短編8

一匹狼と森の熊(1)




 簡単な面接であっさり採用となったそのバイトの初日、「行けば担当がいるから」 と少々めんどくさげに言われて、私は一人、てくてくとこれから一カ月間自分の職場となる倉庫へと向かって歩いていた。
 別に子供じゃないから付き添いなんてなくてもいいが、わりといい加減な会社だな、とは思う。総務やら人事やらのセクションが入ったビルと、所有する倉庫との間は、徒歩で二分と離れていない距離にある。そんな短時間の案内の手間すら惜しむほど、忙しそうに仕事をしている人はいないようだったのだが。
 そういや、バイトの面接をしたオッサンも、なんかちょっと感じ悪かったもんな。ハゲで、デブで、加齢臭がする上に性格も悪そうなそのオッサンは、最初から私を見る目がやたらと胡散臭そうだった。
「倉庫の仕事は大半が力仕事なんだけどねえ。あんたみたいな若い女の子に勤まるかねえ」
 ジロジロと頭のてっぺんからつま先まで眺めまわす視線には、隠しようもなく好色なものも現れていた。きっと日常的に、部下の女の子たちに対してもこういう目を向けているのだろうなあ、というのが丸わかりの遠慮のなさだった。そんで全員に嫌われまくっているのだろうなあ、ということも簡単に想像できた。言っちゃなんだけど、好かれる要素が一つもないもんね。
「力はあります」
 と私は答えたが、今度は手にした履歴書に目をやったオッサンの耳にはあまり入らなかったらしい。ソファにふんぞり返って、ふんと鼻息を出しながらぺらぺらの紙を目から離して読んでいる。老眼か。その姿勢、鼻毛も見えてるぞ。
「なに、高校を卒業してから、ずっとフリーターなわけ? いい身分だねえ。テキトーにバイトして、親の金でチャラチャラ遊んで暮らしてんのか」
 チャラチャラ遊んで暮らせる身分ではないから、こんなむさい会社のバイト面接に来ているのだがね。このオッサンの頭の中では、フリーターという言葉は 「貴族」 という言葉にでも自動変換されるようだ。
「二十三? そんくらいの年齢なら、キャバクラに行ったほうが、よっぽど金になるんじゃないの」
「性格的に、向いてないんすよね」
 下卑た笑みを浮かべたオッサンに、私は残念ながら、という顔を作って答えた。キャバクラ嬢は、始めて三日目、目の前に座るこのオッサンそっくりなやつに尻を撫でられて、ぶん殴ったらクビになった。大変に実入りのあるバイトだったので、つくづく無念である。それ以来、私はこういうオッサンが嫌いだ。あのバイトで稼ぐ予定だった金返せ。
「あんたみたいな若い女の子ってさあー、こういう地味な仕事させるとすぐにイヤになって辞めちゃうだろう? こっちも手間食うばっかりで、いいことないんだよねえ。ま、それは男でも同じなんだけどさ。最近の若い連中ってのは、なんでああも根性がないのかね。ラクして金儲けできて、しかもカッコイイ仕事なんて、そうそうあるわけないっつーの。まったく自分を何様だと思ってんだか──」
「そうっすか、じゃあヨソを当たるんで、履歴書返してください」
 オッサンの愚痴と若者への嫉妬に付き合うほど、私はヒマではない。ここが駄目なら、さっさと次のバイト先を見つけなければ。
 そう思って手を突きだした私に、オッサンはむっとした顔で唇を尖らせた。
「誰も雇わないとは言ってないでしょ。なかなかバイトが見つからなくて困ってたんだ。ああ、いいよ、いい、いい。あんたでいいからさ、明日から来てよね」
 結局はそんな風に、投げやりに採用決定となったわけだが、私はいまいち不安である。あのオッサンといい、全体的にいい加減な社風といい、この会社、ちゃんと私にバイト料を払ってくれるんだろうか。きっちりした会社はきっちりと金払いもいいが、ろくでもない会社は人使いが荒いわりに少しでも支払いを削ろうとする傾向がある。なんだかんだ難癖つけられて、バイト料を踏み倒されることのないよう気をつけよう。
「こんちはー。今日から入ったバイトなんすけどー」
 倉庫の重い扉をガラガラと開けて大声で挨拶すると、のっそりとした何かが目の前に現れた。
「おわ、熊」
「人間です」
 びっくりして、思わず私が出した声に、律儀に返事がある。そりゃそうでしょう、と返す言葉を呑み込んで、私はまじまじとそこに立つ男を見た。
 百八十は余裕で超えそうな背丈。身長が百五十未満しかない、ちんまい私からは、見上げないと顔が見えない。のっぽ、というほど痩せてはおらず、巨漢、というには少々重量が足りなさそうな感じではあるものの、作業服に包まれた体格の良い身体は頑丈そうにがっちりと引き締まっていた。
