短編4

Be mine U(1)




 その日の終業後、教室から廊下に出た僕は、いきなり近寄ってきた男にがしっと肩を抱かれた。
「よお、藤島」
 親しげに名を呼ばれて、僕はむっとした顔をその男に向ける。
「ちょっと、馴れ馴れしくしないでくれる?」
「冷たいこと言うなよ、トモダチだろ?」
「僕と世良は、友達でもなんでもないよ」
 冷淡に返したけれど、世良はにこにこした笑いを消しもせず、僕の肩に置いた手を離しもしない。
 この男は、こういう気安い態度でするりと他人の懐に入ってきてしまうやり方をしっかり心得ていて、それが通じる相手を瞬時に判断する能力にも長けている。要するに、僕がどれだけ文句を言って迷惑そうな顔をしようとも、それがさほど本気じゃないことを、ちゃんと見抜いている。
 顔も成績も運動神経も、さして労もなくすべてが 「まあまあ」 の上をいき、こうした対人関係やそれ以外の全般でも、なんでも軽々とそつなくこなしてしまう──それがこの世良というやつだった。
 イヤなやつだ、と思うのだけど、肩に置かれた世良の手をはねのけることもしない自分自身にも気づいていて、僕はなおさら腹を立てた。
「同じ中学出身で、去年は同じクラスだったじゃん」
「それだけだよね。たまたま同じ中学で、たまたま高校が同じになって、一年生の時は運悪く同じクラスだったけど、今はクラスも部活も離れてほとんど接点がない他人、それが現在の僕と世良の関係だよね」
「藤島、オレの彼女、知ってる?」
 世良は僕の長々しい反論をキレイに聞き流して、ものすごく唐突なことを言い出した。どうしてこいつは……とうんざりしながらも、僕ははあーっと大きなため息をついて、諦める。
「どの彼女?」
「どの、って、彼女はふつう一人だと思うんだけど」
「世良はしょっちゅう代えるじゃないか。とても覚えきれないよ」
 何をさせても、それなりにそこそこやれてしまう世良の性格は、一言でまとめてしまうと、「テキトーでいい加減」 だ。その性格に沿って、彼女もその時の気分や状況でコロコロと入れ替わる。それでも今までほとんど誰とも揉めたことがないというのだから、相手も多分世良と似たようなタイプで、それにそぐった付き合い方をしているんだろうな、と僕は思っていた。
「あのさあ、藤島」
 僕の言葉に、世良はちょっとビミョーな表情をして、こりこりと顎の下を指の先で掻いた。ん? と僕が怪訝に思ったのは、その耳が、かすかに赤くなっていることに気づいたからだ。
「オレ、そういうの、やめたんだ」
 視線を逸らしながら、ぼそっと言う。世良のこんなところを見るのははじめてで、僕はますますわけが判らない。
「は? そういうの、って何?」
「そういう、テキトーな付き合いってやつ。今の彼女は、オレが必死で一カ月くらいかけて口説き倒して、ようやく最近になって付き合いはじめたんだよ。だからその、今までのとは、違うんだ」
「ウソつけ」
 僕は鼻で笑って一蹴した。
 全然話もしたことがないような女の子に告白されて、すんなりオッケーして、その日にはさっさとキスまで済ませてしまうような男だ。そんなんでいいの? と僕が訊いたら、いいんじゃね? だってけっこー可愛いしー、と馬鹿丸出しの答えを口にするような男である。中学時代と一年生の時のそういう世良の姿を見ていた僕が、そんな言葉、信じられるわけがなかった。
「いやホントだって」
 世良が少しむっとしたように言い返す。それからなぜか、深々とした息を吐き出した。
「もうさあ、めちゃめちゃ苦労したんだぜ。鈍感だから遠回しに言っても気づいてくんないし、かといって正攻法でいこうとすると、いつの間にかゼンゼン違う話題になってるし。怖いんだぞー、はっと気づくと、あいつのペースに嵌って、『美味しい鍋の具ベストテン』 とか真面目に議論してるんだもん。もしかしてコイツ、判っててわざと話を逸らしてるんじゃないか? って、オレ、何度も疑った」
「……へえ」
 僕は意外な気分で、グチる世良の顔をまじまじと見た。今度の彼女は、そんなに悪女っぽい女の子なのか、と感心する。
「なに、よっぽど年上の人とか?」
「いや、同級生」
「へえ〜」
 少なからず興味が湧いてきて、僕は相槌を打った。今までの世良の彼女たちには、まったくと言っていいほど関心がなかったけれど、すぐ身近にそういうタイプの女の子がいるとなると、それはそれでかなり好奇心をそそられた。
「珍しいよね、世良がそこまで時間と手間ヒマをかけて、女の子をオトそうとするなんて」
 珍しいっていうか、少なくとも僕は、世良のそんなところを見たことがない。すべてにおいて要領がいいから、困ったり悩んだりという行為には、ほとんど縁のない男だと思っていた。
「まーな。腹の立つ時もあったけど、どうしても、諦められなかったんだよなー」
 そう言って笑う世良は、なんとなく嬉しそうだった。世良という男をそこまで振り回して、こんな顔をさせるのは、一体どんな子だろう。
 まず頭に浮かんだのは、よっぽど美人なんだろうな、ということだった。世良が女の子を選ぶ基準が、「顔」 だということは僕も知っている。
 同級生で美人っていうと、片桐かなあ、と思う。世良とも同じクラスだし。けど、確か彼女は今、三年生の男と付き合ってるって話を聞いた気がする。それ以外に目立つ美人って、誰かいたっけ?
