リライト・ライト・ラスト・トライ

第二十章

4.終着



 王ノ宮内の 「議論の間」 に、大臣たちは集まっていた。
 ごく一部の重鎮しか入室が許可されないというその場所で、彼らは現在の事態における責任の所在と、今後の権力配分を巡って、取っ組み合いをしそうなくらいの剣幕で、口汚く互いを罵り合っていた。議論もへったくれもあったもんじゃない。分厚くて頑丈な大扉を隔てても聞こえる彼らの喚き声に、立っている二人の警護も困った顔をしていたほどだ。
 大臣たちは、扉を開けて部屋に入ったカイラス王太子を見て、一様にぎょっとした。
「これは、王太子」
「今までどちらに」
 一応、礼を取るような恰好はするものの、どの表情にも露骨に疎ましさが滲んでいる。内心をそのまま声にすると、「邪魔なところに来やがってこの役立たずが」 という台詞になって聞こえてきそうだった。
 そして彼らは、王太子の後ろに続いて部屋に入ったわたしを見て、今度は一斉に訝しげな表情を浮かべた。

「みな、もう存じていることと思うが、こちらは神獣の守護人であられる」

 あまりにも、大臣たちが、誰だこれは、と思っているのがありありの空気を発していたためか、王太子が少し慌てたようにフォローを入れてくれた。顔を合わせたのは最初の式典や儀式の時だけだったから、あんまり覚えていないのも無理はないとはいえ……この人たちって、本当に神獣の守護人の名前以外は興味がないんだなあ。
 その名を聞いて、大臣たちはみんな驚いたように口を開けたけれど、宰相だけはさっと顔色を変えた。大きく目を瞠って、信じられない、と言いたげだ。王太子以外に、詳しい事情を知っているのはこの人だけらしい。
「な……なぜ」
 掠れ声で呟く。わたしはそちらに目をやり、メルディさんの真似をして、薄っすらと意地悪く微笑んでみせた。
「旅から戻りましたので、その報告とご挨拶に参上したんですけど、なにか?」
「……う……いや」
 宰相は、曖昧に濁して目を逸らした。
「ええい、何を呑気なことを! 守護人の帰還など、そのようなことに付き合っているヒマはない! ここは王ノ宮の中枢、部外者は出て行ってもらおう!」
 難事続きで頭に血の昇っている大臣の一人が、顔を真っ赤にしてつかつかと詰め寄ってきた。けれど、こちらに向かって伸ばしかけたその手は、わたしの両隣に立つトウイとハリスさんによって素早く阻まれた。
 二本の剣の鞘が、わたしの前で交差して、ガシャンと軽い金属音を鳴らす。その警告行動に、大臣は動きをピタリと止めて表情を強張らせた。

「──神獣の守護人に、許可なくお近づきにならぬよう」
「守護人は、王にさえ礼を取らずとも許される特別な存在。それをお忘れか」

 トウイとハリスさんの鋭い眼と低い声に、大臣の顔から血の気が抜ける。
「守護どのは、私が求めてこの場にお連れした。帰還の報告に来られたら、現在の王ノ宮が大変な状況に陥っていて、非常に驚かれたのだという。民のことを心配し、危険も顧みず父王の許に向かわれようとしたところを、偶然私が見つけて、声をおかけしたのだ」
 わたしはしれっとして頷いたけれど、カイラス王太子は声の端々が震えていた。あのね、ウソをつく時は目を伏せず、もっと堂々と。
「……父上のご遺体にも対面した。この状況で亡くなられるとは、さぞかしご無念で、つらいことであったに違いない」
 そりゃ、無念だったでしょう。ほとんどの元凶はカイラック王なんだけど。
「この上は、一刻も早く、事態の収拾を図らねばならない。今は揉めている場合ではない。民のため、国のため、一丸となって事に当たらねば」
 王太子は懸命な声と顔で言い募ったけれど、それに対する大臣たちの反応は鈍かった。
 どの目にも、今さらになって出てきた王太子への侮りと不信が見える。自分の地位と力関係を秤にかけて、どちらを取ったほうが今後の利益に繋がるだろうかと、忙しく頭を働かせているようだった。
「まずはこの暴動を収めて──」
「あんなもの、軍に命じて、一掃させてやればよいではありませんか。相手は武器などろくに持たない街の平民どもだ。剣を持ち、訓練を積んだ兵の手にかかれば、あっという間に鎮圧できますとも」
 一人の大臣が、鼻で笑うようにしてそう言った。
「しかし、その場合、多くの犠牲が」
「王ノ宮に歯向かった時点で、やつらは罪人なのです。なにを容赦することがありましょう。今後一切くだらぬ考えを持たぬよう、徹底的に叩き潰してやればよいのです!」
 どん、とテーブルを叩くその音に、王太子の身体がビクッと縮む。おどおどしながら何かを言いかけ、また口を噤み、うな垂れるその姿に、ハリスさんが苛立たしそうに小さく舌打ちした。