 しかし、なにより。
 熊、と思った理由は、その大きな身体ばかりではなくて、もじゃっと髭に埋め尽くされた顔にある。外国俳優のようにびしっと決まった髭ではなく、なんだこれ、雑木林か、と思うくらい無秩序な生え方だ。この人、街中もこんな風貌のまま歩いてんのかな、と私は興味を持った。間違いなく、不審者としてお巡りさんに呼び止められそうだぞ。
「……君が、新しいバイトさん?」
 熊は、じゃない、髭もじゃの男は、そう言って少し困ったような顔をした。いや、正直、髭のせいで細かい表情は読み取れなかったのだが、眉毛の下の目が、なんとなく困ったようにちまちまと瞬きした。幼児が見たら泣いて怯えそうな外観のその人は、しかし少なくとも、面接に出てきたオッサンのように不躾ではなく、性格も悪そうではなかった。
「はい、大神です。よろしく」
「オオカミさん?」
「オオガミです、熊の人」
「人間です」
 男はまた律儀に訂正を入れてから、困惑したように首を傾げた。
「……僕、男性のバイトをお願いしたつもりだったんだけどな。話が行き違っちゃったのかな」
 私はこの会社のシステムについて詳しくないが、でもまあ多分、行き違いではなく、あのオッサンがマトモに話を聞いていなかったせいだろうなということは見当がつく。
「困ったな。お願いするのは、けっこうな力仕事なんですよ。君のように小柄な若い女性には、ちょっと無理があるんじゃないかと……」
 熊のくせに、オッサンよりもよっぽど人情のある言い方をする。しかし、「若い女」 というものに固定観念を持ってしまっているところは、二人とも大差ない。
「大丈夫っすよ。私、力仕事は慣れてるんで」
「いや、慣れてるっていっても、本を二、三冊運ぶっていうのとはわけが違うんです」
 知ってるよ、そんなこと。私は確かに童顔でナリも小さいが、中学生と同じような目で見るのはやめて欲しい。つーか、あんたがデカすぎんだよ。
「じゃあ、とりあえず、今日一日仕事をさせてください。私も採用された以上、何もしないで帰るわけにはいかないし。それで無理だなと判断したら、上の人にそう言えばいいんじゃないっすか」
 こんな所で押し問答をしていたってラチが明かない。とにかく私も時間と交通費を使ってここまで来た以上は、今日一日分の日当くらいは貰わなければ気が収まらない。そう提案すると、男は 「うーん」 と口をへの字にして (と思われる。髭で隠れてよく見えなかったが) 考えてから、ようやく頷いた。
「そうですね。今、手が足りなくてちょっと切羽詰まってるというのも事実なんです。では、これから、仕事の大まかな流れを説明しますから、実際やってみて、君の手に余ると思ったら、率直に僕に言ってください」
「はいはい」
「はいは一つでいいです。僕はこの倉庫の管理を任されている、主任の冴木です」
「熊にも名前が……」
「聞こえてます。大神さんはどうも性格が大雑把そうですが、仕事は丁寧に確実にやってくださいね」
「大丈夫っす。しかしあれですね、冴木さんはそんな浮浪者みたいなヒゲボーボーなのに、性格はちょっと神経質そうなんすね」
「普通に失礼なんですけど。これでも毎日きちんと手入れしてるんです」
「またまたそんな」
「何がまたまたですか。本当です。伸ばし放題にしてたらこんなもんじゃないですよ……って、そんなことはどうでもいいから、仕事を始めましょう」
「はーい」
「はいは短く」
 熊は、説教くさいやつだった。


          ***


 一通りの説明を聞いてからは、私は黙々と仕事をした。金を貰うからにはやるべきことはやる、それが私のモットーである。やることやったんだから、きちんと金は払えよ、と堂々と言うためにも、仕事は真面目にやるに限る。
 大体、無駄口を叩こうにも、倉庫の中には私と熊の冴木さんしかいない。ちょくちょく倉庫の扉が開いては社員や業者が出入りをするけれど、実質的に一日中ここで仕事をするのは、私たち二人だけだった。
「今までは僕の他に二人正社員がいたんですけどね。営業と総務に欠員が出たっていうことで、そちらに持っていかれてしまって。正直、困り果てていたんです」
