リライト・ライト・ラスト・トライ

第十六章

3.紋章



 諸々の騒ぎに一応の収束がついたところで、わたしはどうやら、倒れてしまったらしい。
 そのあたり、ほとんど記憶がない。宿屋に戻ったところくらいまではなんとか覚えているのだけど、そのあとがふっつりと途絶えている。
 ずっと、朦朧としていた。眠りの合間に、ぼんやりと目の中に入り込む景色はあったものの、それをきちんと把握して理解する、気力と体力がなかった。
 身体がだるく、頭が重くて、熱かった。時間の経過も曖昧で、ほんの少し目を閉じただけのつもりが、次に開けた時には、そこにいる人が変わっている。どの人もみんな、一様に心配そうな表情をしていた。
 額にひやりと冷たい感触がして、それが濡れた布だと気づいた時にようやく、ああ、熱を出してしまったんだ、ということだけは判った。
 頭がちっとも働かない。
 夢を見て、目が覚める。覚めた時にはもう、夢の内容が抜け落ちている。
 何が夢で何が現実なのか、次第に、その境界があやふやになっていくようだった。
 わたしは睡眠と覚醒とを繰り返し、意識は現在と過去とを行ったり来たりして、ずっとふわふわと宙を漂っていた。ここに寝ているのは、小学生の自分であったり、高校生の自分であったりした。
 ここがどこかということも、目の前にいる人が誰かということも、おぼろげにしか認識できなかった。
 喉が渇いた、と呟いたら、そばにいた女の人が水を飲ませてくれた。
 女の人の口から紡がれる声は、とても柔らかかった。前髪にふわりと触れる手は温かく、しなやかで、気持ちがいい。冷たい水が喉を通ったら、なんだかひどく安心して、息をついた。この人は大丈夫。ここは安全。そう思わせる優しさに溢れていた。
 そう──こんなこと、以前にもあったっけ。ずっと昔、ちっちゃな子供だった頃。
 綺麗な綺麗な、幸福の記憶。

 おかあさん、と呼んだら、女の人が泣きそうな顔をした。


          ***


 ──ニコが、女の子の恰好をして笑っている。
 わたしがミーシアさんにお願いして、用意してもらったワンピースだ。色も形も、わたしがルチアさんに貰ったものとよく似ている。こちらのスカートはちょっと面倒くさいけど、ニコとお揃いなら着てもいいな、とわたしはそれを見て思った。
「ニコ、すごく可愛い。よく似合ってる」
 わたしが褒めると、ニコは照れくさそうにえへへと笑った。
 男の子の洋服を着ていると男の子に見えてしまうニコの凛とした顔立ちは、こうして女の子の恰好をすればちゃんと女の子っぽく見えた。灰色の細い髪の毛が、ふわふわと肩の上で揺れて、とても愛らしい。このまま雑誌のモデルにだってなれそうだ。
 これならさすがにトウイだって、男の子と間違えたりはしないよね。だってすごく魅力的だもん。あちらの世界に生まれていたら、きっとお父さんにベタベタに甘やかされて、周囲からも可愛がられていたに違いない。大きくなったら、さぞかし美人さんに成長するだろうことが、今の時点で確信できる。