「……その場合、多くの犠牲が出て、憎悪と怨恨だけが残ります。無気力になった周辺の街は正常に機能しなくなり、経済は滞り、これまでのツケが押し寄せて、ニーヴァは一気にどん底の状態に落ちるでしょう。王ノ宮はそれに対する手立てが取れず、星見の塔をなくして今後の見通しを立てることもままならず、民の不満は爆発し、現在のものとは桁違いの暴動があちこちで起きます。そちらに兵と資金を取られ、王ノ宮の守りが弱体化し、疲弊してきたところを、そうですね、たとえば新しい技術の開発に成功した砂の国あたりが攻め込んできたりして、この国は滅亡の一途を辿ることになる──と」

 わたしが淡々と王太子の台詞の続きを口にすると、大臣たちが言葉を失った。
 そのうちの一人が、馬鹿な、と笑い飛ばそうとして、周りに沈黙に気づき、引き攣った顔で再び黙り込む。
「しゅ、守護どの、それは、託宣か」
「そう取っていただいても、構いません」
 青い顔の王太子に震える声で訊ねられて、わたしは微笑んで返した。幻獣の見せた未来に沿って話しているのだから、別に嘘じゃないし。
 ──神獣は、過去も未来も見通せることが出来て、時に託宣をし、人々を安寧へと導いてくれるという、神に等しい生き物。
 実像とはかけ離れているとはいえ、その信仰が、ニーヴァの人々の中に息づいているのは事実。
 大臣たちは、互いの顔をちらちらと窺いながら、わたしが口にした 「託宣」 を、信じたものか払い落としたものか、自らがとる対応に迷っている。
「だが……武力でなければ、どうやって」
 ぽつりと出された言葉に、宰相を含めた他の大臣たちも、同意するように勢いよく首を振った。
「必要なのは、対話じゃないでしょうか」
「バカな」
 今度ははっきりと言われた。
「子供の喧嘩ではないのですぞ。あんなにもいきり立っている連中が、こちらの話に耳を傾けるものか。兵が何度も退けと勧告したにもかかわらず、やつらは聞く耳を持たず、あまつさえ不遜にも、謝罪を要求したというではないですか!」
「では、謝ったら?」
「バカな!」
 歯を剥き出して怒鳴る声がうるさい。ただでさえ立っているのがやっとなのに、頭に響いて眩暈が余計にひどくなる。わずかにふらついたところを、両隣にいるトウイとハリスさんが、後ろからがっちりと支えてくれた。
「そうまで言われるのであれば、神獣の守護人ご自身が民の前に立って、謝罪をしてはいかがか! 地面に額を擦りつけて、頼んでみるがよろしかろう!」
「そうしたいのは、山々なんですけど」
 かすかに細い息を吐きだす。額に滲んだ汗が、こめかみを伝って落ちた。
どういうわけか(・・・・・・・)、最近の神獣の守護人の評判はいたく悪いようなので、わたしが出しゃばると、人々をさらに興奮させてしまう可能性が高いです。それでは逆効果では?」
 その言葉に、全員が気まずそうに口を閉じる。
 しんとした沈黙の中、王太子が顔を上げ、「──私が行く」 と真剣な声音で言った。

