短編6

騎士と乙女と野獣(6)




 女王執務室を退室してから、レインは早速、アヴィ王子をひっ捕まえて文句を言った。
「お前、結局は自分のために俺を利用したってことだな? 今まで散々面倒を見てやったのに、恩を仇で返しやがって。大体あのズサン極まりない計画で、俺があの場には行かずに、リアが本当に殺されでもしていたらどうするつもりだったんだ。実際、あそこまで持ちこたえていられたのは、ひとえにリアの腕があったからで、普通ならとうに連れ去られてたか、死んでたかするところだったんだぞ」
 ここで、「そうなっていたらいたで、仕方がない」 などという返事が返ってこようものなら、あとで罰せられようがなんだろうがぶん殴る、という決意のもと、険しい表情で詰め寄るレインに、アヴィ王子は澄まし顔であっさりと答えた。
「うん、実を言うと、ヒヤヒヤだったらしいよ」
「らしい──って、なんだ」
 あまりにも平然と言われて、レインも少し拍子抜けだ。
「だから、見張り役の兵士たちがさ」
「見張り、役?」
 眉を寄せて問い返すと、アヴィ王子は涼やかな美貌に、呆れたような色を乗せた。
「バカだな、レイン。僕やメイが、いくらなんでもそこまで危険な状況にリアを追い込んで、そのまま放置しておくなんてこと、するはずがないじゃないか。リアとクレルがこの王宮から出て行った時点で、こちら側の尾行はついていたよ、もちろん」
「……てことは、セリドアの丘まで、ずっと」
「そりゃそうだね。クレルが選んだのは窪地だったから、上の方からこっそり監視するのは簡単だった、と兵が言っていたよ。だから言ったろ、温室育ちなだけに、そんなことにも頭が廻らないんだ、あの人は」
「三人の覆面男たちが出てきた時も?」
「見てた」
「リアがそれに応戦している間もか」
「見てた。……うん、レイン、怒るのも判るけど、とにかくちょっと落ち着いてくれるかな。そこまで睨まれると、さすがに僕だって話しづらいんだ。まるで極悪非道な最低人間だと思われているみたいで」
「そう思ってんだよ」
 今にも掴みかかってきそうなレインの眼つきに、アヴィ王子は閉口したように肩を竦めた。それでも、少しだけ気まずそうに視線を逸らしているのは、やはり多少なり、後ろめたいところがあるかららしい。
「兵たちは悪くないんだ。本当にギリギリまで待て、という僕の命令を受けていたにしろ、彼らも相当じりじりしていたんだよ。相手は当初、剣で脅すつもりだけだったんだけど、リアが大人しく脅されているような性格ではなかったのが誤算だったようでね。果敢に木の枝で戦いはじめてしまって、しかも結構それだけでも手強かったものだから、向こうも興奮してしまったんだ。剣先が腕を掠った時は、兵もこれ以上は待てないと飛び出して行きかけたそうだよ」
「なに他人事みたいに言ってやがる」
 噛みつくように言うと、アヴィ王子はちらりと苦笑した。
「兵たちの報告によると、リアは本当に、勇敢だったらしい。剣と木の枝、しかも相手は大の男三人で、明らかに圧倒的な差があるというのに、一歩も引けを取らずに立ち回っていた、と誰もが感嘆するように言っていた。向かってくる剣先を紙一重の差でかわして、ドレス姿でひらりひらりと柔軟に屈んだり反らしながら、時に痛烈に打ちこんでいったりもするその姿は、まるで舞を舞ってでもいるかのように華麗で優雅で、思わず見惚れてしまいそうだった、って」
「…………」
 面白くない気分で、レインはむっつりと黙り込む。内容もさりながら、アヴィの表情があくまで素知らぬふりを装っているのが腹立たしい。思惑がミエミエで、レインがそこに気づいていることも当然承知しているにも関わらず、だ。
「──レイン、そろそろ素直になったらどうだい」
 口を噤んだままのレインに、アヴィが真面目な視線をひたと据えつける。その瞳にも口調にも、友人としての率直な思いやりだけが滲んでいた。
「君が、いろんな女の子と付き合っていても、口説いていても、ちっとも楽しそうではなかったことくらいは気づいているよ。底の方ではいつも醒めた心で相手を観察していたこともね。君は本当は、『女性らしさ』 をこれ見よがしに振りまくような女性は、好きではないんだろう? このまま強情を続けては、君自身が不幸になるだけだ」
「……ふん」
 口を曲げながら、レインが鼻で息を吐く。お前、いつから俺に説教できる立場になった、と言ってやりたいところだが、この年下の友人は王子であったりもするので、実際に口には出せないのが忌々しい。
「今度の一件で、リアは間違いなく株を上げたわけだしね。女王の覚えめでたい近衛兵の女性を、恋人や妻にと望む男も出てくるかもしれない。そこに恋や愛はなくとも、この王宮には、打算や欲望はいくらでも渦巻いてる。その時に、君がまた今回のような態度を取れば、今度こそリアは誰かのものになってしまう可能性もある。そして、次も、馬で駆けて行ったら間に合うとは、限らない」
「ふん」
 今度のは、もう少しはっきりと声に出した。
 今さらか、ともごりと口の中で呟く。
 これまでずっと、強さと見てくれの猛々しさだけでリアを敬遠し続けて、陰では散々侮蔑の言葉を吐き出していた王宮内の男たちが、たった一回立てた手柄のために、リアを持ち上げて手に入れようとするのか。

