露骨に苦々しさを前面に出しているのも珍しい。
「歩く時は右足と左足を交互に出すんですよ」
「知ってますから。数日寝台の上で大人しくしてたからって、いくらなんでもそんなことまで忘れてませんから」
「無理しちゃダメだぞ、メルディさん。一歩ずつ」
「子供に本気で心配されると落ち込むんで、やめてもらえませんかね」
「ニコ、こういう時は手を叩いて、『あんよはお上手』 ってかけ声をかけるといいんだよ」
「わかった! メルディさん、あーんよーはおーじょーずー」
「あなた方二人して、私で遊んでますね?!」
 歩きはじめの子供をあやすように、ポンポンと手拍子を叩く守護人とニコに、メルディがきいっと怒っている。いやしかし、それは誤解というものだ。ニコは心から大真面目にメルディを心配し、素直に励ましているだけである。守護人は間違いなく真面目な顔でからかっているのだと思うが。
 ……ま、無理もない。今まで寝台の上でじっとしているばかりだったメルディが、ようやく外に出て、軽い運動からはじめようというんだからな。
 ずっとじりじりした気分でいた本人には 「やっとか」 という安堵があるとしても、まだ幼いニコにとっては 「大丈夫かな?」 という不安のほうが大きいのだろう。守護人は……うーん、心配半分、ふざけ半分、というところか? あの少女の言動は、どこまでが本気でどこからが冗談なのかよく判らない。
「ほら、こっちですよ」
「こっちですよー」
「だーもうっ、なんなら走って見せましょうか?!」
 メルディはもちろん、歩くくらいは難なく出来る。胸の痛みも大分引いてきた頃だろうから、あるいは本当に走ることも可能かもしれない。それを判っていないニコと、絶対に判っていてわざとやっている守護人に幼児扱いをされて、メルディは足踏みをしながら腹立たしそうだ。あんなに乱暴に動いて大丈夫なのか、と俺は見ていて少しハラハラした。
 しかし、台詞と口調は怒っていても、メルディは実際、寝台の上にいた時よりもよほど、晴れ晴れと解放されたような顔つきをしている。
 いつも文句ばかり言っていたが、やっぱり、他人から世話をされるという立場になって、内心では相当忸怩たる思いを抱えていたのだろう。



「……あーあ、俺も早く外に出たい」
 寝台で上半身を起こしたハリスさんが、窓からその光景を眺めながら、ボソッと零した。
 ハリスさんには、未だ寝台から離れる許可が下りていない。窓の桟に腕を置いて、賑やかな声を聞いている横顔は、呆れながらもどこか羨ましそうだ。
 開いた窓から、気持ちのいい風がそよいで髪を揺らしても、表情も変えず外に視線を据えつけている。
 明るい陽光は部屋の中まで射し入っているが、その光はハリスさんの顔と、寝台の上にある身体の半分を照らすだけ。全身に陽射しを浴びて、その暖かさを直に感じられる外の三人とは違う。ほんの壁一枚、天井一枚があるだけでも、家の中にいるハリスさんにとって、あちらはまるで別の世界のように感じられるのかもしれなかった。

 守護人たちの姿を映しているはずのその瞳と、真一文字に結ばれた唇は、ずっと遠いところに向けられているように見える。

「ハリスさんも、すぐに動けるようになりますよ」
 窓近くに立つ俺がそう言っても、「そうだな」 と気のない返事が返ってくるだけだった。
 あまりにも素っ気ない声と、まったく動かない表情に、ちょっと困って口を閉じる。
 別に、上っ面の慰めを言ったつもりじゃなかった。回復は順調で、あと数日も経てば、ハリスさんも動きはじめて大丈夫というお墨付きをもらえるはずだ。無茶なことさえしなければ、またすぐに元のように剣を扱えるようにもなる。それは本人にも判っていることだと思うが、だからといって現在のこの状況に対する苛立ちがなくなるわけではないらしい。
 その気持ちは理解できるから、俺も、それ以上なんと言っていいのか判らず、黙るしかない。
 きっと、ひたすらにじれったく、もどかしい気分でいるのだろう。最近、ハリスさん特有の、軽快さと陽気な皮肉っぽさが影を潜めている。代わりに、何か重くて暗いものが、目の中を掠めるように通り過ぎていくことがあった。

