短編5・おまけ

始発列車




 仁科のバカのお喋りがうるさい。
 大川は苛々しながら、箸で豪快につまんだ千切りのキャベツを口の中に放り込む。味がしねえ、と思ったら、ソースもドレッシングもかけていなかった。それもこれも仁科のせいだ。
 働く男にとって、仕事の後の夕飯と風呂はなにより貴重なもののはずである。モリモリ食べてサッパリと汗を流して、休息を取りつつ疲れた身体と心を解放してやるからこそ、明日の労働への英気と意欲を養えるというものである。たとえそれが、見渡す限りむさ苦しい男ばっかりの、味気なく侘しい独身寮の中であってもだ。
 それなのにどうしてその貴重な食事時間の最中、俺はこんなやつのこんな話を延々と聞き続けねばならんのか。
「それでね大川さん、聞いてくださいよ」
「聞きたくない」
「この間ね、ホラ僕、たまたま日曜日が休みだったじゃないですか。それでそんなことあんまりないもんだから、張り切って凪子さんをデートに誘ったんです。気候もいいですし、ちょっと遠出して山の方へ行ったりして。あ、もちろん電車でね。いやー、そんなに寒くも暑くもなくて、気持ちよかったですよー。それでね、凪子さんがお弁当作ってくれましてね。お弁当ですよ、大川さん、爽やかな風の吹く晴天に、芝生の上で彼女の作ったお弁当を食べる幸せってわかります?」
「…………」
 現在、まかないのおばさんが作ったコロッケ定食を、薄暗い寮の食堂で食べている人間に、なぜそれを聞く?
 大川は思わず手の中の割り箸を真っ二つに折りそうになったが、仁科のお喋りは止まらない。仁科が隣で食べているコロッケ定食は、皿の上の大半がすでに空っぽだ。大川のあとからやって来て、しかもなおかつずーっとべらべらと休む暇なく喋り続けているというのに、一体どうやって腹の中に入れたのだろう。
「あっ、でも本題はそれじゃないんです」
 ここまで十分間以上、一方的に喋っておいて、まだ本題に辿り着いていないのか、と大川は眩暈がした。
「あのねそこでね、凪子さんの写メを撮ったんですよ。これがねえ、大変な傑作で。見たいですか、大川さん」
「見たくない」
「いやー、どうしようかなー、悩むなー。見せようかなー、やめようかなー」
「見たくない」
「もう、大川さん、付き合い悪いですよ。可愛い後輩の彼女じゃないですか。見てくださいよ、お願いですから」
「誰が可愛い後輩だ」
 強引に目の前に差し出されたスマホに、大川は腹の底から大きな息を吐き出してから、渋々目をやった。そういえば、いつも散々ノロケばかりを聞かされる仁科の 「彼女」 だが、実際にその顔を拝んだことはない。
「へえ……」
 最初ちらりと一瞥して、無意識に感嘆の声が出てしまった。仁科の手からスマホを受け取り、今度は自分の近くまで寄せてまじまじと見入る。仁科が、「可愛いでしょー、美人でしょー」 とデレデレ言うのは鬱陶しかったが、その言葉を否定することは出来なかった。
「こりゃ確かに」
 美人だ。仁科には、かなりもったいないレベルだ。
 画面の中で、若い女性が、緑を背景にして陽の光を浴びて笑っていた。風に吹かれてゆるやかに流れる髪を手で押さえている。少しだけ頬を染めた彼女の顔にあるのは、取り澄ました微笑ではなく、作った笑みでもなく、どこまでも自然な笑いだ。何か面白いことがあって笑っているところを撮ったのか、見ているだけでこちらの気分まで和ませるような、楽しそうな顔だった。
 今にも明るい笑い声が聞こえてきそうなくらいの、いい写真だと言っていい。
「僕が撮ったんですよ」
「お前じゃなきゃ誰が撮るんだよ」
 自慢げな仁科に突っ込んで、同時に納得した。きっと仁科のやつが、スマホを構えながら、さぞかしくだらないことばかりを話していたのだろう。彼女の笑顔からは、カメラレンズの向こうにある人物に対する優しさと信頼がよく伝わってくる。面白くない。
「こんな美人とどうやって知り合ったんだ?」
 スマホを返しながらなにげなく問うと、仁科が珍しく口を噤んだ。
 ん? と思いながら身を乗り出したら、少し気まずそうに目を逸らし、ぼそっと言った。
「……えー、それはまあ、僕の方から声をかけて」
「まさか、仕事中にナンパしたんじゃないだろうな」
「違いますよ!」
 厳しく問い詰めると、仁科は、心外だ、という表情で憤然と否定した。
