短編7

ギフト(2)




 それから圭介はいくつかの質問をしたのだが、冬椿から返ってくる答えは、今ひとつあやふやだったり、圭介には理解できないような言葉が混じっていたりして、いささか頼りなかった。
 どうも冬椿のほうには、この状況を詳細に解明しようという意欲はさらさらないらしい。あからさまに 「面倒だ」 という表情をしたり、突っ込んで訊ねたりすると、そなたそのような細かい性格では大人物になれぬぞと文句を言われたりする。ちょっとは現在目の前に起きている不思議現象に関心を向けたらどうなんだ、と圭介がムカッとするくらい、冬椿はただ呑気に状況を楽しんでいるように見えた。
「……大体、千年前、ってところかなあ」
 それでもなんとか少ない情報から、冬椿のいる時代を推定して割り出し、圭介は自信なさげに呟いた。木のベンチの上には、日本史や古典の参考書が乱雑に広げられている。最近まったく手に持つことすらしなかったものばかりだが、それどころではなかった。
 口に出してから、千年、という途方もない数字に、眩暈を起こしそうになる。
「ほう。すると、圭介は千年後の未来に暮らす人間ということか。この国はそのように長く続くのだのう」
 冬椿の口調は、やたらとお気楽である。どちらかといえば、千年という時を隔てて出会った人間同士、驚くべきなのは過去のほうなのではないかと思うのに、その顔には、「遠路はるばるよう参った」 程度の感嘆しかない。おたおたしているのが未来人のほうだなんて、なんかおかしくないだろうか。映画やSF小説とは展開が違って、困惑する。
「いや、同じ時間軸の過去と未来、って限ったわけじゃないんだけどさ。ひょっとしたら、並行世界、って可能性もあるし」
「ほほう、へいこうせかい」
「つまり、ここにある現実と並行して、別の現実世界が存在してるってやつ。歴史のどこかで分岐して、よく似た世界だけど違う世界、つまりパラレルワールドになるっていう」
「ほほう、ぱられるわあるど」
「…………。なんか、もういいや、どうでも」
 冬椿の適当極まりない相槌に、圭介はがっくりと肩を落として説明を諦めた。一生懸命になればなるほど、自分が可哀想になってくる。
「椿ちゃん、いくつ?」
 広げてある参考書を無造作に追いやってベンチに腰を下ろし、卑近な質問に方向を変えることにする。テーブルに頬杖をついてそこに座る冬椿を見上げると、彼女はようやく真っ直ぐ圭介と視線を合わせた。
「今年の正月で十六になった。圭介はいくつになられる」
 はじめてと言っていいくらい、素直な回答が返ってきた。今までの質問内容には、本当にまったく興味がなかったんだな、ということがその態度から判って、圭介はさらに脱力しそうになった。
 正月が誕生日なのか、とちらっと思って、いや違うな、と考え直す。昔は正月に全員が一斉に年を取るのだ、確か。年齢の数え方も今とは少し違うんだっけ。
 意外と古典の勉強って、実生活の役に立つのかもなあ。いや普通、こんなところで立たないとは思うんだけど。
「こないだ、ハタチになったとこ」
 自分の年齢を言ってから、二十にもなって浪人で予備校通い、という自分の肩身の狭い身分を思い出して恥ずかしくなった。少し俯きがちになる。
「はたち?」
「二十歳ってこと」
「なんと。そなたの世界では、人はみなそのように中身が幼いのか。やけに背の高い童じゃのと思うておったが」
「大きなお世話だよ。今はこれが普通なの」
「普通なのか。そんな布きれ一枚しか身に着けていないのもか。そなたが特別貧しいのではなく、みなそのような格好をしているのか。よほど着る物がないのかと思うていたが、今まであまりに哀れで口にはできなんだ」
「Tシャツにジーンズだよ。普通だよ。どうりでさっきから時々こっちを憐憫の目で見ると思ったら、そんなこと考えてたわけ?」
「二十なら、元服はもうとうに済んだのであろう」
「元服? えーと、成人式はまだだよ。俺はどっちにしろ出席しないつもりだけど」
「なるほど、元服の儀は、いろいろと物入りで金もかかるからの」
「違うから。金がなくて出ないわけじゃないから」
「妻子はおられるのか」
「いるわけないでしょ」
「だろうな」
「だろうなってなんだよ? 椿ちゃんのとこではどうか知らないけど、こっちでは、ハタチそこそこで結婚する人のほうが少数派なんだからね! 別に俺がビンボーだからって理由で結婚できないわけじゃないんだからね! だからその憐れむような目やめてくれる?!」
「世界の異なる人間と会話を交わして、互いに理解を深めるのは面白いのう」
 冬椿がのんびりと感心するように言ったが、圭介は、全然判り合えた気がしなかった。


