短編4

Be mine U(3)




 その後、僕はなんとなく成り行きのまま、世良と南、そして野間と時間を過ごすことが多くなった。
 不本意なんだけど、しょうがない。なにしろ南というのは律儀なのか何なのか、僕を校内で見つけるたび、「藤島君、こんにちは」 と声をかけてくるのだ。いつまで経っても他人行儀な言い方のわりに、どこにいても必ず堂々と挨拶してくるから、いくら僕でも無視できない。
 しかたなく立ち止まって返事をすると、南のそばにはいつも世良か野間がいて、ふと気づくと、僕は彼らの馬鹿話に付き合っている羽目になる。南の変てこな話を聞くと、どうしても突っ込まずにいられなくなるのはどうしてなんだろう。世良や野間がまた、面白がって無責任に話を広げたりするものだから、いつの間にか長いこと四人でわいわい騒いでいることになる。結果、クラスの連中に、「お前、最近あいつらと仲がいいんだな」 などと言われたりする、わけだ。
 そして現在の僕は、自分でも意外に思うくらい、そう言われるのが嫌ではなくなっていた。
 不本意ながら。


「あっ、藤島君、こんにちは」
 ある日の休み時間、僕が外の渡り廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。振り返ってみたら、やっぱり南と世良が立っている。いつもと若干違うのは、二人ともジャージ姿であるということくらいだ。
「なに、今から体育?」
 という僕の問いに、同時に二つの答えが返ってきた。
「はい、そうです」
「この寒いのに外なんだぜ。まったく面倒だよな」
 世良はいかにもダルそうに、着崩したジャージのポケットに手を突っ込んでいるが、南はこんな時でもきっちりとしている。まるで小学生が、これからラジオ体操にでも行くみたいだ。いや、今どきの小学生のほうが、もうちょっとだらけているかもしれない。
「野間さんは用事があって、もう少しあとから来ます」
 聞きもしないのに、南がそう言って、僕はふーんと受け流した。
 野間は現在、もう何もなかったかのように、僕と接している。普通に話し、普通に笑う。以前よりも会話が増えた分、少し親しげな顔も見せるけれど、決して 「友人」 の線を越えるような言動はしない。この程度のことだったのか、と僕が拍子抜けするくらい、野間の態度には、何ひとつとして、特別に変わったところはなかった。
「どお、藤島、気は変わった?」
 世良が、相変わらず軽い口調で僕に問いかける。
「なんの」
「みんなでカラオケに行こうって話」
「変わんない。行かない」
 僕が素っ気なく答えると、世良はくくくと笑い、南はあからさまにガッカリしたように肩を落とした。
「ガンコだよねえ〜、お前」
「これが噂に聞く、『ツンデレ』 というやつでしょうか」
「……あのね」
 南の言葉に、僕は思いきり渋い顔になった。世良は手を叩いて、大ウケだ。
「藤島の場合、『ツン』 ばっかりで、『デレ』 がないじゃん」
「あ、そうですね。どうすれば、藤島君の 『デレ』 が見られるんでしょう」
「そりゃーやっぱり、もうちょっと女ってもんを知ってさあ〜」
「そういう問題じゃない。別にいいじゃないか、今さらカラオケになんて行かなくても」
 放っておくとどこまでも逸れていく世良と南の会話を、僕はばっさりと切り捨てる。
 そうだ、いいじゃないか、と内心で繰り返した。いいじゃないか、今さら、もう。このまま、「時々お喋りする顔見知り」 のスタンスで。野間だってきっと、今頃はそう思ってるに決まってる。
 野間のことは嫌いじゃない。でも、もっと親しくなりたいとも思わない。
 僕は、「誰かを好きになること」 に対して、ものすごく臆病だった。
「うーん、そうですか……」
 南は考えるような表情を上に向けている。参考書の問題を解く時でも、これよりはもうちょっと気楽な顔をしてるんじゃないかというくらい、難しい顔つきだった。
「みんなで遊びに行けたら、楽しいんじゃないかと思ったんですけど」
「僕と遊びに行ったって、なんにも楽しいことなんてないよ。野間だって、そんなことは判ってるんじゃないの」
「え、でも」
「僕は、世良とは違うんだ」
 僕の言い方は、少しぶっきらぼうに過ぎたらしい。世良と南は顔を見合わせて、一方は苦笑を、一方は困った表情を浮かべた。
「──ま、お前がそう思うんなら仕方ないな。別に無理強いはしないよ。じゃあな」
 世良はそう言うと、何か言いたげな南の背中を軽く押して、片手を挙げた。
 その場から立ち去りながら、南がちらっとこっちを見て、世良に何かを言っている。笑いながらそれに答えている世良の様子が、まったくあいつもしょうがないよなあ、とでも言っているように見えて、無性に腹立たしかった。
 僕は突っ立ったまま、二人の姿が見えなくなるのを待った。向かう方向は同じでも、今はあまり近くにいたくない。
 世良に何かを言われた南の後ろ姿は、ううーん、とまた考えるように首を捻っている。何をそんなに考えているのかは判らないが、あ、と思った時には遅かった。
 首を捻ったまま足を動かしていた南は、何もないところでつまずいて、どたっと派手にすっ転んだ。
 隣を歩いていた世良が、驚いて立ち止まる。そりゃ驚くよな、と僕は思った。高校生にもなって、こんな見事な転び方をするなんて、僕だって驚く。
 その様子を見て、周囲にいた女子の中には、遠慮もなくぷーっと噴き出すのもいた。やだあー、なんて声に出すやつまでいる。制服じゃなくてよかった、と僕は他人事ながらほっとした。スカートでこれをやっていたら、もっと悲惨なことになっていただろう。湧き上がる笑い声も、今の比ではなかったかもしれない。子供のように大声で囃し立てるような残酷な無邪気さはなくとも、抑えられた憐れみ混じりの笑いは、余計に尖った針みたいにチクチク刺さって痛い。
 そのくすくす笑いの中で、世良だけは笑わずに、真っ赤になって立ち上がる南に手を貸してやっていた。すみませんと謝る南を制して、ジャージについた汚れを払い落とし、怪我はないかと確認している。
 そこにはただ、心配そうな表情だけがあった。
 「世良君は、みんなが笑う時には笑わないんですよ」、という南の言葉を、僕は思い出した。


