リライト・ライト・ラスト・トライ

第十四章

3.信念



 ルチアさんが帰って、しばらくしてからロウガさんが、それからさらに少しして、トウイが戻ってきた。
 目の上の傷は、視力に異常をきたすようなものではないと思われる、ということ。年齢を重ねるうちにもしかして影響が出てくるかもしれないが、現在の時点ではなんとも言えない、ということ。化膿しないように注意すれば日常生活を送って問題ないだろう、ということ。
 お医者さんから伝えられたそれらの診断結果を、トウイはみんなに向かって説明した。
 ロウガさんはそれを聞いて、だったらよかった、と安心していたようだし、ハリスさんは、その程度でぶっ倒れるなんて鍛え方が足りねえんだ、と冗談を言い、トウイも軽口で応じているから、思ったよりもずっと軽傷で済んだ、ということなのだろう。
 ……でも。
 本当にそれは、笑い事にしてしまっていいものなの?
 だって、お医者さんの言うことは、どれも明確なものではない。思う、とか、だろう、とか、要するに 「今は大丈夫だろうけど、この先はどうなるか判らない」 ってことなんじゃないの?
 そりゃあ、こちらの世界には、レントゲンもMRIもCTもなくて、医療技術もあまり進んでいないから、はっきりしたことは言えない、っていうのはわかるけど。トウイの話を聞いても、わたしの不安は消えるどころか増す一方だった。
 口を結んで黙ったまま、包帯に隠された左目をじっと見つめていると、ハリスさんと喋っていたトウイが、ふいに、こちらを向いた。
 そして、わたしと目を合わせ、にこっと笑った。

「…………」
 少し、戸惑った。

 なんだろう、妙に居心地が悪くて、足の下のほうがもぞもぞする。いつものように、感情を抑え込んで石のような無表情を取り繕うことが難しい。
 たぶんそれは、トウイの 「何か」 が違うからだ。彼がこちらに向ける顔、片方だけ見える瞳、そして声。普段と同じようで、どこかが違う。そのわずかな違いは、傷に対する心配とは別に、わたしを落ち着かない気分にさせた。
 ……なんだろう。
「全員が揃ったことだし、時間は遅いが、今日起きたことの話をしておこう。ハリスやメルディ、それからミーシアにも聞いて欲しい」
 自分の中の正体不明のものを持て余していたわたしは、ロウガさんの真面目な声音で現実に引き戻された。
 さっと一同の中に緊張が走って、わたしも口許を引き締める。今は、別のことに気を取られている場合じゃない。
 ロウガさんは、自身がシキの森で経験したこと、そしてわたしが彼に話したことを、客観的な口調で順序よくてきぱきと語った。
 話が進むにつれ、ハリスさんとメルディさんの表情が固くなっていく。ミーシアさんは顔色を悪くして、部屋の中の緊迫した空気からわたしを守るようにぴったりと寄り添った。
 トウイの顔を見た途端、安心して眠ってしまったニコを、隣の部屋に移しておいてよかった。こんなぴりぴりした場所に置いていては、目を覚ましてしまったかもしれない。

