短編6

騎士と乙女と野獣(5)




 厩舎から、自分の馬を強引に連れだして、セリドアの丘へと向かった。
 そこに着いてから、どうしようという確たる意志があったわけではない。全速力で馬を駆けさせ、強い向かい風を受けながら、レインの頭の中にあったのは、ただひたすら怒りと腹立ちと憤りばかりであった。
 とりあえず、真っ先にリアに向かって、「このアホ!」 と怒鳴ってやろう。理不尽だろうがなんだろうが、そこだけは反論の余地なく決定済みだ。すぐそばにクレルがいたって、あの男が今まさにリアに向かって愛の言葉をかけている最中だって、構うものか。それからのことは、その時になったら考えよう。
 そういう完全に頭に血の昇った状態のまま、セリドアの丘に到着したレインは、そこでの光景に、かなり戸惑うことになった。
 窪地の真ん中に据えられていたらしいテーブルと椅子は、優雅な空気も吹っ飛ばすほどバラバラになって倒れていた。高級そうな茶器や菓子が、その周囲の地面に散らばり、惨めな様相を呈している。まるでここだけ、嵐でも通り過ぎて行ったかのようだ。
 そして肝心のリアはというと。
 ──剣を手にした黒い覆面姿の異様な風体の男たちと、どういうわけか木の枝を手に持って、正面から向かい合っているではないか。
「レイン!」
 困惑しながら蹄の音をさせて近づいていくと、こちらに気づいたリアが名を呼んだ。
 明らかに尋常ではない場の状況よりも何よりも、その切羽詰まった声音に、レインはとりあえず、判断も思考も空の彼方にすっ飛ばした。
 リアのそんな声を聞いたことは、かつてない。そのまま馬を駆けさせて手綱を引き、リアを庇うようにして前に立ち塞がる。
「レイン、助けに来てくれたのか」
「え、ああ、うん、助けには来た、のかな。……なんか、俺が想像していた危険とは、大分違うような気がするけど」
 荒い息を弾ませながら、ほっと安堵の滲む表情をしたリアに、レインの返事はいささか歯切れが悪い。ここは、もっと颯爽と駆けつけてもいい場面だったのだろうか、と悩む。どっちかというと、ただ単に、デートの邪魔をしに来ただけだったりするのだが。
 しかし一瞥しただけでも、リアが今まで、この男たちに優しく扱われてはいないことは明らかで、レインは眉を寄せながら、腰の鞘からすらりと剣を抜いた。
 リアが裸足なのは、高いヒールのついた上品な靴が動きにくいかららしい。美しいクリーム色の絹のドレスは、土に汚れ、あちこちが破れて、惨憺たる有様。丁寧に結い上げられていた金の髪は、半分が解けかかって肩に落ちている。剣が掠ったのか、リアの腕からは赤い血が細い筋を伝って流れていて、せっかくのレースの長手袋も台無しだ。
 どう見たって、「ちょっと余興に手合わせを」 などという種類のものではないことくらいは判る。相手は三人、しかもそれぞれが本物の剣を持って殺気を漲らせているというのに、よくぞこんな木の枝一本で渡り合えたものだと、感心するほどだった。
「クレルはどうした」
 身軽な動作で馬から降り立ち、剣を構えながら手短に問う。鋭い目線は、向かい合う男たちに据えつけたままだ。それだけでたじろいで、次の行動に迷っている相手の様子に、素人だな、とレインは冷静に判断した。少なくとも、戦闘訓練を積んだ人間ではない。
「あの髭は、どっかその辺に」
 すでに、卿という尊称がすっかり飛び去ってしまっている。どころか、その名前も口にしたくはないらしい。しかしお前、「髭」 ってなんだよ。
 威圧感で相手の動きを封じながら、素早く視線を周囲にめぐらせてみると、離れた場所にある木の陰に隠れ、目と口を真ん丸にしてこちらを窺っているクレルの顔だけが見えた。
 暴漢に襲われたところに救援が来て助かった、というような顔ではなくて、そこにあるのは、はっきりとした、焦りと狼狽だった。
 してみると、この件の糸を引いているのは、あの男であるということか、と結論を下した。理由や事情は、さっぱり掴めないが。
「あの男に何もされなかったか、リア」
 我ながら、何もこんな時にというような質問だが、確かめずにはいられない。
 レインの背後で、リアが不満そうなむっとした声を上げた。
「この私が、不意を突かれたとはいえ、あんなへなちょこに何かされると思うか。こいつらが出てきたと思ったら、あの男はさっさとああして一人で安全圏へと逃げおった。どこまでも気に食わんやつだ」
 吐いて捨てるかのごとき言い方だが、レインの聞きたかったことはそれじゃない。
「そうじゃねえよ。つまりだな、あの男に何か、いかがわ」
「それよりもレイン、予備の剣はないのか。あの髭を殺す、絶対殺す」
 リアのほうは、どうもレインの言葉など、ろくろく耳に入っていないらしい。ちらっと後ろに目をやると、今にも飛びかかっていきそうな、爛々とした目つきでクレルを睨みつけていた。
 獰猛で誇り高い、肉食獣のような横顔。生気に溢れた瞳は、まるで黄金色の炎を噴き出しているみたいに輝いていた。しなやかな全身から、目に見えるほどの闘気が立ち昇っているようで、レインでさえ間近にいると圧倒されそうだ。クレルが、その視線だけで怯えたように青くなったのも、無理はない。
 強烈な意志、空気を震わせるほどの迫力、場を支配する存在感は、戦う女神そのものだ。この姿を前にしたら、どんな女だって霞んでしまう。

