短編6

騎士と乙女と野獣(3)




 女王の執務室へ赴くと、そこには当然ながらこの時間の勤務にあたっているリアの同僚の近衛兵たちがいたのだが、女王はリアの到着とともに、彼女たちを部屋の外へと追いやった。
 二人の近衛兵たちは、それぞれ当惑した面持ちで互いの顔を見合わせたものの、女王の命令とあらば従わざるを得ない。畏まって女王の御前に控えているリアのほうをちらちらと気がかりそうに見ながら、部屋を退出した。
 重くて頑丈な執務室のドアが閉じられる。この場で誰よりも当惑しきっていたリアは、引き締まるような緊張感を覚えつつ、その音を背中で聞いていた。
 女王が、自分の家族以外の人間と同室する時に、人払いをすることなど滅多にない。それだけリアが信頼されていると言えばそうなのかもしれないが、そうまでしなければならない 「女王の話」 とはどんなものなのかと、正直、気が気ではなかった。
「そう固くならなくてもよいのですよ、リア」
 十八の齢で結婚、二十歳の時に君主の座に就いて以来、穏やかな治世を続け、夫は亡くしたが二女一男に恵まれたフィル女王は、普段と変わらぬおっとりとした口調で言った。
「……は」
 胸に片手を当てて礼を取り、リアが口数少なく返事をする。
 執務室内、女王の前にある重厚な机の上には、今まさに片づけられていたと思われる書類の山があり、女王はここでしかかけない眼鏡を外しながら、その書類を無造作に脇へと退けた。その仕草で、命令というよりはもう少しくだけた個人的な話なのだな、ということくらいは察せられるのだが、その内容というと、これがさっぱり思いつかない。
「実は、そなたに少々訊ねたいことがあるのですが」
「はい、なんなりと」
 そもそも自分は女王ただ一人に仕える近衛兵であるから、そんな前置きなどされずとも、女王の質問にはなんでも包み隠さず答える用意がある。こんな二人きりで訊ねられるとは、もしや国家を揺るがすような重大事件でも起こったか、とリアは顔つきを厳しくした。
「そなた、恋人はおりますか」
「は?」
 つい間抜けな声を上げて見返してしまったが、ふっくらとした女王の温厚な顔には、冗談のカケラもない。
「恋、人、と仰いましたか、陛下」
「そうです。恋人です。好きな人、愛する人、王宮の庭の木陰でひそかに手を取り合い睦言を囁き交わす相手のことです」
 女王はやっぱり真面目な表情でそうのたまった。
「…………。いえ、そういった相手は、今のところおりませんが」
「本当に? 片思いの相手や、亡き親の遺言で定められた婚約者、などというものもありませんか? 結婚の予定もないのですか?」
「陛下までそのようなことを仰いますか」
「は? わたくしまで、とは何ですか」
「いえ、なんでも……。とにかく、私には一切そのようなものはおりませんし、結婚の予定もございません」
 不必要なくらいに強い調子できっぱりと言い切ると、女王は軽い溜め息をついて、座っていた革張りの上等な椅子にゆったりと身を沈み込ませた。
「それは重畳。……リア、わたくしの義弟のクレルを知っておりましょう」
 はあ? ともう一度言いそうになったが、なんとか呑み込んだ。
「はい、もちろん知って……存じ上げております。ここに参上する途中でも、お会いしたばかりですが」
 リアの返事に、女王が再び椅子から身を乗り出した。なんとなく、その目がきらっと光ったように見えて、リアはわずかにその場所から後ずさる。
「おや、会いましたか。どんな話をしました?」
「え、と、ほんのご挨拶程度の会話くらいしか」
 まさか、あのボンクラをぶった斬ってしまいたいと苛々していたため話の大半は耳を通過して何を言っていたのかほとんど覚えておりません──とは言えないので、リアはぼそぼそと答えた。
「そうですか」
 ふうっ、と女王がまた深い息を吐き、大きな机に頬杖をつく。そういう行動の一つ一つが、妙にわざとらしい気がしないでもないのだが、リアとしては、黙ってそれを眺めるしかない。頭の中はすでに、嫌な予感ではちきれそうだ。
「……あの、それで、私の結婚云々のお話と、クレル卿に、どのような関係が」
 おそるおそる訊ねてみると、フィル女王はおもむろに机の上で手を組み、重々しく頷いた。
「まさに、関係があるのですよ、リア」