「──妖獣、ですか」

 一応ベッドの上にはいるものの、横になる気なんてまったくないらしいハリスさんが、そろりとした慎重な口ぶりで、その言葉を出す。ロウガさんの言うことを信じないわけではないけれど、容易には信じられない、という顔だった。それくらい、「妖獣」 というのは、予想外の単語であったのだろう。
「妖獣が草原地帯から出てくるなんて」
「私もにわかには信じがたいんですがね……本当なんですか」
 メルディさんも眉間に深く皺を刻んで、確認するようにトウイのほうを向く。彼がこっくりと頷くのを見て、厳しい色を目に浮かべた。
「間違いありません、妖獣です」
 トウイはきっぱりと断言した。
「翼があって、嘴がある、鳥のような生き物でした。たぶん、ハリスさんやメルディが、絵姿から想像しているものよりも、はるかに大きい。剣もはね返してしまいそうなくらい頑丈で、おまけに凶暴です。それはもしかしたら、卵を盗られて怒っていたから、という理由もあるかもしれないけど。……でもどちらにしろ、人間はあいつの相手にはならない。妖獣にとって、人間は敵でもなんでもない。あれが成獣だとしたら、俺たちはきっと雛よりも弱く、卵と同じくらい簡単に踏み潰して壊せる対象でしかない。それくらいの、差があります」
 トウイが淡々と話す内容に、わたし以外の四人が息を呑む。
 実物を見たことはないという妖獣だからこそ、自分からは遠いものとして認識していたのだろう。実際に目の当たりにしたトウイの口から出る言葉に、今さらながら衝撃を受けているようだった。
「じゃあ、なんで」
 ハリスさんが、前に身を乗り出し、低い声で言った。

「なんで、お前とシイナさまは助かった?」
「…………」

 わたしも全力を傾けて待ったけれど、口を閉じたトウイからは、なかなかその答えが出てこなかった。顎に手を当てて考えるその姿は、言いたくない、というよりは、どう言えばいいのかわからない、と困惑しているように見える。
「それが」
 しばらくして、ぽつりと言葉を落とした。
「……よく、わからないんです」
「わからない?」
 ハリスさんだけでなく、メルディさんもその先が聞きたくてたまらないのだろう。じれったそうな調子で、問い返した。
 トウイは困ったように、全員をぐるりと見回してから、最後にわたしに目を向けた。
「あの時、自分の手に剣がなくて、シイナさまは気を失っていて、妖獣がこちらに襲いかかってきて」
 口を動かしながらも、彼の視線は、わたしから離れない。
「神獣の剣を抜いて妖獣に向けた──ところまでははっきりしてるんですけど」
 そこから先が、よくわからない、とトウイは言った。
「よくわからないって」
 ハリスさんの声がちょっと苛ついている。メルディさんも剣呑な眼だ。ロウガさんは黙っているけど、もどかしげに足踏みをしている。きっと、わたしも彼らと同じような顔をしているのだろう。だって、そこからがいちばん肝心なところでしょ!
「すみません、本当に」
 その場の全員から殺気立った空気を向けられたトウイは、小さくなって頭を掻いた。
「本当に……自分でもわからないんです。神獣の剣の先が、確かに妖獣の嘴に当たった感触はあったんですけど、その瞬間、ものすごく強烈な白い光が、ぱあっと」
 両手を広げて上に向けたのは、「ぱあっと」 という状態を表現しているらしい。
「あまりにも眩しくて目を閉じて、なんとか開けた時にはもう、妖獣の姿はなくなってたんです。俺も頭がぼうっとしてて、ほとんどものが考えられませんでした。とにかくシイナさまを連れて森から出よう、ってことだけは思ったんですけど、急に体力がごっそり抜け落ちていて、立つのも難しくて……正直、どうやってシイナさまを担ぎ上げて歩いたのか、自分でもさっぱり」
 他人事のように首を捻るトウイに、ロウガさんとハリスさんが、「お前な……」 と同時に言って、大きな息を吐きだした。
 わたしもこっそりとため息をつく。

 ……この要領を得ない話から、一体何を判れというのか。

 腰につけている神獣の剣に目を落とし、すらりと刀身を鞘から抜いた。
「トウイさん、これを」
「えっ」
 柄を差し出すと、トウイは目を丸くした。意味が判らないように、剣を見て、わたしを見る。
「ちょっと、握ってみてください」
「ええー!」
「なんで今さら狼狽してるんですか。この剣で妖獣と戦おうとしていたんですよね?」
「や、それはそうですけど、あれは非常時だったからで」
 あたふたと言い訳するトウイの手に、強引に神獣の剣を押しつける。取り落としそうになって、慌てて受け取ったトウイは、改めて柄を握り、「相変わらず軽いですね……」 と惚れ惚れするように呟いた。
 うっとりしているトウイのことは全員が無視し、固唾を飲んで神獣の剣を見守っていたけれど、三十秒経っても一分経っても、何も起こらない。白い光を発するどころか、暗い部屋の中で輝きを反射させることもなく、ひっそりとしている。
 物語の中のように、「真の勇者が手にした時だけ力を発揮する」 ということではないようだ。まあ、そうだよね。神ノ宮にいた時もトウイに剣を持ってもらったことがあったけど、あの時だって別に何も起きなかった。