「──悪いな」
 俺の心を読み取ったかのように、ハリスさんがこちらを向いて、小さく苦笑した。

「お前には申し訳ないが、この街はのんびりとしすぎていてな。俺の性には合わないんだ」
 静かで、何も起こらない街。たゆたうように過ぎていく時間を、ただ眺めているだけの日々。傷の養生にはいいとしても、ハリスさんのような人には、かえって精神的に苦痛のようだ。
「やることもないし、酒で気晴らしすることも出来やしない。そうすると、思い出したくもないことばかりが頭に浮かんでくるんだよ。──あんなにもなすすべもなく誰かにやられるなんて、久しぶりだったしな」
 どうやら、過去に苦い記憶があるらしい。ハリスさんの瞳が翳った。
 静寂と手持無沙汰は、自分の意志とは無関係に、底のほうに沈殿していたものをあれこれと浮上させる。普段は押し込めているはずの感情までも、呼び起こしてしまうのだろう。
「……俺には、弟と妹がいてさ」
 また窓の外に目をやって、ハリスさんが呟くように言う。独り言のように聞こえたので──というより、誰からの返事も求めず話しているように聞こえたので、俺は黙ったまま同じく外に目線を向けた。
「生きてりゃ、あんな風に」
 そこまで続けたところで、唐突にぱたりと口を閉じる。
 何を言おうとしたのかは判らないし、もしかしたら本人も自分が何を言おうとしたのか判らなかったのかもしれない。でも、その言葉だけでもいろいろと察せられるところがあって、俺はハリスさんのほうには顔を戻さず、それについての返事もしないでおいた。
 窓の向こうには、いつもと変わらない守護人の姿がある。
「ねえ、ハリスさん」
「うん?」

「──神獣の守護人って、なんでしょうね」

 俺の問いに、ハリスさんは少しの間、沈黙した。
「リンシンが言ったことを考えてんのか」
 そんな返し方をするということは、ハリスさんも同じことを考えていたからなのだろう。きっと、ハリスさんもメルディも、口には出さなくても、何度もあの夜のことを思い出していたに違いない。
「あの男の語った内容が、すべて事実だとは限らないぞ」
「そうですね」
 それは俺もそう思う。リンシンは、嘘を吐くのに良心の呵責を覚えるような人間ではない。あいつにそのつもりがあれば、あの人当たりのいい顔と声で、いくらでもぺらぺらと出鱈目を並べることも出来るだろう。
 でも、あの話がすべて嘘だとも思えないし、思わない。
 三十年ほど前に、神ノ宮の現れの間の扉を開けたという女性。神獣と神ノ宮から見捨てられ、外に放り出されて、過酷な人生を歩まざるを得なかったという──

 湧き上がるのは、たくさんの疑問。

 現れの間の扉を通って、こちらにやって来た異世界人は、すべてが神獣の守護人となるわけではないのか。
 じゃあ、それまでにも、そうやって扉を開けたものの守護人とはならなかった人物がいたのではないか。
 その彼女ら──あるいは彼らは、どうなった? 「処分」、とリンシンは言っていたが、それは文字通りこの世界からもひそかに存在を消されてしまうということなのか? 神ノ宮で、その役割は誰が負っていた? 神官? まさか。じゃあ、護衛官が? 神獣は、それを許していたのか?
 守護人になるには、あの扉を開ける以外に、必要な 「資格」 がある、ということか。
 それはなんだ?
 今になって──ようやく、今になって、思う。

 神獣の守護人って(・・・・・・・・)一体なんだ(・・・・・)