「で、その彼女がどうしたって?」
 さっきよりは幾分か身を入れて僕が訊ねると、世良はまたへらへらとした笑いに戻った。
「うん、それでさ、藤島は、今、彼女いる?」
「世良、僕とちゃんと会話をする気があるの?」
 僕は自分で言うのもなんだけど、わりと真面目な性格で、悪く言うと、融通が利かない性質だ。女の子みたいに、話の方向がぽんぽんと無秩序に飛躍するのは、好きじゃない。
「あるって。あります。オレの中では、ちゃんと最初から一貫した話の流れなんだってば。で、彼女はいるの?」
「なんで僕、そんな個人情報を、世良に教えなきゃいけないわけ」
「お前、リクツっぽい男は女の子に嫌われるよ? いるかいないか聞いてるだけじゃん」
「いないけど」
 むっつりして答えると、世良は 「そりゃよかった」 と喜んだ。
「いや、オレの彼女の友達がさ、お前のこと気になってるらしいんだよ。そんで、付き合う付き合わないは別にして、一度みんなで遊びに行かないかって誘おうと」
「やだ」
 世良の言葉が最後までいかないうちに、僕はきっぱり断った。世良が口元に貼り付けていた軽薄な笑いを止め、きょとんとして瞳を瞬く。
「え、なんで?」
「興味ないから」
「まだオレ、その子が誰かってことも言ってないじゃん。それとも、嗜好的に女っていうもの自体に興味がないっていう意味?」
「そういう誤解を招くような表現を、こんな学校の廊下なんかで口にするのやめてくれる? 僕が興味ないのは、そんな不自然な介在からはじまる男女交際、ってやつだよ」
「みんなでちょっとカラオケでもいかない? って、そんだけのことを、なんでそんな風に小難しい言葉でまとめちゃうのか、さっぱりわかんない」
「仲のいい友達同士でもない四人組が、狭くて暗い個室にぎゅうぎゅう押し込まれて、顔を見合わせて話をして歌を披露するっていう行為の、どこが不自然じゃないんだよ」
「オレとお前は友達じゃん」
「さっきも言ったけど、別に友達じゃない。そんなぎこちない集まりでいきなり相手に好意を抱けるわけがないし、ましてやそこから付き合いたいなって意志が芽生えるとも思えない。それが判ってるのにわざわざ出かけるのは時間の無駄で、大体、まずはみんなで一緒に遊びに行ってみよう、なんていうこと自体、僕を試そうって意図が見え隠れして不愉快だ。だから嫌」
「お前の理屈は、なんか、つまんないな」
 こんなことに面白いもつまらないもないと思うのに、世良はそう言って、本当につまらなさそうに口を尖らせた。
「あーあ、オレ、失敗しちゃったかなー。藤島がそんなに堅苦しい奴だとは思わなかった」
 と、肩を落とす。それは認識不足だったね、と皮肉を言ってやろうとして、僕は口を開きかけたのだけど、あることに気づいてまた口を閉じた。
「どーすっかなー。もっと簡単にいくもんだとばっかり思ってたからなー」
「……ねえ、世良」
「こんなんだったら、何も言わずにフツーに遊びに誘うだけにした方がよかったかなー」
「…………世良ってば」
「ん?」
 ぶつぶつと呟いている世良は、やっと僕の目線が、世良を通り越した向こうに据えられていることに気づいたらしい。なに? と言いながら後ろを振り向いて、そこにいた女子に驚いて声を上げた。
「うわ、南?! ビックリした、いつからいたんだよ!」
「……さっきから、ずっといたよ」
 と答えたのは僕だ。正確に言うと、大分はじめの方から、世良の後ろで延々ウロウロと行ったり来たりを繰り返していた。なんか同じ女の子の姿ばかりが目に入るなあ、と思いながら僕は世良と話を続けていたんだけど、ようやく彼女は今になって、意を決したように足を止めたのだ。背後霊みたいに、世良のすぐ真後ろで。
「すみません、お話のお邪魔をしまして」
 小柄で、目が真ん丸で、なんとなくリスとかウサギとかハムスターとかの小動物を思わせる女の子は、少し恥じ入るような表情で、生真面目に頭を下げて謝った。
 僕の知らない子だから、世良の知り合いなんだろう、と判断する。この口調からして下級生なんだろうか、と思って、こっそり首を捻った。
 世良は中学の時から後輩の女の子にも人気があったほうだけど、目の前にいる彼女は、いたって普通の、どちらかといえば地味な感じの子で、先輩先輩と黄色い声を上げるようなタイプには見えない。