「……つまり、妖獣にのみ、反応するんですかね」

 考えるように出されたメルディさんのその意見に、わたしは肯えなかった。
 それでは、前回と矛盾が生じてしまう。妖獣を斬りつけても、神獣の剣はあくまで剣としての普通の働きしかしなかった。白い光なんて発していない。

「あるいは、神獣の剣は文字通り神剣で、不思議な力で持ち主の命を守るとか?」

 口にしているハリスさん自身も、その説を信じていないようだ。そう、そんなこと、あるはずがない。そんなことが出来るのなら、わたしは何が何でもトウイに神獣の剣を持たせるだろう。それで万事解決だ。そこまで都合のいいアイテムを、あの性格の悪い神獣がわたしに教えるとは思えない。

「あ、でも、確かにあの時」
 神獣の剣をためつすがめつしていたトウイが、思い出すように口を開いた。
「白い光に包まれた時、ものすごく清浄で、神聖な感じがしました。その瞬間だけ、外界と切り離されて、静かで落ち着いた空気に満たされたっていうか。……そうですね、神ノ宮の最奥の間への通路を通る時のような、でもあれとは違うような。似て非なるもの、ってところですね。──なるほど」
「…………」
 うんうん、とトウイは頷きながら、一人で納得しているけど、たぶんこの場にいる中で、その言葉が理解できた人は誰もいないと思う。メルディさんなんて、わりと露骨に、「頭のほうも診てもらったほうがよかったんじゃないですか」 という目つきをしている。
「じゃあ、やっぱり」
 トウイは微笑みながら剣を持ち直し、柄をわたしに向けて差し出した。

「この剣は、シイナさまを守るために(・・・・・)ある。……どうぞ」

「?」
 剣は受け取ったけど、わたしはよく判らなくて首を傾げた。ロウガさんもハリスさんもメルディさんも 「は?」 という顔をしているのに、トウイはちっとも気にしていなかった。彼の中では、何かがすとんと呑み込めたようなのだけど、何がどうしてそうなったのかは、説明するつもりがないらしい。
「……まあ、とにかく」
 ロウガさんがゴホンと咳払いをして、まとめに入った。トウイの様子を見て、「まだ混乱しているのかもしれない」 と配慮したのだろう。
「さすがに今回のことには治安警察も乗り出してくるだろうし、王ノ宮にも報せが届けばなんらかの対応をとるだろう。明日になったら、俺は街の人間を数人連れてもう一度シキの森へ向かう。今日はもう遅いから、詳しい話はその後で、ということにしよう」
 全員が、一斉に長い息を吐きだした。



 ニコが眠っている隣の部屋へ向かおうと、廊下に出たところで、「シイナさま」 とトウイに呼び止められた。
 はい、と振り向くと、彼はちらっと、すぐそばにいるミーシアさんを気にする素振りを見せた。もう話してもいい? という顔をしている。ミーシアさんは小さな息をついたけど、何も言わずに先に部屋へと入っていった。
 廊下に二人だけになると、トウイはわたしに向かって頭を下げた。
「あの、俺の剣を拾って来ていただいて、ありがとうございました」
 シキの森から持ち帰ったトウイの剣は、ロウガさんの手から本人の許に無事戻されたらしい。わたしは、「いえ」 と素っ気なく返事をしただけなのだけど、トウイはさらに申し訳なさそうに頭を下げた。
「あと、俺の意識がない時に、ルチアがシイナさまに向かってひどいことを言ったそうで」
「気にしていません」
「すみませんでした。いつもはそんなこと言うやつじゃないんだけど、あいつもきっと、いろいろ動転してたと思うんです。必ず、本人にも謝らせますから」
「…………」
 保護者みたいだね、トウイ。幼馴染って、そういうものなのかな。

 ──でもだからって、なにもルチアさんの代わりにトウイが謝ることはないんじゃない?

