リライト・ライト・ラスト・トライ

第十五章

1.分岐点



 守護人は家に帰るとすぐに、「着替えます」 と、奥の部屋に入っていった。ミーシアが手伝いのため、彼女のあとに従い、扉を閉める。
 俺は、その姿が見えなくなるまで、守護人の背中をじっと見つめていた。


「──草原地帯に、向かうそうです」
 帰ってきた時にはすでにメルディはいなかった。こちらの部屋では俺たち護衛の他には、椅子に腰かけたニコが、もぐもぐと菓子を頬張りながら、床から浮いた足をぶらぶらさせているだけだ。
 だから俺はとりあえずロウガさんとハリスさんに、守護人から告げられた目的地決定の意向を伝えた。
 目的地は、最初の予定通り、草原地帯。
 八ノ国、妖獣の国だ。もちろんその中に入ることは出来ないが、草原地帯とニーヴァ国との境には、異常がないかを監視するための砦が作られているので、現実的にはそこまで、ということになるだろう。砦からはたまに、空を飛行したり、草の間から頭だけを出す、妖獣の姿が見られることもあるらしい。
「そうか……」
 ロウガさんとハリスさんは、俺の言葉を聞くと少し複雑そうな表情をしたが、余計なことは何も言わずに、了解した、と一言だけ返した。
 その返事に、ちょっとばかり拍子抜けしたのは俺のほうだった。守護人と自分の職務に忠実であろうとするロウガさんはまだともかく、ハリスさんからは、多少なり疑問や反問があるのではないかと予想していたのだが。
「……なんだよ」
 まじまじと見つめる俺の視線に気づき、ハリスさんがうるさい虫を払うように手を振って、イヤそうな顔をする。
「いや、なんか、気味が悪いくらい素直だなと思って」
「お前、先輩に対していい度胸だな。今までだって、俺が守護人の言うことに逆らったことなんざねえだろ」
「表向きはそうでも、内心は違ったでしょ。いつもなら言葉では従っても、顔には皮肉っぽいものが出てたくせに、今はやけに……」
「うるせえよ」
 腕を組み、ぷいっとそっぽを向かれた。図星を指された時の、ハリスさんの癖だ。
「ロウガさんも、それでいいんですか」
 俺はロウガさんのほうを向いて、確認するように訊ねた。
 神ノ宮で、「神獣の守護人の意向に自分たちが口を挟む権限などない」 と言っていた時と、今は違う。ロウガさんは中途半端なことを嫌う性格でもあるし、完全に危険人物であることがはっきりしたリンシンの行方を追わなくて本当にいいのかと、聞きたい気持ちくらいはあるだろう。
「まあ、そうだな……」
 ロウガさんは珍しく言いにくそうにもごりと言葉を濁して、顎の先を指で摘みながら視線を逸らした。
「思わないことがないでもないが、とにかく今は、守護人の考えるようにさせてやろうと……」
 ん?

 考えるように、させてやろう?

 なんか、変な言い方だな。それって、「守護人の考えに従うのが護衛の仕事だから」 っていうのとは、微妙に違わないか?
 ロウガさんはどこか気まずげな表情、ハリスさんもまったく違う場所に視線をやって、頭を掻いたりしている。どうしたんだ。
 二人は、俺のほうを見ないまま、ぼそぼそと呟いた。
「……あんな顔を見てしまってはな……」
 あんな顔ってなんだ?
「……ま、俺には俺の個人的な事情ってやつがあってよ……」
 個人的な事情ってなんだ?!
「なんなんですか二人とも。俺の知らないところで、シイナさまと何があったんです?」
 ちょっと焦るような気分になって問い詰めてみたが、ロウガさんもハリスさんもそれぞれ反対方向の空間に目をやり、無視を決め込んでいる。なんなんだよ、一体何があったんだよ。そりゃ俺だって、約束の樹の下での守護人とのやり取りを誰にも言うつもりはないけど。それにしたってなんだか面白くない。猛烈に面白くない。
「そんなこたーいいんだよ。それより」
 ハリスさんが、俺の追及から逃げるためか、いきなりくるっと顔を戻して、話の舵を強引に別方向に向けた。