 この十年もの間、リアの努力も、血の滲んだ手も、涙だって、何ひとつ見ようとはしなかったくせに。
 ……今さら。

 レインは視線だけを動かして、自分たちの立っている王宮の二階の通路から、ちらりと下を覗いた。
 そこからは、中庭の噴水がよく見える。噴水の脇では、二人の女性が立ち止まり、会話を交わしていた。
 会話というより、ドレスを着た小柄な女性が、背の高い軍服姿の女性に対して、一方的にくどくどと説教しているところのようだが。あっちはあっちで、「強情を張るのはいい加減に」 などと言われているらしい。レインは少し同情した。
 あーあ、妹に叱られただけで、あんなにも小さくなってしょんぼりしちゃって。獣のように強く勇ましい近衛兵が、形無しだ。
「お前さんは、そりゃ一生懸命にもなるだろうさ。なにしろ、自分の結婚がかかってるんだからな」
 目だけをそちらに向けたまま、かなり嫌味と皮肉を混ぜ込んだ口調でそう言うと、アヴィ王子はかすかに赤くなった。「うん、まあ、それもあるけど」 と素直に認める。
「……メイはさ、親を亡くしてから、街中でたった一人、養い親のもとで育っただろう? 仕送りはリアがしてくれるとはいえ、やっぱりいろいろと苦労をしたらしいんだ。それでかな、頼りなさげな外観をしてるけど、中身はとてもしっかりしていて、芯が強く、おまけに賢くてね。こういう女性もいるんだ、って最初は感心してたんだけど、いつの間にか」
 恋に発展したと。
 照れくさそうにぼそぼそと話す初々しい王子の姿を目に入れて、レインはそっと溜め息を押し殺す。いろいろと言いたいことはあれど、ここは黙っていたほうが親切ってもんだな、と言葉を呑み込んだ。
 メイは、ありゃ、しっかりしてるとか、そういうタマじゃないと思うのだが。
 なにしろ、ある程度女を見る目はあると思っていたレインでさえ、あの外見と態度にはすっかり騙されたのだから。養い親の元で、リアとはまた種類の違う 「苦労」 を、メイはメイでしていたのだろう。そうでなきゃ普通、あの年齢でスパイなんてしながらこの王宮内を立ち回れる器用さなど、身につけられるわけがない。
 首尾よく二人が結婚したとして、メイがあの愛らしい笑顔で、上手に夫を操縦しながらしっかり尻に敷くところが、レインにはありありと予想できた。アヴィはなんだかんだ言って、女に関しては甘ちゃんだから、自分が操縦されているということすら気づかずに、模範的な夫になり、父になることだろう。フィル女王がメイを息子王子に添わせようとする意図も、多分そのあたりにあると見た。
 レインは肩を落とし、はあーっと、深い息を吐いた。
 可愛く見えて、温厚そうに見えて、女らしく淑やかそうに見えて、その実、強くて狡猾で計算高い。そういうのを、今までだってたくさん見てきたわけだけれど、改めて思う。