「今までの俺は、あまりにも疑問を抱かなすぎたと思うんです」
 神獣がいて、神ノ宮がある。それをごくごく当然のこととして受け止めていた。神獣の守護人、という存在について、改めて考えたこともない。異世界からやって来て、神獣の傍らに在るのが定められた人物──考えてみたら、そんなおかしな話なんてない。
 ハリスさんが肩を竦めた。
「そりゃしょうがないってもんさ。この世界にいる人間が、昼に明るく夜に暗いのは変だ、なんて思うか? 空の太陽や月に、どうしてそこにあるんだと疑問に思ったりするか? 神獣も、神ノ宮も、生まれた頃から伝承として聞かされていた神獣の守護人も、俺たちにとっては 『あって当然のもの』 なんだ。俺だって、異世界から来た娘のことなんざ信用ならないとは思っても、守護人というものについての根本的なところを考えたことはなかった」
「…………」
 いいや、実を言えば俺は、以前にちらっと、疑問が頭を掠めたことはある。
 守護人がカイラック王から神獣の剣を借り受ける時に出した言葉──「どうしても守りたいものがある」。
 その、守りたいものとは何なのかな、と。
 でも、それがずっと俺の胸の中に留まることはなかった。他人事のように思っただけで、深く考えることもしていない。彼女自身は、何を守る、とは明言していないことには気づいていたのに。
 何かを守る。それが守護人の本当の使命で、有していなければならない 「資格」 だということか。何を? 神獣を? この国を? そうなのか?

 彼女は、何を守護するために、この世界にやって来た?

「……守護人は、これからどうするつもりだということを言ってたか?」
 ハリスさんに訊ねられて、俺は首を横に振った。
「何も。とりあえず決まっているのは、ハリスさんとメルディの傷が治るまでハルソラに滞在する、と、それだけです。その後はどうするかとロウガさんが聞いても、黙っているばかりで」
 ここまでの旅路で、これからどうするか、というのを考えることはよくあった。もともと、これといって明確な手がかりもないままはじめた旅だ。聞いた話や掴んだ事柄を探りながら進んでいくしかなかったとはいえ、それでも守護人には、旅の方向性を決める、彼女なりの基準があるように思えた。

 それが、ここにきて、迷っている。

 どうしてだ。むしろ、追うべきものは、今までよりもずっとはっきりしているくらいじゃないのか。
 リンシンはなんらかの意志をもって行動をしていて、現在進行形で災厄を国中にまき散らしつつある。
 守護人が守ろうとしているものが、神獣、あるいはこの国であるなら、迷うことなくリンシンを見つけて止めようとするはず。少なくとも、今までの彼女なら、そうしようとしたはずだった。
 なのに今の守護人の態度には、明らかな躊躇が見える。災厄はやって来る前に叩き潰す、と言いきっていた彼女が、災厄の元であるリンシンをどうしたらいいのか、自分でも決めかねている──そんな風に見える。
「まあ、躊躇するのは無理もないだろうさ」
「そうですか?」
 俺が首を傾げると、ハリスさんは自嘲気味に笑って、自分の胸のあたりを掌でざっと撫でた。
「あのリンシンってのは、バケモノみたいなやつだからな。そんなやつを相手にしようなんざ、普通は二の足を踏むもんだろ。なにしろ実際に、目の当たりにもしてるわけだし」
「そう……なのかな」
 リンシンの人並み外れた強さは、もちろん俺だって判っている。あの時、俺たちが助かったのは、ひとえに、リンシンの気まぐれによるものだったろう。
 それでも今ひとつ納得しきれなくて曖昧に答えると、ハリスさんは少し目許を厳しくして俺を見据えた。
「もちろん、あの桁外れの能力もそうだが、それよりも、あいつの心のありようが、バケモノだっていってるんだ。ありゃ、もう、人として生きることを放棄してるとしか思えない。俺たちには到底理解できない領域に足を踏み入れてる。理解できないやつを相手にするほど、厄介なことはないんだぜ」
「…………」
 俺は黙って視線を下に向けた。
 それはつまり、リンシンの精神がもう普通の人間の枠からはみ出してしまっている、ということなんだろうか。
 あの男はすでに、自分の母親のように、狂ってしまっている──と。
 ハリスさんは、知らない。
 俺が、守護人とリンシンに共通するものを感じているのも、まさにその部分だなんて。