 大きくなったら──

 頭の中をかすかな違和感が掠めていったけれど、表面にまで出る前に、わたしはそれを無理やり押し潰した。
 考えちゃダメだ、と何かが警鐘を鳴らしている。
 今はそれは見なくていい。目を逸らして、思考を余所に向けて、どこかに追いやってしまおう。
「オレ、こんなの着るのはじめてだよ」
 ニコがそう言って、くるりと一回転した。スカートの裾がふわっと広がるのが楽しかったのか、声を立てて笑う。いつものニコの朗らかな笑い声だ。無邪気で、屈託のないその声に、わたしの心がほっこりと温まる。
「みんなにも見せてあげよう。きっとびっくりするよ」
 わたしの提案に、ニコが元気よく、うん! と返事をした。返事をするやいなや、ぱっと身を翻し、勢いよく駆け出していく。ニコはいつも、行動が早い。のんびりしていたら、わたしのほうが置いて行かれそうだ。
「待って、ニコ。一人で行くと迷っちゃうよ」
 トルティックの街の時みたいに、また──と言いかけて口を噤む。
 今の自分がどこにいるのか判らず、急に不安になった。
 ここ、どこだっけ? トルティックの街はもうとっくに出て、それから星見の塔に行って、ハルソラに行って、それから……
 ニコを追いかけようと前に出しかけていた足を止め、周りを見回す。そこにある風景は妙にぼうっと霞んでいて、よく判らなかった。どこかの街のようにも見えるし、森の中のようにも見えるし、広い荒野のようにも見える。
 その茫漠とした景色の中を、ニコは一人でさっさと走って行ってしまう。ただでさえ小さなその後ろ姿が、さらに小さくなっていくことに焦って、わたしは慌てて走ろうとした。
 けれど、足が動かない。
 そうしているうちにも、ニコの姿はどんどん遠くなっていく。待って、とわたしはその背中に声をかけた。大声で、叫ぶように、ニコの名前を呼んで、何度も待ってと繰り返した。
 待って、ニコ、わたしを置いて行かないで。
 その声が届いたのか、ようやくニコがぴたりと足を止めた。わたしはほっとして大きく息を吐きだし、依然として動かない足を、必死になって前に出そうと試みた。早く、早く行かなくちゃ。ニコを見失ってしまう。
「……シイナさま」
 こちらを向かないまま、ニコがわたしの名を呼んだ。とても遠いところにいるはずなのに、その声はまるですぐ近くにいるようにくっきりと、わたしの耳に届いた。
「シイナさまは、オレを助けてはくれないんだね?」
 後ろ姿のまま投げつけられた言葉に、わたしの全身が凍りついたように硬直する。顔から、ざっと血の気が引いていった。
「シイナさまはこれまで、トウイを助けるために、運命を捻じ曲げ、戻ってはまたやり直し、何度も何度も扉を開けて、その生を望み続けてきたのに」
 ニコはこちらを振り向いてくれない。ずっと、背中を向けている。今のニコがどんな顔をしているのか、わたしからは見えない。
「──オレのために、扉を開いてはくれないんだね?」
 その瞬間、世界が暗転した。



 いきなり、暗闇に包まれた。
 光もない。ニコの姿もない。ただの真っ暗な闇の中に、わたしはぽつんと一人で立ち尽くしていた。
 狭間……? と思いかけ、その考えを打ち消す。今のわたしが立っているところは、明らかに狭間とは異なっていた。あそこは、「何もない場所」 だ。手を伸ばしても何も触れず、足で叩いても地面には何の感触もない。
 けれどここは、まるで泥沼だった。視線を下に向けると、くるぶし近くまでねっとりとした泥に埋まり、スニーカーが見えない。重たい泥濘に足を取られ、一歩を踏み出すことも難しかった。
 突然、ボコッ、と音がして、その泥の中から、人の形をしたものが浮き上がるようにして現れた。
 咄嗟に腰の剣の柄を握り、引き抜こうとしたが、鎖でもかけられたようにびくともしない。目をやると、神獣の剣はその輝きさえも失って、黒く錆びついてしまっていた。
 泥人形は、ぽっかりと穿たれた穴のような目をわたしに向けて、まじまじと見つめてくる。攻撃してくる様子はないけれど、その目を見ていると、理屈ではない恐怖心に襲われた。手と足ががくがくと震えだす。歯の根が鳴らないように、強く喰いしばっているだけで精一杯だった。
 ──許さない、とその泥人形は言った。

 我々を殺し、見捨て、踏みにじり、守りたいものだけを守ろうとするお前を。
 決して、決して、許さない。

 どろりと泥の垂れる指が、わたしに突きつけられる。わたしは真っ青になってそれを見返すことしか出来ない。
 否定も、反論も、謝罪も、出来ない。出来るわけがなかった。
 ……そして、ようやくこの時になって、わたしは気づいた。
 下にあるのが泥ではなく、おびただしい量の血であるということに。
「っ!!」
 悲鳴が口から発される寸前で、剣の鞘を握っていた左手が、ふんわりとした熱を帯びた。
 そのまま、ぐいっと強い力で引っ張られた。


