短編7

ギフト(1)




 宗田圭介は、浪人生である。
 「浪人」 という言葉だけで、何もかも説明がついてしまうような気がするが、その上さらに付け加えると、二浪の身の上である。浪人、そして二浪。重さと侘しさと物悲しさと惨めさと窮屈さを表現するのに、それ以上に何があろう、というくらいの破壊力ではないか。
 それでも浪人になって最初の一年間は、圭介はさして悲観的に過ごしていなかった。
 目指していたのはそれなりにレベルの高い大学だったので、高校三年生の時点で、一発合格は無理かな、と思っていたこともある。そこそこ真面目に受験勉強にも励んだつもりだが、一浪くらいは普通だよなと心のどこかで諦めてもいて、少しダラけていた部分があったのは自分自身認めざるを得ない。
 だから、合格者の中に自分の番号がなくても、ああやっぱりね、という程度の感想しか浮かばなかった。
 その上周囲には、圭介と同じような人間はたくさんいた。希望大学に落ちたからと滑り止めに受けた格下の大学に入学したのもいれば、圭介と同様に浪人となる道を選んだのもいる。そういう仲間と一緒に予備校に通って、新しい友人もできたりし、気分的にはもちろん楽しくはないが、そんなに暗いわけでもない浪人生活というものを一年間送った圭介は、高校の時よりは格段に身を入れて勉強というものに取り組んだ。
 ──が、一年後。
 圭介はまたも、希望の大学に落ちてしまった。
 ショックだった。高校三年の時の合格発表の時とは違い、今回の不合格は本気で顔色を失くすくらいに衝撃を受けた。あんなに一生懸命勉強したのに、なんで? という、やりきれなさと屈辱ばかりがあった。
 受けた大学がことごとく落ちた、というわけではない。ちゃんと合格した大学もあったし、親はそこでいいんじゃないかと言った。周りの予備校仲間のうちでも、第一志望はダメだったから、第二志望、第三志望の大学に行く、というやつは大勢いた。
 でも、圭介は意地になってしまったのだ。希望大学の試験を受けた時、これはいけるんじゃないか、という手応えが確かにあった。絶対に、合格までは、ほんのちょっとの差のはずだった。一年間ずっと真面目にやってきて、僅差で運悪く不合格になってしまっただけなのに、ここで妥協して他の大学に行ってしまっては、きっと後悔する、と思った。今後の長い人生、そんな後悔を抱き続けるよりは、あと一年くらい頑張ったほうがいいんじゃないか、と。
 そんなわけで、二浪が確定した。
 しかし実際なってみたら、二浪というのは一浪の時よりも猛烈につらかった。
 まず第一に、友人のほとんどがもうすでに大学生になっている、という事実。あっちも気を遣って、圭介を遊びに誘ったりはしないが、たまに会ったりすると、言葉の端々から、大学生活の楽しさなどが伺えて、落ち込まずにはいられない。合コンに行った、彼女が出来た、なんて話を聞くと、死ぬほど焦る。圭介はそんなに容姿の悪い方ではないし、高校の時に女の子と付き合っていた経験もあるけれど、さすがに予備校に通う身で彼女を作ったりするわけにはいかない。浪人という引け目だって、大いにあるし。
 二年目になって、受験勉強にも、予備校というものにも、変に慣れてきた自分もイヤだった。親は決して口にはしないけれど、態度の中には常に、「もう後がないぞ」 というのが滲み出ている。そんなこと、判ってるんだよ、俺にだって、と思うものの、その苛つきともどかしさのやり場がないから、ひたすら身の裡には毒が溜まっていく一方だった。
 勉強の合間の息抜きくらいは必要だろうと思ったって、何をしていても心の底からは楽しめない。映画を観ても、漫画を読んでも、エロ本を見ていたって、心の片隅にあるのは罪悪感だ。こんなことしてる場合じゃないだろ、という声がいつも頭の中で響くのは、時々、大声で喚きだしたくなるくらいのストレスにしかならなかった。
 それでもなんとか、圭介は二浪の夏の終わりまでは頑張った。必死に勉強した。その甲斐あって、予備校の模試では、希望大学のもうワンランク上を狙えるかも、というくらいまで成績が上がった。それは確かに嬉しかったし、希望の光でもあった──のに。
 秋になったら、いきなり、やる気が失せた。
 どうしてなのか自分でも理由が判らない。けれどどれだけ勉強しようと問題集を広げても、さっぱり頭に入らなくなってしまったのだ。数式も小論文も、目が滑るように頭の中を通過していくだけ、何も残らない。疲れが出たんだな、とすでに大学生になった友人が同情するように言うのも、悔しくて腹立たしくて仕方なかった。お前に何が判るんだ、と胸倉掴んで叫んでやりたいほど、圭介の中には焦燥しかなかった。
 なんでこんな大事な時に、と何度頭を抱えたか判らない。それでも、やっぱり勉強にはまったくと言っていいほど集中できなかった。親や予備校の講師の手前、なんとか勉強するフリくらいはするものの、目から入れた情報が、すぐにぽろぽろと抜け落ちていくような有様。終いには、手がぶるぶると震えて、シャーペンが持てなくなった。