          ***


 ──期末試験を二日後に控えた日、事件は起こった。

 その日の昼休みのことだ。弁当を終えてトイレに行った僕は、そこからちょうど出たところで、南と出くわした。
「藤島君、こんにちは」
 こうも何度も言われると、さすがに慣れる。うん、と返事をして立ち止まると、南も止まった。今日は珍しく、南一人だけだった。
「世良は?」
「今日は、お友達と外食だそうです」
「…………」
 もちろんこの高校は、昼休みに生徒が校外に出て行くことを、厳しく禁じている。教師の目をかいくぐり、こっそり学校を抜け出して、ラーメンやお好み焼きを食べに行くような生徒が一部にいることは知っていたが、こんな身近に、その悪例が存在していたとは。
「野間さんは、テニス部の顧問の先生と、今度の試合の打ち合わせがあるということで」
「ああ」
 と、僕は頷く。試験が終わったら、テニスの試合があるというのは男子部も同じだ。野間は女子テニス部の副部長だから、いろいろと忙しいのかもしれない。部員数が少ないから、部長副部長の選出で悩む余地がないのよね、と本人は肩を竦めて言っていたっけ。
「野間さん、元気ですよ」
 また聞きもしないのに、南が余計なことを言う。試験期間中は部活動もないし、確かにここ最近あんまり野間と顔を合わせる機会はないけど、野間が元気だろうと、元気がなかろうと、知ったことじゃないよ、と僕は思った。
「で、南はどこに行くの。図書室?」
 話を野間から逸らすために、僕は質問をした。南が (どういうわけか、世良も) 図書室の常連だということは知っている。
「あ、いえ。教室のモップが壊れてですね」
「は?」
 唐突さに戸惑って聞き返すと、南は真面目な顔で、「モップです。柄が長くて、その先に汚れを取る繊維の付いた便利な清掃道具です」 と説明した。誓って言うが、僕は断じて、「モップ」 の意味を訊ねたわけではない。
「それの柄が折れてしまって。新しいのと換えないといけないので、取りに行くところなんです。先生に聞いたら、新品は外の物置にまとめて置いてあるそうなので、鍵を借りてきました」
 ふうん、と頷いてから、僕はふと思いついて、眉を寄せた。
「そのモップを折ったのは、南なの?」
「いえ。教室の掃除当番の人が使っていたら、折れちゃったそうで。寿命だったんでしょうかねえ」
「南は教室の掃除当番?」
「いいえ、私は他の場所の」
「じゃ、美化委員かなにか?」
「いえ、違います」
「…………」
 また利用されて……と僕は頭が痛くなってきた。クラスメートも、南に平気で物置の鍵を渡したという教師も、一体どういう神経をしているんだろう。そりゃ世良が怒るよな、と今この時になって、ようやく僕は心の底から理解した。
「南、いい加減にしなよ。そんなことやっていても、なんの得にもならないよ。他人は南にそうやって面倒なことを押しつけたって、なんとも思わない。感謝もしなきゃ、罪悪感も覚えない。南がバカを見るだけだ」
「…………」
 きっぱりそう言ってやると、南は口を閉じ、僕の顔を見返した。
 きつく言い過ぎたかな、という思いと、なんとなくもどかしいようなじれったさがあって、落ち着かない。まったく知らない人間だったらこのまま素通りしていられたものを、関わってしまったばかりにこんな気持ちにさせられることになる。ただの知り合いでこうなのだから、彼女なんて作った日にはどんなに大変だろうと、考えるだけでげんなりした。
「……藤島君、知ってますか」
 ややあって、わずかに目を伏せた南からぽつりと漏れたのは、僕もよく聞くお馴染みの台詞だった。
 けれど、そこにはいつもと違う響きがあった。