 ……女って、怖い。

「もうたくさんだ。俺は行くよ」
 くるりと回れ右をして歩き出すレインの背に、アヴィ王子の声がかかる。
「兵たちがね、言ってたよ」
 その声は、少しだけ笑みを含んでいた。
「三人の男たち相手に一人で勇ましく戦っていたリアが、やって来たレインの姿を目に入れた瞬間、くしゃっと顔を歪めて、泣きそうな顔をしたって。君を見て、全身で安心したのが、見ているだけで伝わってきたって。その時だけは、他のどんな女性よりも、可愛らしい乙女のようだった、ってさ」


          ***


「──マディリア」
 名を呼ばれて振り返ると、レインが自分に向かって近づいてくるところだった。
 その名で呼ばれたのは数年ぶりだな、とリアは思う。
 この国では、誰もがくだけた通称名で呼ばれるのが、昔からの習慣である。メイも、アヴィも、フィルも、当然通称だ。リアの本名はマディリア、レインにだって、レインガルドという真面目くさった名前があるが、普段は滅多にそう呼ばれることはない。騎士の称号を授けられる時など、よほど改まった公式の場くらいのものだ。そういった場以外で、人が人を堅苦しい本名を口にして呼ぶ時は、なんらかの覚悟を持っている時だけという、暗黙の了解がある。
 そう、確か、前にリアがその名で呼ばれたのは、五年ほど前のことだった。
「ああ、レイン」
 とりあえず応えてから、リアは途方に暮れてしまう。なにしろ、たった今メイに、レインに喧嘩を売ることまかりならぬ、と厳しく言い渡されたところなのだ。しかしそうすると、まず何を言えばいいのか思いつかない。つくづく、今までずっと、自分とレインとは、喧嘩をしながら会話をしていたのだと思い知る。喧嘩をしないとまったく会話の糸口が見つけられないなんて、さすがに我ながら子供じみている。
 お判りになりましたでしょう、姉さま、とメイは言った。
 ──嫌いな女性を、馬を駆って単身救いに行く人間がおりましょうか? いい加減、強情を張るのはやめて、レイン様に素直な目をお向けなさいませ。
 口を噤んで困惑している間に、黙って歩を進めてきたレインが、リアのすぐ前で立ち止まった。沈黙の中、噴水から湧き出る水音だけがじょぼぼぼと呑気に響く。
「…………」
 なんだか、だんだん緊張してきた。こういう時に限って、誰も通りかからないのはどうしてなのだ。ここは王宮の中庭で時刻は真っ昼間、本当ならもっと賑やかな人通りがあっていいはずなのに、メイが立ち去ってしまって以降、ぴたりと誰の姿も見えない。おかしいな。
「……えーっと、レイン」
 かりかりと耳の後ろのあたりを指で掻きながら、リアは気まずげな声を出した。
「お前には、まだ助けてもらった礼を言ってなかっ」
「マディリア」
 言いかけたのを途中で遮られ、ん? と目を瞬く。気のせいか、目の前に立つレインの表情が硬い。リアはまだ何も言ってないのに、どうして怒っているのだろう。本名で呼ぶなんて、さては決闘でも申し込んでくるつもりか。
「……俺が、以前にこの名前でお前を呼んだ時のこと、覚えてるか」
「は?」