 そんな調子で会話を続けているうちに、冬椿のあまりの動じなさっぷりに、圭介の頭にも、疑問が湧きはじめてきた。
「……椿ちゃんは、この状況にあんまり戸惑ってないように見えるね。まさかそっちでは、こういうことが日常茶飯事であるってわけじゃないよね?」
 そりゃ、古典などを読む限り、物の怪とか、怨霊とか、そういうものがあまり違和感なく登場することくらいは知っている。けれどそれは、大部分、自然現象や物事に対する知識が不足している、という理由のためだろう。実際に、しょっちゅう鬼や化け物に遭遇するわけではあるまい。
 もしかして。
 と、 ようやくこの時点で、圭介は、新たな可能性を思いついた。
 ……もしかして、俺、誰かにハメられてんじゃないのかな。
 これって、SFでもホラーでもなんでもなく、ただの友達のイタズラなんじゃないのかな。知り合いの女の子に着物を着せて、適当に口裏を合わせるように頼んでいるだけなんじゃ。
 考えてみたら、そういうことをしそうなやつの顔も何人か脳裏に浮かんだ。悪ふざけの好きな、高校時代の友人や、予備校で仲良くなった連中だ。圭介をからかって笑ってやろう、なんていう目的ではなく、勉強に行き詰ってノイローゼになりかけている友人を手の込んだ演出で励ましてやろう、なんて。
 そう思ったら、それしかないような気がした。なんだそんなことかよと、途端にバカバカしくなる。そうだよな、千年も昔の人間と会うなんてこと、現実に起こるわけがない。ムキになって冬椿にあれこれと聞き出そうとしていた自分こそが、単純だったのだ。
「…………」
 いきなりむっとした顔になって口を噤んだ圭介をどう思ったのか、冬椿が大きな目で不思議そうにまじまじと眺めている。この女の子は、じゃあ本当はどこの誰なんだろう。誰かの妹なんだろうか。こんな夜中にこんな着物まで着させられて、ご苦労なことだ。
 自分のことを心配してくれているのだろう友人たちの手前だけでも、騙されたフリを続けるべきなんだろうか、と迷った。
 ……「満月の夜に起きた不思議な出来事」 に、圭介が少しでも立ち直るようなところを見せれば、みんなは安心するのだろうか。
 面倒だ、と思ってしまいそうになる心を、無理やりのように立て直し、圭介はなんとか笑みらしきものを口元に浮かべることに成功した。それが友情ってやつなら乗ってやろう、と思ったのもあるし、なんだかもうどうでもいいや、と少々投げやりな気分になったのもある。
 どうでもいいや。騙されているのなら、それはそれで。
 ──どっちにしろ、俺は受験にも勝ち抜けなかった人間のクズでしかない。
「つまり椿ちゃんは、俺に会うためにここに現れたんだ。でしょ?」
 一気に結論まで持って行って、もうこの茶番は終わりにしたかった。長く続けていればいるほど、自分が惨めになってきて、胸がずきずきする。
「俺、このところちょっと疲れててさ。やることなすこと上手くいかなくて、落ち込んでたんだよね」
 さあ、落ちこぼれた二浪を慰めて、励ましてくれ。俺は、ありがとうやる気が出た、と応えてここから立ち去ってやるからさ。そうすれば君だって、こんな煩わしいバイトからは解放されて、双方ともに助かるって話だろう?
「だろうの」
 冬椿は、圭介の言葉をあっさりと肯定した。それは判っていたことだと言わんばかりのしたり顔に、圭介はさすがに少し憮然とする。なんだよ、もうちょっとしらばっくれてもいいだろうに。そっちももう、圭介を相手に白々しい演技を続けるのが面倒になったってことか。
「圭介も、逃げたかったのであろ」
「…………」
 ぐっさりと核心を衝かれて、言葉に詰まる。
 そんな風に、ハッキリ言わなくたって、と、唇を噛みしめ、顔を伏せかけて、気がついた。
 ……「も」?
 怪訝な面持ちを向けると、こちらを見返す冬椿が、少し目を細めた。
「わたしも、逃げたくて逃げたくてたまらなかった。命を捨てるには生に未練があり、かといって家を飛び出すような度胸もなく、結局人の言うなりに生きることしか出来ぬ自分が、あまりにも浅ましくて惨めで口惜しかった。反抗をしようにもその手立てが思い浮かばず、従順に受け入れるにはちと性格がひねくれすぎていた。逃げたい、逃げたいと、そればかりを考えておった」
「……?」
 なに言ってんだろ、と圭介は不思議に思って首を傾げる。そんなセリフ、台本にあったのかな。
 冬椿は、顔を動かし目線を上げて、夜空の満月をじっと見つめた。こっちの? あっちの? 遠くを見るその眼差しは、本当に演技なのだろうか。なんだかもう、よく判らない。
「……椿ちゃんは、何から逃げたかったの?」
 少し混乱しかかった頭で、とりあえずそう問いかけた。バカだな俺、また本気にしかけてる、と心の片隅が自嘲気味に呟いたけれど、それでもそう訊ねずにはいられないくらい、冬椿の横顔はさびしそうだった。
 冬椿の目線が、またこっちに戻ってきた。大きな瞳は最初に見た時から何も変わらず、静かに澄んでいる。人を騙そうとする女の子が、果たして、こんな目でこんな風に真っ直ぐ相手を見返すことが出来るものなのだろうか。
 騙されたいのか。信じたいのか。自分自身が判らない。
「わたしはもうすぐ、婿取りをすることになっていてな」
「えっ」