          ***


 リアが女王執務室へ呼び出された数日後、王宮の中庭にある噴水の横で、レインは相変わらずチャラチャラと軽薄に、ナンパ行為にいそしんでいた。
 今回の相手もメイと同じく侍女だったが、メイとは違ってレインの誘いに大いに乗り気な様子だ。というか、レインの口説きを断る女性というのが、そもそも少数派なのであるが。
「いやだ、レイン様。調子のいいこと仰って。どなたにもそのようなことを言われるのでしょう?」
 含み笑いをしながら、こちらを見上げてくるその目には、はっきりと媚がある。レインは余裕の笑みを口元に浮かべて見せた。
「とんでもない、俺好みの子にしか言いませんよ。君みたいな」
「わたくしみたいな、って?」
 流し目とともに訊ねられる質問は、回答を承知したうえで口にされているものだ。これはもう、ほとんど様式美というやつだなあ、とレインは思うが、もちろんそれを顔に出したりはしない。
「そりゃあ」
 と、レインはにっこりした。女性の眼差しの官能レベルが、一段階アップする。
「君みたいに、可愛らしくて、淑やかで、女らしい、かぐわしい花のような──」
 そこで突然、言葉が途切れた。
 レインの口から紡がれる賛辞にうっとりと聞き入っていた侍女は、いきなりの中断に目を瞬いた。え? とレインを見やると、彼は口を半ば開けたまま、自分を追い越して前方をじっと凝視している。
「?」
 不審に思って、背後を振り向くと、そこには一人の女性が佇んでいた。
 さらりとしたクリーム色の絹のドレスを身にまとった、美しい女性だった。愁いのある表情で、手持無沙汰そうに立っているだけなのに、それだけで一枚の絵のようだ。女性にしては背が高いが、手足がすらりとしていて、丈のあるドレスも、レースの長手袋も、よく映えている。
 通った鼻筋、形の良い唇、まるで夕日に輝く湖のような、切れ長の金色の瞳。同じく艶やかな金色の髪は凝った形に結い上げられて、ほっそりと現れたうなじが、なんとも言えず女らしい。
 どこかの姫君かしら、と侍女は慌てた。そんな話は聞いていなかったけれど、何かの手違いがあったのかもしれない。身分の高い女性をこのような場所に一人にして放置するなど、とんだ不手際だと叱責を受けても仕方ない。
「あ、あの」
 どうなさいました、とおろおろと問いかけようとした時、近くにいたレインが物も言わずに、すっと足を踏み出した。
 つかつかと真っ直ぐ女性に近寄っていく物腰には、男らしく、なんの迷いもない。さすが騎士様だわ、と侍女がほっと安堵の息を落とした瞬間──
 レインが、その女性の後頭部をぱこんと勢いよく張り飛ばした。
 いてっ、と、美しい女性の口から美しくない言葉が出たような気がしたが、空耳だろう、多分。
「……何してんだ、お前。そんな格好で」
「ま、まあ、レイン様! 何をなさいます!」
 侍女は狼狽したが、レインはまったく動じない。どころか、どういうわけか、かなり怒っているように見える。眉を吊り上げた表情でじろりと睨まれて、そのあまりの険悪さに侍女はたたらを踏んだ。
「うるさい。とっとと失せろ」
 今しがたまでとガラリと変わった態度に、困惑した侍女は、女性の方へと視線を移す。何事かをぶつぶつ言いながら頭をさすっていた金の髪の女性は、侍女を見て、行きなさい、という仕草をした。綺麗に彩られた唇がわずかに上がり、ついつい見惚れてしまいそうになる。
 このまま行っていいものか、という迷いはあったが、なんとなく威圧感のある二人に、行け、と言われてしまえば逆らいきれず、侍女はぺこんと頭を下げると、その場をそそくさと立ち去った。
「……いきなり殴ることはないだろう。この髪形を作るの、時間がかかったんだぞ。じっとしてるのはけっこうな苦痛だったのに、崩れたらまたやり直しになるじゃないか」
 小さくなっていく侍女の背中を目で追いながら、ドレス姿のリアが不満を漏らすと、レインはますます口をひん曲げた。
「うるせえよ、なんだその気取ったドレスは。耳飾りまでしやがって。まるで女みたいじゃねえか」
「ドレスというのは不便だな。お前に蹴りを入れてやりたくとも、ここまで裾が長くては、足を上げることもままならん」
 リアはそう言って、つくづく無念だ、という顔をした。自分の恰好を見下ろし、はあー……とうんざりしたような溜め息を吐いているのを見て、レインはようやく気を取り直した。
「……なんで、そんなもん着てるんだ?」
 さっきよりは多少語調を緩めて問うと、リアはがっくりと首をうな垂れた。身動きするたびに、甘い芳香が風に乗って流れてきて、レインの感情をいちいち波立たせていることに、少なくとも本人はまったく気づいていないらしい。
「私だって、こんなものは着たくないんだ。心の底から嫌だ。窮屈でたまらん」
「だから、なんで」
「陛下に言われては、しょうがない」
「陛下に?」
 そこでレインの目が晴れた。ああ、と納得したような、少しばかり安堵もあるような色が浮かび、それと同時に、口調がいつもながらの軽いものに戻る。
「なんだ、陛下のお供か。どっかで舞踏会でもあんのかよ。まあそりゃ、あんな軍服着てるやつが側にはべってちゃ、同席のお貴族様だって、落ち着かないってもんだからな」
 リアはそれを聞いて、呆れたような顔をした。
「お前は騎士のくせに、陛下のご予定も知らんのか。陛下は今日、一日中王宮内で執務であらせられる。大体、舞踏会で近衛兵までがドレスを着たら、いざという時陛下をお守りできないだろう」
「…………」
 レインが再びむっと口を閉じる。
「……じゃあ」
「デートだ」
 すっぱりと返ってきた答えに、レインの口が、「デ」 の形のまま止まった。