          ***


 目を開けると、真っ先に視界の中に飛び込んできたのは、トウイの顔だった。
「……大丈夫ですか?」
 眉を下げた情けない顔で訊ねられたけれど、何が 「大丈夫」 なのかよく判らない。
 それでも反射的に、はい、と返したら、トウイがわずかにほっとしたように表情を緩めた。
 ぼうっとしながら目を動かして、周りを見る。
 薄汚れた石の天井。窓からは、明るい太陽の光が射し入っている。少し記憶を探って、ここはグレディールの宿屋だと思い出した。部屋の中には、ベッドに横たわったわたしと、そのすぐ傍らに立つトウイしかいない。
 毛布の上でわたしの左手を包んでいたトウイの両手が、するりと外れて離れた。
「気分はどうですか。熱はもうほとんど下がったようですけど」
「熱?」
 そこでようやく、いろんなことがはっきりした。トウイによると、わたしは一昼夜もの間、夢と現を彷徨っていたらしい。お医者さんにも診てもらったというが、ちっとも覚えていなかった。
 上体を起こし、窓から外を覗いてみる。
 火事の喧騒に包まれていたグレディールの街は、すでにすっかり静けさと落ち着きを取り戻していた。
 あれだけ激しく吹きつけていた雨と風も止んで、青空が広がっている。ただでさえ雑然とした通りは、いろんなものが飛ばされたり散乱したりして、人が歩くことさえままならない状態だったけれど、それも大分改善されてきたようだとトウイが教えてくれた。
「まる一日……」
 唖然とした。わたしの頭では、ドヌクの家が燃えている光景がまだ鮮明に蘇るのに、それはもう 「過去」 になりつつあるということか。自分だけが、時間の流れから取り残されたような気分だった。
 窓からトウイのほうに顔を戻し、頭を下げた。まだちょっとだけ、くらりとする。
「すみません、面倒をかけました」
「いや、そんな……」
 トウイは慌てたように遮りかけ、中途半端なところでそれを止めて口を噤んだ。笑いを作ろうとしていた唇も、急に力をなくしたように、奇妙な形に曲げられて結ばれる。
 どうしたんだろう。
 その顔を見返してから、こうして明るい場所でトウイを正面から見たのは、ずいぶん久しぶりだということに気がついた。
 目の前にいる彼は、わたしが覚えている時よりもずっと、頬がこけていた。
 顎が尖って、鋭い雰囲気になっているせいか、以前までのトウイに残っていた年齢相応の男の子っぽさが抜けて、いきなり大人びたように見える。
「雨に打たれたのがよくなかったんでしょうね。ほとんど寝ていなくて、体力もなくなっていたんでしょうし」
 トウイはそう言ったけれど、それは彼も同じことだろう。目の下ははっきり判るほどの隈に彩られ、顔色だってあんまりよくない。きっと、ほとんど寝ていないし、ろくに食べてもいないのだ。

 ……ニコが亡くなってから。
 トウイはトウイで、つらく苦しい時間を過ごしてきたに決まっている。ニコの最期に立ち会ったのはトウイ一人。自分の手の中の命が失われるその瞬間の絶望を、わたしはよく知ってる。
 だって、トウイもあんなに、ニコのことを愛してた。
 ミーシアさんも、ロウガさんも、ハリスさんも、メルディさんも。
 大事なものをなくしたのは、わたしだけじゃない。

「──ごめんなさい」
 ぽつりと呟くように言うと、トウイが一瞬、くしゃりと顔を歪めた。
 すぐにそれを隠すように下を向き、同時に、右手をごそごそと動かして、何かを取り出す。
 わたしの手を取って開かせ、その上に静かに乗せたのは、小さな光る石だった。
 手の中にすっぽり収まるくらいのその透明な石は、窓からの陽射しを反射して、キラキラと輝いている。
 ……ニコの宝物だ。
「ニコが、シイナさまに、と」
 トウイの言葉にわたしは黙って頷き、自分の手の平の上の美しい石を見つめた。
「ティアドロップですね」
「てぃあ……?」
「涙のしずく、って意味です」
 説明すると、トウイは納得したように 「ああ」 と言った。
「そうですね。俺もそう思いました。ニコの涙みたいだって──ほら、シイナさまがニコを貰い受けると宣言した時に、大泣きしたでしょう。あの時の、綺麗な涙を思い出したんです」
 あんなにも幸せそうに泣く誰かを見たことはない、と小さな声で呟いてから、トウイは石からわたしへと視線を移した。
 わたしに向けられた赤茶色の瞳には、いろんなものが混ざり込んで浮かんでいる──ように、見える。
 心配そうな、不安そうな、悲しげな、寂しげな。
 苦悶に覆われたような表情。トウイがそんな顔でわたしを見るのは、はじめてだ。
 奥深いところに炎が宿っているような眼差しを向けられるのも。
「……ミーシアは今、ロウガさんと買い物に出ています。少しでもシイナさまの喉を通るようなものを、って一生懸命探してますよ。飲み物くらいなら用意できると思いますから、待っていてください」
 強引に口を微笑の形にして、トウイは立ち上がり、部屋を出ていった。