 ──戦闘本能を剥き出しにして、本気になった時のリアは、他の誰よりも、美しい。

「予備なんてあるわけねえだろ、馬鹿が」
 その横顔に思わず見惚れてしまったことが悔しくて、ことさらぶっきらぼうに返すと、リアはますます怒りに燃えた。腹の立つことに、リアは怒った顔がいちばん綺麗だ。だからついつい、もっと怒らせてやりたくなる。
「大体、陛下に言われたからって、あの男とデートだなんて浮かれてたお前が悪いんだよ。丸腰のまま、こんなところまでホイホイおびき出されやがって。だからこういうわけの判らん連中に狙われて、そんなズタボロにされたりする羽目になるんだ」
「誰が浮かれてたか。クレルと同じことを言うな、ますます腹が立つ」
「これに懲りたら、今までの態度を反省して、俺に謝れ」
「なんで私が謝らないといけないんだ?!」
「へー、たった今、窮地に立たされたお前を救っているのは、どこのどなたですかね?」
「…………」
 リアが口を噤む。それから改めて、不思議そうな顔になってレインをまじまじと見返し、今さらにして核心を衝く問いかけをした。
「そういえばお前、どうしてここにいるんだ? どうして私が襲われていると判った?」
「…………」
 今度黙ってしまったのは、レインの方だ。
「そりゃ、騎士としての勘ってやつだよ──っと」
 リアとレインがくだらない言い争いをしている間、ぽかんと眺めていた覆面男たちは、ここでようやく我に返って自分の仕事を思い出したらしい。いきなり空を切って向かってきた白刃を、レインが自分の剣で受け止める。隙をついたつもりなのだろうが、レインにとってはまるでスローモーションのようにゆっくりな動きにしか見えない。
「騎士のレイン様を舐めんなよ。お前らみたいなド素人に、かすり傷でもつけられるか!」
 自分の剣を光が閃くような速さで振り上げる。キン、という甲高い音を立てて、相手の剣は容易く手を離れて宙を舞い、後方の地面に突き刺さった。
 武器を失って、逃げようか抗おうかと相手が躊躇した一瞬に、「これで蹴られると大抵の人間は悶絶する」 とリアお墨付きの軍用ブーツを遠慮なく腹に食い込ませると、覆面男はぐえっと唸ってあっさりと失神した。あとで締め上げて、然るべき場で何もかもを白状させる必要があるから、殺してしまうわけにはいかない。
 背中に庇っているリアが、「レイン、交代、交代! 交代しろ!」 とうるさい。よっぽど、剣がなくて苦戦したのが屈辱的だったとみえる。隙を見せると自分の剣を奪われそうな勢いで、眼前の敵よりも、そちらのほうがずっと厄介だ。
 あっという間に仲間を倒され、残りの二人は恐慌状態に陥った。一人ががむしゃらにレインに突っ込んでくると同時に、一人がくるりと背中を向けて逃げ出す。レインは向かってきた剣を自分のそれで打ち返し、リアは逃げる男の後を追おうとした。
「リア、そっちは放っておけ! クレルが逃げるぞ!」
 二人目の相手をしながらレインが怒鳴る。形勢不利と見て、クレルはこの場からすたこらと走り去ろうとしていた。雑魚の一匹くらいは取り逃がしたところで問題ないが、クレルだけは逃がすわけにいかない。まがりなりにも王族の一員、事が終わってから騎士と近衛兵が何を言い立てたところで、どうにかして揉み潰してしまおうとするだろう。
 リアはレインの指示に、迷うことなく迅速に従った。ただちに方向転換して、クレルに向かって駆け出す。この場合、裾の長いドレスは、膝よりもずいぶん上の位置までまくられているわけで、女としてその格好はどうなのかという以前に、その潔いまでの上げっぷりに、心底感嘆するしかない。
 色っぽい脚してやがんなあ。
 などと、覆面男と剣でやり合いながら、レインの視線はどうしてもそちらへと流れてしまう。惜しみなく晒されたリアの脚線は、思っていた以上に白くて長くて形が良くて、思っていた以上にレインのあれこれを刺激した。あれこれの詳細は省くが。
 リアの脚は色っぽいだけでなく走る能力にも優れていたものの、いかんせん、そもそもの距離が離れていたのと、クレルも死に物狂いなだけあって、なかなか二人の間は縮まってはいかない。
 深追いをさせるのはかえって危険だろうか、とレインは迷った。ひと目のあるところに逃げ込まれて、「暴漢に襲われた」 などと訴えられでもしたら、木の枝を振り上げてクレルを追いかけているリアのほうが捕まりかねない。覆面男たちはおそらく、クレルに金で雇われた、街のならず者だ。下手をしたら、リアとレインこそ、ならず者たちを引き連れてクレルを襲おうとした反逆者だと見なされる。
「リア! もういい、戻ってこい!」
 覆面男の剣を弾き飛ばし、自分の剣の柄頭でみぞおちに一撃を喰らわせて倒しながら、レインは叫んだ。リアは単純だが頭が悪いわけではないので、ちらっとこちらを振り向いてから、渋々のように足を止めた。走り去るクレルの背中が徐々に小さくなっていく。忌々しいが仕方ない。
「…………」
 クレルの後ろ姿を目で追いながら、ち、と舌打ちした。
 果たして、この状況で、リアとレインの証言を、王宮が受け入れるだろうか──と、レインは自分が気絶させた二人の覆面男たちに目をやる。考えれば考えるほど、暗澹たる気持ちになるのが止められない。
 この男たちが素直に 「クレルに頼まれた」 と吐けばいいが。いや、それでも、あの男はとぼけてみせるだろう。そもそも、クレルが首謀者だとする物証はないわけだし、リアを殺そうとする動機も不明である。リアと二人でいる時に、いきなり見知らぬ男たちに襲撃されて怖くなって逃げた、とでも言われてしまえばそれまでだ。逆に、こちらが訴えられる可能性も大きい。

