短編6

騎士と乙女と野獣(2)




「やあ、レイン」
 兵舎でのんびりと寛いでいると、後ろから穏やかな声がかけられた。
 ん? と振り返ったレインが、ゆったりとした足取りで近づいてくる人物を目に入れて、驚いて座っていた椅子から立ち上がる。参ったな、という表情で苦笑しながら、それでも腕を前にして頭を下げ、礼を取った。
「これはこれは、アヴィ王子。このようなむさ苦しい場所へようこそ」
「やめてくれよ、今は誰もいないんだからさ」
 美しい銀髪と澄んだ碧眼を持つアヴィ王子は、フィル女王の三番目の子であり、長男にあたる。れっきとした王族ということなのだが、この国において王位継承の権利を持つのは女性のみと定められているため、二人も上に姉王女のいる彼は、王子とはいえ、かなり気楽な立場にあった。
 アヴィ王子は物馴れた様子ですたすたと兵舎の中を歩いてくると、レインが座っていた隣の椅子にどさりと身を投げるようにして座った。
 長い足を組み、空いたままの椅子を左の掌で指し示して、どうぞ、というような仕草をする。無造作なやり方ではあるが、やはり王子らしく、指の先や視線の投げようがいちいちスマートで、気品が滲んでいる。身に着けているのはレインの軍服と似たような形だが、布地の質が格段に違うから、彼が身動きするたび、さらりとしなやかで上質な音がして、それがまた優雅さを醸し出す。
 さすが王族、とレインは感心しながら、再び椅子に腰を下ろした。
「その顔にその身体にその物腰、黙ってたって女が放っておかないだろうに、中身はとんだ堅物なんて、もったいない話だねえ」
 ついつい、思ったことがそのまま口に出てしまう。雑駁な口調は、普通ならとても王族に向けて許されるものではないのだが、アヴィ王子はまったく気にしない。彼はレインよりも五つほど年少ではあるが、昔からごく親しい友人として付き合ってきたのだ。アヴィに剣術を教え込んだのも、あまり模範的ではない遊びを教えたのも、レインである。もちろん、他の人間の目があるところでは、二人とも王子と騎士として、表面的にはそれなりの態度で振る舞うわけなのだけれども。
「僕はレインとは違うんだ」
 むっつりと口を結びながら、アヴィ王子が言い返す。子供っぽいそんな表情でも、この王子がすると、愁いを帯びた哀愁顔に見えて、たまらない色気がある。もともと美男子である上に、文武にも秀でた優秀さを備えているときては、女性にモテないようにいるほうが困難だというくらいなのだが、今までこの王子には、浮いた噂のひとつもなかった。
「俺があれだけ女遊びについての極意を教えてやったのに」
 と嘆くレインに向けるアヴィの目は冷たい。
「そういうことばっかり耳に入れてくる友人のせいで、僕にはすっかり女性への不信感が根付いてしまったんだ。君の話を聞いていると、そして、君に連れられて実際に街中に出てみた時の経験として、この世には尻軽で軽薄な女ばかりしかいないんじゃないか、という気になってくる」
 アヴィは以前、レインに誘われて、王子という身分を隠して街に出たことがあるのである。アヴィとはタイプが違うものの、レインも相当女性に好まれる外見をしているためか、この二人が揃って街に出た時の周囲の女たちからの視線といったら、まるで獲物に食いつく野生動物のようだった。
 誘いかけられて、戸惑っていると、女たちが勝手に争いを初めて取っ組み合いにまでなる始末。レインはそれらの誘いを右へ左へと器用に捌いていたが、文字通り坊ちゃん育ちのアヴィにとって、女たちに言い寄られ、触れられ、奇声をあげられ、服を引っ張られる、という体験は、正直、恐怖しか覚えなかった。今でもトラウマである。
「お前の女ギライを、俺のせいみたいに言うなよ」
「まごうことなく君のせいなんだ。……それより、こんな所で何をしてるんだい。今日は遊びに行かないのかい」
 本日の軍隊の訓練時間はもうとっくに終了している。これから朝までの夜間勤務がある者を除いて、残りの兵はようやくやってきた自由時間に、喜び勇んでとっとと兵舎から飛び出して行った。兵舎は女性の立ち入り厳禁となっているので、誰だってこんな場所には一刻も長くいたくはないのだろう。