 ああ、もう、俺の人生終わった──と思った。

 このままでは、今度の受験も失敗するのは目に見えている。さすがに三浪なんてする気はないし、親も許してくれないだろう。とすると、就職か。高卒で、二浪の挙句、試験に挑む前に敗れたような情けない男を雇ってくれる会社なんて、果たしてあるのだろうか。こいつは何をやらせても中途半端な人間だと判断されるに決まってるのに。じゃあ、フリーターか。こうなったらもう、引きこもってネット依存症になって汚部屋でコンビニ弁当ばっかり食って腐って死のうかな。
 いっそ、本当に受験に失敗したほうがマシだった。試験を受ける前にリタイアする、という現実が、圭介にとってはあまりにもつらすぎた。これからの人生、ずっと 「落伍者」 としての重荷を背負って生きていかなきゃいけないのかと思うと、苦しくてたまらない。
 ……せめて、どっかに逃げたい。
 予備校をサボって、一日中フラフラと街中を彷徨い、そんなことばかりを考えていた圭介だったので、ひと気のない夜中の公園で 「それ」 を目にした時、そんなには驚かなかった。
 そっか。俺、とうとうノイローゼになっちゃったか、と思っただけだった。
 ──公園の中の木のテーブルの上に、等身大のでっかい雛人形が見えるもん。


         ***


 真円の月が、漆黒の空にぽっかりと穴を開けているようにも見える、そんな夜だった。
 怖いくらいに白く輝く月光の下に、その人形はあった。
 しかしなんでまた受験ノイローゼで、お雛様なんかが見えるのだろう、という訝しさは圭介にもある。天使とか、悪魔とか、下着姿のセクシーお姉さんとか、そういうのならまだしも判るのだが、そこにあるのはどう見ても、長く豊かな黒髪を持ち、十二単みたいな豪華絢爛で重苦しそうな着物を身につけた、白い肌をしたお人形である。もちろん圭介に、そのようなものを愛でる特殊な嗜好はない。
 藤棚の下にある木のベンチと木のテーブルは、昼の間は、公園に遊びに来た若い母親と小さな子供たちが、飲み物やお菓子を広げたりする場所だ。夜の十二時近い現在、そこはただひっそりとした闇に包まれている。そのテーブルの上に、人形は静かに行儀よくちんまりと座っていた。
 暗闇の中、夜空から降り注ぐ煌々とした月明かりの中に浮かび上がったでかい雛人形は、奇妙に美しく、幻想的だった。本当ならひどく不気味なものに見えたかもしれないが、圭介は不思議と、怖いとは思わなかった。これが月の魔力というやつか。それとも圭介の魂が、すでに半分抜けているからなのか。
 お雛様は、黒い瞳をぱっちりと見開いて、真っ直ぐ前を向き圭介を凝視している。よくよく見たら、可愛らしい顔をしてるんだなあ、雛人形って、と思いながら、圭介は惹きつけられるようにふらふらとそれに近づいて行った。
 かなり間近まで寄った時、突然、