 いつも、「大丈夫」 としか言わない守護人が、はじめて 「大丈夫だと思いますか」 と訊ねた時の、虚ろな顔つきと口調を思い出す。
 きっと、彼女自身も、それに気づいて、怯えている。
 ──だから、リンシンを追うのをためらうのか。そうなのか? それが理由なのか? 本当に?
 じゃあ、そこまで守護人の心を追い詰めているものはなんだ? それは、守護人の資格とやらと、関係があるのか?
 疑問はどんどん増えて、膨れていく一方だ。

「……ま、なんにしろ、探してすぐに見つかるようなタマでもないしな。この街で休養がてら、これからのことをじっくり考えるのも悪くねえさ」
 目を上げると、ハリスさんはまた顔を窓の向こうに戻していた。外では、いつの間にかロウガさんとミーシアが加わり、「だからもう平気ですって。なんだったらここで宙返りでもしてみせましょうか?」 と言い張るメルディを二人がかりで慌てて止めて、さらに賑やかなことになっている。
 呑気で、穏やかな眺めだ。
 ハリスさんの目線の先には、ニコとお喋りをしている守護人がいる。彼女に向けるその目に、以前のような強い不信の色はもうない。
 このゆったりと流れる時間が束の間のことだとしても、守護人がそこに身を置いている間はそっとしておきたいと、ハリスさんは考えているのかもしれない。
 そこに気づいて、俺もそれ以上その話題を引っ張るのはやめた。どちらにしろ、話し合って結論が出るようなことじゃない。
 ──代わりに、もうひとつの懸案事項について、聞いてみることにする。
「ハリスさん、話は変わるんですが、ちょっと……助言というか、教えてもらいたいことが」
 俺の眉が下がったことに気づいたのか、ハリスさんが不思議そうに表情を間延びさせて、ん? とこちらに向き直った。
「なんだ?」
「あのー、たとえばの話なんですけど」
「うん」
「たとえばですよ?」
「早く言え」
 急かされて、俺はぽりぽりと頭を掻く。

「その、たとえば、ずーっと友達だと思ってたやつに、いきなり好きだと言われたとしたら、どう対応するのがいちばんいいと思います?」
「…………」

 ハリスさんはしばらく黙ってから、はあーっと大きな息を吐きだした。
「……お前、それは、たとえ話にする意味が、まったくないと思わないか?」
「たとえばです」
 しつこく言い募ると、またため息をつかれた。
「どう対応するも何も、その気がねえならはっきり言うしかないだろ」
「はっきり言った、つもりなんですけど。いやその、たとえば、はっきり言ってもダメな場合」
 あの 「告白」 の時も。その後だって。
 はっきりと、その気はない、ということを俺は言った。ルチアが慕ってくれていたのは 「昔の俺」 で、「今の俺」 はもうそれには戻れない。ルチアのことは嫌いじゃないし、もちろん大事な友達だと思ってはいるが、特別な女の子としては見られない、とも言った。