 と、冴木さんに言われて、私は納得した。たかが倉庫、されど倉庫。やることはたくさんあるし、冴木さんは在庫などの管理以外にもいろいろと仕事を任されているようで、とてもじゃないが一人で手の回りきるような内容じゃない。困り果てて、だったらせめて男のバイトを、と頼んだら、やって来たのはちまい女の子一人だったわけだ。なるほど、困惑するのはもっともである。
 そして同時に、冴木さんは社内であまり重んじられた立場の人ではないらしい、ということも判った。そういえば、あの面接のオッサンの態度からも、それが透けて見えていた。ちょっと説教くさいのが玉にキズだが、人柄は好さそうなのにな。社会というやつは、時々いろいろと理不尽だ。
 しかしまあ、別にそれを敢えて指摘する必要もないわけで、私は、はあなるほど、と適当な返事をして仕事を続けた。確かに力仕事ばっかりで、腕は筋肉痛になりそうだが、女の子に絶対不可能というほどのものでもない。そりゃ筋肉ムキムキの男と比べれば作業能率は劣るに決まっているが、その分はやる気と集中力でカバーである。
 そうやって与えられた仕事を黙々とこなしていたら、昼休み前には、冴木さんの私を見る目は明らかに変化していた。
「大神さん、お昼はどうしますか。昼休みの間、ここは施錠するんですけど」
「ああ、はい。テキトーにどっかで食べます。パン買ってあるんで」
 ふう、と軍手をつけた手で額の汗を拭いながら息をつき、私がそう答えると、冴木さんは考えるような表情 (推定) をしてから、少しもじもじと両手を組み合わせた。
 ──熊がもじもじしとる。
 と私はそれを見て思った。可愛い、と思えなくもない。少なくとも、あのハゲデブのオッサンがもじもじするのを見るよりは心が和む。
「……あの、もしよかったら、僕と一緒に食べますか。僕も昼は戸外で弁当なので。この近くに公園があって、いつもそこで食べるんです」
「そうっすか、じゃあ行きましょう」
「あの、イヤなら無理にとは言いませんが、一人きりでお昼を食べるのも寂しいかなと思って。あ、いや、僕は一人で食べるの慣れてるんですけど」
「私も別に慣れてますけど、イヤでもないんで、いいですよ」
「あの、決して、下心とか、そういうものがあってこんなことを言ってるわけではないんです。ただ、せっかくなら、会社の中でぼそぼそ食べるより、開放的な空間で食べたほうが美味しいんじゃないかと思って」
「今日は天気が良くて、あったかいですしねえ。だから早く行きませんか」
「あ、もしも、僕が目障りなら、場所だけ教えますから、一人で食べてきてもらってもいいんです。大神さんのような若い女性が僕みたいなむさ苦しいのと一緒にいたら、いろいろとマズイかもしれないし」
「…………。冴木さんて、イジメられっ子だったでしょう」
 私の言葉に、冴木さんは 「えっ」 と声を上げ、ぎょっとしたように目を見開いた。
 ぱちぱち瞬きしてから、言いにくそうに口ごもる。
「いや、あの、そうですね、昔。どうして判りますか?」
 そりゃこんなデカブツが、背中を丸めて卑屈にウジウジしているところを見たら、つい蹴りつけてみたくなってしまうだろうからね。私も今ちょっと足が動きかけた。危なかった。
「一緒にメシ食うだけで、そんなに気を廻すことないでしょう。ほら、さっさと行きますよ。どこですか、その公園て」
 作業服の腕を掴んでいこうとしたが、引っ張ったくらいではびくとも動かなかった。そりゃそうだ。代わりに背中をパンと叩いてとっとと歩き出す。冴木さんは少しぽかんとしてから、慌てて私の後について歩き出し、
「……大神さん、メシ食うっていう台詞は、僕、女の子としてはちょっとどうかなと……」
 と、ぶつぶつ説教めいたことを呟いた。


「それにしても、大神さんはよく働きますね。感心しました」
 意外に広い公園に到着すると、冴木さんに案内され、私たちは芝生広場の隅に設置されている木のベンチに並んで腰かけた。
 広場では小さな子供たちが歓声を上げて走り回り、お母さんたちが立ち話をしながらその様子を眺めている。平和な光景、陽射しはうらうらと暖かく、風はそよそよと爽やかに吹いて髪をなぶる程度。はあー、気持ちいいなあー、と思いながら、私は朝コンビニで買ったパンをもぐもぐと咀嚼した。
「感心されるほどのもんじゃないっすよ。金を貰う以上は働く、働いた分に見合った報酬は頂く、そりゃ当然のことでしょう」
「当然のことかもしれませんが、実際に行動に移せるのはすごいことですよ。偉いですね、若いのに」