「やや、人がおる」
 と、人形が喋った。

「…………」
 ぴたりと圭介の足が止まる。
 思わず周りをきょろきょろしたが、夜中の公園に人影はない。公園を囲んでいるのは普通の住宅ばかりで、電気が点いているところさえ、あまり多くないくらいだった。
「……駄目だ俺、ホントにノイローゼだ」
 圭介は泣きたくなったが、かえって恐怖心は湧かなかった。咄嗟に最初に思いついたのが、ノイローゼになったらもう受験はしなくていいのかな、という内容だったあたり、そちらのほうが問題だ、というくらいのものだ。
 それで開き直って、逃げることもしなかった。なんかもう、なるようになれ、というようなすっかりやさぐれた気分になると、人間は強い。
 雛人形は、その場に止まった圭介の顔をまじまじと眺め、ぱちりと瞬きをした。
 うわ動いた、と圭介はたじろぐ。
 そして人形は、今度ははっきりと、唇を動かした。
「そなた、なぜこのような所におる?」
 うわー、生き人形に質問されてるよ、と感嘆するように思った。なぜこのような所に、ってのは、断然、自分が言うべきセリフだと思うのだが。
「あんたこそ、なんでこんな所にいるんだよ? 夜の公園て、化けて出るにはうってつけかもしんないけど、こんな遅くだとだーれもいないよ」
 ノイローゼ寸前の浪人生以外には。
 心の中だけで付け加え、圭介は同じ質問をした。自分の声に、あまり怖気づいた感じがなくて、ほっとする。どちらかというと、子供に言い聞かせるような言い方になっていたのは、多分、人形のぱちくりと瞬きするさまが、どこかしら幼く見えたせいだろう。
「こうえん、とはなんじゃ」
 人形はわずかに首を傾げてそう言った。その声にも顔にも、純粋に疑問しかなくて、無邪気なほどだ。ちっともおどろおどろしい雰囲気がない。
「なんだよ、そんなことも知らないで出てきちゃったのかよ。ひょっとして、すげえ昔の幽霊かなんか?」
 よくよく気づいてみれば、目の前にいるのは、明らかに人形ではなくて人間だった。肌も柔らかそうだし、大きな瞳にはどこか理知的な光がある。髪型も衣装も奇抜だが、顔だけ見れば、そこらの女の子と大差ない。圭介よりも多分年下、十六、七、というところだろうか。さっきも思ったが、可愛い。
 人形が人間に化けたのか。それとも地縛霊か何かなのか。戦時中の兵士の霊、などならまだ判るのだが、ここにいる女の子の恰好は、どう見てももっと昔のものだ。平安時代、とか、それくらいの。そんな何百年も前の幽霊って、いるのかなあ、とはなはだ疑わしい。
「幽霊……物の怪のようなものか。失礼なことを申すでない、痴れ者め」
 お雛様みたいな女の子は、頬を膨らまして、ぷんぷん怒っている。けど、ちっとも怖くなかった。もう一度言うが、可愛い。
「わたしはさっきからずっと、自分の屋敷の簀子縁に座って庭を眺めておる。その庭に突然姿を現したのはそなたのほうじゃ。わたしにとっては、おかしな格好をしているそなたのほうが余程、物の怪じゃ」
「え、何それ」
 圭介は困惑して問い返した。まさか、オバケにオバケ呼ばわりされるとは。
 改めて周りをぐるりと見回す。うん、自分が立っているのは、ちゃんと夜の公園だ。
「ほら、公園だよ」
「何がほらじゃ。だからここはわたしの屋敷の庭だというのに」
「……埒が明かないな。えーと、じゃあ、そっちの庭は、今は夜?」
「みな寝静まっておる。今宵はことのほか満月が美しく光輝いておるので、こっそり部屋から出てみたら、そなたが庭に立っておった」