 ……せめてリアだけは、おかしな疑いをかけられないように、なんとしても俺が守ってやらないと。

 深い溜め息をついて、そう決心したレインの耳に、
「──そこまでだ、クレル」
 という凛とした声が、上方からかかった。
 驚いて目を上げると、自分たちのいる窪地よりも一段高い周囲の丘の上から、次々と姿を見せたのは──馬に乗った兵士たち。
 レインにとって、馴染み深い同僚の騎兵たちが、いかめしい顔をずらりと並べて、この場所を取り囲んでいる。
 レインとリアは呆気にとられて彼らを見回し、クレルは腰が抜けたようにヘナヘナと草の中に沈むようにして座り込んだ。
「やあ、ご苦労だったね、リア、レイン」
 と、騎兵たちの先頭に立ったアヴィ王子が、涼しい顔で言った。


          ***


「──そなたには、危険な真似をさせて、まことに申し訳ないことをしました」
 フィル女王に正面きって謝罪されて、「は、いえ」 とリアはうろたえている。しかしその表情には、どうしても釈然としないものが残ったままである。もちろんその隣にいるレインだってそうだ。
 クレルと覆面の男たちが、アヴィ率いる騎兵隊に捕らえられてから、すでに三日が経過していた。その間、レインとリアは揃って、静養を取るように、などと体よく王宮内から締め出されていたのだ。事情が判らないまま蚊帳の外に置かれ、ようやく女王に呼び出されたと思ったら、人払いされた執務室内には、しゃらっとした顔のアヴィ王子と、どういうわけかメイまでがいて、さっぱり意味が判らない。
 今日はいつもの軍服に身を包んだリアは、自分の妹に何度ももの問いたげな視線を投げかけている。メイはそれに対して、天使のようなにっこりとした微笑みを返すだけだった。
「つまりさ」
 と、気楽な調子で口を開いたのはアヴィ王子だ。こちらは、レインの憮然とした表情に、苦笑いしている。
「クレルが以前から、よからぬ企みを持って不穏な動きをしているらしいことは、噂としてじゃなく、確かな情報として、こちらはきちんと得ていたわけだ。街に出て、タチのよくない男たちに接触していたという証言も、ちゃんと書類としてとってある。……けれども、それだけではさすがにどうしようもなくてね、もっと確実な証拠が欲しかったんだ」
「……その、不穏な動きとは」
 リアの訝しげな質問に、アヴィはさらに苦笑を深めた。
「女王暗殺」
 さらりと言われ、リアもレインも、ぎょっとして目を丸くする。そこまで大きな話だとは、思ってもいなかった。
 絶句する二人に、アヴィ王子とフィル女王は、揃ってくすくすと笑った。
「女王を亡き者にして、あとは姉上に取り入って、後見人として権力を手にするつもりでいたらしい。ただ、陰謀のスケールだけは大きいんだけどね、なにしろクレルは温室育ちで、頭の廻らない人だからさ、計画は穴だらけで、あまりにも底の浅いものだったんだ。たとえば、彼が真っ先に目をつけたのが」
 と、アヴィ王子の隣に立っているメイを見やる。大体、どうしてメイは、そんなところに立っているのだろう。普通なら、リアたちと同じ臣下の位置か、もっと後方に控えていなければならないはずなのだが。
「このメイ。クレルはどうも、女王を暗殺するには、いちばん傍近くにいる近衛兵を利用したほうが手っ取り早い、と思ったようだね。それで、メイを人質にとって、女王の信頼が最も厚いリアに、自分の命令を聞かせる計画を立てた。けれどもメイは頭の回転が速いから、すぐにそれと察して、ひそかに女王に報告し、自らは決して攫われたりしないように、ずっと万全の態勢を取り続けていたんだ。僕らも、メイの話を聞いて、これ以上はもう、あの男を放置し続けることは出来ないな、と決意した」
「…………」