 いきなり過去のことを持ち出され、すでに攻撃態勢に入りかけていたリアは、肩透かしを食らった気分で、間の抜けた声を出した。
「ああ、まあ、そりゃ」
「覚えてるか?」
「ほんの五年前のことだからな」
 言い返しながら、なんとなく、むかむかと腹が立ってきてしまう。あの時のことはもう気にしない、と思っていたつもりだったのに、こうして面と向かって言われると、やっぱり怒りはあの頃と変わらない大きさで、鮮明に甦ってしまうのだった。
「あの時、俺はお前を、外の食事に誘った」
「高級そうな、雰囲気のいい店だったよな」
 王宮内の豪華さには慣れてきたところだったとはいえ、もともと貧民の出だったリアは、個人的にはそういう場所とは縁がない。報酬はそこそこ貰っていても、大部分は妹のメイを育ててくれている夫婦の元へ送ってしまっていたからだ。メイが、親がいないからって不自由な思いをしないように、他人に育てられて肩身の狭い思いをしないように。
 だからレインに連れて行ってもらったその店で、リアは最初からもうずっと、緊張し続けていた。
「リアは、綺麗なライトグリーンのドレスを着てた」
「友人に借りたんだ」
 嘘だ。レインに誘われて、大慌てで買いに走ったのだ。そういうものの見立てはまったくできないから、顔見知りの侍女を拝み倒して一緒に店に連れて行き、何時間もかけて迷って悩んで選んだのだ。最終的に、黄色と緑と、二つの候補が残り、さあどちらを選ぶかとなった段で、リアが緑のドレスを選んだのは、もちろんレインの瞳が頭にあったからだった。
「途中まで、食事しながら和やかに会話してさ、俺たち楽しく過ごしてたよな」
「……懐かしいな」
 これも嘘だ。全っ然、懐かしくなんてない。今でさえ、思い出すのもイヤなのである。湧き上がる腹立ちで、顔にも声にもどうしても黒いものが混じってきてしまう。
「で、食事も終盤に差し掛かり、デザートとコーヒーを前にして、俺は言った。『マディリア、話があるんだ』 と」
「…………」
 とうとう相槌を打つのも困難になって、リアは口を閉ざして視線を下に向ける。今、口を開いたら、怒鳴り声と同時に、手か足が出る、絶対。
 だってさ、考えてもみろ。
 その時まで、リアとレインは、所属は違えど同期で同年の友人として、喧嘩もしたけれど、時に励まし合い、労り合いながら、仲良くやっていた。
 リアにしてみれば、少なからず好意を持っていたその男に、食事に誘われて、緊張して、ほどよく酒も廻った状態で。
 マディリア、話があるんだ。
 そんなことを真顔で切り出されて、胸を上ずらせない女が、果たして、世の中にいるだろうか。
 この国において、個人が個人の本名を口にするのは、よほどの覚悟を持った時。
 ──たとえば、愛の告白、とか。
「覚えてるな?」
 レインはわざわざ、念を押すように言った。しょうがなく、ぶすっと返事をする。
「……覚えてる」
「俺がその後で、何て言ったかも?」
「覚えてる」
 答えながら、リアはひそかに右の拳をぎゅっと握りしめた。込み上げてくる怒りや悲しみを堪えるため、などという理由では全然なく、はっきりきっぱり、次の行動に向けての準備のためだった。
 すまん、メイ。やっぱり私はこいつを殴る!