「私は確かに頼りない王太子であった。亡き父のような勇猛さも、亡き兄のような優秀さもない。みなが呆れ、見向きもしなかったのももっともだ。しかし私は──せめて私自身は、私のことを見捨てないでいたい。この世界の中で、すべての人間が私のことを取るに足りない者だと断じても、それでも私だけは、自分のことを信じたいのだ。私が私のことを見放してしまわないように、こんなにもちっぽけな私がここに存在しているのを自分自身に許してやれるように、今の私が出来る限りのことをしたいと思う。父王が過ちを犯したのなら、それを詫びて、少しでも正しき道筋に戻すよう尽力するのが、息子であり、次の王たる私の役目であろう。資質が足りないのは重々承知、王に相応しからずと思うなら、いくらでも糾弾し、君主の地位を私から奪うがよい。しかしそれは後にして、今はただ、民と国の未来を考えることを優先させよう。この国から、希望をなくしてはならない。……みな、どうか、私に力を貸してくれないか」

 誰も、異議の声を上げる者はいなかった。


          ***


 議論の間を出ると、外で待っていたメルディさんとセラさんが駆け寄ってきた。
「どうなりました?」
 と訊ねられ、わたしは少し呼吸を乱しながら、頷いた。
「なんとか大臣たちを押さえることには成功しました。これから王太子が直接人々の前に出て話をし、暴動を鎮めます」
 セラさんが、まあ、と驚いたように口に手を当てる。メルディさんは顔を顰めた。
「しかしそりゃ、かなり危ない賭けじゃありませんか。なにしろ、外の連中は血気に逸ってますからね。王太子まで争いに巻き込まれて命を落としたら、もうどうにもなりませんよ」
 うん。わたしもそう思う。
 王太子が出ていく前に、もう少し、打つ手が必要だ。ベッドの上で考えていたことを頭の中に引き戻す。人々の動きを止めるような、「何か」──
「何か、街の人たちと兵の気を逸らすようなことがあるといいんですけど」
 わたしが呟くと、メルディさんはきょとんとした。
「気を逸らす、ですか」
「いきなり雷が落ちる、とか、花火を打ち上げる、とか。一時的にでも、怒りと興奮が冷めるような、何かがあれば」
 とはいえ、リンシンさんのように爆発を起こすわけにはいかない。あれでは、パニックになるだけだ。
「あー、要するに、びっくりするような何か、ってことですね」
 メルディさんが、顎を指で撫ぜて、考えるように言った。
 その目がふいに、イタズラを思いついたかのように明るく輝く。わたしは口を開きかけたけれど、出てきたのは苦しげな息だけだった。ふらりと傾いた身体を、トウイの腕が受け止める。心配そうに眉を寄せて、「また顔色が……」 と言いかける彼を目で制した。
「トウイ」
「はい」
「そこに、いてね」
「…………」
 トウイはわたしの顔をじっと見て、「何があっても、必ず」 と力強い声で返事をした。



 突然、鐘の音が大音響で鳴り響いた。
 暗闇の中、緊迫した空気のまま睨み合っていた兵と暴徒たちは、その音に、電撃に打たれたような驚愕を示した。
 誰もかれもが、凍りついたように、ぴたりと動きを止めて固まる。
 夜のしじまを暴力的に切り裂くような鐘の音は、王ノ宮の敷地内にある鐘楼で打ち鳴らされているものだ。地面を揺るがし、空を割るくらいの音量なので、脳髄までじんじんと痺れるような気持ちになっただろう。人々は手に松明を持っていることすら忘れ、呆気にとられてその場に立ち尽くした。
 鐘の音は、五つ鳴ってから止まった。今度は困惑に包まれた表情で、お互いの顔を見合わせる。王ノ宮の鐘楼にある鐘は、王族が誕生した時と、死亡した時にしか鳴らされない。三つが誕生、五つが死亡だ。
 ざわざわとした当惑だけが広がる中を、カイラス王太子は、兵たちに道を開けさせ、ゆっくりと人々に向かって歩いていった。
 鐘の音という唐突な横槍で、士気と高揚が一気に吹っ飛んでしまったのか、人々の顔からは凶暴なものは消えていた。怒りは未だなくなってはいないものの、同時に不安な色も現われている。
 王太子はそのまま、彼らの前に立った。