「僕がそんなことするわけないじゃないですか。仕事中に女性をナンパするなんて、模範的な鉄道マンのすることじゃありません。とてもじゃないけど、自分自身に許せませんよ」
「じゃあ、どこで声をかけたんだよ」
「駅のホームで」
「何をしてる時に?」
「ホームの掃除をしている時ですね」
「仕事中じゃねえか!」
 頭をごちんと殴ってやると、仁科はぶつぶつと文句を言った。声をかけたのは仕事中だけど、ナンパじゃないのに……とかなんとか弁明している。
「あのね、その時ね、凪子さんはとってもしんどいことがあったんですよ。それでホームのベンチに座ってたんです。その姿が、すごく綺麗でね」
 真っ直ぐな背中で、じっと身動きもせずに、顔を上げて視線を前方に据えていて、と、その時のことを思い出すように仁科は続けた。
「悲しげで、でも、凛としていて。周囲の暗闇に溶けちゃいそうなほど儚くて、けど、凪子さんの周りを薄っすらした光が包んでいる感じでね、そこだけ、時が止まっているように見えました。まるで、電車の女神さまがいるみたいだなって、僕思ったんですよ」
「………………」
 大川はしばし無言になった。
 もちろん、仁科の乙女チックな発言に感動したわけでは全然ない。どっちかというと、それは戦慄に近かった。
「……お前さ、それは女への口説き言葉として絶対に使うなよ」
 心の底からの親切のつもりで忠告すると、仁科は大川を見返して、きょとんとして目を瞬いた。
「え、なんでですか。僕、この間言っちゃいましたけど。凪子さんに」
「言っちゃったのか!」
 驚愕して叫ぶ。仁科はさらに不思議そうな顔になった。
「そ、その、電車の女神さまってやつを?」
「はい」
「お前……。それで、その凪子さんはなんて?」
「へ? ちょっとはにかんで、『そんないいものじゃないですよ』 って笑ってましたけど。ああ、そうなんですよ、その顔がまたもうね、可愛くってね。あれですね、好きな人の笑う顔って、なんでこうも理性を打ち砕く威力があるんでしょうかねえ」
「…………」
 目尻を下げた仁科の話はその後もダラダラと続いていたが、大川はそれをきっぱりと聞き流して、一人ひそかに苦悩した。
 ……今の話のどこに、「はにかむ」 要素があるのか、判らない。
 納得いかない。非常〜に納得いかない。以前、女の子の前で、電車を正面から見たところを、ついうっかり 「電車の顔」 と表現してしまったために、ドン引きされた経験のある大川としては、その成り行きに異議申し立てをしたい気持ちでいっぱいだ。どう考えたって、電車の女神さま、よりは、電車の顔、のほうが数百倍もマトモだろ!
 なのにこいつは彼女とラブラブで、三十を目前に控えた俺はまだ当分この独身寮でお世話になる気配濃厚とは。
 一体、自分とこの男に、どんな違いがあるというのだろう。顔か。性格か。状況か。言い方か。愛情と信頼の差、なんて答えだけは認めんぞ。寂しすぎる。
 だんだん、おどろおどろしい黒いオーラに包まれつつある大川の隣で、仁科は顔だけは悩ましげに、しかし腹立たしいほどの太平楽な態度で、息を吐き出した。
「僕にだっていろいろと葛藤があったんですよ。僕には僕の考える 『鉄道マンはこうあるべき』 って確固たる理想像がありますから」
「……理想ねえ……」
 お前の鉄道員に対する理想像ってやつは、ちょっとおかしいような気もするんだがな、と大川は内心でひとりごちる。
 鉄道会社に勤める人間は、みんながみんな仁科のような鉄道オタクではないが、やっぱりそれなりに鉄道を愛している者ばかりである。大川だってそうだ。
 しかしそれにしたって、仁科の抱く 「理想の鉄道マン」 みたいなのは、多分、ほとんどいないのではないだろうか。それくらい、それは恐ろしいまでに完璧に近いほど神格化されている。そもそも、そんな鉄道員、いや人間が、この世に存在するのか? というくらいに。
 仁科はどうも、その神格化されてしまった理想像に、頑張って近づこうとしているらしい。その努力は認めてやらないでもないし、偉いものだとも思う。しかしなにしろ所詮ひとりの生身の人間であるゆえに、神にはなれるはずもない。そのためなのか、仁科の言動は、時々ちょっと、いやかなり、奇妙なものになりがちだ。
「名前が知りたいなあー、とか、もうちょっと仲良くなりたいなあー、とか思っても、制服を着ていると自動的に心にストップ機能が働いちゃうんですよね」