 別に怒ってないし、ルチアさんに対して何かを思ってるわけでもない。あんな恐ろしい目に遭った上にトウイが倒れて、彼女が興奮するのも無理はないと思うし、言われた内容はもっともだとも思う。
 思うけど。
 ……なんかちょっと、イラッとする。
「必要ないです。もう、謝罪の言葉はもらいましたから」
「えっ、いつですか」
 明後日の方向を向いて無愛想に返したわたしの返事に、トウイがびっくりしたように顔を上げる。
「トウイさんがお医者さんに診てもらっている間に、ここに来て」
「来たんですか? もしかして、シイナさまと二人で話を?」
「そうですけど」
 なんでそんなにうろたえてるんだろ。ひょっとして、ニコとは逆に、わたしがルチアさんに意地悪をしたんじゃないかと不安なの?
「な、なにか、言ってました?」
「別に……どうしてシキの森へ行ったか、ということを」
「他には?」
「怖い顔のトウイさんにいろいろ言われた、ということを」
 トウイが呻いて手で顔を覆った。あいつ余計なことを……! とかなんとか忌々しそうに口の中で呟いている。もしかしてこれって告げ口になるのかな、と自分がちょっとイヤになり、わたしは 「じゃあ」 と踵を返した。
 背中を見せたところで、後ろから、トウイに腕を掴まれた。
「俺が言ったことの中身は聞きましたか」
「……いえ」
 なんで、そんなに真顔なの?
「それはなによりです。いいですか、言う時は自分の口から言いますから。ていうか前にも言ったんですけど、今度はちゃんと伝わるように言いますから。いいですね?」
「…………」
 やたらと真剣な色合いを帯びた右目でわたしを睨みつけながら、トウイはしつこく念を押した。ルチアさんの言っていた 「ものすごく怖い顔」 って、こういうのを指すのかな。
 その迫力に押されて、「はあ」 と返事をすると、トウイはやっと安心したように目許を和らげた。
「じゃあ、今夜はゆっくり休んでください。また明日」
 そう言って、台所のほうに向かっていく。
 もう一度 「はあ」 と間の抜けた返事をして、わたしはミーシアさんとニコが待つ部屋のドアを開けた。
 メルディさんの気持ちがわかる。

 ……トウイ、やっぱり頭を打ったんじゃ?


          ***


 翌日、ロウガさんは朝から街の人たちを連れ、シキの森へと出かけて行った。
 あの悲惨な現場を直接見たら、人の血や死に慣れていない人たちはパニックになるだろう。トウイとも話して、なるべく理性的で落ち着いた人を選ぶと言っていたけど、それでも平常心ではいられないに違いない。
 いくらなんでも、あれだけのことが起こっては、大きな騒ぎになるのは避けられない。この平和な街が、これからその騒動に巻き込まれることになるのかと思うと、それだけで心が沈む。
 メルディさんがまだ少し不自由な身体でバタバタと忙しそうにしていたから、王ノ宮も近いうちに調査の手を伸ばしてくるはず。
 王ノ宮は、妖獣が草原地帯から出てきた、という話をどう受け止めるのか。イーキオの枝は、この国にどこまで広がっているのか。
 国や世界を巻き込んで、運命はどう廻ろうとしているのか。