 つい、驚いて声を上げてしまった。婿取り、という単語に、頭の中のあれこれが一旦吹っ飛んだ。
「婿取り? えっと、結婚するってこと?」
「そう言うておる。お相手はわたしより十二ほど年上の兵部卿の宮で」
「えらい年上じゃん。そんなのが彼氏……っていうか、恋人だったわけ?」
「形ばかりの文のやり取りはしたが、顔を合わせるのは、通ってくる二日後の夜がはじめて、ということになるの」
「えっ、通ってって……」
 圭介の頭の中を、猛スピードでこれまで読んだ古典文学のあれこれが通り過ぎる。そうか、昔は確か、貴族の婚姻ってのは、まず男が女の寝所に通って、それを三日続けてやっとはじめて周囲に 「結婚した」 とお披露目するんだったか。
 え、でも、寝所に通う……って、つまり。
「ええっ! つまりその、セッ……じゃない、えーと、その、初対面の相手と、まず既成事実を作っちゃうってことだよね?!」
「そなた、もう少し慎みのある表現は出来ぬか」
 圭介としてはかなりこれでも気を遣った言い方をしたつもりなのだが、冬椿はむうっと口を曲げて憤然とした。
「しかし、まあ、そうじゃ。別にそれはよいのだが」
「よかないでしょ。だって相手は初めて会う、しかも十二も年上のオッサンなんでしょ」
「宮には以前に北の方もおられたが、別れての。手元に残された娘は確か、七つか八つになると聞いたが」
「バツイチで、その上コブつき?! そんで十六の嫁さん貰うの?! うわサイテー! それ犯罪じゃん!」
「そなたの言うことは、時々難しくてよく判らぬ」
「要するに政略結婚ってやつ?」
「結婚とはそういうものであろ? だからそれは別によいのだが」
「よかないでしょ!」
「よいのだ。そなたの世界ではどうか知らぬが、わたしのところでは、これが普通なのだからな。今さらそこに疑問を抱いたり、憤りを覚えてもはじまらぬ。ただの政略結婚なら、それはそれで、受け入れたのだが」
 冬椿はそこで、ふと、目を伏せた。ほんのわずかの動作なのに、今までずっと下を見るということをしなかった彼女がそういう仕草をすると、たまらなく心細げに見えた。長い睫毛の作る影が、子供のように頼りなく揺れる。その頬に触れたい衝動に駆られて動きそうになる手を、圭介はなんとかぎゅっと握って抑え込んだ。
「……今回の場合は、実質、厄介払いであるからな。わたしを押し付けられるとは、宮もいい面の皮じゃ。父上に何か恩義か借りがあり、お断りできなかったものとみえる」
 口元に、少しだけ自嘲めいた色が乗る。いかにも図太くて理不尽なくらい堂々とした冬椿に、そんなのは似合わない。
「厄介払い?」
 訊ねる圭介に、冬椿はこくんと頷いた。伏せ気味だった顔が、さらに下に向けられて、小さな声で言葉が落とされる。
「……わたしはこの通りの不器量さであるゆえに」
「は?」
 間の抜けた声を出してしまった圭介を、冬椿はむっとした顔で睨みつけた。内心の羞恥を隠すためなのか、形のいい唇から出る声は、つけつけとしたぶっきらぼうなものになった。
「女人に何度も言わせるな。わたしはこの通り、生まれつき容貌に恵まれなかった、と申しておる」
「は? なに言ってんの、椿ちゃん。謙遜も度が過ぎると嫌味っつーか、椿ちゃんはそもそも謙遜するようなキャラじゃないと思うんだけど。いくら可愛いからって、そういう自慢の仕方は、よくないと思うな。他の女の子に嫌われるよ」
「そなたこそ、なにを言うておる。わたしは子供の頃から、このような恵まれた家柄に生まれたのに、もう少し容姿がよければと、周りに大いに嘆かれて育ったのだぞ。姉上と妹はふっくらとした面差しで、細い切れ長の美しい双眸を持っておるというのに、わたしときたら、このように貧相な顔立ちで、目だけはぎょろりと大きいのだからな」
「……あ」
 話が噛み合わない原因が判った──気がする。
 つまり、「美の基準」 が、あちらとこちらとでは、まったく違うわけなのだ。小づくりでぱっちりとした瞳の冬椿は、圭介が最初の時から何度も思ったように、こちらでは大変な美少女に見える。しかしどうやらその可愛らしさは、あちらでの価値観には、あまりそぐわないらしい。
 もったいない話だなあ、と圭介はつくづく気の毒になった。冬椿の言う 「美しい姉と妹」 は、多分こちらでは、おてもやんにしか見えないような外見をしているのだろうに。時代と場所によって美醜が決められ、それに振り回されるなんて、馬鹿馬鹿しいような気もするけれど、本人にとっては切実で残酷なことには違いない。
「だが、母上や姉妹や女房達に疎んじられても、父上だけは、わたしを大事にしてくれていた」
 疎んじられてたんだ──と、さらりと出された言葉に、ひどく切なくなる。ずっと家の中ばかりで過ごさなければならない環境で、それはどれほど孤独なことであっただろう。
「そりゃ、お父さんなんだからさ」
 それが救いだよなと思いながら言った圭介の言葉を、しかし冬椿は呆れたように 「違う」 とすっぱり否定した。
「そなた、そのような甘さでは、これからやっていけぬぞ。父上がわたしを大事にしたのは、親子としての情ではなく、ひとえに、わたしに、『さきみのちから』 があったからじゃ」
「へ? さきみ?」
 意味が判らなくて問い返す。咲美? 裂き身? と漢字を並べてから、閃いた。