 アヴィ王子の整った顔が厳しく引き締まったが、なんとなく腑に落ちないレインは内心で首を傾げざるを得ない。いや、話の筋は通っているのだが──通っているように見える、のだが。
 なんだかこの流れ、ちょっとおかしくないか?
 どうして、女王陛下も王子も、リアの妹とはいえ一介の侍女でしかないメイの話を、そんな風に素直に受け入れてしまうんだ。
「狙いをつけたメイがまったく隙を見せないので、クレルはかなり焦っていた。こうしている間にも、自分の企みが露見するんじゃないかと、気が気ではなかったかもしれない。最近では、なんとかしてリア本人に近づこうと、躍起になっていただろう? だから僕らは、それを逆手にとって、リアとクレルが二人きりになる状況を、わざと作ることにした」
「…………」
 つまり、結婚云々なんてのは、クレルにとっても、女王たちにとっても、表向きの口実に過ぎなかったわけだ。どちらもリアをいいように利用しようとしたに過ぎない。クレルは暗殺計画の駒として、女王は計画をいぶり出す囮として。
 神妙な顔で聞き入っているリアの姿に苛々する。怒れ、このアホ。俺ばっかりがこんなに腹を立てて、馬鹿みたいじゃないか。
 きっと、リアには、陰謀とか、計略とか、腹黒い駆け引きとか、そういうのが今ひとつぴんとこないのだろう。
 ……腹は立つが、ちょっと、ほっとする。
「計画では、クレルはどうやら、あの場からリアを拉致して、身体の自由を奪って薬漬けにするつもりでいたみたいだ。王宮には、どこかの賊が突然やって来てリアを攫って行った、とでも言い訳してね」
 物騒なことを、アヴィ王子は淡々として言った。
「そうやって、リアを自分の命令を聞く人形に仕立て上げようとしていたらしい。ずーっととぼけていたけれど、昨日とうとう、すべてを洗いざらい吐き出したよ」
 一体、どういう手を使って吐かせたんだか。なるほど、レインはともかく、気性の真っ直ぐなリアを今まで王宮から遠ざけていたのはそのためか。この王子、顔はいいが、やることは結構えげつない。
「いずれ、君らにも裁きの場に証人として出てもらうから、そのつもりで。まあ、王配の弟ということで、国外追放くらいにしかならないと思うけど」
「……は」
 返事をするリアは困惑顔でアヴィ王子を見返している。レインは口を開くと、何を口走ってしまうのか自分でも自信がなかったので、頑なに黙り込んでいた。
「──ですが、それなら、前もって私に伝えて頂ければ」
「ええ、そうですね。わたくしも、その点は大いに迷ったのですが」
 リアの遠慮がちな不服に、女王は大きく頷いて同意した。
「なにしろ、そなたは素直で実直な性質ですから、前もって教えると、いろいろと不都合もありましょう。わたくしたちが欲しかったのは、クレルに言い逃れさせないだけの、はっきりとした証言と証拠、だったのです」
 だよなあ。女王暗殺計画なんて、リアが知っていたら、二人きりになった途端にあの男を殴り倒しかねないよなあ、とレインはこっそり頷いた。この単純バカに、「素直で実直」 か。ものは言いようだ。
「けれど実際のところ、あのクレルが、いきなりあそこまで手荒な真似をするとは、わたくしどもも予想しておりませんでした。そのせいで、そなたには傷を負わせることになり、申し訳なかったと思っています」
「ええ、わたくしも、姉さまが危ういところだったと聞いて、心臓が縮む思いでした。わたくしがもっと正確な計画の情報を掴んでいれば、そんなことにはなりませんでしたのに。わたくしの手落ちです」
「あ、いや、そんな、とんでもございません、陛下。メイも、何も悪くない」
 女王に頭を下げられ、メイにはそっと目尻を拭われ、リアはすっかり動転しておろおろしている。
 しかしレインは、さーっと背中が冷えた。