 つらい訓練から解放された兵士たちは、大体街に繰り出しては、酒を飲んだり、女の子を引っかけて遊んだりして、楽しい時間を過ごすのが普通だ。いつもであれば、レインなどはその彼らの先頭に立ってバカ騒ぎをするはずなのだが。
「ああ……まあ、なんとなく気が乗らなくてさ」
 その問いに、レインは曖昧に笑ってごまかした。兵舎の中では飲酒ももちろん禁じられているため、テーブルの上に載っているのは泥のようにまずいコーヒーの入ったカップだけである。レイン自身、その味に辟易していたため、中身はちっとも減っていない。
「そろそろ実のない女遊びはやめて、結婚でもして身を固める気になった?」
 諌められるように年下のアヴィに言われ、レインは、ふん、と皮肉っぽく肩をそびやかした。
「この超堅物の息子に一体どんな伴侶を見つければいいのかと、女王陛下の悩みの種になってるお前さんに、言われる筋合いはないっつーの」
「僕のことはいいんだ」
 一瞬、アヴィはなぜか怯んだような顔をしたが、すぐにムキになったように身を乗り出した。
「花から花へと渡り歩くように、ふらふらするのはもういい加減やめにしたらどうだい、レイン。どの女性も、さほど本気ではない遊びの相手ばかりなんだろう。数年前までは、君だって、とても真面目な男だったのに──」
「騎士としての職分は真面目にこなしておりますよ、王子。それ以上のことは、たとえあなたでも口出しされる謂れはないと思いますがね」
 とん、とテーブルを指ではじき、じろりと緑の目で睨まれて、アヴィは仕方なく口を閉じる。騎士としてのレインは強くて男らしくて非常に頼りになる人間なのだが、個人的に、一度怒らせるとけっこう根に持つ男であるということは、アヴィも知っている。
「それで、ここへは何しに? 俺に何か御用でも?」
 無愛想にレインに訊ねられ、アヴィは表情を改めた。
 彼が、「……実はね」 とさりげなく声を潜めたことに気づいて、レインもだらしない姿勢で腰かけていた椅子に、きちんと座り直した。何か御用でも、というのは嫌味のつもりだったのだが、本当に何か用事があったのか、と少々気分を引き締める。
「近衛のリアのことなんだけれども」
 いきなり出たその名前に、思わずぴくりと眉が動いてしまった。アヴィはじっとそれを見つめたまま、真面目な顔つきを崩さない。
「……リアが、何か」
「彼女が、君とは旧知の仲だというのは知っている。ずっと以前から、犬猿の仲だということもね。それで訊ねるのだけど、リアには今、恋人と呼ぶような男はいるのだろうか」
「まさか」
 ふっと噴き出したレインの返事は素早かった。
「あんなケダモノ女に、恋人なんて物好きな男がいてたまるかって。妹大好きだし、陛下にはべったり忠実だし、このまま一生独身でいるんじゃねえの? 本人もそう言ってたぜ」
「そうか」
 言葉少なに返事をして、アヴィは黙って何事かを考えている。テーブルに置かれたレインの指が、少しじれったそうにとんとんと何度か動いているが、それはどうやら無意識でやっているものらしい。
「だから、それがなんだよ。まさかと思うがお前さん、女への興味が変な形で歪んで、あんな女に手を出そうなんて考えてるわけじゃねえよな。言っておくけど、そりゃ絶対やめておいた方がいいぜ。ありゃホントにどうしようもねえ暴力的な破壊女なんだからよ」
「そんな言い方、女性には優しいレインらしくないよ」
 アヴィはぴしゃりと叱りつけるようにそう言った。彼は女性が苦手だが、女性に対する礼節くらいは、きちんと弁えている。
「……だったら君は、リアに対して特別な感情を抱いているわけじゃないんだね?」
「当たり前だろう」
 今度の返事も、まるで打てば響くような即答だった。不自然なくらい早い、ということに、これまた本人は気づいていないらしい。
「俺がいつも付き合う女は、あいつとは正反対のタイプだって、お前も知ってるだろ? か弱くて、優しくて、従順な、さ」
「…………」
 そう、とアヴィは静かに返事をした。それきりまた考えるように口を閉じた彼に、レインが落ち着かなさげにとんとんとテーブルを指で叩く。
「なあ、アヴィ──」
「うん、それならいいんだ」
 きっぱり言って、アヴィは納得したように頷いた。椅子からすらりとした身体を持ち上げ、ちらっとレインを一瞥してから、独り言のように呟く。
「それを聞いて、安心したよ」