「……シキの森にいた連中は、妖獣の卵をどうするつもりだったんですかね」

 わたしと似たようなことを考えていたのか、ベッドに寝転がりながら、両手を頭の下で組んで、ハリスさんがぼそっと言った。
 トウイは昨日結局放り出したままの馬の世話をしに行って、メルディさんはまだ帰って来ず、ミーシアさんとニコは台所でお昼ご飯の準備をしている。部屋の中にいるのは、ハリスさんと、机で文字の書き取りをしているわたしの二人だけだ。
 静かな部屋の中には、窓から気持ちのいい風がふわりと入って、ベッドに横たわるハリスさんの頬を撫でていた。窓の外はいつもと同じ、穏やかでのどかな眺め。少し離れた場所で人がたくさん死んでいるなんて、嘘みたいだ。
「たぶん、妖獣に神ノ宮を襲わせるつもりだったんでしょうね」
 ペンを動かしながらわたしが答えると、ハリスさんは上体を起こした。もう、以前のように、身動きするたび眉を寄せることはない。あと少しで、ベッドから離れてもいいという許可がもらえるだろう。
 ハリスさんが動けるようになったら──

 これからどこに向かうのか、結論を出さなくちゃ。

「特定の場所を妖獣に襲わせる、なんてことが出来ると思いますか」
 ハリスさんの問いに、わたしは頷いた。
「思います。実際、もう少し上手にやっていれば、妖獣はシキの森ではなく、神ノ宮に突っ込んでいたんじゃないでしょうか」
「そうしたら、神ノ宮は……」
「壊滅です」
「…………」
 ハリスさんが無言になる。
 わたしは下を向いて、ゆっくりと手を動かし、ひとつずつ文字を綴った。
「イーキオの枝やらミニリグやらをこの国に持ち込んで、リンシンは何をしようとしているんでしょうかね」
「復讐だと、本人は言ってました」
「何に対する復讐ですか」
「すべてに」
 この世界の、すべてに。


 幻の神を作り上げ、自らの非を顧みず、他人を引きずり落とすことで自分が幸福になれると錯覚する人々に、神獣を否定させ、破滅させる。
 神獣はまがいもの。神だと思うものは所詮、人の欲望でしかない。運命は神によってではなく、人の手によっていくらでも操れる──
 リンシンさんはきっと、それを証明しようとしている。彼が復讐したいのはすべて。神獣も、神ノ宮も、王ノ宮も、神も、この国この世界に暮らす人々も、母親と自分が辿った運命も。だからこそ、こういう方法を選んだ。自分自身が神獣や神ノ宮に剣を向けても意味がない。
 誰のため? お母さんのため? 自分のため?
 ううん、たぶん、そんなことも関係ない。
 あの人はもう、その道を進むしかないんだ。
 決して迷わず、後ろを振り返らず、道を塞ごうとするあらゆるものを排除して。


「……復讐ね」
 ハリスさんが呟くように繰り返す。くだらない、とか、バカバカしい、とか続けるのかと思ったら、次に出てきたのは、まったく反対の言葉だった。
「だったら、止めるのは難しいでしょうね」
 顔を上げ、ハリスさんのほうを向いた。彼はわたしと目を合わせると、ちらりと苦笑した。
「自分にも、覚えがあるもんでね」
「ハリスさんにも?」
「子供の頃に」
 くすっと笑って、ハリスさんは窓の外に目をやった。
 少し黙ってから、ゆるりと、口を開く。
「俺はその時、まだまだガキで……甘くて優しいものばかりに周りを囲まれて、世界すべてがそういうものなのだろうと、恥ずかしい勘違いをしてました」
 彼の目は外に向けられているけれど、見ているのは、そこにある木でも道でも建物でもないようだった。
「もちろん、そんなわけがない。世界は俺が思っていたよりも、ずっと残酷で、容赦がなかった。馬鹿な俺は家族も家もいっぺんに失って、やっとそれに気がついた、というわけです」
 毛布の上に置かれている手が、拳になって握られる。
「──弟と妹は、まだ十歳にもならなかった。二人とも、よく俺を慕ってくれていた。でも俺は、どっちも助けられなかった。自分も刺されて動けなくてね……血だらけになりながら、なんとかあいつらの盾になってやろうと這いつくばって進んだけど、間に合わなくて、二人とも目の前で殺された。俺のことを呼んで、助けて、って泣きながら叫んでたのに」
 口を噤み、目線を窓から自分の手に移した。
「俺は何もできなかった。見ているだけだった。泣いても喚いても現実は変わらず、家は焼け、家族は死に絶えた。自分の無力さに、絶望しましたよ」
 拳にしていたその手を広げ、じっと見つめる。そこに何もないことを、確認するように。
「俺も死んでしまえればよかったのに、どういうわけだか一人だけ生き延びてしまった。親と弟妹を俺から奪い取ったやつを殺したくても、相手はずっと上のほうにいて手が出せない。だから強くなろうと思ってね、いろいろ無茶もした。その途中で知り合ったのが、シャノンと、その旦那だ」
「…………」
 わたしは困惑して、何も返事が出来ないでいた。