 俺にはもう、そういう存在が他にいるから──と。

 はっきり……言ってる、よな? むしろ、これ以上、どうはっきり言えばいいのか判らないくらいだ。
 なのにルチアには、それがまったく伝わらないらしいのだ。
 そんなことない、諦めない、きっとトウイの気持ちをこちらに向かせてみせる、と繰り返すばかりのルチアは、引き下がるどころか以前にも増して俺の近くにくっついてくるようになった。
 このままでは、守護人の護衛にも差し支える。守護人も、妙に俺のことを避けている、ように思えてならない。俺はほとほと困り果てていた。
「そりゃあれだろ、要するに、お前のほうにも下心があるからだ」
 とんでもないことを言われ、驚いて目を剥く。下心って、俺がルチアに?
「ありませんよ、そんなの。いや、ですからたとえばの話だって……」
「そういう意味じゃなく、以前は仲の良かったやつに嫌われたくない、って気持ちがあるんだろ。その気はないが、かといって、恨まれるのも憎まれるのもいやだなと思ってる。違うか? お前のそういう甘さと優柔不断さが、向こうに期待を与えちまってるんだよ。これなら頑張ればなんとかなるんじゃないか、ってな。突き放すのなら、とことん突き放せ」
「…………」
 俺は口を噤んだ。違う、ときっぱり否定しきれない。
「中途半端な優しさは、かえって酷なだけだぞ。もう、そうなっちまったら、また昔のような楽しい友達同士なんてものに戻るのは不可能だ。お前はずっと、その子にとってのいい友達、美しい思い出のままでいたいなんて図々しいことを考えてるのかもしれないが、そんな自分にだけ都合のいい、勝手な夢は見ないでおくこった」
「…………」
 ハリスさんの容赦ない言葉のひとつひとつが、鋭い棘のように胸に突き刺さる。
 確かにそうかもしれない。もう少ししたら、俺はまたこの街を出ていく。その時に、ルチアと笑って別れが言えたらいいなと思っていた。
 自分にとっても、ルチアにとっても、綺麗な思い出は綺麗なまま、残しておけたらと。
 ──でも、そんなやり方は、結局ルチアをより傷つけるだけ、ってことか。
「わかりました」
 俺も息を吐きながらそう返事をして、窓の外に目をやった。
 ちょうどこちらを向いた守護人と、一瞬視線がかち合ったが、彼女はすぐにそれを別のほうへと向けた。その顔を見て、俺の思考も別の方向へと逸れる。

 思い出、か。

 ……いつか、守護人がもとの世界に帰るようなことになったら、俺は彼女の思い出をずっと胸にしまい込んで、生きていくのかな。


          ***


 ところが、突き放そう、と決めた途端、ぱったりとルチアが姿を見せなくなった。
 どう言おう、と悩んでもいたし、俺にそんなことが出来るのかな、とあれこれ考えてもいたので、この展開には、正直ちょっと拍子抜けしたというか、肩透かしを食らうような気分にさせられた。
 ルチアもやっと、もう子供の頃には戻れないんだと気づいたのだろうか。もしもそうなら、俺のようなやつを想ってくれていた年月を、今頃は後悔してるのかもしれないな。
 このまま言葉を交わすことなく、街を出ていく日を迎えることになるのかと思えば、少々複雑な気持ちにもなるが、しょうがない。
 いや……それならそれで、いいんだけど。
 あまりにも唐突に来なくなったので、逆に心配になってくる。まさか、身体でも壊したんじゃあるまいな。ルチアは頑固で思い込みの激しい性格のせいか、小さい頃からよく、考えすぎて熱を出したり、怒りのまま暴れて怪我をしたりしていた。
 とはいえ、ここで自分からルチアの許を訪ねたり、どうしたんだと気にする素振りを見せたりするわけにはいかない。それをやってしまったら、おそらく状況は悪いほうへと転がるばかりだというのは判っている。
 だから心にひっかかるものはあっても、強引にそれを取り除き、自分で蓋をするしかなかった。
 ──これでいいんだよ、な?



 外に出ようと扉に手をかけたところで、ハリスさんがいる部屋から出てきた守護人と顔を合わせた。
「…………」
「…………」
 ほんの少し、ぎこちない空白の間を置いてから、守護人が 「お出かけですか」 と聞いてくる。
「あ、はい。預けてる馬の世話をしに行こうかと。……ニコは?」
「勉強している間に、眠っちゃって。メルディさんのベッドが空いていたので、そこに寝かせてきました」
 メルディはもうフラフラと出歩いてるのか。まだ大人しくしてたほうがいいんだけどなあ。
「……えー、と」
 俺は視線を宙に彷徨わせた。守護人と二人になるのが久しぶり過ぎて、なかなか言葉の接ぎ穂が見つからない。大体いつも他に誰かがいるし、ここ最近はずっとルチアが俺のそばにいて、話もろくに出来ない状態だったから、なおさらだ。
「よかったら、一緒に行きますか?」
 家の中にはロウガさんもミーシアもいる。だから一人で行って、すぐ戻ってくるつもりだったんだけど。
「…………」
 守護人はちょっと迷っているようだったが、ちらりと窓の外を気にする素振りを見せてから、また俺のほうに顔を戻し、こくんと頷いた。
 ほっとして、俺は目許を緩めた。