「私は王太子のカイラスである。みな、よく聞いて欲しい。我が父、カイラック王が、身罷られた」

 暴徒だけではなく、兵までもがどよめく。
 視線の集中砲火を浴びて、カイラス王太子はすっかり度を失っていた。手も足も震え、声も上擦っている。月に照らされた顔は真っ白で、しとどに流れ落ちる汗で全体がてらてらと輝いて見える。今にも泡を吹いて倒れそうで、気が気じゃない。
 頭に巻いた布で顔の半分を隠したわたしは、影のように彼のすぐ後ろに寄り添い、誰からも見えないように、剣の柄頭で背中を突いた。
「今が正念場なんだから、しっかり」
 ひそひそと囁く。王太子の顎がぶるぶる動いたけれど、頷いているのか震えているのかは定かじゃなかった。
「ここで逃げたらぶん殴りますよ」
「それじゃ意味がないのでは?」
「シイナさまに殴られたら結局倒れるじゃないですか」
 トウイとハリスさんが余計なことを言うので、王太子が、ひっ、と息を呑むのが伝わってきた。もう、本気にしちゃうでしょ。冗談だよ。たぶん。
「……わたしは、たとえ言葉だけでも、その中にある真実は、きっと伝わると思います」
 カイラス王太子が、目だけでこちらを振り返り、泣きそうな顔で頷いた。
 再び前にまっすぐ向き直り、息を吐きだしてから、口を開く。

「我が父の行いにより、民に恐ろしい思いをさせ、混乱をきたしたことを、私は王太子として、そして息子として、非常に、申し訳なく思う──」


          ***


 明け方になると、王ノ宮に残っているのはほんの数人程度になった。
 カイラス王太子の説得によって、暴徒の群れは、少しずつ王ノ宮を離れ、自分の暮らす街へと引き返していった。街にいた兵は撤収させ、カイラック王の命令によって捕らえられていた無実の人々も、すべて釈放された。
 カイラス王──即位の式はまだだけど、もう王と呼んでもいいのだろう──は、今回の件で誰にも責を負わせるつもりはないという。未だ居残る人々は、護衛官と警護が根気よく話しかけて、帰りを促している。
 まだバタバタと落ち着かない雰囲気は続いているけれど、息詰まるような切迫したものは、かなり薄らいだ。
 ようやく、王ノ宮には平穏が戻りつつあった。
 主殿の中の一室を借りて休んでいたわたしのところに、カイラス王があたふたと駆け込んできたのは、陽が昇ってから一時間ほど経ってからだ。

「しゅ、守護どの! 大変だ! 今度は神ノ宮の門が壊されたとの報せが!」

「──そうですか」
 わたしはそう返事をして、横になっていたソファから起き上がり、床に降りた。
 立てかけてあった神獣の剣を腰に装着するのを見て、カイラス王が小さな目をしぱしぱと瞬く。
「お、驚かれぬのか。もしやそのことも判っておいでだったのか?」
 その言葉には、黙って首を傾けるだけにした。
 まさか。
 でも、これで終わるわけがないとは思ってたよ。