 しばらくの沈黙の後で、
「──誰と」
 と訊ねるレインの声は、はっきりと判るくらいに強張っていた。
 そこまで驚くことはないだろうに、失礼なやつだ、とリアは内心かなり面白くない。
 ……まあそりゃ、こういうことには、長いことずーっと無縁だったがな。
「アヴィ王子か」
「は?」
 低い声でいきなり出された名前に、リアはきょとんとしてしまう。ぽかんとして目をやると、レインはなんだか妙に殺気立った眼をしてこちらを睨みつけていた。今にもどこかに走り出したそうに、片足が苛々と足踏みしている。
「なんでアヴィ王子が出てくるのかわからん。そりゃ、王族の一員、といえばいえなくもないが」
「王族の一員、て」
「クレル卿だ」
「は?!」
 その名を聞いた時のレインの反応は激しかった。大声で叫んだかと思うと、一歩大股でずいっとリアに詰め寄ってくる。向けられる形相は鬼さながらで、さすがにリアもその迫力にはたじろいだ。
「なにふざけたことほざいてやがんだ、お前は。クレルとデートだと? あの男の、女についての悪評を耳に入れたこともないのか」
「レイン、その音量でその内容は、いろいろマズイと思うぞ」
「うるっせえよ。何がデートだ。馬鹿みたいに着飾りやがって、見世物小屋の出し物かよ」
 レインはもともと口が悪い男だが、ここまで鼻息も荒く悪しざまに言うのも珍しい。確かに、リア自身、こんなドレスを着るのは数年ぶりだ。メイとは違い、いつもは軍服を着ていて、女らしい立ち居振る舞いとはかけ離れた日常を送る我が身には、まったく板についていないだろうという自覚くらいはある。今さらのように不安になって、眉を下げた。
「やっぱり、似合わんか」
「似合」
 意気込んで何かを言おうとしたらしいレインは、リアの頭のてっぺんからつま先までざっと視線を流して、ぴたりと口を噤んだ。腹立たしそうに、もごもごと口の中で何かを呟いたが、小さすぎてまったく聞き取れない。どうせ悪態でもついているのだろう。
「私もこんな服装は嫌だと言ったのだがな。しかしクレル卿が、デートに軍服とは色気がない、などとぬかして、あ、いや、仰るものだから、仕方ない。陛下にも、こんな時に帯剣はおよしなさい、とわざわざご忠告を受けては従うしかなかろう」
 溜め息を吐きながら愚痴をこぼすと、レインが苛立たしそうに 「だから」 と強い調子で遮った。
「なんで、あのクレルとデートなんて話になったんだよ」
「クレル卿は、どうやら私に気があるらしい」
 ほとんど話もしたことがないのに、不可解なことではあるが、本人がそう言うのならそうなのだろう、と思うしかない。見初めた、と女王は遠慮がちに表現していたが、結局は女を見た目でしか判断しない男なのだろうな、と思うと、リアはますますあの口髭スケベ男が嫌いになる一方である。
「──それで陛下に、何度も内々に打診があったのだそうだ」
 つまり女王に、ねえねえ近衛のあの彼女、僕に紹介してくださいよ、女王の命令なら絶対服従でしょ、と何回もねだったということなのだろう。いいトシをして、やり方はワガママな子供そのものだ。まったく腹が立つ。
「陛下も最初はやんわりと断ってくださっていたらしいのだがな。あまりにしつこいので、じゃない、重ねての申し出があったので、この先のことはともかく、とにかく一度二人きりでデートしてみてはどうか、ということになったわけだ」