 ハリスさんは、どうしてこんな大事な話を、わたしにしているんだろう?

「二人とも、出来れば俺の無謀さを思いとどまらせたかったけど諦めた、と言ってました。きっと、復讐するという決意を固めて、それしか見えなくなってるやつに、どう説得しても無駄だと踏んだんでしょう。終いには、じゃあもうとことんまでやれって、戦い方まで教えてくれて」
 その思い出にはハリスさんにとって楽しいものも混じっているのか、目を細め、くくっと喉の奥で笑った。
「だから、リンシンに何を言っても無駄だ、ってことだけはわかる。止めようとして、止められるもんじゃない。自分自身で、どうにかして決着をつけられなきゃ、そういうものは止まらない。あいつのやり方にはまったく共感できないし、これっぽっちも同情なんてしないが、経験者として、そこだけはわかる」
「──ハリスさんは、自分自身で決着をつけたんですか」
 これまでずっとこちらには目を向けずに喋っていたハリスさんは、その問いにようやく顔を上げて、わたしを見た。
「いや、それが」
 唇の片端を上げて、皮肉っぽい笑みを作る。
「相手を見失いましてね」
「見失った?」
「こっちが死に物狂いで剣の腕を上げている間に、あっちは姿をくらましちまったんですよ。そもそも敵の多いやつだったんで、身の危険を感じたんでしょうね。名前を変え、居場所を変え、完全に表舞台から姿を消しました。ただでさえ身分の高い壁があるってのに、隠れられたらお手上げだ。裏のほうで暗躍はしてるんでしょうが、階級も家もなくした孤児上がりの人間には、とてもそんな情報を掴むことなんざ不可能です」
「…………」
 不可能だ、と言うハリスさんは、それでも、諦めた、という言葉は出さなかった。
 そうか、だから。
 マオールの街を離れる時、シャノンさんは、トウイに向かって言ったのだ。

 あの子が目的のものを見つけないように(・・・・・・・・)祈ってる、と。

「──シイナさま」
 ハリスさんに名を呼ばれ、びくっと指の先が揺れた。いつもの彼とは別人のような静かなその声に、発作的に逃げ出したい衝動に駆られた。
 トウイの先輩で、皮肉屋で、女好きで、後輩思いで、不真面目なところもあるけど腕は立つ。どうしてだろう。この人に対して、こんな風に思ったことはないのに。
 こちらに向けられる赤茶色の目が怖い。
「……はい」
「俺がなぜ、こんな話をしているのか、わかりますか」
「いえ……」
 足が小さく震えた。
「あなたも、俺と同じなんじゃないかと思ったからです」
「同じ?」
 わたしは、誰かに復讐しようなんて思っていない。
 そう言おうとしたら、その前にハリスさんが口を開いた。
 揺るぎのない瞳が、まっすぐにわたしを見つめている。

「あなたも、守りたいものを守れなかったんじゃありませんか。過去に──あるいは、未来に(・・・)


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