 今日が100日目。
 リンシンさんは決して進むのを止めない。
 災厄はまだ続いている。

「カイラス王、すみませんが、馬を貸してもらえませんか」
 そう頼むと、王は目を真ん丸にした。
「行かれるのか、守護どの自らが」
「もちろんです」
 あそこには、ロウガさんとミーシアさんがいる。わたしを待っている、と言ってくれたあの人たちのところに、戻らないと。
「わ、わかった。では、すぐに用意させよう」
 カイラス王はそう請け負って、せかせかと部屋から出ていった。なんだかまだ王としての威厳に欠ける人だなあ。これから時間と共に身についていくのかな。
「セラさんは、王ノ宮に残ってくださいね。今ひとつ頼りないあの王さまをサポートしてあげてください。グダグダ言うようなら、蹴っ飛ばしてもいいですよ」
 セラさんは、「まあ、そんな」 と困ったように微笑んだ。
「……どうか、お気をつけて、シイナさま」
 どこか悲しそうな瞳でわたしを見て、頭を下げる。その手を取って、「ありがとう」 とお礼を言った。
「メルディさんも、残ってください」
 そちらはものすごく不満そうな顔で、唇を突き出された。「私まで王のお守りですか」 とつまらなさげに言うので、違う違うと手を振る。こそっと声を潜めた。
「……議論の間にいなかった大臣が一人、主殿内に転がってます。そちらの後片付けをお願いできますか」
 メルディさんは、はあ? という顔をしたけれど、すぐにピンときたようで、にやっと笑った。
「ああ、なるほど。承知しました。それでは、そちらのほうは上手いことやっておきましょう。──実を言えばね、あの男が砂の国と通じていたという証拠は、すでに揃えてあるんですよ。動けないならちょうどいい、この機に拘束して、おかしな真似はさせないようにしてやります」
 わたしは思わず、メルディさんを見返した。
「ずいぶん、手廻しがいいですね」
「物事っていうのは、事前にわかっていれば、いろいろと簡単ですよねえ」
 片目を眇めて、くすくす笑う。
 あ、そうか、とその顔を見て、思い出した。
 シャノンさんの店で別れる時に、「私は私でしなきゃならないことが山ほどある」 と言っていたのは、あの人の悪事の証拠固めをすることだったのか。
 そうやって、誰もがそれぞれのやり方で、運命を変えようと動いていたんだ。

 ──小さな力が、少しずつ絡み合い、繋がって。
 そしてはじめて、新しい道が拓けていくのかもしれない。



          ***


 カイラス王に用意してもらった馬を駆けさせ、神ノ宮を目指す。
 正直、振動が傷に響いてきつい。トウイが気遣ってゆっくり行こうと何度も言ったけれど、わたしはそれに首を横に振った。今はとにかく、急がないと。
 でも、途中で思い直して、一旦馬を止めてもらった。そういえば、王ノ宮で、ひとつ思いついたことがあったんだっけ。
「カイラス王が、言ってたじゃないですか」
「何をです?」
 同じく馬を止めて並んだハリスさんが、首を傾げて問い返す。
「わたしがいつか、妖獣さえも従えるようにもなるんじゃないかと、カイラック王が不安がっていたって」
「…………」
「一度、試してみようかと思うんです」
 そう言って、すうっと大きく息を吸う。念のため、傷口が開かないように、手の平で押さえた。

「──アオ! 来て!」

 声を張り上げて叫んだら、やっぱり猛烈に痛みが跳ね返ってきた。唸って上半身を折り曲げ、耳を澄ます。
 ──どこからも応える声は返ってこない。それどころか、なんの音もしない。聞こえてくるものは馬の鼻息くらいだ。
 顔を上げると、ひっそりと静まり返った空気はそのまま、朝の光に照らされて、どこまでも穏やかな景色があるばかりだった。
「……ま、そんなに都合よくはいかないでしょうよ」
 ハリスさんが苦笑する。わたしもため息をついた。ダメだったか。
 草原地帯は、人の暮らす世界とは、また別の世界だ。安易に頼ることを、幻獣がよしとするはずがないかもしれない。
「すみませんでした。行きましょう」
 トウイが頷き、馬の横腹を蹴って、再び走らせた。