          ***


 少ししてから、コン、とドアがノックされた。
 顔を覗かせたのは、トウイではなくメルディさんだった。
「きちんと目を覚まされたようですね。飲み物をお持ちしましたよ」
 侍女のようなことを言って部屋に入ってきたメルディさんの手には、湯気を立てたカップが載せられたお盆がある。
 どうぞ、と差し出されたそれを見て、思わず顔をしかめた。この不気味な緑色の液体、そしてこの鼻の曲がりそうな匂い、神ノ宮でも飲まされた薬湯だ。
「わたし、これ嫌いなんですけど。苦いし不味いし」
「だからお持ちしたんじゃありませんか。この私自ら、厨房を借りて作ってまでね」
 そこまで手間と時間をかけて嫌がらせをしなくてもよさそうなものだと思うけど。メルディさんから渡されたカップを手に持ち、わたしはうんざりして中身を見下ろした。しかもこの量、以前よりも二倍くらい増えてる。
 ごくんと飲み込み、あまりの苦さに横を向いて口を押さえた。こうしないと、逆流しそうだ。
 口許に持っていったわたしの手の中にあるものを見て、メルディさんが、おや、と呟いた。
「ニコの宝ですね。それに比べりゃ、ぐんと落ちますが、これをどうぞ」
 じゃら、という音にそちらを見ると、見覚えのある袋がベッドの上に置かれていた。
 膨らんで、重みもありそうなので、中身はそれなりに入っているらしい。
「ニコがいなくなって、あの時交わされた取引も反故になったと判断し、返してもらったんです。適当に詰め込んだので、金額は正確じゃないかもしれませんがね」
 どう見ても、ドヌクに渡した時よりも、袋の嵩は増えている。
「よく持ち出せましたね」
「そういうの、得意なものですから」
 火事場泥棒が? と訊こうとして、やめた。燃えている家に我先にと押し入り、金品を持ち出していった人々の顔が思い出されて、気分が暗くなる。

 生気の感じられなかった住人や路上生活者たちが、奪い取った硬貨や装飾品を手に、勝ち誇ったような顔をしていた。
 興奮し、高揚し、目をギラギラと輝かせ、炎の照り返しを浴びて、彼らはみんな、笑っていた。

「……メルディさんにあげます」
 お金の入った袋から目を逸らしてそう言うと、メルディさんはにっこりした。
「それはありがたい仰せですが、私は以前に分けて頂いたものがございますからね。これ以上は、密偵としての分を越えるというものです」
 その返事に、メルディさんのほうを向く。この密偵は、どの部分が真面目で、どの部分がいい加減なのか、今ひとつ判別できない。
「わたしはこちらの基準にあまり詳しくないですが、この袋の中身はけっこう多額ですよね?」
「その通り。この街の住人がこれだけ稼ごうと思うと、十年くらいは身を粉にして働かなきゃいけません」
「だったら、メルディさんには、このお金を持ってそのまま逃げる、という道もあるのでは?」
 メルディさんは少しだけ目を見開いた。測るように、わたしの顔を覗き込む。
 その上でわたしが本気で言っていることが判ったのか、やれやれというように笑って、隣のベッドにどすんと腰を下ろした。
「まったく、恐ろしいことをさらっと仰いますね、シイナさまは」
「恐ろしい、ですか?」
「そうですとも。要するにそれは、王ノ宮を裏切れ、ってことですよ」
「メルディさんは王ノ宮に忠誠を誓ってでもいるんですか。カイラック王の命令なら、なんでも従うと? だったら死ねと言われたら死ぬんですか」
「…………」
 淡々と畳み掛けると、メルディさんは笑みを消して口を閉じ、しばらく黙り込んだ。表情の掴めない顔つきでわたしのことをじっと見て、ふ、と息をついてからまた笑う。
 でもそれは、いつもの胡散臭い綺麗な笑いではなく、かなり苦さの混じる笑いだった。

「……勘弁してくださいよ」

 ベッドに座った格好で、スカート姿のまま足を組み、両手で何かを押し返すような仕草をする。声も普段のものより二段階くらい低くなった。
「忠誠を誓うもへったくれもない。私ら密偵はね、血の契約ってやつに縛られているんです」
「契約? 風人のように?」
「おや、風人をご存じで? もちろん、あれとは違いますよ。風人は誇りだけで生きているような人種ですが、私らには誇りなんてもんはない。ただ、従うだけです」
「従わなければ?」
「死にますね」
 メルディさんはさらりと言って、くくっと喉の奥で笑った。
「王ノ宮の密偵ってのはね、身体の一部に、それと判る紋を刻むところからはじめるんです。何をしても決して消えない、王に絶対服従するという証ですよ。それは自分が死ぬか、王が代替わりするまで有効でね。背こうものなら、地の果てまで追手がやって来て殺される。これまで逃げ切れた人間は、一人もいないという話です。私はそんな窮屈な逃亡生活は御免蒙りますよ」
「…………」
 今度口を噤んだのは、わたしのほうだ。