「悪い、南」
 そんなことを考えている僕を余所に、世良は申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせて、拝む真似をした。
「ダメだった。こいつ、思ってたよりずっと話の通じない男でさ」
「あ……そう、ですか」
 南と呼ばれた女の子は、目に見えて萎れたようにしゅんとした。この話の流れから言って、こいつ、というのが僕を指していることくらいは判る。別に僕が悪いわけではないのに、僕はなんだか自分がものすごい悪人になったような気がした。
 てことは、この子が世良の彼女の友達、つまり、「僕を気にしている」 という女の子なのかな、と当たりをつける。すごい美人の友達にしては普通の子だな、と僕が思ったのはそれくらいで、それ以外は特になんの感慨も浮かばなかった。だって僕にとっては、まるで見知らぬ赤の他人だ。顔も知らないってことは、話をしたこともないんだろう。そんな相手とよく遊びに行こうなんて思えるよな、という醒めた気持ちにしかならないのはしょうがない。
 世良がこちらを向いて、女の子の肩をぽんと叩いた。
「藤島、こいつ、南っていうんだ。名前くらいは知ってるだろ」
「いや──」
 知らないけど、と言いかけて、思いついた。今までずっと下級生だと思い込んでいたからピンとこなかったけど、同学年だったら、「南」 という有名人はいる。
「もしかして、南さんって、あのいつも学年トップの?」
「そうそう」
 得意げに、世良が頷く。別にお前を褒めたわけじゃないよ、と言いたくなるくらい、満面の笑みだった。本人のほうは、ごめんなさいとでも言いたげに、身を縮めて小さくなっている。
 その学年トップの秀才が、なんでまた僕に、と僕の当惑は深まる一方だ。顔も知らなかったくらいだから、彼女と僕とで、どんな繋がりがあったのか、ちっとも思い出せない。
 半分、世良の背に隠れるようにして、南はもう一度ぴょこんと頭を下げた。
「南です、はじめまして」
「え?」
 はじめまして?
「ごめんな、南。オレの切り出し方がマズかったみたいでさ。野間にも謝っておかないとなあ」
 野間?
「世良君は悪くないですよ。藤島君が世良君とお友達って聞いて、私も安易に考えすぎていたのかもしれません」
「まったくトモダチ甲斐のないやつだよ」
「あの──ちょっと、説明が欲しいんだけど」
 話している二人の間に、僕は無理やり割って入った。南のことは知らないけど、野間、という名前の女の子のことは知っている。しかしそうすると、導き出される解答は一つしかなくて、それはますます僕を混乱の極致に追い込んだ。
「その、改めて聞くけど、一緒に遊びに行こうって言ってたのは、どういうメンツ?」
「だからー」
 世良は、なに言ってんの? とでも言いたげな呆れた表情をしている。
「オレとー、藤島とー、南とー、野間の四人じゃん。知ってるだろ、野間」
「知ってるけど。え、じゃあさ、世良の彼女の友達っていうのが、野間さんで」
「そうだよ」
「──世良の彼女、っていうのが」
「南だよ。なに言ってんの?」
 世良がものすごく当たり前のように言うから、僕はそのまま絶句した。


「あ……そ、そう」
 しばしの間の後で、僕はやっとの思いでそれだけの言葉を絞り出した。うっかり口を滑らせると、ウソでしょ、とか、冗談でしょ、とか、美人じゃないじゃん、とか言ってはいけないことを言ってしまいそうだった。作為的な出会いの場を好ましいとは思えないけれど、いたずらに女の子を傷つける趣味も僕にはない。
 いや、南は別に、不器量なわけではない。まあまあ可愛いほうかもしれないとも思う。でも少なくとも、すごい美人、ではない。ましてや僕が想像していたような 「悪女」 というイメージからは、どんなに猛スピードで走っても追いつけないくらいかけ離れている。
 それに、顔とかイメージとかはともかく、地味で真面目な優等生の南と、テキトーでいい加減な世良というちぐはぐな組み合わせが、僕にはさっぱり理解できなかった。今こうして目の前で並んでいても、ひたすら違和感ばかりがある。
「藤島君は、カラオケが好きじゃないんですか」