「お前、ちゃんと彼女を褒めたんだろうな?」

 うぐ、と言葉に詰まる。
「い、今は、そんなこと」
「シイナさまがいない今だから聞いてるんじゃねえか。お前、女が新しい洋服を身に着けたら、とにかくすぐに褒める、ってのは男の鉄則だぞ。お前の場合、『すぐに』 の部分がすでに落第点だったんだから、その分、人よりも多く言葉を尽くして褒めなきゃどうしようもないぞ」
「う……」
 どうしようもない、とびしりと決めつけられて、一言もない。
 そりゃもちろん、俺も褒めたかったんだけどさ。でも、ほら、やっぱりああいうのは、きっかけっていうのがないと……そのきっかけが、どうしても俺には見つけられなかったんだから、しょうがないじゃないか。
「だって、墓の前でそんな話題を持ち出すのも……」
「他にも機会はいくらでもあっただろうがよ」
 うん、あったかもね。今になって思い返せば、確かに、いくらでもあった。二人でのんびりとハルソラの街を廻っていたわけだし。
 だけどさ、綺麗とか可愛いとかその色すごくよく似合うとかいう言葉は、所詮、頭が冷静な時に出せるものなんだよ。実際にその姿を目の当たりにしたら、見惚れるほうに全神経が向いてしまい、かえって声なんて出ないものなんだって。

 ふんわりと後ろでまとめられた黒く艶やかな髪に小さな花飾りがよく映えて、細いうなじが妙に色っぽかった、とか。
 淡い色のスカートから伸びた足首の細さにちょっと眩暈がしそうだった、とか。
 どこもかしこも女の子っぽくてあまりの愛くるしさにずっと目が離せなかった、とか。

 面と向かって、そんなこと言えないだろ! ハリスさんには出来ても、俺には無理! 絶対無理!
「もしかして、口説き文句のひとつも吐かずに、ただ散歩して、ここまでノコノコ戻ってきたってか。あれだけ時間かけて? ずっと二人でいて? おいおいホントかよ、情けねえなあ。お前、これまで俺の近くで何を見てきたんだ」
「…………」
 ハリスさんが、いかにも不出来な弟子を嘆くように、はあーとため息をついて大げさに首を振るので、さすがに俺もカチンときた。
 別にそちら方面でハリスさんの弟子になりたいなんて、思ったことないし。大体、ハリスさんが女性に対してかける薄ら寒く嘘くさい台詞を間近で聞いていたせいで、それに対する不信感が根付いたっていうのもあるし。
「……じゃ、言わせてもらいますけど」
 すっかりやさぐれた眼でねめつけると、ハリスさんは 「な、なんだよ」 とわずかに身を引いた。
「ハリスさんの褒め言葉だって、ほとんどカケラもシイナさまの心に届いてませんからね」
「は?!」
 目を見開いて驚く。どうやら本人には自覚がなかったらしい。
「なんでだよ。俺にしては珍しいくらいに率直に」
「今まで、自分が他の女性にどういう態度をとっていたか、少しでも思い返してみたらわかるでしょ。シイナさまだって、ハリスさんの手口は直に見てるんですから。あの時の彼女の目、どう見ても、『ああ、いつものアレか』 と思ってる目だったじゃないですか」
「ウソだろ」
 ハリスさんがちょっと動揺している。
「今後ハリスさんが何をどう褒めても、シイナさまの耳の右から左へと通過していくのが手に取るようにわかりますね」
「いや待て」
「つまりハリスさんがその点で彼女を喜ばせてあげることは、この先実現不可能だということです」
「なんだそりゃ! なに決めつけてんだ?!」
「自業自得ですよ! それに比べたら俺のほうがまだマシでしょうが!」
 ハリスさんが眉を吊り上げて俺の胸倉を掴んできたので、ついこちらも大声で怒鳴り返す。二人で揉み合っていたら、ロウガさんが割って入ってきた。
「ちょっと待て、落ち着け。まったくお前たちは……いいか、女性に対して衣装や容姿を褒める時には、まず礼節というものを忘れずに」
「ロウガさんはものすごく棒読みだった!」
「定型文をそのまま読み上げてるみたいだった!」
「なっ……! 俺はただ、ああいうのは出来る限り判りやすい言葉にするのが肝要だと……!」