 わたしたちが到着した時、神ノ宮の中にはすでに無数の人々が入り込んでいた。
 破壊された門から、そればかりではなく高い塀をよじ登ってでも、わらわらと敷地内に侵入していく姿が見える。
 王ノ宮に詰めかけた暴徒の群れよりは、まだ多くない。でも、これ──この人たちは。
 痩せ細った身体と、落ち窪んだ目、青白い顔色。
 それらの人々で形成された集団は、怒鳴りもしなかったし、権力者の横暴に対して不満を訴えることもしなかった。ひたすら黙って、次から次へと神ノ宮の中へと入り込み、制止しようとする警護に見境なく襲いかかる。暴徒よりも、ずっと性質が悪かった。
 彼らが手にしているのは棒や刃物、そして槍のようなもの。警護一人に対して数人がいっぺんに取り囲み、有無を言わせず滅多打ちにするという、苛烈で容赦のないやり方だった。すでに何人かの警護が血を流し、倒れている。
 手当たり次第に叩きのめし、刃先を立てる彼らの顔に、暴力に酔っているような色はない。ぎらついた狂信的なものが瞳の底で光を放っているだけだ。
 神ノ宮の警護たちはみんな、意図も目的も判らないこの集団に戸惑っていた。何を訊ねても答えず、投げ飛ばしてもすぐにまたむくりと起き上がり向かってくる相手に、混乱状態に陥っている。
 弛緩した表情で、幸福そうに笑う人々。
 老若男女入り乱れたそんな集団が、ただ無闇やたらと攻撃してくるのだ。苦痛すらどこか遠いところに飛ばして、人形のように中身のない虚ろな顔つきで、手にした武器を振り下ろす。正体不明の不気味な相手に対する恐怖の念が、警護たちの動きを常よりも鈍くさせていた。
 ──明らかに、イーキオの枝に汚染された人たちだ。
 こんなにも大勢、一体どこに潜んでいたのか。テトの街やシキの森にいた人数の比ではない。国じゅうから集まってきて……あるいはリンシンさんによって集められて、ひっそりと機会を窺っていたのだろうか。

 彼らの 「神」 と、選ばれた者たちが、新しく世界を作り直すために?

 馬を疾走させて、そのまま神ノ宮の中へと突き進む。新手か、と剣を構えて顔を強張らせた警護たちは、馬から降りたわたしたちを認めて、驚きとも喜びともつかない声を上げた。
「守護さま!」
「守護さまが戻られた!」
 わたしを挟むように立ったトウイとハリスさんが、すらりと剣を抜き放つ。ハリスさんは、走って来た男の手から武器を弾き飛ばすと、みぞおちに一撃を与えて倒した。
「落ち着けよお前ら! 相手は貧弱な体格の、半病人だぞ! 厳しい訓練を受けてきた俺たちの敵じゃねえだろうが!」
 ハリスさんの一喝に、周りにいた警護の人たちの顔がぴりりと引き締まった。