「満月?」
 圭介は自分の頭上を見上げた。
「じゃあ、そこだけは共通してるんだ」
「そなたのほうにも月が出ておるか」
「うん。真ん丸の、すげえ明るいヤツ」
「まこと、禍々しいほどじゃ」
 雛人形も上を見上げている。自分と同じ空を見ているようにしか見えないが、あちらにはあちらの 「満月」 が存在しているらしいから、彼女の瞳に映っているのは、「そちらの月」 なのだろう。なんかややこしい。
 圭介からはこのお雛様しか見えないように、あちらからは圭介の姿しか見えない。互いにいる場所は、自分たちの世界にあるのに、人と人だけが境界で重なっている──と。
「要するに、世界が一部分だけシンクロしちゃったってことなのかな」
 満月の力か何か、とにかくそういう摩訶不思議な作用によって、今この時この場所で、現在と過去、あるいは違う世界と世界が、ほんの一瞬交わってしまったとか、そういうことなのかな、と考える。圭介はSFものが好きで、その手の小説もよく読むから、そういう結論を出すのに、わりと違和感は覚えなかった。そりゃ、選ぶんだったら、ホラーよりはSF設定のほうがいいに決まっている。「自分ノイローゼ説」 も依然として捨ててはいないけど。
「そうか、なるほど、しんくろか。そなたが言うのなら、そうなのであろ」
「すっげーいい加減だね。絶対、『シンクロ』 の意味判ってないでしょ」
 うんうんと頷きながら取ってつけたような返事をする雛人形に、圭介は突っ込んだ。黒髪に包まれた大人しそうな顔には、ハッキリと、考えるのが面倒くさい、と書かれてある。
「理由はどうであろうと、今宵ひと時だけの儚い逢瀬じゃ。束の間の夢を、せめて楽しまねばなあ」
「なんか綺麗っぽいこと言ってるけど、単に考えることを放棄してるだけなんじゃないの?」
「時にはこういうこともある」
「普通、ないよ。こんなこと」
「そなたの世界の人間はみな、そのように小うるさいのか。何事も鷹揚に構えていなければ、貴族として出世できぬぞ」
「なんか微妙にムカつくんだけど。こっちには貴族とかいないし」
「それは何より。そなた、名はなんと申す?」
「…………」
 圭介は、はあーと溜め息をついて諦めた。雛人形はどう見ても自分より年下だが、どう考えても自分より器が大きい。これは夢の中の出来事だ、といえば、本当にそうなのかもしれないし。
「……宗田圭介」
「宗田殿といわれるか」
「お願いやめて。圭介でいいよ」
「圭介だな」
「いきなり呼び捨てなんだ」
「そなたは小うるさい」
 雛人形は眉を寄せ、イヤそうな顔をして文句を言ってから、ようやく名乗った。
「わたしは、源の大納言が娘、中の君、あるいは、冬椿の君と呼ばれておる」
「椿ちゃん?」
「そなたの口から出ると、わたしの美しい名が非常に軽々しく聞こえるな。せめて椿姫と呼ばぬか」
「椿姫っつーと、こっちでは一般的に、若い愛人のいる娼婦のことを指すんだけど」
「なんと」
 圭介の言葉に、雛人形は大層なショックを受けたらしい。今までぴくりとも動かなかった、重そうな十二単っぽい着物が、少しだけ傾いだ。
「愛人とは。まだ通う男もおらぬのに」
 失礼千万じゃ、などとひとしきりブツクサと呟いてから、
「……致し方ない。椿ちゃんでよい」
 と、渋々ながら許可を出した。
 子供のようにむくれたその顔はやっぱり可愛くて、圭介は思わず、噴き出した。



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