 結局、「オレがあとでもう一度、『可愛かった』 ってシイナさまに伝えておくよー」 と言ってくれたニコに、俺たち三人は揃って頭を下げることになった。


          ***


 フラフラと遊び歩いているようにしか見えないメルディだが、それでもやっぱり密偵としての活動はちゃんとやっているらしい。
 シキの森に行ったり、治安警察の人間を誑し込んで話を聞いたりと、彼女は彼女なりにあちこちから情報を得ているようだ。
「王ノ宮は今、いろいろと忙しいみたいで、すぐには人員を割けないようですねえ」
 夜遅くになって戻ってきたメルディは、少し面白そうに目を眇めて、そう言った。
「なにしろ、星見の塔が燃えて、その中にあった記録も書物もすべて焼失してしまったでしょう。あちらでてんやわんやの状態なんですよ。そりゃー国にとっては重要な施設ですからね。他の国に協力要請は出しているけど、それにどこまで応えてもらえるか……今後十年、二十年は、正常な気象の予測がまったく立たないことを覚悟しなきゃなりません」
 メルディはあくまで軽い口調だが、聞いている俺たちの上には重い空気がのしかかった。
 予想していたこととはいえ、実際に事実として耳に入れると、事の重大さがひたひたと不気味な足音を立てて迫ってくるようだ。
「まあ、国の指針がそれだけに拠るってわけでもありませんがね。どうせ災害なんてのは、思いもかけない時に突然やってくるものですし。ただ、ここ数年、星見の塔の予測が外れて天候不順が続いたことで、すでにニーヴァの国は端のほうから疲弊しはじめている。この上にこれだと……これから国民は、少々苦難を強いられることになるでしょうね」
 暗い見立てだが、頷かざるを得ない。
 守護人には話していないが、この呑気で平和に見えるハルソラでさえ、少しずつ影が差しはじめているのだ。馬車商人が運んでくる荷はだんだん量が減り、質も悪くなっていくようだと、ルチアや街の住人たちから、何度も聞かされた。
 このニーヴァには、ここよりももっと貧しい街は、まだいくらでもある。
「リンシンが、ずっと以前から星見の塔に関与していたとしたら、まさに思う壺という状況だな」
 ハリスさんが、忌々しそうに息を吐きだした。
 星見の塔は、膨大な記録と研究結果を元に、天候の変化と予測、天変の訪れなどを予想して、王ノ宮に伝えるための施設だ。
 その伝達内容はもちろん極秘だし、出来うる限りの正確さを要求される。

 たとえばそれが、誰か第三者の手によって改竄されていたり、偽物と入れ替わっていたとしたら?

 星見の塔の予想が実際のものとはほとんど正反対に外れだしたのは、二、三年前くらいから。それによって王ノ宮が立てる政策には齟齬が生じ、不作などへの対策も後手に回り、ニーヴァの経済は停滞しはじめた。
 情報を操作し、国を根幹から揺るがす。そんなことが本当に可能なのかどうかは判らないけど……でも。
 星見の塔を燃やした時、リンシンははっきりと、「後始末の一環」 と言っていた。
「もしもそんなことを一人でやってのけたというなら、すさまじい執念ですよ。国を廻ってイーキオの枝をばら撒くのだけでも相当な手間でしょうに」
「…………」
 俺は口を引き結んだ。
 それだけ、あの男の憎悪は、底が見えないほどに深く、根強いということか。
「……このまま王ノ宮が有効な手立てを取れなければ、国民の不満は高まる一方ですね」
 メルディが、卓の上をとんとんと叩いている自分の指先に視線を据えつけ、言葉を落とすようにぼそりと呟く。
 その指の動きが止まった。顔を上げ、正面に座る守護人を見る。