「──『マディリア、俺は昔から、自分にとってのただ一人の可憐な乙女を、守って愛そうと心に決めていた』 だろ」

 一言一句違わずに二人で同時にそう言って、その言葉が終わるやいなやリアは勢いよくレインに向かって拳を突きだし、レインは自分の手の平でそれを受け止めた。ものすごく、重い音がした。
「……っ、だから、なんでここで手が出るんだよ、バカ女!」
「お前こそ、なんでその話をわざわざ蒸し返す?! 私がこの五年の間、心の中に封じ込めておいた、暗黒の思い出だぞ!」
「そりゃ俺のセリフだっての! きちんと服装も決めて出かけて行ったあの気取った店で、他にも大勢客がいるってのに、いきなり連れの女にパンチを喰らわされて、そのまま失神までした俺の情けなさがお前に判るか! あれから俺はどん底まで落ち込んで、めちゃくちゃ自分を鍛えたおかげで、騎士にまでなっちまっただろ!」
「そんなもの知るか! あの頃の私の純情を踏みにじったお前が悪い!」
「誰が踏みにじった?! お前だろ! あの時、俺がどんだけ悲壮なくらいの健気な決意を固めてあの言葉を言ったと思ってんだ!」
「そうまでして私をバカにしたかったのか!」
 拳をレインに掴まれたままなので、脛を狙って鋭く蹴りを入れようとしたら避けられた。レインが身をかわすと同時に、手首を掴んだリアの腕を後ろに廻す。残った左の肘で腹を狙ったら、すかさず背中から腕ごと抱きすくめられた。こうなるともう、いかにリアでも、身動きがとれない。
「……だから」
 溜め息とともに、後ろからレインの低い声が落とされる。耳の間近まで唇を寄せられて、温かい息がかかり、かすかに肩が震えた。
「なんでお前は、いつも俺の口説き文句を、最後まで聞いてくれないんだ?」
 なんとなく、泣き言を言うような口調だった。
 ……口説き文句?
「嘘つくな」
「嘘じゃねえって」
「誰に対しての口説き文句なんだ」
「目の前には、お前しかいないだろ。あの時も、今だって」
「……意味が判らない。可憐な乙女が好きなんだろ、お前は」
 たとえばメイのように、優しく淑やかな、「乙女」 が好きだと。
 そういう女を、守って愛したい、とはっきり言った。
 肉刺だらけの手、傷だらけの身体、一日中剣を振るって戦ってばかりのリアではなく。
 どうしてそんな言葉を、こんな場面で、こんな状況で、わざわざ正面からぶつけられなきゃならない。リアは深く傷ついた。それはもう、ざっくりと心を切りつけられるほど傷ついた。レインを殴って店から飛び出したあの後で、どれほど洪水のように涙を出して泣いたことか。
 あれ以降、リアがことさらレインの前で乱暴に振舞うようになったのは、その言葉のせいだ。
 どうせ嫌われるのなら、徹底的に嫌われた方がよかった。好きな男なんてもういらない。結婚なんて、するつもりもない。二度と夢なんて見たりしない。それからのリアは、それまでよりも一層女王陛下に忠誠を尽くす、職務に勤勉で真面目な近衛兵としてあり続けた。
 獣は、獣のままでいい。
「そうだよ、だから言ってるだろ。自分にとっての乙女を守って愛して……って、こらこら、暴れるな」
 ジタバタもがいたら、さらに強く抱きしめられた。五年前まではやっつけられたのに、いつの間に、こんなにも力の差が出来てしまったのかと思うと悔しい。
 力を抜いて暴れるのをやめても、レインは腕の力を抜こうとはしなかった。後ろから、リアの肩に顔を押しつけているから、今どういう表情をしているのかも判らない。
「……俺にとって、お前がたった一人の乙女だったんだ」
 と、くぐもった声で言った。
「周囲の男たちにからかわれて、いつもこっそり隠れて泣いてただろ。それでもずっと、妹のためにって、自分は楽しいことも我慢して、ひたすら強くなろうと努力して頑張ってた。何に対しても全力で、真っ直ぐだった。単純だけど純真で、バカだけど可愛かった。上っ面だけ愛くるしい女はいくらでもいるけど、お前みたいに心の中までまっさらな女はいない。好きだった、ずっと。あの時も、そう続けるつもりだったんだ」
「…………」
 顔が見えない分、レインの声音は真摯に響いてリアの耳へと届いた。下唇を噛み、深く俯く。
 ウソだ、とぽとりと零した声は、消えそうなほどに小さかった。
「……だって、レインは、その後で、いろんな女性と付き合ってたじゃないか。私とはまったく正反対のタイプばかり」
「口説こうとした矢先に、その対象の女から顔面を殴られて気絶させられた挙句に逃げられた男は、そりゃグレる」
「気のせいかな。何もかも私が悪いように聞こえるぞ」
「だってお前が悪いんだもん。……ああ、もう怒るなって。じっとしてろ」
 振り向こうとしても、レインは頑固にリアを拘束したままだ。よっぽど、今の顔を見られたくはないらしい。五年という歳月は、お互いを以前よりも大幅な角度をつけて、ひねくれさせてしまったようだ。
「俺も悪かった」
 背中から、ぽつりと言った。
「どうしてもこっちから折れる気にはなれなくて、意地を張ってた。……けどやっぱり、このまま、お前を他の誰かに取られるのは我慢ならない。お前がこれまでどれだけ頑張ってきたのかも知らないようなやつに、渡すわけにはいかない」
 そこまで言って、レインはようやくリアの両肩を掴み、くるりと自分の方へと向けさせた。
 ほんの少し怒ったような、子供のように拗ねた顔が、リアのすぐ目の前にある。
 昔と比べて、ずいぶんと大人になったその顔。幼さとあどけなさが抜けた代わりに、渋さと精悍さが加わった顔を、まじまじと眺めた。
 ──でも。
 緑の瞳には、ちゃんと、あの頃と同じように優しい光がある。思えばいつだって、喧嘩をしている時でさえ、レインのその光だけは、変わらなかった。
 ああそうか、メイに訊ねられた時、レインの 「良いところ」 はどこか、と考えたから、思いつかなかったんだ。レインの 「好きなところ」 はどこか、という答えなら、すぐに出てきたのに。
 リアはずっと、この瞳が好きだったのだ。今も、昔も。