「昔から、満足に出来ることがなんにもなくて、人と付き合うことも上手にやれず、何ひとつ生産的なことが自分の手では成し得ない、っていう人間にとって、世界はとっても大きいんですよ」
「え……」
 ぽかんとして、僕は中途半端に口を開ける。なに言ってんだろ、と思った。
 南は静かに、ぽつりぽつりと続けた。
「大きな大きな世界の中で、何も持っていない自分ていうのは、なんて小さくて、なんて無価値だろうって思うんです。どうしてか、私と他のものは、どこかが少しズレてしまう。もしかして、自分は間違ってこんなところに生まれてきてしまったのかもしれない。だったら、私がいてもいなくても、世界はなんにも変わらない。……そう思うと、自分が消えてしまいそうに頼りなくなる気がするんです。ここに立っているのかどうかも、時々判らなくなるくらいに」
「…………」

 自分自身に、まったく価値が見いだせない。
 世界の誰も、何も、自分を必要としていない。
 自身の存在すら危うくなるほど、この世の中に馴染めない。

 そのあまりにも寂しい考え方に、僕は言葉を失ってしまう。けど南は勉強が出来るじゃないか、と言うのは、なにか間違っている気がした。
 もっと──もっと、他に言うべきことがあるはずなんだ。もっと。
「だからせめて、私にでもやれることは、なるべくやりたいなって思っているんです。得とか、損とかは、あんまり問題ではないんです。自分に出来ることが少しでもあるのなら、一つずつでも増やしていければいいな、と思ってるんですよ」
 世良君には叱られるんですけど、と付け加えて、南は笑った。それを見て、僕も少し無理やりだったけど、なんとか笑みらしきものを浮かべた。
 わざと、冗談めかして言う。
「あの、上から目線でね」
「はい、あの上から目線で。でも、私、世良君に叱られるの、実はけっこう好きなんですよー」
 そう言って、南はほんのりと頬を染めた。へにゃりとだらしなく目元を崩す顔は、ちっとも学年トップの秀才には見えない。
「……あのさ、なんで、南は世良と付き合おうと思ったの?」
 と、僕は改めて訊ねた。南のような人間にとって、「なんでも出来る」 世良みたいなやつと一緒にいるのは、しんどくないのだろうか、と思ったのだ。
 世良のようにそつのない男だったら、きっと中学の時のあの女の子も、つまんない、とあっさり切り捨てることはなかっただろうな──と、どうしても思ってしまう僕みたいに。
「なんでって……なんででしょう?」
 僕の問いかけに、南は首を傾げて、思いきり同じ質問を返してきた。そんなの、僕に訊かれても、わかるわけがない。
 うーん、と南が真剣に考え込む。なるほど、この状態で歩くと、あんな風に転ぶわけだな、と僕はこっそり内心で納得した。
「理由はたくさんあるような気もしますし、理由なんてないような気もします。……ただ」
「ただ?」
「世良君は、私にとって、一万本の三つ葉の中の、たった一本の四つ葉なんです」
「は?」
 間の抜けた声を出す僕には構わずに、南は赤くなった顔を、手でパタパタと扇いだ。どうやらまた、「ノロケは照れる」 とか考えているらしい。でも悪いけど、やっぱり僕には、その言葉のどこがどうノロケなのか、さっぱり判らない。
「時には、数学や物理みたいにはっきりした 『解答』 がないものがあっても、いいんじゃないでしょうか」
 にこ、と笑って南はそう言った。
「……うん」
 と、僕はちいさく頷く。
 なぜか、ひどく素直に、そうなのかな、そうかもしれないな、と思えた。
 そうして、じゃあ行ってきます、と去っていく、南の背中を見送った。
 その後、何が起こるかも知らずに。