 親父くさいことを言いながら、冴木さんはコンビニ弁当を行儀よく箸でつまんで口に運んだ。骨付き肉にかぶりつきそうな風貌なのに、おかずと白飯を配分よく交互にちまちまと食べているのが、けっこう微笑ましい。
 そして、私と冴木さんの間には、かなり不自然なくらいの隙間が空いていた。でっかい図体なのに、なるべく端っこに寄ろうとするから、お尻がベンチから落ちかけている。なんでそんなに遠慮するのかね、この人。
「冴木さんは、いくつなんすか」
「あ、僕、三十です」
「なんだ、十分若いじゃないですか。その年齢で主任やってるんだから、冴木さんだって真面目に仕事するのを認められてんでしょう。もっと胸を張って堂々としてりゃいいのに」
「いやあ、僕は……」
 冴木さんは照れるでもなく、なぜかしょんぼりして肩をすぼめた。まあ、元が元なので、いくら縮んだって普通の人よりは大きいわけだが、それでも大きいなりに消えたそうな風情でしゅんとした。
「僕は、駄目なんです。昔、よく苛められたせいか、人付き合いも上手くなくって。強い態度で出られると、どうしても萎縮してしまって、言いたいことも言えなくなるんですよね」
 なるほど。そんなんだから、部下二人も他の部署に取られちゃったんだな。
「ですから、この髭も」
 割り箸を置き、冴木さんは右手でもじゃもじゃと生えている自分の髭に触れた。
「まあ、その、鎧代わりというか。この身体にこの髭だと、相手は大概引いた態度で接してくれるんで、それがかえって安心するといいますかね。怖そうな人、って思われて、はじめから近寄らないでいてもらったほうが、楽なんです」
「ははあ、外見は熊なのに、中身は子猫ちゃん、ってやつですね」
「……大神さん、そういうことは普通、心の中だけで思うものですよ」
「聞こえなかったことにしといてください」
「しっかり聞こえました」
 あはは、と私が笑うと、冴木さんも少しだけ柔らかく目を細めた。気弱な目ではあるが、ちゃんと優しい色がある。でも、口元が緩んでいたかどうかは、周りに生い茂る髭で見えなかった。
 鎧代わり、と冴木さんは言うが、髭の存在は、彼の良い部分も隠して覆ってしまっているような気がするな、と私は思った。本人は判っていないんだろうけど。
「あら、ここでお食事ですか」
 かけられた声に顔を向けると、ベンチの脇を通りがかった三人の女性たちが、こちらを向いてニコニコ笑っていた。全員がバイト先の会社の制服を着ている。昼の食事に行って、その帰りに散歩ついでに公園に立ち寄ったら、同僚の冴木さんを見かけたので声をかけてきた、というところだろう。
「あ、はあ、そうです」
 隣の冴木さんがうろたえたように返事をしている。えらい声が上擦ってんな、とちらっと窺ってみたら、彼の目は、三人のうちの、声をかけてきた一人の女性に吸い寄せられるように引きつけられていた。膝の上に弁当を乗せていることも忘れて、今にもぴょんと立ち上がりそうだったので、手を伸ばして弁当を持ってやる。まだ残ってるのに、落としたらもったいない。
 冴木さんが見ているのは、ストレートの髪をさらりと背中まで伸ばし、きっちりと化粧をした、女性らしい綺麗な人だった。
「今日は暖かいですものね。どうぞごゆっくり」
「あ、はい、ど、どうも」
 しどろもどろに返事をして、冴木さんはぺこぺこと頭を下げた。
「バイトの子も、頑張ってね」
「……はーい。どーもー」
 私が適当に答え、女性三人がくすくす笑いながら立ち去ると、冴木さんはようやく緊張を解いたようにふうっと全身で息をついた。
 唐揚げを一個ガメてから、私は再び冴木さんの膝の上に弁当を戻してやったが、本人はぽーっと放心していて、おかずが減ったことにも、私がそれをもぐもぐ食べていることにも、まるで気づいていない。これなら卵焼きも貰っておけばよかった。失敗した。
「誰ですか、あの人」
「総務の鵜飼さん」
 女性は三人いたのに、ぼんやりしている冴木さんの口から出たのは一人分の名前だけだった。バレバレすぎるだろ。
「美人でしたね」
「うん、そうだね、美人だね」
 目の周りをぽっと赤らめている。熊が照れとる、と私は思った。
 なるほど。
「清楚な雰囲気だし」
「うん、そうだね、清楚だ」
「白い貝殻のイヤリングが似合いそうですよね」
「え?」
 森の熊さんは、やっぱりああいうお嬢さんタイプに弱いらしい。



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