「──これから、草原地帯に向かわれる、と?」
「はい」

 そちらを見返し、きっぱりと返事をする守護人の声にブレはない。メルディは口元から軽い笑みを消して、まるで観察でもするかのような冷え冷えとした視線を守護人に向けているが、それでも動じる様子はなかった。
 見ているこちらが冷や汗をかいてしまうくらいの、ひどく緊迫した空気がしばらく続き、メルディがふっとまた唇に笑いを乗せた。
「シイナさまがそうお決めになられたのでしたら、私は王ノ宮の密偵としてついていくだけですとも。……まあ、所詮、ここはあなたの故郷でもなんでもない、無関係な異世界なのですからね。どうなろうと知ったこっちゃない、というのもわかります」
「メルディ!」
 つい声が出てしまったが、メルディはまったく気にも留めずに小さな笑い声を立てるだけだった。守護人は何も言わず、じっとしている。
「ただ」
 静かに、その口が動いた。

「……その前に、グレディールへ向かいます。ニコを、そこへ」

 守護人の言葉は、途中で切れた。隣に座るニコが、飲み物の入った器を落として、ぱっと彼女の顔を振り仰いだからだ。
 大きく見開かれたその目に、喜びの色はまったくなかった。占められているのは驚愕ばかりだ。みるみるうちにそれが、溢れるような悲しみに取って代わるのを、誰もが居たたまれないような気分で見守るしかない。
「オレ……でも、オレ」
 わななく唇がなんとか言葉を紡ぎだそうとするが、それはすべて、少し出かけてまた喉の奥へと戻された。きっと、たくさんのものを必死に飲み下そうとしているのだろう。
 いつも感情の窺えない守護人の瞳が、一生懸命下を向いて涙をこらえているニコの姿を捉えた途端、ふらりと揺れた。彼女はいろんなものを隠すのが上手だが、それでも隠し通せないものもある。
「ニコを、草原地帯へ連れてはいけない」
 守護人はそれだけを言うと、音を立てて椅子から立ち上がり、部屋から出ていった。
 かすかに、「ごめんね」 と続けられた言葉は、ぼとぼとと大粒な涙を零しはじめた子供の耳に、入っただろうか。


          ***


 二日後、いよいよハルソラの街を出立することになり、俺は預けていた三頭の馬を引き取りに行くことにした。
 家の中では、またどこかに雲隠れしてしまったメルディ以外の全員が、荷造りをしたり片付けをしたりと大忙しだ。もともと仮住まいだったのだから大した荷物はないといっても、他の住人たちに借りた寝台などもある。力仕事はほとんどロウガさんがこなしているわけで、一人ではやっぱり大変だろう。俺も早く戻って手伝わないと。
 そう思いながら半ば駆け足で厩に向かっていた足を、ぴたりと止めた。
「よう」
 道の真ん中に立っているその男を見て、俺はちらっと腰の剣を一瞥する。柄に手をかけようかどうしようかと一瞬迷って、結局やめた。先日と違い、男からはこれっぽっちも殺気が漂ってこない。
 守護人を連れてこなくてよかった、とほっとした。
 男の右手の長い袖は、肘から下あたりが、風に吹かれてはたはたと頼りなく揺れている。この姿を見たら、嫌でもあの時のことを思い出させてしまうだろうからな。
「生きてたのか」
「おかげさまで、とでも言えばいいのか?」
 嫌味っぽく言って、風人は口の端を上げた。