 まだ幼かったリアの手を取って、綺麗だと言ってくれた、嘘偽りのない瞳。

「……マディリア、好きだ」
 いつかのように、レインの手がそっとリアの手を取って包む。あの頃よりもずっと、大きく逞しくなった手。でも、温かいのは以前と同じだ。
 しばらく黙り込んでから、リアは呟くように問いかけた。
「──こんな手をした、女でもか?」
 あの頃よりも、さらに傷が増えた。固くもなった。普通の女性のように、柔らかく滑らかな部分はもうどこにもない。クレルが驚いて、疎ましいものでも見るように眉を寄せた手。
「もちろん。戦うリアの手は、他の誰よりも綺麗だ」
 レインの返事に、躊躇はない。包んだ手を持ち上げて、唇を寄せた。
「私は、メイのように、愛らしくも、いじらしくもないし」
「なに言ってんだ、メイや陛下のしたたかさや図太さに比べたら、お前の方がよっぽど……あ、いや」
 ごにょごにょと言葉を濁してから、「とにかく」 と、ごほんと咳ばらいをした。
「リアは、誰よりも性根が真っ直ぐで清らかだ。俺は今回の件で、つくづくそう思った。心の底から」
 いやに実感がこもってるな。
「リアは、俺が嫌いか?」
 ちょっとだけ不安に揺れる緑の瞳がこちらを覗き込む。卑怯なやつめ、とリアは心の中でぶうぶう文句を言った。そんな目を向けられては、嫌いだと嘘をついて、困らせてやることも出来やしない。
 少し考えて、レインの目を見て真面目な声を出した。
「……ひとつ、約束してくれるか?」
「浮気はしない。もう他の女はナンパしない。今まで付き合ってきた女たちともすっぱり手を切る」
「それもあるが。いや、そうじゃなく」
 レインの必死さに、つい、笑い出してしまう。約束、と言われて、思いつくのが女のことしかないって、どうなんだ。
「口髭だけは、伸ばすなよ」
 そう言って、自分の手を包んでいる大きな手に、そっともう片方の手を乗せた。
 不格好だけれど、リアはそれを、恥ずかしいとは思わない。
 ──好きな男が、「綺麗だ」 と、言ってくれるなら。


          ***


 背の高い二人がお互いに寄り添っていくところまで見届けてから、王宮の二階通路にいたアヴィ王子とメイは、その場からゆっくりと離れた。それ以上は、確認しなくてもいいだろう。
「やれやれ、手間のかかることだね」
 と、アヴィ王子が苦笑する。もうしばらくの間、あの場所は人払いしておくように命じておかないとなあ、と頭の片隅で考えた。
「じれったいお二人でしたけど、これでつつがなく先へと進めましょうか」
 そう言って微笑むメイに、そうだね、とアヴィ王子が向ける眼差しは柔らかい。平たく言うと、デレデレだ。
「……これで君も安心して、僕との結婚を考えてくれるかい?」
 身を屈め、耳元で囁くと、メイの頬がぽっと染まった。
「もったいないことです。ええ、リア姉さまとレイン様が、このまま上手くいくようでしたら」
「そりゃあ、ここまできたら、さすがにあの子供みたいな二人でもさ──」
 アヴィ王子が笑いながら言いかけた途端。
 ばっちーん! という豪快な音が、王宮内に響き渡った。

「なにすんだよ、このケダモノ女あっ!」
「こっちのセリフだ、ケダモノはお前だろ! は、はじめてなのに、いきなり舌まで入れるやつがあるかーーっ!」
「お前、俺をここまで我慢させといて!」
「我慢してないだろ、他の女相手にいつもしてたんだろ、レインなんて大っ嫌いだ!!」

「…………」
 罵り合う大声に、メイは無言になって、ふー……、と深い息を吐いた。
 アヴィ王子は、恨めしそうに、ぎゃんぎゃんとやかましい中庭の方へと目をやる。
 ──果たして、メイが彼のプロポーズに肯ってくれる日は、来るのだろうか。

Fin.



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