 三頭の馬は、街の中で馬を飼っている人に頼み、そこの厩で預かってもらっている。
 余所の馬と共に寝起きしているわけだが、俺とロウガさんが交代で面倒を見にきているので、今のところこれといった問題もなく、元気にしているようだ。これまで強行軍で来たのだから、馬だって疲労は溜まっているだろうと思うが、厩の中にばかりいるのも退屈なのか、外に出たいと仕草で訴えてくることもある。ハリスさんやメルディの不満げな顔と重なって、なんだか可笑しい。
 三頭は、俺と守護人の姿を見つけると、ブルルルと鼻を鳴らして、甘えるように首を伸ばしてきた。
「よしよし」
 その首筋を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。隣の守護人はと見ると、他の二頭に代わる代わる濡れた鼻を押しつけられたり、ぶほおっと大きな息を吐きかけられたり、頭に巻いた布を食まれたりしている。馬のほうも、久しぶりに彼女に会えて嬉しいらしい。
 馬たちにもみくちゃにされている守護人は、人に対する時よりもよほど寛いだ表情で、首を抱いたり、ぽんぽんと叩いたりして、彼らの歓迎に応えていた。最初に馬に乗った時は、何をするにもおっかなびっくりという態度だったが、今では互いの信頼が見える。
「……くすぐったい」
 しきりと頬に鼻面を押し当てられて、守護人がぽつりと洩らした。

 唇が、わずかに綻んでいる。

 それに見入っていた俺は、いきなりくるっとこちらを振り向かれて、慌てて馬のほうに目を戻した。守護人の動きは、大概、出し抜けだ。毎回心臓に悪い。
「そういえばトウイさん、この子たちの名前はなんていうんですか」
 意味を掴みかねて、は? と俺は首を傾げた。
「名前って……馬ですよ」
「それは知ってます」
「馬は馬ですけど」
「個別の名です」
「個別の名?」
「だから名前──ひょっとして、ないんですか」
 噛み合わない会話の途中で、守護人が何かに気づいたように、目を瞬いた。
「知らない、んじゃなくて、もとからないんですか。こちらでは、動物に名前をつけることはしないんですか?」
 俺もようやく気がついた。守護人が言う、「名前」 の意味に。
「あー、要するに、人の名前みたいなものがあるのか、ってことですか。俺だったら、トウイ、という名のことですね?」
 守護人が頷いたが、俺は首を捻った。
 馬は馬だけどなあ。馬に、ロウガとかハリスとか、そんな名をつけて呼ぶってことか? なんのために?
「家畜に名をつけるなんて、聞いたことないですね。個体を識別するってことなら、黒いの、とか、足が長いの、とかで伝わることだし」
「……ペットとして飼う、ってことはないんですか」
「ぺっとってなんですか」
「…………」
 守護人の説明によると、「ぺっと」 というのは、名前をつけて家族のように一緒に暮らし可愛がる小さな動物、のことらしい。なんだそりゃ。可愛がって、どうするんだ? そのあとで食べたり皮を剥いだりするのか?
 さらに聞くと、子供のいない夫婦が、そういう動物を我が子のように愛情かけて育てる、こともあるという。ますますもって理解不能だ。
「動物は動物、ですよね。あちらでは、人と動物の間で、言葉が通じるんですか」
「そういうわけではないんですけど」
「動物が何を考えているか判る力を持っているとか?」
「そういうわけでもないんですけど」
 うーん、と唸る。聞けば聞くほど、よく判らない。あ、でも、階級の高い人間の中には、見た目が美しく、鳴き声も美しい鳥を籠の中に入れて、鑑賞用に飼うという話は聞いたことがあるな。そんな感じなのだろうか。けど、その鳥に名前をつけるなんてことはないと思ったけど。
「不思議な世界ですね」
 要するに、こちらとは価値観が異なる、ということなのだろう。この世界でも国や身分の上下でいろんなことに大きな差異があるのだから、世界が異なれば何もかも違って当たり前だ。
 守護人はずっと、その価値観の違いに戸惑いながらやってきたのかな。
「…………」
 少し無言で考えてから、俺は守護人に向き直った。
「──シイナさまがいた世界は、どういう世界だったんですか?」