「それを、受けたのか?」
 レインの言い方は、まるでリアを非難しているみたいだった。この尻軽女、とでも言いたげな目つきに、ムカッとする。
「仕方ないだろう。陛下も、あの役立たず、いやいや、クレル卿の扱いには手を焼いていらっしゃるんだ。理を通してのご説明をされて、『そういうことなので、どうだろうか』 という形で仰られた。命令ではないだけ、陛下の温情だ。そのお心遣いを無下になどできるか」
「なにが温情だ、このアホ。わかってんのか、その状況でのこのこついていったら、あの無能な女好きに手を出されても文句言えねえんだぞ。それをこんな風にちゃらちゃら着飾って、いそいそと出かけていくなんて」
「ちゃらちゃら、いそいそ?」
 怒ったように吐き捨てられたレインのその台詞に、リアはカチンときた。いや正確に言うと、カッチーン、と盛大にきた。ざっと足を踏ん張ってレインを真っ向から見返したが、ドレスなのでやりにくい。不便だ。
「聞き捨てならん。さっきから言わせておけば、まるで私がクレル卿とのデートに喜んで出かけていくみたいではないか」
「そうとしか見えねえ、つってんだ。そんなドレス着込んで、化粧までして。いくら陛下に言われたからって、そこまですることねえだろ」
「陛下に言われたから行くのだと、何度言わせる気だ。他の人間に言われたんだったら、きっぱり断ってるに決まってるだろう」
「だから、それが足許見られてる、ってんだろうが! あの男が陛下を通じて結婚の申し込みでもしてきたら、お前はそれも受けんのかよ! どこまで陛下大事でいりゃ気が済むんだ、このカタブツ!」
 怒鳴りながら、ガン、とレインの足が噴水の縁を蹴りつける。すでにすっかり頭に血がのぼっているリアも、ドレスの裾をまくりあげて、ヒールのついた靴で同じように、ガンと縁を蹴った。たしなみもへったくれもない。
「お前は騎士のくせに陛下が大事ではないとでも言うのか!」
「自分の人生に関わることまで陛下に預けて平気な顔してるのがおかしい、って話だろ! 思考停止か、たまには自分の頭で考えろ!」
「うるさい、余計なお世話だ! じゃあ自分で考えて結婚すれば文句はないんだろう、玉の輿だ!」
「ああそうかよ、結局それが本音かよ! 王族であればあんな最低野郎でもいいってか!」
「お前だってクレルに負けず劣らず女好きのくせに、偉そうに言うな! 誰彼かまわず手を出して、恥を知れ! 結婚すれば近衛は引退だからな、王宮内でナンパするお前の姿を見ずに済んで、せいせいする!」
「ざっけんな、お前みたいなケダモノを嫁にもらおうなんて物好きがいるか!」
「よしよく言った! じゃあこれから見事クレルに求婚の言葉を言わせてみせるから、その時に土下座して私に謝罪しろ、色ボケ騎士!」
「おういくらでもしてやるよ、さっさとデートでもなんでもすりゃあいいだろう、バカ女!」
 散々口汚い罵り合いをしてから、リアとレインは、お互い、ふん! とそっぽを向いて、それぞれ反対方向へとずかずか歩き去った。



 ──その様子を物陰から眺めていたアヴィ王子は、顔を歪めてこめかみを押さえた。
 子供のようなやり取りに、頭がズキズキする。
「あのバカ……」
 そう呟いて、大きな息を吐き出した。



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