 うーん、とちょっと困ってこりこりと頬を掻く。こんな場合、なんて言えばいいものか。
 幸い、近くに人の姿はまったくない。というか、きっとこういう場所を狙って出てきたのだろう。風人は、仕事の時以外でも他人に自分を見られることを嫌う。
「言っておくけど、同情はしないよ」
 まずそこだけは真っ先に釘を刺しておく。もちろん、ごめんと謝るつもりもない。あの時、腕どころか命を取られていたのはこちらのほうだったかもしれないのだ。
「当然だ。俺だってそんなものは御免蒙る」
 くくっと笑う風人は、シキの森で対峙した時よりも若く見えた。あの時はあまり眺める余裕もなかったけど、全身に漲らせていた殺気を消すと、そこにいるのは一見痩せぎすの、三十代くらいの男だ。身体を覆っている獣さながらの筋肉は、布地の多い服を着ていれば判らない。
「よく逃げられたね。あんたも見ただろ、妖獣」
「ああ、見たな。まったく、あの卵が、あんなもんを呼び寄せると知ってりゃ、はじめから契約なんて交わさなかったのによ」
 この男はシキの森にいた連中の目的については、何も知らなかったらしい。だよなあ。風人は契約の中身以外のことには関知しないし、興味も持たない。あいつらの素性もどこから来たのかも、訊いたところで 「知らない」 と答えるだろう。
「妖獣が俺よりも先にお前に目をつけたのは幸いだった。血の臭いがしたし、動かずにいたから、きっと俺のことは死体だと思ったんだろうな」
 つまり、死んだフリをして災厄をやり過ごそうとしたってことか。腕を斬り落とされて、よくも咄嗟にそんな計算が思いつくもんだよ。
「じゃあ、一部始終を見てた?」
 あの時何がどうしたのか、をこいつは見ていたんじゃないのかと期待したが、風人から返ってきたのは、「白い光に包まれて、目を開けたら妖獣はいなくなっていた」 という、俺と大差ない答えだった。なんだよ、やっぱり詳細は判らずか、とがっかりする。
「で、あの光は何なんだ?」
「さあ」
 なんだろうね、と俺が首を捻ると、風人は脱力したように肩を落とした。
「なんだよ、あんなバケモンを剣一本で追っ払っておいて……変なやつだな、お前」
「そんなことないよ」
 あの変な守護人に比べたら、俺は至極真っ当な常識人だ。
「で、あんた、何しに来たの? 恨み言でも言いに来た、ってわけじゃないよね」
 俺が出したその問いに、風人は左手で顎を撫ぜ、にやりと笑った。
「俺の腕を斬り落としてくれたあのお嬢ちゃんに報復しに来た、って言ったらどうする?」
「左の腕も斬り落とす」
 すらりとそう返してから、軽く肩を竦める。
「……けど、あんたはそんなことはしないだろ」
「なぜそう思う?」
「風人だから」
 そう答えると、風人の目に、少しだけ楽しそうな光が宿った。利き手を失い、契約主を失い、自分も死にかけて、この先の見通しに明るいものがあまりあるとは思えないのに、この男の瞳にも顔にも、絶望の影は見えない。
「実を言えば、それが聞きたくて来たんだよ。風人は我が身に何があろうと、決して悔やまず、恨まない。それを知識として知っているやつはいても、当たり前のように信じているやつはいない。お前、ずいぶんと風人について詳しいようだが、ひょっとして──」
「あの時、家族を持つ風人もいる、って言ったろ」
「ああ」
「あれ、うちの親父」
 おおかた想像はついていたのかもしれないが、風人は声を立てて笑った。
「なるほどな! つまりお前は、最低の人でなしの子、ってわけだ!」
「悪かったね」
 憮然とすると、風人はさらに笑った。シキの森ではぴくりとも笑わない無表情だったが、素はけっこう笑い上戸らしい。
 笑いを収めてから、男はそれまでと変わらない調子で、「──で、その人でなしの親父はどうした?」 と訊いた。
「死んだよ」
「そうか。どういう死に方だった?」
「その時護衛していた人を庇って、串刺しにされたって。実際はどうだったのかよく知らないけど、俺が見たのは、『もと親父だった肉塊』 みたいな感じだった」
「護衛対象だったやつは逃げられたのか」
「ああ」
 その人が、俺に親父の死に様を伝え、その後も一人残された俺の世話を焼いて、神ノ宮の護衛官の仕事まで紹介してくれた。
 風人は普通、人に忌まれる。その風人に仕事を頼むような人間にしては、信じられないくらい義理堅い、律儀な人だった。
「きちんと契約を果たせたのなら、お前の親父は満足だったろうさ」
「……そうかもね」
 俺もずっと長いこと、そう思ってたよ。