          ***


 さて、レインに 「暴力的な破壊女」 と呼ばれたリアが、その時、何をしていたかというと。
 ……王宮の中庭で、まさしく、暴力衝動を懸命に抑え込んでいるところだったりするのだ。
「──いや、あなたのような美しい女性が、近衛兵などという危険と隣り合わせの任務に就いておられるのは、尊い志であると同時に、非常に惜しいことであると、常々私などは思っているのですよ」
 などという、だらだらとした意味不明の賛辞 (なのかどうかもよく判らない) をリアに向かって並べ立てているのは、クレル卿である。王配──つまり、女王の配偶者であるロイド氏の弟、という人物だ。確か、三十を越えたくらいだったか。
 ロイド氏はもう五年ほど前に亡くなっていて、そもそも女王とは血の繋がりもないのだから、クレルはもちろん、王位からは程遠い。王族、と呼ぶのも少々迷ってしまうくらいだ。それなのにこの弟は、兄がいなくなった今も、「王族の一員」 という顔をして権利を主張し、のうのうと王宮内に住んでいる。「王族だから」 という理由で仕事もせず、そのくせ一人前に威張りくさるのだから始末が悪い。実権もゼロに等しい立場なのだけれど、女王の亡くなった夫の弟、という微妙な立場であるから粗略に扱うことも出来ず、とかく対応に困る、いわば王室の厄介者なのだった。
 役には立たないがそれなりに礼を取らねばならないその相手を、みんな、なんと呼べばいいのかも判らないので、仕方なく、クレル 「卿」 と呼んでいる。困ったことに、このクレル卿ご当人は、そんなことも知らぬげに、ちょろちょろと王宮内のあちこちに顔を出してはいろんな仕事に嘴を突っ込んできたりするので、下女から大臣に至るまで、王宮の人間にはすべからく評判が悪かった。
「ご存じのように、私は数年前、愛する妻に去られてしまいましたのでね。寂しい独り身ゆえ、あなたのような美しい女性を見ると、それだけで心が癒されるのです」
「……恐れ入ります」
 ぼそぼそと返事はしてみるものの、リアの内心は、こいつ殴りてえー、とムカムカした気分を押し殺すので精一杯である。王宮内で剣を鞘から抜くのはご法度だが、鞘に入れたまま殴るのもダメだろうか。ダメだろうな、やっぱり。
 リアの全身を舐め回すような、いやらしい目つきも鳥肌が立ちそうだ。妻に去られてって、それはお前の女癖の悪さに耐えかねて三行半を叩きつけられた、というのが正しいのだろうが。なに被害者ぶってんだ。
 女と見ればあたりかまわず口説く男、というのが、リアは死ぬほど大嫌いである。こうしている間にも、褐色の肌をした誰かの面影が目の前をちらちらと浮かんできて、代わりにこのクレル卿の頭でいいから思いきりどついてやりたくなってくる。せめてその偉そうでスケベそうな口髭を引っこ抜いてやりたい、見るだけで鬱陶しい。
「リア殿も、そんな仕事をなさっていては、婚期は遠くなるばかりでしょうに。今のうちにご勇退されて、結婚相手を探されてはいかがでしょうね。私のような──」
 という言葉と同時に自分の肩に置かれそうになった手を、鍛えられた反射神経でさっと避け、「恐れながら」 とリアは無理やり笑みを浮かべて見せた。
「私は陛下の身をお守りするこの仕事に誇りを持っておりますし、結婚などもするつもりはございません。それからこれはご忠告なのですが、近衛の人間は、自分の身に触れた人間を咄嗟に敵とみなして攻撃してしまう習性を持っておりますので、迂闊にお近づきになられませんよう。なにしろ自分の意志とは無関係に剣が動いてしまいますので」
 どんな習性だ、と自分でも呆れるくらいの嘘八百だが、クレル卿は信じたようで、引き攣った顔でぱっと手を引っ込めた。やれやれと内心で息を吐きながら、本当に剣でぶった切ってやれたらどんなにスカッとするだろう、と物騒なこともひそかに思う。
 ──しかし、それにしても。
 なんで、どいつもこいつも、自分に向かって結婚結婚とうるさく言うのか。
 男女がおおむね平等に扱われるこの国では、結婚によって女がこうむる不利益、というものがほとんどない。子供を産むのは女だけであるものの、育てたり家事をしたりは男も同じようにやるからだ。むしろ、結婚することによって国から保証されるもののほうが大きいので、人々は二十歳になる前にはもう、自分の結婚相手を見つけることが多かった。
 そういう点からすれば、二十五になったリアは確かに、もうすっかり 「嫁き遅れ」 ということになるのだろう。しかしそんなもの、別に他人がとやかく言うようなことではないではないか。
 こうなると、ただでさえ頑固なリアには、私は絶対に嫁になどいかんぞ、という意地ばっかりが、むくむくと湧いてくる。
 心配するような親はもうとっくに他界したし、生涯の自分の面倒を自分で見られる程度の稼ぎはある。好きな男──も、今はいないことだし。
 そうだ、結婚なんて、絶対にするものか。
「いえね、リア殿、実は私はね──」
「申しわけありません、クレル卿。私、陛下に呼ばれておりますので、急ぎそちらに伺わねばなりません。お話はまた次の機会に」
 何かを話しだそうとするクレル卿の言葉を強引に遮って、リアは頭を下げてさっさとその場を立ち去ることにした。このままこの男のお喋りに付き合っていると、本当にしばき倒してしまいそうだ。
 クレル卿に背を向け、足を動かしながら、自嘲気味に心の中で呟く。

 ……そもそも、こんな荒っぽい性格の女と結婚したいと思うような男はいないだろうがな。

 まったく、腹は立つが、レインの言う通り。
 別にいいさ、それでも、とさばさばと考えた。それより、目下の思案は女王陛下の用件の方である。
 クレル卿の相手をしたくなかったのは本当だが、「陛下に呼ばれている」 というのも、嘘ではない。わざわざ勤務時間外に呼び出されるとは、何があったのだろう。そのおかげで、こんな時間をフラフラとうろついているクレル卿にも会ってしまったわけなのだが。
 悪い話でないといいのだがな、という胸騒ぎにも似た勘は、けれど大体、当たってしまうものなのだった。



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