 ……お前の妹、今、さらっとすごいこと言ったぞ。
 わかってんのか。それって、この愛らしい顔をしたメイが、表向きには侍女という仕事をしながら、裏ではひそかにスパイとして王宮内の情報を集めて女王に報告していた、っていう意味だぞ。なるほど、それでいろいろと辻褄が合う。
 リア、お前、絶対に気づいてないだろ。
 俺だって、今この瞬間まで気づいてなかったけどな、全然!

「──それで」
 と、やっとの思いでレインは口を開いた。怖くて、もうこれ以上聞いていられない。これからは絶対に、メイの前で迂闊なことは口走らないようにしよう。
「この計画に、なんで俺がおかしな形で噛まされているのか、よく判らないのですが」
 本来なら、騎士のレインはアヴィ王子に付き従って、クレルの身柄を押さえる役回りであったはずだ。なのに何も聞かされず、それだけならともかく、単身リアの元に向かうよう仕向けられて──そうだ、なんで今頃になって気がつくのだろう。
 あの時、メイとアヴィが、やたらと意図的にレインを煽っていたことに。今考えてみれば、二人とも、ものすごく芝居がかっていた。そもそも、「セリドアの丘」 などという固有名詞が、メイの口からすらっと出たことの不自然さに、もっと早く気づくべきだったんだ。
「レイン、そなたのことは、クレルの陰謀とはまた別件なのです」
「は?」
 くすりと笑みを零す女王に、レインは間の抜けた声で聞き返した。
「いえ、わたくしの堅苦しい末息子が、このたびようやく、結婚したいと思う女性を見つけたとのことでね」
「はあ?」
 急に話題が変わって、ますますわけが判らない。アヴィに視線を移すと、年若い美形の王子は、珍しく顔を赤くしてそっぽを向いている。
「それはめでたいことで、わたくしも大喜びをいたしました。アヴィは王位とは遠い位置におりますし、いずれは独立する身です。相手の女性が平民であっても、特に問題はありません。──ただ」
 ちらっと、楽しそうに笑った。
「その女性が、どうしても、プロポーズに頷いてくれない、というのです。なんでも、自分のために苦労をし続けた姉の結婚が決まるまでは、自分も結婚はしないという誓いを立てている、とのことで」
「………………」
 レインとリアは、ぽっかり口を開けて、メイを見た。
 メイが、ふふっと微笑んで、傍らのアヴィと目を見交わす。
「大変でございましたわね、アヴィ様」
「まったくね。二人とも、頑固で強情で、おまけに子供みたいに意地っ張りで」
「クレルに仕掛ける罠に、どう折り合いをつけてこの計画を折り込んでゆくのか、二人で知恵を絞って考えましたのよ」
 そう言って、無垢で愛らしい極上の笑みを浮かべた。



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