 護るべき人を護って死ねたのなら、親父にとっては本望だったのだろうと。
 死に顔は見られなかったけど、もしも見られたなら、親父はきっと笑っていたのだろうと。
 歯を喰いしばり、涙をこらえ、必死になって、そう思い込もうとしていた。

「ここを離れる前に、それが聞けてよかった。風人は、他の風人の死を、なるべく心に刻むようにしているんだ」
「自分もそうなるかもしれないから?」
 風人は、静かに微笑した。
「一人くらいはそうやって、覚えておいてやらないといけないからさ。そういう風人が生きて、そして死んでいったことをな」
「…………」
 俺は少しためらったが、やっぱり聞いてみることにした。
「……あんた、これからどうすんの?」
「どうするも何もない。風人は風人のままだ。本当に風になるその日まで」
 そう言いながら右腕を動かし、中身のない袖先を振る。
「俺は命を拾った。右手はなくなったが、まだ左手がある。足は両方揃ってるし、頭も無事だ。これだけ残ってりゃ十分だ」
 口で言うほど簡単なことではないだろう。左手で剣を扱えるまで、何年かかるかも定かじゃない。扱えるようになったとしても、以前と同じように戦えるようになるまでには困難を極める。そんな不安定な風人と、果たして契約を結んでくれる人間がいるのかどうか──
「同情も心配も不要だ。覚えておけ、風人の息子。俺たちには俺たちの誇りがある」
 切り捨てるように言われて、うん、と頷く。
 強いな、と思った。
 俺はこの強さと誇りを、手に入れられるかな。
「お嬢ちゃんにもそう伝えろ。あの迷いのない剣筋は悪くなかった。風人に向いているかもしれないぞ、とな」
「それは無理」
 すっぱり断ると、風人が、ははっと笑った。あの女の子が神獣の守護人だと知ったら、たぶん笑ってはいられないだろうけど。

 彼女は風人にはなれない。
 神獣の守護人だから、ではなく。
 いつか、この世界からいなくなる人だから。

「もしもまた会うことがあったら、その時は見知らぬ他人だ。あの森と同じような状況になったら、俺は今度こそ確実にお前を殺す」
「わかった」
 じゃあな、と左手を挙げてこちらに向ける風人の後ろ姿には、ちゃんと腰に剣が差さっていた。あの混乱の中、自分の剣はしっかり持ち帰ったらしい。ちゃっかりしてるよな。しかもすでに腰の右側にあるあたり、やる気満々じゃないか。
 同情も心配もしてやらないよ。
 少し、尊敬はするけどね。
 柔らかな風が吹き、宙に木の葉を舞わせている。もしかしたら、風になった親父が、自分の仲間の逞しい生きざまを見て、喜んでいるのかもしれない。



 交わした契約をとことん貫いた父親。
 最後まで逃げることなく、護るべき人を護って死んだ。
 俺もそうやって生きて、そうやって死んでいけたらなと、憧れと共に思っていた──こともある、のは否定しない。
 ……けど。
 俺はもう、その道は、選ばない。


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