「それがふつうなんだよ」
「どんなに殴ってやりたい男が目の前にいても、制服姿の時は、ぐっと我慢をしたりして」
「それがふつうなんだっつーの」
 言い返しながら、大川は思い出した。
 そういえば、今の彼女と付き合う前に、何か揉め事があったらしいんだったな。詳しいことは知らないが、仕事に対しては真面目な仁科が、切羽詰まった様子で、勤務時間の途中で抜けようとしたことがあったっけ。
「…………」
 思い出したら、ムカムカしてきた。
 仕事を抜けるというその理由が女のことだと知って、大川はその時、仁科を止めたのだ。もちろん、彼女のいない男の腹いせに決まっている。上司が許しても俺が許さん、と後ろから羽交い絞めをしてまで止めたのに。
 ちょっとちょっと、大川さん、いい加減にしてくださいよ、と最初のうちこそ慌ててもがいていた仁科だったが、大川が意地でも離してやらないでいると、突然ぴたりと動きを止め、はあっと溜め息をついた。
「……もう。ホント、怒んないでくださいよ? 緊急時なんで」
 そう言うや、ふっと全身の力を抜き、と同時にすいっと身を沈めた。あ? と思う間もなく、拘束から腕を抜き去り、低くなった姿勢のまま、くるりと綺麗に半回転。その素早い動きについていけずにまごついていた大川は、見事に足払いをかけられ、その場に尻餅をつく羽目になった。いって、と呻いているうちに、仁科はとっとと逃走したという、苦い思い出がある。
 柔道の黒帯を持っている大川にとって、あれは屈辱以外の何物でもない。だからこそもう二度とあの時のことは蒸し返さないと心に決めているが、それ以来、この男に対して少し見る目が変わったというのも事実だ。
 今も、ちょっと目線を外しつつ、喋っている仁科の隙をついて、頭をぽこんと殴りつけてやろうとしたら、するりと拳をかわされ避けられた。口を動かしながら、自分でもほとんど意識していないように、頭だけをひょいっと動かしたのである。殴る意思を明確にしていれば大人しく殴られるくせに、じゃあいつもはわざと殴られているわけだ。どこまでも可愛くない。
「それでねえ、大川さん」
「……なんだよ」
 可愛くはないが、仁科の言葉に、大川はやっぱり返事をしてしまう。結局自分はお人好しだ、ということもあるかもしれないが、なんとなく逆らいきれないところがあるのだから、仕方がない。
 鉄道オタクでお喋り。甘党だが酒にも強い。鉄道マンに対する愛情と誇りと憧れが、かなり尋常じゃない男。
 そして、いつもニコニコしているわりに、なんだか時々、やたらと怖い男。
 こんな後輩を持った俺は不幸だ、と大川はしみじみと思い、キャベツをもそもそと咀嚼した。
 ──それなのに、なんであの彼女は、あんなにも幸せそうな顔で笑えるのだろう?
「僕ね、それとなく将来を匂わすようなことを言ってるんですけど、どうも今ひとつ、反応がはかばかしくないんですよ。凪子さんて、ニブいのかな。それとも判っててはぐらかされてるのかな。なんか心配になってくるんですけど。もっとあからさまに言葉にした方がいいんですかねえ。どう思います?」
「…………」
 だから、なぜそれを俺に聞く、仁科。
 首を絞めてやりたいのを我慢した。けっこう本気の努力が必要だった。
「……お前のことだから、どうせ鉄道にたとえた内容なんだろ」
「そうです。よく判りますね」
「判らないやつはこの寮には一人もいない」
「やっぱり、最終列車、っていう言葉がよくないのかな。最終、っていう響きに、なんていうかこう、そこはかとない暗さと縁起の悪さが漂うっていうか。これからの未来に向けて、もっと前向きかつ明るく建設的な言葉を選んだ方がいいんでしょうか」
「とりあえず、鉄道から離れてみたらどうだ」
 大川にしては精一杯の善意からそうアドバイスをしたのに、うーん、と考え込んだ仁科の耳には、まったく入っていないらしかった。
「あ、そうだ!」
 と、嬉々とした顔で目を輝かせる。
「 『これから僕と一緒に、新しい人生の始発列車に乗りませんか』 っていうのはどうでしょう?!」
「…………」
 大川が無言で繰り出した拳は、今度は仁科の後頭部にしっかりヒットした。

Fin.



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