 ──「先見の能力」 だ。

「えーと……つまり、予知能力、みたいな? 未来のことが読める力、ってこと?」
「よち、というのか。未来のことといっても、そんなにはっきりしたことが判るのではない。この出来事は吉に転じるか、凶に転じるか、というくらいの、ぼんやりとしたものだ。しかしそれだけでも、父上にはわたしのその力が役に立ったらしい。仕事上で迷われた時に、右に行けばよいか左に行けばよいかと訊ねられるので、わたしが、右に行くといいと思う、と答えると、あとで、上手くいったぞとずいぶん喜ばれておった」
「…………」
 つまり、自分の出世のために娘の力を利用したってことか、と思うと、圭介はあまりいい気分はしない。それでも、それを言う冬椿の表情が、ほんのりと幸せそうであったから、言葉にはしないで胸の中にしまった。
 ……きっと、冬椿は、父親を喜ばせることが出来て、褒められて、ものすごく嬉しかったのだ。
 ただ一人、自分を疎んじることのない父親。
 その理由が、自分の持つ能力のためだと判っていても。
「じゃ、そのお父さんが、どうして椿ちゃんを厄介払いなんかするんだ?」
 口にしてから、冷たい言い方だった、と後悔した。冬椿の顔が、悲しげに曇ったのに気づいたからだ。
「……ある時から、父上の問いにまったく答えられなくなった」
「力が、なくなっちゃったの?」
 圭介の問いに、ふるふると首を横に振る。
「力はある。あるゆえに、何をしても、どうにもならぬことが、判ってしまった」
「どうにも、って」
「先はない、ということが」
「先がない? なんの?」
「父上の人生の」
「──……」
 思わず言葉を呑み込んだ圭介に、冬椿はゆるりと顔を巡らせ、微笑んだ。どこか、泣きそうな目をして。
「父上の命はもってあと一年じゃ。それが見えた。父上の人生には、もう先がない。よって、わたしの先見の力では父上に関して何も見えぬ。そう口にして言ったわけではないが、わたしが何も言わなくなったのを見て、父上も、そこに気づかれた。気づかれたので、わたしを忌み嫌うようになった。……それはそうであろうな」

 誰が一体、自分の死が見える娘を、そばに置きたいと思うだろうか。

 囁くような声で冬椿はそう言って、また目を伏せた。
「であるから、父上はわたしを妻にするようにと兵部卿の宮に強引にねじこんだ。いくら大納言といえど、このように、不器量で、父母にも厭われる異能の娘を貰ってくれるのは、政界から離れて実質の権力を何も持たない年上の男しかおらなんだということだろう。二日後、宮は渋々、わたしの許に通いにこられる。いずれはあちらの邸に引き取られることになろうが、そこにもわたしの居場所があるとは思えない。名ばかりの夫と、成さぬ仲の娘と、見知らぬ女房たちに囲まれて暮らしていくのだ。わたしは父上の命があと一年だということは判るが、自分の命があとどれくらいあるのかは判らない。この先何年続くことになるか判らない人生を、そのように過ごしていかねばならぬのかと思うと、たまらない」
 ──だから、逃げたかった、とぽつりと呟いた。



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