 だったらメルディさんは、カイラック王の命令が撤回されない限り、この旅の終わりまで同行するしかない。

「ま、一度背負ってしまったもんは、これからも背負っていくしかない、という話です。言っておきますが、私は別に、自分の身の上を憐れんでなんていやしませんよ。この仕事が性に合っているとも思いますし、楽しいこともないではないし」
 肩を竦めてそう言ってから、メルディさんはいかにも意地の悪そうな、にやりとした笑みを口許に乗せた。
「ただ、やっぱり、多少はひねくれますよね。常に他人の裏を探ってるわけですから、そりゃ無理もないって思うでしょう? だからねえ、いつでも単純で、熱血漢で、正義感が強くて、裏表がなく、嘘のつけないトウイのような人間は、苛つく対象にしかならないんですよね。……まあ、一言で言って」
 唇の端をさらに上げる。
「やたらと、鼻につく、と」
 悪びれもせず言いきるメルディさんを見て、わたしはちょっと呆れた。
「相変わらず、性格が悪いですね」
「あら、どういたしまして。シイナさまだって大概ですよ」
 堂々と言い返してうふふと笑う。いつの間にか、声も顔も、普段の女性仕様に戻っていた。
「好きとか嫌いとかじゃないんです。ただもうとにかく、相容れないんです。生き物としての種類が違う、としか言いようがありません。ああいうのを見てると、コレが 『人間』 だとしたら、じゃあ私みたいなのは何なんだ、って思わずにはいられないんですよ」
「…………」

 わたしみたいなのは、何なのか。

「もちろん、そんなことはありません。私のようなのだって、そりゃあ人間ですとも。むしろ世の中には、私寄りの人間のほうが多いかもしれない。それはそれで、問題なんでしょうがね」
 メルディさんはそう言って、立ち上がった。
 それからわざわざ上半身を傾けて、意味ありげに片目を眇めてみせる。
「トウイのあの歪みのないまっすぐさは、たまに人を追い詰める。そうは思いませんか」
「…………」
 わたしは返事をしなかった。手に持ったカップを口に持っていき、またごくんと飲み込む。
 苦い。
「ドヌクを殺そうとしたシイナさまを止めたのはトウイです。でも、それだけで、シイナさまの中に頑固に居座っているものを振り払うことは出来ない。今のトウイでは、到底、出来ない。それは本人も痛感していることでしょうとも。せいぜい悩んで苦しむといいですよ」
 メルディさんはくっくと面白そうに笑った。
「でもね」
 と、ついでのように付け加える。

「……でも、あの時あの場で、シイナさまの手を止めさせることが出来たのも、トウイ一人しかいなかった。私はそもそも止める気なんてありませんでしたし、あの実直だけが取り柄の不器用男にも、過去を引きずっていそうな女好きにも、優しさのみで成り立っているような侍女にも無理だったでしょう。つまり、この世界でただ一人、シイナさまを止められたのはトウイだけだった、ということです。それだけは、事実として認めてやらなきゃなりませんね」

 そこまで言うと、メルディさんは話を打ち切った。
 足を動かし、部屋のドアへと近づいていく。その取っ手に手をかけたところで、「メルディさん」 と呼びかけた。
「ありがとう」
 ごくんとまた不味い薬湯を飲む。メルディさんは苦笑した。
「シイナさま、これだけは言っておきますが、何があっても密偵なんぞを信用しちゃなりませんよ。もしかしたら、それだって毒が入ってるかもしれないんですから」
 からかうように人差し指を向けてから、
「……もうちょっと、お眠りなさい。旅はまだ続くんですし」
 静かにそう言って、目を細めた。
 ドアが閉じられるパタンという音を聞きながら、わたしはまたカップに口をつけた。



 ──わたしを狂気から引っ張り戻すことが出来るのは、この世界でトウイただ一人。
 だったら、やっぱり。
 わたしを狂気の底へ突き落とすことが出来るのもトウイだけ、ということだ。


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