 ──五限目が終わって、僕のところにやってきた世良と野間は、はっきりと判るくらいに、強張った顔をしていた。
「どうしたんだよ」
 と、僕は驚いて椅子から立ち上がる。この二人がこんな顔をしているのを、今までに一度だって見たことがない。なにか、尋常ではないことが起きたらしいことを察して、イヤな感じに鼓動が跳ねた。
「……藤島、南を知らないか」
 先に口火を切ったのは、世良の方だった。低い声は、世良のものとも思えないくらい、緊張が滲んでいる。
「お前と南が、昼休みに話してるのを見たって、聞いたんだ」
「う、ん。たまたま廊下で顔を合わせて、立ち話をしたけど。どうしたんだよ、一体。南は?」
「いないの」
 と答えたのは野間だ。いつも陽気な彼女が、暗い表情で泣きそうになっている。僕は胸が苦しいくらいにざわざわした。
「いない、って」
「昼休みから、教室に戻ってこない。オレと野間がクラスに戻ったのが、昼休みの終わる直前だったんだ。その時も席にいなくて、どうしたのかなって思ったけど、五限目が始まっても、終わっても、ずっと戻ってこなかった」
 世良の言葉に、僕は胃が持ち上がるような気分になった。
「具合が悪くなって、保健室で休んでる、とか」
 思いついて口にしてみた可能性に、野間が首を横に振る。
「見てきたけど、いなかった。昼休みから、誰も来てないって」
「…………」
 僕は言葉に詰まる。他の人間だったなら、多分、誰もここまで心配はしなかっただろう。サボリだな、と軽く考えていただろう。でも、相手は南だ。それだけは絶対にない、という確信だけが全員に共通してあった。
 僕ははっとした。
「南、新しいモップを取りに行くって言ってた。外の物置にあるからって、鍵を借りて、それで」
 言い終わらないうちに、世良が素早く身を翻して、駆けだした。
 世良の後に続いて、野間が走り出す。僕も一緒になって、教室から飛び出した。
 雑多な道具が押し込まれ、普段滅多に使われることのない物置は、邪魔にならないようにと、北校舎の暗い裏庭にひっそりと据え置かれている。僕は走りながら、昼休みに見た背中を思い出していた。南に何かあったんだろうかと思うと、自然と足は早まる一方だ。どうしてあの時、ついていってやらなかったんだ、という後悔ばかりが湧きあがる。
 下足に代えることも、昇降口を使うことも、世良はしなかった。迷うことなく廊下の窓から外に飛び降りて、教室の窓から入り、校舎内を駆け抜けていく。驚く生徒たちには目もくれず、最短距離を突っ走った。
 その世良を、野間と並んで必死になって追いかけて、僕はずっと、心の中で思っていた。

 私がいてもいなくても、世界は何も変わらない、って?

 そんなことはないよ、南。
 絶対に。



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