「シイナさま!」

 後ろからかけられた声に、ぱっと振り返る。
 剣を手に、群がってくる人々を薙ぎ払うようにして駆けてきたのは、ロウガさんだった。
「ご無事で……!」
 息が荒い。傷はないけれど、これまでずっと休むことなく戦っていたのが判る。
「ロウガさん、護衛官のみんなはどうしてるんです?」
 見たところ、外で戦っているのは警護だけだ。敵に対して、圧倒的に数が足りない。剣を持っている人間が全員で対応しなければ、いつか押し切られる。
「護衛官はみな、主殿に。全員で神官たちの身を護れとの命令で」
 口調はなんとか平静を保とうとしているようだけど、目が怖い。さすがに命令に忠実なロウガさんでも、抑えきれないものがあるらしい。
「大神官は」
「王ノ宮の暴動でカイラック王が討たれ亡くなったとの報せに続き、突然の神ノ宮への襲撃で、『今度は私か』 と一声叫ぶと目を廻してお倒れになりました」
 ちょっと情報が錯綜しているな。でも、ちょうどよかった。
「だったら、しょうがありませんね」
「はい」
「今から、神獣の守護人であるわたしが、神ノ宮最高責任者の代理を務めます」
「はい」
「侍女と下働きの人たちをなるべく安全な場所に避難させ、神官は邪魔なので祈りの間にでも押し込めておいてください。反論は認めません。護衛官は外に出て警護と共に戦闘に参加、殺す必要はないと伝えて。一人一人の戦闘力は大したことないので、一撃で確実に失神させればいいです」
「はい!」
 ロウガさんが短く返事をして、くるりと踵を返し、主殿に向かって走っていく。その間にもわたしの頭をめがけて棒を振り下ろそうとした男がいたけれど、今度はトウイがそれを受けて蹴りを入れ、体勢を崩したところを剣のみねで殴打した。
「二、三人で組んだほうがいいぞ!」
 トウイの言葉に、どこかで、おお! という威勢のいい声が上がった。バラバラに散らばって、一人対複数で戦っていた警護が、近くの仲間の元へと駆け寄っていく。彼らのその顔には、どんどん活気が戻りつつあった。
 困惑が覇気へ、恐怖が負けん気へと変わっていく。あちこちで反撃の大声が湧きだすように聞こえた。気合の込められた咆哮に、武器を振り回しながらも無表情だった相手の生気のない顔つきが、狼狽したように歪む。
 守勢は攻勢に転じ、神ノ宮側が徐々に盛り返しはじめた。これなら……と思った、その時。

 疾風のように、こちらに向かってくる人影があった。

 目にも止まらぬ速さ。長身のその人物の手には、すでに抜き身の剣がある。まるで地面の上を跳躍するようなスピードで間合いを詰められた。冷酷な灰色の目が、まっすぐこちらに向けられる。
「シイナっ!」
 トウイの声を、わたしは意識の片隅で聞いていた。たぶん、思考はまったく働いていなかった。危ない、とも、間に合わない、とも考えるヒマがなかった。考えるよりも先に、身体のほうが動いていた。
 トルティックの街からずっと、わたしは毎日のようにトウイたちの訓練に付き合ってきた。この瞬間はじめて、それが実を結んだ。ロウガさんが中心になって教えてくれた護身術は、技術よりも、わたしの身体に、反射神経と、「考えるよりも前に動く」 ということを染み込ませたのだ。
 大事なのは、相手を倒すことではなく、自分の身を護ること。
 糸で操られたように手が動き、刀身を鞘から引き出す。向かってくる剣先は速すぎてよく見えないくらいだったけれど、空気を切る音はよく聞こえた。瞬きをする間もない。振りかぶられた白刃がわたしの首を両断しようとするのと、わたしが両手で柄を握り自分の前に立てたのは、ほぼ同時くらいだった。
 そしてその時、トウイの剣もわたしと同じ動きをしていたことを知った。ひとつの剣を、ふたつの剣が空中で受け止める。三つの刃が重なり合い、ガギンッ、という音が鳴った。

 その瞬間、神獣の剣から、白い光が溢れるように放出された。

「?!」
 二本の剣を押し切ろうとしていたリンシンさんの顔が驚愕に占められた。閃光に眩んだ目を背け、足が一歩後ずさる。
 けれど、光はすぐに消えた。間髪入れず、トウイがわたしの前に出る。
 リンシンさんはあっという間に体勢を立て直した。剣を構え、わたしに 「道を塞ぐ排除物」 に対する目を向ける。イーキオの枝によって自分を失ってしまった人々よりもずっと、そこには感情がない。
 自分も直ちに身構え──ようとして、わたしは気づいた。
 彼の背後を覆うように広がる、大きな黒い影があるのを。
 どん、という衝撃で、リンシンさんの身体が揺れる。
 彼はそのまま、動きを止めた。灰色の瞳が見開かれ、手から剣の柄が滑り落ちる。唇から、つうっと糸のような赤い血が伝った。
 ……その腹部から飛び出しているのは、尖った先端。

 リンシンさんは、後ろから、妖獣アオの前脚の爪によって貫かれていた。


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