 遠慮がちに問いかけられた言葉に、はっとして我に返る。世良の誘いに乗らなかったのは、そういう理由ではないのだが、僕の頭はまだ平常の状態には戻ってきてはいなかった。
「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど」
 あたふたしながら答える。同学年だというのにですます調で話す南に、僕はさらに度を失いつつあった。
「でも、歌は、あんまり得意じゃない」
 つい、言わなくてもいいことを口走ってしまってから、世良がぷっと噴き出したのが目に入って、すぐに後悔する。しかし南は、それを聞いてほっとしたような笑顔になった。
「それなら大丈夫ですよ。間違いなく、私のほうがヘタクソですから」
 なんでそんな自信満々な顔をして言い切るのか、謎なんだけど。
「南さん、は、カラオケとかよく行くの?」
「この間、世良君に連れて行ってもらいました」
 と南は言ったが、やっぱり僕は、世良と南がカラオケデートする場面を上手に想像できなかった。
「私の歌を聞いて、世良君はたっぷり五分間はソファの上で悶絶してました。あんまり笑い続けているので、飲み物を運んできてくれた店員さんが、大丈夫? って心配したくらいです」
「…………」
 あくまで大真面目な南とは対照的に、世良はその時のことを思い出したのか、身長の高い上半身を折り曲げ、お腹を押さえてくくくと笑っている。僕のほうが気を遣って、ちょっと笑いすぎだろ、と世良の足を蹴っ飛ばしたほどだ。
「えーと、南さんは、そんな風に笑われて、世良のことが嫌になったり、悲しくなったりしないの?」
 というか普通の女の子は、彼氏に歌を大笑いされたら、怒って店から飛び出すよなあ (今も反省の色なく笑ってるし)。ましてや、もう一度、しかも友達を連れて、行きたいとは思わないんじゃないだろうか。
 僕が問うと、南は一瞬きょとんとした顔をし、それから、考えるように目を上に向けた。
「そうですね。世良君は、私のことをよく笑うんですけど」
「よく、笑うんだ……」
 それって、そんな風に屈託なく言うようなことだろうか。
「でも、世良君は、みんなが笑う時には笑わないんですよ」
「は?」
 意味が判らなくて問い返すと、南はどういうわけか、ぽっと頬を赤くした。
 手で団扇のようにぱたぱたと顔を扇いで、ふー、と息を吐く。
「ノロケっていうのは、照れますねー」
「え、今のノロケだったの?!」
 僕はびっくりして叫んだが、世良と南は、ねー、と笑い合っている。その姿はまさしくバカップル以外の何物でもないが、今の話のどこにそんな要素があったのか、僕にはまったく判らない。
 ──と。
「どけよ」
 という低い声とともに、廊下に立っている僕らの後ろを通った男子生徒が、どん、と乱暴に世良の身体を小突いた。邪魔なんだよ、と忌々しそうに呟いて通り過ぎるそいつを見て、僕は意外に思った。
「……なに。世良、青柳となんかあった?」
 去っていく背中を目で追いながら、小声で訊ねる。
 青柳は僕と同じクラスの生徒である。試験の時に学年順位の常に上位にいるところは南と同じだが、どことなくぽやーっとしてアホっぽい雰囲気のある南とは違い、銀のフレームの眼鏡をかけていかにも秀才然とした風貌をしている。少しとっつきにくいところはあるけれど、他人に対してあんなにあからさまに敵意を剥きだしにする青柳は、見たことがなかった。
「ああ、まあ、ちょっとね」
 世良は曖昧に言葉を濁して苦笑した。心配そうな顔をする南に、大丈夫、というように小さく笑いかける。
「この学校は、融通の利かない人間が多いよな。藤島とか、アオヤナギ君とか」
「悪かったね」
「アオヤナギ、じゃなくて、アオヤギ、ですよ。世良君」
 軽い調子で言う世良に、僕は憤然とし、南は几帳面に訂正をした。
「どっちでも同じようなもんじゃん」
「違いますよ。世良君、知ってますか。名古屋の名物に、『ういろう』 っていう食べものがあるんですけど──」
 その後続いた南の話は面倒なので省略するが、青柳本人とは、全然まったく一ミリも関係のない内容であったことを、ここに断言しておく。
 それなのに、世良はその話を、ものすごく楽しそうに最後まで聞いてやっていた。



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