 はじめて正面きって投げかけたその問いに、守護人の瞳が揺れたのが見て取れた。

「……どうって」
 ややあって、口ごもるように呟く。彼女の小さな拳がぎゅっと握りしめられていた。
「人の外見は、こことそんなに変わりません。髪や目の色が国によって違うのも同じです。あとは……電気があって、車があって、」
 ふいに、守護人の目の焦点がぼやけた。唇が半開きになったまま、動きを止める。
 彼女の言葉に、俺が続けた。
ヒコウキがあって(・・・・・・・・)?」
「…………」
 守護人が凝然と立ち竦む。見開かれた目はこちらに向けられたまま、その場で凍ったように身じろぎもしない。手と足が小さく震えているのが判った。
 彼女の眼差しは俺に向けられているのに、俺を見ていない。俺を通り越した、その向こうの何かを見ている。
 この目、ルチアが俺を通して子供の頃を見ていた目、ハリスさんが守護人の上に誰かの姿を重ねて眺めていた目と同じだ。
 見ているのは、ここではない、どこか遠くにあるもの。
 もうすでに失われている何か。
「似てますか」
 静かな声で、俺は訊ねた。
「……俺は、あなたの大事な誰かに、似てますか」
 守護人が蒼白になった。


「トウイ!」
 その時、大きな声がかけられた。
 ぴんと張り詰めた空気を破られて、俺と守護人の身体が、同時にびくりと反応する。俺が守護人から視線を外して声の方向を向くと、彼女は真っ青になった顔を下に向けて、じりっと足を引きずるように動かし後ろに下がった。
「トウイ、ルチアを知らないかい?」
 小走りに駆け寄ってくるなり、早口でそう問いかけてきたのはルチアの母親だった。
 もちろん、俺もよく知っている相手だ。昔はよく、ルチアと一緒に並ばされ、がみがみと説教された。
「いや、知らない──ルチアがどうか?」
 眉を寄せて、問い返す。無理やり下のほうに押し込めていた気がかりが、今になってむくむくと立ち上がってきた。
 この言い方……少なくとも、ルチアは病気や怪我で寝込んでいるわけではないらしい。しかしそれが判っても、かえって嫌な予感が増すばかりだ。
「いないんだよ、朝からずっとね。イヤだねえ、このところずっと、やけに浮かれていたり落ち込んでいたりで不安定だったから、心配してたんだけどねえ。まさかあの子、シキの森に行ったんじゃないだろうね」
「シキの森?」
 シキの森は、このハルソラの街から西南の方角に向かった先にある大きな森のことだ。
  その名の通り、シキの木ばかりが立っている。シキの木は、背が高いばかりで質が脆いので材木として使えず、食べられる実も成らないため、あまり利用価値がない。だから俺がここにいた時には、シキの森には、ほとんど誰も立ち入ることがなかった。
「どういうこと、おばさん。シキの森に何かがあるってこと?」
 確かにどんな目的があるにしろ、森の中に女の子一人で入っていくのはいいことじゃない。シキの木は背が高いしあまり葉も茂らないからそんなに真っ暗ではないが、それでもやっぱり安全だとはいえないからだ。
 しかし、ルチアの母親の顔つきは、そんな理由ばかりじゃないように思えた。恰幅の良い身体を揺らし、両手を揉むようにして、落ち着かなさげに娘のことを案じている。俺の胸の中に、ざわりとした不安が広がっていった。
「あのね、今のシキの森にはね、なんだか得体の知れないのがいてね」
「得体の知れないの?」
 ルチアの母親が周囲を憚るように声を潜めて出した言葉に、不安が一気に加速した。
 なんか、これ──

「そこに行くと、なんでも願いを叶えてもらえる、っていうんだよ」

「な……」
 俺は息を呑んだ。
 ぱっと顔を動かし、守護人と目を合わせる。
 大きく目を瞠って表情を固くした彼女も、俺と同じことを考えていると判った。


BACK   TOP   NEXT


Rewrite・Right・Last・Try

Copyright (c) はな  All rights reserved.